猫につく噓

  ふとんの中でもぞもぞと何かが動く。薄い掛け布団をめくると一匹の猫と目が合った。

  「ニャー。」

  「こら、たんぽぽ。別々に寝るって約束だろ?」

  ぽこん。瞬きの瞬間に、茶色い毛の猫は茶色い髪の少女へと姿を変えた。

  「ごめんなさい。でも、今日くらいは一緒に寝たいです。あんなに怖いことがあったから。」

  しゅんとした、しかし甘えるように訴えかけてくる瞳には、もはや勝てる気がしなかった。

  「しょうがないな。」

  頭にピンと立った猫耳の裏側から、前髪にかけて、大きいストロークで撫でてやる。

  「えへへ。もっと撫でて。」

  この子の精神年齢はいくつぐらいなのだろうか。30年生きているといっても、30歳にはとても見えない。これだけ一緒にいたらわかるが、わざと幼く振る舞ってるようにも見えない。

  彼女が猫として生きた時間は、人間に紛れて生きてきた時間よりもはるかに長いらしい。時間の概念を知ってから、10年は数えたというが、やはりそれくらいがこの子の精神年齢にあたるのだろう。

  「パパに撫でられると安心します。ずっとこうしていられたらいいのに。」

  「まだ不安なのか?俺も椎木さんも居なくなったりしない。ずっと一緒にいる。」

  「......。」

  「たんぽぽ?」

  「嘘つきです。昔のパパもそう言ってました。」

  「いや?そんなこと言ってな......そうか、俺が前世でそう言ったのか。」

  「はい。そう言って、死んじゃったじゃないですか。」

  覚えていない。前世の記憶はまだ断片的にしか思い出せない。

  知ってることといえば、若くして死んだことと、不死の呪いにかかる前のたんぽぽに出会ったことくらい。

  俺が死んでから世界中を彷徨い、長い時間をかけてその生まれ変わり、つまり今の俺を見つけたという。

  その間はずっとひとりぼっちだったんだ。

  「じゃあ、今度は長生きするよ。生きてる間は一緒にいるから。」

  「そうしてください。100年くらいは頑張ってね。」

  「任せてくれ。今の日本はそれくらい余裕らしい。」

  暗い話題も笑い話にする。今の俺にはそれくらいしかできないから。この子の前では、たとえ嘘でも笑っていたいから。

  「パパ、あれから考えてくれました?」

  「なんだっけ?」

  「あたしが、子どもが欲しいって言ったやつ。」

  「パパと娘は子作りしちゃいけないんだよ。生物的に問題があってな。」

  「いつもはパパって呼ぶなって言うくせに、こういうときだけズルいです。あたしそんなにバカじゃないです。」

  「それ以外にもな、たんぽぽの小さい体で出産するのは負担が大きいから難しいんだよ。たんぽぽも、赤ちゃんも両方にとって危険なんだ。」

  「あたしは不死身ですよ?赤ちゃんもきっと丈夫な子です。」

  「あと、日本で子どもを育てるのはお金がかかるんだよ。俺だって今も父親の給料で暮らしてる。働いてもない俺が、高校に通いながら赤ちゃんを育てるなんて無理なんだ。」

  「あたしが頑張ります。」

  「頼む、わかってくれよ。」

  「わかりません。だってさっきから嘘ばっかだもん!それっぽい理由で誤魔化して、ほんとのことを隠してます!」

  本当のこと?今言ったのだって全部本当の理由だ。

  「パパは何か怖がってるように見えます。あたしはバカだから、それがなんなのかわかんないです。あたしはパパじゃないから、パパが話してくれないことはわかんないです。」

  俺が隠してる気持ち......怖がってること。

  「......まとまってなくてもいいか?」

  「はい、ちゃんと聞きますよ。」

  「たんぽぽは、30年間、俺たちを探してくれたんだよな?」

  「はい。」

  「辛かったか?」

  「はい。」

  「だよな。もう次は、そんなことしてほしくないんだ。俺のことなんか忘れて、自由に生きてほしい。」

  「やです。絶対にわすれませんから。」

  「そう......言うよな。そうだよな。お前は多分、子どもができたら、なおさらそうなんだろうな。」

  「どういうことですか?」

  「前にさ、言ってただろ?子どもを作って、俺が生きてた証にしたいってさ。」

  「はい。」

  「もし俺との子どもがいたら、俺のことを忘れるのが難しくなるだろう?また何十年もかけて、次の生まれ変わりを探し続けるだろう?今度はその子どもも巻き込んで、もっと辛い思いをするんじゃないか?」

  「それは......。」

  「俺が怖がってることがあるとすれば、きっとそれが一番なんだよ。たんぽぽの中で、俺が大きくなりすぎるのがこわい。死んだあとも呪い続けるような真似したくないんだよ。」

  「......。」

  頭の猫耳がぺたんとしおれた。

  「わかってくれたか?」

  「はい、やっとほんとの気持ち言ってくれました。ありがとうございます。」

  「ああ。あと、たんぽぽに手を出したら、椎木さんにどんな目で見られるかわからないし。」

  「ママが好きだからですか?」

  「えっと、まあそういうことで。」

  「パパの気持ちはわかりました。あたしのことを思ってくれてるのがわかりました。

  でも、納得はできないです。あたしの気持ちは変わりません。

  たぶんこれって、どっちの気持ちを大事にしたいかってだけの話だと思うんです。

  だってパパの気持ちも本当だけど、あたしの気持ちだって嘘じゃないから。」

  俯いたまま、震えた声で話している。俺は落ち着かせようと背中をさする。

  「あたしは悪い子なんです。だからパパの気持ちよりも、あたしのわがままを優先します。」

  たんぽぽは起き上がると、一瞬のうちに俺に跨って馬乗りになった。たんぽぽの表情にはいつものニコニコした柔らかさはない。震えたままの手で、俺の両手首を掴んで固定した。

  「え?」

  理解が追いつかなかった。だって話せばわかることだと思ってたし、たんぽぽはそんなことする子じゃないから。

  「ママには黙っててあげます。もしバレても、あたしから襲ったってちゃんと言いますから。」

  顔が近い。片目の視界は暗く塞がれ、もう一方で天井を見つめる。

  荒い息がかかり、俺の息は止まる。

  「はむ。」

  時間が止まる。たんぽぽの長いまつ毛が当たる。じわっと温かくなる唇から吐息が入ってくる。

  「はぁっ。気持ちいね。もういっかい。」

  今度は体重がかかる。軽いはずなのに、ずしりと重さが伝わる。

  酸欠になりかけ、苦しくなってから、ようやく抵抗をしなければいけないことに気づいた。

  「すきです。だいすきです。ずっとこうしたかった。もっと......もっと。

  しちゃいますから。」

  ささやいたそのまま、耳に口づける。ぞわぞわという感覚が全身に走る。

  「うわああああああ!」

  絶叫とともにたんぽぽを押しのけた。ベッドの上でごろんと転がったあと、体勢をなおして俺を見つめてくる。暗くした部屋の中でも、黄色い瞳が光っている。

  「どうして?」

  獣の目で俺を見つめる。その口調は責め立てるようにも聞こえた。

  怖い。俺は肩で息をしながら、部屋の入り口をまでの距離を確認する。

  「はぁっ、はぁっ、くっ!」

  走って部屋の外に逃げ、勢いよくドアを閉めた。ぺたんと尻餅をつき、背中でドアを押さえる。

  ドアを叩く音が聞こえる。振動が背中越しに伝わる。

  「開けてください!パパ!パパぁ!」

  ぼろぼろと涙が溢れる。怖い、悲しい、ぐちゃぐちゃの感情が思考することを許さない。

  あんなに優しい子だったのに、襲うように欲するなんて。純粋なはずの猫なのに、人間みたいな恐ろしさを持っているなんて。

  「ごめんなさい。ごめんなさい!」

  辛そうな声が聞こえる。自分のしたことの重さに気づき、ひたすらに謝罪を訴えている。

  苦しんで、苦しんで、我慢した結果、タガが外れた。いまその後悔をしている。

  すごくいい子なんだよ。俺を傷つけたかったわけじゃない。

  なのに......なのにどうして。

  どうして俺は彼女を拒絶できたんだろうか。

  自分のエゴを押しつけて、彼女を丸め込もうとしたズルさに。自分を守りたいだけの臆病さに。

  心底吐き気がする。

  何より気持ちが悪いのは、

  偉そうに説教を垂れながらも、肉を欲して大きくなった攻撃的な突起。口では拒否しつつも、欲望は痛いほどにふくれ上がっている。

  おさまれ!おさまれ!何がしたいんだ俺は。

  たんぽぽを拒んで、自分を守って、それでいて劣情を諦めない。醜いケダモノ。

  なんなんだ。なんなんだよ。

  「ぐすん。ぐすん。パパぁ。」

  いつの間にかドアを叩く音が止んでいた。そのかわりに啜り泣くような声が聞こえてくる。

  「もうしない、もうしないですから。ゆるしてください。開けてよぉ。」

  彼女に合わせる顔なんてなかった。でも、このまま尻餅をついて泣いてていいわけはなかった。

  ドアを開ける。

  「わあ!」

  ドアに体重を預けていたようで、びたん!と床に叩きつけられる。

  「大丈夫か?」

  「パパぁ。ごめんなさい、ごめんなさい。もうしないから、嫌いにならないで。」

  「俺もごめんなぁ。突き飛ばしたりして。痛くなかったか?」

  「ぐすっ。痛いです。でも、パパも手首掴まれて痛かったでしょ?」

  「うん、痛かった。」

  「ごめんなさい......。あれ、なんでパパが泣いてるの?やっぱり、イヤだったからですか?」

  「違うよ。たんぽぽが泣いてると悲しくなるんだ。どうしたら泣き止みそう?」

  「わかりません。ぐすっ。でも、ぎゅってしてほしいです。」

  いつもは有無を言わさず抱きついてくるのに、今は控えめに腕を差し出して待っている。

  さっきのが相当堪えたんだろう。拒絶されるのを恐れている。俺はなんてことをしたんだ。

  突き放したその手で、今度は彼女を抱きしめる。

  「あっ。」

  ひどく震えている。背中に腕を回すことさえも躊躇っている。

  「ごめんな。ゆるしてくれ。」

  「何を、ですか?」

  「俺のダメなところを。ズルくて、情けなくて、自分勝手で、臆病で、その全部がたんぽぽを傷つけたことを。大切な人にもすぐ嘘をつくところ。」

  「そんなの、ずっとそうじゃないですか。ずっと前から知ってますよ。」

  行き場を失っていた手が俺の背中に回される。少しずつ、力がこめられていく。

  「悪い子なあたしをゆるしてください。そしたらパパの弱さもゆるしてあげます。」

  「うん、そうしよう。せーので、お互いにゆるしてあげよう」

  「はい。......パパ、ごめんなさい。」

  「ごめんね、たんぽぽ。」

  「せーの。」

  「いいよ。」

  泣き疲れた俺たちは床の上で横になり、そのまま寝てしまった。

  相手を守るために、自分を守るために、いつも嘘をついている。それがないと、俺たちは傷つけあってしまうから。

  だけど傷つけて、仲直りして、一つずつ嘘を暴くことで、少しずつお互いを知っていく。

  それを繰り返して、全部の嘘がなくなったとき、俺たちがまだ一緒にいれたら。それが俺たちの幸せなんだと思う。