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[chapter:第一章 陛下、即位後の睡眠計画をご確認ください]
即位から十日が過ぎた。
若き王レオナール・グランフォードは、政務に邁進しつつ――未だに腹で眠っていた。
午前の謁見を終え、東棟控えの間。
肩掛けのマントを外し、水差しを受け取ったレオナールは、控えの長椅子に静かに腰を下ろした。
「……少し、眠気が残っているな」
「昨晩も眠れなかったのですか?」
隣に控えていたのは、シルヴィア・ロスフェーン。
正式に婚約が整ったばかりの王妃予定者にして、幼少から王家に近い場所に育った令嬢である。
レオナールはわずかに眉を寄せ、苦笑を漏らす。
「……昨夜は、オルドが宿直ではなかったからな」
「ええ。分かっておりますわ。……沈まなかったのでしょう?」
「沈まぬまま眠るのは、難しい。どうしても、深く落ちていけぬのだ」
「深く落ちるには、腹が必要――王の御言葉とは思えませんわね」
「必要なのだから仕方あるまい。そなたも見ていたであろう? 俺は、あれで眠れるのだ」
「記録していたのですもの。忘れるわけがありませんわ」
二人の会話は、ごく自然に過去を含みながら流れていく。
レオナールが眠れぬ夜には、いつもオルドが呼ばれていた。
即位してからも、それは変わっていない。
◆
その日の午後。
王母が執務室の一角に現れた。
装飾を抑えた上着に、手入れの行き届いた毛並み。
王妃であったころと変わらぬ気品と眼差しを保ったまま、彼女は静かに歩を進める。
「レオナール。今朝の訓示、よく通っていたわ。お父様も喜んでいたのよ」
「母上。御心配をおかけせぬよう、努めております」
「うふふ。いい子ね。……でも、ひとつだけ気になっていることがあるの」
レオナールは姿勢を正した。
「何か、不都合がございましたか」
「眠りよ。あなた、学園の頃からそうだったけれど……最近も、変わっていないのでしょう?」
「……はい。夜は、変わらずオルドに来てもらっております」
「やっぱり」
王母はシルヴィアと目を合わせてから、ふっと笑う。
「小さい頃、よく“膝じゃないと眠れない”って泣いていたのよ。あれが……今や“騎士の腹じゃないと落ち着かない”なんですものね」
「成長……したのであろうか」
「方向性には疑問を感じますけれど」
シルヴィアが静かに言い、三人の空気がわずかに和む。
王母は続ける。
「けれど、オルド卿のことは学園の頃から知っております。あの者は真っ直ぐな方ですわね。……いくら王とはいえ、あまり負担をかけすぎないようになさって」
「承知しております。……感謝の言葉は、折に触れて伝えております」
「ならよろしいわ。――安心して眠れること。それも王にとって、大事な資質よ」
◆
夜。
王の私室には、控えていたオルドが呼ばれていた。
寝巻に着替え、腹を整えながら寝台に腰掛ける。
「……今日も、呼ばれるとは思ってたけどな。何かあったのか?」
「日中は眠れなかった。……昼に沈めぬと、夜が不安定になるのだ」
「……俺、布団扱いされすぎじゃね?」
「布団ではない。枕だ。正確には“沈み込み型腹枕”」
「正確じゃねぇよ、それ……」
そう言いながらも、オルドはいつもの位置に落ち着く。
レオナールは自然に横になり、彼の腹の上に額を置いた。
沈む。
呼吸が腹に合わせて整っていく。
静かな、落ち着いた時間が流れる。
「……やっぱり、この沈み方がないと、眠りに落ちる感覚が掴めん」
「俺、他に仕事もあるんだけどなぁ」
「分かっている。だが、そなたしかいないのだ」
オルドは、ふっと目を伏せて小さく笑う。
「……明日も来いって言われそうだな」
「来てくれ。夜中に起きたとき、そなたがいないと困る」
「……はいはい。おやすみ、レオナール」
「おやすみ……オルド」
王の眠りは深く――静かに沈んでいった。
[newpage]
[chapter:第二章 見合い、菓子屋、そして腹の気配]
王都中央通りの角に、小さな菓子屋があった。
店の名は《トルテの陽だまり》。
素朴な木造の扉に、陽に焼けた赤い庇。朝から晩まで菓子の香りが絶えず、近隣では「甘い匂いで曲がる角」として通っていた。
その朝、オルドはひとり、その店の前に立っていた。
騎士服の上から外套を羽織り、左手には命じられた書状。
任務の内容は――「王妃候補への差し入れとして菓子を買ってこい」というものだった。
「……なんで俺がこんなことしなきゃならねぇんだよ」
ため息は出たが、任務は任務だ。
扉を押すと、鈴がからん、と鳴った。
◆
「いらっしゃ――……って、あら?」
カウンターの奥から顔を出したのは、ふっくらとした猪獣人の娘だった。
つやのある鼻先に、ぱっちりした目。
毛並みは栗色に近く、腕を捲った制服の袖からは働き者の気配が滲んでいた。
「……もしかして、騎士団の方?」
「うん。まあ、見ての通りで」
「見合いかと思ったわよ。うち、そういうのも来るから」
「ちげぇよ!? 違います! 差し入れです!」
「あはは、冗談冗談。なに? お妃様の?」
「う……王妃予定の方、シルヴィア様の」
「へえ。そりゃまた、えらく高貴な差し入れだこと」
言いながら、娘はさくさくと箱を用意しはじめる。
慣れた手つきで焼き菓子を詰め、リボンを取り、丁寧に包みながら、ちらりとオルドを見る。
「で、あんたの名前は?」
「……オルド・バロンクス。王直属近衛騎士です」
「へぇ、“あの”オルド?」
「“あの”ってなんだ」
「噂になってるじゃない。“王様の腹寝具”って」
オルドはむせかけた。
「誰だそんなこと言ってんの!?」
「王宮に納品してるお菓子屋だよ? そりゃ耳に入るって」
「……ああ、はい。そうです。王様の、腹枕やってます……」
観念して言うと、彼女はくすっと笑った。
「変な人だね、王様って」
「……否定できねぇ」
◆
「はい、これ。お妃さま用の差し入れ。林檎と蜂蜜のタルト。箱に“この向き”って札ついてるから、間違えないでよ」
「ありがと。助かる」
「王様の腹に沈めば、眠れるって話、けっこう好きよ? あんたも苦労してるみたいだけど」
「苦労ってレベルじゃねぇな……」
「また来な。王妃さまが気に入ったら定期便だろうし。……今度は、あんたの分も包んどくから」
「え……」
「なんか、そう言いたくなる顔してたからさ」
その一言に、オルドは不思議な引っかかりを覚えた。
気づけば「それ以外でも来てもいいか」と、喉まで出かけていた。
◆
数日後。
シルヴィアの執務室で、差し入れについての報告がなされていた。
「……なるほど。甘みの熟し方が正確ですわね。良い選択でしたわ、オルド。これから定期便で頼んでも?」
「ああ。菓子屋の店主――メリアっていうんだが、快く引き受けてくれそうだった」
「メリア。……面白そうな方ですね。お会いしてみたいわ」
「は?」
「貴方が“腹枕騎士”だと知っていて、それでも菓子を渡してくれる方でしょう?」
「腹枕騎士言うなよ……つーか、それで入店拒否されたら泣くわ」
シルヴィアは口元を隠して笑う。
「冗談ですわ。けれど、貴方が“その方と話す時の表情”――わたくし、気になりますのよ?」
「やめてくれ。こっちが恥ずかしい」
「ふふ。良い時間でしたのね」
オルドは答えなかった。
けれど、どこか視線が柔らかくなっていた。
[newpage]
[chapter:第三章 結婚します。あと、離れが欲しいです]
王城の東棟、執務室前の中庭。
朝の陽が敷石を照らす中、オルドは姿勢を正して立っていた。
軍務とは関係のない私語を王に届ける――それは、騎士としては得意でない行いだった。
だが言わねばならない。なにしろ、これは人生に関わる話である。
執務室の扉が開く。
中から現れたレオナールは、手に書類を抱えたまま、オルドを一瞥した。
「……そなたがその顔をする時は、たいてい“俺にとって都合の悪い話”を持ってきた時だな」
「……まあ、当たってる。ちゃんと報告したくてさ」
「よかろう。聞こう。――端的に」
「結婚します」
「……」
レオナールは沈黙した。
「……誰とだ?」
「“トルテの陽だまり”っていう店の娘、メリアっていう言うんだ」
「……あの店の」
「うん。蜂蜜と林檎のタルトの……あれが縁で」
「……なるほど。そなたらしい」
王は少しだけ口元を緩めた。
「それは、誠に目出度いことだ。祝福しよう、オルド」
「ありがと」
短く礼を取った後、オルドは肩をすくめた。
「……で、まあ……ひとつ問題があって」
「うん?」
「結婚したら、宿舎は出ることになる。となると……王都の外れにでも住居を探さなきゃって思ってて」
「……」
「つまり、今みたいに“毎晩呼ばれる”とか、“寝かしつけた後に帰る”とか、たぶんできなくなる」
「……ふむ」
レオナールは、静かに目を閉じた。
少しだけ長く呼吸を整えてから、目を開く。
「――それでは困る」
「……だよな」
「夜中に目が覚めた時、そなたが“戻れぬ距離”にいてはならぬ」
「……それは、まあ……」
「寝かしつけた後に帰ってよい。しかし、“すぐ戻れる場所”には住んでもらわねば困る」
オルドは頭を掻いた。
「……城内に夫婦で住める場所なんて、あるか?」
「ない。だから建てる」
「は?」
「離れだ。王城敷地内に、“夜間対応用の居住棟”を。俺が命ずる」
「……命じたよ、この人……」
呆れとため息が混ざった声に、レオナールはむしろ満足げに頷いた。
「これで安心だ。――婚礼の日程が決まったら、あらためて報せてくれ」
「はあ……はい」
◆
数日後、シルヴィアの手元に新たな行政申請書が届いた。
【敷地内特殊居住区建設届(夜間即応型)】
差出人:レオナール・グランフォード
対象者:オルド・バロンクス(および将来の配偶者)
備考欄には、こうあった。
《王の安眠と政務の継続に支障なきよう、夜間対応を維持するための措置》
シルヴィアは記録帳の余白にそっと書き足した。
《王の腹枕、制度化される》
◆
離れの設計図が引かれ、建設の話が進む中――
メリアは、オルドから改めて説明を受けていた。
「……あたしと二人で住むって、王様も了承してるの?」
「ああ。むしろ、“そうでないと困る”って……」
「……王様が自分の寝かしつけのために、うちらに家建てるって、どういう状況?」
「説明してて俺も混乱してる」
「……でも、正直助かるわ。王都の外れに住んでたら、確かに夜中の呼び出しには応じられなかったもんね」
「うん……ほんと、そう」
「ってことはさ」
メリアは指を立てて笑った。
「夜は“王様の寝かしつけ”して、それからあたしの布団に来るってことでいいんだよね?」
「……うん。そう……なる」
「なら、まあいいか。王様と半分こで使ってると思えば」
「俺の腹を?」
「そう。王様の安眠と、あたしの安心の、折衷案ってやつ」
「……折衷案にされる俺の気持ちも考えてくれ」
「考えてるよ? あんたの腹が一番ありがたがられてることは、分かってる」
オルドは苦笑いしながら、彼女の言葉を受け止めた。
王の眠りと、妻のぬくもり。
どちらも支えるために、自分の腹がある――そう思えば、悪くない。
[newpage]
[chapter:第四章 寝かしつけ→帰宅→翌朝呼び戻し]
新しく建てられた離れは、王城の東庭を越えた場所にあった。
広すぎず、質素すぎず。防音でも堅牢でもないが、木の香と日差しがよく馴染む小さな家。
夜になると、そこには腹を使い果たした騎士と、軽口で迎える妻の姿があった。
「おかえり、寝具さん」
メリアが玄関の戸を開け、笑って出迎える。
「誰が寝具だ」
「王様の寝かしつけ、無事成功?」
「寝つきまで五分もかかんなかった」
「優秀ね、うちの旦那の腹」
オルドは何も言わず、靴を脱いで上がる。
背を伸ばすと、微かに骨が鳴った。
「今夜は俺も沈みたい」
「はいはい、お湯張ってる。甘いものもあるよ」
「助かる……」
寝かしつけからの帰宅。
これが彼の日常になった。
◆
だが、その夜は少し違った。
翌朝――
「……オルド卿、至急、王の私室へ」
使者の声で目覚めたのは、まだ夜明け前だった。
「……あ?」
「陛下が目を覚まされ、“何かが足りない”とのことで……」
「……マジか……」
◆
私室に戻ると、レオナールは寝台の中でうつ伏せになっていた。
「……来たか」
「呼ばれたからな」
「……沈まないとな。今夜は……沈まずに寝たから、途中で目が覚めた」
「……そうかよ」
オルドは何も言わず、布団の上に腰を下ろす。
「どうぞ。今からでも」
「うむ……」
レオナールがオルドの腹に沈む。
呼吸が、また落ち着きを取り戻していく。
「……悪いな、オルド。せっかく帰ったばかりだったろうに」
「慣れてるよ。というか、いつかこうなるって予想してた」
「ならよかった。……沈みながら考えていたのだが」
「ん?」
「もしもの話だ。もし俺が、寝かしつけを失敗する夜を減らすために、訓練を受けたらどうだろうか」
「……誰が何を訓練するんだよ」
「“腹がなくても眠れる王”として、模擬腹での試験も取り入れる。布団を腹に見立てて――」
「はいはい、それ以上考えると失敗するからやめろ。寝ろ」
「……うむ。沈む……沈んでいく……」
数分後には、深い寝息が戻っていた。
◆
翌朝、離れの食卓。
メリアは出勤前の準備をしながら、オルドの顔を見て言った。
「……あんたさ、目の下にくま出てる」
「だろうな……今朝、呼び戻された」
「寝かしつけ、失敗?」
「……うん。昨日は布団で寝てたらしい」
「やっぱ無理だったか」
メリアはふぅ、と息をつく。
「もう、“沈めてから帰る”じゃなくて、“泊まり込みで寝かしつけ”にしたら?」
「……離れ、誰が使うんだよ」
「王様と二人で使えば?」
「だから誰がそれを許すんだ」
メリアは笑いながら、背中を叩いた。
「まあ、うちの布団はあたしのものだからね」
「わかってる」
「夜中でも、王様にちゃんと安眠させてやんなよ?」
「了解、女王様」
「そこだけ従順なのよね、あんた」
朝の光が差し込む食卓で、ふたりは顔を見合わせて笑った。
[newpage]
[chapter:第五章 腹交代制計画と、婚礼のゆくえ]
王城の応接室。
シルヴィア・ロスフェーンは、机上に広げられた婚礼準備の日程表を静かに確認していた。
儀礼、衣装合わせ、来賓の選定。
準備は順調に進んでいるが、ひとつだけ――**王の“睡眠管理”**という、前例のない課題が残されていた。
そこへ、眠たげな顔の騎士が現れる。
「……また、呼び戻されましたの?」
「うん。寝かしつけは成功したと思ったんだけどな……途中で起きちゃったらしくて」
「やはり“沈まない夜”は落ち着かないのですわね」
「まあ……慣れてはいるけど。さすがに毎晩続くと、俺の腹もスケジュール帳が欲しくなる」
「“腹交代制”などという言葉が現実味を帯びてきますわね」
「冗談じゃなくなるからやめてくれ」
二人は、妙に現実的な表情でため息をついた。
◆
その夜、王の私室。
レオナールは寝巻姿のまま、窓際に立ち、外を眺めていた。
月の光が毛並みに柔らかく差し込む。
「……今宵は雲が少ないな」
「腹の準備はできてます」
「うむ。よく分かっている」
レオナールは寝台へ向かい、横になると迷わずオルドの腹に沈んだ。
馴染みの音と温度が、確かにそこにある。
「……そなたが沈ませてくれる夜は、やはり安心できる」
「そう言ってもらえるのは光栄だけど……王妃様に悪い気がしてきたよ」
「シルヴィアは、理解してくれている。……それに、“王の睡眠安定性”は、国家規模で重要な案件だ」
「そんな大義名分をつけられても、腹の柔らかさには限界があるんだぞ」
「では、前夜は泊まってもらうしかないな」
「……え?」
「婚礼の前夜。慣れぬ布団や不安から眠れぬ可能性もある。……万全を期すなら、そなたに一泊してもらう他あるまい」
「……了解。王命とあらば、寝具として仕える」
「誠に頼もしい」
布団の上で、二人の笑い声がこぼれた。
◆
数日後、応接室。
シルヴィアとメリアが、婚礼の補助計画について打ち合わせをしていた。
「ご多忙の中、ありがとうございますわ。……ご心配でしょう? 前夜の件」
「いえ、前もって聞いてましたし。腹のお勤めがあるんでしょう?」
「ええ。王の睡眠が確保されなければ、式当日のご体調にも関わりますので」
「さすがに、うちの布団から王様の寝息が聞こえてくるのは遠慮したいですからね」
「そのようなご配慮、誠に助かります」
メリアは笑いながら頷いた。
「一晩くらいなら覚悟してますよ。……王様がきちんと寝て、ちゃんと誓いの言葉を噛まずに言ってくれるなら」
「ええ。間違っても“腹”と誓わぬよう、わたくしも目を光らせておきます」
「お願いします、ほんとに」
二人の会話には、確かな連携と穏やかな信頼が漂っていた。
◆
その夜。
離れの居間で、オルドは湯上がりのタオルを肩に掛けながら、メリアの隣に腰を下ろした。
「式、いよいよ近いな」
「ね。あたし、式の間は王妃様の補佐役のひとりになるんだって」
「……王様の寝かしつけ役の嫁が、王妃の補佐……なんか変な巡り合わせだな」
「そう? わりといいバランスじゃない?」
「腹で国家を支える夫と、控えめに支える妻……?」
「言い方を変えればね」
ふたりは笑い合い、湯気の残る湯呑を手に取った。
「……あたしさ、たまに思うんだよ」
「うん?」
「この生活、すっごく特殊だけど……あんたが無理してないなら、それでいいって」
「……ありがとう」
「でも、式の翌朝くらいは――あたしの布団で寝てよね?」
「約束する」
“腹を使う王”と“それを貸す騎士”、
そしてそれを許し、支える者たち。
奇妙で、だが確かに穏やかな、家族の形がそこにあった。
[newpage]
[chapter:第六章 オルドの腹、国の宝に指定される]
王宮の政務棟、第四会議室。
そこに集められたのは、侍医、書記官、軍務長、そして王直属の医学官と文官たちだった。
目的はただひとつ――
「レオナール王の睡眠安定性に関する定期検証報告会」
……常人にはやや意味が分かりづらい会議だが、王室の一部ではすでに“恒例行事”となりつつあった。
議長が読み上げる。
「本月、王の寝付きに関しては平均時間三分五十八秒。途中覚醒は二回、いずれも“腹沈みなし”の夜。
再入眠には腹対応後、平均一分十八秒で成功。……異常なしと見てよろしいかと」
一同、神妙に頷く。
オルドはその隅で、腕を組んだまま顔を伏せていた。
「……なあ、俺、ここに出てる必要ある?」
「主対象ですので」
「腹が、主対象……?」
ぼそっと呟くと、周囲から“当然では”という視線が返ってくる。
◆
その日の午後、王の玉座控え室。
レオナールは執務椅子に腰掛け、前に並べられた書類を黙読していた。
「“オルド・バロンクスの腹部、国家重要機能資源指定案”……?」
側で控えていた文官が、一歩進み出て頭を下げる。
「はい、陛下。王の睡眠安定と政務効率の因果関係を鑑みて、医学官たちの意見を取りまとめたものでございます」
レオナールは一度まばたきをしてから、文書の続きに目を落とす。
「機能資源、とは……つまり?」
「国家運営に資する“物理的な要素”として、資源管理対象に加えるという案でございます」
「俺の……近衛騎士の腹が」
「はい。国の支柱である、という見解でございます」
控えていたオルドが、それを聞いてわずかに肩を引いた。
「陛下、あんまり笑えない方向に話が進んでいると思われますが…」
「……そなたの腹が、国家を支えているということだ。誇ってよい」
「そう……でしょうか?」
「そうだ」
◆
夜。王の私室。
レオナールは寝台の上で横になり、オルドの腹へと自然に沈んでいく。
「……今夜は、少し張りが強いな」
「夕飯後にリンゴとパンケーキ二枚いったからな」
「良い沈みだ。……沈みつつ、考えていたのだが」
「まだ考えるのか。寝ながら考えるな」
「今後、万が一そなたが腹業務を引退する場合、どうすればよいか」
「……引退ってなんだよ、腹の引退って。俺、別に全身じゃなくて“腹”を評価されてるだけだぞ」
「ならば、“腹の継承者”を用意すべきか?」
「やめろよ……何を継承するってんだよ……」
「だが、事実としては変わらぬ」
レオナールはそのまま目を閉じる。
「――そなたの腹がなければ、俺は眠れぬ」
「はいはい、ありがたいお言葉ですこと」
「……感謝している、オルド」
「……うん。俺も……ちゃんと眠ってくれるから、嬉しいよ」
静かに寝息が落ちていく。
オルドは小さく息を吐くと、そっと王の額に布団をかけて立ち上がる。
足音を立てぬよう私室を後にし、離れへと戻っていった。
◆
翌朝。
城下の一角に配られた行政報には、小さな囲み記事が載っていた。
《王の安眠を支える“近衛の腹”――機能資源指定、議論進む》
その一文を見たメリアは、菓子屋の店頭で手を止めた。
「……ちょっと、あたしの旦那、今“国家資源”にされかけてるんだけど」
隣で袋を結んでいた店の若い見習いが、興味津々に覗き込む。
「バロンクスさんって、そんなにすごい腹なんですか?」
「すごいんじゃないの。“王様のほうが特殊”なのよ……!」
メリアは額を押さえ、深くため息をついた。
「まったく……腹の出世って、どこまで行く気なのよ……」
[newpage]
[chapter:第七章 騎士団の団長、腹を以て国を支える]
初夏の風が王城の訓練場を吹き抜けていた。
騎士団の面々が整列し、真新しい正装の鎧が光を反射している。
その中央――壇上に立つ一人の男がいた。
オルド・バロンクス。
本日をもって、王直属騎士団の新たな団長に任命された男である。
任命書が読み上げられたあと、壇上にレオナールの姿が現れる。
普段は腹に沈む姿しか見せない王が、凛とした声で言葉を発した。
「……今日より、オルド・バロンクスを騎士団団長に任ずる。
その忠義と節度、そして“王を眠らせる力”を以て、国を支えてもらいたい」
騎士たちの前でその言葉が響き渡った瞬間、
――一拍の沈黙。そして、ざわめき。
(“眠らせる力”って言ったよな?)
(言った……言いやがった……!)
オルドはただ一人、王に呆れた眼差しを向けていた。
◆
式の終了後、私室に戻ったレオナールは、珍しくご機嫌だった。
「良い就任式であった」
「……言ったな。“眠らせる力”って。正式な場で、任命の中で」
「事実であろう?」
「いや、事実だけど! それを! 言うなよ! わざわざ!」
「そなたの本質を的確に表す表現であると思っていたが」
「その“本質”で団長任された人、他に聞いたことねぇよ……!」
レオナールは淡々と巻物を広げる。
「新たな職責は多いが、夜間の任務に変更はない。そなたは今後も引き続き、俺の腹として……」
「俺を腹と呼ぶな!」
◆
その夜。離れ。
メリアは団長用の正装がかかったラックを見て、小さく感嘆の声を上げた。
「へえ、団長服。……なんか、“ちゃんとした騎士”って感じ」
「今まで“ちゃんとしてない騎士”だったみたいな言い方やめて?」
「いや、寝具のイメージ強かったからさ。……王様の」
「そうです、俺は“寝かしつけつきの団長”です」
メリアはくすっと笑ったあと、そっと背中に手を添えた。
「……ほんとに、よく頑張ってると思うよ」
「うん……」
「その腹、大事にしてね」
「重みのある言い方やめて」
ふたりは笑い合い、肩を並べて食卓へ向かう。
◆
数日後、王宮の広間では新たな報告書がまとめられていた。
《新団長の腹部、依然として王の睡眠安定に貢献中》
《沈み度、過去三ヶ月で最高値を記録》
レオナールはそれを読みながら、呟く。
「……団長になっても、やはり沈みは変わらぬな。さすがだ、オルド」
そして、満足そうに寝台へ向かった。
王の眠りと、騎士の腹は、今日も静かに国を支えていた。
[newpage]
[chapter:第八章(最終章) そして、名を呼ぶ夜へ]
王宮の塔から、鐘の音が響く。
レオナール・グランフォードとシルヴィア・ロスフェーンの婚礼が、
王国の祝福とともに、静かに――そして盛大に執り行われた。
騎士団、諸侯、庶民に至るまで、あらゆる立場の者がこの日を記憶する。
それは、新しい時代の始まりであり――“王が腹を手放さずとも愛を得た”という事実でもあった。
◆
夜。
式後の静かな回廊を、レオナールとシルヴィアが並んで歩いていた。
式を終えたばかりの王妃は、疲れを感じさせぬ気品をそのままに、少しだけ笑った。
「……王妃としての初夜が、“腹枕ではありませんように”と祈っておりましたのに」
「そなたの膝も心地よいが……やはり“沈む”という点では、腹に軍配が上がる」
「まだ比べていたのですか……」
「そなたのことは比べない。比べるのは“沈み”だけだ」
「言い訳になっておりませんわ」
二人は微笑む。
すでに、このやりとりは日常の一部になっていた。
「今日は、そなたと眠る。大丈夫だ、よく眠れる気がする」
「“腹がなくても眠れる”と記録してよろしいのですね?」
「……たぶん。いや、確かに」
シルヴィアは少しだけ黙り、言った。
「では、名前で呼んでください」
レオナールは立ち止まる。
その瞳は真っ直ぐに、彼女の眼を見つめていた。
「……シルヴィア」
「はい」
「今日からは、そなたが“俺の眠る場所”だ」
「光栄です、陛下」
その夜。レオナールは、初めて“腹以外”に沈んで眠った。
それは確かに柔らかく、そしてとてもあたたかかった。
◆
一方その頃――離れ。
オルドは静かに寝間着に着替え、布団へ入ろうとしていた。
すると隣の布団から、メリアの声。
「ねえ」
「ん?」
「……王様、ちゃんと沈んで寝たと思う?」
「さすがに今日は……色々あるだろうよ」
「ちょっと不安よね。……朝になったら、また“寝かしつけ失敗”で呼び出されるんじゃない?」
「やめてくれ。今日くらいは、俺も静かに寝かせてくれ……」
「はいはい。じゃ、腹、こっち向けて」
「……了解」
“王を眠らせる腹”は、今夜は――妻を安心させるために眠った。
◆
レオナールは夢を見ていた。
そこは静かな野原。
風が草を揺らし、誰かの笑い声が遠くで聞こえる。
眠りの中で名前を呼ぶ声がした。
「レオナール」
その響きは、王という立場ではなく――
“眠る者としての自分”を呼ぶ声だった。
そしてその名を受けて、レオナールは、深く眠り続けた。
王として、夫として。
そして、ようやく“ひとりの眠れる者”として――
名を呼ばれる夜が、静かに始まったのだった。
(完)
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