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光なき途 18

  薄暗い部屋の中、珊瑚礁の如く積み重なり独自の植生を形成する本の塚に占拠された僕の部屋。落ち着く穴倉に腐れ縁以外の影。

  「半年前の調査から体重上昇に身長も3cm上昇、成長期にしても生育速度が急。サンプル数が少ないから断定に過ぎないけれど混血種の特性が濃く出てますね」

  碧いシミの残るベッドに横たわる山脈は見慣れた暖色ではなく寒色。濛々と燃える藤色の鬣を数本毟って小瓶に移す。

  「医者でも学者でもない僕にあれこれデータを採られるのも辛くないですか」

  「混血というのは何かと不便で医者にもたらい回しにされる。たとえ肩書きが無くとも俺は信じる」

  調査に支障の無いよう黒のボクサーパンツ一枚でだらり寝転がるのは玲音さん。僕の協力者として寝虎に出会った頃から定期的に身を差し出してくれている。データが少ないから保身のために手を引くのは間違いではない。ましてや生物学はタブーで専門家を探すのも難しいだろう。……身近に居ても僕からは声を掛けたくない。

  「寝虎も世話になっていたようだし、俺にできる事なら何でも言ってくれ。受験生だからと言って遠慮はいらない」

  僕のベッドに収まりきらず、足を投げ出している巨体から。被毛や体液とサンプルを採取し、専用のノートに万年筆で書き留める基礎データと所見。ネコ科は起源を辿ると狩猟に特化している。ゆえに筋肉質になるのも頷けるが、著しい生育の良さに気にしてこなかった痩せ気味の体にコンプレックスを感じる。

  寝虎も玲音さんに対して同じ気持ちを感じて来たのか。と、陰影のある胸から視線を下げて行き、黒い布が覆う“ふくらみ”を捉えると同時にサッっと顔を背けた。

  「それにしてもちゃんと食べているのか」

  「ひぁっ」

  腕を引かれ、白衣の下に手を忍び込ませて胸に腰をなぞられる。

  「身長もあんまり伸びていない、痩せ型であばら骨も浮き出ているじゃないか」

  大型種ゆえに努力も無しに身長だけは伸びて行く。運動は面倒で光を浴びなければならないから避けてきたのに、生育の為に食事も運動もしなければならないのか。

  「今度うちに遊びに来なさい。俺がごちそうするから」

  頭を撫でられ迫られる、白衣を剥かれ僕に抵抗する手段は__無い。いいや小学生の頃からお世話になっているのに何故僕は汚されると防衛体制を取っているんだ。

  「おじゃまになるから」

  息も絶え絶えに応えて床に転がり、本の塚にもたれベッドの上を見上げる。僕に合わせて作った薄闇に映える黄色の目は今も僕を捉えて離さない。

  「俺も家からそう遠くない大学にしか応募してないから困った時はいつでも言ってくれ。一狼は俺と寝虎の恩人なんだから」

  床に畳まれていた規格外の制服に手早く袖を通して。この穴倉から外へつながる扉を開け僕に一礼し出て行く、カリウムが燃えているかのような房を左右に揺らし悠々と。

  「玲音さんには寝虎が居るのに、僕は何を期待していたんだ」

  暗く閉ざされた海の底。一人取り残された僕は乱れた白衣の裾を握り、床に座り込んだまま震えた身体を抱きしめていた。

  ***

  望んでいなくとも朝は来る。冬のダイヤモンドを白く塗りつぶし現れる太陽の下、学生らしく振舞わなければならない。夏に比べれば多少体調が良くとも定刻までに校門を潜り、教室の自分の席に座っていなければならない。座ると同時に担任がやってくる今朝はギリギリセーフ、少し離れた席の葉介がチラリとこちらを見ていた。

  「一狼、最近ヘンだぞ。朝弱いのはずっとだろうけど」

  授業終わり、波長の長い光がコヨーテの被毛を照らし黄金色に輝く。

  「ヘン、とはどういった状態を指すんだ」

  「うーん、おれにカイセツさせるのは……」

  腕組みしていた手を頭の後ろに持って行って、背負っていたギグバッグにぶつけ咄嗟に僕の右腕に縋りつく。

  「……ごめん、忘れて」

  「うん、まあ」

  歩幅の狭い鷲己に合わせてきたから似た体格の葉介に合わせるのは苦でもない。一定の距離を保って気まずく続く廊下、角を曲がりそれぞれの部室に別れるまであと一つ曲がれば今日はお別れ。

  「あのウチアゲから、おれ。鷲己に勉強教えてもらってるんだ。それで寝虎の事とか、一狼の事とか__」

  沈黙に耐えきれず話しかける、この背の低い悪友はたまにどうあしらえばいいのか分からなくなる。知れば知る程に積み上がるわからない事。

  「おれだって、寝虎も鷲己もきっと一狼を心配してるんだ。だからその……困ったら言えよ。ぶ、部活あるからまたな!」

  どっちが本体か分からなくなるその背を見送って「困る、とは」厳密に正確に言葉の意味を洗っても僕に適した答えはきっと見つからない。

  煌星先輩が入部して一ヶ月半が過ぎ、少しは標本の整理が進んだ科学部室に着き通学鞄を投げ出す。フックに掛けていた白衣を羽織って仮眠スペースに寝転がって枕を嗅いでも寝虎のニオイは残っていない。

  「僕は僕をもっと知りたいんだろう。でもその為には比較する他者が必要、つまり『君』」

  切り離され、傷つかないために切り離してきた縁。白衣は憧れで、僕とそれ以外を隔ててデータと僕を護る壁。観測点が動けばデータとして使い物にならないのに、僕は酷く脆くてあの面倒な腐れ縁が今は愛おしい。

  「煌星先輩も軽音楽部で毎日は来られないし、今年の活動纏めないと。新入生によって混ざっちゃうかもしれないし」

  ゆらり、立ち上がって机の上から書籍を固め鉱物標本はラベルと一緒に箱の中へ。手前に散った砂粒に固形栄養食の粒を集めてごみ箱に捨てる。

  机の隅に転がる瓶は、煌星先輩に実験を見せたくて見つけた鉄粉と塩化ナトリウムにマグネシウムリボン。あの日、僕が一口飲んだだけのコーヒーを片手に自慢の標本を眺めていた先輩に下校時間まで説明しても快く聴いてくれていた。そんな先輩が少しでも長くこの部屋に居てくれたら……いいのにな。

  そんな放課後を一人過ごしているとドタドタと音を立て、扉をノックもせずに押し入ってくる影が現れた。

  「なんか今日は気分が乗らないから、来た」

  「……ノックもせずに入ってくる奴になんと声を掛けろと?」

  なんだ、寝虎か。後ろから顔を覗かせるのは鷲己。

  「私は止めたのだが」

  「そうか」

  ずかずか入ってくる腐れ縁にわざとらしくため息を吐く。

  「ところで、一狼は何をしていたんだ」

  「部室の整理。面倒だけど集めた標本が混ざって見つからなくなる方が面倒だから」

  「それはいい心がけじゃないか!“たまたま”私も見回りが終わって暇だから手伝おう。ほら、寝虎も無駄に身体はおっきいんだから手伝ったらどうだ。部活サボってるんだし」

  “たまたま”を強調する鷲己とその頭を乱暴に撫でて所在なさげにしている寝虎。

  「わかったよ、じゃあ俺はそこで寝ているから終わったら起こし__ふぎゃ!」

  言い切る前に鷲己の手が強かに寝虎の尻尾を握り、渋々目の前の書籍を積む寝虎。

  「私は見るからにゴミと言えそうなものを集めておこうかな」

  「鉱物標本の価値は僕にしか分からないだろうし、仕分けるから持ってきて。……鷲己、それ鉱物標本のラベル。採取地や分類名が書いているから無くなったら一大事」

  茶褐色の手に握られた白い紙を指差し言う。

  「それと寝虎、主に寝虎が使っていたんだから布団干して」

  仮眠スペースに敷かれ続けていた敷布団を干し、いつ標本が来ても受け入れられるように使わない道具をまとめる。望遠鏡に顕微鏡はもう見張っていない。

  「結局、何故科学部室に来たんだ。二人とも途中から黙々と作業して」

  パンパンに膨れ上がったゴミ袋を分担して持ちゴミ置き場に向かう。日が暮れて一番星がもう光っている。

  「そういう一狼も……いや、いい」

  顔を逸らす寝虎。

  「わ、私はまた天体観測したいなって思っていたんだ。冬のダイヤモンドとか」

  「そうか、じゃあまた僕の家に」

  それぞれの途へ歩く腐れ縁の背を見て、僕も頑張らなきゃならないな。後の人が置きやすいようにゴミ袋を詰めて置いて。

  「……金鑢?袋にも入れずなぜこんなところに」

  用務員さんが間違えて置きっぱなしにしたのかな。深く考えずに腐れ縁と一緒に帰るべく足早に近寄った。

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