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§26-1 濡れる蕾の香り*

  

  俺は結局、グレンに抱えられたまま城へ戻る羽目になった。

  すれ違う係や兵達が「あらあら」「まあまあ」と温かい目を向けてくるのが居た堪れない。

  

  回廊の壁灯が金の楕円を床にぽつぽつ落としている。グレンの体温と、毛並みに混ざる微かな太陽の匂いが、余計に頬を熱くする。

  「グレンッ」

  「なんだ」

  「もうちょっと目立たないようにしてくれないか……」

  「ふむ」

  俺の言葉をしっかり受け止めてくれる耳が細かく動く。すぐに立ち止まり、地に下ろすことなく抱き方を変える。横抱きに変えられて腕を首に回すように言われる。

  

  言われた通りに彼の首に腕を回す。首周りの毛は他と比べて柔らかくふわふわで、自然と腕が包み込まれるようになる。

  細かな毛から与えられるくすぐったさが、そのまま甘さに変わる。吐く息が首元にかかって背筋がしびれる。

  全力疾走したあとみたいに鼓動が速くなる。胸の内側で、何かがぱちぱちと火花を散らす。理性の膜が薄くなって、触れてはいけない境目に指先が触れた気がした。

  「いい子だ」

  細められた双眸の奥で空色が光る。

  また、耳が、身体の芯が熱を持ってしまう。

  

  俺はグレンの声に弱いようだ。ここまで身体が言うことを聞かなければ否が応でも自覚する。

  俺と違い、彼には余裕があるようなのが悔しい。

  聞こえてくる鼓動だって一定だ。毛も逆立っていない。

  どうしたらこの悔しさを晴らせるのか分からず、軽くグレンを睨むことしかできない。

  俺の中で、子どもっぽい意地が顔を出す。俺だけが落ち着かないのが悔しい。

  「怒っているのか」

  「……べつに」

  「素直じゃないのは珍しいな」

  「……グレンはいつも余裕そうで、ずるい」

  「ハァ。無自覚なのはこれだから困るんだ」

  ため息混じりの声は苦笑の温度で、でもその奥に、俺の機嫌を測る気配が微かに揺れていた。

  無自覚って何のことだ。

  意味が分からず睨んだままの俺にグレンが続ける。

  「一応俺のほうが歳上だ。少しは余裕があるように見せたいし、格好つけたくもなるものだ」

  

  ……余裕の根底にある優しさが、今は少しつらい。

  確かにグレンは俺より10歳上。20歳の俺なんて何の色気も感じられないだろうと思う。

  グレンが連れてきたのは浴室だった。俺の部屋へ向かう道を外れたところで、薄々勘づいてはいたが、まさか……

  「一緒に……入るのか?」

  「まだ俺への信用が足りないようだが……そこまで節操無しではないし、雰囲気と段取りに重きを置くタチなんだ。俺の専用浴室だが念のため見張っているから、ゆっくり浸かってくるといい」

  「ごめん……ありがとう」

  呆れながらも優しい口調。

  胸の奥できゅっと後悔の念が縮む。

  俺は変な疑いをかけたことを謝り、言われた通りに脱衣所へ向かった。

  グレンの「……楽しみも後に取っておくタチだしな」という小さな呟きは誰の耳に届くこともなく空気に溶けていった。

  

  汗を吸った服を脱ぎ籠に放り込む。

  指先に張りつく布の重さが、今日の訓練と、さっきまでグレンの腕に抱えられていた時間を思い出させる。鏡の端から曇りが広がって、頬の赤みを少しぼかした。

  浴室のドアを開けて中に入ると、大きな丸型のバスタブから立ち上る温かい湯気に包まれる。

  訓練場から戻る俺たちを見つけて、係の誰かが気を利かせて湯を沸かしてくれたのかもしれない。

  湯面が灯りを受けて金の鱗みたいに震える。床のタイルは足裏にほどよく冷たく、そこから体温がじんわり引かれていくのがわかる。

  俺はシャワーのコックを捻り、ぬるめの湯を浴びる。

  細い糸みたいな湯が首筋を伝い、胸骨の谷を滑って、腹へ落ちる。

  脱衣所からシャワーの水を浴びるまで、いや、なんなら訓練場から今この瞬間まで、硬直が解けない下腹部に困惑が止まらない。

  

  自分の身体なのに、手綱がきかない。熱を持った心臓がもうひとつ、下腹で脈打っているみたいだ。

  元来、そういったことに関しては淡白な方だと自覚している。

  自分で性欲を処理するなど、年に数えるほどしかない。思い出そうとしても直近がいつだったのか思い出せないくらいなのだ。

  温い湯が頭のてっぺんから足先まで撫でるように流れていく。

  このどこにもぶつけられない苛立ちをどうすればいいのだろう。

  湯気は優しいのに、火照りは意地悪だ。閉じた空間に自分の吐息だけが増えていく。

  俺は仕方なく己の欲を握り、ゆるゆると上下に擦り上げる。すっかり立ちあがったそれは刺激に忠実に反応して、腰が跳ねる。

  脳裏で白が弾け、膝の力がふわりと抜ける。けれど、波はすぐに引いて残るのは焦れだけ。

  そのまま続けてみるが、ある一定のところで快感が足踏みをして達することができない。

  ――――何故か? そんなこと、分かりきっている。

  認めるのが怖いだけだ。認めてしまえば、戻れなくなるから。

  俺は――――あの大きな手で触れて欲しいと、浅ましいことを考えてしまっている。

  

  彼の掌の厚さと温度まで、はっきり想像できてしまう。

  あまりに大きな、心と身体の変化についていけない。思考がぐちゃぐちゃになる。絡み合って解けなくなってしまった糸のように。

  早く発散してしまいたいのにうまくいかない。俺は泣きたくなってきて、シャワーの湯を出したまましゃがみ込んだ。

  尻に当たるタイルが痛い。己の欲もずっと立ち上がったままで痛い。このままずっと風呂から出られなくなったらどうしよう。身体の熱は上がっていくばかりで、せめてもと、シャワーの水温を下げてみた。

  冷たい水が首筋を走る。皮膚は冷えるのに、芯の火だけは消えない。

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