大学サークルの子が『ケモゲーム』に巻き込まれた話

  ――――目が覚めると、そこは冷たい床の上だった。

  青白い間接照明だけが灯る薄暗い空間。家具の1つもなく、窓ひとつさえ確認できない部屋の中に、私を含めた何人かが倒れている。

  「うう……。ここは、一体どこなの……?」

  頭を大きく揺さぶられた後のようにふらつく感覚に襲われながら、私――――[[rb:井月伽耶奈 > いづきかやな]]は仰向けの姿勢からゆっくりと上半身を起こす。すぐ傍に倒れている人間の顔を覗き込んで確認すると、それは私が所属するテニスサークルの先輩――――[[rb:冴木勉 > さえきつとむ]]だった。合宿旅行に行くため集まった時と全く同じ服装のまま、彼は気を失ってうつ伏せで眠っている。

  周囲を見回すと、他もどうやらサークルのメンバー達のようだ。それも旅行に参加するためにリーダーが手配したマイクロバスに乗った人達ばかり。真っ先に起きたのが私だったのか、他の人達は時折呻き声を上げるだけでほとんど身動きもしていなかった。

  ――――それにしても、この状況はあまりにも不気味だ。

  昔の映画で見た、人々を拉致して情け容赦のないデスゲームに巻き込む話を彷彿とさせる。

  「ひょっとして私達、変な連中に攫われたりとかしたんじゃ……?」

  急に怖くなり、私は連絡の取れるものが無いかと自分の体をまさぐった。履いていたジーンズのポケットに自分のスマートフォンを見つけて取り出してみるが、残念ながらここは圏外のようだ。アンテナにバツ印のアイコンがついているのを確認し、ため息をついて手帳タイプのカバーを閉じる。

  電波の通じない山奥なのか、それとも遮断された地下深くなのか。どちらにしても、私達の危機を外に知らせる手段は手元に無さそうだった。

  その時、隣で昏倒していた先輩がよろよろと身を起こした。

  「クソ、何が起こって――――。井月、お前もいたのか」

  「ええ。なんでこんな場所にいるのかわかりませんけど……」

  名前を呼ばれ、私は先輩の問いかけにそう応じた。やはり彼もここへ連れて来られた経緯は理解できていないらしい。

  他のメンバーも目が覚めたのか、次々と起き上がってくる。たちまち部屋は状況に困惑する声で溢れ返った。

  「何なのよこれ!っていうか、アタシの荷物どこ?」

  「これってドッキリとかじゃないの?」

  「みんな落ち着けよ。まずは出口を探して脱出する手段を考えなきゃいけないだろ」

  口々に騒ぎ立てるサークルの面々。リーダーが何とか意識を自分に向けさせようとしてはいるものの、皆それどころではない様子でパニックを起こしている。

  何とかこの場を落ち着かせなければ――――。そう思っていると、部屋の壁だと思っていたところに突然眩い光が灯った。

  『この場にお集まりの皆さん、どうかワタクシの話を聞いてください』

  室内のどこかに設置されているスピーカーから機械加工された無機質な声が響き渡る。その瞬間、勝手に喋り動いていたそれぞれが、壁に埋め込まれたモニターに表示された白仮面の怪人を一斉に凝視した。

  「なんだアイツ……?」

  『ワタクシは[[rb:園長 > ディレクター]]、皆さんがこれから参加する『ケモゲーム』の進行役でございます』

  ボソッと上がった声を拾ったかのように、白仮面は名乗って恭しく一礼した。

  彼の告げた『ケモゲーム』というものが何なのかは皆目見当もつかなかったが、少なくともまともな遊戯でないことは明らかだ。各々がモニターの中の人物へ警戒心を向ける中、彼は私達への説明を再開した。

  『皆さんにはこれから幾つかのゲームに参加してもらいます。当然、そこには勝者と敗者の2種類が生まれることになるでしょう。前者にはワタクシからささやかな贈り物をさせていただきますが、惜しくも後者となってしまった方にはペナルティが課せられます』

  「ペナルティって……まさか、私達を殺そうなんて考えてないでしょうね!?」

  デスゲームとしての定番。敗者が無残な目に遭い退場させられる状況を想像したのだろう。サークル内で一番の派手好みな[[rb:新堂美咲 > しんどうみさき]]が青褪めた表情を浮かべている。ラメを入れたネイルの先を歯噛みしながら、彼女は自身に向けられるかもしれない死の恐怖に怯えていた。

  しかし、問われた園長はと言えばまるで心外だというように肩をすくめてみせると、彼女の言葉に反論した。

  『まさか。ワタクシは貴重な命を奪うような真似はいたしません。ただ、ペナルティは確実にあるとだけ言っておきます。まあ――――人によってはこれもご褒美になってしまうかもしれませんがね』

  意味深な言い方をしつつ、彼は再び説明口調に戻る。

  ゲームは全体で5つ。その全てを無事クリアすれば私達はここを出られるらしい。

  ただし1回でも敗者になればペナルティを受け、二度とこの場所を出ることは叶わなくなる。全員がゲームを失敗するように誘導しそれが成功すれば、ランダムに選ばれた1人だけが脱出の機会を与えられる。

  長々とした話を要約するとおおよそこんな形だった。後は細々とした注意点やゲーム進行自体への妨害禁止など禁止事項の通達が幾つかあったが、こちらに関してはそこまで重要でもなさそうだった。

  (それにしても……下手なデスゲームより悪質じゃない)

  一通りの説明を聞き終わり、私は思わず顔を顰める。

  このルール、万が一敗者になっても死ぬ可能性がないのは優しいように見えてタチが悪い。脱落者が増える後半になっていくほど、僅かな脱出の望みをかけて妨害に回る人数が増えていくことになるからだ。

  それに、まだペナルティの内容が明らかになっていないということは、敗者に対し何らかの手が加えられることを意味していると言っても良い。理性を保った状態で次のゲームに臨んでくる保証がない以上、たとえサークル仲間相手だろうと油断や遠慮は一切できないだろう。

  「先輩、こんなふざけたゲームはさっさとクリアして帰りましょう!」

  「ああ!」

  隣に立つ先輩と決意を新たにする。この部屋にいる11人が全員無事に帰れる保証はない。それでも私達だけはここを脱出しなくては。

  『では、ファーストゲーム『マルバツゲーム』を開始しましょう』

  園長の声が響くとともにモニターの対面側で扉が開く。まるで遊園地を思わせる賑やかなメロディーに促されながら、私達は次の部屋へと向かった。

  [newpage]

  『皆さん揃っていますね。では、早速『マルバツゲーム』のルールを説明します』

  通された空間は、またしても家具の類がない部屋だった。

  ただし、先ほどの部屋とは違って、床にディスプレイの嵌め込まれたパネルが碁盤の目のように並んでいる。縦に7枚、横に7枚で合わせて49枚。現在は真っ白な画面が表示され、室内を明るく照らしていた。

  「マルバツゲームってアレだろ?〇と✕を順番に書いて一直線になったら勝ちってルールのやつ。マス目が増えただけじゃねぇのか?」

  側頭部を金のメッシュに染めた青年――――[[rb:山県勇樹 > やまがたゆうき]]が壁面の巨大モニターに向かって問いかける。サークル内に限らずあまり素行の良くない彼は、実に下らないといった様子で白く輝く床を横目に見やった。

  「1対1で競わせる気か半分にしてチーム戦させるのかは知らねぇけど、単純なルールなら説明は――――」

  『どちらでもありません。アナタ達が全員で挑戦し、その中から敗者が決まるんです。まあ、あまり複雑なことを言っても理解できないでしょうから、ある程度は端折りますが』

  「なんだとォ……?」

  揶揄されたと思ったのだろう。拳を握り締めると、山県は青筋の浮かんだ顔面でモニターを睨みつける。しかし、園長はそんな様子を気にすることもなく話を続けた。

  『ともかく説明に戻りましょう。――――皆さんの前にある49マスのフィールド、その上に〇か✕を並べてもらうわけですが、そのためにはワタクシが出す質問に答えていただく必要があります。正確には、その回答を〇か✕の形で任意のマスに置いてもらう、と言った方が良いでしょうか』

  「それって、〇✕クイズの回答で一列揃えるってことでいいんでしょ?」

  冷静に話を聞いていた眼鏡の女性――――[[rb:宮間央 > みやまひろ]]が訊くと、園長は首を横に振った。

  『クイズではありません。尋ねるのはアナタ方自身のことです。私が言った内容があなたにとって正解なら〇を、不正解なら✕をつけてもらいます』

  「何それ。そんなの幾らだって不正出来るわよ」

  『はい。ですので、皆さんにはあるものを装着していただきます』

  園長がそう言うと同時に壁面の一部が開く。テーブルのようになったそこへ置かれたのは太い帯状の輪だった。

  「これは首輪みたいだけど……まさか身に着けろって言うんじゃないでしょうね」

  怪訝な表情で手に取った宮間が呟く。頑丈な革に金属パーツを組み合わせたそれは、アクセサリーというには随分と作りが異なるものだった。留め金の中に嵌め込まれた電飾は何らかの状態を周囲に示すための装置だろう。不用意に嵌めるには勇気の要りそうなそれを指先で回しながら、彼女は園長の言葉を待った。

  『付けなくても構いませんが、その場合はゲームを棄権したと見なしてペナルティを与えることになります。それでもよろしければご自由に』

  「それは実質的に選択肢がないようなものじゃない」

  『どの道それを装着したままでなければパネルは反応しませんよ。〇か✕かの判定もこの装置が自動で読み取って反映するので、意図的に不正を働くことはできません』

  回答者側に選択権はなく、あくまで置くマスだけが決められる。つまり意識的に列を揃えることはできず、おそらく『こうなる』という曖昧な想像だけでマスを埋めなければならないというわけだ。

  「それで、〇が揃った場合はゲームクリアってわけ?」

  『いいえ。〇か✕、いずれかが一列になった時点でゲームクリアとなります。✕の場合は最後に置いた人が敗者となりますが、どちらにしても脱落はほぼないと言って良いでしょう』

  園長の言葉にサークル仲間達の反応は様々だった。

  クリア条件の緩さに安堵を覚える人もいれば、順番次第で脱落するかもしれないと怖がる人もいる。とはいえ、参加せずにこの場を逃れることはできない。結局皆が首輪を受け取り、それぞれに装着することとなった。

  『一応先に言っておきますが、もし〇も✕も揃わない場合はもう一度最初からやり直しです。どちらかが一列揃うまで繰り返してもらいますよ』

  「ああわかったよ。揃わないで全員ドボンしないだけテメーがまともってことはな」

  未だに喧嘩腰な姿勢を崩さないまま、山県はモニターに向かって言い放つ。どうやらトップバッターを切るのは彼になるようだ。

  『――――では一問目。アナタ達のサークルリーダーは[[rb:渡辺雅 > わたなべまさし]]である』

  リーダーの名前を問われ、彼は得意げな表情で中央のマスに移動する。

  「ふん、簡単過ぎるぜ」

  『あなたの回答は〇のようですね。では、今いるマスに回答を表示します』

  山県が立っているマスが変わり、緑背景に白の円が表示される。

  ――――なるほど、こういう形で置いたマスが変化していくらしい。真っ先に真ん中を〇にできたのはかなり大きいが、まだゲームは始まったばかりだ。盤上から離れた彼に代わり、次は先輩がマスに上がった。

  『二問目。アナタ達はフットサルサークルである』

  「これは✕だ。つまりは――――」

  先輩は角を避け、そこから壁沿いに1つずらした位置に立った。足元の床が赤く変わり、真っ白な✕印がそこに浮かび上がる。

  今のところは簡単な問題が続いているが、おそらくはサービスの範疇だろう。いつゲームマスターが本性を剥き出しにしてくるか警戒しつつ、私達は自然と順番を作り回答していった。

  『十問目』

  それが始まったのは、新堂の順番が回ってきた時のことだった。

  ここまでサークルやメンバーについての基本的なことばかりを問われてきて、上手いこと回答を捌いてきた私達は少し油断を見せていた。彼女もまた例外ではなく、自信満々でフィールドに上がり次の質問が読み上げられるのを余裕気に待っている。次も大した問いは飛んで来ないだろうと高を括りながら、私達はモニターへと視線を注いでいた。

  『――――新堂美咲は、渡辺雅と肉体関係を結んでいる』

  「――――っ!?」

  唐突に信じられないようなことを問われ、新堂は動揺するように数歩後ずさった。その足元が緑色に変わり〇印が表示される。

  部屋の中にどよめきが広がった。

  「リーダーと新堂さんが……?」

  「嘘だろ、アイツ他に彼女がいるって言ってたのに……」

  驚くような声。良識を疑う囁き。リーダーと新堂の2人に向けられた様々な声が部屋に響いては消えていく。

  「ち、違うの!リーダーとは酔った勢いで一度だけしか……」

  弁明しようとするものの、自信なさげに泳ぐ眼差しは言葉以上に真実を物語っているかのようだ。たちまち周囲から非難の言葉が浴びせられた。

  「何が違うんだよ。お前らがヤッたことには変わりねぇだろうが」

  「二股とかサイテー!リーダーのことしっかりした人だと思ってたのに」

  「合宿に来たのだってそういうことなんじゃないの?結局うちのサークルもヤリサーじゃん」

  彼らの事情を全員が知っているわけじゃない。けれど、告発染みたクイズのせいで私達の心のタガは僅かに、しかし確実に緩み始めている。今にも泣きそうな顔で部屋の隅へと下がった新堂を見つめながら、私は言い知れようのない不安が募っていくのを感じていた。

  [newpage]

  その後も私達の本性を浮き彫りにするかのような問いが次々と投げられ、マス目が順調に埋まっていくのに反しメンバー同士の溝は深まる一方だった。

  「ほ、ほら!俺の言った通りだろうが!誰が万引きなんてやるかよ」

  濡れ衣を目の前で否定されて尚、厳しい眼差しを向けられる者。

  「ねえ信じてよ!そいつと付き合ってたのは高校までなんだって!もう縁も切れたし連絡だって取ってないの!」

  体の見えない位置に刻まれたタトゥーの意味を表沙汰にされ、途端に周囲から汚らわしいと罵られる者。

  私達の抱えている後ろ暗い部分がサークルメンバーの前に晒されては悪意ある形で消費されていく。ゲームが始まる前までは協力の意思さえあった私達は、今やお互いを嫌悪し憎み合うほどになりつつあった。

  (これがゲームの真の目的なんだ。私達の関係を破壊して、嫌でも争って潰し合うようにさせている……)

  仲間だった筈のメンバー達が明確な敵に変わりつつあるのを、私はいたたまれない気持ちで眺めていた。幸いにも私の番だけは未だに秘密を暴露されることなく、わかりきった問いばかりが回ってきている。だがマスの大半が埋まり、〇と✕のどちらも列に揃いかねない状況では、むしろ何かの予兆のように思えてならない。

  「――――次、井月の番だよ」

  先程よりも刺々しい口調で促され、盤上に歩み出る。もうどんな質問が飛んできたとしても、そしてどう回答が出たとしてもまともには受け取られない。他の子達のように罵声を浴びせられる可能性が脳裏をちらつき、心はいつまでたっても落ち着かないままだ。

  『36問目。井月伽耶奈は冴木勉に好かれている』

  「っ……!?」

  ほんの少しだけ。――――違う、自覚していた以上に動揺してしまう。

  自分のことを直接問われているわけではなく、他の人からの印象という想像の難しいもの。ましてや先輩の気持ちとなると、私は正常に受け止められる自信など殆どなかった。

  好かれているかどうかは正直言ってわからない。サークルの中では比較的話をする方だし、私を気にかけてくれることは少なくないけれど、それが興味や好意にまで繋がっているとは言い切れないだろう。

  (だけど、私は――――)

  多分、ちょっとだけ驕っていたのだ。周りよりも彼に意識されている存在だということを勝手に解釈して、おそらく〇が揃うであろう位置に立ち止まる。

  『なるほど、あなたの考えはそうですか』

  園長が意味深にそう告げると同時、足元のマスは赤色に変わった。

  「え――――?」

  その瞬間、全てを否定されたような気がした。記憶の中にあった先輩の優しい振る舞いが、気遣いの一瞬が、砂塵のように崩れ去って薄れていく。

  縋るように見つめた先輩の眼差しはただ只管に冷たく、犠牲なしでのゲームクリアの好機を逸した私への失望に満ちていた。

  「嘘ですよね、先輩。私貴方のこと――――」

  「お前がどう思っているかなんて関係ないだろう。俺はずっと、井月のことは単なるサークル内の後輩としてしか見ていない」

  それがわかっていなかったのか、と彼が言葉にするまでもなく問う。私はその場に力なく座り込むと、目尻に涙を滲ませた。

  『――――おめでとうございます。✕印が一列揃いましたので、井月伽耶奈さんを除く全員がゲームクリアとなります』

  園長の声が無情に響き渡る。

  私が踏んだマス目は、ちょうどどちらの回答でも列が埋まる位置だったらしい。モニターの向こうの白仮面は、目も口もない無地の顔を私へ向けた状態で更に言葉を続けた。

  『それでは皆さんは開いたキャビネットから報酬を受け取ってください。敗者の井月さんは脱出の権利を失うとともに、約束通りペナルティが与えられます』

  もはや興味すら示す気がないように、サークルメンバー達は私を無視し開いた壁の一部に集まっていた。何やら小さな箱のようなものを受け取っているのは見えたが、それが一体何なのかまではわからない。呆然とその様子を眺めていた時、急に私の背筋を悪寒が通り抜けた。

  「うっ……!?」

  全身が痺れるような痛みに襲われ、思わず体を曲げてその場に蹲る。何かが内側から体を炙るような感覚。熱っぽさと痛覚の刺激に藻掻きながら、私は着ていたブラウスへと無意識に指先を掛ける。ボタンで留まった生地の先を鋭い爪がざくりと切り裂き、素肌が露出した。

  露出――――している筈だ。違う、何だこの毛のようなものは。

  「が、ああああっ。私どうな、て」

  上手く喋れない口を必死に動かしながら皆に向かって指先を伸ばす。視界に映ったそれは明るいブラウンの毛皮に覆われ、指の腹だった箇所は湿った肉球のような器官に変わっていた。

  まるで獣のようなその腕を自分の方に今一度引き寄せ、じっくりと観察する。それはまるでライオンの脚のように、肉食獣の逞しい肉付きへと変わっているようだった。

  「これが、ぺなるてぃ、てこと……?」

  モニターに向かって尋ねる。今の私の声は半ば咆哮のように太く周囲を震わすような響きだ。無理矢理人語に合わせているようなたどたどしい言葉遣いにもかかわらず、園長はどこか満足気な声色で答えた。

  『素晴らしい姿ですね。アナタには高い素質があったようだ』

  「ふざけ、ないで……!私を、もどせ……!」

  恨めしく視線を送っているつもりが、いつの間にか獣の吠え声になっていた。動物園でしか聞いたことのないような咆哮が部屋中に轟き、空気を揺さぶる。その声でようやく気が付いたのか、振り返った皆が私の変貌に言葉を失い立ち尽くす。

  「ば、バケモンだっ!井月がライオンのバケモンに変わってる……!!」

  「や、やだ。噛みついてきたりしないよね……?」

  恐ろしい怪物を見るように後ずさり、壁際に張り付くサークルメンバー達。その姿に私は少しだけ悲しくなってしまった。すすり泣くように声を上げていると、さすがに見かねたのか園長が言葉を発した。

  『――――仕方ありませんね。確かに今の状態では意思疎通も困難でしょう。ほんの少しだけ人間の側に戻してあげますね』

  「うが、あ――――。声、戻った?ちゃんと喋れてる……」

  顎と喉に少しだけ熱を感じたかと思うと、発声が元の私のものに戻っていた。

  どうやら園長は何らかの方法で肉体を作り替えているらしい。今はその進み具合を少しだけ調整したということだろう。私の身に起きた悍ましい変化の仕掛けを窺い知るとともに、何をされているのかわからない不気味さと恐ろしさが背中を粟立たせた。

  『これで皆さんにもペナルティの内容がわかっていただけたかと思います』

  「それってつまり、井月みたいに動物に変えられちまうってことなのか」

  『ご明察の通りです。アナタ達が敗者となった場合、体内に打ち込まれた特殊なナノマシンが一瞬で肉体を作り替え、全身毛むくじゃらのケモノに変えてしまうのです。厳密には人為的に産み出した獣人ということで、『ファーリーノイド』という専用の名称がありますが――――』

  淡々とした説明を遮るように山県がモニターの前に飛び出していく。私の無残な姿に黙っていられなかったのだろう。彼は握り締めた拳を振り上げると、園長に向かって威勢よく啖呵を切った。

  「この外道野郎が!人の尊厳踏み躙って楽しんでんじゃねぇ!」

  『楽しむとは失礼な。私は最初から言い続けている筈ですよ、これは『ケモゲーム』だと』

  「クソが!」

  モニターに拳が食い込む。罅割れた画面は大きくノイズが走ったかと思うとそのまま消灯し沈黙してしまった。

  「ここを出たらテメェを絶対ぶちのめしに行ってやる。だからさっさと次のゲーム行けよ!」

  山県が吠えると、その声に応じたように部屋の扉が開いた。獣人と化した私から逃れるように、皆が我先にと出口へ向かっていく。そうして私だけが、何も考えられないままその場に取り残されてしまった。

  (どうしよう。こんな姿じゃもう元いた世界には戻れないし……)

  完全に道筋を失い、立ち上がる気力さえも起きない。このままこの部屋の中で朽ち果ててしまえばいいとさえ思いながら、私はその場に座り込んでいた。

  『どうしてその身体を嫌うの?とても素敵なのに』

  ――――不意に、頭の中に声が響いた。

  いや違う。私の視線の先、光の消えた壁の前に立つ一頭の獣人が私を見て笑っている。同じライオンの姿をしたそれは一糸纏わぬ姿で、とても満ち足りたようなうっとりとした表情を浮かべていた。

  『アナタは望んでいる筈よ。本来持ちえない野生の力と尽きることのない快感に溺れることを』

  「何を、言って……」

  『否定してはダメ。現にアナタがその眼で見ているのは理想の私なんだから』

  見透かしたような眼差しが私を貫く。ドクン、と心臓がひときわ大きく跳ねた気がした。

  ――――違う、これは私の本心なんかじゃない。私は人間で、こんなまともじゃないゲームに付き合わされていて、今すぐにでもここを出たくてそれで……。

  『出ていっても居場所なんてないでしょう、今の貴方に』

  「あっ……そうだった――――」

  必死に否定しようとしていた心が一瞬で止まる。

  確かにそうだ。私を必要とする人も、私を好いてくれる人もいない。こんな姿では外の世界でまともに扱ってはもらえないだろう。だったら――――もういいか。

  「ぐるるる……」

  無意識に喉が鳴る。必死に押し留めてくれていた理性が砕け、私が壊れて本当のワタシに変わっていく。

  ――――井月伽耶奈は今、一頭のメスライオンへと完全に生まれ直した。猫のように暗所で輝く瞳が部屋の向こうで待つ[[rb:仲間達 > えもの]]を見据え、マズルの伸びた鼻先が愛しい[[rb:先輩 > オス]]の匂いをしっかりと感じ取っている。

  「待ってて皆。こんなふざけたゲームなんてさっさと負けさせて、素晴らしい世界に連れて行ってあげるから」

  変化の影響で破けた衣類を脱ぎ捨て、毛皮に包まれた身体を全て曝け出したワタシは、この素敵な感覚を皆と分かち合うために次のゲームへと向かうことにした。

  [newpage]

  『――――はい、ここまででゲーム終了です。今の段階で鬼になっていない方はゲームクリアとなります』

  セカンドゲームとして用意されていた『リバーシ鬼ごっこ』は、ライオンのファーリーノイドと化した井月伽耶奈によって地獄の様相を呈していた。

  最初の鬼がタッチした相手は新たに鬼になり、逆に鬼でないものが鬼をタッチすると最初の鬼以外を元に戻すことができる。そんな特殊ルールのついたゲームで彼女が鬼役となったのだ。

  当然彼女から逃げ切れるようなメンバーは誰もおらず、戻した先からあっという間に捲られる。気が付けばサークルメンバーの半分近くが鬼のまま制限時間を迎えていた。

  「い、嫌だ……!助けてくれよ!!」

  「あんな化け物になりたくない……!お父さん、お母さん……!!」

  幸運にも生き残った者とこれから獣に堕とされる者の双方が、同じく絶望の眼差しを互いに向け合って立ち竦む。中でも新堂美咲は、未だゲームを勝ち残っているリーダーの渡辺雅へと助けを乞うように視線を送っていた。しかし、彼は直視すら避けるかのように顔を背けている。現実から逃げ自分の最期すら見届けようとしないその姿に、彼女は心の底から絶望を感じた。

  身に着けた首輪のインジケーターが緑から赤へと変わる。その瞬間、生存者から離され並ばされた4人の犠牲者は一斉に変化し始めた。

  ナノマシンの熱に焼かれて苦悶の表情を浮かべる顔がみるみる変形し、ふさふさとした毛に一面が覆われていく。衣類が膨れ上がった身体にはち切れ、あるいは力強い腕に引き裂かれるようにして脱ぎ捨てられると、力強さと艶めかしさを兼ね備えた裸体が仲間達の前に曝け出された。

  「ハァーッ……」

  どこか恍惚とした表情を浮かべながら体を抱きしめる牛のファーリーノイド。先ほどまで新堂美咲という一人の女性だったそれは、新たに生じた副乳の膨らみをヘラのようになった爪で触りその感触を確かめていた。

  白と黒の斑になった乳牛そのものの姿で、彼女は青褪めるリーダーの姿を舌なめずりし見つめる。目の前で震え上がる男はもはや好意を寄せる相手ではなく、自らの側に引き込むべき可哀そうな存在だ。牡牛か、あるいは別の動物か。いずれにしても人間を捨てさせてあげなければ一生救われることはないと確信しながら、彼女は甘ったるい声を上げる。

  「マサくん、貴方もこっちに来てよ。怖がることはないわ、一緒に気持ち良くなりましょう」

  「わ、ああ……」

  人格ごと焼き捨てられ変質してしまったかのような恋人に、リーダーは完全に言葉を失ってしまっていた。

  他の3人も新堂とそう大差なく、自身の変貌を肯定的に受け入れていた。一気に5頭へと増えた獣人達は己の素肌を恥ずかしげもなく曝しながら、次のゲームが始まるのを楽しみに待ち望んでいる。井月は自分の幸せを理解してくれた新たな仲間達の姿に絶頂するほどの喜びを感じていた。

  (はあ――――やっぱりみんな仲良くないとダメだよ。ワタシ達は仲良しのテニスサークルなんだから)

  快感に股の間が湿り気を帯びるのを覚える。半開きの口から漏れ出る息は、ナノマシンで変質したホルモンの影響でほんの少し甘く鼻が痺れるような香りを放っていた。

  (テニスって何だっけ……まあいいか)

  思考を回す中でほんの一瞬だけ我に返ったものの、それもすぐに掻き消える。野生に塗り潰された意識は、全力で暴れ回る次の遊戯を求めて疼きを高めつつあった。

  『2ゲームを終えて既に半分敗退とは……皆さん、もう少し頑張ってくださいね』

  半ば冷やかしのようなコメントを残して園長の姿が消えると、部屋の扉が開いた。

  次の狩場への道を走って逃げていく生存者達。その後をじわじわと追い詰めるように、井月達ファーリーノイドはゆったりとした足取りで歩いていった。

  ******

  そこから先はもはや詳細を語るまでもなかった。

  3ゲーム目の『アスレチックレース』では、障害物に躊躇し行き詰まった者から順に数頭ずつのファーリーノイドが飛び掛かり、その体を場外に落としてスタート地点に戻していく。巧みに追跡を振り切り、時間内に辛くも全てのステージを突破しきったのは冴木勉と山県勇樹の2人だけだった。

  彼らが悔しげな表情を見せる中、残りのメンバー達は獣人へと作り変えられ本能に呑み込まれていく。気が付けば、たった2人の人間を残して殆どのメンバーが姿形の様々な動物へと変貌してしまっていた。

  『この様子ですと、次のゲームはもう勝機が薄いでしょうか。どうです、降参しますか?』

  「ざけんじゃねぇぞお面野郎!俺達は意地でも勝ってここを出る!!」

  明らかに不利な状況に立たされてなお、山県は強気な姿勢を崩してはいない。一方の冴木もまた冷静さを保ったまま次のゲームへの対抗策を考えているようだ。その横顔を見つめながら、ライオンのファーリーノイド――――井月はうっとりとした表情を浮かべていた。

  (ああ……こんなに追い詰められているのに必死で覚悟が決まっていて。とてもとても――――)

  猫のような瞳孔を細め、甘い息を吐いて微笑む。逆境に燃えているその姿はあまりにも美しく、かつて惚れ込んでいたのも頷けるほどに魅力的だ。そう、だからこそ。

  (――――とても可哀そう。私が幸せの中に堕としてあげないと)

  狩人としての魂が燃え盛る。理不尽に足掻いているこの立派な[[rb:男達 > えもの]]を我が物とするために、彼女は無意識のうちに自らの肉体へと変質を願っていた。

  より速く、より強靭な動きができる身体となるように最適化しろと心が念じ、それに応えるかの如くナノマシンが再び活性化を始める。その熱に半ば浮かされながら、彼女は滾る快感の中に自らの意識を沈めていった。

  「くるるるる……」

  喉を鳴らす彼女の口はもはや人語を発さない。筋肉はその嵩を増し、骨格もまたライオンのそれとは更にかけ離れた強度と膂力を引き出す形へと整っていく。[[rb:人獣合成の魔人 > キメラ]]と称すのが妥当なほどに大きく変質した肉体は、もう二度と人間の姿を取り戻すことはないだろう。

  一頭の人型をなぞる獣は、次の戦いを待ちわびるかのように涎を垂らし、その眼光を怪しく光らせるのだった。