男湯の[[rb:暖簾 > のれん]]をくぐると、温泉の匂いが鼻先をくすぐった。壁の棚には伏せられたままの木製のかごが整然と並んでいる。先客の気配はなく、しんとした空気が脱衣所を漂っていた。
「一番乗りみたいですね」
「そうだな」
僕の隣に立つ大柄なセントバーナード──[[rb:蔵前 > くらまえ]]さんはそう言いながら、浴衣の帯に手をかけた。するりという音とともに結び目が解かれると、薄い布に収められていた腹の肉がこぼれ落ちる。僕の視線は、思わずその膨らみに吸い寄せられてしまう。
はだけた浴衣の内側に、白いランニングシャツと、色が[[rb:褪 > あ]]せ気味な緑色のトランクスが見える。シャツの裾はたっぷりと付いた肉に持ち上げられて、白い被毛を覗かせている。[[rb:恰幅 > かっぷく]]のよい身体の輪郭を浮かび上がらせながら、蔵前さんは浴衣を脱いでかごに放り込んだ。もう何度も見ているはずなのに、僕はその姿を意識してしまう。
蔵前さんは僕の内心など知る由もなく、ランニングシャツを頭から脱いだ。腕の動きに合わせて腹の膨らみが持ち上がり、それが下がって微かに揺れる。トランクスの尻尾穴を外して、足元まで下ろしたあと、片足ずつ持ち上げてそれを拾い上げる。
脇腹から背中にかけて広がる褐色の被毛と、肉の付いた白い胸と腹。蔵前さんは前を隠す素振りも見せず、タオルを片手に僕の方を向いた。下腹部にあるずんぐりと太短いものは、皮を被って茂みの中に埋もれている。
「どうかしたか?」
「え、いや──なっ、なんでもないです」
蔵前さんを見てぼうっとしていた僕は、慌てて自分の浴衣に手をかける。すぐ隣に、何も身に付けていない蔵前さんがいることを意識すると、妙に指先がぎこちなくなってしまった。
僕が裸になると、蔵前さんは先導して浴場へと歩き出した。腰から垂れる太い尾が揺れているのを眺めながら、その後ろを付いていく。
脱衣所に並ぶ洗面所の鏡に、裸で歩く僕たちの姿が映り込む。大柄なセントバーナードと、細身のハチワレ猫。僕だって[[rb:華奢 > きゃしゃ]]というわけではないのだが、蔵前さんの[[rb:体躯 > たいく]]と並ぶと、なんだか折れてしまいそうな頼りなさを感じてしまう。
蔵前さんは、がらがらと音を立てて引き戸を開いた。こじんまりとした浴室には、誰の姿もない。茶褐色の湯に満たされている湯船は静かに湯気を立てており、濃厚な鉄の匂いが鼻先を包んだ。
僕たちは身体を洗ってから、内湯にゆっくりと足を入れた。温泉だと知らなければ触れるのに躊躇しそうな色の濁り湯は、浸かった爪先からすぐに見えなくなっていく。長く浸かるのにちょうど良さそうな温度で、僕はそのまま肩まで身体を湯に沈める。
「う、おぉ……」
隣で同じように湯に浸かる蔵前さんは、気持ちよさそうに唸っていた。その様子を見て、僕は口元が緩むのを感じた。
「山道の運転、お疲れ様でした」
ほっと息をつきながら、隣で湯に浸かる蔵前さんに言う。
「帰りは僕が運転するので。蔵前さんは、助手席でビールでも飲んでいて大丈夫ですよ」
「……俺をなんだと思っているんだ」
蔵前さんは、[[rb:厳 > いかめ]]しい顔付きの上で目を細めてそう言い、続ける。
「それは、帰りの新幹線にとっておく」
その言葉に、僕はくすりと笑った。
内湯で身体を温めたあと、僕たちは露天風呂に移動した。そちらは源泉掛け流しなのか、内湯と比べて色も匂いも濃い。石造りの湯船は、源泉の影響か褐色に染まっている。内湯より温度も高く、僕たちはゆっくりと身体を浸からせた。
山間の静寂に、湯口から湧き出す水音が響いている。五月の陽気が頬の毛を撫で、新緑の匂いが鼻先を通り過ぎている。さらりとして涼やかな空気が、温まっていく身体に心地良い。木々が風に揺れて葉を鳴らし、ときおりそこに鳥の声が混ざるのが聞こえた。
五月の連休を利用して、僕と蔵前さんは旅行に出かけていた。主な目的地はここ、山深いところに建つ温泉宿だった。蔵前さんは温泉が好きで、泊まりがけで行くならここがいいと僕を誘ってくれたのだ。
都心から新幹線に乗り、駅からレンタカーで数時間。曲がりくねった山道を登ったり下ったりして、はるばるやって来たのがここというわけだ。事前に見たサイトやガイドブックに記されていた、秘境だとか秘湯の文字に嘘偽りはなかった。
蔵前さんはよほど楽しみだったのか、到着して客室に荷物を置くやいなや、いそいそと浴衣に着替え始めていた。僕もそれに急かされて、荷物を広げるのもほどほどに、急いで着替えて一緒に浴場へ向かったのだった。
胸元まで湯に浸かりながら、ふと蔵前さんの方へ視線を向ける。それに気が付いたのか、蔵前さんもこちらに顔を向けた。
「どうかしたか?」
低いながらも柔らかな声色で蔵前さんはそう言った。[[rb:強面 > こわもて]]な顔の作りは変わらないが、そこには──じっくりと見なければわからない程度だが──優しげな笑みが見てとれる。その表情に僕の胸は高鳴る。
「いいところですね。静かで、落ち着いていて」
ごまかすように言うと、蔵前さんは小さく頷いた。
「ああ。前から気になっていたんだが、[[rb:駒形 > こまがた]]と一緒に来られてよかった」
蔵前さんはそう言うと、厚い手のひらで湯をすくって肩にかけた。
それからしばらく、僕たちは言葉少なに温泉を楽しんだ。山間に響く鳥の声、風に揺れる木々のざわめき、湯が岩に当たって立てる小さな音。五感のすべてが穏やかな時間に包まれていた。湯口から絶え間なく注がれる源泉は、新鮮な熱を運んで身体を温めた。
肩を並べて湯に浸かる蔵前さんは、気持ちよさそうに目を細めている。僕はその様子を横目で窺いながら、不思議な[[rb:感慨 > かんがい]]を覚えていた。
あの冬、出張先のビジネスホテル──予約ミスで同じベッドで寝ることになった夜。口から漏れてしまった想いが伝わって、勢いのままに身体を重ねて──。そこまで考えて、僕は頭を振った。記憶に抱かれていると、湯とは違う熱で身体が火照ってしまいそうになる。
ほとんど事故のようなきっかけだが、結果として、僕と蔵前さんはそういう関係になった。もちろん、職場では今まで通りの上司と部下として振る舞っている。しかし、週末は一緒に出かけたり、互いの家で過ごしたりするのが当たり前になっていた。
付き合うようになって、会社では知らなかった蔵前さんの一面を知った。それは、言葉にするには数が多すぎる。オフの時の少し緩んだ表情や、ひとりで暮らしているアパートの様子。スーツではない、年相応のおじさんという感じの私服。好きなものやことの色々──温泉が好きだということも、付き合うまでは知らなかったことの一つだった。
「──そろそろ上がるか」
そう言った蔵前さんの声に、僕の意識が引き戻される。蔵前さんは頭にタオルを乗せて、浴槽の[[rb:縁 > へり]]にもたれかかっていた。
「[[rb:熱湯 > あつゆ]]だから、浸かりすぎは良くない」
「そうですね。僕もかなり温まりました」
そう答えると蔵前さんは頷いて立ち上がった。大きな身体から湯が滴り落ちて、水面が波打つ。濡れた被毛が張り付いて、肉感があらわになった身体が眼前にそびえる。僕は別の意味で身体の芯が熱くなるのを感じた。
シャワーで身体を流してから、僕たちは浴場を後にした。被毛の水気をタオルで拭き取り、ドライヤーで乾かす。
温泉の効果か、軽く汗ばみそうなくらいに身体が温まっていたので、僕たちは裸のまま脱衣所の壁に備え付けられた扇風機の風を受けながら涼んだ。蔵前さんの腹の白い被毛が、風にそよいで揺れているのが視界の隅に映る。
扇風機の羽が回る音と、戸の向こうから聞こえる温泉の湯音。時間がゆっくりと流れているのを感じる。湯上がりでリラックスした様子の蔵前さんは、会社での厳しい雰囲気とはまったく違って見えた。その穏やかな横顔を遠慮がちに眺めていると、胸の奥で何かがじんわりと温かくなるのを感じた。
* * *
赤い[[rb:絨毯 > じゅうたん]]が敷かれた廊下を、スリッパを鳴らしながら歩いて客室に戻る。窓から見える山々には夕陽が差していて、稜線が橙色に染まっていた。標高の高いこの辺りは都心に比べて涼しく、湯上がりで火照った身体に心地よい風が通り抜けていく。
歴史を感じさせる造りの建物ではあるが、手入れは隅々まで行き届いているようだった。廊下の所々に置かれている民芸品や、壁にかけられている風景画が、レトロな風情を漂わせている。僕と蔵前さんは、涼をとるのも兼ねてそれらを眺めながらのんびりと足を運んだ。
客室に戻った僕たちは、濡れたタオルを干してから腰を落ち着けた。こちらも懐かしい匂いの漂う畳敷きの部屋で、床の間の掛け軸や[[rb:広縁 > ひろえん]]の[[rb:籐椅子 > とういす]]が時代を感じさせた。
蔵前さんは慣れた手つきで電気ポットのスイッチを入れ、僕は座卓の上に用意されていた急須と湯呑みを準備した。沸いた湯でお茶を淹れて口を付けると、旅の片道が終わったように感じられた。
お茶菓子をちびちびと口に運びながら、旅の疲れを癒すようにくつろぐ。温かい茶の香りが部屋に漂い、点を描くような会話がぽつぽつと交わされる。旅館のすぐ近くには川が流れており、そのせせらぎが耳を癒してくれるようだった。
蔵前さんはテレビのリモコンを手に取り、電源を入れた。小さな画面には地元のローカル番組が映し出される。知らない土地の風景やお店が画面に映り、僕は今さらながらに遠出をしている感覚を抱く。普段なら見ることのない番組に、旅先ならではの特別感を覚えた。
蔵前さんの湯呑みが空になっているのに気が付いて、僕は何度目かのおかわりを訊ねた。
「いや、もう十分だ」
蔵前さんはそう言って首を振る。
「わかりました。飲みたくなったら言ってください」
浮かしかけた腰を下ろして、僕はまたテレビに視線を戻した。画面の中では野鳥の巣作りの映像が流れており、雛の鳴き声が部屋に響いていた。
互いに画面を眺めながら、しばらく無言の時間が過ぎる。そんな中で、蔵前さんが小さく咳払いをした。
「隣……来るか?」
低く掠れた声で蔵前さんがそう言った。僕は視線を向けるが、蔵前さんの視線はテレビに固定されたままだった。
僕は座布団の端を掴んで音を立てないように引きずり、蔵前さんの横に移動させる。畳の上で座布団が擦れる僅かな音が、静寂の中で妙に大きく聞こえた。腰を下ろすと、浴衣の袖が触れ合って衣擦れの音が小さく響く。石鹸の匂いがほのかに漂い、その奥に蔵前さん自身の温もりのある匂いが混ざっていた。
「お、お邪魔します」
息を吐くような声でそう言うと、蔵前さんの太い腕がそっと僕の肩に回された。ずっしりとした重みを感じ、手のひらの厚みと温もりが浴衣越しに伝わってくる。僕は蔵前さんの体温に引き寄せられるように身体を寄せて、体重を預けた。
視線を下ろすと、浴衣の裾から出ている蔵前さんの太い脚が座卓の下に見えた。動いているうちにずり落ちたのか、帯は丸々とした下腹に追いやられている。赤褐色と白色の太い尾は、微かに揺れて畳を擦っている。
「いい湯だったな」
蔵前さんは呟くようにそう言い、空いている方の手で僕の手を握った。僕は指を絡めて握り返す。肉厚な手や太い指から伝わる蔵前さんの体温に、身体が熱を帯びていくのを感じた。
「腹は減ってないか?」
「温泉に入ったからか、空いてきました」
「俺もだ。昼は軽めだったからな」
蔵前さんはそう言うと、握ったままの手を腹に置いた。湯上がりで汗ばんだのか、薄布が微かに湿っている。浴衣越しに感じる肉付きに、僕の鼓動が早くなるのを聴いた。
「すまん、若者の腹には物足りなかったか」
「そんなことないですよ。山菜もお蕎麦もおいしかったです」
「ならいいんだが」
肩を抱いていた蔵前さんの腕が動き、僕の頭を撫でてくる。その手付きも、僕に向けられる眼差しも、とても優しい色をしている。愛しさに胸がじんわりと温かくなり、自然と顔がほころんだ。
付き合い始めてから、蔵前さんは僕にとても優しくしてくれる。厳しい顔の造形はもちろん変わらないのだけれど、柔らかな表情で、僕を大切に扱ってくれているのがわかる。
それは触れ合うときも同様で、ぎこちないながらも、僕の身体を気遣ってくれているのを感じる。蔵前さんの大きな身体に抱かれていると、僕は──それこそ先ほどまで浸かっていた温泉のように──身も心も温かいものに包まれている気分になる。
でも、と僕は胸の内で呟く。蔵前さんと身体を重ねているとき、その意識の底では別の欲求が[[rb:疼 > うず]]いている。初めて抱かれた時の激しさ——蔵前さんが僕に見せた[[rb:獰猛 > どうもう]]な表情が、僕はどうしても忘れられなかった。贅沢な悩みだと思う。けれど、悶々としてしまうのも事実だった。
「──駒形」
名前を呼ばれて顔を上げると、蔵前さんの顔が間近にあった。がっしりとした彼の手が頬に添えられて、毛並みを整えるように指先が動く。くすぐったいような気持ちいいような感覚に目を細めると、蔵前さんがふっと鼻息を漏らした。
「蔵前さん……」
互いの瞳に映る自身の顔を捉えられるほどの距離で、僕たちは見つめ合っている。蔵前さんの吐息が、顔の毛を撫でていくのを感じた。僕はゆっくりと瞼を下ろす。触れ合っている蔵前さんの身体が動くのを感じた──瞬間、遠慮がちなノックの音が部屋に響いた。
「お[[rb:寛 > くつろ]]ぎ中のところ失礼いたします。お食事のご用意ができましたので──」
出入り口の方から女性の声が聞こえ、僕たちは慌てて身を離した。
立ち上がって、乱れた浴衣を急いで直す。僕は頬の火照りを隠すようにごしごしと顔を拭った。蔵前さんは何事もなかったかのように襟を正すと、扉の方へ歩き出した。
* * *
「失礼いたします」
そう言って頭を下げたのは、仲居である年配の狸の女性だった。ふっくらとした体型を着物に包み、慣れた様子で座卓に料理を並べていく。僕たちは壁際に身を寄せて、彼女がてきぱきと動くのを眺めていた。
「長旅、お疲れさまでございました。温泉はいかがでしたでしょうか」
手を動かすのは止めないまま、彼女はそう声をかけてくる。
「ええ、とてもいいお湯でした。貸切状態で、ゆっくりできました」
僕の隣に立っている蔵前さんは、社交的な笑みを浮かべながらそう返した。
「それはよろしゅうございました。お天気にも恵まれて、新緑が美しい季節でございますね」
仲居は手早く座卓を準備しながら話を続ける。お膳が並べられ、お箸や小皿が丁寧に配置されていく。その手つきは熟練のもので、無駄な動きが一切なかった。
「本日は遠くからいらしてくださって、山奥で大変だったでしょう」
「いえ、久しぶりの運転で、いい気分転換になりました」
話好きの仲居さんなのか、手を動かしながらも彼女の口が閉じることはなかった。話題は尽きないと言った様子で、周辺の観光地や四季折々の宿の様子を伝えてくる。特に後者の話題には蔵前さんが食いつき、質問も交えて会話が盛り上がっていた。
「最初のお飲み物はいかがなさいますか」
「そうですね、初めはビールで」
彼女の問いかけに、蔵前さんは考える間もなく答えた。それから僕の方を向いて訊ねる。
「駒形はどうする?」
「あっ、えっと、僕もビールで大丈夫です」
「では瓶を一本とグラスを二つで。……地酒なんかも置いてありますか?」
「はい、ございますよ。地元の酒蔵の銘柄がいくつか」仲居さんは笑みを浮かべながら答えて続ける。「後ほどメニューをお持ちしますので、ご検討ください」
「ああ、ありがとうございます」
よく冷えたビールとグラス、それにメニューを持ってきた彼女は、食事の準備が完了したことを僕たちに告げて丁寧に頭を下げた。
「ごゆっくりお召し上がりください」
扉が閉まると、部屋に再び静寂が戻る。残された僕たちは、座卓を挟んで向かい合って腰を下ろした。目の前には色とりどりの料理が並んでいる。豪勢で量も多く、食べ切れるだろうかと少し不安を覚えるほどだ。
蔵前さんの視線は、滴を浮かべている瓶ビールにちらちらと向けられていた。僕は何も言わずに瓶を手に取り、蔵前さんもすっとグラスを差し出してくる。互いに注ぎ合い、泡立つものに満たされたグラスを触れ合わせる。かちん、という音が静かな部屋に響いた。
乾杯のあと、蔵前さんはグラスの中身を一息で飲み干した。すぐにおかわりを注いだが、このペースだとすぐに二本目を注文した方がいいかもしれない。
箸を手に取り、先付けを口に運ぶ。酢味噌のかかった山菜──何かの根だろうか──の歯触りを楽しみながら、僕は蔵前さんの表情を窺った。先ほどまでの社交的な笑顔は消え、いつもの強面に戻っている。だが、それでも会社ほどの厳しさはない。どこか安らいだ雰囲気が漂っている。
「あんな風に話す蔵前さんは、初めて見たかもしれません」
くすりと笑いながら言うと、蔵前さんは箸を止めて眉間の影を濃くした。
「……笑うな」[[rb:拗 > す]]ねたようにそう言い、続ける。「俺だって愛想良く振る舞うことくらいできる。続かないだけだ」
「続かない?」
「身内……同僚に対しては甘えて無愛想になってしまう。よくないとは思うんだが」
蔵前さんはそう言って、二杯目のビールを飲み干した。それから、手元に置いていた酒のメニューに視線を向けた。目を細めて、そこに記されている文字を真剣に読んでいる。どの地酒を頼もうか思案しているのだろう。
一方の僕は、その言葉を聞いて微かな不安を覚えた。仲居さんに愛想よく接していた蔵前さん。けれど身内や同僚には甘えて無愛想になってしまう。僕と付き合い始めてからの蔵前さんは、僕に対してとても優しくしてくれる。蔵前さんにとって、僕はどこに位置する存在なのだろうか。
「──よし、次はこれを頼もうと思うんだが……駒形?」
声をかけられて顔を上げると、蔵前さんは卓の上に置いたメニューに指を乗せていた。僕は顔を寄せてその銘柄を読み上げる。詳しくないのでよくわからないのだが、蔵前さんの選択なら間違いはないのだろう。
「すぐに頼みますね」と僕は言い、彼の手元のグラスに視線をやる。「おかわり注ぎましょうか?」
「ん? ああ、悪いな」
あっという間に空っぽになった瓶を座卓の隅に寄せて、部屋の電話で酒を注文する。先ほどの仲居さんが注文の品を持ってくると、また少しだけ会話の花が咲いていた。
すっきりとした味わいの地酒をお供にして、改めて料理に向き合う。山菜の天ぷら、川魚の塩焼き、地元の野菜を使った煮物。どれも素朴だが丁寧な味付けで、蔵前さんと舌鼓を打ちながら地酒も進んでいった。
「さっきの話だが、駒形は俺に何か遠慮していないか」
食事も中盤に差し掛かったころ、蔵前さんがそう投げかけた。互いに酔いが深まってきて、普段よりも口数が多くなっている中のことだった。言葉の真意がうまく掴めずに首を傾げると、彼はこう続けた。
「職場でも外でも、俺に対してあまり態度が変わらないだろう」
さっきの話とは、愛想が云々という話題だったかと思い至る。
「あまり……意識したことがなかったです」
「……上司の俺が言ったところで、とも思うが。気を遣って遠慮するなよ」
「ふふ、ありがとうございます」
それは自分が言いたいことだと思いながらも、その言葉を呑み込んで、僕は微笑んだ。
それから僕たちの会話は、他愛ないものに戻った。明日の予定、この辺りの見どころ、仕事の話など、酔いも手伝って話題は飛び移る。会話を交わしながら料理を口に運んでいると、器も地酒の小瓶も空になっていた。
デザートの果物までしっかり食べ切ると、苦しいほどの満腹になった。蔵前さんは帯を緩めて後ろ手を付き、普段よりさらに膨らんでいる腹をさすっていた。息遣いに合わせて、でっぷりとしたそこは上下している。酔いが進んだ浮遊感に包まれながら、僕はその動きをぼんやりと眺めていた。
陽は沈み、外では夜の[[rb:帳 > とばり]]が下りはじめていた。野鳥のさえずりは、軽やかな虫の鳴き声に変わっている。変わらずに響いているせせらぎを遠くに聞きながら、僕と蔵前さんは食後の時間を過ごした。
* * *
ほどなくして仲居さんがやってきて、食器の片付けと布団敷きを済ませてくれた。
上げ膳据え膳のおもてなしに慣れていない僕は、どことなくむず痒さを覚えてしまう。蔵前さんにそう言うと、苦笑いとともに、自分もそうだと呟いた。
仲居さんが部屋を去り、山深い夜の静寂が部屋を満たしていく。廊下を通る足音や、遠くで響く扉の音も次第に少なくなり、宿の時間がゆっくりと夜へ移行していくのがわかった。
僕の視線は、部屋の中央に敷かれている二組の布団に向く。その間はしっかりと離されて、畳が顔を覗かせている。そのことに安心しながら、僕は若干の緊張を覚えた。互いのアパートに泊まることは何度かあったが、今日みたいに旅先での宿泊は初めてだった。
「腹いっぱいになったな……」
一方の蔵前さんは、どっこいしょと言いながら、広縁の籐椅子にどっかりと腰を下ろしていた。股を開いて座っているせいで浴衣の裾は乱れ、がっしりとした脚や下着の膨らみが見えている。僕は顔を熱くして、そこから視線を逸らした。
僕は淹れ直したお茶を蔵前さんに出し、向かいの椅子に座った。鋭い目つきはどこかとろんとしたものになっており、機嫌が良さそうに見える。珍しく、それなりに酔いが回っているようだ。
「いい旅館だ。温泉はもちろんだが、料理も美味いな」
お茶をすすりながら、蔵前さんが満足そうに言う。
「本当ですね。誘ってくれて、ありがとうございました」
「いや、俺も駒形と来られてよかった。連休でもないと、なかなか遠出はできないからな」
「僕も、蔵前さんと旅行できて嬉しいですよ。あ……出張以外で、です」
そう言うと、蔵前さんは太い首に手を添えて口元を緩ませた。
「駒形はいつも真面目だな。会社でも、休みの時でも変わらない。感心だ」
その言葉に、僕は少し困ったような表情になる。
「そんなことはないですよ」
「いや、本当だ。俺なんか、歳とともにだらしなくなる一方だ」
自嘲するように蔵前さんは言うが、職場での様子や、きちんと掃除されているアパートの光景からは、そんな風に感じられない。だが、彼の中では思うところがあるのか、口元を引き締めて小さな溜め息を吐いた。
それから、蔵前さんは湯呑みを置いて口を開いた。
「駒形、俺といて楽しいか?」
「え?」
「いや、その、俺みたいなおっさんと……付き合って……退屈じゃないかと思ってな」
小さく波打っている湯呑みに視線を落として、蔵前さんはそう続けた。広縁の窓に、俯いているその姿が映り込んでいる。背中を丸めている彼の大きな体躯は、どこか心許なく見えた。僕はそれを振り払うように首を横に振った。
「僕は蔵前さんといて楽しいです」と僕は言って続ける。「今日だって、誘ってくれたのは蔵前さんじゃないですか。ずっと楽しみにしてたんですよ」
「そうか……それならいいんだが」
蔵前さんは顔を上げると、安堵したような表情を浮かべた。それから湯呑みを口元に運び、喉を動かしてからぽつりと呟いた。
「明日もゆっくりできるんだな」
「せっかくですから、朝風呂に行きませんか?」
「ああ、そうだな。そうしよう」
蔵前さんは腕を組み、突き出した腹の上に乗せて頷いた。袖が持ち上がり、白い被毛に覆われた太い腕が窓に映る。見慣れたその所作に、僕はどこか安心を覚える。
夜も深くなり、広縁の窓の外にはいよいよ何も見えなくなってきた。山間にぽつりと建つ宿の周りには、それ以外の灯りがない。途切れてきた会話は、徐々に自然の立てる音に換わっていく。虫の鳴き声が絶え間なく響き、ときおり風に揺れる木々の音が混ざっていた。
「ん……もうこんな時間か。そろそろ寝るか」
蔵前さんがそう言い、僕は頷いた。
満腹感も酔いも時間が経って薄れて、心地よいものへと落ち着いていた。その一方で、視界の隅に映っている二組の布団が、僕を落ち着かない気分へ誘っていた。
* * *
洗面所で身支度を済ませて部屋に戻ると、離れていた布団が隙間なく寄せられていた。その光景が目に入り、僕は顔が熱くなるのを感じた。
蔵前さんはその片方に仰向けになり、掛け布団を身体に乗せていた。胸と腹が描く曲線が、布団に小高い丘を作り、規則正しい呼吸に合わせて緩やかに上下している。
「電気、消しますか?」と訊くと、蔵前さんは枕に乗せた頭で小さく頷いた。
僕は部屋の入り口にある電灯のスイッチに手をかけた。ぱちりと音が鳴り、照明が消える。空間を充した薄闇に目が慣れるのはすぐだった。夜空に浮かんでいる月や星々の仄かな光が、窓を覆う障子を柔らかに照らしていた。
足元に気を付けて、僕も布団に身体を潜り込ませた。少し固い枕の感触と、旅館の匂いが染み付いている布地に、非日常の夜を感じる。静けさが深まった部屋に響く衣擦れが、やたらとうるさく耳を震わせた。
掛け布団を胸元まで上げて、左隣に顔を向けると、薄闇に浮かぶ蔵前さんの横顔が視界に映る。垂れた耳や、両脇が垂れているずんぐりとした口吻のシルエットが、微かな光の中にぼんやりと見える。結ばれた口元から聞こえてくる穏やかな息遣いは、山肌を撫でる夜風のようにも聞こえた。
僕の視線に気が付いたのか、蔵前さんは薄目を開けて微かに首を傾げた。厚ぼったい瞼に半分ほど覆われた瞳が、僕の視線と交差するのを感じた。
僕は掛け布団の下でそっと左手を伸ばした。さらさらとしたシーツに毛並みが擦れて、僕の腕は布団の外に出る。そして、繋がって敷かれている蔵前さんの布団に手が潜り込む。蔵前さんの体温が満ちている空間は、僕の布団の下とは質の異なる熱がこもっていた。
伸ばした指先はすぐに、蔵前さんの手に触れた。探るように手を動かすと、それが彼の手のひらだとわかった。肉厚なそこは僕の指を受け入れるように沈み、少し汗ばんでいる湿り気を伝えてきた。
蔵前さんはふっと小さく鼻息を漏らした。それから、僕の手をぎゅっと握ってきた。太い指が絡み、手のひらを擦り合わせるように何度か力がこもる。蔵前さんの親指が、僕の親指の付け根を撫でるように動く。若干のくすぐったさとともに、触れ合っているそこの熱がじんわりと染み入ってくるのを感じた。
「……そっちに、行ってもいいですか?」
囁き声で訊ねると、握られている手が蔵前さんの方に引き寄せられた。
僕は蔵前さんの布団に身を寄せるように移動した。浴衣の袖が擦れ合い、布地の微かな摩擦音が耳に届く。蔵前さんは大きな身体を布団の端に寄せて、僕が横になるための空間を作ってくれた。
僕は添い寝をするように横たわり、蔵前さんの腹に右腕を乗せた。水枕のようにでっぷりと肉の付いたそこは、息遣いに合わせて上下していた。掛け布団の下ではだけたのか、僕の腕は汗ばんでやや湿っているランニングシャツの感触を伝えてきた。
大きな体躯を抱きしめるようにして、僕は鼻先を蔵前さんの首筋に埋めた。浴場に備え付けられていた石鹸の匂いが、まだ微かに残っていた。そこに、夕食で飲んだお酒の匂いと、歳を重ねた男の匂いが混ざっている。鼻で深く息を吸うと、彼の匂いが意識を満たしていき、脚の付け根に何か落ち着かないものを感じた。
「少し……汗をかいた」
蔵前さんは、低い声でぼそりと言った。臭わないか気にしているのだろうか。
「全然気にならないですよ」と僕は顔を上げて言った。
「ん……そうか」
蔵前さんは僕の頬に手を添えた。不器用な手付きで、毛並みを整えるように撫でられる。その感触が心地よくて僕は目を細める。鼻先を首筋に戻して、少しずつ上げていく。蔵前さんの垂れている口吻に触れ、それから鼻先を触れ合わせる。
そっと瞼を下ろすと、口元に温かいものを感じた。互いの吐息を感じながら、そっと当てるだけの静かな口付けを、僕と蔵前さんは数度交わす。すると、蔵前さんのがっしりとした腕が僕の腰に回り、ぎゅっと抱き寄せてきた。その重みを感じていると、蔵前さんは僕に深い口付けをしてきた。
「っ……ん……蔵前、さん……」
甘えるように名前を呼ぶと、蔵前さんの鼻息が荒くなった。厚ぼったい舌が僕の口内を優しく探り、その湿り気と熱が徐々に僕を満たしていく。お酒の匂いが残っている鼻息が頬の毛を撫でて、アメニティの歯磨き粉の味が口の中に広がっていく。口内の敏感な部分を舌が這う刺激に僕は身じろいだ。
頭の中に響く水音に何も考えられなくなっていく。甘い声を漏らしながら舌を絡めていると、僕の浴衣の胸元に蔵前さんの手が差し込まれた。下着の薄いシャツ越しに、優しく胸を撫でられる。太い指の腹が布地を滑り、蔵前さんの体温を感じた。
「んっ──」
掛け布団の下で、僕の身体はびくりと震えた。胸元の敏感な部分を布越しに擦られて、背筋を快感が駆け上がる。そこを何度も指先で弄られると、痺れるような感覚がつま先から全身に広がっていった。
息が乱れていくのを感じながら、僕も蔵前さんの浴衣の中に手を差し入れた。体温の染み込んだランニングシャツの上から、たっぷりと肉の付いた胸や腹を撫でる。押すとわずかに沈んで戻る水枕のような触り心地が、僕の気持ちを高めていく。
重ねている口元に、蔵前さんの息が吹き込まれた。彼の体躯を撫でていると、蔵前さんもまた、昂って息を荒げ始めているのを感じる。互いの興奮が呼び水となって、僕たちの手つきは次第に落ち着かないものへと変わっていった。
蔵前さんは僕に脚を絡めてきた。がっしりとした太ももに、僕の細脚が挟まれる。浴衣の裾はとっくに乱れて、互いの被毛が擦れる感覚が伝わってきた。脚の付け根の辺りに、熱を帯びて硬くなったものが押し付けられる。それは次第に主張を強くしており、布越しに微かな脈動を感じるほどになっていた。
「……駒形……っ」
熱を含んだ声色で名前を呼ばれる。耳元を震わせた空気の波は、僕の下腹部に切なさを湧かせる。
僕は蔵前さんの腹を撫でていた手を動かして、脚に押し付けられている硬いものに触れた。蔵前さんの巨躯が微かに震え、シーツが擦れる音がやけに響いて聞こえた。トランクスを張り詰めさせているそこは、互いの体温に充たされている布団の中でひときわ熱かった。
「蔵前さん……あの……」
布地の膨らみを撫でながら、僕は掠れた声で名前を呼んだ。蔵前さんは、触れ合っていた口元を離してから僕の顔を見つめる。
「どうした?」
「あ、えっと……その……」
言葉に詰まる僕の頬に手を添えて、蔵前さんは続きを待ってくれている。薄闇に浮かぶ彼の双眸には熱が浮かんでいるが、その表情は優しげなものだった。だが、その安らぎの中にも、満たされない何かが残り続けていた。まるで喉の渇きのように、心の奥底で何かを求めている自分がいた。
「……初めての時みたいに、してくれませんか?」
僕は意を決して口を開いた。そこから漏れる声は震えていた。
「初めての時?」
「出張で同じ部屋に泊まって……本当に初めての時、です」
珍しく困惑の表情を浮かべる蔵前さんにそう言うと、彼は眉間の影を濃くした。
「いや、あれは……お前を乱暴に扱いたくない」
首を横に振りながら蔵前さんはそう言った。その声色には本心からの優しさが込められているように聞こえた。そう言ってもらえる喜びと、悶々とする欲求の間で、僕の心は揺れる。
しかし、蔵前さんの目には先ほどまでとは異なる光が宿っているように感じた。普段は理性という布で覆い隠しているが、僕の言葉で端がめくれて、本能的な部分が顔を覗かせているようだった。口許がわずかに歪み、厳しい顔付きの中に雄としての獰猛さが混ざり始めている。久しく目にしていなかったその鋭さに、僕の下腹部が激しく反応するのを感じた。
「お、お願いします……もう一度、あんな風にされたくて」
僕は食い下がるように懇願した。蔵前さんは僕の顔を見つめ続け、やがて深く息を吐いた。
「……本当にいいのか?」
確認するような問いかけだったが、その声は既に低く、野性的な響きを帯び始めていた。
僕が頷くと、蔵前さんの中で何かが切り替わったように見えた。まるで長い間張り詰めていた糸がついに切れたかのように、抑えていたものが解放される。
蔵前さんは身を起こすと、布団をめくって僕に覆い被さってきた。重量感のある身体が僕を覆い、畳が軋む音が静寂を破って響く。浴衣からこぼれ落ちそうな腹の肉が下に垂れて、僕の上半身に押し付けられて重みを感じる。
「駒形……ずっとそんな風に思っていたのか」
僕の視界は、こちらを見下ろす蔵前さんの顔で埋められていた。鋭い視線には蔑むような気配が含まれており、背徳感の混ざった興奮を覚える。その瞳から視線を外せないまま、僕は小さく頷いた。すると、蔵前さんの口の端が歪み、牙がちらりと薄闇に浮かんだ。
僕の顔の横に腕を置き、蔵前さんは先ほどよりも強引な口付けを与えてきた。口内を征服されるように舌を吸われ、内側の敏感な部分をなぞるように舌が這っていく。息を整える余裕など許さないといった風に、蔵前さんは僕の口を塞ぎ続けた。
その一方で、蔵前さんの手は僕の浴衣の帯に伸びた。一瞬の躊躇もなく結び目をぐいと引っ張られて、浴衣の前がはだける。蔵前さんは一本の紐になった帯を後ろ手に放り投げた。流れるように浴衣の袖から腕を引き抜かれて、僕はあっという間に下着姿になった。
腰の後ろに手を差し入れられて、ボクサーパンツの尻尾穴が外される。有無を言わせない様子で引き摺り下ろされて、芯の入った僕のものは勢いよく跳ね上がった。蔵前さんはそれを見て、無意識なのだろうか、荒い鼻息を漏らしながら舌なめずりをした。
それから、蔵前さんのごつごつした手がシャツの中に滑り込み、めくり上げた。僕が腕を上げると、どこか急くような手付きで脱がされる。布団の上で一糸纏わぬ姿になった僕の上で、蔵前さんは膝立ちになってこちらを見下ろしていた。彼の瞳には、先ほどまでの優しさとは異なる欲望の光が浮かんでいた。それは確かに僕が求めているものだった。
「そこに座れ」
蔵前さんは低い声でそう言い、僕の腕を力強く引いて身体を起こした。抗うことなく、僕は言われるがままに布団の上で正座をする。滾っている僕のものが、脚の間で窮屈そうに頭を持ち上げていた。
目の前に、蔵前さんがゆっくりと立ち塞がった。見上げる僕の視界は、蔵前さんの巨躯で埋め尽くされる。浴衣の合わせ目はとうに意味をなくしており、結ばれている帯でかろうじて身体に巻き付いていた。その内側に纏っているランニングシャツとトランクスは、でっぷりとした肉ではち切れんばかりに伸びている。分厚い壁のような身体付きに、障子越しの淡い光も遮られ、蔵前さんの影が僕を完全に覆い尽くしていた。
蔵前さんは帯を解き、袖から腕を抜いて浴衣を床に落とした。薄布が畳に擦れる音が部屋に響いた。僕の眼前には、下着姿になった蔵前さんがそびえ立っていた。
僕の目線の先では、丸々とした腹で丈が足りなくなっているランニングシャツの裾から、白い被毛に覆われた下腹がはみ出ていた。さらにその下には、くたびれた布地の緑色のトランクスがあった。太い脚に裾の隙間はなくなっており、突き出た下腹でウエストのゴムがめくれている。そして、その股座の膨らみに僕の鼻先は吸い寄せられた。
トランクスの前開きは、熱を帯びた蔵前さんのもので持ち上がり、わずかな隙間を作っていた。その中身を想像して、僕のものが痛いほど張り詰めるのを感じる。僕はそこで、自分が口で息をしていることに気が付いた。
蔵前さんは僕に近付くと、頭を手で押さえ込み、僕の鼻先に膨らみを押し付けた。布越しにじわりと伝わる熱と、その奥から立ち上る雄の匂いが、僕の意識を直接痺れさせていく。盛り上がっている前開きの隙間に鼻先を押し込むと、湿り気を含んだ蔵前さん自身の濃い匂いが、僕の理性をどろどろに溶かしていくのを感じた。
「っ、ふぅっ……ん……」
夢中になって鼻で息をする。湿り気を帯びた内側の空気が、僕の身体に取り込まれていく。汗と石鹸の匂いの中で強く主張している、雄が発する匂い。嗅ぐほどに、下腹部が疼いて切なさが胸に湧いてきた。
もどかしくなった僕は、トランクスを脱がせようと太い腰に手を伸ばした。しかし、蔵前さんは僕の手首をがっしりと握った。動かそうとしても、僕の力では叶わなかった。させないとでも言うように抑え込まれて、汗ばんでいる被毛が擦れる。戸惑って視線を上げると、蔵前さんは口の端を微かに歪め、熱っぽい瞳で僕を見下ろしていた。
「……まだ駄目だ」
そう言うと、蔵前さんは腰を動かして膨らみを僕に押し付けてきた。布地の中で硬さを増したそれが、僕の鼻や頬に擦り付けられる。ときおり、それは別の生き物のように脈打ち、生々しい感触が僕をたまらない気持ちにさせた。
荒い息遣いとともに、喉奥で唸るような声が頭上から聞こえてくる。蔵前さんの腰使いは、それに呼応するように卑猥なものへ変わっていた。前後に動かして僕の鼻にぶつけるようにしたり、円を描くように動かして頬に擦り付けるようにされた。蔵前さんのものはどんどんと硬さを増していき、漏れ出る匂いも濃厚になっていた。
前開きから舌を差し込み、必死で蔵前さんのものを舐めようとするが、浅くしか届かない。焦らされて興奮は増すばかりで、僕は内股になって脚をもぞもぞと動かす。太ももが濡れる感触に、自身の先端から透明な粘液がとめどなく染み出していることに気がついた。腰回りにどろりとした熱が溜まっていくのを感じる。自分の手でもいいから勢いよく扱きたいと思ったが、抑え込まれた手は微動だにしなかった。
もどかしさに堪えきれなくなった僕は、蔵前さんのトランクスのウエストゴムを咥え、歯で引っ張って下ろした。後ろは尻尾穴で引っかかったが、前は太ももの辺りまで落ちる。張り詰めている蔵前さんのものは、ゴムに抑えられてから弾けるように飛び出した。硬いものが僕の顎を叩き、それから口元をなぞるように頭を持ち上げた。
「なんだ、我慢できなかったのか」
どこか楽しげな声色で、蔵前さんはそう言った。眼前にある蔵前さんのものは、半分ほど向けた状態で水平を向いていた。体型にも似たずんぐりと太いそれは、ぴくりと微かに脈打っている。ぱんぱんに張っている赤黒い先端は、染み出した粘液で濡れていた。
蔵前さんは右手を後ろに回してトランクスの尻尾穴を外した。太ももからふくらはぎを滑り落ちた布は、足元にすとんと落ちる。脱ぎ捨てられたトランクスは、足先で布団の外に放られた。蔵前さんは手を戻すと、指を絡めて僕の手を力強く握ってきた。
「う、ぁ……蔵前、さん……」
一糸纏わぬ蔵前さんの姿を見上げて、僕の口からは甘い声が漏れた。駆けた後のように鼓動が早まり、意識しなければ息をするのも忘れてしまいそうだった。厚い胸板や、たっぷりと肉がついて丸々とした輪郭を描く腹、その巨体を支えるがっしりとした脚など、全てが僕の欲求に訴えかけてくる。
蔵前さんは、背後で太い尾を揺らしながら、自身の先端を僕の頬や鼻先に擦り付けてきた。濡れているそこは被毛の上を滑らかに動き、一層濃くなった匂いを残していく。僕は必死に舌を伸ばして、それを口に含もうとする。傍目から見れば滑稽な顔をしているかもしれないが、そんなことを考える余裕はなかった。
それに、蔵前さんは色に染まった笑みを浮かべながら、そうさせてくれなかった。舌が触れそうになったところで、蔵前さんのものは僕の口元から逃げるように去っていく。焦燥感とともに下腹部が甘く痺れるように疼き、僕は太ももを擦り合わせながらそれに耐えていた。
「駒形、これが欲しいのか?」
「ほ、欲しい……です、お願いします……っ」
蔵前さんに訊かれて、僕は何度も頷いた。掠れた声は情けなく、泣きそうに震えていた。
「……仕方のないやつだな」
吐き捨てるような低い声が僕の腹を震わせた。それから、熱を帯びた硬いものが僕の口元に押し付けられる。僕は口を大きく開き、ずんぐりとした蔵前さんのものを受け入れた。
「ん……ぉお……」
蔵前さんは喉の奥で深く低い声を漏らし、腰を前に突き出した。下腹部で茂っている被毛に鼻先が埋もれて、舌の上に粘液の味が広がり、嗅覚と味覚が蔵前さんに侵されていく。
余裕のない口内で、僕は必死に舌を動かした。張り詰めている先端の高くなっている部分を舌先でなぞったり、割れ目の部分を擦るように舐めとった。幾度となく身体を重ねてきたから、蔵前さんの感じるところはよくわかっていた。頭上からくぐもった悦びの声が漏れ出ているのを聞きながら、僕は蔵前さんのものを丁寧に味わった。
蔵前さんはしばらく、僕の口から与えられる快楽に身を任せていた。繋がれた手にこもる力から、彼の興奮が伝わってくる。次第に昂ってきたのか、蔵前さんは僕の頭を掴むように手を添えて、求めるままに口内を使ってきた。欲望のままに深く腰を前後に動かし、僕の口で快感を得ようとする。唾液にまみれたそれが立てる水音が、薄闇に淫靡に響いた。
夢中になって味わっていると、僕の下腹部に蔵前さんの無骨な足裏が押しつけられる。ぐりぐりとあんまをされるように弄ばれて、僕は情けない声を漏らした。
「あっ──」
「……足で踏まれて、気持ちいいのか?」
蔵前さんの問いに、僕は咥えさせられたまま、こくこくと必死に頷く。
「ふ……どうしようもないやつだな」
蔵前さんは目を細めると、低い声で囁いた。後頭部を掴む両手に力が込められて、蔵前さんのものが喉を突くように入ってくる。肉で盛り上がった下腹部に鼻先を押し付けられたまま、僕はすべてを受け入れようと必死に耐えた。
口の端から、自分の唾液か蔵前さんの先走りかわからない液体が、糸を引いて垂れるのを感じる。蔵前さんは鼻息荒く腰を動かし、僕の口内に先端を執拗に擦り付けた。それから数度、打ち付けるように腰を振った。それでひとしきり満足したのか、蔵前さんはゆっくりと僕の口から自身を引き抜いた。
互いに荒い息を吐きながら視線を交わす。口で息をしながら舌をはみ出させている蔵前さんの表情は、雄としての興奮や欲望にぎらついていた。その欲求を遠慮なくぶつけられたい、組み伏せられて為す術もなく征服されたい。こんこんと湧き出してくる想いは、蔵前さんにも伝わったようだった。
蔵前さんは僕の前であぐらをかいて座り、何も言わずに指を突き出してきた。僕はその意図を汲み取り、太い手首をそっと掴み、ずんぐりとした指を口に含む。舌で指を巻くように動かし、付け根から股まで丁寧に湿らせていく。蔵前さんは満足そうに息を漏らし、でっぷりと突き出した腹の下で屹立している自分のものをゆっくりと扱いていた。指が十分に濡れると、蔵前さんは僕の口からそれを引き抜いた。
暗黙の了解で、僕は仰向けに寝て両脚を持ち上げた。無防備な格好は、何度やっても顔が熱くなる。蔵前さんは、濡れた指を僕の後ろに押しつけた。
「んっ……」
一瞬の異物感はあるものの、蔵前さんの指は特に抵抗もなく僕の内側に入った。
「相変わらず、ろくに慣らさなくても入るな」
蔵前さんは呆れたようにそう言った。恥ずかしさに視界が滲むと同時に、何かを求めるように後ろが締まる。僕の後ろに収められる指は二本、三本と増やされ、丁寧に解されていく。準備が整うと、蔵前さんはそこから指を引き抜いた。その刺激に声が漏れたが、蔵前さんは意に介さない様子で僕の足首を掴んだ。
「駒形……[[rb:挿入 > い]]れるぞ」
荒い息とともにそう言うと、蔵前さんは膝立ちになった。熱を帯びて滾っているものが、雨後の土のように柔らかく湿った後ろにあてがわれる。僕はこくりと頷いた。
蔵前さんの上半身が、ゆっくりとこちらに倒れ込んでくる。僕はシーツをぎゅっと握り、その重みを受け止める準備をする。
「う、ぁっ……」
硬く熱いものが押し付けられて、つぷ、と微かな水音が響いた。襲ってきた圧迫感に僕は目を瞑る。僕の体温とは違う熱が、身体の内側に入ってくる感覚。異物を押し出そうとする身体を制止するように、僕はゆっくりと息を吐いた。
指とは比べ物にならない太さのものが、徐々に僕の奥深くまで侵入してくる。それに比例するように、蔵前さんの体重を下腹部に感じた。丸々とした腹が僕の腹に乗り、萎えることを知らない僕自身はその下敷きになっていた。
蔵前さんの動きがぴたりと止まった。薄く目を開くと、表情を歪めて眉間の影を濃くしている蔵前さんの顔が映った。口を開いて舌を垂らし、鋭い目付きで僕を見つめている。繋がっている部分に手を伸ばすと、根元まで僕の中に収まったのがわかった。
「すんなり呑み込んだな……俺の形に慣らされてるのか」
落ち着かない様子で腰を震わせながら、蔵前さんはそう言った。
「今も……自分で弄ってるのか?」
「あ、さ、最近は………」僕は首を横に振って続ける。「く、蔵前さんじゃないと……」
「俺じゃないと、どうなんだ」
「もう、気持ちよくない、です……」
泣き出しそうになるのを堪えながら、僕は途切れ途切れにそう伝えた。それは事実で、僕の身体はもう、蔵前さんに抱かれないと満足できなくなっていた。
僕の言葉をきっかけにして、蔵前さんは足首をぎゅっと掴んだ。それから、勢いよく腰を振り始める。激しく、深くまで突かれては引き抜かれる。引き抜かれるたびに、内壁が擦れて高い声が口の端々から出るのを抑えられない。奥に押し込まれるたびに、快感を得る部分が圧迫されて視界が白んでいく。
「っ、ぐ……おぉっ……」
僕の上で巨体が揺れて、荒い息遣いに混じって唸るような喘ぎ声が聞こえてきた。本能のまま、快楽を得るために腰を振る蔵前さんは、理性の薄れた雄の顔をしていた。でっぷりとした腹が揺れて、足首を握っている手がどんどん汗ばんでいくのを感じる。繋がっている部分から響く粘ついた水音は、その間隔を狭めていった。あの夜を思い出す雰囲気に、僕はどうしようもなく興奮していた。
「あ、うっ、蔵前さんっ、好き……好きです──っ」
想う相手の名前を呼びながら、僕は何度もそう言った。すると、蔵前さんは足首から手を離して身体を前に倒してきた。頭の下に手を差し込まれて、僕たちの身体は密着した。僕は蔵前さんの大きな身体にしがみつき、ぎゅっと抱きしめた。
勢いのままに口元を重ねられ、激しく吸われる。それと同時に、蔵前さんは硬いままの僕自身を扱き始めた。湿った指の腹で敏感な先端を擦られて、僕の身体はびくりと震えた。舌を絡めながら甘く鳴くと、蔵前さんが口の端を歪めるのを感じた。
後ろを突かれ、前を弄られて、口内すら蔵前さんに征服されている。絶え間なくやってくる快感に加えて、その状況が僕を昂らせていた。腰の内側から湧き上がってくる熱の塊は、我慢を許してくれないほど急激に膨らんだ。堰を越えて溢れそうになるそれに身を委ねて、僕は下腹部をきゅっと締め付けた。
「あ、く、蔵前さんっ……で、出る──っ!」
痺れるような甘い快楽が全身を包み、込み上がってくるものを放とうと僕自身が膨らんだ。だが、その寸前で蔵前さんは手を止めた。
「あっ、ぇっ──」
伸ばした手が空を切ったような感覚に、僕は混乱したまま情けない声を上げた。達するにはあと一息のところが足りなくて、準備万端だった僕のものは虚しく脈打つ。蔵前さんは目を細めて、僕を咎めるような声で口を開いた。
「まだ出すなよ?」
「い、や……っ、お願い、します……」
「……優しくするなと言ったのはお前だろう」
蔵前さんは困ったようにそう言うと、僕のものを緩やかに扱きながら腰を動かし始めた。再び全身を包む快感にどろりとしたものが込み上がってくるが、果てるには届かないぎりぎりのところで抑えられている。
主導権を完全に握っている表情を浮かべながら、蔵前さんは僕の内側を掻き回すように腰を振った。緩急をつけた腰使いと手による刺激で、僕はもう何も考えられなくなっていた。硬く張り詰めた自身を蔵前さんの汗ばんだ腹に押し付け、自分でも腰を動かし始める。その必死な動きに興奮したのか、蔵前さんは僕を強く抱きしめ、腹を擦り付けるように動かした。
「駒形、そんなに出したいか?」
耳を甘く咬みながら、蔵前さんはそう囁いた。不明瞭な声を出しながら、僕は必死で首を縦に振る。
「もう少し辛抱しろ、できるな?」
「で、できっ、できます……っ!」
僕の返答を聞いて、蔵前さんは一層激しく腰を動かし始めた。僕の身体は上下に揺れて、平衡感覚が怪しくなるほどの衝撃に包まれる。
「っ、駒形……うっ……おぉ……」
耳元に響く低い喘ぎ声が僕の胸を締め付ける。僕の身体で快楽に耽る蔵前さんの表情は、いつもの厳しさとは違う鋭さを帯びていた。会社での姿や、プライベートでの普段とも違う卑猥なその姿に、僕はこれ以上ない満足感を抱いていた。
やがて蔵前さんの腰の動きが遅くなり、息遣いや表情から限界が近いことを察した。口を固く結び、薄目を開けて何かに耐えているような雰囲気を漂わせている。僕の中で、蔵前さんのものが一層膨らんでいるのを感じた。
「蔵前さん……中……そのまま、出してほしいです」
「……いいのか?」
頷くと、蔵前さんは一瞬だけ迷う様子を見せてから、大きな鼻息を漏らした。
息苦しくなるほどに片腕で抱きしめられ、腰を激しく打ち付けられる。一方の片腕で、僕のものは勢いよく扱かれる。粘ついて湿った水音が部屋に響き、僕たちの甘い声が溶け合うように混じり合う。
「あ──蔵前さん……僕、もう……っ」
「ん、あぁ……いいぞ……駒形……俺もっ──」
呻くような声が耳に届き、蔵前さんのものが脈動するのを感じた。一瞬ののち、内側にどろりとした熱が注がれる感覚が伝わってくる。二度、三度とそれは脈打ち、その度に一際熱いものが放たれる。僕を抱いている蔵前さんの巨躯が大きく震えて、唸るような鼻息とともに下腹部を押し付けられた。放った精を僕の奥深くに届かせるような腰付きは、雄としての本能が表れていた。
それとほとんど同時に、僕のものも蔵前さんの手の中で果てた。堰き止められていたものが溢れるように噴き出して、腹にかかる。濃く粘ついた白濁は普段よりも量が多く、何度も身体を震わせて僕はそれを吐き出した。
僕たちは繋がったまま、深い口付けを交わした。蔵前さんのものが内側でゆっくりと萎えていくのを感じながら、僕は幸福感に包まれていた。蔵前さんはまだ硬さを残している僕のものを握り、達した直後の敏感な先端を撫でるように擦った。達した後の敏感な先端を緩やかに刺激されて、僕は甘い声で身体を震わせた。
やがて、小さくなって皮に覆われた蔵前さんのものが、僕の後ろから滑り落ちた。息を整えながら、僕に添い寝をするように横になる。
「……満足したか」
肘枕で寝ながら、蔵前さんはどこか気まずそうに訊いてきた。行為の後の疲労感と気恥ずかしさに顔を熱くしながら、僕は小さく頷いた。蔵前さんはため息を吐きながら、よく見なければわからない程度の苦笑いを浮かべた。
* * *
廊下は空気が止まったような静けさに包まれており、宿そのものが眠りに就いているように感じられた。絨毯をスリッパで撫でるように、僕たちは並んで歩く。行為の後の気怠さと、満たされた感覚が、身体を包んでいた。
浴衣の下で、互いが放ったものが固まっているのを感じる。拭いきれなかったものが乾いて毛束を作り、そこが突っ張られているのがわかった。すんすんと鼻を鳴らすと、汗の匂いに混ざって青臭いものを嗅ぎ取ることができた。
隣を歩いている蔵前さんの顔をちらりと見る。さすがに疲労が溜まっているのか、遅い時間も相まってどこか眠たげな表情を浮かべていた。素肌の上に羽織っている浴衣の胸元から飛び出している豊かな被毛は、湿り気を帯びて乱れているのがわかった。
浴場の脱衣所には、案の定、誰の気配もなかった。壁にかけられた時計の針だけが、時を刻む音も立てずに止まっている。青白い蛍光灯の下、僕たちは再び無言で浴衣を脱ぎ、洗い場へと向かった。シャワーの音が、がらんとしたタイル張りの空間に反響した。
風呂椅子にどっかりと腰を下ろした蔵前さんは、黙々と身体を洗っていた。石鹸で泡立った手で大きな身体を擦っている。肉厚な胸や腹が持ち上がり、重力に従って揺れていた。その様子を横目で眺めていると、先ほどまでの光景がありありと浮かび、身体が反応してしまいそうになった。
よからぬ想像を振り払うように、たっぷりと石鹸を泡立ててがしがしと洗う。固まった毛束をほぐすように洗っていると、今度は蔵前さんの視線が僕の方に向けられているのを感じた。
「……駒形」
手を止めた蔵前さんが、低い声で僕の名前を呼んだ。湯気が立ち込める中、その声は少しだけくぐもって聞こえる。顔を上げてそちらを向くと、全身を泡に包んだ蔵前さんは微かに目を伏せていた。
「その……痛みはないか。あまり、慣らさずに……激しくしてしまっただろう」
「蔵前さん」と名前を呼ぶと、彼は視線を上げた。「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。ええと……く、蔵前さんのに、慣らされているので」
照れ臭さを感じながらも、冗談を交えてそう答える。もちろん嘘ではなくて──押し拡げられた感覚は残っているが──下腹部に痛みや違和感はなかった。
安心したのか、蔵前さんは大きく息を吐いた。それからシャワーの栓をひねり、熱い湯で身体を流し始めた。
身体を洗い終え、僕たちは再び露天風呂へと向かった。昼間とは打って変わって、深い夜の藍色が周囲の風景を染めていた。湯船の周りを照らす仄かな岩灯篭の灯りが、立ち上る湯気を黄金色に染め上げている。陰影として浮かんでいる山々の稜線と相まって、それらはどこか幻想的な光景を作り出していた。
僕と蔵前さんの足先が茶褐色の湯に浸かり、ぽちゃりと水音が響く。昼間に聞こえていた鳥の声はなく、今は澄んだ虫の音が宵闇の中に漂っていた。身体をほぐしながら見上げると、手を伸ばせば届きそうな近さの夜空に、月や星々が浮かんでよく見えた。
石造りの湯船の縁に腕を乗せてうつ伏せになりながら、僕たちは言葉を置いて星を眺めた。湯口から絶え間なく注がれる源泉が、静かな波を立てて被毛を揺らす。夜の静寂に身を落ち着けてから、僕は口を開いた。
「……蔵前さん。さっきみたいなことを求められるのは、嫌ですか?」
そう言うと、蔵前さんはこちらに顔を向けて、少し間を置いてから首を横に振った。
「嫌ではない……むしろ、駒形が俺を気遣って求めたんじゃないかと思ったんだが」
「違います」僕ははっきりと首を横に振った。「僕が、ああいう風にされたかったんです」
そう言うと、蔵前さんは安堵したように深く息を漏らした。それから、何かを考えるようにずんぐりとした鼻先を手の甲に乗せた。
「何か、思うところでもあったのか」
「優しくしてくれるのが、少しだけ不安になったんです」
何を言っているのかわからないと言ったふうに、蔵前さんは言葉にならない音を喉奥から出した。
「身内には甘えて無愛想になる、って言ってましたよね。でも、付き合い始めてから、蔵前さんは僕に優しくしてくれます。それは……僕にずっと、気を遣っているんじゃないかと」
言わんとしていることを理解したのか、蔵前さんは「ああ」と短く相槌を打った。眉間の影を濃くして困ったような表情が浮かび、言葉を選ぶように口を開いては閉じている。夜風が耳元を通り過ぎてから、蔵前さんはぽつりぽつりと言った。
「……お前の前では、格好つけたいし、いい顔をしたい。それじゃ、いけないのか」
「い、いけないなんてことはないです。でも、我慢はしてほしくないんです」
僕の真剣な眼差しを受けて、蔵前さんは深く息を吐いた。それから、湯船の縁に乗せていた片腕を湯に沈めた。次の瞬間、僕の尻に何かが触れるのを感じた。驚きに全身がびくりと跳ねてから、それが蔵前さんの手であることに気が付いた。
「くっ、蔵前さんっ──⁉︎」
僕の短い叫び声が、湯煙に溶けて流れていく。慌てて口を噤んだが、蔵前さんは意に介さない様子で僕の尻を撫で続けていた。
「……俺だって特別に我慢しているわけじゃない」
輪郭を確かめるような優しい手付きと、割れ目に指を這わせるような卑猥な動きを混ぜながら、蔵前さんはそう言って続ける。
「だが、俺は年上で、加えて上司でもある。駒形は……俺が求めれば、無理をしてでも応えようとするんじゃないか」
「そんな──」
そんなことはない、と言い切ることはできなかった。
蔵前さんに言われるまで、僕はそんな視点で物事を考えたことがなかった。けれど、自分の性格を考えてみれば、その懸念は妥当なものだと思った。あまり気が乗らないことだとしても、蔵前さんに求められれば応えたいと考えるのが僕だ。
だが、それを言ってしまえば、僕から求める場合はどうなのだろう。僕が蔵前さんの意向を汲み取って──言い方は悪いがご機嫌を取るように──動いてしまうことだってあるかもしれない。可能性の話をすれば、僕たちは互いに、何も求められないような気がしてくる。
考えれば考えるほどにわからなくなっていく。傍にありたいと思うほど、年齢や立場の不均衡さが浮き彫りになってくるような気がした。
「駒形」と名前を呼ばれて、温かいものが僕の頭に乗せられる。「すぐに答えは出ない」
濡れた毛並みを梳くように優しく撫でられて、僕は目を細める。
「今日、駒形に求められて、俺は嬉しかった。……年甲斐もなく[[rb:盛 > さか]]ってしまった」
言葉尻を濁すように、蔵前さんは何度か咳払いをした。視線を向けると、ばつが悪そうに目を逸らされる。それから何かをごまかすように、頭をがしがしと撫でられた。
「だからまずは、お前がそうしてほしい時は言葉にしてくれないか」
その先は一緒に考えて欲しい、と蔵前さんは言った。僕は頷き、大きな身体に身を寄せた。水面がゆったりとした波を立てて、僕たちを寄せては返す。何もかもの霧が晴れたというわけではないけれど、胸のつかえは取れて、胸の底から温かいものが込み上げてきた。
「そろそろ上がるか。もう十分、温まっただろう」
蔵前さんがそう言って身体を離そうとした時、僕はそれを引き止めた。
「すみません……収まるまで、待ってください」
湯の中で触れられたことで、僕の身体は素直に、そしてどうしようもなく反応してしまっていた。そのことに顔を熱くしながら、僕は蔵前さんの太い腕を掴んだ。蔵前さんは僕の様子を見て、一瞬虚を突かれたような顔を浮かべた後、盛大にため息をついた。
「……本当に、しょうがないやつだな」
呆れながらも、その口元は緩んでいるのが湯煙の中に見えた。
<了>