竜の皮を剥いで服を編む

  〈静かな死が欲しいと思ったことはないか?〉

  「いいえ。こう答えるのは何度目でしょうか」

  竜の世話をする。それが私の仕事だ。私の唯一の居場所であるここでより長く時間を過ごすために、私は今日も竜の前に立つ。

  〈今日もお前の周りでは、苦痛に塗れた死を迎える人間が多く居ただろうに〉

  私の前にいる青い竜は、天使のような翼を4対、8枚生やした巨大な身体を備えていて、見る限りでは神々しい存在だった。名前は……見た通りに、「蒼竜」、と呼称されているらしい。面白みのない名前だ、と思う。

  〈竜の顎に噛まれて潰され、見たくない過去の幻影を見せられて喉を自ら潰し〉

  その竜に歩み寄った私は、その翼を手で少し除けて、背中にある皮が切り取られた後を観察する。ここでは、こうやって部屋の中に魔術で封じ込めた竜から定期的に皮を剥いで、それを作業用防護服に転用したり、売買して利益に変えたりしている。部屋の中の竜は拘束されているようなものだから、こうやって触ったりしてもほとんどの場合において問題はない。

  「組織再生率、正常」

  形式化されたチェックリストにその旨を記入する。切り取られた部位が完全に再生するにはまだ時間を要するようだったが、事前観測情報からそれは予想されていたことだったし、防護服や武器の不足のような大きな問題にはならないだろう。そもそも、蒼竜ほどの竜の皮から仕立てられた服を着たまま長い時間を過ごせるのは、ここで私しかいないから。

  〈竜の皮で編まれた服に呑まれて竜もどきと化す……ああ、最後のはお前が直接手を下したのだったな〉

  「……あまりやかましくしないでください。私は貴方の皮から作られたこの服の侵蝕に耐えるだけでも気を遣いますから」

  〈…………〉

  怒り……のような感情が込められた響きが私の頭の中をかすめ、蒼竜の口から青白い吐息が吐き出される。それは拡散し、薄れながらも私に近づき、そして通り過ぎてゆく。

  「……っ」

  息苦しさ。部屋に施された封印術式で制限され、私が着る彼女自身の皮で造られた服で減衰されながらも、蒼竜の権能が私を貫く。魂が削り取られ、命そのものが減衰する感覚が私を襲う。

  〈今のは罰だ。我のいうことを素直に聞くのなら、苦しみの無い死をくれてやる〉

  純粋な死。それこそが、蒼竜が司るものだ。防護を整えているから魂の衰弱で済むのであって、常人が外でこれを受ければ即死するだろう。蒼竜はこの屋敷の地下で飼われている竜たちのなかでも、最も危険な存在の内の一匹だった。そうであるのに、ほかの力ある竜たちと比べて考えると、彼女の力に対する防護を整えた私がこうやって定期的に対話をしてやるだけで部屋から出ることなく大人しくしているという事実は……どうにも、私を不愉快にさせるのだった。

  「だったら、この部屋の封印を蹴破って私にあなたの力の全力をぶつけてみればいいじゃないですか。あの日、たくさんの人間にそうしたみたいに。どうしてそうしないんです?」

  〈…………〉

  再びの沈黙。だが、今度は怒りの感情は込められていなかったし、冷たい吐息が私を襲うことも無かった。ただ、何かを静かに肯定するように蒼竜はたたずんでいた。

  「……作業終了手順開始。封印術式稼働率、復元……復元完了。魔力循環機構、稼働率正常。魔力収支、プラス。作業終了」

  私は主人に与えられた仕事を終えて、部屋を出る。自分ではよく解らないが、拘束術式の魔力消耗が大きくないのを見るに、悪くない出来だったようだ。

  「……はあ」

  嘆息しながら、さきほど蒼竜に語り掛けられたことを反芻する。竜と関わるということは、己の命を危険にさらすということだった。ここで働いている人間たちは、私を含めてここ以外では受け入れてもらえないような出自の者たちばかりだった。ここで死ぬまでの生を生きるか、さもなくば外の世界で飢えて死ぬか。私も多くの命の終わりを見届けながら最善を尽くして蒼竜ほどの危険性を持つ存在を扱うまでに至ったが、ここで生きながらえようとして自然にそうなっただけだった。生き延びればより強力な装備に身体が適合するようになり、立ち向かう危険はその恐ろしさを増してゆく。

  「…………」

  私は廊下に備え付けられた大きな鏡で、私の姿を確認する。大方人間には見えるが、頭には蒼竜に似た角が、腰からは同じく蒼竜に似た尾が生えていた。人間の恐怖から生まれる竜と人間は近しい存在であるせいで、交流を重ねているうちにこうやって部分的に竜に近づいていくこともあるらしい。竜の皮から作られた装備に呑まれて異形になる侵蝕現象とも、竜が己の権能で他者を作り変える眷属化とも異なる、負の側面より正の側面に近い現象だ……と、私の主人や研究係は言っていた。このように角や尾は竜からしばしば与えられるものであるから、侵蝕や眷属化を判断するときにはそれらではなく翼の有無を指標にするのが常だった。まったくもってややこしいな、というのが私の率直な感想だった。

  「……さて」

  自分の身体に特段異常がないことを確認した私は与えられたもう一つの仕事をすることにした。この地下施設を見回って、異常があれば与えられた武器を持って排除すること。私が持つ武器……蒼竜の尾の骨から削り出された長い杖は適切に扱えば死の力を振りまくことができたし、この服にはほとんどあらゆるものを減衰、消滅させる力があるおかげで、私はほとんどすべての荒事に適した存在だったから。

  そうして、私はいつもどおりに見回りをしていた。瞬間的に連絡を取れる手段が無い以上、こうやって厄介ごとを未然に鎮圧するためにうろうろと施設の中を歩き回るのは仕方のないことだった。

  ずしん。

  中階を一周してその次に上階の見回りを終え、さて下階の様子でも見に行こうか、と連絡通路付近までたどり着いたとき、その下階から重い振動と轟音が響いてきた。明らかに封印術式の抑制の範疇を外れたその衝撃は、竜を収めるための部屋が崩れているであろうことを暗示していた。

  下階では蒼竜と力の上では同等の黒い竜……「黒竜」が飼われている。もし彼が封印を逃れたのなら、放置しておけば大惨事になるはずだった。蒼竜由来の死を齎す力が効きにくい特殊な体を持つ黒竜を私ひとりで相手するのは分が悪かったが、下階に今一番近いであろう人員は間違いなく私だった。黒竜の侵攻を食い止めて、被害が拡大することを防ぎながら時間を稼ぐことぐらいはするべきだろう。私はそう考えて、そのまま下階への連絡通路に足を踏み入れた。

  施設が崩壊するのではないかという振動の中で、私は階段を駆け下りる。すれ違う人員が居なかったことから薄々感づいてはいたが、果たしてたどり着いた下階はひどい有様だった。最初の振動からさほど時間が経っていないにもかかわらず、そこで働いていた人員は既に全滅し、黒竜が残した黒い跡に床が覆われていた。下階で飼われている他の竜の封印が解けていないことが唯一の救いだ、と思えるほどの惨事だった。偶然にも、私のような制圧に特化した人員が出払っていたようだった。

  ……私の視界の中央で、次の獲物を見定めるようにゆっくりと振り返る巨大な黒竜を見据えて、私は武器である長杖を構える。

  「この服は最高級の防御力を誇りますからね。あなた相手には私の武器では分が悪いですが、時間なら存分に稼げ……」

  ぐしゃあ—

  挑発の口上を言い切ることはできなかった。こちらに向けて激しく歩みを進める黒竜がもたらした振動が、施設にさらなる崩壊を齎したからだ。

  「なっ……!?」

  ……轟音と共に、私の背後の連絡通路が埋没する。私は人員が全滅した下階でたったひとり、単独では勝てる見込みの薄い相手と閉じ込められたのだった。

  長い戦いだった。瓦礫で封鎖された閉鎖空間の中で、黒竜にとって有効打にならない私の攻撃は、最下層で働いていた人間たちを食いつくして膨れた黒竜の身体が再生する速度に追いつかない。

  それでも、私はあがき続けていた。体力と精神が消耗してゆく中で、服から頭の中に響く声はますます強くなっていく。私が黒竜を奇跡的に打ち倒すのと、私が蒼竜の服に呑まれてけだものと化すのとでは、どっちが早いだろうか。

  ……そういった無駄な思考が、私の足取りを乱す。床に落ちていた瓦礫に気づかなかった私は、それに躓いて床の上に倒れた。黒竜はその隙を見逃さない。腐った肉で構成されたかのような長い腕が、私に向かって振り上げられる。

  「…………」

  頭上から迫りくる、惨たらしい自らの死を見て、私の口から息が漏れる。あらゆる最善を尽くして守り抜いてきた私の生は、こんなに簡単に終わってしまうのかと。

  また、あの蒼竜のことが私の中で思い返された。竜が恐怖から生まれる存在だというのなら、結局は、死を操る彼女も死が恐ろしいのだろう。そうでありながら自らの力をもって人間を殺し、私の記憶を覗いておぞましい死のありさまを垣間見る。矛盾した有様。

  こんな時になって初めて、私は嫌悪していた蒼竜に自分を重ねていた。彼女の核であるその恐怖は、他者に死を振りまきながら、自らは生きながらえ続けるその有様は、凄惨な死を見てそれを恐れる感情は……

  「同じですね、私と……」

  そうつぶやいた瞬間、服から私に絶え間なく語り掛けてきた蒼竜の声が静まり……代わりに、めきっ、という妙な音が体の中で響いた。そのまま、何かが私の中で膨れて……

  ばさり。

  頑丈なはずの竜の皮で仕立てられた服を突き破り、私の背中から何かが付き出る。黒竜はそれを見て、恐れるかのように飛び退いた。

  「は……?」

  咄嗟に振り向いて確認すると、それは竜の翼だった。天使のような羽根を含んだそれは、あの蒼竜の翼に瓜二つだった。侵蝕、眷属化。竜の翼が象徴する現象が思い起こされる。

  「いえ、しかし、こんなに急速に進行するはずは……」

  〈……お前がやったことだろうに。我のせいにするのはやめろ〉

  久しぶりに抱いた恐れという感情のままに口にした言葉に応えたのは、さっきから静かになっていた竜の声だった。しかもこれまでのように一方的に語り掛けるのではなく、私の思考に応える形での声。

  〈お前が我のことを理解するに至ったというだけだ。侵蝕という形で我がお前を上書きするのでもなく、逆にお前が拒絶と否定で我を上書きするのでもなく……〉

  「…………」

  次の変化は脚から始まった。ブーツを突き破って鉤爪が飛び出したかと思うと、竜の皮でできているものを取り込みながら、そうでないものを破き捨てながら脚全体が獣のそれに似た竜の脚へと変形してゆく。骨が伸び、肉が成長して。

  〈お前と我とが異なる存在のままに共感できる事項を見つけ出したのだ〉

  すっかり骨格が獣に近くなった腰のあたりから生えていた竜の尾は、その太さと長さを増して本物に近しい外見へと変わっていく。給仕服状の装備に特有だった長いスカートと前部のエプロンは、とっくに私の身体に溶け込んでいた。竜の皮に備えられていた鱗のひとつひとつが成長し、馴染んで、私を防護する鎧になってゆく。

  〈だから、これはお前がお前であるままに我の皮で仕立てられた防具の力を最大限に引き出しているに過ぎない。お前がやったこと、というのはそういう意味だ〉

  「……こうなっても私が私のままだっていうんなら。戻れるんですか? 元に」

  気づけば、腕も胸も変化を終えていた。逞しい、巨大な鉤爪を備えた腕と、ひときわ硬い外殻に覆われた胸。翼と尾、爪を備えた一匹の竜として完成しつつある私は、人として最後に発することになるかもしれない言葉を発した。

  〈自我。人とその恐怖から抽出される竜との間に存在する理においてはそれが全てだ〉

  「…………」

  口吻が伸びてゆく。歯が鋭くなって、牙が形成され、私は竜へと変わり果ててゆく。こうなるまえから生えていた角が似合う姿へと。

  〈お前がお前で、我が我である限りお前の身体と我の皮は簡単に分離できるであろう。異質なものがひとつになっているという状況は、自然ではないが故に〉

  視界が変わる。暗闇に包まれた、半壊した地下施設をいままでより鮮明に見られるようになっていく。そこには、私が変化する過程を警戒するように眺めていた黒竜がいまだ臨戦態勢で居た。私の部下を食い、施設を壊して、この事態を引き起こした……敵。

  〈さあ。そいつには我から削り出した武器で死を与えられないのだろう? だったら、我の皮で作ったその牙と爪で決着をつけるしかあるまい〉

  「……がるるあああああぁぁぁぁっ!」

  返答の代わりに、私は竜に変わり切った体で、威嚇するように咆哮する。冷たかった心に湧き上がるように蘇ってきたあらゆる感情を吐き出すように。

  〈……お前がそこまで感情をむき出しにするのは、珍しいな。普段からもっと我の前でも—〉

  『……さすがにうるさいです。私のことを乗っ取る気が無いなら、やることが終わるまで黙っていてください。全部あなたの言いなりになるつもりは、ありませんから』

  [newpage]

  —救護係が働く医務室のベッドに、私はいつも着ている装備をはぎ取られて裸で横たわっていた。独りきりだったから体に掛けられた布をめくって自分の身体の様子を確かめてみるも、生えているのは角や竜の尾だけで、他はただ滑らかな白い肌に覆われていた。あの時完全に竜と化してしまったのが夢のように思えるほど身体はほぼ完全に人間に戻っていたし、少しずつ進行していたはずの侵蝕の跡……肌に張り付いていた鱗や羽毛も完全になくなっていた。

  あのとき竜に変身した私は黒竜の外殻を爪で突き破って、心臓を切り裂いて殺した。ただ……それ以上のことはあまり覚えていなかった。そもそも、あんなにひどく施設が崩壊していたのにこうして私が救出されたこと自体、奇跡のようだった。

  「凄いですねー、あんなに長時間竜皮製の装備を身に着けていて侵蝕されないなんて」

  ぼんやり考え事をしているうちに部屋に入ってきた救護係に話しかけられる。彼女の話では、どうやら私は気絶したまま2日間を閉鎖された地下で過ごしていたらしい。確かに、ふつう業務時間外は着用してはいけないことになっている防護服を、意識を失ったままそれだけの時間着用し続けて装備に侵蝕され切らないというのは、不思議だった。……あるいはあの蒼竜が、彼女に共感したという私を認めて装備の力を弱めていてくれたのだろうか。

  しばらくは休養を命じられ、蒼竜と対話することも、蒼竜の皮で造られた服に触れることもできないから、この疑問に答えを出すことは不可能なようだった。仕方なく、私はもう少しの間ベッドに寝転がって、酷く消耗した自分の身体を休めることにした。