彼岸の夢

  袴を穿いて、刀や槍を持って、敵陣へ突っ込んでいくお侍さん達。敵陣からも同じような出で立ちの人達が向かってくる。多くの人は自分の足で走っているけれど、中には馬に乗っている人もいて、その人は周りの人達よりも強そうな鎧を身に付けている。苛烈な戦いが繰り広げられる。

  ここはどこ、私は何を見ているのーー。

  そこで目が覚めた。

  暑さ寒さも彼岸までと言うけれど、今年はなかなか涼しくならない。秋の虫の声がやっと聞こえるようになったものの、今夜もじっとりと寝苦しい夜だった。

  おかしな夢を見たせいか、少し鼓動が速い気がする。首の後ろや浴衣の帯の下あたりに汗をかいていて、気持ち悪い。

  その後は布団の上で寝返りを繰り返すばかりで、やっとうとうとと眠気がやってきた頃には、東の空が白み始めていた。

  それでも、だるい身体を無理矢理起き上がらせて、顔を洗って、陽太郎が握ってくれたおにぎりを朝ご飯に食べたら、その日は夢のことなんてすっかり忘れてしまった。

  ところが、それから毎晩、私はおかしな夢を見るようになった。

  ある時、私はお城に住んでいるお姫様で、侍女から

  「もうすぐ[[rb:戦 > いくさ]]が始まるんですって。怖いですね」

  と言われた。

  またある時、私は城下の村外れにいて、誰かを待っていた。

  私は姫だから、本当はこんなところにいたらいけない。これからここに来る『誰か』を、私の国の人達に見られてはいけない。

  それはわかっているのに、私はハラハラしながら、『誰か』をずっと待っていた。

  また眠ったら、おかしな夢を見るのかな。嫌だな。とそろそろ滅入ってきた頃、その不思議な夢に、虎が登場した。

  「お前は我が怖くないのか」

  「私の手からものを食べる子を、怖いわけがないでしょう」

  虎はいつもの可愛らしい豆狸の姿ではなく、怪モノと戦う時の勇ましい白虎の姿をしている。

  私は今日もお姫様で、虎の背中を撫でながら、もう片方の手で虎に生の魚のようなものを食べさせていた。

  「今朝、夢に虎が出てきたよ」

  「ほう?どんな夢だったのだ?」

  「虎が生魚を食べてる夢…?あれ、アユだったのかなぁ。それでね、私はお姫様で…」

  「アユ!まぁ生でも食ったことはあるが、一度塩焼きの味を知ってしまったら、もう生では食えんな!なーあ、陽太郎?」

  「今うちにアユは無いから、虎が獲ってきてくれたら、夕飯に出せるぞ」

  アユの話よりも大事なことがあった気がするんだけど…。

  なんだかすっきりしない想いを抱えつつ、その日は虎が本当にアユを獲ってきたので、夕飯はアユの塩焼きだった。

  私はまた、城下の村外れにいた。人目を忍ぶように現れたのは、傘を深く被った陽太郎。

  「どうしても、戦を止めることはできないのですか」

  「残念ながら」

  「でも」

  「おれだって、あなたの国を攻めたりなんかしたくない。だけど、おれ一人の意志ではどうにもできないのです」

  夢なんて、脈絡が無くて荒唐無稽。

  どうやら、私と陽太郎は敵対する国同士の人間で、陽太郎はお侍さんというか、とにかく戦に赴く人であるらしい。

  「ふぁ…」

  「◯◯、あくび、3回目だぞ」

  「え、そんなにしてた?」

  「してた。最近あまり眠れていないのではないか?」

  虎に指摘されて、どきりとした。あのおかしな夢を見るようになってから、眠るのが怖くて寝付けなかったり、夢から覚めた後はもう一度眠ることができずに朝を迎えたりしていたからだ。

  「うーん。実は最近、変な夢を見るんだよね。なんか、続き物のお話を細切れに観せられている感じで」

  「アユの夢か?」

  「いや、あれはアユの夢ってわけじゃなくて」

  「よし!今夜は我が一緒に寝てやろう!」

  「うーん。…お願い、しようかな」

  「任せておけ!ふわふわの我を抱っこして寝れば、きっとぐっすり眠れるぞ!」

  「ふふ。そうだといいな」

  虎の言った通り、今夜は布団に入って間も無く眠気がやってきた。こんなに早く眠くなるのは、久しぶりだ。

  「虎、お願いです。戦を止めてください」

  「我は人間同士の戦いには関わらん」

  「私がお願いしても、駄目ですか」

  「お前だからではない。誰であっても同じだ」

  「…恋人が、敵軍にいるのです。彼も私の国との戦を憂いて、苦しんでいます」

  「…知ったことか」

  私は確かに私なのに、私の意志を無視して勝手に口が動く。恋人というのはきっと、この間の夢に出てきた、傘を被った陽太郎のことだ。でも、あの陽太郎は、私の知っている陽太郎とは違う気がした。

  虎も、普段の虎じゃない。なんだか私と…と言うか、人間全般と、心の距離をとっている気がする。

  場面が変わり、目の前に戦場が広がった。お侍さん達がぶつかり合っている。

  これ、知ってる。一番最初に夢で見た、苛烈な戦い。

  私は虎の背中にまたがって、自軍の先頭に進み出た。敵兵達は虎の姿を見て動きを止めている。敵兵だけじゃない。私の後ろにいる味方の兵達も、畏怖の念を抱きながら、不安気に私と虎を見つめているようだった。

  私は、両軍に聞こえるように声を張り上げた。

  「んんん痛い痛い痛い!何事だ!」

  「…えっ、虎?」

  「◯◯、強く握りすぎだ!痛い!目が覚めてしまったではないか!」

  「えっ、あ!ご、ごめん」

  夢を見ながら、私は虎に両手でしがみついていたようだった。虎の「痛い!」という悲鳴で目を覚ました。

  「…ふー、びっくりした。…それで?またおかしな夢を見ていたのか?」

  虎が気遣わしげに私を見つめる。そうだ、これが私の知っている虎だ。夢の中の虎は確かに虎だったけれど、本当の私と虎だったら、虎はこうして私を心配して、寄り添ってくれる。

  「◯◯さん、虎、大丈夫?虎の叫び声が聞こえたけど」

  襖の向こうから、陽太郎の声がかかった。

  それから私達は、夜中だというのに縁側に集合して、陽太郎が淹れてくれたお茶を前に、膝を突き合わせていた。

  私は、最近自分が見る不思議な夢のことを、二人に話した。何しろ夢のことだし、時系列もバラバラな上、私自身もよくわかっていないものだから、とてもわかりづらかったと思うけれど、二人は黙って最後まで聞いてくれた。

  「…それで、虎に乗った私が、『戦を止めよ!』って言ったところで目が覚めたの」

  「なんだか物語みたいな夢ですね。戦、ってことは、戦国時代の話なのかな」

  「私、歴史にはそんなに明るくないんだけど…」

  「そういえば、戦国時代にも虎はもう生まれてたんだよな。…虎?」

  陽太郎から話題を振られても、虎は黙っている。私は自分の話をするのに夢中だったけれど、思い返してみたら、途中から虎はずっと、何か考え込むみたいに大人しかった気がする。

  「虎?」

  私も虎に呼びかけてみたら、虎がゆっくりと話し始めた。

  「それは、本当にあった話だ」

  随分と昔のことだから、今の今まで忘れていた。

  …いや、違うな。大切な思い出だから、心の中にしまい込んで鍵をかけていたのだ。その後の人との関わりで、我は人を信用できなくなった。その時に、あいつのことまで嫌いになりたくなかったから。

  ◯◯が夢に見たお姫様は、あいつだ。

  あいつは、他の怪モノと戦って傷付いた我を、手当てしてくれた。しばらくは自分で食べ物も調達できなかったから、あいつに食わせてもらっていた。陽太郎のように調理をしてくれたわけではないが、城の台所から何かしら持ってきてくれたものだ。

  あいつには恋人がいたが、それは敵対する国の武将だった。幼い頃にあいつの城に人質として住まわされていた奴だとか言っていたな。

  それで、あいつの国と恋人の国が戦を始めた時、あいつはひどく心を痛めた。我に戦を止めて欲しいと言ってきた。

  …我が人間の戦いに手を貸したのは、あれ一度きりだ。

  「それで、戦を止めることはできたの…?」

  「当時、生きた虎は日本では珍しかったからな。我の姿を見て、武士達が恐れ慄き、戦意を喪失したのは当然だ」

  「そう…。良かったね」

  私の夢では戦の行方はわからなかったから、血が流れずに済んだのだと知ってほっとした。

  「その二人は、それからどうなったんだ?」

  「知らん。我は戦を止めた後、あいつの前から去ったからな」

  陽太郎の質問に、虎は事もなげにそう答えた。

  「えっ、どうして?」

  「武士達は我を伝説上の生き物だと思い、恐れ敬ったのだ。その後も城や城下で我の姿を見かけたら、伝説ではなくなるだろう」

  「でも、それじゃ」

  「◯◯さん」

  『でも、それじゃ虎はまたひとりぼっちになっちゃうじゃない』ーーと言いかけたのを、陽太郎に制された。彼は私の名前を呼んだ後、口の前で

  人差し指を立てた。それ以上は言うな、と。

  「◯◯」

  今度は虎に名前を呼ばれる。

  「大丈夫だ。今、我は陽太郎と◯◯と一緒にいられて、幸せだから」

  にっこり笑って言われた言葉に、思わず目頭が熱くなった。何百年もたった一人で生きてきた虎が、今は陽太郎と私と一緒で幸せだと思ってくれている。それは、とてもとてもすごいことだと思った。

  「それにしても、不思議なことがあるものだな。正直なところ、あいつのことを思い出したのは数百年ぶりだ」

  「お彼岸が近いからじゃないか?そのお姫様、◯◯さんの身体を借りて、虎に会いに来たんだよ」

  虎は「そうかもな」と呟くと、私の膝の上に乗り、丸くなった。眠くなったのかな、と思ったけれど、これは照れ隠しなのかもしれない。

  私は虎の背中を撫でながら、虎の古い友人に思いを馳せた。

  見ていますか、お姫様。

  陽太郎より前にも、虎と心を通わせた人間がいたことを嬉しく思います。安心してください。私達は、虎といつも一緒です。