希望

  ワイワイタウンにある調査団の拠点を後にした牡のルカリオのオズワルドと牝ゾロアークのニコル(今はガブリアスのゼーンに変幻している)は、目元を白い布で覆い杖をついて歩く牡のライチュウ、ライラと共にラプラス便に乗り、風の大陸にあるバラムタウンへと渡った。オズワルドは草の大陸と水の大陸以外の初めての土地を前にして、嬉しそうに尾を振っていたが、バラムタウンに到着するとそれはなりをひそめた。

  風の大陸バラムタウンは丘に存在しており、数多くの風車が目立つ街である。風車は粉を挽き、地下水を汲み上げ、美味しいパンや菓子を作る糧となる。それ故にバラムタウンも本来ならば穏やかな風と香ばしい香りに包まれた場所であった。

  「…酷い」

  だが、眼前に広がるバラムタウンは違った。

  地面には幾つもの亀裂が走り、風車は崩壊しており、辺りには瓦礫の山が広がっている。通りには薄汚れたポケモン達が横になり、物乞いもしている。通りには死体や身体を売るポケモンの姿もあり、治安が悪化していることが伺える。かつては活気に溢れていたはずの街の現在を目の当たりにし、ニコルは無意識に呟いた。オズワルドの尾の動きも止まっており、彼は戸惑いの表情で辺りを見ていた。

  眼前の光景に言葉を失っているオズワルドとニコルの反応を気配で感じ取ったライラは、脚を止めると彼らに声をかけた。

  「…この大陸はかつて隕石の落下の危機にあいました。それを止めるために調査団から私達が派遣されて…隕石を止める方法まで発見できた」

  ライラは杖を突きながら歩き出すと、オズワルドとニコルに説明を始めた。彼の言葉を聞きながらオズワルド達は歩くと、やがてバラムタウンの中央通りが見えてきた。かつては露天や家々が並び、活気に溢れていた街も浮浪者や物乞いの姿しかなく、誰の目にも活気がなかった。中央通りから分かれる路地には死体が放置されており、異臭とハエの羽音が広がっている。

  聴覚と嗅覚でそれらを捉えたライラは悲しそうに唇を噛み締めた。

  「隕石を止めるためにはレックウザの助力が必要でした…ですが、私達がレックウザの下にたどり着いた頃には…」

  「…間に合わなかった、のか」

  ニコルの言葉を聞いたライラは少し頷くと、縁石に腰かけた。オズワルドとニコルもまた縁石に腰掛けると彼の話に耳を傾けた。

  「隕石が落ちる前に、レックウザの住む天空の柱の最上部に到達できるはずだった…ですが隕石は爆発し破片があちこちに落下しだした」

  ライラは顔をあげると、白い布越しに空を仰いだ。青々とした空がライラを見下ろし、太陽が彼を照らした。

  「さすがのレックウザも全ての破片を破壊する事は叶わなかった…隕石の大部分は破壊できたが、細かな破片は大陸全土へと落下した」

  「その結果、バラムタウンが…」

  オズワルドはそう呟くと、悲しそうな目で辺りを見渡した。被害が少なければ住民達も再建する気力があっただろう、しかし隕石の被害は甚大で街全体を破壊していた。このような状況で街を立て直す気力など沸くはずもなかった。

  「隕石の影響で粉塵や豪雨が広がり、農作物も不作…疫病が広がり、ゼクロムの呪いも広がっている」

  そう話したライラは杖でコツコツと地面を叩くと、自嘲するように話した。

  「もっと早く…隕石が爆発する前に行動できていたら…街は、大陸は救われた…だけどゼクロム教徒の私とレシラム教徒の彼女との間で意見が分かれ…対応が遅れてしまった」

  そう話したライラは目元を覆う白い布を取った。その下には火傷で潰された傷があり、また白い布で目元を覆った。それを見たオズワルドとニコルは息を呑んだ。

  「失敗した私達を街の人達は許さなかった…でも彼女はレシラム教徒だから許された…」

  ライラの首元に下げられた袋が揺れた。硬貨の入っている袋の下には、ゼクロム教徒の証である黒い紋章があった。

  「…この先にゼクロムの呪いの治療法を研究している者がいます」

  そう話すとライラは歩き出した。オズワルドとニコルも彼の背を追うと、路地裏へと消えていった。

  *

  何も無い白い空間、そこに置いてあるちゃぶ台の傍には、白いポケモンが横になっていた。白いポケモンの頭上には幾枚もの課金カードが置いてあり、手元にあるタブレットの画面にはソシャゲの画面が表示されている。

  『なんで茶屋姿のヒスイバクフーンが出ないんだよぉ』

  そう呟くと白いポケモンは物悲しそうにタブレットをコツコツと叩いた。その姿を見ているギラちゃんはため息をこぼすと、ちゃぶ台の上に置いてある菓子袋をガサゴソと触っていた。

  『まだ課金するのか?もう諦めたらどうだ?』

  呆れ顔のギラちゃんの言葉を聞いた白いポケモンは湯呑みに入っているお茶を飲むと、『はぁ』と小さな溜息をこぼした。それを見た白いポケモンは身体を起こすと、ギラちゃんの食べているお菓子に手をつけた。

  『だって…可愛いんだよ、茶屋姿のヒスイバクフーン…欲しい』

  ツンツンとタブレットの画面を触っている白いポケモンの姿にギラちゃんは呆れた目を向けると、お茶を飲んだ。

  『まぁ…お前の金だから好きにすればいいが…ほどほどにしておけよ』

  『…』

  ギラちゃんの言葉を聞いた白いポケモンは顔を背けた。その姿を見たギラちゃんは不思議そうな表情を浮かべたが、やがて何かの考えに至り、慌てて手元の財布を取り出した。

  財布から数枚の紙幣が消えていることに気がついたギラちゃんは、見開いた目を白いポケモンに向けた。

  『…貴様』

  『いや、その…期間限定イベントが終わったら返すつもりで…だから』

  直後、ギラちゃんから放たれた波導弾が白いポケモンの顔面にヒットし、空間内に悲鳴が広がった。

  *

  バラムタウンの裏通りを歩いていたオズワルドとニコルは、唐突な地震に脚を取られそうになった。ライラはしっかりとした足取りで立っており、不思議そうな顔で辺りの音を聞いていた。

  「…地震ですか」

  ライラはそう呟くと、民家の扉に手をかけた。地震で立ち止まっていたオズワルドとニコルもまた彼に続くと、民家の中に入った。

  室内には牡のブラッキーの姿があり、先程の地震で倒れた本や器具を戻していた。ブラッキーの赤い目がライラの方を向き、彼は嬉しそうな表情を浮かべた。

  「ライラ!久しぶりだな!」

  「カルマンも元気そうですね」

  ブラッキー、カルマンはライラの言葉に嬉しそうに目を細めると、彼と抱擁を交わした。直後、カルマンの目にオズワルドとゼーンの変幻を解いたニコルの姿が映り、彼は不思議な目を2人に向けた。

  「…君たちは?」

  「えと、私はニコル…医者です。彼はオズワルド、私達は団長とヘンデル氏の要請でペストの治療法を習得するためにきました」

  ニコルの説明を聞いたカルマンはチラリとライラを見た。ライラも頷くとニコルの言葉に信頼性を持たせた。カルマンは団長とヘンデルの名前、そしてライラの反応からニコルの言葉を信用したのか、「よろしくね」と言い、前脚で握手した。

  「散らかっていてごめんね、さっきの地震で色々と崩れちゃって…」

  カルマンは苦笑いしながら机の上を片付けると、椅子に腰掛けるように促した。ライラ達は椅子に座ると、空いた机上のスペースに置かれた木の実ジュースに口をつけた。

  甘酸っぱい果実の味が口内に広がり、爽やかな感覚が喉の奥に流れ込む。

  ラプラス便で疲れている身体に染み渡る甘味と清涼感に、オズワルドは目尻を緩めた。ニコルも木のカップを空にすると、2杯目を勧めてくれるカルマンに礼を述べた。ライラも慣れた手つきでカップを手に取ると、それに口をつけた。

  「それで、ペストの治療法を知りたいの?」

  カルマンの問いにニコルは頷いた。

  「ご存知かと思いますが、キザキの森での暴動、そしてキザキの森とエレキ平原ではゼクロムの呪いが広がっています。団長は治療法を得たいと考えており、プクリンギルドのヘンデル氏も団長と友好関係を望む以上、その希望に従いたいと考えています」

  「だから、僕に会いに来たのか…」

  カルマンはニコルの説明を聞き、納得したように頷くとテーブルの端に置いてあるガラス製のシャーレを指差した。

  「それなら、良いタイミングだったよ。ニコル君も医者なら知っていると思うけど、実は抗生物質の大量の生産と効率化に成功していてね…既に量産体制にも入っているよ」

  ニコニコ笑いながらカルマンはシャーレの中にある培養土壌について説明した。その内容を理解できるニコルは嬉しそうな笑顔を見せるが、理解できないオズワルドとライラは不思議そうに首を傾げた。

  そんな彼らを見たカルマンは赤い瞳を細めると、説明した。

  「ペストは虫や小動物がペスト菌を媒介する事で広がる…まずは清潔な環境を整備して、抗生剤を投与する…あとは栄養のある食事や感染者と非感染者の隔離だね」

  既にカルマンの手で、ある程度のノウハウが確立している事を理解したオズワルドとライラは共に嬉しそうな表情を浮かべた。暴動と虐殺、異教徒狩り、魔女裁判と暗くなる出来事が続く中、ペストの治療法の確立と治療薬の量産は沈んだ心に光が当たる気持ちになる。

  オズワルドはニコニコと笑いながら木の実ジュースを飲み、ライラも友の活躍に嬉しそうな笑みを浮かべた。

  「ペストの治療法については、ここで修行すると良いよ。団長とヘンデルさんも希望しているようだし…なによりこういう技術は早く広がる方が良いからね」

  カルマンは人懐っこい笑顔で話すと、オズワルドの顔を一瞬見た。だが、黒尾を傾げて視線を逸らすと、ライラと楽しそうに談笑しだした。

  ニコルは安心したように息を吐くと、団長の期待を裏切らずに済んだことに安堵した。つまりはワイワイタウンに残っているマフォクシーのヘレンの身の安全も確定したようなものである。そんなニコルの笑みを見たオズワルドは木の実ジュースと焼き菓子を頬張っていた。

  オズワルドの脳内に古い映像が過った。

  黒い外套を着たバクフーンの将校。

  キモリのカフカ。

  セレビィのエミル。

  ゴウカザルのヴィレム。、

  マスケット銃。

  自身を抱く将校の姿。

  時の守護者。

  それらを思い出したオズワルドは頭痛を覚えたが、木の実ジュースを飲み干すことで誤魔化すことにした。木の実ジュースの甘さがオズワルドの感覚を支配し、頭痛を打ち消してくれた。

  *

  私の視界が白く染まった。

  意識を取り戻した私は海岸沿いの砂浜に倒れており、頭上には夕焼け空が広がっていた。穏やかな風と潮が混じり、私の身体に纏わりつくが、不思議と嫌悪感はなかった。

  私は息を深く吸った。

  辺りに死臭や血の臭いはなく、ただ澄んだ空気が広がっていた。鼻腔を満たす匂いと風、空の夕日を見比べた私は、エミルの力を借りて過去の世界に来れた事を理解した。

  (あぁ…懐かしい夕焼け空だ)

  死刑になる前日、独房の窓から見えた夕焼けの赤い空、子供の頃は何度も見た光景だったが、罪を犯し死刑の判決を下された私にとっては、喉から手が出るほど望んだものであった。

  それを堪能した私は砂浜に横になると、少しずつ意識を手放そうとした。

  『はーい‼︎過去の世界はいかがかな⁉︎』

  私の頭蓋内に白いポケモンの声が広がる。近くにはギラちゃんも居るのか、ケラケラと笑い声が聞こえた。せっかくの雰囲気を堪能していた私は顔を顰めると、上半身を起こした。

  『そこはトレジャータウンの海岸、あの処刑台のあった流刑地の過去の姿だよ』

  (うるさい)

  『うるさいだなんて心外だな、せっかく観光案内したあげているのに』

  白いポケモンに向かって悪態を吐くが、白いポケモンはケラケラと笑いながら話を続けた。

  『時の守護者達も闇のディアルガの力をつかい、時期に追ってくるだろうね。君も早く身を隠して、行動した方がいいよ』

  

  「黙れ」

  腹の立つ言い方に対して、私は思わず声に出していた。そんな私の頭蓋内で白いポケモンの声は反響し、ゲラゲラと下品な笑い声を上げ続ける。

  『将校とヴィレムと楽しく3Pする暇があるなら、しっかり世界を救ってくれよぉ』

  白いポケモンの言葉が響いた直後、私は近くに落ちている小石を掴むと、海に向かって投げた。

  とりあえず、生活拠点と仕事を得ることにした。

  *

  バラムタウンは夜を迎え、カルマンの好意に甘えたオズワルド達は彼の家に泊まっていた。街中のあちこちには浮浪者や難民の姿があり、ときおり襲われるポケモンの悲鳴が聞こえていた。街には保安官事務所もあるが、人手が足らず、常に後手に回っている状態だ。そんな状況のバラムタウンで、屋根のある宿は非常にありがたいものである。

  カルマンが用意したお湯で身体を洗ったニコルは、心底嬉しそうな笑みを浮かべていた。

  身体を洗った彼女の匂いがオズワルドの鼻を刺激し、続けて身体を洗ったライラが部屋に入ってきた。家主のカルマンは床に毛布を敷いており、寝台が足りない事を詫びていた。

  「…そんな気にしないでください」

  家主の謝罪にライラは笑顔で返し、オズワルドとニコルも笑みで返した。

  「宿だけでなく湯も用意してくれて、更に治療法を学ぶ機会も与えてくれるとは…ありがとうございます」

  ニコルは床の上で正座をするとカルマンに向かって深々とお辞儀をした。ニコルの反応にカルマンは慌てたように「頭を上げて!」と言った。

  「同じ杖の下に誓った仲ではないですか、互いに助け合いましょうよ」

  カルマンの言葉にニコルは泣き出しそうな表情を浮かべた。そんな彼女の反応を見たオズワルドは、改めてカルマンの人の良さに舌を巻いた。

  (未来の世界だと、他のポケモンにここまで優しくできないのに…)

  オズワルドは少しずつ記憶を取り戻しつつあった。

  キモリのカフカ、セレビィのエミル、ヨノワールのフランツ、そしてバクフーンの将校。

  記憶の中で少しずつ蘇りつつある名前の数々が、オズワルドの人格にも影響を与えていた。

  そして、記憶が蘇るたびに頭痛が減ってきている、そのことにオズワルドは気がついた。ときおり襲われる頭痛の波が軽減しつつある事をオズワルドは嬉しく思い、心なしか彼の身体も軽くなっていた。

  「…まだ眠くならないので、少し散歩に行ってきます」

  軽やかな身体を動かしたい衝動に駆られたオズワルドはニコル達にそう話すと、家を後にした。

  バラムタウンの夜は静まり返っており、遠くからポケモンの悲鳴が聞こえるくらいだ。それを耳にしたオズワルドは尻尾を揺らすと、カルマンの家のある裏通りを歩き、崖に面した広場に来た。広場にはベンチが置かれており、そこには難民となったポケモンが横になっている。その姿を見たオズワルドは起こさないように足音を抑えつつ、崖の側にある岩に腰掛けた。

  海から吹き込む風が広場に流れ込み、オズワルドは心地良さそうに目を細めた。

  眼下には海に面した海岸線が広がっており、自然の匂いが広がっている。砂浜の端の方では強盗と思われるポケモンが通行人を襲っており、別の場所では集団リンチが起きている。それらを見下ろしたオズワルドは助けに行かず、ただ静かに時が過ぎるのを感じていた。

  オズワルドの目が人影を捉えた。

  黒い帽子と外套を着たゴウカザル、ヴィレムは部下である時の守護者達を引き連れて歩いており、先ほどの強盗やリンチしていたポケモン達を気の向くままに襲っていた。ヴィレムの指示に合わせて部下達は素早く動き、ある者はナイフで首を切り裂き、別のある者は棍棒のような物で撲殺していた。

  歩く暴力の集団は気ままに通行人を襲い、楽しそうに暴れていた。

  その姿を崖上の広場から見下ろしたオズワルドの脳内に下半身を露出させ、欲望を剃り立たせたヴィレムの凶悪な笑みが過った。

  古いフィルム映画のような映像が過ぎる。

  マスケット銃。

  ガルム鉱山。

  鉱石の採集。

  死体の山。

  欲望を丸出しにしたヴィレムと将校の笑み。

  体内を抉る肉棒の感触。

  口内に押し込まれる肉棒と精液の味。

  それらがオズワルドの脳内に広がり、思わず彼はかがみ込んだ。直後、オズワルドの足下にあった小石が落下し、ヴィレムの近くに落下した。

  「…あっ?」

  その音にヴィレムは怪訝そうに崖上を見上げるが、かがみ込んだオズワルドの姿は見えず、代わりに海から吹き込む風が原因と判断した。

  暴力の集団はそのまま浜辺を歩いて行き、近くにいるポケモンや駆けつけた保安官にも襲いかかっている。

  その光景を広場から見下ろしたオズワルドは震える脚で広場を後にして、裏通りにあるカルマンの家へと戻った。室内にはコーヒーを飲んでいるカルマンの姿があり、彼は赤い瞳をオズワルドに向けると不思議そうに首を傾げた。

  「どうかしましたか?」

  カルマンの問いにオズワルドは閉口したまま首を振ると、急ぎ足でニコル達のいる寝室へと入って行った。

  その背中を見届けたカルマンは、やがて手元の本に目を向け、コーヒーを一口飲んだ。

  *

  草の大陸でカピンタウンからトレジャータウンを目指して街路を歩いていたカフカは、道すがら旅人に生地を売ったり物珍しい物を購入したりしていた。先日はヨノワールのフランツと顔を会わせたが、以降も時の守護者と思われるレシラム教徒やゼクロム教徒を見かけた。

  カフカには一眼でわかった。

  ディアルガの信奉者達は目つきが違う。平和な過去の世界を生きているレシラム教徒やゼクロム教徒の中にも、狂信的な者はいる。しかし、滅び行く世界を生きてきたディアルガの信奉者達は狂気に満ちた目をしていた。

  将校、ヴィレム、時の守護者達、いずれも狂気に満ちていた。

  唯一、フランツのみ正常な目をしていた。

  「…」

  街路ですれ違ったピクシーとニンフィアの旅人達、彼女らは周囲の旅人にも愛想よく挨拶しているが、その目に宿る狂気をカフカは見逃さなかった。

  ピクシーの腕とニンフィアの首筋には注射針の跡があった。

  2人の目は瞳孔が開いており、そこに宿る猛禽類のような瞳が周囲を見渡していた。彼女らがカフカやグレーゴルを探しているのは明らかだ。

  「こんにちは」

  穏やかな口調でピクシーが話しかけてきた。すれ違い様に急に話しかけられたカフカは、ピクシーと目を合わせて「こんにちは」と返した。

  両者の視線が交差し、互いの瞳に互いの顔が映った。

  直後、カフカの正体を見抜いたニンフィアのリボンが彼の腕に絡み付いた。寸前に気がついたカフカはナイフを取り出し、ニンフィアのリボンを一本だけ切り裂いた。だが、ニンフィアは苦痛に顔を歪めながらも別のリボンをカフカの首に巻きつけ、締め上げようとした。

  カフカはピクシーの手の中にある筒が自身に向けられている事に気づいていた。

  それの正体を即座に見抜いたカフカはリボンを手繰り寄せ、ニンフィアの姿勢を崩すと彼女の首根っこを掴み、肉壁とした。直後、ピクシーの持つ小型の笛型マスケット銃の銃口から発射された矢がニンフィアの眼球を貫通し、後頭部から矢の先端が顔を見せた。

  「がっ」

  ニンフィアの声が聞こえた。

  頭蓋内を撃ち抜かれたニンフィアは脳幹部も破壊され、意識を消失すると同時に心停止した。カフカは顔にかかったニンフィアの血液と髄液を拭うと、次弾を装填しようとするピクシーに向かって小麦粉の入った袋を投げつけた。

  ピクシーは視界を小麦粉により奪われ、反射的にナイフを取り出すとカフカの接近を警戒した。だが、カフカはピクシーの背後に既に回り込んでおり、彼女の首元を掴むと動脈を切り裂いた。

  街路に大量の血飛沫が舞う。

  ピクシーはその場に倒れ込み、声にならない悲鳴をあげ、転がっていた。やがてピクシーの動きは止まり、辺りには血溜まりができていた。

  付近に一般のポケモンが居ないとはいえ、街路で襲いかかってきた時の守護者達の狂気にカフカは身を震わせると、顔にかかった血と髄液をタオルで拭いた。そして彼女らの荷物を漁ると、なにか手がかりがないか探した。

  「…なにもないか」

  一通り荷物を確認したカフカはマスケット銃と火薬と弾を回収すると、街路脇の崖から残りの荷物と死体を落とした。崖下はダンジョンとなっており、死体を隠すにはちょうど良かった。

  街路に戻ったカフカはスコップで地面を掘ると、血溜まりを隠し、戦闘の痕跡をかき消した。

  「…コイツらの定期連絡が途絶えたとすると、時の守護者達は草の大陸を警戒するだろうな」

  反射的に始末してしまったが、彼女らの不在が他の守護者達を呼び寄せるヒントになるかもしれない。その事に気がついたカフカは急いで痕跡を消すと、トレジャータウンに向かって歩き出した。

  数時間後、カフカはトレジャータウンへ到着した。

  彼の知る滅び行く世界のトレジャータウンは、時の守護者達が支配する地獄の街であった。街の大通りは時の守護者達が監視し、通りの外れには死体が転がっていた。あちこちで暴行と虐殺が広がっていたトレジャータウンは、過去の世界では平和そのものである。

  「…ここが流刑地か」

  高台に建てられたヘンデルのプクリンギルドは処刑場となった。しかし過去の世界ではギルドとしてきちんと運営できており、街の治安も維持されている。

  高台を見上げたカフカは記憶の中のプクリンギルドと眼前の実物とのギャップに戸惑っていた。だが、いつまでも立ち止まる訳にもいかないため、彼は街の入り口に面しているパッチールのカフェへと入った。

  地下は初夏の世界と隔離されており、一定の気温と湿度を保っている。その心地良さにカフカは目を細めると、カウンターに歩き寄った。

  「いらっしゃい〜、何にしますか?」

  少し間延びした口調でパッチールは尋ねてきた。カフカは「木苺のジュースを頼む」と返すと、カウンターの席に腰掛けた。

  店内に客は居らず、静かな時間が過ぎて行く。

  パッチールの手の動きに合わせてグラスがカチャカチャと音を立てて、木苺の香りが広がる。

  「お待たせしました〜」

  カフカの前にグラスが置かれた。淡い赤色のジュースを口にしたカフカは、その酸味と甘味に顔を綻ばせ、ゆっくりと飲み干した。初夏の世界を歩いてきたカフカは汗ばんでおり、身体は乾ききっていた。あっという間にジュースを飲み干したカフカは、パッチールにグラスを差し出すと「もう一杯頼む」と言った。

  パッチールはガラス製のピッチャーから新たな木苺のジュースを注ぐと、干し肉と共にカフカの前に置いた。

  「こちらは手前からの奢りです〜」

  カフカはパッチールの言葉を聞き、目を丸くさせた。未来の世界では誰かに何かを授ける、奢るなどの考え方は存在しなかった。そもそも、自身の空腹を癒すだけで精一杯だったからだ。しかし、平和な過去の世界では他のポケモンに対する気遣いや思いやる余裕があるため、パッチールは暑い外を歩いてきたのであろう、カフカに対してサービスしたのだ。

  予想外の出来事にカフカの動きは止まったが、やがて彼は「ありがとう」と返すと干し肉を食べた。

  味つけられた干し肉は程よく塩味が効いており、汗をかいたカフカの身体を満たしていく。

  口内で咀嚼し味と香り、食感を堪能したカフカはそれを飲み込み、木苺のジュースを口に含んだ。干し肉の塩味が木苺の味と香りで流されて、カフカは後味の余韻に浸っていた。

  やがて、腹を満たしたカフカはお代を払うとパッチールに声をかけた。

  「俺は布地を扱っているんだが…新しい外套やシーツなどに興味はないか?」

  「干し肉の礼に安くするよ」とカフカは言うと、ウインクした。彼の問いかけにパッチールは考え込むと、ポンと手を叩いて答えた。

  「実はテーブルクロスが古くなっているから、まとめて新しくしたいんですよ〜」

  パッチールの要望を聞いたカフカが店内のテーブルを見て回ると、どれも汚れやシミがついており、かなり古くなっていた。食品を扱う店であることもあり、清潔感が重要である。カフカは荷物を置くと中からサンプルの布地を取り出し、パッチールに見せた。

  「今の俺なら…この中の物を用意できるよ。ご希望なら新たなデザインも可能だ」

  「ほんとですか〜、それは助かります!」

  パッチールは嬉しそうに声をあげ、嬉々としてカタログに目を通した。その間、カフカは店内を見渡すとテーブルの数と必要な布地の大きさ、手元の材料と作業時間を考え、口角を緩めた。

  「コイツは忙しくなりそうだな」

  命を奪うよりも、何かを作り出す方がカフカの好みであった。今の彼は星の調査団残党のカフカではなく、ただの布地職人のカフカであった。

  頭部の葉が嬉しそうに揺れた。