【第五話:兄、影にして陽だまり】

  「いよう! 元気にしてたかぁ? わんコロどもー!」

  少し汗ばむ陽気になってきた昼下がり。庭先で草花の手入れをしていた朱雀と銀郎は、思わぬ来客に目を丸くした。

  名は四條朝影(あさかげ)。夕陽の兄である。

  ボサボサの髪を後ろで一つに括り、無精髭をたくわえた眼帯の男が、やたらと軽快な足取りで庭へ飛び込んでくる。

  「でたな、妖怪クソジジイ!」

  朱雀が砕けた調子で悪態をつき、銀郎もどこか呆れたように笑みをこぼした。

  「兄上、お久しぶりです」

  朝影は二人の反応など気にも留めず、玄関のほうを見やってから眉をひそめる。

  「……夕陽は?」

  「町の薬屋へ、お使いに」

  銀郎が淡々と答えると、朝影は眉を跳ね上げた。

  「は? 護衛はいいのかよ?」

  「“二人連れてくと目立つから留守番してなさい”と、夕陽様に」

  「そりゃまた……身も蓋もねぇな。ま、確かに一匹だけ連れてっても後が面倒そうだしな」

  一匹ってなんだよ、一匹って――朱雀がムッとした顔で見上げると、朝影はそんな反応を楽しむように両腕を伸ばし、銀妖ふたりの肩を勝手に組んだ。

  「で、どうなんだ最近は? ……ん? 進展、あったか?」

  唐突な問いに、銀郎の目が泳ぐ。

  「どう、とは?」

  「決まってんだろ。夕陽に告ったのかって話だよ」

  ピクリと肩を震わせた朱雀と銀郎が、揃って顔をそむけた。

  「いや……それは……」 「えっと、その……」

  「なんだ、振られたのか……」

  「まだ振られてねぇー!」 「振られてはないです!」

  食い気味に被せてきたふたりに、朝影は思わず吹き出しかけ、すぐさま渋い顔でため息をついた。

  「はぁ……、なんとなく想像つくわ。お前ら夕陽に『待て』と言われて大人しく『待て』してるんだろうが……、あのな、あんたらは長命種だから三百年くらい生きるかもしれんが、人間の寿命は八十年ちょいだぞ。ぐずぐずしてるうちに、あいつの人生終わっちまう。後悔しないようにしとけよ」

  ズシン、と胸の奥を打たれた気がした。

  わかっている。考えたくもないことだが、それでもいずれは現実になる話だ。

  それを、こんなにもあっさり言い放つこの男が、やっぱり少し憎らしい。

  だが朝影は、表情を和ませて、ふたりに向き直った。

  「……いいか? あいつは押しに弱いとこがある。だから押して、押して、押し倒せ! それでもダメなら、ちょいと“ムード”を作ってやりゃあいい。酒でも飲まして、甘い言葉をかけてやればすぐイチコロよ」

  「それは兄上が女性を口説く時の話でしょう……」

  銀郎が小さくため息を吐いたその横で、朱雀が不思議そうに首を傾げた。

  「なぁ? “むうど”って美味いのか? 俺にも作り方、教えてくれよ!」

  「この馬鹿。ムードは“雰囲気”って意味だ」

  「なーんだ。夕陽様の好物なら作ってやろうと思ったのになぁ……」

  ふてくされたように口を尖らせた朱雀に、銀郎が思わず肩をすくめる。そのときだった。

  静かな足音とともに、庭に凛とした気配が満ちる。

  ふたりが振り返ると、そこに立っていたのは――

  「兄上。帰っていたのですね」

  ――夕陽だった。

  涼やかな声。けれどその口元には、どこか黒い笑みが浮かんでいる。

  「お、おう、夕陽。……ただいま?」

  朝影がひきつった笑顔で振り向くと、夕陽は一歩踏み出し、穏やかな声で続けた。

  「何を話していたのでしょう、兄上?」

  「いや、その、……恋の……指南、的な……?」

  「へえ。では、私からもひとつ、指南して差し上げましょうか」

  ――その瞬間、ガシッと朝影の耳がつままれた。

  「い、いててて!? おい、やめっ、待てって夕陽っ、夕陽ちゃぁん!」

  「ご安心を。手短に済ませますので」

  表情は穏やか、だが目は笑っていない。

  そうして朝影は、耳を引っ張られたまま屋敷の中へと引きずられていったのだった。

  ***

  その夜、月の光が静かに縁側を照らしていた。

  朝影は酒と肴を傍らに、独り風の音を聞いている。そこへ、湯気の立つ湯呑みを手にした夕陽が現れた。

  「兄上、今回は長く滞在するのですか?」

  「んー……いや。お前たちの様子を見に来ただけだ。二、三日もすりゃ、また風の吹くままよ」

  「たまには文くらい寄越して下さい」

  「はは、気が向いたらな」

  冗談めかした返事に小さく笑って、夕陽は隣に腰を下ろす。

  朝影は、かつて呪詛をその身に受けた影響で、強い禍を抱えている。

  夕陽の力でもそれを祓うことは叶わず、周囲を巻き込まぬよう放浪の道を選んだ。

  今は、“影祓い屋”として、人目につかぬ闇の依頼を請け負っている。

  表の祓い屋が手に負えぬような、危険で後味の悪い案件ばかりを――飄々と、引き受けては処理していた。

  気づけば、夕陽は静かに彼を見つめていた。

  その視線に気づいた朝影は、弟の頭を軽く撫でる。

  「大丈夫だって。そんなに心配するな」

  「……はい。……また、顔を見せに来て下さい」

  夕陽がふっと微笑む。その表情に、朝影も思わず目を細めた。

  「お前……昔より、よく笑うようになったな」

  「……そう、ですか?」

  問い返す弟に、朝影はしみじみと頷いた。

  夕陽は、少し間をおいてから口を開く。

  「……ええ、そうかもしれません。……毎日が賑やかで、飽きませんからね」

  「ふっ、そうか」

  酒を一口煽って、朝影は視線を月へと向けたまま言う。

  「……けどよ、あんまり抱え過ぎんな。全部一人でなんとかしようとしたら、いつか潰れちまう」

  「……」

  「そうなったとき、一番泣くのはあの二人だ。……あいつらは、お前の荷物を一緒に持ちたいと思ってる。だからもう少し、肩の力を抜いてもいいんじゃねーか」

  夕陽は、そっと視線を落とす。

  「……でも、私は怖いんです。厄介事に巻き込んで、あの時のように、また……誰かを失うのが」

  「バーカ。今更だろ? お前があいつらを拾っちまった時から、もう巻き込まれてる。それに、あいつらがそんなヤワな玉に見えるか? 命を懸けてでもお前を守るさ。……たとえそれで終わっても、きっと本望だろうよ」

  そして、低く静かな声で続けた。

  「守れなかったときのほうが、何十倍も傷がでかい。……それは、お前が一番知ってるはずだ」

  父の顔、母の笑顔、幼い弟の手。

  守ることができなかった思い出が、夕陽の胸を静かに締めつけた。

  ──だからこそ、同じ過ちを繰り返したくない。

  それでも――

  「……兄上」

  「おっと、しみったれた話はここまでだ!」

  ぱん、と膝を打ち、朝影は立ち上がる。

  「もう寝る! 戸締まり、よろしくな」

  「……はい、おやすみなさい兄上」

  月は、高く澄んでいた。

  ***

  朝早く、まだ空気に朝露の冷たさが残る頃――身支度を終えた朝影が、静かに玄関の戸を開けた。

  「朝影の兄貴! もう行くのか?」

  縁側で早起きしていた朱雀が声を上げると、朝影は振り返って肩をすくめる。

  「ああ、世話んなったな」

  「待って下さい、今夕陽様を――」

  「いや、まだ寝てんだろ? あいつは昔っから朝が苦手だったからなぁ。構わん、寝かしとけ」

  そう言って笑った朝影の横顔には、どこか懐かしむような優しさが滲んでいた。

  「じゃあな、二人とも。……夕陽のこと、頼んだぞ。無茶し過ぎないように、支えてやってくれ」

  「……はい!」 「ああ、言われなくても」

  ふたりの返事に満足そうに頷くと、朝影はひょいと手を挙げ、踵を返して歩き出した。

  その背を見送る朱雀が、ぽつりと呟く。

  「……あの人、どこまで本気なのかわかんねぇな」

  銀郎が小さく息を吐き、隣でそっと呟き返す。

  「たぶん、あれが“兄”というものの、不器用な愛情なのだろう」

  ふたりが見守る中、朝影の背はゆっくりと、朝靄に溶けるように遠ざかっていった。

  その背には、孤独な影と、弟を信じて託す者の静かな覚悟が、確かに滲んでいた。

  第五話:兄、影にして陽だまり 完