屋敷にて犬人に

  「くそ、急に降ってきやがった……!」

  悪態をつきながら、銀札冒険者である事を示す札を首から下げている冒険者マイケルは左手に持っている盾を頭上に掲げて頭を守りながら走っていた。ある程度の場数を踏み信頼を稼いでおり、身体を鍛えているそれなりの冒険者である彼にとっても、悪天候は好ましくないものであった。

  神経質だから、という訳ではなく、単に悪天候というのはそれだけで危険が伴う。例えば、雨で柔らかくなった地面。普段通りに駆けようものなら、その途中で脚を滑らせる事も珍しくなく、慣れている者でも、万全な状態と同様の走り方などしない。また、落雷についてはその最たるものなのは間違いない。ある程度、空が光ってから音が鳴るまでの時間でどれくらいの位置で雷が落ちているかを察する事はできるにしても、いきなり頭上から落ちてきた場合には防ぐ事はできない。

  剣や槍といった武器による攻撃や、魔法と呼ばれる特殊技能を用いた攻撃といったものを冒険者は駆使する事になるが、自然現象である落雷は一般的な冒険者が習得するあらゆる魔法攻撃よりも破壊力があるというのが通説である以上、冒険者にとって悪天候こそがそもそも敵であるのは間違いなかった。

  「くそ、このあたりになんでもいいから建物はないのか……!」

  本拠地としている街で受けた街道脇に現れる魔物の討伐、その帰りでの事だった。魔物の討伐そのものは、彼にとっては日常的なものであり、何もおかしなことはない日課のようなもの。しかしながら、周囲の景色が見えなくなるほどの大雨というのは経験のある彼にとっても片手の指で数えられる程度しかなく、帰り道でそのような目に遭うというのは初めての事であった。ここまで悪天候となれば、いつ落雷があってもおかしくはない。実際、遠くの方で何かが光り、音が鳴っている以上猶予はない――と彼は焦りながら周囲を見渡す。

  「……こんなところに、屋敷が……?」

  すると、そんな彼の焦りながら“なんでもいいから建物はないのか”と願ったのが叶えられたのか、彼の眼前には見覚えのない屋敷があった。相変わらずの大雨でその屋敷の全貌を見る事はできないまでも、それなりに大きな屋敷である事は一目でわかる。ただ、彼の疑問としては行きの道ではこのような屋敷を見た事がなかったという点だった。魔法といった不思議なものがある世界であっても、一瞬にして屋敷を建築するような技術はない以上、行きになかった筈のものが帰りにはあるという状態は、彼に違和感を抱かせるには十分だった。

  しかしながら、それ以外に雨宿りができそうな建物は一切見当たらない。街もまだ遠いとなれば、まずはこの屋敷で雨宿りさせてもらおうという彼の考えは自然なものであった。

  ――それが、最大の彼にとって最大の失策になるとも知らずに。

  「ごめんください! 雨宿りさせてもらえませんか!」

  そう言いながら、彼は屋敷の扉をこんこんと手の裏で叩く。普段は粗暴な口調なマイケルであっても、こうして何かを頼む際には丁寧な言葉遣いを心掛ける。冒険者として一定の信頼を得ている銀札ともなれば、状況を見て自身の言動を合わせる事は当然だった。すると、遠くから「どうぞ」という女性の声が彼の耳に届き、安堵の表情を浮かべながら「お邪魔します!」と扉を開いて中へと入る。

  屋敷の中は、あまりにも豪華絢爛だった。屋敷の外では大量の雨によって視界が遮られていて、大きな屋敷である事以外わからなかったものの、中にあるものや装飾の全てが高価である事を彼は察した。冒険者と称される者の大半は、元来そこまで裕福でない者が多い。例に漏れずマイケルのその一人ではあるが、キラキラと光る装飾が多い様子にこれこそ裕福な人の屋敷だと彼は確信していた。

  「ようこそ、我が屋敷へ」

  周囲の豪華絢爛さに目を奪われている彼に、先程の女性の声が届く。はっとして声の主に目を向ければ、これまた豪華なドレスを着て先端の尖っている大きな帽子を被った美しい女性の姿があった。腰ほどまであるブロンドの髪に、美しいと感じる色白の肌。にこりと微笑んだ後に、碧眼が彼の姿を映しているように彼には見えた。

  胸元や肩から見える肌に彼は顔を赤らめながら、なんとかその視線を女性に悟らせまいと女性の顔に視線を動かす。その視線移動を察してか、あるいは察していないのかは定かではないが、「うふふ」と彼女はにこやかにほほ笑みながら、口を開く。

  「さ、大雨で大分濡れているみたいですし、ここは一旦入浴してはいかがでしょう」

  様々な出自の者が集まる冒険者にとって入浴というのは馴染みの薄い文化であった。そもそも、入浴する為のもの――浴槽などを自前で持っている者となれば、貴族やかなりの財力を持った商人くらいしかない。一般的な地位の人間はと言えば川や湖の水を浴びたり、顔を濡らしたりする程度。あるいは、一部の夜の店くらいだろうか。地域によってはそういう文化もあるらしいと聞いた事はあっても、彼はそういったものを見た事はなかった。

  とはいえ、冒険者は周囲からの信用を得る必要がある以上、入浴するよう求められた場合には入浴するのが慣例となっていた。冒険者は長い間入浴する機会もないのが常ではあるが、その冒険者と接する依頼主の中にはその身を清潔にしている事も少なくない。そんな清潔な依頼主からすれば、数少ない接する機会には身体を清潔にしてもらいたいというのも自然であった。

  「わかりました、お言葉に甘えます」

  だからこそ、マイケルもそんな女性の言葉に頷いて、防具や武器をその場に置く。シャツとズボンという冒険者としてではなく、単なる街の住人として生活する際の格好になり、「これらはどこに置けば?」と尋ねる。魔物を倒した際の返り血は幸いにも大雨で流されたものの、どちらにせよ濡れており、綺麗に整えられた屋敷の中を濡らすのは彼には憚られた。シャツやズボンも濡れていない訳でないが、その上から身に着けていた防具と比べれば多少はマシというものだった。その様子を見て、「あぁ、そうですわね」と彼女は僅かに考える素振りを見せる。人差し指を顎に当てて、目を閉じながら考える彼女の姿に彼は色気を感じていた。

  「とりあえずはその場に置いてもらえれば。従者に安全な場所まで運ばせますから」

  僅かに考えた後、マイケルの目をじっと見つめて微笑みながら、女性は言った。その女性の言葉に合わせてか、彼女の背後の扉が開かれると、漆黒のロングワンピースに白いエプロンという如何にも女性使用人といった少女が二人現れる。女性同様見目麗しいが、頭頂部には垂れた獣耳があったのを見て、この二人が犬人あるいはワードッグと称される種族である事を察する。視線を下に移していくと、首元には首輪が着けられていて、下半身にまで視線を落とせば尻尾が揺れているのが見てとれた。

  犬人あるいはワードッグは、名の通り人と犬の特徴を兼ね備えた種族の事を指す。犬が人に近づく形で進化したとも、禁忌の実験で人と犬が交わったとも、様々な説が唱えられているが定かではない。諸説は兎も角、この種族の外見以外の特徴としては“主と認めた者には最期まで尽くす”という点だ。最後まで主を裏切らない、という点において商人が身の回りの世話をする者として重宝する事が多い。この二人の少女もそういった理由でこの女性の使用人になったのだろうか、とマイケルは考える。

  「お呼びでしょうか」

  二人の少女の片割れが女性に声をかけると、「エリー、あれを奥に運んでくれる?」と女性は返す。その言葉を受けて、エリーと呼ばれた少女は「畏まりました」と言い、彼の防具や武器一式を持ち上げる。その小さな体のどこにそんな力があるのだろう、と彼は不思議に思いながら首を傾げる。

  本来ならば、自身の得物を雨宿りさせてくれる恩人と言えど預けるという行為は避けるべきであったが、今の彼はそれに意識を向ける事はできなかった。女性が「アビー、彼を風呂場へ」と女性使用人に声をかけると、「かしこまりました。さ、こちらへ」と、アビーと呼ばれた少女はそう言って、彼を見る。女性使用人の少女二人は、どちらも同じ格好であり、容姿も瓜二つのように彼には見えていた。双子なのだろうか、等と考えながら少女の後を彼はついていく。

  

  「――さて、こちらも準備しましょうか」

  そんな女性の意味深な呟きは、彼の耳には届かなかった。――届いていたとしても、この後の出来事は変わらないのだが。

  湯に浸かりながら、彼は考える。風呂場に辿りつくまでの通路も豪華絢爛であり、風呂場すらも豪華に彼には見えていた。赤い絨毯には塵や埃の類は一切見えず、壁には絵画や装飾用の食器が飾られていた。幼少期はその日の食物にすら困った経験のあるマイケルからすれば、無縁の世界。銀札という冒険者としては一人前を指す位置に到達しても、生活に最低限必要なもの以外を買いそろえるといった贅沢とは無縁であり、金札の冒険者で漸くそういった嗜好品に手が出ると言った具合である。

  「本当にここはなんなんだろう」

  だからこそ、不思議でならない。ここまで豪華絢爛、贅沢な屋敷があるというのならば、街でこの屋敷についての噂くらいは耳にしてもおかしくないというのに、彼は一度も耳にした事はなかった。更に言えば、屋敷に入ってすぐにマイケルを出迎えた美しいドレスを身に着けた見目麗しい女性――彼女についても、これほど秀でた容姿の持ち主であれば、どこかで噂になってもおかしくないだろうと彼は考える。そして、あわよくばそんな女性と良い関係になれないだろうか、などと彼は考え始める。

  考え事をしながら、心地よさを覚えていた。湯の温度は心地よく、心なしか良い香りもする――そこまで気持ちが良いとなると、先刻まで冒険者として外を駆けまわっていた疲労感もあってか眠気に襲われつつあった。湯船で眠るのはあまりにも危険とは知識で知ってはいても、あまりの心地よさに彼は意識を失った。

  

  鍛え上げられた、筋骨隆々な男性の身体がそこにはあった。だが、彼が意識を手放した瞬間に異変が起き始めていた。

  少しずつ、鍛え上げられた身体が縮んていく。丸太のように太かった腕が、少しずつ細くなっていく。同様に、脚も細くなってゆき、そこには細身で華奢な中性的な少年のような肉体があった。マイケルの顔も少しずつ身体の方に引っ張られてか、髭面の男性だったのが少年とも少女ともとれる中性的な物へと変じてゆく。そのような変化の中にあっても、マイケルは目を覚まさない。

  そして、変化は未だに続く。湯船の中にあった彼を男性とする象徴。それが徐々に小さくなってゆく。大きく筋肉質なマイケルの身体に相応しいサイズだったそれが、一分も経たない内に幼少の頃のそれと等しい大きさになったかと思えば、そこでは変化は止まらず最終的には消失した。代わりに、彼を女性とする割れ目がそこに形成されていた。

  それに合わせてか、マイケルの頭髪が伸び始める。手入れを簡単にするため短く切りそろえられていた黒の短髪は、僅かな時間で背中にかかる程度の長さをもった茶髪に変じていた。そう、彼は一瞬のうちに男性から少女へと変化していた。

  あまりにも致命的な変化を終えた瞬間、違和感を覚えたマイケルがはっと目を覚ます。

  「なんだ……?」

  身体に違和感を覚えて発した声に、マイケルは驚いて口を塞ぐ。口を塞いだその手はあまりにも華奢であり、自身から発せられた声は高い女性のものであった。湯船に映っている筈の自身の姿を見てみれば、そこにはマイケルの面影を一切残していない少女の顔が映っていた。

  「どういう事……だ……?」

  困惑して声を漏らしていると、違和感が未だに続いている事に彼は気が付いた。胸元がむずむずする、と感じた瞬間に彼の胸元には少しずつ二つの丘が形成されていた。今までであれば、鍛え上げられていた胸筋があった筈のそこには、見る者を魅了する大きな双丘がある。普段のマイケルなら飛びつきたいそれが、自身の胸元にあるとなれば困惑する他ない。困惑しつつも触れてみれば、触れられた感触が返ってくる事から確かに自身の身体なのだという自覚を彼はする。

  更に、そこで下半身の違和感にも気が付いて手をやれば、今までお世話になっていた男性の象徴はそこにはなかった。代わりに割れ目ができていて、見慣れないものを視認した事で思わず彼は目を背ける。眼を背けこそしたが、これで彼は自身が少女になってしまったという事に気が付いた。

  「くそ、罠だったのか?」

  なんとかして脱しなければ、と湯船から出る為に立ち上がろうとした彼は、急に力が入らなくなりバランスを崩して湯船の中に頭も含めて浸かってしまう。すると、耳から頭頂部にかけて先程の胸元同様彼は違和感を覚えていた。咄嗟に耳へ手をやれば、その耳が少しずつ小さくなっていくのを感じていた。気が付けば、頭の側面から耳が消失したというのに、聴覚がまだある事に気が付く。そう、頭頂部から物音がする事にマイケルは気が付いた。

  更に、尾てい骨のあたりからも違和感を覚えて手をやれば、そこからは急速に何かが伸びてくる――そう、尻尾が形成されている。伸びるな、と尾てい骨のあたりを抑え込む手に力を加えても、尻尾の伸びる勢いは止まらない。違和感が収まった頃、漸く体に力が入るようになって立ち上がってみれば、水面に映るのは先程見た女性使用人――ワードッグの少女と寸分違わない少女の姿がそこにはあった。

  「なんだ……これ……」

  「うふふ、やはりかわいくなったわね」

  風呂場の入口から、先程マイケルを出迎えたドレスの女性が彼――少女となったマイケルを見ていた。その顔はあまりにも満足気であり、マイケルは自身の身体がこのような変化をしたのはこの女性の手によるものだと理解する。怒りを覚え、憤りを口にする。

  「どういう事ですか、これは? ……えっ?」

  そう憤りを伝える言葉を――“どういう事だ、これは”とマイケルは口にした筈だった。だというのに、実際に口から出た言葉は異なっていた。ただでさえ声が変わっていて相手に圧をかけられなくなっているというのに、口調すらも丁寧なものになってしまっている以上、相手に圧をかけるには至らない。寧ろ、そうやってどうにかしようとする姿を見て、女性は「うふふ」と笑みを漏らすのみ。

  「そうやって困ってる姿もかわいいですわね」

  愉快そうに笑う女性を見て、くそ、と悪態をつこうとしても漏れ出る声は「うぅ」と弱った声のみ。言おうとしている内容と、実際に口から発せられる言葉が違うという事実に、彼は困惑するしかなかった。それを満足気に眺める女性だったが、「主」と女性の後ろから今のマイケルとそっくりな――先程、彼をこの風呂場まで案内した少女、アビーが女性に声をかけた事で「あぁ、そうですわね」と何かに気づいた様子で人差し指をマイケルに向けながら「ドライ」と唱える。

  すると、先程まで入浴していて濡れていたマイケル自身の身体が乾き、いつでも衣服を着られる状態になっていた。されるがまま、相手の思う通りになっているという事実にマイケルはただ困惑するばかり。ドライ、などという呪文を彼は知らない。魔法と呼ばれる技術があり、それが便利である事くらい彼もよく知っている。彼自身は魔法を得意とはしていないものの、多少の知識だけはあった。しかしながら、その大半が“ファイア”や“サンダー”といったわかりやすい攻撃用の魔法であり、女性の唱えた身体を乾かすというあまりにも生活の一部になっている魔法を彼は初めて見て、それを実際に体験していた。

  そんな状況に困惑している様子を見ながら女性はにこやかに「さ、あなたの着替えも用意していますわよ」と口にする。

  マイケルの脳裏には先程からずっと警鐘が鳴り響いていた。今すぐ逃げろ、と直感が叫んでいた。しかしながら、「い、いや……っ」という否定の言葉を発したマイケルの腕を女性が掴み、引っ張られていく。身体が以前と比べて筋力がないからか、はたまた身体を変化させられた直後で思ったようには力が入らないのか、抵抗できずにそのままついていく形となる。まるで、それが自然なのだと言わんばかりに。逃げなければ、と身体にいくら言い聞かせても、抵抗するだけの力が今の身体にはなかった。

  そうやってたどり着いた脱衣所。入浴前、ここでシャツとズボンを脱いで入浴した以上、本来ならあった筈の彼のシャツとズボンはそこにはなく、代わりに少女が身に着けている女性使用人の衣装――漆黒のロングワンピースに白いエプロン、女性用の下着などがそこにはあった。絶対に着るもんか、彼は手を出さずに抵抗するものの「アビー、“彼女”に着せてあげなさい」と女性が少女に銘ずると、「かしこまりました」とマイケルに女性用の下着からまずは着せてゆき、ワンピースやエプロンといったものまでもが手際よく着せられてゆく。下着やワンピースには尻尾を通す為の穴が開けられていて、そこに尻尾を通される際には「あっ」や「うっ」等と声を漏らしてしまっていた。喘いでいるかのような声を自身が出しているという事実に、マイケルの思考が止まる。

  そうやって着せ替え人形のように女性使用人の衣装を着せられて、脱衣所にあった大きな鏡には瓜二つのワードッグの女性使用人が二人映っていた。その内の一人がマイケル自身である、という事実にマイケルは気が狂いそうになっていた。

  「さて、一緒に行きましょうか。私の部屋に」

  既に詰みである事をマイケルは理解しつつも、なんとか抵抗できないかと前を行く女性を無視して立ち止まろうとするが、それに気づいたアビーがマイケルを後ろから押す。バランスを崩し、前へ倒れそうになった所を女性がマイケルの腕を掴み、「大丈夫かしら?」と声をかける。どこも大丈夫じゃない、と否定の言葉を発しようとする前に、女性はそのままマイケルの腕を引き寄せて、「アビー、今日はもう休んでいいわよ」とアビーに声をかける。

  「かしこまりました」

  「えぇ、明日からはあなたたち“三人”で私を支えてくれる?」

  「勿論です、主」

  三人、という言葉にマイケルの顔は青ざめる。エリー、アビーというワードッグが二人。そこにもう一人、その一人に自身が含まれるという事を察してしまっていた。また、女性の言葉に笑顔で受け答えをするアビーの姿を見て、これが自分の未来なのかと考えては頭の中で必死に否定をする。しかしながら、その光景が頭から離れない。そんな無駄な抵抗を試みているのを知ってか、相変わらず女性はにこやかな表情のまま、マイケルを部屋まで連れていく。その華奢な身体のどこに力があるのか、とマイケルは内心で驚きながらもその力にされるがまま。気が付けば、寝室に二人の姿があった。

  「さて、自己紹介でもしましょうか。私は、ウィラ。“魔女”とも呼ばれていたかしらねぇ」

  さらっと出た“魔女”という単語にマイケルは身体を振るわせた。優れた魔法使いは時に、自ら人間から魔物へと変じる事があると彼は聞かされていた。その一例として挙げられていたのが、ウィラという魔法使いが魔女となった事例。元々は金札の冒険者になった彼女が、自らの研究を進めていく内に人間という種族の枠組みから外れ、魔女と呼ばれるようになった事。その結果多くの人間によって討伐された事。そして、それが五○年以上も前にあったという事。持っている情報と、目の前で暴露された情報とが一致せず、マイケルはただ困惑するばかり。それの様子を見て、悪戯が成功した子供のように「あははっ!」と女性は笑う。

  「まぁ、実際は生きていて、こうやって隠居している訳だけど、こうして玩具が来たのなら遊ばないと損だからね。あ、君の名前は?」

  その問いに、マイケルは意地になって口を閉じていると、突如胸元――できたばかりの双丘をもまれ、「んぁ……っ」と声を漏らす。あまりの出来事に驚いたのが一点、もう一点が自身から漏れ出た声に驚いた事。漏れ出た声は、色気のある少女の喘ぎ声に相違なかった。自身がそのような声を漏らす存在になってしまったのか、と愕然とする。そして、やがて頭は真っ白になり、「マイケル、です……」とウィラの問いに答えてしまう。

  「ふぅん、なるほどね」

  満足気な顔で、ウィラはその手を止めると、ベッドの上に置いてあった首輪を手にとった。そして、その首輪は次第にマイケルの首元へと迫る。様々なショックで動けないでいるマイケルは抵抗できず、気が着けば後は首輪を止めるだけという所になっていた。そこで漸く少しは元の銀札冒険者としての意識が僅かに覚醒したのか、抵抗しなければ、とウィラを押し退けようとするもそれよりも先に首輪が確りとつけられていた。

  「あなたは、“マギー”。マギー、そこで座りなさい」

  ウィラを押し退けようと出した手は自身の膝へと向かい、近くの椅子に腰を下ろしていた。自身の意志とは関係なく、女性の言葉の通りに動くという事実に、マイケルは恐怖していた。そして、マギーと呼ばれた瞬間に違和感なく受け入れていた自身に驚く。顔を青ざまているマイケルに、ウィラは「あなたの名前は何?」と尋ねる。名前は先程答えた筈、何を言っているのだろうとマイケルは思いながら口を開く。

  「私の名前はマギーです、主。――えっ」

  口から発せられたのは、ウィラによって名付けられたばかり名前だった。

  「違う、私はマギー……違う、あれ、えっと……?」

  困惑しながら、マギー等という名前ではない、否定しながら元の名前を思い出そうとしてマギーは絶望した。既にマギーという名前しか、思い出せないという事実に。幾ら何かを思い出そうとしても、風呂場でこの身体に変じてから先の事しかマギーの記憶にはなかった。そもそも、最初からマギーだったという認識にすり替わっており、その事にマギーは気づく事ができない。

  「――さて、最後の仕込みをしましょうか。ね?」

  妖艶な笑みを浮かべたウィラによって、マギーはベッドへと運ばれ、押し倒されていた。

  幾らかの日時が経った頃。

  屋敷には三人のワードッグが女性使用人として働いていた。それぞれエリー、アビー、マギーと名付けられた彼女らは同じ容姿をしていて、身に着けている装飾品だけが判別できる方法だった。

  中でもマギーの身に着けている装飾品は、冒険者が身に着けている札――銀色の札だった。しかしながら、冒険者の名前が掘られている筈の場所を更に掘られているせいで名前や番号が読み取れない。これは致命的な損傷であり、仮に冒険者の一覧を管理する組織にこの銀札を持って行ったとしても、個人を特定する事は最早不可能だった。

  『ごめんください!』

  唐突に、屋敷の玄関の外からそのような声がマギーの耳に届いていた。その日も雨が降っていて、どうやら雨宿り目的の誰からしいとマギーは察していた。屋敷の外からは雷雨の音。屋敷の主であるウィラに食事を運んでいたマギーは、雷雨の音に何か違和感を覚えつつも、頭を撫でられた事に満足してその事を一瞬にして忘れた。

  「風呂場の準備をお願いね、マギー」

  「かしこまりました、主」

  その顔は、主から仕事を任された事に喜びを感じるワードッグそのものだった。

  

  一般銀札冒険者マイケルの冒険は終わった。