ケモホモ男子寮(公認)に放り込まれた俺の受難な高校生活7

  「あ、先輩おはようございます!!」

  不意に背後から声をかけられたかと思えば、そこには寝巻き姿の上柴が立っていた。狐獣人の毛皮よりもフワフワとしていそうな純白のパジャマ。ちょっと触りたくなる衝動を堪える。

  上柴はどうやら上機嫌なようで、尻尾を優雅に振りながらニコニコと微笑んでいる。

  「…………お疲れ。どうしたんだ?」

  「朗報ですよ!昨日演劇部に新入部員が入ったんです!!」

  あまりにも嬉しそうなもんでへぇーと口に出すことはできなかったが、正直あまりどうでもよかった。一応俺は演劇部に在籍してることになってるけど、雑用係だし半ば無理やり入れられたようなものだ。上柴ほど思い入れはない。まぁもちろんそんなこと本人に伝える気はないけれど。

  「新入部員って…………どんなやつだ?」

  「僕と同じクラスの籠谷くんです。一年生は僕しかいなかったので、嬉しいです!」

  「あ……あぁ……………よかったな」

  籠谷って確かあの上柴のストーカーだ。三日くらい前だったか、こーすけと協力して捕まえたやつ。まだ三日しか経ってないのにまるで昔のことのように感じるのは、俺のなかで終わったこととして片付けられてしまったせいだろうか。

  一応今のところ、上柴は籠谷がストーカーだってことを知らない。アイツもまずは好感度を上げるところから始めたんだろう、確かに演劇部に入れば上柴からは好印象だろうな。

  とはいえ籠谷の頭がおかしいことはよく知ってるし、まぁちょっとは警戒しておいた方がいいだろう。というかそれよりも。

  「…………なぁ、俺入部届け出してから一回も部室に行ってねぇんだけど……大丈夫なのか?」

  「あぁ、まだ脚本ができてないらしいので大丈夫だと思います。このゴールデンウィークで仕上がると思うので、五月になったら呼ばれるかもしれませんね」

  あの可愛らしいウサギ獣人の椎名先輩。あの人が確か脚本監督を一人でやってるんだった。文化祭に向けてのことらしいけど、その熱意が半端じゃないことはよく伝わってくる。

  上柴は頭を軽く掻いて、耳をピコピコ動かした。

  「渡嘉敷先輩はゴールデンウィーク中実家に帰られるんですか?」

  「いや、寮にいることになった。帰りたかったんだけどな」

  ゴールデンウィークはほんの5日くらいしかないけど、その少しの間でも島に帰れたらかなり嬉しい。カイや島のおじぃおばぁに東京での話を聞かせてやりたい。一部改変が必要なところもあるけど。

  ただじぃちゃんは最後まで頑なに帰ってくるなの一点張りで、他の島のみんなも説得できなかったらしい。夏休みに帰ることは了承してくれたものの、これから5日間は寮で過ごすことになった。

  「上柴は帰るのか?」

  「えぇ、親が過保護なもので………僕はもう少し、のんびりしたかったんですけどね」

  苦笑いを浮かべる上柴に、親の顔が思い浮かぶ。上柴の親は上柴香織という有名な女優だ。子煩悩って話は聞いたことがなかったけど、実の子供が言うんだからそうなんだろう。俺たちはちょうど真逆の意見を持つ保護者に振り回されている。交換できたらよかったのにな。

  ふと、甘い香りが鼻腔を伝っていく。

  「…………………………………………………………」

  「………………っ、……………………先輩?」

  少し顔を前に傾けて、目を閉じて匂いを嗅ぐ。上柴からするのは懐かしのハイビスカスの匂い。これを嗅ぐ度に島のことを思い出して、なんだか切なくなる。

  軽く数度、息を吸って、吐いてを繰り返せば、俺の脳内には十分すぎるほどの匂いが溢れた。上柴はシャンプーを変えてから、かなり体臭が匂うようになった。もちろん良いことなんだけど。

  「…………………………………………………………………………」

  「………………っ……………………………………………………」

  「…………………………ねぇここ玄関なんだけど」

  唐突に後ろから声をかけられて、驚きでビクッと身体が跳ねた。誰もいないと思っていたから尚更、大げさなほど反応してしまう。

  後ろにふてぶてしく立っていたのは、同級生の羊獣人、藤原だった。

  「ぁ、す、すみません!!」

  慌てて謝る上柴のことも無視して、俺のことをじっと見つめる藤原。敵意があるようには感じないけど、何か言いたげな雰囲気だった。

  「………………………………君って利根川とデキてるんだと思ってたよ。案外遊び人なんだね」

  「……………………あぁ?別にそんなんじゃ……っていうかこーすけとも付き合ってはねぇよ!」

  「ふーん、付き合って"は"ないんだ。ふーーん」

  訝しげに見つめてくる三日月の目に、なんだか新谷さんと似たような空気を感じ取って、これはまた何か誤解されてるんだろうなと自覚した。一度こうなると弁明するまでが大変なのが厄介だ。

  藤原とはここ最近あまり喋っていなかった。個人的な因縁や確執は全くないものの、こーすけが犬猿の仲ということもあり、こーすけと過ごしていると自然と他の二年生とは関わらなくなっていったのだ。自分でもそれは良くないことだと思ってる。板挟みにはなりたくないけど、別に俺はこーすけの味方ではないから。もちろん敵でもないし、あくまで中立でいたい。だから他の二年生とも話せたらなと思うけど、自分から話しかけるのに躊躇しているのが現状だ。俺はコミュニケーションが苦手なタイプらしい。

  「………とにかく俺と上柴はそんなんじゃねぇから」

  「うん、わかった。でも何をするにしろ、玄関の前では邪魔だから、端によるなりしてね」

  「…………ぁ、あぁ………………………………」

  藤原は俺たちの横をするりと抜けて、階段をコツコツと音をたてて上っていった。やけにすんなり納得されたのがなんだか不気味で、心にモヤモヤが残る。でもきっとこれも俺の考えすぎで、なんか常に相手が腹の中で何か企んでるように思ってしまうのは、こーすけと一緒にいすぎたせいだろう。

  藤原がいなくなったあと、上柴が耳を垂れて申し訳なさそうに言う。

  「すみません、僕のせいで………呼び止めてしまってご迷惑でしたよね」

  「あ?いや、全然だよ。こっちこそ藤原に変な誤解されたかもしれねぇし………」

  「誤解されるのも無理ないですよ。僕たちキスする直前みたいな距離感でしたもんね」

  申し訳なさそうに笑う上柴に少し申し訳なくなる。俺が匂いを嗅ぎたいばかりに、変に顔を近づけたせいだ。こんなこっそり嗅ぐみたいなことしてないで、堂々と嗅がせてくれと頼むべきだった。

  …………いや、それもそれでマズイ気がするけど。

  すると、上柴はそっと俺の顔に手を伸ばした。

  「…………………………なんか、毛ついてますよ」

  「………………え?あぁ………………ありがとう」

  俺の頬に軽く触れたあと、白くて細長い毛をつまんで引き抜いた。一瞬それを眺めたあと、玄関にポイっと捨てた。

  「…………先輩はよく他の獣人の毛がくっついてますよね」

  「そう………………かな。自分じゃわかんねぇけど」

  「そうですよ。僕綺麗好きなのでよく見つけちゃうんです」

  上柴は微笑んでいるが、なんだか複雑そうな顔をしていた。笑っている半分、他の色んな感情が混じり合ったような顔だ。普段は素直な上柴が、たまにこういう難しい顔をするとき、俺はその理由を考えることがある。まぁ答えなんて分からないんだけど。

  「僕、もうすぐ支度して寮を出なきゃいけない時間なんです………………」

  「そうか…………………………………………」

  「先輩にまたお会いするのは、5日後ですかね」

  「そうだな…………まぁ一瞬だろ」

  俺は何となく受け答えをしながら、頭では全然関係ない別のことを考えていた。視界にぼんやりと映る上柴の姿は、少しずつ遠ざかっているように見える。

  「先輩………………は、好きな…………………………」

  不意に上柴の声が途切れて、ぼやっとしていた頭が疑問を持つ。上柴の方を見ると、なんだか恥ずかしそうに俯いていた。

  よく聞いていなかったので、適当に聞き返す。

  「……………………ん?なんて?」

  「いぇ…………好きなお菓子はなんですか?良かったら買ってきますよ」

  「お菓子?あぁ…………じゃがりことか好きだけど。でもわざわざ買ってこなくていいよ」

  「ぁ、えっと、僕の家、色んな地方の珍しいお菓子があるので…………お土産に持ってきます!」

  「そ…………そうか、ありがと。楽しみにしとく」

  「…………………………はい…………………………」

  なんだろうこのぎこちない会話。さっきまで普通に喋っていたのに、なんだか初対面みたいな緊張の仕方だ。それの原因は間違いなく上柴にあるんだけど、当の本人は足下を見ながら尻尾を緩やかに揺らしていた。

  上柴は少しの間何か考えているような沈黙のあと、再び顔を上げて仄かに微笑んだ。

  「じゃあ…………ぇっと、失礼します…………!」

  思わず声をかける。

  「そういや…………ストーカーは大丈夫になったか?」

  何となく。上柴の背中が寂しそうに見えたからだった。

  狐の耳がピクリと跳ねて、そのパジャマ並にフワフワとした足取りで振り返る。

  「大丈夫ですよ。心配しないでください」

  「……………………………………………あぁ」

  ニッコリと笑う上柴に、なぜだかいつもと違う気配を感じた。それがなんなのか、原因すら、午後まで考えても分からなかった。

  「相田先輩、今日暇ですか?」

  隣にいたこーすけは、昼ごはんのカップラーメンを持ったまま、自然な動作で三年生のテーブルに座り込んだ。寮では一応学年ごとにテーブルが分かれていて、何となく自分の席、っぽいものが決まってる。その日の気分によって替えることはあるけど、基本的に先輩のテーブルに勝手に座ることは許されない。相田先輩なら優しいし、見逃してくれそうだけど。

  コンビニの特盛唐揚げ弁当を食べていた相田先輩は、口角をニヤリと上げながら返事をする。

  「今日は暇だぞー?なんかすんのかーー?」

  「いや、久しぶりにみんなで映画見ません?相田先輩18歳になりましたよね?」

  「めざといなぁーーなら誕生日プレゼントくれよー」

  「彼女いるんだからいいでしょ」

  こーすけが相田先輩の隣に座ったので、俺は相田先輩の正面に座る。ゴールデンウィークってこともあり、昼間の食堂はいつも以上に人がいない。この席は確か、三下先輩の席だった気がするから大丈夫だろう。

  お湯を注いで三分。俺とこーすけは机の上に身を乗り出す。

  「あと誰残ってますかね?」

  「つっても五六人くらいが限界だぞー?」

  「あっ、冷蔵庫買ったんでしたっけ」

  「そうそうーーちっちゃいけどなーー」

  相田先輩は味を変えたかったのか、唐揚げに同梱されていたスパイスをかけ始めた。

  俺だけ二人の会話についていけてなくて、頭に疑問符を浮かべながらこーすけに尋ねる。

  「……………………何の話?」

  「ん?映画鑑賞会。相田先輩が持ってるパソコンで、DVD借りてきてみんなで見るの。去年はよくやってたんだけどねー」

  「ホラー映画見てたら三下が叫びまくって、先輩たちに怒られたんだよなー」

  「今年はうるさい人いないしいいんじゃないですか?誰誘います?」

  「………………………………………………………………」

  映画は、今までほとんど見たことがなかった。もちろん映画館になんて行ったこともないし、じぃちゃんの持ってたビデオは数本しかなかったし。特に昔の時代劇ばっかりで、最近の映画は全然分からない。それ故に好きか嫌いかも分からない。学んでみるにはちょうどいい機会かもしれないな。

  「んーーー三年は久郷田くらいじゃないか?あやめは恋愛映画しか見ないもんなーー」

  「一年生は…………ぁ、篠崎くん残ってましたよ」

  「じゃあその五人でいっかー。渡嘉敷は呼びたい人いるかーー?」

  少し考え込んでいたので、話をふられて焦る。えっと…………呼びたい人?

  「ていうか…………俺も行っていいんすか?」

  俺の問いかけにこーすけは首をかしげ、相田先輩はニヤリと笑った。

  「良いに決まってるだろーー渡嘉敷呼ばなきゃつまんないからなーー」

  「ていうか久郷田先輩と篠崎くん呼ぶんだから哲也も呼ぶに決まってんじゃん」

  「……………………………………………………」

  なんだかその面子は嫌な予感がするな。共通点といえば、俺に告白してきた変態三人衆だ。これはむしろ行かない方がいいんじゃないかと思えるくらい、不安の残る人選だ。

  大きな唐揚げを丸呑みするくらいの大口で、相田先輩はあくびをした。食欲と眠気が同時に来るなんて、のんきな人だ。

  「じゃあこれから色々買いに行ってーー点呼後にするかー?」

  「そうですねー相田先輩夜更かしできます?」

  「できるぞー明日昼まで寝れるしーー」

  「ならご飯食べて二人呼んできますね」

  こーすけと相田先輩は顔を合わせてニヤニヤと笑うと、その顔のまま二人ともこっちを向いた。

  ……なんだか気持ち悪くて目を逸らした。

  コンコンっ…………と、いやどっちかっていうとドカン!!ドカンッ!!って感じで相田先輩が篠崎の部屋をノックした。中に押し入るんじゃないかって勢いだったけど、相田先輩からしてみれば手加減した方かもしれない。

  少し揺れる木製の扉が、ドタドタッとした部屋の音を鳴らした後に、ギギッと短く音を経てながら開く。始めに見えたのは狼獣人の耳だった。

  「ぉっかれぇぇえええっす…………マジびくりました」

  先ほどまで寝ていたのか、ボサボサの寝癖を四方八方に飛び散らせながら、ドアの隙間から篠崎が首だけ出した。光が眩しいのか目を糸くらいに細めている。

  「篠崎ーー寝てたのかーー?」

  「はいガッツリ…………って渡嘉敷センパイいるじゃないすかぁ!」

  細かった目を大きく見開いて、半開きのドアを力強く開けたと思えば、俺にタックルせんばかりの勢いで抱きついてきた。少し背が伸びた篠崎は俺を両腕にしっかりと掴み全体重をかけてもたれ掛かってくる。

  「っ、重い重いっ…………ってなんでお前ハダカなんだよ!!」

  「渡嘉敷センパーイ一緒に寝ましょーーー!」

  「……っ、退け!」

  寄りかかってきた篠崎の体重を受け流すように体を逸らして、両腕の拘束を外してから篠崎の体を地面に叩きつける。パン一で冷たい床に転べば、ようやく篠崎も目が覚めたようだった。

  「ッテテ………………あれ、利根川センパイもいる」

  「おはよ。今日部活は?」

  「休みっすよ。グラウンドが使えないとかなんとか

  で」

  「じゃあ久郷田も部屋にいるなーー」

  篠崎は床に尻餅をついたまま、不思議そうに俺らを見上げている。

  開け放たれた部屋を覗いてみると、上柴のベッドに綺麗にビニールが被せてあって、まるで誰も生活していないかのようだった。早くももう帰省したらしい。

  「篠崎くん、服着たら玄関集合ね。10秒遅れたら置いてくから」

  「えぇっ!?なんすかどこ行くんすか!?」

  「急げよーー」

  「……………………………………………………」

  困惑の声を背に、俺たちはスタスタとその場を去って、今度は四階の久郷田先輩の部屋に向かう。

  「………………ぁあ?マジかよだりぃな」

  部屋を開けるとこちらも寝癖だらけの久郷田先輩がいる。篠崎と違って服は着てたけど、相変わらずのタンクトップに半ズボンだ。長毛種とはいえ寒くないんだろうか。

  めんどくさそうに欠伸をしたあと、俺と目が合ってニヤリと笑う。

  「渡嘉敷、昨日どこで寝た?」

  「…………ぁ……………………自分の部屋です」

  「ふーん………………」

  そういえば昨夜は久郷田先輩との約束を忘れて、普通に自分のベッドで寝てしまったのだ。約束も忘れていたし、約束を破ったことすら忘れていた。これは厄介なことになった。

  「えーー久郷田行かないのかー?」

  「いや行く。ちょっと待ってろ」

  相田先輩に軽く返事をすると、部屋の奥へ消えていく久郷田先輩の尻尾。上機嫌そうに揺れていて、不穏な気配を感じとる。

  ちらりと横のこーすけを見ると、こーすけもこっちを見ていた。

  「…………………………………………おい」

  「ん?なに?」

  「俺を誘ったのってこれが理由か?」

  「んー?これって?」

  「俺がいれば篠崎も久郷田先輩も来るだろ、って」

  「考えすぎ考えすぎ。普通に哲也と遊びたかっただけだよ」

  こーすけはニヤリと笑って俺の尻尾に猫パンチしてきた。これだけ毎日一緒にいれば、こーすけの癖だってすぐに覚える。この顔のときは意地悪なときか何か企んでいるときだ。目を逸らして、廊下の反対側を向く。

  すると、視線の先に階段を登っていく人影が見えた。もっと正確にいえば、足と尻尾だ。ここは四階で、上への階段は屋上に行くためにある。俺はほとんど行ったことがない場所で、意識するのも久しぶりなくらい。蜥蜴獣人の鱗が窓から差し込む光にキラリと反射したのが、目に焼き付いた。

  …………いや、休日だし布団とか干しに行く人もいるだろう。基本的に寮では部屋干しだから、休みの日の晴れているうちに屋上を使う人もいるようだ。俺とこーすけは気にしないタイプだから、珍しく感じただけだ。

  部屋から財布と携帯を持った久郷田先輩が出てきて、自然な動作で俺の頭をポンポンと撫でた。それを振り払ってから、先を行く相田先輩の後を追いかけた。

  [newpage]

  少し時間は飛んで、今いるのはつたや、とかいうビデオ屋の前だった。都会の地理は複雑で、学園の周辺ですら迷子になりそうなのに、ここは寮から20分ほど歩いた先にあって、きっと一人では帰れないだろうなと改めて思った。

  青色と黄色のネオンが輝く看板の

  ビデオ屋には、あまり人が来ていないようで、駐車場にも車はほとんど停まっていない。繁盛していないんだろうか。

  「センパイいつまで見てんすか!早く行きましょ」

  「………………………………あぁ」

  篠崎に背中を押され、ガラスでできた二重の自動ドアをくぐれば、そこには一面本屋が広がっていた。

  ぐるりと辺りを見渡しただけでも、所狭しと棚に並べられている大量の本。一冊一冊見せる余裕すらないのか、薄い雑誌すらも縦に積まれてかなりの量になっている。ここが火事になったらずいぶんとよく燃えるだろうな、と物騒なことを考えつつ、さっさと先を行ってしまう都会人たちの背中を追う。

  「え!?相田先輩もう18なんすか?」

  「そうだよーー学生証持ってきたから何でも借りれる」

  「相田先輩なら年齢確認されないと思いますけどね」

  前の三人の会話を聞きつつ、きょろきょろと周りを見渡す。こんなに大きい店なのに客はちらほらとしかいないようで、なんだか不気味に思った。

  その様子を久郷田先輩に見られていたらしく、尻尾でお尻を軽く叩かれる。

  「おい、何探してんだ?」

  「いや………………広いなって思っただけです」

  「先週行ったデパートよりは狭いだろ」

  「………………………………………………………………」

  それはそうなんだけど………デパートと一ビデオ屋を一緒に比べてもな、ってところだ。デパートの中にももちろん書店はあったけど、ここには到底及ばない。

  また少し歩いてから、今度はもっとごちゃごちゃした通路へ入っていく。周りにある背の高い棚は全てビデオやDVDが並べられているらしく、その閑静な佇まいに圧迫感を覚える。

  今歩いている通路はアニメのジャンルが並んでいるらしい。途中でこーすけが立ち止まり、棚をチェックし始めた。

  「あ、DVD新しいの出てる。買っとこっかな」

  「………………なんだそれ」

  「アルメルアの慟哭のシーズン3。ヤフオクに転売されてたんだけど高くってさ」

  「………………………………そうか」

  こーすけが何を言ってるか分からなかったので先へ進む。ああいうのはいわゆるオタクっていう人種らしい。感情を無にしてそっとしておくのが一番だと学んだ。

  さらに奥へと進んだら突き当たりだったので、違う通路を覗きながら相田先輩を探す。まぁあんだけでかいしすぐ見つかると思うけど。

  通りかかった通路の中に、客たちの中でも明らかに異質な背の高さの人を見つけ、近寄っていく。ちらりと見た限りでは、ここは海外ドラマのコーナーだろう。外国人っぽい獣人たちが銃を構えているポスターがたくさん貼ってある。

  「…………ぁ、久郷田先輩」

  「……………ん?おい、24って名前のドラマ探せ」

  「にじゅうよん?数字のですか?」

  「あぁ。人気らしいからすぐ見つかると思うけどな」

  半ば強制的に、背の高いところばかり見ている久郷田先輩とは反対の棚を調べ始める。海外ドラマなんか全く知らないやつばかりで、タイトルも聞いたことのないやつだらけだ。大抵どのパッケージも、マッチョな外国人が横にセクシーな女の人を抱えて、銃を撃ってるようなやつばかりだけど。

  海外ドラマといっても見たところアメリカと韓国でジャンルが違うらしく、棚を分けられているようだった。ということはもう少し手前の方にあると思うんだけど。

  「どんなドラマなんですか?」

  「サスペンス。なんかおもしれぇってネットで見てな」

  久郷田先輩もよく知らないようだ。なら尚更名前で探すしかない。

  にじゅうよん…………に…………に………………な行の棚には見当たらなかった。人気作品ならもっと目立つところに置いてるんだろうか。もしくはそもそもジャンルが違って、ここら辺には置いてないとか。

  上の方にまで背伸びをして、な行の棚をくまなく探していく。なんだか大量のDVDからする無機質な香りにどことなく不快感を覚えて、あまり長い時間ここにはいたくないなと思った。

  その棚を全て見終わっても、にじゅうよん、という名前のドラマは全く見当たらない。この店にはない、という可能性を抜きにすると…………名前がそもそも間違ってるとか?

  振り返って詳細を聞こうとすると、棚に寄りかかって腕を組みながら、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている久郷田先輩がいた。

  …………なんか嫌な予感がする。

  「にじゅうよんは見つかったか?」

  「……………………………………………………いえ」

  ちょっと待て。海外ドラマなのにタイトルがにじゅうよん、っておかしくないか?和訳にしてはダサすぎるし、もし英語なんだったら…………

  笑いを堪えきれない久郷田先輩をじとっとした目で睨む。

  「お前24知らねぇのかよ。同じ田舎もんだけどさすがに俺でも知ってたぞ」

  「トゥエンティーフォー…………っていうんですか?なんでわざわざ……」

  「知ってるかどうかテストしたくてな。お前スマホも持ってねぇんだろ?」

  「…………はい。でもいらないですよ」

  そう答えると久郷田先輩はまたバカにしたようにニヤリと笑って、俺の背中をポンポンと叩いた。その手を振り払って大きくため息をつく。人をからかうのがほんとに好きなだなこの人。

  「DVDは見つかったんですか?」

  「いや。ハナから探してねぇよ」

  「……………………………………………………………………」

  なんだか一緒にいるのが嫌になって、俺は相田先輩と篠崎を探しにいくことにした。

  少し歩いただけで、相田先輩の大きな後ろ姿は目にはいった。一般的に背が高い人はスタイルが良いと言うけど、相田先輩は高すぎてかえってバランスが悪いように見える。陳列している棚くらい大きな背丈が、のんびりと揺らしている尻尾と相まって、何かの映画の怪獣のように見えた。

  特にここら辺は人が少なく、付近には相田先輩と俺しかいない。コツコツとタイルを鳴らしながら、その背中に近づく。

  「………………相田先輩、何してるんですか?」

  「んーー?映画選びだよ。渡嘉敷も面白そうなのあったら持ってきていいぞーー」

  「俺は…………あんまりよく分かんないので。ここは…………ホラー映画のコーナーですか?」

  軽く見渡しただけでも、黒いパッケージに血の色がついたDVDがぎゅうぎゅうに並んでいるのがわかる。どれもタイトルのフォントは恐ろしそうだが、どこか笑ってしまいそうなB級感がある。

  「そうだなーーホラー好きか?」

  「見たことないので分かんないです………相田先輩は好きなんですか?」

  「好きだなーーなんか有名な女優とかが本気で怖がってるの見てると、笑えるんだよなーー」

  のほほんとした口調だけど、言ってることはだいぶ酷いというか、邪道な楽しみ方をしてるように思える。まぁでも、現実世界にゾンビが現れたら、とか幽霊がいたら、とか。想像力の豊かな人ほど、こういうジャンルを怖く思うんだろう。女優の怖がる演技を見て笑っている時点でかなり現実的だし、そりゃ怖くはないだろうな。

  「…………やっぱりこっちはあんまりだなー。18禁のやつ見に行くかー」

  相田先輩は角の棚の方へのっしのっしと歩いて行ってしまった。ホラー映画は見たことがない分興味が湧いてきて、俺もその辺の棚を物色してみることにする。

  …………恐怖の幽霊館、呪われた廃病院、チェーンメール…………タイトルを見るだけで、どんな感じの映画かは容易に想像がつく。ただ、あんまり怖そうだと思えないのは、幽霊とかそういうのに全く関わって来なかったからだろうか。

  思えば島にはそういうジャンルの本とか映画とかも無かったし、心霊体験をしたって人の話も聞いたことがない。唯一、カイのお父さんが島の妖怪に会った、って話は近しいものがあるけど、別に怖い話じゃない。あまりにも触れてこなかったせいで、フィクションだという認識が強く、感情移入できないんだろう。

  ふと周りを見渡して、相田先輩が見ている棚の方へ近づく。こっちは確か18歳以下は見れないやつじゃなかったっけ。さっきからしきりに誕生日の話が出ていたのは、18歳になった相田先輩に借りてもらおうってことか。

  すると相田先輩が不意にこっちを見て、微笑みながら近づいてきた。両手には何かのDVDを持っている。

  「…………あ、渡嘉敷ーーこっちとこっちどっちが見たい?」

  「え?えぇと…………………………」

  相田先輩が差し出してきたDVDのパッケージを見ると、どちらも異なるタイプのホラー映画だった。

  ひとつは『ミュージカルオブザデッド』というゾンビの映画だ。パッケージにはマッチョなシェパードが多種族のゾンビをエレキギターで吹っ飛ばしている写真が載っている。脳ミソとかもちらほら見えていて、気持ち悪いな、とは思ったけど怖そうだとは思わなかった。なんでもミュージカルとゾンビ映画を融合した作品らしく、登場する武器は全部楽器らしい。

  もうひとつは『LIGHT』というホラー映画。パッケージには真っ黒な廊下に光る二つの目。よく分からなかったので裏側を見てみる。

  『………………バスルーム、寝室、教室、廊下。ソレはどこにでも現れる。そこに闇がある限り。照らせ、さもなくばソレが来る。そう、あなたの後』

  「―――ねぇねぇセンパイあっち行きません!?」

  「っ、ぅうぉおぉおわッ!?」

  突然後ろから肩を掴まれて、ビクッと体が跳ねてしまう。思わず倒れそうになって、近くにあった相田先輩の腕をがっしりと掴んだ。巨木のような安定感の相田先輩のおかげで倒れずには済んだが、体中の毛が逆立っている。

  「って渡嘉敷センパイどんだけビビってんすか!」

  首だけ後ろを向ければ、案の定ニヤニヤと笑っている篠崎がいた。そのうざったい手を振りほどき、鼻につく笑みを睨み付ける。

  「……………………お前いきなり肩掴むなよ…………」

  「いや、にしてもそんなビビります?センパイそういうとこも可愛いっすよね~」

  ため息をついてから篠崎の腕を振りほどく。今のはDVDの裏の文章に集中してたからビックリしただけでホントなら全然ビビってないからな。

  すると相田先輩は笑いながら俺の手からDVDを奪うと、そっとゾンビの方のやつを棚に戻した。どうやら借りる方は決まったらしい。

  「ねぇセンパイ、ちょっと付いてきてください」

  「あぁ?なんで」

  「露骨に不機嫌になんないでくださいよー!こっちっすこっち!!」

  店内だということも構わず大声ではしゃぐ篠崎に軽くムカついたが、こいつはそういう奴だ、と諦めて無抵抗に腕を引っ張られる。こういうバカなところが少しでもマシになれば、もうちょっと好きになってやれるのに。

  篠崎は店の端を通りながら、さらに再深部の方まで歩いていく。周りを見る余裕もないまま、気がつけば長い暖簾の掛かった部屋の前まで連れてこられていた。

  …………なんだろうこの部屋。明らかにこの店内では異質な空間で、ここだけ別個に部屋が設けられているのは不自然だ。暖簾の奥はピンク色のライトアップがされているようで、光が外まで漏れてきている。

  「…………おい、なんか入らない方がいいんじゃないか?」

  「え?いや大丈夫っすよ!俺らパッと見大学生だし」

  「いや、ていうか客が入っていいとこなのか?」

  「当たり前じゃないすか!食わず嫌いは良くないっすよー」

  まぁ確かにそうだけど……ピンク色のライトが怪しい雰囲気を醸し出して入るのを躊躇わせる。この感じはなんとなく…………久郷田先輩とホテルに行ったときを思い出すな。

  篠崎に引っ張られるまま、不安を覚えながら暖簾をくぐると、そこはあまり広くない部屋のようになっていて、壁付けの棚には大量のDVDが並べられている。あぁなんだ、ここもDVDが置いてあるだけか。

  そのわりにはやけにテンションの高い篠崎。尻尾がいつにも増して揺れている気がする。

  「うわーなんか変な臭いしないっすか?」

  「え?あぁ………………言われてみれば」

  なんだこの独特の異臭。何の臭いかははっきりと言えないけど、妙に雄臭いというか、難しい香りだ。ちょっとだけ不快になる臭い。

  篠崎の方を見ると、棚にあるDVDをのんびりと物色していた。篠崎はなんで俺を連れてきたかったんだろう。

  「うーーんなんか品揃えがイマイチっすねー。センパイはどれが好みすか?」

  「どれって…………………………」

  篠崎に言われるまま試しに棚にあるのを手に取ってみる。背表紙もよく見ずに適当に選んでしまったけど、それにし――――――――――

  「―――――――――ッッッ!!!???おい!!これっ!!」

  「え?何驚いてんすか?ただのAVでしょ」

  きょとんとする篠崎とは正反対に、俺の心臓はバクバクと鼓動していた。手に持っているDVDには胸が丸見えになっている雌の狐獣人がセクシーポーズを取っている写真が載っていて、体が硬直する。これは明らかに成人向けのもので、高校生にはまだ早い。すぐに棚に戻さないとという思いと、少し興味が湧いている自分に嫌気が差す。いや、ダメだ。ここは先輩として篠崎を叱らないと。

  DVDをすぐさま棚に戻し、隣にいるアホ面の狼の頭をひっぱたいた。グェっと鳴き声をあげるバカ崎。

  「いっで!!何すかセンパイ!?」

  「何すかじゃねぇよ!!ここエッチなコーナーだろ!!どこに連れてきてんだバカ!!!」

  「えぇぇ……………いや入る前に気づくっしょ普通……」

  「うるせぇさっさと出るぞ!!!」

  不服そうな顔の篠崎の腕を強く掴んで外に引っ張っていこうとする。慌てて持っていたDVDを棚に戻す篠崎を、横目でキツく睨み付ける。

  こいつがエッチなことに寛容で、経験も知識も豊富だってことは分かってる。でもだからといって俺を巻き込んでいい理由にはならないし、ルールはしっかり守るべきだ。せめて俺の目の前にいるときくらいは。

  さっさと出ようと暖簾に体を向けたときだった。

  「あ、やっぱりここにいたんだ。なんかいいのあった?」

  ふてぶてしくずかずかと、成人向けルームに入ってくるこーすけ。顔には全く悪びれもなく、至極当然といった様相で篠崎がまだ持っていたDVDに近寄っていく。

  「あぁいや渡嘉敷センパイが…………」

  「巨乳人妻?寝取られ好きなの?」

  「いやいや俺は不倫ものは嫌いっすよ!清楚系の青姦とかの方が――――――――」

  「っ、いい加減にしろ!!!」

  時も場所も考えず猥談を始める二人を怒鳴りながら、篠崎を再びひっぱたく。自分が未成年だって分かってるんだろうか。ルールを破ることは何もカッコよくないぞ。

  「いっでぇ…………なんで俺なんすかぁ…………」

  「何平然と入ってきてんだよ!!ここエッチなコーナーだろ!ほら出るぞ!!」

  「えーでも暖簾に18禁って描いてなかったよ?普通どこの店にも描いてあるもんだけどね」

  「知るかっ!!」

  俺が外に出るよう促しても、なかなかその場を動かない二人にイライラが募る。バレなきゃ大丈夫とでも思ってるんだろうか。俺はこいつらと一緒に店員さんに注意されるつもりはない。

  もういい俺だけでも出よう、と思った矢先だった。

  「っ、ぐぇ……………………」

  「あァ?んだよ渡嘉敷か。お前らAV借りに来たのか?」

  硬い胸板に強くマズルをぶつけて、じわじわと痛む口元を押さえる。目線だけ上に投げれば、久郷田先輩が入り口の前で仁王立ちしていた。この狭い入り口にデカいハスキーに立たれたら完全に通路が塞がる。鼻の痛みが治まったら真っ先に邪魔だと言ってやろうと思っていた。

  「久郷田センパイ、なんかここ変な臭いするっすよね?」

  「あーー誰かシコッたんじゃねぇか?」

  「うわ、女教師SMシリーズ3巻から10巻まで全部無いよ?マニアがいるんだねー」

  「センパイたちはどれが好みすか?」

  「ゲイ向けが無いんじゃなんともなー」

  「女は声がうるせぇから嫌いだ」

  「……………………………………………………………………」

  もうダメだ。コイツらは救いようのない変態だ。一瞬でもこんな奴らに気を許してしまったのが悔やまれる。男子高校生がこんなところで騒いでいるのを店員さんに見られたら、間違いなく注意される。変態どものせいで巻き添えを食うのは御免だから、久郷田先輩を押し退けてさっさとこの部屋を出ることにする。

  ゴツッ!!!

  「んー?あー渡嘉敷ごめんなーー?」

  「…………………………ッ…………………………」

  今度は相田先輩の胸元に鼻先をぶつけた。結構な勢いで突進したから相変わらずマズルが痛い。のほほんと謝られながらも、完全に出口が塞がった。相田先輩は力いっぱい押しても微動だにしないし。

  「あ、相田先輩借りるの決まりました?」

  「決まったぞーーみんなは借りるのないのかーー?」

  「このAVの男優けっこうイケメンじゃないすか?」

  「ジャニ系かよ。女より細ぇじゃねぇか」

  「相田先輩って男女モノ見るんですか?」

  「わりと見るぞーー」

  「………………………………………………………………」

  そのまま数分間、変態な男子高校生たちはアダルトコーナーに居座り続けた。俺はさっさと出て、手持ち無沙汰にうろうろしていただけだけど。

  無事に思い思いの映画や本を借りた俺たちは、次に映画鑑賞のときに食べるお菓子を買いにいくことになった。こーすけはよくコンビニでスイーツを買ってくるけど、いわゆるスナック菓子のような類いのものは俺自身もあまり買わない。都会は品揃えが多いから、あれもこれもと選んでいるとお金が勿体ない。今回は相田先輩と久郷田先輩が半分ずつ出してくれるらしいけど。

  学園の一番最寄りにある大型スーパーは、寮生でなくとも多くの近隣住民が頻繁に利用する施設だ。平日に行っても休日に行っても、そこそこの人で賑わっている。

  今日はゴールデンウィークの初日、連休の始めなら外出する人も山ほどいる。お昼過ぎともなれば尚更、主婦っぽい人やお年寄りが多く出入りしていた。

  混雑していることもあって、俺たちは買いたいものを適当に選んでこいと久郷田先輩たちに籠を渡され、お菓子売り場のエリアに向かう。陽気に手を引いて先導する篠崎を叱っていたら、いつの間にかこーすけの姿が無くなっていた。

  「っ、おい、こっち惣菜売場だろうが!」

  「え?あぁ、じゃあ反対すかね?」

  「ちゃんと看板見ろ…………ってこーすけどこいった?」

  「あれ?利根川センパイはぐれちゃいましたねー」

  「お前が引っ張るから…………………………」

  篠崎の手を振りほどいてぐるりと回りを見渡しても、そこそこの人混みに紛れてこーすけの姿は見つからない。まぁどうせ個人的な買い物があるんだろうけど、久郷田先輩から直接お金を預かってるのはこーすけだ。お菓子コーナーに行けばいるだろうか。

  篠崎は呑気に作りたてのお惣菜の匂いに鼻をひくつかせているし、この人混みじゃこーすけの臭いなんて嗅ぎ分けられない。諦めてとりあえず買い物だけでも済ませてしまおうか。

  「あっ!あれ利根川センパイじゃないすか!?」

  「は………………どれだよ」

  不意に篠崎が指差した先は、魚や野菜のエリアだろうけど、人だかりで視認できない。それこそ猫獣人なんてたくさんいるし、服で判別しようにも…………

  「んー今一瞬っぽいのいたんすけどねー」

  「とりあえずこーすけは後で先にお菓子だろ。先輩たち待たせるのも悪いし」

  「そうっすね………………あ!じゃあ俺利根川センパイ探しに行くんで、お菓子任せていいすか?」

  「…………え?」

  キョロキョロと回りを見ていた俺の手に買い物籠を押し付けて、篠崎はニコニコと笑った。振れる尻尾が近くの棚にぶつかって、山積みのパンが何個か崩れかける。

  「お菓子チョイスはセンパイに任せます!!あっ、ポッキーは買っといてくださいね!」

  「っ、いやちょっと…………おい!」

  別れ際に俺の頭をポンポンと軽く撫で、あの人混みの中に突入していく篠崎。俺の呼び止める声も聞こえていないのか、聞こえてたけど無視しただけなのか知らないが、俺はだだっ広いスーパーの端に一人取り残されてしまった。

  なんだか子供扱いされたような気がして腹が立ったのは置いといて、都会のお菓子に全然詳しくない俺に買い物を任せるなんて無責任にも程がある。好みとかも知らないし、どれが定番だとか……せめてなんか情報があれば良かったんだけど。そういうのは専らこーすけが詳しいに決まってるのに、何も言わずいなくなるのが猫獣人ってやつだ。ほっとけば帰ってくるだろうけど、それまでぼーっと待ってるわけにもいかない。

  「……………………はぁ………………………………」

  通路の邪魔にならないところに少し寄りかかって、ため息一つ。改めて、落ち着いて周りの様子を観察してみることにした。

  まず俺がいるのは惣菜コーナーの向かいにある菓子パンのコーナーだ。さすが東京というか、田舎の商店の何倍も多くの種類の菓子パンが並んでいる。クロワッサンとか、カレーパンとか……昼飯にはちょうどいいかもしれないけど、先輩たちが言ってるお菓子にはそぐわないだろう。

  視線を左に逸らせば、長蛇の列ができているレジのエリアが目に入った。ここから見えるだけでも三つのレジがあるけど、どこにも五六人は並んでいるし、いずれも買い物籠パンパンに食材を詰めて会計している。仮にお菓子を選べたとしても、買うのには時間がかかりそうだ。

  ひとまずはお菓子コーナーを探そう。最終的な目的地はそこだし、下手すればこーすけもそこにいるかもしれないし。ここは看板とかで探すしかないのかな、地図とかあれば分かりやすいんだけど。

  俺が重い腰を浮かせたそのとき、

  「…………あ、渡嘉敷じゃん。何してるの?」

  「…………え?ぁ………………藤原」

  ふと真横から声がして顔を向ければ、もこもこの羊毛を窮屈そうに帽子に押し込んだ、小さな羊獣人の頭が見えた。もっとも立派な角は帽子に空いた穴から飛び出ているけど。

  今朝会った時は首元のゆったりしたシャツを着ていたけど、今見ると全身カラフルな服を着こなしていて、きっとお洒落なんだろうなと漠然と思う。正直俺だったら絶対似合わないような服だ。

  「何してるって買い物か。君は帰省しないんだね」

  「…………まぁな。藤原もか?」

  「いや、明日帰るよ。だから今日の分のご飯買っとかないといけなくて」

  藤原の籠の中には、惣菜コーナーに売っていそうなお弁当とペットボトルの麦茶が入っていた。

  「君は?何買いに来たの?」

  「えっと…………お菓子。先輩に頼まれて」

  「あーパシりか。でもお菓子コーナーは反対側だよ?」

  「そうなのか?」

  「大体どこのスーパーも一緒でしょ…………って、君は田舎出身なんだっけ」

  すると、藤原は俺に自分の籠を無理やり持たせると、ポン、と軽く背中を叩いてきた。三日月の目がどこか鋭く見える。

  「行くよ。案内してあげる」

  「…………………………頼んでねぇけどな」

  「好意は素直に受けとりなよ。それとも受け取り慣れすぎた?」

  「…………………………………………………………」

  藤原はふふん、と得意気に笑うと、勝手にお菓子コーナーへの順路を歩き始めた。俺は渋々ながらも、それに着いていくことにした。

  「このスーパーは初めて?」

  「いや…………三回目くらいかな」

  「でも道に迷ってたの?」

  「迷ってはねぇよ…………」

  藤原は思いの外歩くペースが遅く、それに合わせて歩いていたらずいぶんのんびりとした散歩になってしまった。普段俺がよく過ごしている犬科や猫科に比べると、羊獣人は歩幅が小さく感じた。

  もちろん稲光学園には多種多様な種族の獣人が在籍しているけど、やはり獣人の本能のせいか、犬科は犬科、猫科は猫科、同じ種族とどうしても仲良くなってしまう傾向があるように感じる。別に他の種族と絡むことに抵抗がある人なんてほとんどいない。ただ自然と同種族の方が話も性格も合うし、友達になりやすいんだろう。いわゆる都会の学校でできがちなグループ、ってのも同種族が多い。

  ただ、せっかく都会に来たからには色んな種族と接して、価値観の違いを認識するのも良いことだと思う。特に俺はこーすけ以外の同級生とはほとんど話もできてないから、もう少し積極的になるべきかな。

  「パシられたのはどの先輩?」

  「…………久郷田先輩。あの人が好きそうな菓子とか………知ってるか?」

  「…………いや全然。ていうか久郷田先輩って後輩パシるタイプなんだ」

  そういえば久郷田先輩は寮の後輩からしたら、厳しくて話しかけづらい人なんだっけ。コミュ力の高い篠崎や、体の関係のあるこーすけ、何故か好かれている俺以外には、自分勝手で粗暴な一面は見せないようにしているらしい。

  そのイメージ作りに協力するべきか、そんなのは俺が知ったことじゃない。なんなら悪評を広めてやりたいくらいだけど。

  「ぁじゃあ、相田先輩の好きな菓子は?」

  「あの人は甘いもの好きじゃないから、ポテチとかカレーせんとかでいいんじゃない?」

  「そうか……………でもポッキーは買うように言われたんだよな」

  「ふーん」

  藤原は少し気難しげに鼻を鳴らすと、不意に通路を曲がって立ち止まった。どうやらお菓子の列に到着したらしい。

  真っ白な毛に包まれた腕が、棚の一つに伸びる。

  「はい。ポッキー」

  「…………あぁ、ありがと」

  受け取った小さい箱をよく見もせずに籠に放り込んだ。ポッキーは籠の中でからからと音を立てて跳ね返る。

  藤原は少しふてぶてしく話し続けながらも、適当なお菓子をどんどん俺に手渡していった。

  「渡嘉敷って二組でしょ?二組って確か秋沢財閥の獅子獣人がいるとこだよね」

  「………………そうだけど。知り合いなのか?」

  「いや全く。でもうちの学年だと彼が一番人気なの、知ってた?」

  「え?そうなのか…………?」

  秋沢が人気があるなんて話は初耳だ。本人も友達がいないって嘆いていたくらいだし、にわかには信じがたいけど。

  俺の反応を見てか藤原は軽く鼻で笑うと、ポケットから携帯を取り出してポチポチと操作し始めた。

  「てか渡嘉敷ってスマホ持ってる?誰もLINE知らないからさ」

  「いや持ってない…………何見てんだ?」

  「じゃあこれも知らないだろうね。うちの学校の裏掲示板」

  こちらに向けて差し出された画面には、黒いバックに白い文字が浮かんでいて、私立稲光学園裏掲示板、と書かれていた。パッと見なんか怖そうなイメージを持つ。

  「………………なんだそれ」

  「ほら最近よくある、裏サイトってやつ。匿名で噂書き込んだり、耳よりの話とか聞けたりするの。教師に見つかったら面倒だから、言わないでね」

  「……………………………………………………」

  裏ってことは表があるのだと思うけど、そもそも携帯を持ってない俺には説明を聞いてもよく分からなかった。先生にバレたくないということは、悪いことなんだろうか。

  すると藤原はまたポチポチと携帯をいじってから、俺に見せてきた。今度は画面に秋沢の顔写真がどんと載っている。

  「このサイトにさ、学年男女人気投票ってのがあってさ。秋沢くんは二年生男子で一位なの」

  「………………それってみんなやってるのか?」

  「いや、知ってる人は限られてると思うけど。でもサイト利用者は全員学生だよ」

  「秋沢は……………………知ってるのか?」

  「さぁ。でも真面目な学級委員長なんでしょ?誰も教えてないと思うけどな」

  藤原は平然とした顔で画面を閉じると、ポケットに携帯を戻した。俺がなんとなくボーッとそれを見ていると、藤原は少し冷めた目線を俺に向けていた。

  「人気投票なんてよくやるよね。ちなみに三年生の一位は当然久郷田先輩だよ」

  「………………それ俺に見せて、どうしたかったんだ?」

  「………………分かんない?人気投票は学期ごとに更新されるの。その度にリストもちゃんと更新されてる」

  藤原はその場に屈んで、一番下の段にあるお菓子を掴んで俺に差し出した。ポテトチップスののり塩味だった。

  「二位は渡嘉敷だよ。本人は携帯すら持ってないってのにね」

  「っ、はぁ!?俺…………………」

  「顔も名前もネットに載ってるよ、誰が載せたんだか知らないけど。それにほら、ちょっと前に久郷田先輩とも噂になってたし」

  「なんだよそれ…………プライバシーの欠片もねぇな」

  俺が小声でぼやくと藤原は微笑を浮かべて、ポテチを籠に押し込んだ。

  「まぁなんていうか…………意外とみんな渡嘉敷に興味があるみたい。それって好意だけじゃなくて、悪意も混ざってるけどね」

  「……………………じゃあ、警告ってことか?」

  「………………最近喋ってなかったから。それにいざ話しかけても、君ってすぐ目逸らすじゃん」

  「………………………………………………………………」

  藤原の言葉にギクリと心臓がざわめく。心当たりは大いにあったから。自覚はもちろん、俺が二年生と喋るときのぎこちない態度は外から見てもバレバレだったらしい。原因はこーすけだというのも言うまでもないだろう。

  なんとなく気まずくなって、視線を下に向けた。白のスニーカーが店内の床からは浮いて見える。

  「知ってるよ、君が素っ気ない理由。利根川から去年の事件のこと聞いたんでしょ?」

  「……………………………まぁな。どこまでホントなのかは知らねぇけど」

  「利根川は僕たちのことが嫌いだから、多少は話を盛ってると思うよ。当然僕たちには僕たちの主張があるしね」

  「…………板挟みになるのはごめんだ。俺は中立な立場でありたいと思ってる」

  「その割にはずいぶん利根川とばっかりつるんでるよね?」

  「…………ルームメイトだからな」

  藤原はフン、と鼻で笑うと、立ち上がってふてぶてしく俺の顔を見上げた。羊獣人の生態には詳しくないけど、瞳の奥には訝しげな感情が見え隠れしている。

  「まぁ交遊関係は好きにすればいいけど、利根川みたいに敵意剥き出しにしてくるのはやめてね。あいつの心ない悪口で傷ついてる人、けっこういるから」

  「それはごめん…………俺からも言っとく」

  「聞くとは思えないけどね…………こんくらいあればいいんじゃない?」

  藤原は最後にじゃがりこの箱を籠に放り入れると、俺の背中をポンと叩いてお菓子コーナーから出ていこうとする。一人じゃ選べなかった数多のお菓子で、籠を半分まで埋めてくれたことには素直に感謝するべきだ。立ち去ろうとする肩を掴んで、少し引き戻す。

  「ッ、痛……………………力加減しなよ」

  「あ、あぁ悪い……………とにかく選ぶの手伝ってくれてありがとな。助かった」

  「別にいいよ。それより、そろそろ利根川が戻ってくるんじゃない?喧嘩したくないから僕は帰るよ」

  「そうだな………………ぁ……えっと、また話そうな。よ、よろしく」

  俺がぎこちなく右手を差し出すと、藤原は一瞬首を傾げたあと、嫌みのない微笑と共に笑い声を漏らした。どこか気まずい空気を感じていた藤原が、普通に笑っているのを見てなんだか安心した。

  「なにそれコミュ障?最初は嫌々だったくせに」

  「…………こーすけ以外の二年生とも、喋っとく方がいいと思ってな」

  「まぁね。僕の部屋はいつでも訪ねていいよ。今度ルームメイトに紹介してあげる」

  そう言って藤原は俺の手を軽く握ったあと、くるりと踵を返してまた惣菜コーナーの方へ歩いていった。背丈の低い後ろ姿は中学生のようだけど、実際話してみるとずいぶんと大人びている。どこかこーすけと似たような雰囲気を感じるのは気のせいだろうか。本人たちに言ったら怒られるかな。

  …………いや、都会の人が大人びて感じるのは事実大人なんだろうな。田舎よりも刺激が多くて、たくさんの経験を早いうちから学ぶことができる。もちろん良い経験も、悪い経験も。でもそれ以上に、みんな早く大人になりたがってるように感じてしまう。さっきのビデオ屋でもそうだ、大人であることがカッコいいみたいな。俺はちょっと共感できないけど、そういう感情があることを理解しておく方が、利口かもしれない。

  すると、

  「あ!センパイ!!お菓子買いました?」

  「いや、まだだけど…………つーかこーすけは?」

  「レジのとこっす。なんか自分の買い物してたらしくてー」

  背後からした声に振り返ると、陽気な狼の笑みが視界に映った。篠崎は背が高いけど、笑顔は子供っぽく年相応に見える。

  篠崎は近づいてきて俺の持っている買い物籠を覗き込むと、驚いたような声をあげる。

  「え!けっこうお菓子選びのセンスいいすね!!俺えびせん大好きなんすよね~」

  「なんだよお菓子選びのセンスって」

  「いやなんか、バランスいいっつーか。センパイなかなかいいチョイスしますね!!」

  「…………………………………………………………」

  肘で脇腹を小突いてくる篠崎の腕を払いながら、ため息をついてからレジの方へ歩く。なぜか藤原と会ったことは篠崎に黙っていることにした。特に藤原と篠崎はなんの確執もないってのに。

  多分それは、裏サイトのことが頭の片隅に残っていたから。篠崎が知ってるかどうかは分からないけど、なんだか話題にする気になれなくて、それを隠して藤原とのことを話すのも憚られた。まるで悪いことの片棒を担がされたような気分だ。秘密はあまり持ちたくないもんだな。

  もしかしたらこの明るい横顔にも、秘密を抱えているのかもしれない。隣を歩く陽気な狼の笑顔を盗み見てみる。そう思うと少し、篠崎のことが怖く感じた。

  ,

  その後俺たちはお菓子を買って先輩たちと合流すると、寮まで真っ直ぐ帰ってそのまま相田先輩の部屋に集合した。点呼まではあと二時間くらいで、映画を見るには足りないけど、お菓子を食べるには早い。そんな中途半端な時間を持て余していた。

  今現在、相田先輩の大きなベッドの上に久郷田先輩とこーすけと並んで座り、床のカーペットの上に寝転ぶ篠崎を足先でつつきながら談笑していた。

  椅子の上でくつろぐ相田先輩に、篠崎が声をかける。

  「そういや相田センパイ!なんでセンパイだけ一人部屋なんすか?」

  「んーー?あそっかーー篠崎は知らないのかーー」

  相田先輩の方を見ると、いつも通りニコニコと笑いながらも気怠げに背もたれにぐったりと寄りかかり、そのデカい体重で椅子の脚を押しつぶそうとしているところだった。

  寮の部屋は基本的に二人一部屋になっている。寮生の人数的に一人一部屋ずつ与える余裕がないらしく、寮費が安上がりなのもそれが大きな原因だと、こーすけが言っていた。しかし相田先輩の部屋は異質で、普通の部屋より1.2倍くらい広い上に、ルームメイトがいないためか一人で悠々と使用している。その広さは、本来ならもうひとつベッドがある空間も使っているために、カーペットを敷いてちゃぶ台を置く余裕があるほどだった。小さめなら炬燵も置けるだろう。

  相田先輩の部屋に入ったのは初めてだったけど、この優遇っぷりには驚くところだ。

  「知らないって何をすか?」

  「ホントは俺一人部屋じゃないんだぞーー。今はいないけどなーー」

  「あー篠崎くん京極先輩知らないもんね。なんかずっといるような感じしてたけど」

  「京極センパイ??」

  篠崎の頭に見るからにはてなマークが浮かんでいる。同じく俺も、京極先輩とやらは初耳だった。

  俺たちの反応に、相田先輩はニヤニヤと笑う。

  「京極はこの寮の寮長だぞーー」

  「え!?寮長って久郷田センパイじゃないんすか?」

  「俺は副寮長だ。不本意だけどな」

  「京極先輩っていつ帰ってくるんですか?」

  「9月だったかなーー」

  相田先輩とこーすけの意味深な会話に、注意深く耳を傾ける。どうやら京極先輩はどこかに行っているらしい。

  「向こうの新学期が始まるタイミングってことですか?」

  「そうそうーー厳密には夏休みだけどなーー」

  「あ!!てことは京極先輩留学してるんすか!?」

  「そうそうーー厳密には交換留学だけどなー」

  「へーすげぇ!!アメリカっすか?」

  「そうそうーー厳密にはカナダだけどなーー」

  話を聞くところによると、京極先輩は稲光学園の姉妹校であるカナダの学校に交換留学生として留学しているところだそうだ。期間は半年間で、向こうの誰かの家にホームステイしている。反対に留学生のカナダ人は三年生として稲光にいるらしいけど。

  「京極センパイってどんな人すか?」

  篠崎の何気ない質問に、相田先輩はニコニコ笑い、久郷田先輩は舌打ちし、こーすけは頭を掻いた。

  「熊獣人でーー真面目なやつだよーー」

  「怒ると怖いかなー」

  「クソつまんねえ奴だ」

  三人それぞれの感想を聞く感じ、真面目で厳格なタイプの人だということが容易に伝わってきた。そしてルールを簡単に破りたがる久郷田先輩やこーすけとは相性が悪い人だろう。たぶん篠崎とも。

  「なんか何となくわかったっすわ。学級委員長タイプみたいな?」

  「学級委員長っつーか教頭だろアイツ」

  「俺より体デカいからねーー威圧感すごいよーー」

  「一回ゴミ捨てサボったら怒られたんだけどさー。めっちゃ怖かったよ」

  「……………………………………………………」

  そんなキッチリした性格の人なのか。この寮にはいないタイプだから、ぜひ一回お話してみたい。規律を重んじる人が一人いないと、みんなルールを破りたい放題になる。この寮の雄はみんな変態だし、篠崎を強く叱る存在も必要だ。

  少しマイナスな方へ傾いた印象に、相田先輩がすかさずフォローを入れる。

  「でも良い奴だよーー基本的には優しいしーー」

  「アイツが優しい?お前どうかしてるぞ」

  「久郷田先輩めっちゃ目つけられてましたもんねー」

  「え顔は!?イケメンすか?」

  「しょうゆ顔かなーー」

  「ブスだろ」

  「武士みたいな感じ」

  見た目に関する評価はまちまちのようだ。正直俺にはどうだっていいけど。

  …………でも、稲光学園に入学したってことは、そんな真面目そうな京極先輩でも同性恋愛をしたい、って意志があったってことだろう。少なからずその気があって、この学園を選んでるんだから。そう考えると、三人の言う真面目というのも比較的、という程度かもしれないな。

  俺が考えを巡らせていると、急に久郷田先輩にすごい力で腕を引っ張られた。踏ん張る余裕もなく、気づけば久郷田先輩の腕の中に収まってしまう。

  「っ、なんですか………………」

  「あっ!!久郷田センパイズルいっすよ!!」

  「うるせぇ。もし京極がまだ寮にいたら、たぶん渡嘉敷のボディーガードになってただろうな」

  「あー確かに。特に久郷田先輩には触らせないようにしそうですね」

  「?なんでそんなこと…………」

  俺が軽く抵抗する力を上からねじ伏せながら、久郷田先輩はフン、と鼻を鳴らした。

  「アイツは俺のことが嫌いだからな。ついでにお前みたいな無垢で可愛いタイプが好みだからだ」

  「えぇー!?じゃあ京極センパイもライバルっすか!?もうこれ以上増やさないで下さいっす……」

  「俺が好きで増やしてんじゃねぇよ……」

  呆れ返るこーすけの顔を見ながら、ふと急に恥ずかしくなって、久郷田先輩の脇腹に肘鉄を入れた。

  少し時間は飛んで、六時の点呼が終わったあと。適当にごはんを食べて、再び相田先輩の部屋に集合しようかと思ったときだった。食堂から出るいつもより少ない寮生の小波に流されながら、玄関の前を通り過ぎようとすると、ガラス張りのドアの前に人影があるのが見えた。

  少し薄暗い時間帯ではあるけど、その人影は青い作業着のようなものを着ていて、台車の上に重ねた段ボールの横で、寮の中を覗き込んでいた。

  「………………不審者…………じゃないな、宅配か」

  他の寮生もチラチラ外を見ていたけど、誰も対応するつもりはないらしい。確か寮への荷物は玄関が閉じてしまう夕方六時までに全て届けるようになっているらしいけど、間に合わなかったんだろうか。

  しかしこのまま無視するのは可哀想だ。宅配便の虎獣人のお兄さんも、分厚いガラスを恐る恐るノックしている。大声を出せば聞こえなくはないだろうが、さっさと玄関を開けてもらう方が先決だろう。まずは寮監を呼んでこないと。

  「あれ?哲也どうしたの?…………って宅配便来てんじゃん」

  夕飯を食べ終わって食堂から出てきたこーすけが、玄関で立ちすくむ俺に話しかけてきた。と思えばすぐに、玄関のすぐ横にある寮監の部屋のインターホンを鳴らした。相変わらず状況判断が早い。

  俺が何かできることはないか考えてる内に、青色のジャージを着た寮監がひょこりと扉から顔を出した。

  「はーい…………どうしたの?」

  「宅配便の人来てますよ」

  「あぁーありがとありがと」

  よいしょっと、とおじさん臭い声を出しながら、寮監は手早くサンダルを履いて歩み寄り、玄関のガラス扉を開けた。

  扉が開くなり、

  「お疲れ様ですほんと申し訳ないです……!!今日はどうしても間に合わなくて…………」

  「全然いいですよー。いつも大変そうねぇ」

  「あははっ…………俺がダメなだけです……」

  台車と一緒に飛び込むなりすぐに頭を下げる宅配便のお兄さんに、手慣れた様子で荷物を受けとる寮監。二人の空気感からするに、遅れてしまったのは今回が初めてじゃないんだろう。

  小さめの段ボールが五つほど地面に置かれ、宅配便のお兄さんは申し訳なさそうにサインをもらう。

  「ごめんなさいねぇ。うちの寮生たち通販ばっかり使うから」

  「いえいえ!稲光さんのとこはやりがいがありますよ!!」

  「いいじゃないですか通販くらい。六時過ぎたら外出すらできないんだし」

  二人のやりとりに自然と溶け込むこーすけの様子を見てると、こういう奴がコミュ力が高いというのだろうと分かった。寮監も笑いながら応える。

  「利根川くんは何注文したの?」

  「マンガです。すいません運んでもらって」

  「あははっ!いくらでも運びますよ!!」

  サインを受け取ると、宅配便のお兄さんは挨拶もそこそこに、深くお辞儀をしてから慌ただしく玄関を出ていった。扉を出てから最初の階段に躓いて、転びそうになりながらガチャガチャと音を立てて去っていく。なんだか粗忽な人だと思った。

  その後ろ姿を見ながら、寮監はため息をひとつつく。

  「かわいい………………」

  「確かにかわいいですよねー。寮監さん年下がタイプなんですか?」

  「そうねぇ…………ちょっとドジなコがいいかなー」

  「……………………かわいい……か?」

  あの宅配便のお兄さんは多分20代前半、身長は190近いしかなり大柄だった。笑顔は爽やかだったけど、あれが可愛いって………二人の価値観に驚く。

  こーすけはまるで友達かのように寮監さんに話しかけている。

  「ああいう人って仕事はミスするけどみんなに好かれてなんだかんだ可愛がられますよねー」

  「世渡り上手よねぇ。憧れるわ」

  「寮監さんなら付き合えるんじゃないですか?」

  「わたしぃ?無理よーおばさんだもん」

  「まだ20代でしょー?見た目も若いし」

  「誉めても何にも出ないわよー」

  ホワイトタイガーで且つ女性の寮監と、少し生意気な年下目線で上手いこと相手をおだてて会話できるのは、こーすけの才能だと思う。本当に思ってるのか知らないけど、飄々と嘘がつけるのも素直にすごいと思った。

  寮監は荷物を寮生に渡すために、段ボールを担いで放送室に入っていった。持つのを手伝おうかと申し出るのを憚られるくらい、力強い上腕二頭筋だった。

  こーすけはちらりと俺の方を見る。

  「玄関に知らない人いたら、大抵は寮監さん呼べば大丈夫だよ」

  「……………あぁ…………ありがとな」

  「ん、何?何見てんの?」

  俺がボーッとこーすけを見つめていると、微笑みながら上目遣いに覗き込んでくるこーすけ。この微笑みが、藤原や他の二年生に向けられることはない。多くの友人を作れるような社交性がありながら、それはごく僅かの人にしか使わないのだ。

  ………藤原には、去年の事件についてはこーすけは話を盛るだろうと言っていた。俺も半信半疑な部分があったが、こーすけがここまで極端に人によって態度を変えるのは、単に俺が好きだからとかそんなんじゃないような気がする。事件があったのは本当だと思うけど…………何か引っかかる部分がある。

  こーすけは、右手を俺の肩にそっと添えた。

  「…………俺に見惚れた?」

  「……んなわけねぇだろ。ポジティブだなお前」

  俺がぶっきらぼうに答えると、いたずらっぽく笑いながらさりげなく顔を近づける。じりじりと徐々に距離を詰めて、まるでキスをする直前のように。

  …………そうはさせるか。

  そっとこーすけの背中に手を忍ばせると、少し手を下に下ろしたくらいの高さのところに、細長くくねる尻尾に触れる。それを掴んで軽く引っ張ってやれば、

  「…………なに……ッッ、!!ニ"ャァアッ!!!」

  ドンッ!と音が出そうなほど強く俺の胸を突き飛ばしながら、悲鳴のような鳴き声を上げて毛を逆立たせるこーすけ。自然と前傾姿勢になり、警戒気味に耳を寝かせたまま俺を睨み付ける。

  思わずニヤついてしまうのを堪えながら、こーすけからの文句を待つ。

  「ッ………………猫の尻尾急に掴むなんて、ずいぶん失礼なことするね」

  「…………お前だって俺の尻尾よく触るだろ」

  「猫は別なの!脊髄と直結してるんだから………敏感なの知ってるくせに」

  いつも冷静なこーすけが、尻尾を掴まれたときだけは少し取り乱して不機嫌になる。なんだか優位をとれたような気がして、たまについついしてしまうちょっかいの一つだ。

  大きなため息をつくこーすけの肩を軽く叩きながら、二階へ続く階段の方へ誘導する。

  「悪かったよ。お前がキスしてくるかと思ったから」

  「いいじゃんキスくらい。次尻尾触ったら絶対するからね」

  「ならキスしようとすんな。次は尻尾引き抜くからな」

  俺の強気な返事を聞いてか、こーすけはやや驚いたかのように目を丸くしてから、嘲るように小さく鼻で笑った。

  そのわりには尻尾は上機嫌そうに、くねくねと動いていたけれど。

  [newpage]

  その家には窓が少なく、特にリビングへと繋がる廊下には外からの光がほとんど入らないせいか、昼間でも薄暗く視認性の悪い不気味な空間。老朽化した床板は踏みしめる度に仄かにギシリ、ギシリと音を立てる。スリッパ越しにも伝わる不快感、そして常に感じる背後への不気味な気配。

  初めは気のせいだと思っていた。考えすぎだろう、思い込みだろうと。くるりと背中が向いていた方を見てみれば、それはいつもの玄関への廊下でしかない。暗さ故に夜はほとんど点けっぱなしの強い電灯の下では、言い知れぬ感覚はあれど風すらもぴたりと動かない物の数々は安心感を与えるほどだった。

  しかし彼女の不安は拭いきれない。背後から感じる視線、振り返っても振り返っても何も見えないのに。彼女は確かに感じていた。その後ろにいる、“何か"を敏感に感じ取っていたのだ。確証は得られないままに、来る日も来る日も彼女は家のその廊下を逃げるようにリビングへ走り、"何か"を振り切るかの如く背を向け続けたのだ。

  ……ある日彼女は、いつものように廊下を通り過ぎようとした。強い電灯が照らすこの廊下で、また背後から気配を感じ取ってしまった。ふと扉の前で立ち止まり、緩慢な動きでその場で振り返った。

  当然、いつものようにそこには何もない。思い過ごしだとそのままリビングに行ってしまえばいいものを、何故かその日だけ彼女は戻ることをしなかった。

  リビングには幼い娘がいる。リビングに行けばいつもの幸せな空間が待っているというのに。

  どうやら彼女の知的好奇心はピークを迎えてしまったらしい。どうしてもそこにいる“何か”の存在を確認してしまいたくなったのだ。手を伸ばしても触れることはできない、目を凝らしても見ることすらできない…………“何か"に。

  彼女は廊下の端々に狂ったように目を向けながら、辺りを強く照らし続ける電灯のスイッチに触れた。カチ、と僅かに音を鳴らすプラスチック……たちまち暗黒が周囲を包み込み、リビングから漏れる薄明かりだけが唯一そこに光を射し込んでいる。

  彼女の目が暗闇に慣れるまで……瞬き数回で再び廊下を見据えたときだった。

  “何か"は、ずっと見ていた。闇の中にぼんやりと浮かび上がる輪郭は、薄明かりすら飲み込んでしまうかのような漆黒。人の形をする影が、呆然と立ちすくむ彼女のことを存在しない眼で見つめ続ける。

  一瞬止まった思考、慌てて彼女は電気を点ける。

  そこには先程の影のような物体は一欠片も映らなかった。幻影のように消えては現れるその存在が、彼女の生み出した妄想かのように。

  もう一度、彼女は電気を消した。

  『ッッギャァァアアアアアアアァッッッ!!!!』

  「うぉぉおおおおおおァァああぁあああ!!???」

  急に立ち上がるように飛び上がった篠崎は数秒間その場でバランスをとろうとくねくねするも、結局重心を保つことができずに俺たちの方へ倒れ込んできた。

  篠崎の悲鳴に驚いた俺は尻尾を敏感にピンと立てたまま体を守ろうとするものの、持っていたポップコーンの菓子を放り投げるわけにもいかず、判断が遅れた間に見事に篠崎の避ける方向と同じ方へ身体を捩らせた。

  ゴンッ!!と強い衝撃と共に、鈍器のように重たい物で全身を殴られたような痛みに耐える。

  「ウルセぇよっ!!」

  篠崎がのし掛かってきてベッドの上に重なって倒れたあとすぐに、久郷田先輩の怒鳴り声が聞こえるやいなや、さらに重たい拳骨のような衝撃が篠崎の体越しに伝わってきて、ぅぐっ、と何かを吐き出しそうな音が漏れた。

  その間数秒、ほんの一瞬の出来事だった。

  「あちゃーーお菓子がーーー」

  「ちょ…………一回止めるよ?」

  相田先輩とこーすけの声が左右から聞こえて、ガサゴソと音を立てて動き始める。依然俺の体に抱きつくようにのし掛かっている狼獣人は、耳元で息を荒げていた。

  「てめぇ叫びすぎなんだよ。ぶっ飛ばすぞ」

  「…………ぅぅぅビックリしたぁ…………マジ心臓止まるかと思ったっすわ……」

  「……っ、退けっ!重い………………」

  視界が悪いからよく分からないけど、ホラー映画に驚いた篠崎があろうことか後ろに倒れ込んできて、そのままどさくさに紛れて俺に抱き着いているところだろう。他の三人はその事態の収集をしているはずだ。ジュースもあったから悲惨なことにならなきゃいいが。

  俺はまだ片手にポップコーンの袋を持っており、空いた右手で篠崎の胸を押し返すも、とてもじゃないが片手で引き剥がせる質量じゃなかった。

  「おい…………退けよ」

  「センパイから離れたくないっす…………もう一生このままぁぁぁぁぁ悪魔ぁぁ…………!」

  胸にすがりつく篠崎が喋ってる最中に、痺れを切らした久郷田先輩が力ずくで身体を押し退けた。ごろんとベッドに転がる篠崎を他所に、ようやく上体を起こしてはぁ、とため息をついた。

  右を見れば、久郷田先輩が不機嫌そうに篠崎を睨んでいる。

  「お前この部屋出禁にするぞ」

  「えぇえっ!?それは勘弁してくださいっすよー」

  「俺の部屋なんだけどなーー」

  「篠崎くんそこ退いて。うるさい人は哲也の隣に座る権利剥奪」

  「…………俺の権利じゃねぇのかよ」

  ちらりとテレビ画面を見ると、もうDVDを止めてしまったのか真っ黒になっていた。ホラー映画を見たのは初めてだったけど、なかなか引き込まれるし内心ドキリとした演出も多くて見ごたえがあった。結末が気になるところだけど、みんなそれどころじゃないだろう。

  相田先輩はのほほんと笑いながら、床のちゃぶ台を端に寄せる。

  「なんか雰囲気壊れちゃったなーー篠崎のせいで」

  「いやいや叫んだのは俺っすけど、久郷田センパイもビビってたっすよ!!」

  「あ?ビビるわけねぇだろこんな子供騙し」

  「ウソだー尻尾膨れてたの見たっすよ!」

  「風呂上がりで膨張しただけだ」

  「今は縮んでるじゃないっすか!」

  「うるせぇ殺すぞ!」

  「まぁまぁ喧嘩するなよーー」

  俺を挟んで口喧嘩するなやかましい。隣にいたから知ってるけど、久郷田先輩もビックリシーンのときは毛が逆立ってた。相田先輩くらいだ無反応なのは。

  俺がボリボリと頭を掻くと、こーすけがチョコレート菓子を勧めてくる。

  「哲也、口開けて」

  「…………え?いや、別に…………」

  「いいから。あーん」

  マズルをツンツンと突つくような固いチョコレートの感触がして、渋々口を開ける。チョコレートを放り込まれた口内に甘い風味とカリッとした食感が広がり、数回咀嚼して飲み込んだ。

  ちらりと横目でこーすけを見ると、満足げな顔をしていた。

  「犬科がチョコレート食べれるようになったの意外と最近だって知ってた?」

  「…………いや。最近ってどれくらい?」

  「40年くらい前かな。その前も麻薬として流通してたらしいんだけど、致死量の上限がかなり増えて一般的になったのはそれくらい前」

  チョコレートについては知らなかったけど、それに近しい話はたくさん聞いたことがある。昔、多種多様な獣人たちはそれぞれ食べれるものの差がありすぎて、一般人には把握しきれないくらいあったらしい。それから食料品の品種改良がどんどん進んだのは数十年前、今ではほとんどの種族が同じ物を食べても生きれるように、汎用食品と呼ばれるものが流通している。

  逆に言えば、俺たちの世代は汎用食品以外食べたことがなくて、じぃちゃんとかに聞けばもっと色んな食べ物の話が聞けたりする。

  「それ俺も聞いたことあるっす!昔はチョコレートって貴族の食べ物だったんすよね?」

  「貴族っていうか…………日本人はほとんど食べたことなかったよ。産地が海外だからね」

  「…………米兵が持ってたチョコレートを貰ったことがあるって、島のばぁちゃんが言ってたぞ」

  「沖縄の方って昔植民地だったもんね。詳しくは知らないけど」

  あぁそうか、島に住んでた頃は社会の勉強のときに日本復帰運動とか当たり前のように習ってたけど、東京の人は馴染みがないもんな。勉強の進み具合は大して変わらないけど、田舎と都会の授業の差はこんな風に感じることがある。

  俺がそのことに少し思いを馳せていると、

  「…………おい、口開けろ」

  右隣にいた久郷田先輩が、不意に耳元で囁いた。とはいえその低く甘い声色は部屋にいた全員に聞こえるほどの大きさだったと思うけれど。

  俺がそれに驚いて、思わず右を向こうとしたとき。こちらを睨むような強い眼光と唸り声を背後から感じていた。同時に、眼前には男前なハスキーがこれでもかというくらい顔を近づけてきている。

  「………………、っ!!?」

  息を呑んだ俺の口がポッカリと間抜けに空いていたのを計算していたかのように、久郷田先輩のマズルが斜めにそこに侵入しようとしていた………………のを、誰かの毛むくじゃらな手が遮っていた。匂いから、あらかた想像はつくけれど。

  「………………おい、何しやがんだテメェ」

  久郷田先輩の不機嫌そうな声が部屋に響いて、俺は一瞬耳をぺたりと寝かせた。そしてその耳で、今度は篠崎が大きく息を吸うのが聞こえてきた。

  「何がじゃないっすよっ!!!何適当な流れでキスしようとしてんすか!!!」

  「テ…………渡嘉敷も抵抗してなかったろうが」

  「そういう問題じゃないっすよ!!!!ホント頭ん中ヤることしか考えてないんすね!!!」

  今度は篠崎が俺と久郷田先輩を無理やり引き離すと、凄い力で俺を抱き寄せてがっしりと腕の中に固定した。抵抗しなかったのは、あまりにも力が強かったのと、なんだか面倒くさいことに巻き込まれてる自覚があったからだ。

  久郷田先輩がグルルと威嚇するように唸った。

  「渡嘉敷センパイはそういうのに疎いんすよ!!抵抗しないんじゃなくてできないんです!!!」

  「んなの言い訳になるか。何テメェが勝手に渡嘉敷の気持ち代弁してんだ?」

  「渡嘉敷センパイも思ってますもん!!!久郷田センパイみたいなヤリチン野郎なんかにキスされたくないって!」

  「てめぇいい加減に────」

  久郷田先輩が体を前のめりにして篠崎に掴みかかろうとしたとき、突然バカでかい体がぐらりとバランスを崩した後、まるで子犬のように軽々と後ろに吹き飛んだ。正確には、あまりに強い力で体を引っ張られたせいで、姿勢を保てずにベッドから転げ落ちたのだ。

  その事故のような出来事に、張本人はまるで意に介さないのんびりとした様子で言い放つ。

  「喧嘩はダメだぞーーどんなことでもーー」

  相田先輩は放り投げた久郷田先輩をちらりと確認してから、俺たちの方を見て微笑んだ。その笑顔には、安心させようという気持ちとこれ以上バカなことはするなよという脅迫めいたメッセージを受け取ることができて、なんだか血の気が引いた。

  その折、こーすけが面倒そうに立ち上がって、部屋の床で頭を擦っている久郷田先輩を心配しに行った。

  「…………あの、相田先輩ありがとうございます。篠崎はもう放せ」

  「ぁ…………はい、さーせん……」

  「渡嘉敷気をつけろよーー久郷田も篠崎もカッとなりやすいからなーー」

  「え!?俺は全然っすよ!!」

  「そういうとこだろ……バカ」

  不満そうな篠崎から離れて、大人しく座り込む久郷田先輩の方に行ってみる。正直相田先輩に噛みつくんじゃないかと思ったが、思いの外従順だった。

  「………いってぇな…………相田は力加減できねぇのか」

  「久郷田先輩も学習すればいいのに。何も毎度吹っ飛ばされることないですよ」

  「…………あの、久郷田先輩大丈夫ですか?」

  俺が久郷田先輩の前に中腰でしゃがみこむと、こーすけのじとっとした視線が刺さる。

  「あ、元凶が来た」

  「…………なんだよその言い方」

  「心配すんな、篠崎は後でシメとく。そんでオメェは黙って俺のもんに──────」

  ダ"ンッッ!!!!!

  全員ビクッと体が跳ねて、音の方を即座に確認した。相田先輩が机の上にプラスチックコップを置いた音だった。当然、コップはくしゃりとティッシュのように丸まってしまっている。

  たった一挙一動で久郷田先輩を黙らせることができるなんて、スゴいなと思うと共に、腕っぷしだけのこの寮に、京極先輩が帰ってくるのを一刻も早く望むところだった。

  少し時刻は飛んで、夜の点呼も終わったところだった。こーすけの計画では、みんなで映画でも見ながら夜更かしするようだったけれど、しばしば二人が俺を取り合って喧嘩まがいのこと(喧嘩をすると相田先輩に止められるため)をするせいで、もうさっさと就寝することになったのだ。

  結局映画もろくに楽しめず、お菓子も…………けっこう美味しかったけどゆっくり味わうことは出来なかった。せっかく人の奢りで色々買えたんだから、もっと樂しめばよかった。

  もう寝るということになって、当然のように立ち上がって部屋から出ていこうとする俺の背中に、こーすけの声がかかる。

  「どこ行くの?」

  振り向いて後ろを見れば、当たり前のようにタンスから敷き布団を出す相田先輩の姿があった。

  「…………どこって、寝るんだろ?」

  「そう。一緒にね?」

  「……………………っ…………………………」

  にこりと微笑んだこーすけの顔には、逃がさねぇぞと書いてあった。その背後には、机を運ばされてる篠崎と久郷田先輩の姿が見える。

  「………………いや、五人じゃ狭いだろ。俺は部屋で寝るよ」

  「狭くないぞーー詰めれば寝れるぞーー」

  「………………いや、でも四人の方が」

  「センパイ一緒に寝ましょ!!」

  「………………いや、でも」

  「渡嘉敷。約束忘れたわけじゃねぇよな?」

  「…………………………………………………………」

  有無を言わせぬオーラを四人から感じて、思わず俺は後退りした。今までもこの中のほとんどの人と添い寝をしたことがあるが、なんとなく雰囲気に流されたせいだった。基本的にあんまり添い寝は好きじゃないっていうか、島ではいつも一人で寝てたし慣れていない。まぁ頼まれたらしないわけじゃないけど、乗り気ってわけでもない。そのくらいのスタンスだ。

  それを知ってか知らずか、こーすけは俺を連れ戻しベッドの上に座らせた。他の四人が適当に座り込んだところで、不意に電気が消えて、窓からの薄明かりのみになる。

  言い出しっぺだからかこーすけから口を開いた。

  「………なんか電気消す前にすべきだと思うけど、寝る場所決めましょうか」

  「ホントにそうだろ。ていうか俺は自分の部屋で寝たいんだけど」

  「俺はベッドがいいかなーー」

  「俺は渡嘉敷センパイと一緒ならどこでもいいっす!」

  「渡嘉敷は床だろ。そんで俺の隣だ」

  堰を切ったようにみんながガヤガヤと喋り出す。やはり五人もいたらみんなが納得のいく場所取りはできないだろう。

  ベッド床論争をするこーすけと相田先輩に、俺の所在を決める論争をする篠崎と久郷田先輩。このままじゃきっと埒が明かないだろう。

  「哲也と寝たいのは俺も一緒だけどさ。三人いるからどうしようもないよね」

  「じゃあ四人で床に寝たらいいんじゃないかーー」

  「さすがに狭すぎっすよ!久郷田先輩デカいんでベッドで寝てください」

  「お前もそんな変わんねぇだろ。利根川は相田と寝ろ。チビだからな」

  「………………………………………………」

  「えー相田先輩寝相悪いじゃないですか」

  「この間俺蹴られたっすよ!」

  「あははーー謝っただろーー?」

  「相田は一番端に寝ろ。被害が少なくて済む」

  「……………………………………………………………………」

  ……はぁ、やはり決まらないだろう。さっさと寝てしまうためにも、どうでもいい寝る場所争いを終わらせなければならない。そのためには、まず…………。

  薄暗闇の中で、隣に座る相田先輩の手にそっと触れた。

  「…………俺は、相田先輩とベッドで寝る。お前ら三人で並びじゃんけんしてろよ」

  俺が静かにそう言い放つと、一瞬の呼吸を置いてから猛烈なブーイングが寄せられた。主に篠崎だけど。

  他の三人がごちゃごちゃ言っているのを無視して、弱く手を握った相田先輩の顔色を伺ってみる。なんだか避難所みたいな扱いをしてしまってるようで、少し申し訳なく思ったんだけど。

  「渡嘉敷センパーイ俺と寝ましょうっす…………!」

  「相田の隣は地獄だぞ」

  「相田先輩そのスケコマシ先輩も狙ってますよ」

  「うるせぇよお前らっ!!!いいですか相田先輩?」

  暗いせいで目の色や表情は分からない。もしかしたら怒ってたり嫌な気持ちだったりするだろうか?

  顔を覗き込んだそのとき。カーテンの隙間から射し込んだ月光が、普段長毛で見えづらい瞳を漆黒の宝石のようにキラキラと照らした。その吸い込まれそうな美しい双眸を呆けた顔で見ていた俺を、相田先輩はいつも通りの柔らかい微笑みで包み込んだ。

  「いいぞ。一緒に寝ような………渡嘉敷」

  いつもの間延びした口調が打って変わり、低音のかつよく響く魅力的な声が、俺に向かって囁かれる。不甲斐なく…………一瞬ドキリと心臓が驚いてしまった。

  相田先輩は俺の手を握り返すと、そっと優しくベッドに押し倒した。みんなの視線から守るように、俺を壁際に寝かせて自分は横向きに寝てくれる。大きな壁に守られているような絶対的な安心感が、そこにはあった。

  「おやすみーー」

  「……ぉ…………おやすみなさい………………」

  またいつもの相田先輩に戻った頃には、他の三人が口出しする隙もないほどに、ピタリと俺を独り占めしていた。実際、ふわふわの長毛で抱き締められるのはかなり心地がよく、安心感と相まってすぐに眠気に襲われた。それに追い討ちをかけるように、相田先輩の大きな手が俺の頭を優しく撫で下ろした。

  「…………っ、抜け駆けズルいっすよ……」

  「おい相田お前彼女いんだろうが」

  「もう…………ほんと総受けって最悪…………」

  向こう側から聞こえてくる声は確かに耳に入ってきたけれど、それが全く気にならないほど、俺は睡魔に正直に従っていた。呼吸が段々とゆっくりと、一定のペースを刻む頃には、俺はすっかり夢の世界に飛びだってしまっていたのだ。

  [newpage]

  不意に目が覚めたとき、俺は一人でベッドの上に横になっていた。寝る前には相田先輩の腕に女のように抱かれていたはずだけど、その感触ももうない。きっと俺のことだからまた朝五時ぴったりに起きてしまったんだろう。もはや癖になっているから、これは治しようがない。

  むくりと上体を起こして、周囲の状況を確認してみた。少し乱れたシーツの上には、俺一人の身体しかない。みんなが寝ている床の方を見てみれば、相田先輩の体が久郷田先輩と篠崎の上に重なっていた。どうやら寝相が悪いせいで、転がって床に落ちてしまったらしい。俺が無事だったのも奇跡に近いだろう。

  まぁ相田先輩の下敷きになった日の目覚めは悪いだろう。二人は確か今日部活だとか言ってた気がするし、不機嫌そうに点呼に出るに違いない。反対に部屋の隅に猫らしく小さく丸まっているこーすけは、相変わらず被害を受けないタイプだな。天まで味方しているんだろうか。

  他のみんなを起こさないように、そっとベッドから降りる。寝顔を観察してもいいが、下手に起こしてしまうのも申し訳ない気がして、頭を数回ボリボリと掻きながら部屋の出口へとこっそり歩く。

  正直、総合的に言うとお泊まり会はまぁまぁ楽しかった。いつも顔を合わせてる人たちとはいえ、一緒に映画を見て驚いたり、お菓子を食べて楽しんだり。これまでにはない体験になった…………反面、もしこれが全員ノンケの友達だったらな、と思うところもある。

  もしみんながゲイじゃなかったら………俺を取り合って喧嘩したり、当たり前のように添い寝することもなかったかもしれない。もっと映画やお菓子を楽しんで、笑いを共有して…………………………

  いや。そんなの求めすぎだ。みんながさして取り柄もない俺を、こんなにも好き好き言ってくれるのは、紛れもなくみんながゲイだからなんだ。ノンケ友達とは、こんな風に遊ぶことだってできなかったろうし。

  部屋の扉もそっと閉めて、廊下の涼しげな空気を全身に浴びる。今日はゴールデンウィークの二日目だ。宿題を早々に終わらせるのもいいけど、例えば散歩をしたり体を動かしたりするのもいいだろう。一人になって思いっきり海で泳げたりしたら、きっと最高だろうけど。

  そのとき。廊下の奥…………階段のところに人影が見えた。誰というわけじゃない、ただ、恐らく蜥蜴のような尻尾がちらりと映って、階段を登り屋上へと上がっていったのだ。

  こんな時間に人影が見えるのも珍しいのに、屋上に行くなんてもっと珍しい。もしかすると、昨日の午前中に見た後ろ姿と同じ人なんだろうか。

  知的好奇心が刺激されると、朝の清々しい気分も相まって探求心も芽生えてくる。追いかけてもいいだろうか…………そうか、俺も何か用事があることにして話しかけてみようかな。先輩か後輩かも分からないけど、自分から話しかけるのは悪いことじゃない。いつもこの時間に起きてる人なら、朝の暇つぶし相手になってくれるかもしれない。

  決心するやいなや、逸る気持ちを押さえて足早に彼を追いかけた。静かな早朝の廊下には、当然俺の足音しか響いていない。他の寮生は皆、睡眠を貪っているところだろうに。

  階段まで着いたら、一応真上を見上げてみた。踊り場を挟んで屋上への階段は、最終的にひとつの磨りガラスの扉へと終着する。蜥蜴獣人はとっくに屋上に入ったらしく、階段には見る影もなかった。

  二段飛ばしで階段を登った。別に焦る必要なんてないんだけれど、どこかワクワクする気持ちを抑えられないでいた。日常の中にある非現実に、思いを馳せていたのかもしれない。それほど深く考え込んではいないのに、いつもより脳が冴えてるような気がした。

  扉の前に立つ。ドアノブを手にかけて、勢いよく捻った。屋上に行くのはこれが初めてではないが、初めてのときよりも緊張感がある。扉の向こうには、初対面の誰かがいるのだ。ここまで来たら引き返せない。もう何度めかの決意を固めた。

  扉を、開け放つ──────

  「…………………………ぇ………………?」

  思わず口から声が漏れた。目の前の状況に眼を見開いた。尻尾はピンと芯を持ち、耳は広がり鼻はひくつく。それでも現実は変わることがない。むしろ、見れば見るほど事実をまざまざと見せつけられるだけだ。

  死角のない屋上。そこには誰もいなかった。

  シーツ一枚もない物干し竿の列に視線を巡らせても、先ほどの蜥蜴獣人は姿形すら無くなっている。まるでずっと誰もいなかったかのように。今まで誰も、受け入れたことのない場所かのように、薄情な冷たい春風が、顔の横を吹き抜けていった。