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「気持ち悪い。」 「もっと普通にできないのか?」
何度も反芻する嫌な記憶が、俺を強制的に現実に引き戻した。
「最悪の目覚めだ…。」
太陽はいつも通りうざったい位の日光を僕の部屋に降り注がせている。まだ眠い目を擦ってベッドから起き上がる。体がいつもの何倍も重たく感じる。久しぶりに嫌な夢を見た気がした…が、その内容もすぐさま記憶から崩れ落ちていった。
「あら。珍しく早いのね。」
家を出発しようとしていた所を呼び止められた。
「早く起きれたらちゃんと行くって約束だから。」
「そう。お昼ご飯は持っていかなくていいの?」
「購買かどこかで何か買って食うよ。行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
さっさと家を出てドアを閉めた。朝から母との会話は疲れる。できる限り長引かせたくなかった。
バスに乗って学校へ向かう。遅刻は…多分しないだろう。バスに揺られながらスマホに目をやると、1件の通知。同じクラスのやつからのメッセージだった。
「今日もサボり?そろそろ来ないと出席日数足りなくて留年だぞ〜」
「今日は行くよ」
高校が全日制というめんどくさいシステムのおかげで、俺の学生ライフの危機が迫ってきているらしい。いっそのこと転校してやろうか。と考えてみるものの、全日制以外に入ると本当に家に引きこもったままになりそうだったので選択肢は一瞬で消え去った。
学校に着くと、ちょうど校門の辺りでメッセージを送ってきた奴と遭遇してしまった。
「お前が朝から来るとかだいぶ珍しいし、明日は槍でも降りそうだな。」
「人をトンデモ災害の元凶にしないでくれ。」
「言い返す元気があるならヨシ!出席日数足りなくて留年するとかほんとに有り得るから気をつけろよ?」
「善処する。」
くだらない話で盛り上がっていたら教室に着いた。もうだいぶ生徒が揃っていて、俺たちは最後の方だ。結構早く来たつもりだったんだが…?遅刻せず登校してきただけ、俺としては大きな進歩だと褒めて気を紛らわせよう。
担任が入ってきてクラスが落ち着きを取り戻すと、「では最初に…」と話始める。しかし、その話し方はどこか戸惑っているような、緊張しているような感じがして、気になって耳を傾けてみる。
「……なので、新しいクラスメイトを紹介します!」
担任が少し困惑したような表情でそう言った。新しいクラスメイト?少し興味が出た俺は、顔をドアの方に向ける。
ドアを開けると、入ってきたやつは何故か顔が毛で覆われて…ん?何を言っているんだ俺は。人間には顔が毛で覆われているやつなんて…。しかし実際に入ってきたやつは、顔が毛で覆われて、耳が生えていて、口が長くて牙があって…体格も普通の大人とほぼ変わらない獣だった。
「霧川灰人です。獣人型生徒の公立学校への適応テスト、その実験の一例としてこの学校が選ばれたので入学することになりました!これから三年間よろしくお願いします!」
適応テスト?獣人?色々情報量が多すぎて頭が混乱する。そもそもなんでそんなテストにうちの学校が。てかそもそもこんなテストが始まるなんて一度も…。
そこで、脳の奥に沈んでいた微かな情報が、その獣人の自己紹介の影響を受け呼び起こされる。
「獣人と人間の間に平等を。まずは三大義務の適応から。」
そんな記事を昨夜寝る前にSNSで拾った覚えがある。まさかその一貫で…?
思考を巡らせているとそろそろ自己紹介が終盤に入り、話のネタが尽きかけているようだった。
「そうだ!これだけは伝えとかないと…。」
何か慎重に言葉を選ぶように、獣人は次にこう告げた。
「俺、人型の男性しか好きになれないから!女性の人はごめん!」
「…は?」
一瞬で教室の空気が固まったのが、普段あまり人と関わらない俺でも読み取れた。
こいつは…バカなのか?今のタイミングで言うべき事だったのか?多分俺と同じように思っているやつが多数派だろう。とにかく…頭が混乱して今にも考えるのを放棄してしまいたい。
外の空気は、眼前に迫った冬の気配を孕んだ風も相まって冷たく感じる。枯れた葉が、何枚も空に舞っていくのが見えた。そんな中、この教室だけが異様な空気と熱を孕んでいた。
「というわけで…えーと…はい!自己紹介はこれで終わりかな?」
「先生!俺の席はあそこで合ってますよね?」
「…え?ええ…まあそこしか空いてないみたいだし、ひとまずはそこに座ってもらおうかしら。」
「了解です!」
…こいつはこの空気を一体どうするつもりなのかなのだろう。どう見てもあの余計な一言で、クラスの奴らはどう接したらいいか分からなくなっているのか誰も話しかけたりしない。
「じゃ、隣の席なんでよろしくな!」
しかし…
「ああ、よろしく。」
よりにもよって俺の席の隣になるとは…。
「はぁ…」
「どうした?もしかして、あんまり話すの得意じゃないタイプだったりする?」
コイツはいちいち人の気を逆撫でするのが上手いようだな。後で誰か一般的な人間の会話スキルを身に付けさせてやって欲しい。
購買に昼飯を買いに行くついでに、彼のことについて少し分かったことをまとめよう。
まず、俺たち学生のように世間の常識や、一般知識は身に付けていること。現に授業の内容も難なく理解しているようだった。
それから、性格は明るくて積極的で、誰とでも分け隔てなく接している、所謂陽キャラ的な存在。好き嫌いはハッキリしていそうだが、敢えて表に出していないのだろう。とにかく社交性が高い。…俺とは真反対だな。
最後に…恋愛対象についてなのだが…これは本人に直接聞いてみないと嘘か本当か分からない。ただ明らかに男子には積極的に話しかけに行くが、女子には用が無い限りはあまり関与していないようだった。それでも、グループの活動やペアワークはしっかりとこなし、まさに模範的な生徒と言えるだろう。会社や大学からしたら、真っ先に引き抜きたい人材だ。
本当に、一人の人間として変わらない生活を送っている。
…と断言できないのも、正直なところ事実だ。
獣人が地球に現れ始めたのはつい最近だ。どう生まれたのか、はたまたどうやってその姿に変化したのか。詳しいことは国民に伝えられていない。そのせいか、獣人の情報が初めて伝えられた当時は多くの混乱を招いた。
中でも人間と獣人との間で酷く争われたことは人権問題と憲法の適用だろう。快く思わない者も多く見られた為、一度シミュレーション的に人間と変わらない生活を送らせることで、獣人が無害である証明と人間の近くで生活することで人々のイメージの改善を図った。これは良い結果を招き、実際に現在は何ら変わりない生活を送れている獣人が多数いる。
それでもまだ、人々は不満を持って生活している者もいるだろう。獣人が増えたことで、社会にも大きな影響を与えた。力仕事では獣人の筋力は即戦力になり、医療や化学では獣人という珍しい研究対象は、新しい薬品や技術の開発に大きく貢献するだろう。
…裏返せば、人々の本来の仕事や就職先を奪うことになっている…と感じる人もいるのだ。日本の歴史から見るに、やはり人間の根底に根付いた差別意識は受け継がれ、今も消えていないのだ。これは獣人に限らず、近年騒がれている生物の多様性にも同じことが言えることだろう。
何が言いたいかというと、普通に生活しているように見えて、周囲の人間はもしかしたら霧川のようなイレギュラーな存在を良く思っていないのかもしれない。ましてや入学初日で爆弾発言だ。周りの人間がそう思っていても無理もないな。
「藍沢!良かったら一緒に飯食わない?」
購買から帰って席に着くと、突然霧川話しかけられた。
「俺じゃなくて、あっちの前の方の席のヤツらと食べた方が楽しいぞ?」
「いや〜俺食事中は騒ぐの苦手なタイプだからさ…。ダメ?」
「まぁ、別に構わないよ。」
「よっしゃ〜!やっぱ持つべきものは心が広い友達だよな〜!」
霧川は本当に食事中に騒ぐのが苦手らしい。というのも、幼い頃から食事中のマナーについては厳しく指導されていたからと、後にクラスメイトから聞いた。
「しかし…」
「うん?俺の顔になんか付いてる?」
綺麗に昼食に手をつける霧川を見ていたら、つい声が漏れ出てしまったらしい。いやしかし、つい目で追ってしまうほど、箸の使い方や食器の持ち方、全てが普通の人間と変わらない。むしろ人間より上手い可能性まである。
「いや、綺麗に食べるんだなって。あんまり食事中に喋れないのもそういう理由?」
「あ〜…まあ確かにそれもあるかな。でも箸の使い方はまだまだ人の方が上手いと思うよ!」
「…当たり前のように言われて上手く扱えない自分が恥ずかしいよ。」
「あはは…まあ癖はなかなか抜けないものだからね…。箸だったりシャーペンだったり、みんな大抵同じ持ち方だけど、たまに子供の頃からの持ち方のまま箸を持ってる人をよく見るよ。」
「そういう人は、直すに直せないんだろうな。」
「俺は直さなくてもいいと思うけどな〜。色んな箸の持ち方があったら、食事中に話のタネになって楽しそうじゃない?」
「全員が全員違う持ち方だったら異様な光景だろ…。」
やはり、こいつの一般常識はどこかズレている気がするな…。
放課後、担任に呼び出され色々話を聞かされた。単位が足りないだのこのままだと留年だの…結局、後日補習に来たら単位はやるという結論で今日は帰された。
空は太陽を端に追いやり、その光は鮮やかな夕空を形成していた。久しく学校で一日を過ごした俺には今日の出来事は少し刺激が強すぎた。帰ってゆっくり体を休めよう。明日は…また家を出る時間までに起きれたら考えておこう。
「しまった…。」
帰ろうとしたタイミングで最悪なことに気がついた。どうやら、教室にイヤホンを忘れてきたらしい。イヤホンくらいならとこのまま帰っても良いのだが、明日も来ないとなればしばらくイヤホンが使えない生活になってしまう。それはごめんだ。
「教室?多分まだ霧川がいるから普通に開いてるぞ?」
「霧川がですか?」
「家に帰るまでに時間があるからと、特別に教室を開けさせてるんだ。そろそろ下校時間だから、ついでに呼んできてくれ。」
教室のドアの前に着くと、俺はドアの小窓からこっそり中を覗いてみた。確かに霧川がいた。何か書いているみたいだが、ここからではよく見えない。覗いていると、霧川がこちらに気がついて席を立った。
「どうしたんだ?藍沢。そろそろ下校時間だろ?」
ドアを開け教室の中に入ってきた俺に霧川が聞く。
「そういうお前は…勉強か?」
「今日の授業の復習な!ほら、俺ってやっぱり優等生目指してるし…?」
「はいはい。俺はイヤホンを忘れたから取りに来ただけだよ。…あった。」
「へ〜わざわざイヤホンのために取りに来たの?」
「明日も学校に来れるかどうか分からないからな。」
「俺に会いたいから来たとかじゃないのか〜…ショック…なんてな。」
「冗談に聞こえないからやめろ…。」
「はは!冗談冗談!」
「早く出る準備をしてくれ。カギを閉めないといけないんだ。」
「おう!すぐ準備するわ。」
霧川がようやく教室から出てきたので、俺は鍵を閉める。辺りは既に闇に包まれ、空には星がいくつか輝いているのが見えた。
「そういえば、藍沢とまだ連絡先交換してなかったな。」
「そもそもあまり使わないからな。最小限のやつらとしか繋がっていない。」
「せっかくだし繋げようぜ!ほら、俺の連絡先。」
画面に表示されたQRコードを読み取り、連絡先に追加する。久々に誰かと連絡先を交換した為、トークの作成にてこずったが何とか作成しスマホをしまう。
「そういえば、人間と連絡先交換したの藍沢が初めてだ!」
「休み時間とかに誰かと交換する暇あっただろうに…。」
「はっ!話すのが楽しくてみんなに言うの忘れてた…!」
なんだそれ。思わず少し口角が上がったのを感じた。
すかさず霧川が、「今笑ってた?」と聞いてきたので、「別に?」と返しておいた。
家に帰宅し、自室に入ると早速霧川からメールが届いているのに気づいた。
「お疲れ!明日も学校来いよ!お前が隣の席にいないと俺が寂しいし!」(オオカミが手を上げているスタンプ)
「善処するよ」
「それ来ない奴の返事だろ!」
霧川の返事にグッドをしている顔のリアクションを付けてトーク画面を閉じる。
「明日も学校か…。」
霧川の性格ならそのうち友人も沢山できるだろうし、俺が行かずとも楽しい学校生活が送られるだろう。ただ、何故か懐かれている。そんな気がする。
学校には、あまり行きたくない。というか、行く必要もそこまでないと感じている。
小中と成績が良く、周りから見れば優等生だった俺だが、それはあくまで第三者の視点だ。実際には勉強だけしかできないし、友達もまともに作れないし、接し方も分からない。それでもこんな俺に構う好きものな奴らが、しばしば絡んでくることはあった。
今朝のメッセージを送ってきた奴もそのひとりだ。それに加えて霧川ときた。俺の周りには本当に変な奴しか来ないな…。
学校は友達を作ったり勉学に励んだり、仲間と協力して行事や放課後の部活動等に一所懸命に取り組む場所だと、俺は思っている。自分でそう思っているからこそ、それに協調できない俺は学校やクラスメイトからすれば腫れ物扱いだ。だから、今のところ高校生活中の行事や部活動の体験には一切参加していないし、参加すれば逆に迷惑がかかるだろうと思って行かなかった。すると、自然に学校へ足を運ぶことも少なくなってきた。勉強に関しては、オンラインの家庭教師等で遅れている部分は学習している。支障はない。はず。
しかし、小中と違い高校は留年の危険がある。親にも留年や浪人は絶対しない約束で自由に学校に通わせてもらっている為、さすがにこれ以上休むのには多少躊躇う。
「さっさと寝るか…。」
仕方ない。こればっかりは前期に休みすぎた自分にツケが回ってきただけだ。俺は観念して、できるだけ早くベッドに入れるようにサッと風呂と夕食を済ませて自室に戻ってくる。
明日から学校と聞くと憂鬱だと感じるのは全学生共通なのだろうか。普段と違う憂鬱さを感じながら俺はベッドに潜る。
日々こんな早い時間にベットには入っていないため、中々寝付けなかったが、目を閉じていれば自然と脳は睡眠モードに移行した。
「お!藍沢!珍しいな2日連チャンで登校は。」
「留年はごめんだ。それに、転校生の様子を観察しに来ただけだ。」
「ふーん…お前が他人に興味を持つなんて珍しいな。まだ俺にすら当たりが強いっていうのに…。」
ウジウジしているやつは置いといて、俺は足早に教室に向かう。既に霧川が普通に席に座っているのを目にして、何故か安心した。
「おはよう。霧川。」
「ん?藍沢!今日も来たんだ!昨日の返信内容的に来ないかと…。」
「善処するって言っただろ。」
「ああいうのって大体来ない人が言うんじゃ…少なくとも人の世界ではそうだって聞いたぞ。」
「どこからそんな情報仕入れてんだよ。」
「全部SNS!」
ムフーッと自慢げに喋る霧川を横目に俺は授業の準備をしてくると伝えて席を立った。
「少しは頭を撫でて褒めてくれたっていいんだぞ!ほら、こことか触り心地良くて…」
後ろから何か聞こえた気がしたが、聞こえなかったフリをしてロッカーに荷物を取りに行く。
全く調子が良い奴だ。不思議と嫌な気分はしないが…。
「なぁ、なんで藍沢はあんまり学校に来てなかったんだ?」
「お前は遠慮ってものがないのか。」
「こういうのは回りくどく伝えるより、直接言った方が素直に話せるだろ?」
霧川が転校してきてもうすぐ1ヶ月。学校ではもうすぐ来る終業式とクリスマスに、浮き足立って生活している生徒が多い。
しかし1ヶ月ともなると、クラスや学校での生活もだいぶ慣れてきたらしく、今ではクラスのマスコット的存在で生活している。…毛がモフモフなのが珍しいのだろうか。いつか自分も試させてもらおう。
俺と霧川の関係も友達と言っても遜色ない程に関係は順調だ。主に霧川の方から話しかけてくれるので、俺にとっても話しやすい。
そんな霧川が、移動教室で移動中に、突然踏み込んだ話をしてきた。俺が学校に来てなかったことは霧川が来る前の話だったはずだが。
「クラスの奴らから聞いたんだよ。藍沢はあんまり行事にも参加しないし、学校にもそこまで来てなかったって。」
「…。」
伝えるべきか。霧川なら、本当の理由を話したら分かってくれるかもしれない。俺と同じ状況になったことが、過去にあるかもしれないから。話したら、きっと霧川は受け入れてくれるかもしれない。
「別に!話したくないなら、無理して話さなくていいからな!」
霧川なら、もしかしたら。
「実は…。」
言いかけた途端、嫌な記憶が蘇る。
「気持ち悪い。」「もっと普通にできないのか?」
…やっぱりまだだ。これは伝えるべきでは無い。時期が早すぎる。
「…いや、ただ単にめんどくさかっただけだよ。」
「そうか。まあそうだよな〜。俺だってたまに学校めんどくせ〜って思う時あるし。」
「でも毎日来てるだろ?俺からしたらすげぇよ。」
「へへ…まあ藍沢がいてくれるおかげで楽しいからな!」
「こちらこそ。霧川がいてくれるおかげで前よりは幾分か学校に行くのが楽しい。」
「なら、いい加減そのちょっと距離とった話し方やめろよ〜。1ヶ月前からそこは何も変わってないぞ。」
「善処する。」
「お前な〜!」
「あんまくっつくな。周りに勘違いされる。」
「人間でも仲良かったらこういうことやるだろ?」
「そういうものなのか…?」
「そういうもんだ!」
腕で頭をがっちりホールドされて、髪をガシガシ撫でられる。周りに人が居なくてよかった。危うく俺も同じだと間違えられるところだった。
これで良かったのだろう。このままで。今が1番楽しい時間だ。どうせいつか壊れるくらいなら、もう少しこのままで。底にしまったままで生きるのが、俺にはちょうどいい。
それからも霧川は、毎日俺に話しかけてきた。よくもまあ飽きずにポンポンと話題が振れるものだ。冬休みに入ってからも霧川からのメッセージは絶えないどころか、むしろ普段より話すようになった。
「昨日夜中に雪降ってたらしいぞ!」
「寒かったしな。この地方で降るのも2年ぶりくらいだったらしい。」
「へぇ〜!そんな珍しいのか!たまたま見れた俺はラッキーだったってことだな!」
「そうだな。」
とか、
「そういえばここの課題って問題集の何ページから何ページのやつだっけ?」
「それは94ページから102ページまでだな。」
「ありがとう!」(お辞儀をするオオカミのスタンプ)
だったりと、本当に話す必要があるのかと疑問に思うくらい薄い内容でやり取りを続けていた。
冬休みも半ばとなった頃、久々のダメ人間生活を謳歌していた俺にとってはあまり良くないメッセージがスマホに届いた。
「藍沢、年末年始なんか予定ある?」
霧川からだ。この流れはきっと…予定が無ければ外に連れ出されるパターンだろう。終業式以来あまり外出していない俺にとっては少々ハードルが高い。どう返信しようか…。
「今のところ予定は無いが、どうした?」
これなら、行けるか行けないか微妙な返事と受け取れるだろう。俺は霧川からの返信を待つ。
「良かったら初日の出でも見に行かないか?ついでに初詣も!」
…これは中々ハードルが高い。冬季休暇で自堕落な生活を送っているせいで、初日の出が見られるような時間帯には高確率で起きられない。徹夜…という訳にも行かないだろう。確実に途中で眠りに落ちてしまう。しかし、他にもない霧川からの誘いだ。ここまで来て、さすがに断るようなことはあまり出来ないだろう。
「いいな。特に予定もないし行くよ。」
「やった!」(目を輝かせるオオカミのスタンプ)
「でも、もしかしたら起きれないかもしれないぞ?」
「じゃあ、初詣に行ってから初日の出を見に行く?」
「それは体力的に大丈夫なのか…?」
「お昼寝いっぱいすれば大丈夫!…かも?」
…断るべきだったかと頭の中で考えてしまうが、やはり霧川のためとなると不思議と断ることが出来なかった。言ってしまったものはしょうがないので、あと数日は早寝早起きを心がけてみよう。幸いにも霧川は昼夜逆転生活とは無縁の存在らしいので、最悪電話をかけて起こしてもらおう…。
…?スマホがバイブレーションした気がする。重たい瞼のせいで、目が開けたくても開けられない。何とか手でスマホを探り、画面が明るくなったところで目が開けた。
「起きてる?」
時刻は…12時?いや、11時か。いつもはすぐ視認できる程大きい壁掛け時計のはずだが、視界がぼやけて中々見ずらいことになっている。重たい瞼を擦り、霧川にメッセージを送る。
「ああ、今起きたよ。おはよう。」
「おはよ!さては寝坊助か〜?」
「約束までまだ時間はあるだろ?」
「午前ギリギリで起きるとかお寝坊さんすぎる!」(怒っているオオカミのスタンプ)
「どーどー。」
「それは馬にやるやつ!」
霧川をおちょくった所で一旦メッセージは閉じて、俺はベッドから体を起こす。さっきまでぼやけていた視界も、今はようやくはっきりとしてきた。
今日は大晦日。霧川によれば、初詣の場所は少し離れた有名な神社らしい。電車で30分ほどで着くらしいのだが、何せ人が多いだろうと予想して、2時間ほど早く出て余った時間で近くを散策しようということになった。神社の周辺は城下町のような街並みも有名らしく、出店で賑わっているだろう。時間を潰すには勿体ないくらいだ。人が多いのは少し困るが、それも割り切るしかない。
「そろそろ行くか。」
時刻は午後8時30分。霧川との待ち合わせ場所は学校近くの駅ということになっていたので、少し早めに家を出ることにした。玄関にかけられている金属製のカギを触ると、冷蔵庫で冷やされていたのだろうかと思うような冷たさが指から伝わってきた。外に出ると風が冷たく、外気に触れている顔や耳は氷を押し付けられている様な冷気が容赦なく風で運ばれてくる。持ってきたカイロも、この寒さでは気休め程度でしかないだろう。役に立たないカイロはポケットに放っておいて、足はやにバス停へ向かった。
バスを降りると、駅前の時計は8時54分の時刻を示していた。霧川は…
「お、藍沢早いな!」
ちょうど横断歩道を渡って向こうから走ってくる霧川の声が聞こえた。普段の制服姿と違い、私服だといつもより霧川のイメージが強調されている気がする。
「もしかして待ってた?」
「いや、今来たところだよ。」
「うわ〜なんか恋人っぽい!」
「定番だろ。こういうの。」
「彼氏に言ってもらいたいセリフランキングだとトップ10に入るよ!」
「よし、今度から言わないようにしよう。」
「ごめんごめん冗談!今後とも言ってください!俺が助かるから!」
「ますます言いたく無くなるんだが…?」
漫才のような掛け合いが弾む中、列車を待つために駅構内へ進む。少し早くついた俺たちは、予定より早めの列車で向かうことにした。
「やっぱ人多いね。」
「みんなその神社に向かってるんじゃないか?」
「そうかも…まともに歩けないくらい人多かったらどうしよう…。」
「その時はその時考えればいいだろ。」
いつもよりボリュームが抑えられた霧川の声は、驚くほど落ち着いた声で少しギャップを感じてしまった。普段は元気の塊みたいな霧川なのだが、列車の中では流石に周囲のことを考えていたのかあまり会話は弾まなかった。そのせいか、隣に座っていた霧川が少し眠たそうにしているのが目に入ったた。
「眠いのか?」
「うーん…今日が楽しみすぎてあんまり寝れなくって…。」
「遠足前の小学生か。」
「うーん…チビじゃないもん…。」
霧川の頭が列車の揺れと同時にカクンカクンと大きく揺れている。これは落ちるな。と思った途端、予想通り霧川は俺の肩にもたれかかって眠ってしまった。いつもはこんな近くで見ることの無い霧川の顔や耳、毛並みが、今ははっきり近くで観察できる。…なんか、オオカミって言うより犬に近い気がするな。思わず、俺は霧川の頭を撫でてみた。フワフワしていて、とても丁寧に手入れされている毛並みだ。今日のために準備してきたのだろうか。撫でている間、霧川は幸せそうに俺の肩で眠っていた。
あと2駅ほどで目的地に到着するみたいだ。俺は霧川の肩を揺さぶって起こそうと試みる。
「ほら、そろそろ着くぞ。霧川。」
「んー…。あとごふん…。」
「着いても寝たままだったら置いてくぞ。」
「ひどい…。ふあ…。」
霧川は目を擦りながら、大きなあくびが出ていた。間近で見ると迫力を感じる。…あくび中に指を入れるやつをやったらどういう反応をするのだろう。今度試してみるか。
「何かすごいいい夢を見た気がする…!」
「それは良かったな。」
目的地に到着した俺たちは、神社に向かう前に近くの街並みを見ていこうと歩き出した。スマホを取り出して見ると、時刻は9時30分過ぎを示している。時間は多くあるので、ゆっくり回れそうだ。
「やっぱり…予想通り人が多いな。」
「でも、あそこら辺に屋台が出てるよ!人もちょっとだけ空いてるし見に行ってみようよ!」
差し出された手を思わず取って、霧川について行く。手を繋ぐという行為は、果たして何十年ぶりだろう。霧川の体温や肉球の感触が直に伝わってきて、なんだか少し恥ずかしくなってきてしまう。霧川にも、俺の手の温かさが伝わっているのだろうかと考えると、ますます体温が上がってくる。手を繋いだ男2人が、こうして人混みの中をはぐれないように手を繋いで進んでいるのは、傍から見れば恋人か何かかと勘違いされてしまうかもしれないな。でも霧川となら、それでも大丈夫かと思えてしまった。
「わ〜!フライドチキンとかあるよ!めっちゃでかいやつ!藍沢の顔くらいあるよ!」
「さすがにでかすぎないか?」
「おじさん!これ2個ください!」
「はいはい!2個で1200円ね!」
「もう買ってるし…。」
屋台ではしゃぐ子供のように尻尾や耳がパタパタと揺れている。霧川は目を輝かせながら、2人分のフライドチキンを持ってきてくれた。
「はい!藍沢の分。」
「ありがとう。」
「いっただっきまーす!」
ザクッ、といい音を立て、霧川はフライドチキンの4分の1ほどを一口で食べてしまった。
「頬張りすぎじゃないか?」
「へもほいひいよ!」
幸せそうな顔で食べる霧川をしばらく見ていたら、
「そんな俺ばっかり見てないで藍沢も早く食べないと、冷めちゃうよ?」
「…ああ、そうだった。」
今度は俺がかぶりつく。チキンはザクッとまたいい音を立てて、噛む度に肉汁が溢れてくる。衣だけで薄いかと思っていたのだが、結構肉厚なフライドチキンだ。ひとつで十分なほどお腹に溜まる。ふと横を見ると、霧川は既に完食しているようだった。
「食べるの早いな。」
「人より口が大きいからね!ほら、早く食べて次の屋台に向かおう!」
その後も何店か周り、フルーツ飴やフランクフルト、あまり目にしないトルネードポテトなど色々食べに食べ歩き、お腹も満たされた辺りで俺たちは神社に向かい始めた。大通りから向かうと確実に混雑していると霧川に言われ、俺たちは人気のない裏道から神社の入口まで進むことにした。
「ほら、ここら辺暗くて足元が見えにくいから気をつけてね。」
「ああ。」
「…そういえばさっき無意識に手繋いじゃったけど、大丈夫だった?」
「混雑していたし、あのままはぐれるよりはマシだろ?」
「…そっか!」
…?霧川の表情が少し曇ったような気がしたが、暗くてよく見えなかった。見間違いかもしれないな。
それからしばらく、俺たちは無言で歩いていた。霧川がこんなにも静かなのは今まで見た事がない。いつもの霧川とは違う雰囲気だ。いたたまれなくなった俺は、自ら話題を提示してみた。
「霧川。」
「?」
霧川が振り返る。いつもの元気で明るげな笑みとは別に、落ち着いた笑みを浮かべてこちらを見つめている。
「その…こんなところでする話じゃないと思うんだが…なんで男が好きになったんだ?」
「あー…急だね。どうしたの?」
あの時、霧川に言われた事を思い出して、同じように伝えてみる。
「話したくないなら話さなくていいんだ。ただ…気になっただけで。」
「ううん。全然話してもいいよ。でも…もうすぐ神社に着くから、もうちょっと後で話す!」
人差し指を口に当て、いかにも秘密!みたいなポーズをとって、前に振り返り歩き出す。時刻は午後11時42分。年明けまであと30分を切ったところで、俺たちは神社に到着した。
「うわ〜!やっぱり人多いね!」
「裏から回ってきてもこの人集りか…。」
やはり有名な神社なだけあって、裏から回ってきた地元の人らしき参拝者も多く見える。新年まで少しだけ時間があるので、神社内にある屋台をまた見て回ることにした。
「いや〜今年もあとちょっとで終わるね〜!怒涛の一年だったよ!」
「そこまで大変だったのか?」
先程、また屋台でデカめの唐揚げを買っていた霧川が必死に説明する。
「だって、学校に行くには色々テストとか運とかが絡んでなかなか選ばれないんだよ。志願者も多い中で選ばれるのは奇跡みたいな確率なんだよ!」
そういえば、獣人型生徒の公立学校への適応テストとやらで、霧川はうちの学校に転校してきたのだった。テストの内容は詳しく公開されていないのだが、霧川が言うにはこのテストを受ける前にも様々な試験を受けたのだと。
「他にも選ばれたやつはいたのか?」
「うん!俺の友達も、ここからは遠いけど別の学校で楽しく生活してるよ!全部で…何人くらい受かったんだっけ?」
「俺が知るわけないだろ…。」
何十、下手すれば何万分の一の確率で霧川がうちの学校に選ばれたのかもしれない。そう思うと、霧川との出会いも自然と奇跡のように思えてきてしまうな。そう考えていると、霧川が急に手を引いて前に進み出した。
「そろそろカウントダウン始まるよ!俺達もあそこでやりに行こ!」
先程と同じように、霧川が手を引いて先導し、俺が後からついていく状態になった。カウントダウンはどうやら境内の前で行われるらしい。移動してきた時には、既に人が大勢集まっていた。
「うわ!こんな人が集まってるの見るの初めてかも!」
境内の中でも開けた場所に着いたところで、俺はスマホを取り出す。残り1分ほどで新年だ。
「あと何秒くらい?」
「50秒くらいだな。」
俺のスマホをのぞきこんで時刻を確認する霧川。首元にもふもふの毛が当たってくすぐったいのを我慢して、霧川にスマホを見せた。
「来年はどんな年になるかな〜?」
「さあな…。進級してクラスが変われば、俺達も会わなくなるかもしれないし。」
「そしたら毎日休み時間に会いに行ってあげるよ!藍沢いっつも1人だし。」
「一言余計だ。」
「あ!カウントダウン始まった!」
神社内のスピーカーからアナウンスが流れ始め、カウントダウンがスタートした。周囲にいた人たちも同じようにカウントダウンを始めているようだった。
「7!6!5!」
あと5秒。
「2!1!…ハッピーニューイヤー!こういう時はあけおめって言わないと!」
周囲の人々が一斉に「ハッピーニューイヤー!」と叫び始める。霧川もそれに乗っかり、大きい声で叫んでいる。
「あけましておめでとう。今年もよろしく。」
「うん!よろしく!」
「じゃ、せっかくだし早速御籤でも引きに行くか。」
「賛成〜!」
「ほら、手。はぐれるから。」
手を差し出してみる。恥ずかしさを堪えながら霧川の顔を伺うと、信じられないというような目でこちらを凝視している。
「お前、ホントに藍沢か…?」
「じゃあ、手は無しで。はぐれず着いてこいよ。」
「嘘嘘嘘!繋ぐ!繋ぎます!繋ぎたいです!」
普段自分がエスコートする側だったからか、霧川はあまりこういうのには慣れていないようだ。少しだけ動揺している霧川が見れたので俺は満足だが…やっぱり恥ずかしいな。これ。
社務所に着いて、お守りと御籤を見る。やはり人が多く来ることを見越してか、様々な種類のお守りが用意されていた。
「じゃあ…俺はこれで!」
「俺は…これでいいか。」
「そんな適当でいいの?せっかくならこっちも…」
「こういうのは持っておくだけで効果は期待しないものだろ。」
「え〜つまんないな〜。」
霧川は恋愛成就のお守り。俺は学業成就のお守りを選び、今度は御籤を引きに行く。
「うーん…これ?いや…こっちかも…うーん…。」
「どれ選んでも確率は変わらないだろ。後ろも詰まってんだから早く選べ!」
「そんな急かさないでよ〜!じゃあ…これ!」
数分の格闘の末選んだ御籤を開けて、中身を確認する。
「やった〜!大吉!藍沢は?」
「俺は…吉だな。」
「あ〜…まあ中吉よりいいから!」
「無理してフォローしなくてもいいんだぞ。」
小吉や吉はもはや御籤の中でも定番中の定番な当たりだろう。対する霧川は大吉が引けて嬉しそうにしっぽを降っている。
「じゃ、用も済んだしさっさとお参りしに行くか。絶対並んでるし時間かかるだろ。」
「賛成〜!」
後ろから突然手を掴まれて、霧川の手だとわかった瞬間俺も強く握り返す。先程まで冷たかった指先が、2人の体温で温まっていく。繋いだ手から、霧川の嬉しそうな感情が伝わってきている、そんな気がした。
本殿前に着いた時、参拝者の列を見て俺は足から崩れ落ちそうになった。誰がどう見ても長蛇の列だ。参拝までに何十分かかるのだろうと計算しようとしたが、あまりに長い時間が出てきそうで途中で諦めた。
「…並ぶ?」
「…霧川に任せる。」
「そういうのずるいな〜…。まあ日の出まで時間もあるし、ここで時間潰しながら並ぼうよ。」
「それもそうか。」
どこに行っても、大抵元日の神社はこれくらい混んでいるはずだ。仕方ない。諦めてこの長い列で時間を潰そう。
「そうと決まれば、何かあったかい飲み物とか欲しいよね〜…。」
「何か自販機とかで買ってこようか。飲みたいものは?」
「じゃあ、藍沢に任せた!」
「お前の嫌いなやつを持ってきても文句言うなよ。」
「大丈夫!」
俺は列をはずれて近場の自販機を探す。幸い、神社を出て近くに暖かい飲み物が売っている自販機を発見したので購入する。
「俺はカフェラテで…霧川にはココアでもいいか。」
ガコンと重たい音を立てて2人分の飲み物が落ちてくる。この寒さの中の暖かい飲み物は、誰もが分かりきっている程に格別だろう。冷めないうちに早く戻ろう。神社内に戻ると、初詣に来た人で先程よりさらにごったがえしていた。この人混みでは見つからないかと焦ったのだが、霧川の特徴的な耳が目印になり早く戻ってこれた。
「飲み物サンキュ!てかよく見つけられたね。」
「背も高いし、何より耳が分かりやすいしな。」
「そんな分かりやすい?意外と他にも歩いてる獣人いるし、見分けつきずらいと思うけどな…。」
2人で他愛もない話をしていると意外とスムーズに列は進み、俺たちの順番が回ってきた。確か、二礼二拍手一礼とかいうルールがあった気がするな。一応やっておくか。霧川も同じように、二礼二拍手一礼のルールを律儀に行っているようだった。
(……。)
こういうのは願い事を言わずに感謝を伝えるべきだとどこかの記事で読んだ気がする。真偽は不明だが。最後の一礼をした所で同時に霧川も終わり、長い参拝がようやく終わった。
「霧川は何をお願いしたんだ?」
「そういうのは言っちゃったら叶わないってよく言うでしょ!秘密だよ〜。」
わざわざ後ろに振り返り、霧川は少し意地悪そうに笑ってみせた。
「それじゃあ、今度は初日の出の場所に向けて出発〜!」
「ちなみにどの辺なんだ?」
「え〜と…15分くらい?歩いて向かうよ。」
「もしかしてまた坂道を登るのか…?既に足が限界に近いんだが…。」
「さっき休んだしもうちょっとだけ頑張って…!」
時刻は午前5時37分。予報によれば、日の出まで残り1時間と少し程だ。早く行って日の出がよく見える場所を確保したいらしく、俺たちは予定より少し早めに神社を後にした。ここから15分…持ってくれ俺の足…。
15分という予定より少し時間はかかったが、ようやく見晴らしが良い場所に到着した。空は既に白け出しており、星もいくつかは姿を隠してしまっている。
「あっ!あそこのベンチからでも日の出が見えるかもよ!」
「座れるのはありがたい…。足がもうパンパンだ。」
「後ちょっとだから頑張ってー!」
大きな手で手招きする霧川のもとへ走り、ようやく腰を下ろすことができた。
「ふー。何とか間に合って一安心かな。」
「しばらく動けない…。」
「普段から運動してないからすぐ疲れちゃうんだよ!もっと俺みたいにアクティブにだね…。」
「霧川は獣人だからスタミナの基準が違うだろ…。」
「あはは!確かにそうかもな。」
おかしそうに笑う霧川。白けだした空と霧川の毛並みの色も相まって、とても輝いて見えた。
「ところで、さっきの話の続き。してくれよ。」
「さっきの?」
「神社に向かう途中に言ったろ?」
「あー…あれね?うーん…。」
少し困ったような顔を浮かべてみる霧川。こういう時はもっと楽しい話をするべきだと思うが、何故か俺は今聞くべきだと、直感的にそう感じた。逆に今を逃せば、もう二度と聞くことが出来ないと、そう思ったのだ。
「ほんとに今じゃないとダメ…かな。」
「さっきも言ったけど、話したくないなら話さなくていいんだ。」
「…もうちょっと考えてもいい?」
「もちろん。」
数分…いや、数十分は2人で、ただ世界が流れる景色を眺めていた。霧川はその間、自分の手に視線を落として、俯いたままだ。霧川にとって、この先の俺との関係を左右する大きな問題なのだろう。時間をかけてでもいいから、少しずつ話して欲しい。まだ日の出までは少し時間がある。
「俺、ここに来る前に数ヶ月一緒に過ごした獣人がいたんだよ。」
大きく深呼吸したかと思えば、霧川は呟くようにそう話し始めた。
「ここに来る前って?」
「言ったろ?このテストの前に何回も試験を受けてきたって。その時に一緒に試験に参加してたやつなんだけどさ。俺は…そいつの事が好きになって初めて男が好きだって気がついたんだ。」
「そいつとはもう会ってないのか?」
「うん。俺より先に試験を通過して、先に他の場所でテストを受けてると思う。」
「…どこに行ったのか分からないのか?」
「…うん。」
「どんなやつだった?」
「俺より背が高くてかっこいい黒い毛のオオカミ獣人でさ。性格がほんとにお前と似てて…最初は付き合いずらそうにしてたけど、俺と話して行くたびにやっぱり面白いやつだって、そう感じてさ。毎日飽きるくらいに絡みに行ってはウザがられて…でも、そいつも満更でもなさそうだったよ。」
また、普段の霧川と違う。これが本来の霧川の話し方なのかもしれない。落ち着いて、どことなく寂しげに語る霧川は、まるで散らばった言葉を集めて直すようにゆっくり話す。
「あいつの試験が終わって別れるって時に、お前のことが好きだって。そう、言ってみたんだ。」
「…結果は?」
首を横に振る霧川。表情は先程と変わらず、少し寂しげなままだった。霧川の想いは…そいつには届かなかったのか。
「そいつ。こう言ってくれたんだ。『お前が俺を好きでいてくれたことはとても嬉しい。でも、俺がお前を受け入れてしまったら、世間はお前を、この世界の異端者だと、そんな後ろ指を指すだろう。俺には、お前をそれから守れる勇気がないんだ。』ってさ。泣きそうだったよ。実際、その日の夜は自分の部屋で泣きじゃくったし…。」
「…。」
霧川は、丁寧に言葉を引き出すように、そう話してくれた。そして、既に溢れそうな涙を目に浮かべて俺にこう伝えた。
「バカだよね…。実はさ俺、藍沢とそいつを重ねてたんだ。ずっと、ずっと、転校してきた時からずっと。あいつが帰ってきたみたいな気持ちになって、今までずっと接してきてた。実際今も藍沢が好きで、でもこんな話をしたらきっと、藍沢は俺の事を嫌いになっちゃうかもって…。それで、ずっと、話せなかった…。」
ダムが決壊したように、霧川の心を堰き止めていたものがとめどなく言葉として、涙として溢れてくる。ずっと隠してきた気持ちを打ち明けて、こんなにも俺に真剣になって、今も話をしてくれた。
「…霧川。」
霧川の気持ちに気づいて、見て見ぬふりをして。本当のことを伝えたら、この関係はいつか崩れてしまうかもしれない。そうやって脅えていた俺の方がよっぽど卑怯で臆病者だ。今度は俺が、霧川に本当のことを伝える番だろう。
「…何?」
目元を必死に拭って、溢れ出る涙を拭いて、霧川は俺を真っ直ぐに見つめる。
「霧川が、俺のことを好きだっていうのは…何となくわかってた。」
「…うん。」
「俺にも昔好きなやつがいた。でもそいつ、男でさ。当時は彼女が出来なさすぎてついに気が狂ったのかって思ってた。」
「…ふふ。」
優しく笑いかける霧川。もうすぐそこまで来てる太陽の光が、霧川の目を淡く光で照らしていた。
「でも、ついに自分で自分が分からなくなって、両親に相談してみたんだ。そしたら、『気持ち悪い。』だの『もっと普通にできないのか。』だの言いたい放題。納得がいかなくて口論になった。反抗期って言えば反抗期だったのかもしれないな。受験が終わったら俺は学校にも行かずに、家でずっと引きこもってた。結局…そいつには何も気持ちを伝えられなかったな。」
「後悔してないの…?」
「してないと言えば嘘になるな…。けど、今はそいつより、もっと大事にしたいやつが出来た。」
日が、登り始める。辺りが眩しいほどに輝きだし、霧川の涙でぐしゃぐしゃになった顔も、今にも溢れだしそうな涙を堪える目も、同じように美しく照らされ始める。
「何度も悩んだ。何度もぶつかった。その度に考えた。俺らはきっと紛い物で、どんなに愛し合っていたとしても、世間から見ればただの人と獣人に過ぎない。いつでも容易く他人に非難され、壊され、崩壊しかねない。」
「…そうだね。」
「それでも霧川は、人を、こんな俺を好きになってくれた。誰かと重ねていたっていい。霧川が俺にくれた時間は、他にもない、俺のために費やしてくれた時間だ。だから…。」
深呼吸。霧川がそうしていたように、言葉を、丁寧に、ゆっくり、今まで以上に気持ちを込めて、霧川に送る。
「好きだ。霧川。」
かつて心底にしまったはずの言葉を、優しくすくい上げて、俺は霧川に渡した。
「好きだ。霧川。」
聞き間違えてないか。いや、間違えるはずがない。僕が、本当に聞きたかった言葉なんだから。こんな僕を、優しく受け入れてくれるたった一言。あの時、本当にかけて欲しかった言葉をくれるのが、まさか君だなんて思わなかった。
初めて会った時、「僕と君は似ている。」そう直感した。本音は隠したままで、誰にでも本当の自分を見せずに接している。昔の自分を見ているみたいで、すごく驚いたな。だから僕も、君を底から引き出すために「明るい霧川」を演じた。誰にでも積極的に話しかけに行くような、そんなアクティブなキャラだったら、きっと君のことも自然と気にかけられる。案の定、君は僕を「変なやつ」だの「変わってる」だの言ってきたけど、君のためなら僕はどんなオオカミにだってなってやろうって、そう思えたんだ。
そんな君が、今こうして真剣に僕と向き合ってくれている。たった二文字に込められた意味が、僕にとってどれだけ大切なものか、きっと君は分からないのかもしれないな。
「霧川。こっちに来てくれ。」
藍沢が手を広げて僕を待ってくれている。もう、上手く顔が見えないほどに涙が溢れて止まらない。ゆっくり、一歩ずつ進んで、藍沢の方へ歩み寄る。近くまで行くと、藍沢の小さい暖かな腕で、精一杯のハグをしてくれた。
「…答えを聞かせてくれ。はっきり言ってくれないと、いつ居なくなるかわからないからな。」
「…ずるい。ここまで来て、まだ分からないなんて言わないでよ?」
「で、本当の答えはどうなんだ?」
「…俺も好きだよ。君が思ってるより何十倍、何百倍も君のことが好き。」
面と向かって直接言うのは、ちょっぴり恥ずかしい。でも、二人だけなら。そう思って、沢山好きと伝えた。藍沢の腕の中で、沢山泣いてしまった。
何もかも許して受け入れてくれているような、そんな暖かさが藍沢の全身から伝わってきた。藍沢は僕が泣き止むまで、ずっと抱き締めてくれていた。
僕たちのこの関係は、もしかしたら人生で十分の一にも満たない青春のようなもので、いずれ何かの拍子に崩れてしまうかもしれない。世間は僕たちを、きっと認めてはくれない。
でも、もう大丈夫だ。僕たちはちゃんとやっていける。生きていける。誰がどう言おうと、これは僕の人生。いや、きっと僕たちの人生だから。
「どうした?早く帰るぞ、霧川。」
優しく呼ぶ彼がとても愛おしくて、思わず駆け寄る。
「ちょっ…。」
彼の頬辺りにマズルを押し付ける。呆気にとられたような顔をしている彼を、大好きな彼の名前を、精一杯の好きを込めて呼ぶ。
「どうしたの?早く行こ!藍沢!」
春の始まりを告げるような暖かな風が、二人の間を通り抜けた。
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