敗走した騎士が魔女の実験動物になった話

  土砂降りの雨が注ぐ中、俺は馬に跨って駆けていた。どこか定まった行き先があるわけではない。ただ只管に戦場から遠ざかろうと手綱を握り、より早く走らせるべく鐙で馬の腹を叩く。

  鎧の隙間から刺さった矢が衝撃に動いて擦れ、悲鳴を上げそうになるほどの痛みを伝えてくる。だがここで引き抜けばたちまち失血で命を奪われてしまう。歯を食いしばり、痛覚を気合で堪えながら鬱蒼と茂る森の中へと躊躇なく突っ込んだ。

  (くそっ!くそっくそっくそォ!どうしてこんなことにっ!)

  瓦解し敗走を余儀なくされたことにとてつもない腹立たしさを覚える。

  鉱山を手中に収めるべく隣国に攻め入ることを決めた王も、軍事作戦を取り仕切る将軍達も揃って勝利を確信していた。兵の数も装備も明らかに差のある弱小国との戦争。苦戦する可能性さえ欠片もなかった筈の侵攻だった筈なのだ。

  だが蓋を開けてみればこのざまだ。開けた平地での正面対決にもかかわらず、歩兵隊も騎馬隊もあっという間に蹂躙されてしまい、今や生き残った僅かな兵が追討を逃れようと這う這うの体で逃げまどっている。

  (戦略級の魔法だと!?そんなもの古代の嘘くさい文献に書かれるような与太話だろうが!)

  天より降り注ぐ無数の火球。踏み締めた地面が爆散し、石のつぶてと共に砕かれ飛び散る歩兵。敵味方問わず放った矢が不自然に向きを変え、あり得ない軌道を描いて俺達にだけ突き刺さってくる。

  対人の規模なら魔法を行使する者は少なからず存在する。小隊規模を惑わすような大掛かりな術も時間と手間を掛ければ準備はできるだろう。しかしあれは、戦場そのものを吞み込み我が庭として弄り尽くすような魔法は明らかに尋常でない。

  たかだか数百の兵に数万の戦力を轢殺され、栄えある王国の軍団は指揮系統すら保てずに崩壊した。辛うじて残った将兵さえ、羽虫を捕えて潰すかのように魔法を掛けられ無力化されていく。もはや戦の体を成さず、怪物染みた魔法使い達の実験場と化した平原は血の赤に染まり尽くしていた。

  「国境まで辿り着けばあるいは……ッ!」

  生き延びる僅かな望みを胸に抱きながら、碌に道筋もない森の中を駆け抜ける。限界近い速度を維持させられた弊害か、俺に連れ添い戦線を渡り歩いてきた愛馬はいつになく息を荒げ、苦しそうに首を上下させていた。

  先ほどまで隣の方から聞こえていた弱々しい声も既にない。見通しの利かない前方に惑わされて見失ったのか、あるいは力尽きて振り落とされてしまったのだろう。これで、所属する隊の中でまだ生き残っているのは俺だけになってしまった。

  「まだだ、まだ止まるな!奴らの手が届かない場所までは――――」

  体力が限界近い相棒に呼びかけながら手綱を握り締めたその時だった。

  行く手に雷光が落ちる。木々の立ち並ぶ中で逸れることなく狙ったように地面に刺さったそれは、回避の間もなく俺達を無慈悲に巻き込んだ。

  「があっ!?」

  馬が大きく暴れ、体が宙に投げ出される。速度のままに飛び出した肉体はゆっくりと半回転し、大木の幹に打ちつけられた。鎧が衝撃にひしゃげ、骨の砕ける感触が体の中に伝わってくる。

  「ぐ、う……。くそっ、ここまでか」

  呻いた口から鮮やかな赤が溢れ出た。どうやら内臓を大きく傷つけてしまったらしい。碌に身動きも取れない状況のまま、俺はうつ伏せの状態で周囲を見回す。

  倒れてもがき苦しむ愛馬の向こう側に長裾のローブを纏った人影がある。おそらくはこいつが魔法を放ったのだろう。兜の隙間から見えるその顔はどこか幼く、少女のようなあどけなさがあった。

  「――――命中させるつもりだったんだけど、さすがに木が邪魔だったか。まあいいや、もう動けないみたいだし」

  まるで遊びの内容を評価するように呟きながら、ローブの魔法使いはこちらへと悠々歩み寄ってきた。指の一本も動かせなくなった俺はもはや脅威でも何でもないらしい。目の前で屈み込んだそれは長く伸びた前髪を手で跳ねのけると、兜の中を覗き込んだ。

  「まだ生きてる?生きてるよね」

  「なんだ……?死にかけの俺を嘲笑いにでも来たのかよ……」

  掠れた声で問いかけに答えると、彼女は爛々と目を輝かせながら両手を伸ばしてきた。留め金を外された音がしたかと思うと、頭を覆っていたものを引き剥がされる。

  自らの血に濡れた素顔を敵の前に晒され、俺は少しだけ腹が立った。

  「辱めのつもりか?」

  「まさか。お偉いさんかどうか確認しろって師匠に言われてるからだよ。どうやら貴方は違うみたいだけど」

  脱がされた兜が目の前に置かれた。横一文字にスリットが入った鋼鉄製のヘルム。王国の鍛冶師が丹精を込めて作り上げた逸品の1つだ。

  この武具も連中の手に渡るかと思うと実に腹立たしい。魔法などという旧来の力にいつまでも現を抜かし、近代化を怠っている弱小国家の民が、これの価値を正確に理解できるものか。

  文句の1つも言ってやりたい気分だったが、出血と臓腑の損傷で声を上げることも難しい。ただ睨みつけて目の前の魔女を威嚇することだけが、俺にできる最大限の抵抗だった。

  「おぉ怖い。化けて出そうなくらい恨んでるじゃない」

  「できるものなら、そうしてやるさ……」

  「残念だけどそうはならないよ。貴重な素材として体も魂も余すことなく使わせてもらうからね」

  そう言いながら魔女は手を翳してきた。

  何かしらの魔法を掛けたのか、体の中に熱いものが満ちていくような感覚がある。同時に猛烈な眠気が俺の意識を奪い始めた。

  「何、を……?」

  「せめて苦痛がないようにと思って。暫く大人しくしておいて貰うよ」

  呂律の回らない声に応える彼女は憐れむような表情を俺に向けている。

  ああ、そうか。俺はこいつに殺されるのか。

  (くそったれが。時代遅れの、魔法使い……ども……)

  視界が閉じる。体の芯から熱がどんどん抜けていく。

  全身が脱力する感覚を意識の端で受け止めながら、俺は思考を手放した――――。

  [newpage]

  寒い。温かい。

  相反する感覚を肌に感じて意識が覚醒する。ゆっくりと目を開けると、そこは薄暗い洞窟のような場所だった。

  「あれ……?たしか、おれはまじょにころされ、て……?」

  声を出した瞬間違和感に気づく。

  これは俺の声じゃない。こんな幼く高い声音じゃなかったし、舌だってもっとよく回っていた筈だ。

  「いったい、どうなってるんだ?」

  身を起こそうとするものの体に上手く力が入らない。仰向けに寝転がされた状態のまま、指先1つ動かせずに疑問を口にする。

  これも魔女に何かされたせいだろうか。状況を理解できないまま、暗がりに覆われた天井をぼんやりと見つめた。

  「――――起きたみたいだね」

  やや離れた位置から女の声が聞こえてきた。洞窟の中に足音が響き、こちらへと近づいてくる。

  フードに隠され真っ暗な顔を俺の目の前に近づけ、長い髪を垂らしてきた彼女はやはりあの時の魔女だった。

  「おれに、なにをした?」

  「うーん、とにかく色々だね」

  相手を怒りで睨みつけた――――そうしたつもりだが、ちゃんとその表情になっているのだろうか――――俺に、彼女は全く悪びれる気配もなく答えた。

  「この1ヶ月くらい肉体も魂もずっと弄りっぱなし。おかげで原形は留めてないし人間じゃなくなっちゃったけど、その辺は許して欲しいかな」

  「ふざけるな。ひとのそんげんをなんだとおもってる?」

  「そう怒らないでってば。これはまだ途中段階なんだから」

  倫理観の欠片も感じられない魔女はそう言いながら俺の背中に片手を差し入れた。軽々と持ち上げて、そのまま俺の上半身を起き上がらせる。

  「見える?これが今の君の状態。使い物にならない体をそっくり取り換えたんだよ」

  俺の視界に入ったのは、もはや人体ですらない、束ねられた肉厚の触手の束だった。僅かに先の方がうねるそれらが俺にとっての肢らしいことは感覚として伝わってくる。泥のような赤茶けた色合いのそれには無数の吸盤がつき、纏った粘液で全体がぐっしょりと濡れていた。

  人間としての特徴がなんとか残っているのは臍よりも上。だがそれも鍛え抜かれた成人男性のものではない。骨盤は広いものの、全体に幼く小さな細身の胴体。高く見積もっても十代前半といったところの少女のものだ。

  水魔――――いわゆるスキュラと呼ばれるモンスターの肉体。それが俺の視点と繋がる形で岩の台座に力なく寝そべっている。あまりの衝撃的な光景に言葉を失ってしまった。

  「なんだよ、これ」

  「素敵でしょう?まだ魂が馴染みきってないから動かすのは大変だと思うけど、そのうち慣れるよ」

  見るからに異形と化した体を目の当たりにしてショックを受けている俺に、魔女はさも大したことのないような雰囲気で慰める。

  ――――いや、これは慰める気すらないだろう。ただ実験対象が変化に適応することを期待しているかのような、シンプルで悍ましいコメント。こいつは俺のことを端から同等に見てはいないのだ。

  「いやだ、こんなの。ばけものじゃないか」

  心から不満を吐き出した瞬間、瞳から涙がどっと溢れ出した。肉体に引きずられて精神まで幼くなり始めているのだろうか。感情を抑えきれなくなって嗚咽を漏らす俺の前に立つと、彼女は詰まらなさそうな表情でこちらを見やった。

  「せっかく生き返らせたのに嫌だの何だのって、我が儘もほどほどにして。こっちは興味が無くなったらすぐにでも標本に出来るんだから」

  「うう……」

  直球の脅しに黙り込むしかなくなる。満足に動けない現状、生殺与奪の権利は一切が彼女の手の中にあるのだ。下手に逆らえば今度こそ命はない。

  再び台座の上に寝かされた俺は、頬を涙で濡らしながら脇に立つ魔女へと怯える眼差しを向けた。

  「まあ、こうやって陸に上げてたら馴れるわけもないか。いつまでも未練たらしいこと言ってて煩いし」

  両腕を組みながらぶつぶつと呟く彼女。その背後からぎこちない動きで人影が蠢いて近づいてきた。上半身を裸に剝かれ、首から上が存在しない男性の身体。その胸に刻まれた数ヶ所の切り傷を見て、俺は正体に気づいてしまった。

  「これ、おれのからだ……。どうして……?」

  奪われ取り換えられた肉体の末路に言葉を失う。もはや戻ることも叶わないであろうその姿はまさしく絶望そのものだった。

  「ん?ああ、改造してゴーレムにしたんだよ。力持ちで色々使い勝手が良いんだよね」

  目を見開いた俺の視線を辿った魔女は素っ気なく答える。その態度に、彼女にとっては俺の扱いなど所詮その程度でしかないのだと改めて理解させられた。

  ちょうど良く目の前に現れた実験素材。どれだけ弄り尽くして原形を失っても糾弾を受けることのない格好の材料。異国から攻め込んできた兵士ともなれば尚のこと、使い潰すことには躊躇が無くなる。まだ魂を失わされてはいないことが不幸中の幸いだったとさえ言えるだろう。

  ――――あるいは、それこそが更なる地獄というべきか。もう二度と人間として表を歩けないと心底思い知らされ、またしても涙が零れ落ちた。

  「こいつを地底湖に放り込んどいて。外の水が流れ込んでるあの場所なら魚みたく生きられるだろうし」

  魔女に命令され、俺の肉体だったものが台座の脇に屈み込む。両腕を俺の下に差し込んで持ち上げると、そのまま抱えて運び始めた。

  「まてよ。どこへつれていくんだ」

  「この工房は天然洞窟を使っていてね。ちょうど水魔を入れて観察できる湖も近くにあるんだよ」

  「みずうみ……おい、いまほうりこまれたらおよげなっ……」

  俺の抗議は扉を閉められたことで否応なしに遮られた。そのまま洞窟の奥へと向かって歩くゴーレムになすがままにされてしまう。

  ようやく形を理解したように動かせるようになった手をぶつけてみたが、非力な体では引っかけられた指先を押し返すことさえ叶わない。健気に抵抗を試みているうち、俺はとうとう目的地へと到着してしまっていた。

  「ま、まてよ……。もとはおれのからだだろう?」

  何とか聞き入れてくれないものかと呼びかけたものの、頭のないそれに俺の声は届かない。命乞いも空しく、魔女の埋め込んだ命令通りに、奴は暗い水面へ向かって俺の体を放り投げた。

  「おぶっ!?がぼっ、ごぼぼっ!?」

  体が水底へと沈んでいく。開け放たれた口から絞り出された空気は大きな泡となって漂い、代わりに冷たい水が体内を隙間なく満たしていった。

  (苦しくはない。でも、これは……)

  緩やかな水流が渦巻く中に力なく揺蕩いながら感情が薄れていく。もうどうにもならない。俺はこのまま異形の怪物として生きていくしかないのだという絶望が、魂を黒く暗く塗り潰していく。

  「おねがいだ、もう……おれを、ころして……」

  溢れる涙を湖の中に溶かし、俺は静かに目を瞑った。

  [newpage]

  「――――兄様、起きて下さい。こんなところで寝ていては風邪を引きますよ」

  懐かしい声に目を開ける。顔を上げると、俺の妹が不安そうに覗き込んでいた。

  ――――夢を見ていたのだろうか。実に恐ろしく悍ましいものだったことを思い出し、背筋に寒さを感じた。

  「すまないクローディア。読書をしていたんだが、ここは随分と居心地が良くてな」

  「本当にお気に入りの場所なのですね」

  いつの間にか腹の上に落ちていた本を拾うと、くすくすという笑い声が響いた。どうせ、柄にもない趣味だというのだろう。

  「それ、兄様のご友人がお書きになられた――――」

  「ああ。あいつは詩を作るのが好きでね。この前俺の誕生部だからってプレゼントされたんだよ」

  私書で出したにしては立派な拵えの表紙をクローディアに見せる。詩歌のことはからっきしだが、決して下手とは言えない程度に言葉が練られ、情緒ある風景が綴られている作品だ。下級貴族の嗜みとしては相応に風情のあるものと言えるだろう。

  ペンを握る暇があったら剣を振れと叱責される彼の姿を思い出し、ふと笑みが毀れた。

  「それで、俺をわざわざ呼びに来たのには何か理由があるんだろう?言ってごらん」

  実の妹に優しく呼びかける。艶やかな黒の髪を風にはためかせながら、彼女は少し物憂げな表情を浮かべた。

  「実は、その……」

  「どうした?何か良くないことでもあったのか」

  言葉を詰まらせる彼女に問いかける。普段ならここまで言い渋ることはない。よほどの出来事があったのだろう。

  しばし逡巡を見せていたクローディアは、ようやく意を決したように口を開いた。

  「その詩をお書きになられた方が、先の戦で亡くなられたと」

  「――――なんだと?」

  衝撃だった。確かにこのところ隣国侵攻に向けた準備は進んでいたし、武官の家柄である俺のところにも近々馳せ参じるようにとの通達が届いてはいる。

  だが、それは当分先のことの筈。まだ出陣の号令すら出ていない状況で戦死などある筈もない。俺は訝しげに妹を問いただした。

  「どういうことだ。一体、どの戦場で死んだというんだ?」

  「■■■■で。我が方の大敗で亡骸もほとんど戻ってきていないということでした」

  はっきりと、事実を告げるかのように異国の平原の名を口にする。

  おかしい、そこでの戦はまだ起きていない筈だ。俺もそこに参加していたのだから当然知っている。当然――――。

  「ちがう、なにかおかしい……!おれのきおくとちがって……あっ!?」

  声を荒げながら立ち上がろうとして転ぶ。いつの間にか高く女児のような声になっていた俺は、挫いたらしい足先を見て――――そこに足すらないことを理解する。

  粘液を纏って蠢く触手の群れ。下半身全てが異形と化して地面をのたうっていた。

  「おれ、どうなってるんだ……!?くろーでぃあ、たすけて!?」

  縋るように妹の方を見る。だが彼女は胸の前に何かを抱えたまま涙を流して立っていた。

  真っ赤な涙。頬を流れ顎を滴り落ちる血涙が、抱きしめる球状の何かの上にぽたぽたと垂れている。

  「兄様も戦死されました。この首だけが我が家に届けられて……」

  引き寄せられた視界に『俺』が映る。俺だったものが、唯一あの場所になかった生首が――――。

  「あ、ああ……」

  そうだ、俺は。俺はとっくのとうに死んでいた。

  今の俺は魔女に弄ばれる一匹の水魔。人間の魂を無理矢理植え付けられたスキュラの幼体だ。

  「あ、はは……。あははっ、そうか、そうだったな……」

  涙が零れる。どうしようもなくなってしまった自分の立場を理解して、俺は悪夢から目を覚ました――――。

  ******

  「ん……。ああ、そういえば湖に投げ込まれたんだった」

  起きがけに思い出し、水底に沈んでいた身体を触手を使いながら水面側へと起こす。意識を失う前は全く力の入らなかった腕が、今は自由自在に動かせるようになっていた。

  周囲を見回すと、青みがかった岩場の中がはっきりと視界に映る。どうやら視覚も人間のものとは異なっているらしい。水中に棲む存在として最適化された五感を働かせながら、俺は地底湖の中を探索し始めた。

  (生き物がいる。あの魔女が言ってた話は本当らしいな)

  岩の表面を歩くエビに、群れを作って泳ぎ回る小魚。外から流れ込んだ栄養と土のおかげで暮らしていけるのか、動物も植物もそれなりに数がいる。背後からそっと摘み取って口に含むと、ほんのりと甘い味が広がった。

  (って、何をやってるんだ俺は)

  つい本能的に動いてしまった手を驚いて眺める。

  魂が馴染むというのは、単に肉体との接続がなされるだけではなかったらしい。意識している部分もしていない部分も、徐々に水魔としてのそれに近づきつつある。その事実に嫌悪を感じなくなっていることさえ影響の1つなのだろう。

  ――――どのみち、もう人間に戻る手段はない。ならば心までモンスターに変わってしまった方が幸せだ。そんなことを思いながら、俺は触手をくねらせ水を掻き分けた。

  洞窟の外にまで張り出した岸辺から最奥の崖まで、実家の庭園と大差のない面積がある。おまけに水面から水底までは身長の20倍以上の深さがあった。実に広大な場所だ、これだけの空間があれば確かに実験動物を飼うには丁度良い。

  壁の一部は魔法で加工されたのか水晶のように透き通り、外側から容易に覗き込めるように変えられている。おそらくはここから魔女が俺の姿を観察しているのだろう。逆に俺の方から洞窟の方を覗いてみたものの、光の加減が違うのか殆ど中を伺うことはできなかった。

  「見られているかどうかがわからないのは怖いな」

  あちらがいつ何をしてくるか予想がつかないことに恐怖を覚えながら、元いた場所まで戻ってくる。

  色々巡ってみたものの、この位置が一番穏やかで安定しているようだ。とりあえずの寝床と定め、砂の積もった水底を居心地良く整え直す。俺は泳ぎ回って疲れた体を休めるように広げると、そこに背中をゆっくりと横たえた。

  ――――目は瞑れない。またあの悪夢を見てしまうような気がして心がざわついてしまう。触手の肢を草葉のように漂わせたまま、俺は力を抜いて暫く何もない水面を見つめ続けた。

  [newpage]

  「どう?少しは馴れてきた?」

  「まあ、それなりには」

  投げ入れられた魚の切り身を齧りながら、俺はぶっきらぼうに答える。生で食すことに抵抗がなくなってしまった口の中は、人間に似た丸みのある乳歯からギザギザと尖った水魔らしい歯に生え変わっていた。

  そして水面に出たことで気づいたが、どうやら上半身の方もぬるぬるとした粘液が皮膚を薄く包み込んでいるようだった。これも水魔として完成しつつあるのが影響しているのだろうか。

  徐々に人間らしさを忘れつつある俺を、魔女はどこか嬉しげに見ているようだった。

  「貴方の肉体、今も元気に働いているよ。今日は私の部屋の掃除をさせているところ」

  「ああ、そう。俺にはもう関係のないことだろ?」

  「あら淡白ね。まあそっちの身体の方が良いなら仕方ないんだろうけど」

  からかいながら手を差し出す彼女に、俺は仕方なく近寄った。手で触れて健康状態を確かめると言ってはいるが、正直信用はできない。相手は魔法の使い手だ、何か呪いを掛けられる可能性だって十分に考えられる。

  「ひんやりして気持ち良い。体温は少し下がったみたいね。心臓の鼓動も幾らか緩やかになっているようだし」

  胸の中央あたりに手を触れながらぶつぶつと何事かを呟いている彼女。言っている内容はよく理解できないが、おそらく俺の変化の具合を確認しているのだろう。

  手を更に下へと動かし、水中に沈む下腹部へと触る。その瞬間、ぱちっと電流のような感覚が体内に弾けた。

  「ひゅっ!?」

  未知の刺激に思わず体が跳ねる。取り落としてしまった切り身の食べかけがぽちゃんと水面に落ち、匂いに釣られた同居人達が一斉に群がって突き始めた。

  「ああ、ごめん。体を見るためにちょっと魔力を流していたんだけど、感じちゃった?」

  「感じたって、な、何を?」

  戸惑い気味に訊き返す。こんな感覚は全く知らない。知る筈もない。

  魔女はいたずらっぽく笑うと、もう一度下腹部に刺激を与えた。

  「はうっ……!」

  「ああ、やっぱり感じてる。そうなると機能としてはもう出来上がってきてるんだ」

  跳ねる身体を面白がるかのように何度も魔力を通してくる。皮膚を突き抜けてくすぐられた臓腑が熱を帯び始め、俺は微かに頬を赤らめた。

  「もっ……やめっ……!」

  「ごめんごめん、ちょっとやり過ぎたね。大事な場所だから刺激かけ過ぎるのは良くないか」

  すっと指先が離れ、中の痙攣が止まった。少し荒くなった呼吸を整えながら、俺は恨みがましい表情を彼女に向けた。

  「おい。俺の体で遊ぶな」

  「はいはい。まあでもこれで次のステップに進めるわ」

  そう言って魔法の石板に何かを書きつける。異国の言語で構成された走り書きの示すものが何なのかは見当がつかないが、おそらく今の俺に関する何らかの情報だろう。

  用の終わった石板を脇に退け、彼女は俺の触手の1つを握るように手を水中へ差し入れた。

  「ちょっと痛いけど、1つサンプルとして貰うね」

  「な、ちょっと待っ――――」

  焦って止めようとした目の前で鋭い痛みが走る。魔法の刃が切り裂いた根元から青い煙が僅かに漂っていく。水魔の再生能力ですぐさま塞がった断面は、色が落ちたように真っ白へと変わっていた。

  「ったい……!何するんだよ!!」

  「だから言ったでしょ、サンプルとして貰うって。これが無いと次の実験ができないのよ」

  俺から切り離されても尚うねうねとのたうち回る触手を握り、彼女はニッコリと笑う。やはりこの魔女には容赦というものがない。

  傷口を手で覆い隠しながら、俺は威嚇するようにギザ歯の並ぶ口を開いた。

  「次やったらお前の腕を噛み千切ってやる」

  「もうやらないってば。というか、これでもう十分事足りるし」

  サンプルとして奪取された俺の一部を握り締め、彼女は洞窟の奥へと消えていった。

  [newpage]

  触手を切られてから数時間後。傷痕はやや盛り上がり、少しずつ触手の形を取り戻し始めていた。

  水中でぶよぶよとした感触の断面を触りながら、俺はぼんやりと先ほどの感覚を思い出す。電撃を受けたような痺れと下腹部がキュッと締まる感触。人間ではない肉体に備わった知らない器官が生み出したものに、何となく心が疼いて仕方がない。

  「あの感覚、どの辺りから湧き出してきたんだ?」

  ひとり呟きながら下半身をまさぐってみる。何本も林立する触手に触れた瞬間、ぬるりとした感触が指先へと伝わってきた。

  「わっ!?」

  思わず手を引き出したが、指についたぬめりは水流に剥がされすぐ失われていく。意を決して俺は再び付け根の奥を探った。

  異形の姿に恐怖を感じて接触を避けてはきたものの、自分の体を知らずしてこの先生きていくことはできない。今日こそはどうなっているのか確かめてみなければ。

  「んっ……なんか柔らかい」

  中央に近い前寄りの位置。特に苦労せず手が届く場所に触手とは異なる感触があった。何か穴のようなものが窄まって閉じている。

  形を確かめるように指先を動かしていたところで、不意に穴へと手が滑り込む。その瞬間、体の芯に電流が走ったような感覚を覚えた。

  「んひゃっ!?」

  びくんと腰が跳ねる。触手が一瞬縮こまり、俺の体は浮力を失って水底の砂に着地した。

  「これだ。ここが、俺の中に繋がる入口……」

  高鳴る鼓動を感じながら、もう一方の指先も穴へと寄せる。縁の部分をなぞるようにして触ると、ぞくぞくと続けざまに不思議な感覚が伝わってきた。

  「わかんない、けど……。これ、なんか似てる……」

  肉体を、機能を失ったことで忘れかけていたものを朧げに思い出す。異性と交わりを持った時、扱かれ責められた局部の感触とどこか似通っている。とすれば、おそらくは子を成すための器官――――水魔にとってのそれがこの穴なのだろう。

  下腹部に宿るものの熱を僅かに感じ取り、俺は誘われるように穴へと指を差し入れた。

  「んっ、ふうっ……。そうか、これが……」

  出しては入れてを繰り返し、熱に浮かされた顔で呻き声を上げる。未知の内臓を刺激しての自慰によって、俺の体が次第に発情へと近づいていくのが感覚的にわかってしまう。

  「やあっ……体の中に、何かが……!俺、こんなの知らない、のに……!」

  内側で魔力が渦巻き、何か自分と別のものが塊になっていくようだ。この現象こそモンスターとしての繁殖の準備なのだろう。

  形を得た卵は下腹部を埋めるように増え、膨れていく。それに伴って俺の下腹部も内側からゆっくりと張っていった。

  体の限界を本能的に感じ取ったのだろう。刺激で感じていたものが急激に収まり、昂っていた感情が落ち着いていく。結局刺激で達することはできないまま、俺は惜しむように指を穴から引き抜いた。

  「はあっ……準備、整っちゃったんだ……。化け物の卵が、俺の中に一杯……」

  目に見えて差がわかるくらいに膨らんだ腹。その中には当然のように仔の元となる存在が目一杯に詰まっている。俺は我が子となり得る存在の宿った身体を自然と愛おしげに見つめていた。

  その時、頭上で大きな水音が響いた。見上げると、かなりの大きさを持った影が水面近くをゆらゆらと漂っている。魔女が何か投げ入れたのだろうか。

  (怖いな……少し隠れておこう)

  水魔としての直感が危険を告げている。俺は相手に気取られないようにそっと水底を移動すると、突き出した岩の下に身を伏せた。普段とは異なる水流に揉まれ、触手の先が飛び出して揺らめく。相手に見られたりしたらまずい状況だ。

  「もっと小さく丸くならないと……」

  下半身を腕で引き寄せ、抱え込むようにして小さくなる。横向きに眺める水面から例の影は既にいなくなっていた。

  (お願いだ、俺に気づかないでくれ。どうか……)

  ぎゅっと体を縮めて息を殺す。どこに潜んでいるともわからない存在に怯えながら、俺は周囲を絶えず見回し続けた。

  ――――そして。

  「あ!ここにいたぁ……!」

  すぐ傍で喜びの声が上がる。伸ばされた触手に貼り付かれた俺は、遥かに強い力で岩陰から引きずり出されてしまった。

  [newpage]

  「やめてくれ!何でこんなことを……」

  同じ触手に絡めとられ動きを封じられながら、俺は命乞いをするように呼び掛ける。だが、もう1匹の水魔は俺の嘆願など意に介さないかのように両肩を岩肌に押し付け、鼻息荒く俺を見つめ返していた。

  目の前に浮かぶ水魔は魔女とそっくりな顔立ちをしていた。だが宿す雰囲気からして彼女自身でないことは明らかだ。もっと野性的で本能のままに動く何か。そう言い表すしかないようなものが俺を押さえつけている。

  「なんでって、はんしょくするためだよ?」

  「は、繁殖?」

  無邪気な口ぶりで発された言葉に思わず聞き返してしまう。

  生物だろうとモンスターだろうと、基本的には雌雄が揃って初めて子を成すことができる。だが目の前にいるのはどう見てもメスの個体だ。そして俺も、不本意ではあるもののメスの肉体に宿っている。

  彼女と交わったところで繁殖などできる筈がない。それは自明の理だった。しかし――――彼女は困惑する俺をからかうかのように笑った。

  「おかあさまがいったの。わたしとあなたはこどもをうめるしこどもをつくれるの。わたしたちはおすでめすなんだって」

  オスでメス。本来であれば別個の存在でしかないものの特徴を兼ね備えている。そうはっきりと告げられたことで俺はますます混乱してしまった。

  「待ってくれよ。じゃあ、お前はまさか……!?」

  「そうだよ。いまからあなたのなかにこどものもとをながしこむの」

  過ぎった嫌な予感を言い当てるように、彼女は怪しく瞳を輝かせる。波打つような瞳孔が俺の怯える顔を嘲笑うかのように見下ろしていた。

  「い、いやだ。やめてくれ」

  「それじゃあいれるね」

  「ひいっ……!?」

  触手の一本が下腹部をなぞったかと思うと、体の底へと宛がわれる。窄まった穴よりも太いそれを押し付けられ、膨らんだ腹に圧迫感が広がり始めた。

  「いぎっ……!きつ”いっ、いた”いっ……!!」

  穴が強引に押し広げられる感覚。悲鳴を上げて震える俺の意識とは裏腹に、体は受け入れるように緩まっていく。

  いともたやすく最奥まで挿し込まれた交接肢の先から何かが吐き出され、俺の中へと丸ごと呑み込まれていった。

  「ふう”っ!?んん……っ」

  少しだけ体積の増した内部が腹の皮を押し上げる。僅かに悶えて触手を震わせた俺から拘束を剥ぎ取ると、彼女は労わるように膨らんだ腹を手で優しく撫で回した。

  「ここにたまごがはいってるんだね」

  「うう……やめろ、触らないでくれ……」

  打ち込まれた何かの影響だろうか。些細な刺激でさえ電流が弾けるように体の中を大きく乱してくる。呻くような声を上げながらも、俺は碌に身動きも取れずされるがままになっていた。

  「くるしい?つらい?」

  興味深そうに聞いてくる彼女に向け、必死に頭を振る。これ以上変なことをされたらマズいという直感が、俺の頭に危険信号を送っていた。懇願するように彼女を見つめると、相手は微笑みながら触れていた手を離した。

  ほっとして緊張が緩む。だが次の瞬間、無防備な腹部に彼女の伸ばした触手が当てられた。

  「あっ……!?」

  しまった。そう感じる間もなく触手の先から魔力を流し込まれる。途端に体の中で射し込まれた物体が一気に弾けた。

  「ん”お”お”お”お”お”お”お”お”っ”!?」

  ボンッと何かが破裂したような感覚だった。卵を包む壁が急激に膨張して体積を増す。まだなだらかな膨らみでしかなかった筈の俺の腹は、あっという間に張り裂けそうなほど丸々とした姿へと変貌した。

  とんでもない圧迫感と突き刺さるような性感が俺の脳を一気に焼き尽くしていく。痺れるような痛みの中で全く何も考えられなくなって、終わりのない気持ち良さだけが頭の中を隙間なく埋めている。

  「お”お”お”お”っ!ほおっ!?んおお……んえ……♡」

  「たまごがこどもになったんだね!じゃあ、つぎはさんらんしないと」

  びくびくと何度も痙攣しながら動けなくなっている俺を触手が掴み取る。膨れ上がった腹を巻くように幾重にも被せられ、背後から抱きしめるように彼女の上半身が引っ付いてきた。

  もはや言葉にすらなっていない叫びを滅茶苦茶に発して震える俺を操るようにして、その穴の先を岩陰へと擦りつける。

  「せーのっ」

  「ひゅぎいいいいいいいいっ!?」

  腹が外側から締め付けられ、絞られた。その勢いで穴から卵が幾つも押し出される。粘着質なものが表面に張り付いているのか、俺の体から吐き出されたそれらは岩肌に接触するとぺったりくっついて動かなくなった。

  「つぎはこっち。はい、からだまわすね」

  「んへええええっ、おおおおっ……♡」

  いくつか卵を穴の先から零しながら別の場所に移動させられる。そしてまた絞り出されての産卵。圧迫と穴を通り抜ける異物の感触が気持ち良さを生んで、またひとつ俺の心の何かを壊していく。

  されるがままに操られながら、無駄に持ち続けていた理性を卵と共に零れ落としているようだった。

  「そろそろさいごかな?いっきにおしだすよ」

  「えへへへ……ぜんぶだしてぇ……♡んぎいいい!?」

  体を押し潰すような強さで圧され、思わず悲鳴を上げてしまう。だがその痛みも今はとてつもなく気持ち良く感じる。最後の産卵を終えると同時、俺はひときわ激しく絶頂を迎えていた。

  「ん”お”お”お”お”お”お”お”お”――――っ!?え”ぇ”……」

  最後の痙攣と共に触手が解け、大きく全身を震わせる。意識がチカチカと明滅し続ける中で、俺は湖の中に力なく体を漂流させた。脱力感と虚無感が心を満たし、急激に眠気が襲ってくる。

  (もう、だめ……おれは、これで……)

  身体に満ちていた熱が抜けていく中、俺は静かに両目を閉じた。

  [newpage]

  「うーん……。素材を増やすために繁殖させるのは上手くいったけど、生態的には1回きりかぁ。いちいち治して蘇生させるのも面倒だし効率が悪いね」

  石の台の上に横たえられた水魔の身体を前にして、魔女はひとりため息をついた。

  今しがた力尽きたばかりのそれは呼吸を止めたままピクリとも動かない。急激な肉体変化と産卵で体内の魔力を使い果たしたことにより仮死状態に陥っているようだ。体内の臓腑も入れられた精漿の破裂でそれぞれが大きく傷つき、穴の先からは青色の血が止まることなく流れ出ている。

  生命を維持できないほどの重篤な状態。徐々に死にゆくその体へと手のひらを翳し、彼女は呪文を静かに唱えた。淡い黄色の光が満ち、瀕死の水魔へと取り込まれていく。

  「一旦魂を回収しておくかな。まだ試したいことは一杯あるし」

  新たに呪文を唱えて胸元へと魔力を収束させる。浮き上がるようにして現れた高密度のそれは、平たく整えられた宝石のような形になって体表に張り付いた。

  『魂の宝玉』、『エーテルストーン』、あるいは『賢者の石』とも呼ばれる存在。赤い血潮にも似た真っ赤な宝石の中に渦巻く魂の光を確かめると、それを水魔の肉体から力を込めて引き剥がす。僅かにこびり付いた肉片と真っ青な血を布で拭い、彼女はゴーレムの持ってきた小さな箱へと石を慎重に収めた。

  残された水魔の亡骸――――先ほどまで実験対象が宿っていた仮初めの肉体は、魂の結びつきと血の気を失って全身真っ白に変わっていく。力むことなく静かに閉じられた両目は、どこか穏やかで幸せな夢を見ているかのようだ。

  「さて、と。そんじゃあこっちは適当にバラして魔術素材にしよう」

  そう呟いて、魔女は指先ほどの刃がついたナイフを手に取った。石台の前に立つと、迷うことなく異形の肌を刃で裂き、胸から腹にかけて一直線に切り開く。そうして大きく割り開かれたその体に収まった臓腑を、ひとつひとつ丁寧に分けて取り出していった。

  もはや動くことのない水魔の瞼から一筋の滴が垂れる。その不思議な生理現象に気づかれることなく、死したモンスターの肉体は解体され、研究のための素材へと変えられていくのだった。

  ******

  「まじょさま。まってください」

  雛鳥が親を追いかけるように、俺は魔女の後を追って洞窟の中を必死に歩き回っていた。その度に大きな三又の足先が硬く地面を叩く。実に歩きづらい体だが、こうして自由に動き回れるだけまだマシだ。

  水魔となって産卵させられた悪夢から目覚めたにもかかわらず、俺はやはり怪物になっていた。どうやら奴によって魂を弄られ半人半鳥――――いわゆるセイレーンの姿に変えられてしまっていたようだ。

  おまけに、元の肉体は首無しのゴーレムとして改造され、彼女に休みなく酷使されている始末。こうなってしまってはもはや故郷に帰る希望も見出せず、ただ彼女に従う道を選ぶ他なかった。

  そんなわけで、今は彼女の使い魔としてこき使われているというわけだ。人間だった頃よりは少し――――いや、相当バカになっている自覚はあるし、メスの身体に変えられてほぼ毎日卵を産まされている。使い魔としての待遇にも多々不満はあるが、とりあえず命を取られないだけまだ幸せな方だろう。

  

  「石板を運ぶだけでどれだけ掛かっているの?これなら魔法で飛ばした方が楽だわ」

  抱えるほどに重く大きい魔法の石板を湖の前まで運ばされて息を荒げる俺に、魔女は容赦のない言葉を浴びせてきた。少し腹が立つものの、仕事が遅いのは事実なので認めざるを得ない。

  彼女そっくりの顔をした水魔が後ろで指差して笑っているのもムカつくが、主人が目の前にいる手前、ここはとにかく我慢だ。

  「ごめんなさいまじょさま」

  口答えせず、素直に頭を下げる。とにかく彼女の機嫌を損ねないことが大切だ。

  ――――あれ、どうしてそうしなきゃいけないんだっけ。ああそうだ、逆らったら標本にされるんだった。工房の倉庫、その片隅に置かれた液漬けの水魔の標本のことを思い出し、今一度身を引き締める。

  あれは実験の成れの果てだけど、さすがに俺も役立たず扱いで剝製にされたりしたらたまったものじゃない。使い魔は使い魔なりに、飼い主のため身を粉にして働かなくては。

  「うーん……まあ、鳥頭にしてはよくやってる方なのかな」

  ぽつりと彼女が呟きを漏らす。評価というには少し怪しいが、少なくとも悪く受け取る必要はないように思えた。嬉しさに背中の翼が開き、バサッと無意識に羽ばたきを起こす。

  「まじょさま。おれ、がんばります」

  「そうだなぁ……。とりあえず、デカい翼を振り回して物を壊さないよう頑張ってね」

  やる気を見せる俺に、彼女はそう言って改めてくぎを差すのだった。