「思い……出した……〝鍵〟を……探さなきゃ……はぁ……はぁ……あ、嗚呼……でも……手が……」
もう何度この光景を見たことだろう。記憶を取り戻すのは、いつも私のゲームオーバーが確定した時だった。
私の手が本来あり得ない動きをしている。この呪いに抵抗するために思いっきり手を広げるが、私にはその不可思議なチカラに抵抗するものを持っていない。だから、私はただただこの圧倒的なチカラの前に敗北するしかなかった。
親指の形が不定形にぐにぐにと動き出し、ただの皮膚の塊となって腕の方に吸収されていく。
「はぁはぁ……」
自分の体の形が急激に変わっていくのを見るのは、本当に嫌な気分だ。まだ痛みがあった方が良かったのかもしれない。私の体はこの変形に気持ち良さを感じている……。体が快楽を感じている以上、その悦びに思考力も溶けていくような感じがする。
今度は中指が短くなり始め、爪が溶けたように皮膚と一体化していく。人差し指も指を曲げられなくなってきた。
「はぁ……はぁ……くそぉっ……また……ダメだった……時間が無い……」
〝鍵〟の場所は全く分からない。そもそも時間が無い。
小指と薬指がお互いに引き付け合うようにくっついていく。くっついた指は二度と離すことができなくなる。二つの手の指は一つの塊となり、やがて腕の方へと吸収されていく……。
「はぁ……はぁ……手が……無くなっちゃった……」
5本あった私の手の指は跡形もなく消え、指の感覚も無くなってしまった。まだ腕はあるものの、それもやがて体の方に吸収されてしまう。
「ははっ……んっ……」
私の自慢の長髪が短くなっていくのが分かる。頭がだんだん軽くなっていく。こんなに身軽に感じるなら、髪を短くしてもいいかなとふと思ってしまった。
「んっ……変な感じ……はぁ……はぁ……」
指の消えた手が短くなっていく。胴体の方に吸収されていっているのだ。
「はぁ……はぁ……あ、もう服の中に……」
短いTシャツの袖から出ている腕は、切断されたかのように短い。そして、その腕もさらに短くなっていき、やがてTシャツの袖は体の覆う部位を無くし、はらりと垂れ下がる。肩から手先までが消失した私は、もう何も物を掴むことができない。ブラジャーのホックを外すことも、Tシャツを脱ぐことさえできない……。
「はぁ……はぁ……ああああ来た……この感覚……はぁはぁ……」
本来あった体のパーツが失われると、それを補うかのように新しい体のパーツが形成される。首周りの皮膚が太くなっていく。そして、太くなった首が少しずつ長くなり、胴体から離れていく。
「グギギギ……はぁはぁ……」
口の開ける可動域が大きくなる。口が裂け始めている。その変化に伴い、舌の先端が2つに分かれ、舌はより長く伸びるようになった。
「ん……んん……はぁはあぁあはあ……お尻がキツイ……」
この感覚は知っている。私のお尻からシッポが生えようとしているのだ。その時によって、足がくっつく時とお尻からシッポが出る時がある。
お尻の付け根が盛り上がってきたこの皮膚の先端はすごく敏感で、パンツの生地に肌が擦れるたび、私は何とも言えない気持ちになる。
「あ、あぁぁぁっ!!!」
シッポの形成が急激に進み始めた。ズボンを穿いて来たことを後悔する。むくむくとお尻の方の生地が盛り上がり、ミシミシと音を立てて生地が擦り切れていく。シッポがズボンを破裂させて突き破ろうとする中で、腹部が引っ張られて圧迫される。しかし、通常苦しむこの締め付け感でさえ、呪いによって気持ち良いと感じるようにされていた。
「あはっ、ははっ、はぁはあぁ……」
乱れる息は悦びか悲しみか、最早私にはその判断をまともに下すことができない。体の変化が始まってしまった以上、もうこの〝ルート〟は捨てるしかない。意識が途切れるまで……せめて苦しまないように。
「みんな……朝子……夕子……はぁ……はぁ……」
視界に映る様々な動物達。元々人間だったモノ。もう彼らには人間としての意識は残っていない。私も早くこの意識を失いたいとさえ思う。
「はあ……はぁ……」
シッポの伸長に引っ張られて締め付けられるズボン。その締め付けが悲しくも気持ち良い。
「はぁ……あ、あぁっ!!! はぁ……はぁ……」
シッポがとうとうパンツとズボンを突き破って外に飛び出した。しかし、シッポはその程度では満足せず、さらに人だった私の部分を奪いながら伸びていく。
「はぁ……はぁ……もう……立てない……」
腕を失い、シッポが大きく伸びた私は、最早2本足で立っていることも難しくなった。膝を着き、地面に寝転がる。体育館の木目が視界に広がる。いつもエンディングに見る光景だ。じわりと後悔の涙が目に滲む。
「はぁあはぁあ……なんで……あんなことを……」
してしまったのだろうか。
あの時、私が強く二人を止めていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。私が選ばれなかったのかもしれない。
シッポはいつの間にか胴体と同じくらいの長さになっていた。しかし、まだ伸び続けようとしている。
「はぁ……はぁ……あ、ああ、足が……」
足の指が不定形になっていく。5本の指がそれぞれくっついたり、短くなったり、しまいには指の無いただの丸みを帯びた先端になって指があった感覚が消失する。シッポに足を吸い取られているかのように、シッポが伸びれば伸びるほど、足が体の方へ吸収されていく。あっという間に膝から先が体に吸収された。靴と靴下が脱げた。パンツとズボンの出し口も時期に脱げてしまうだろう。
「肌が……はぁはあぁ……」
首がさらに伸び、おへそのあたりまで顔を伸ばせるようになった。肌色だった肌に緑色の鱗が生えていく。
足が完全に胴体に吸収され、パンツとズボンの出口から突き出すものが無くなり、脱げた。Tシャツとブラジャーは何とかまだ着れている。
「はぁ……はぁ……ぐぎぃぃ……あぁぁぁ……」
口が大きく裂けると同時に口と鼻先が前方に突き出していく。何とも言えない体の感覚。しかし、マッサージをされている時のような心地良さを感じる。
短くなった髪の毛がすべて体に吸収され、頭が少し縮み、鱗で覆われる。歯の数が減り、数本の歯が鋭く伸びて牙となる。大きく開いた口は120度ほどまで開けるようになっていた。
「はぁはぁはぁ……」
しかし、この体の変化が気持ち良い感覚になっていても、体の熱さは少ししんどい。
ムネの膨らみが消えていき、体が少しずつ小さくなる。瞳孔が鋭い縦長に変わる。
「シャー……はぁはぁ……」
すっかり細長くなった体。くねくねと動かしながら、体育館の床を這いずり回る。
「シャー……アァァ……」
脱げたブラジャーとTシャツも置き去りにして、私は大きめのヘビに変化した。意識が朦朧とする。そろそろ記憶が途切れる時間だ。
「はぁ……はぁ……ア……アァ……」
ほわほわとした心地良い眠気の中、私はまた自我を失った――
もう何回同じ時間を繰り返したのかは分からない。
前回の記憶を思い出すのは、決まって体の変化が始まった時。しかし、それでは手遅れだ。過去の経験を活かすなら、もっと早い段階で記憶を取り戻さなければならない。少しずつ遡る時間は早くなってきているが、まだまだ時間が足りない。私はまた今回も同じ過ちをループする。何故こんな繰り返す時の中に閉じ込められることになってしまったのか……もう一度、始まりの時を思い出さなければならない。
すべての元凶はあの時だった……。
私は超常現象研究部に所属している。大学としては珍しくサークルではなく「部」として公認されているのだ。古今東西、この世には科学的には説明のつかない超常現象が存在する。その超常現象を科学的に解き明かそうと挑戦しているのが、私の所属している超常現象研究部だ。超常現象研究部の歴史は長く、第二次世界大戦前からあるらしい。部活は大真面目で、専門の学会でも研究成果を発表しているほどだ。
部活は数人で構成されるいくつかのチームに分かれ、それぞれのチームでテーマを決め、それについて研究するという感じで行っている。とりあえず1年間はテーマを変えずに研究を行い、翌年も興味があれば継続、面白くなかったり研究が難しいと判断した場合はテーマを変えるといった感じだった。
私のチームは朝子(あさこ)と夕子(ゆうこ)の女子3人チームだった。超常現象の研究テーマは先輩が残したものを引き継いでもいいし、自分達で新たに研究テーマを立ててもいい。私達はこの春、大学に入りたての1年生で、この部活で初めて知り合った。研究活動自体が初めてだったのでまずは先輩達の残した過去の研究を片っ端から見て回ることにしていた。
「この超常現象研究部はテレビでも有名だよね。わたし、ずっと憧れていたんだー!」
朝子は先輩の残した研究ファイルを見ながらそんなことを言った。
超常現象研究部は伝統ある部活であるため、それなりに知名度があり、また卒業生が芸能関係者に多いこともあって、時々テレビのオカルト番組などに呼ばれたりしていた。
「あ、それ分かる分かる! あたしもそんな感じだよ!」
夕子も先輩の研究資料を見ながら言った。
「へー、二人ともそうなんだ。私は大学の部活勧誘で知った感じかな。面白そうって」
大学に入学してから半年ほど経ったが、春の部活やサークル勧誘は本当に凄かったなと今でも思い出す。
「え~~! 日菜子(ひなこ)ちゃん、そうなんだ!」
朝子が私を見て驚いた顔した。
「珍しいね。この部活目当てで大学に進学して来る子もいるのに」
夕子がうんうん頷きながら腕組して言った。
「そ、そんなに有名だったんだ……いいのかな、私ここにいて……」
私もこういう未解明の謎解きは好きなのだが、根っからのオカルトオタクという感じではなかった。
「いいよいいよ! 有名と言ってもコアな人が集まる部活だから、むしろ普通の人が入るのは珍しいと思うし」
「そうだねぇ~」
「私、普通の人扱いなんだ……」
朝子と夕子の二人は根っからのオカルトオタクだった。
「先輩の研究に一通り目を通したけど、どれも知っているやつだったなぁ」
朝子は少しつまらなさそうに言った。
さすがオカルトオタク。私が知らない超常現象もよく知っているようだ。
「ねぇ、部室の保管庫の奥にこんなのがあったんだけど……」
夕子が私と朝子を手招きしてきた。少し様子が変だ。
私と朝子が保管庫の方に行くと、夕子が表紙が真っ黒な本を取り出した。表紙には赤い字で〝XXX〟と書かれている。
「えっ!? それって……」
「うん、多分……」
二人はその真っ黒な本が何なのか知っているようだ。しかし、私にはよく分からなかった。
「な、何なの、その本……」
私は何か嫌なような予感して、おそるおそる二人に聞いた。
「トリプルエックス。エックスファイルって聞いたことがない? それの最上位版」
「つまり、禁書」
「禁書……え、ヤバい本ってこと?」
私の嫌な予感は的中した。
「そういうことになるね。奥にあったってことは隠してたのかな?」
朝子は目をキラキラさせて言った。
「そうかもしれない。研究を途中で止めたテーマがあるって聞いたことあるし」
夕子も目を輝かせて言った。二人ともオカルトに飢えている。
「そ、そういうヤバい本なら見ない方が……」
私は遠慮がちに二人に言ったが、二人は私の話を聞き入れなかった。
「何言ってるのよ! わたしはこういう一般的にまだ知られていないオカルト情報を求めてここに来たんだから」
「そうだよ! こんなものを見付けちゃったら、見るしかないよね」
二人はもう見る気満々だ。
「え、えぇ……」
私はどうしたらいいのか迷った。
「そ、それじゃあ、私は席を外そうかな……」
何か見ない方が良いような気がして、私が席を外そうとすると、朝子が私の肩に手を置いた。
「こらこら、自分一人だけ逃げようとするだなんてダメだよ」
「えっ、いや、だって……」
「だってじゃないよ。もう日菜子ちゃんもこの本を見ちゃったし、共犯者だよ」
夕子が何やら物騒なことを言ってくる。
「そ、そんな共犯者って……」
「あたしら、三人一組のチームじゃない」
「そ、それはそうだけど……」
「まぁまぁ、ちょっと覗くだけだから」
こういう言い方は物凄く危険なフラグだ。
「わ、分かったよ……」
二人の好奇心の目に負けて、私は二人と一緒にトリプルエックスの禁書を見ることにした。
「うわっ……いきなりこれか。俄然興味を惹かれるね」
朝子はさらに目の輝きを増した。
「うん。逆にね……」
夕子も同じ反応だった。
禁書にはこう書かれていた。
〝超常現象研究部の研究成果としてこれを残す。しかし、ここに書かれているものをこれ以上追及してはいけない。ここで知り得たことは他者には口外厳禁とする〟
非常に嫌な感じがするものの、確かに少しだけ興味が惹かれるものがあった。しかし、この少しの好奇心が大きな間違いだった。
「うわぁ……なにこれ……知らない……こんなのあるんだ。ゾクゾクする」
「へぇ……消された村、消えない血痕、アマゾンの神降ろし……」
ダークファンタジーで使われそうなネタがたくさん書かれていた。研究成果としてまとめられているので読みやすい。しかし、超常現象の解明には至っていない。研究を始めたのはいいが、途中からヤバいことが分かったので、それ以上研究することを断念したということがどのテーマにも書かれていた。
「面白い、面白い。この中からわたし達の研究テーマを取ったらいいんじゃないかな。これ結構古い情報みたいだし、誰もネタは分からないでしょう?」
朝子がそんなことを出だした。
「えぇー! それはさすがにマズいんじゃ……部長さんも知っているかもしれないし」
私は反対だった。
「大丈夫、大丈夫。部長も多分知らないと思う。それじゃあ、ここに書かれているものを一つ試してみましょう」
朝子がそう提案してきた。
「そうだね。それを試して部長が反応したら、別の研究テーマを探すってことにしましょう」
夕子も朝子の提案に乗ってきた。
「え、えぇー、そんな回りくどいことしなくても。直接この本を知っているか部長さんに見せたらいいんじゃ……」
私は二人の遠回りな確認作戦に少し納得がいかなかった。
「それでこの本を取り上げられたらどうするの?」
「こんな面白い本、手放すには惜しいよ」
二人ともオカルトオタクのガチ勢だった。
私は長いものに巻かれる形で参加させられることになった。
二人は部長が禁書のことを知ってるのかどうかを確認するため、禁書に書かれている内容を実行することにした。禁書の中から選んだテーマは、アマゾンの孤立部族が行っていたとされる神降ろしの儀式だった。なんで外界との接触を断っているアマゾンの孤立部族の秘術なんか書かれているのかというと、今より外航が緩かった時代に世界中を駆け回った大先輩がいて、アマゾンに足を運んだ際、孤立部族を助け、そのお礼に秘術を見せてもらったんだとか。
超常現象研究部では、秘術や奇術の科学的検証のため、実際に知られている手法を伝えられている通りに再現することが多い。今回も禁書に書かれている方法を実際に再現することになった。
読めない象形文字みたいな字をチョークで部室前の地面に書いていく。ただの落書きと言われればそうにしか見えない。私はこれで部長が気付いてくれたら嬉しいなと思った。
「神降ろしの儀式には、この召喚文字の近くに閉ざされた空間を作り、そこに数十人の生贄が必要って書いているね。具体的な人数は書いていないけど」
朝子が淡々とスマホを見ながら読み上げる。禁書をそのまま持ち歩くと誰かに取られたら嫌だということで、とりあえず今回試しに行う該当ページを、朝子はスマホで写真に撮った。
「生贄は流石に準備できないね……」
夕子も朝子のスマホを覗きながら言った。
「い、生きてる動物とかも可哀そうだからダメだよ!」
生贄の用意は断固反対した。
「オーケー、生贄は流石に物騒だからやらないよ。とりあえず、これだけ目立つように地面に書いておけば、部長も知っていたら気付くでしょう」
「そうだね。中途半端だけど、まずは部長が反応するかどうかを確かめて、反応しなかったら、禁書から研究テーマを頂きましょう」
朝子と夕子は一致団結している。私は置いて行かれているような気がするが……このオカルトオタク気質を除けば、二人は仲の良い普通の友達だった。
「ほら、部長が来たよ。日菜子ちゃんも隠れて!」
「え、えぇっ! ま、待って!」
朝子が私を体育館の影に手招きする。体育館は超常現象研究部の隣に位置していた。三人で物陰から部長が禁書の召喚文字に反応するかどうかを観察する。
「ん? なんだこの落書きは……全く、暇な奴もいるもんだな……」
部長は召喚文字を見て一応反応したが、そんなことを呟いて部室に入って行った。その呟きを耳を澄ませていた私達は聞き逃さなかった。
「あの感じだと禁書のこと知らないぽいね」
「うん。あたしもそう思う」
朝子と夕子の二人は部長は禁書のことは知らないだろうと判断した。
「うーん、でも口外厳禁って書いていたし……やっぱり禁書の中から研究テーマをピックアップするのは……」
私は何だか嫌だった。しかし、二対一。私の方が人数的にも不利だった。
「大丈夫だって! あの本が書かれたのはかなり昔。今はその頃より科学も発達しているし、禁書の情報もデタラメかもしれないじゃない」
「そ、それはそうだけど……」
何故だかは分からないが、私はあの禁書にはこれ以上触れない方がいいと直感が告げていた。
「部長が禁書のことを知らないか、もっと探るためにも部室に顔を出しましょう」
「うん、そうだね」
二人は何食わぬ顔で部室に入って行く。
私は部室前に描いた召喚文字を見て……一瞬何かを思い出したような気がした。
翌日。大学一年生の共通科目で体育を履修していたため、体育館に集まることになった。怪奇現象は受講生が全員体育館に集合した時に起こった。その時、体育館に集まった人数は50名前後。体育館という閉鎖空間。召喚文字は書いたまま……禁書にあった神降ろしの儀式の条件が揃ってしまっていた。
「えっ……何!?」
条件が揃った瞬間、私の周囲が突然真っ暗になった。暗闇の中に放り出された私は、赤く禍々しい光を放つ目玉と羽がたくさんある得体の知れない何かと一対一で対峙することを余儀なくされた。凄い怖かったが、瞬時にそれが召喚した〝神〟だと理解した。〝神〟は何もリアクションしてこない。しかし、私は次々と〝理解〟した。
〝神〟と対峙した瞬間からゲームが始まったのだと。今から私も含め、この体育館全員に呪いが掛けられる。呪いはそれぞれの人が輪廻転生してきた中で、所縁のある人間以外の動物に自我を失いながら変化していくというもの。体の痛みは呪いで緩和されるという配慮はある。呪いを解く方法はこの体育館のどこかにある〝鍵〟を見付けること。〝鍵〟を見付けるまでこのゲームは終わらない。もし〝鍵〟を見付けることができればゲームクリアの報酬として、何でも願いを一つ叶えてくれるという……。
凄い量の情報が頭の中に入ってきて、私は頭が痛くなった。
「うぅ……頭が……痛い……」
私は唸り声を上げ、両手で頭を抱えてしゃがんだ。
「日菜子ちゃん、大丈夫?」
声を掛けて来たのは朝子だった。
「えっ? あ、あれ?」
気が付けば普通の光景に戻っていた。朝子が不思議そうな顔をしている。
「あ、ありがとう……」
何か夢を見ていた気がする。何かしなければならないような気がするが、それが何だったのかは思い出せない。
「体調が悪いなら体育を見学すればいいと思うよ」
夕子もそう言って私を心配してくれた。
「ごめんごめん。大丈夫。頭痛も治ってきたし」
私はそう言って立ち上がった。今日の体育は体操だった。
まずは跳び箱からだった。三角座りして跳び箱を飛ぶ順番を待つ。私の前には朝子、後ろには夕子が座っていた。
「ん?」
朝子のズボンが何やら動いている。
「え? え???」
何度か自分の目を擦ったが、間違いなく朝子のお尻のズボンがモゴモゴと動いている。普通じゃない。
「あ、朝こぉ――――!?」
朝子にお尻の異常を伝えようとしたその瞬間、ほっぺたに何かでぶたれた。
「イタ~~~~イ……って、はぁっ!?」
突然ほっぺたを強くぶたれたかと思えば、目の前の朝子のズボンが破れお尻から太くて長いシッポが生えていた。
「あ、朝子!? し、シッポ生えてるけど!?」
私は驚いて朝子に声を掛けた。すると、朝子はどうしたのかというようなキョトンとした顔で私の方を振り向いた。
「あ、ごめん。シッポ当たっちゃった? わたしの長いんだよねぇー、ごめんごめん」
「い、いや、シッポ生えてるのおかしいでしょ?」
「え? そんなことないよ? ね、夕子」
朝子はそう言って、私の後ろにいる夕子に声を掛けた。
「うん。シッポはみんな人それぞれ、これも個性だよ」
夕子の言っていることもおかしいと思って私が夕子の方を見ると、夕子は体を捻ってお尻を見せてくれた。ズボンから尾羽が突き出している。
「そ、そんな馬鹿な……」
私は周囲を見渡した。すると、生徒達の体のどこかが動物化している。
「え? 嘘……」
私は混乱した。信じられない。しかし、混乱しているのは自分だけで、みんな普通にしている。それがさも当然であるかのように。
「大丈夫? それじゃあ、飛んで来るね」
朝子はそう言って、自分の順番が来ると跳び箱に向かって走り始めた。私はよく分からない現実に混乱しつつも何とか平静を保つよう努力した。
朝子が走ると長く大きなシッポも鯉のぼりのように一直線になびく。
「ん?」
朝子の足がおかしい。走って行くたびに太くなっていく。それだけではない。履いている上履きがぎちぎちに膨れ上がり、しまいには破れて蹴り飛ばしてしまった。足の指の形状が明らかに変わっていっている。人間の5本足から太くて長い3本足に変わっていく。
しかし、朝子は自分の体の変化を全く気にすることもなく、そのまま走り続け、8段の跳び箱を軽々と飛び越えた……跳び箱に手を着くことも無く。跳び箱の意味がない。最早ただのジャンプだ。
「あはは。足に力入れすぎちゃった」
戻って来た朝子の足はまるでカンガルーのように変わっていた。
「次、用意! ピッ!」
私の順番が来た。
体育の先生がそう言って笛を――吹かずに自力で鳴いていた。先生の口がいつの間にか鳥のクチバシのようになっている。
私はその変化を見てビックリし、思わず跳び箱に正面衝突しそうになった。
「えいやっ!!」
しかし、何とか跳び箱を終えることに成功。
人間、やらなければならないことが目の前にあると、ついついいつものようにしてしまうのだなと思った。
次は夕子の番だ。夕子が跳び箱に向かって走って行く……と、足の形がどんどん変わっていく。足全体がきゅっと絞ったかのように骨質的になり、色も薄桃色を帯びる。太ももがすごく太くなり、巨大化した足の指が上履きを突き破る。夕子は壊れた上履きを走りながら蹴り捨て、太い2本指のまま跳び箱を飛んだ。夕子もまた跳び箱の上で手を着くことなく、跳び箱の向こう側に着地。
夕子の足はまるでダチョウのようだった。
続いて、他の生徒達も動物化しながら跳び箱を飛んでいく。ギャグ漫画でも見ているのかと私は思ってしまった。
「……。朝子、その足……」
「ん? 足? 嗚呼、靴下破いちゃったし、付けてるのも邪魔だよね」
朝子はそう言って、ボロボロになった靴下を手で引き千切って体育館の隅の方に投げ捨てた。その大雑把な行動と力に私はぎょっとした。朝子を見ると、肩もムキムキのマッチョになっている。殴られたらただじゃ済まない強いオーラが出ていた。
私はまだ体が動物化していない。どうしてこの状況で私だけが人間のままなのか?
「ちょっとやっぱり保健室に行こうかな」
私は朝子と夕子にそう言って、体育館の出入り口から外に出ようとした。
「ん? あ、あれっ? 扉が……開かない」
まるで鍵で閉められたかのように扉は開かない。
「鍵……〝鍵〟!?」
私はここでようやく記憶の一部を思い出した。そうだ、〝鍵〟を探さなければならない。何かから〝鍵〟を探せと言われたが、何から言われたのかは思い出せない。〝鍵〟を持っているとしたら先生だ。私は早速先生に聞きに行った。
「え? 出入り口の鍵が欲しいッピ? 鍵で閉ピッめた記憶は無いんピッだが……」
先生はそう言ってポケットの中をガサゴソ探し、私に体育館の鍵を渡してくれた。先生の顔はもうほとんどインコみたいになっていた。
「良かった。これで外に出られる!」
私は先生からもらった鍵を出入り口の扉に使った。しかし、鍵穴にはハマるものの、扉自体が動かない。まるで時間が止まってしまったかのように。
「〝鍵〟が違う? いや、ちゃんと出入り口用って書いているし……」
私はイチかバチかで扉に向かって思いっきり倉庫にあった鉄アレイを投げてみた。しかし、扉のガラスは割れることはなかった。扉を壊して外に出るという選択肢はできないようだ。
「〝鍵〟……どこに……」
私が困っていると、後ろから朝子の声がした。
「大丈夫? 何しているの?」
「嗚呼、朝子。扉が開かないの」
私が困った感じで聞くと、朝子はNPCのように言った。
「嗚呼、〝鍵〟を見付けるまで全ての扉は開かないよ。そういう風になっているの」
「えっ?」
「ん? どうしたの? わたし何か変なこと言った?」
「い、いや……」
朝子は何かに操られている……そんな雰囲気を感じた。それ以上聞くのが怖くなった。
私は体育館のどこかにあるとされる〝鍵〟を探すため、体育館の中に戻った。
「うそ……」
みんなの動物化がさらに進んでいた。
「あ、日菜子ちゃん。次はマット運動だって」
そう呼び掛けて来た夕子は手から羽が生えている。いや、現在進行形で手が鳥の翼に変化していた。
「あ、あぁ……」
「ん? どうしたの?」
目の前で手が翼に変化しているのに、夕子は全く気付いていないかのように普通に話し掛けて来る。それがとても恐ろしい。
「さぁ、行こうよ。ちゃんと授業出ないと単位もらえないよ」
「そう……だね……」
〝鍵〟がどこにあるのかも分からない……考えることに疲れてきた私はダチョウ化が進んでいる夕子に先導されて、マットの敷いている場所まで移動した。
「よいしょっと!」
夕子は翼と化した手と鳥足で器用にマットの上で前転する。朝子の手もカンガルー化が進んでいつの間にか短くなっていたが、器用にマットの上で前転していた。
「シッポが長いとマット運動は大変よね」
「……」
私の頭がおかしいのかと思うほど、周りの人達は自分の体が動物化していることを気にしていない。
「どうして……」
何でみんなが突然動物化し始めたのか?
私はその原因を知っているような気がする。しかし、記憶に靄が掛かって昨日何をしていたのかさえも何故か思い出せなくなっていた。
「日菜子ちゃんはマットやらなブホォッブホォッ」
夕子が突然鳴き始めた。
私がビックリして夕子を見ると、夕子の口と鼻先が前方に伸びクチバシの形状になっていく。
「あ、嗚呼……夕子……」
夕子の顔がダチョウ化していく様子を見て、私は何とも言えない絶望的な気持ちになった。一度動物化した部分は人間には戻らないようだった。
「ブホォッ日菜子ちゃんブホォッットやらなブホォッブホォッ」
髪の毛が頭部の皮膚に吸収されていき短くなっていく。耳が小さくなっていく。ムネの膨らみが消え、胴体が大きくなっていく。着ていた服がビリビリと破れていく。
「ブホォッブホォッ日菜ブホォッブホォッ」
鳴き声の割合が多くなり、夕子が何を言っているのかが分からなくなっていく。
夕子の首がにゅうぅぅぅぅっと長く伸び、着ていた服をボロボロに破り捨てて夕子は完全なダチョウの姿に変化してしまった。
「あ、嗚呼……」
私はダチョウの姿に変化してしまった夕子を見て涙した。やがて、夕子は人間的な記憶が失われたのか、ツンツンと床をついばみ始めた。もう私の声は届かない……。
「この授業が終わったら昼休みだね。今日は食堂行く?」
ダチョウに変身していく夕子を見ていたはずの朝子が、何事も無かったかのように私に話し掛けて来た。あまりにも自然なしゃべり掛けが逆に不自然だった。
「朝子、夕子はダチョウになったんだよ?」
「え? それが?」
「はぁ? おかしいでしょ?」
「そうなの? おかしいかもしれないけど、日菜子ちゃんに何かできるの?」
「うっ……」
鋭い指摘だった。私は動物化したみんなを元に戻す方法を知らない……。
「あまり深いことを考えちゃダメだよ」
そう言う朝子の耳が、目の前で形を変えながら頭上に上がっていく様子を見て、私は泣きそうになった。朝子の動物化は止まらない。口と鼻先が突出し始め、マズルとなった。ムキムキの体になった朝子は動くたびに着ているものが引き裂かれていく。しかし、朝子はそれを全く気にしていない。
「果物かガゥ草をいっぱいグゥ食べたいなぁ」
朝子の髪が短くなっていく。話言葉にカンガルーの鳴き声が混ざっていく。
「今日のガウガゥグゥがおスガウメ」
朝子が何を言っているのか分からなくなっていく。
朝子が私の顔を指指した。何か付いているのか?と思ってその部分を触ると、頬がツルツルっとした。嫌な予感がして手鏡で自分の顔を映すとウロコのようなものが生えていた。
「え? 私の顔……えっ?」
とうとう私にも動物化の症状が出始めた。
「ガウガゥガウーガゥ」
とうとう朝子まで鳴き声しか出せなくなった。着ていた服を破り捨てると、完全なカンガルーに変化してしまった。最初は私の方を見ていたが、人間の記憶が失われたのか、私を意識しなくなった朝子は、ぴょんぴょんと跳ねながら体育館の中を動き回った。
先生も他の生徒達もみんな動物に変身してしまった。もう会話ができそうな人がいない。
「そうだ! こういう時こそスマホで警察に……え、圏外……?」
電波障害が起きている。この体育館は完全に孤立状態になった。
「あ、あぁ……体中からウロコが……」
私は動物化しないのではなかった。私は〝一番最後〟に動物化するように決められていたのだ。
「あ、あ、あぁ……思い……出した……」
〝鍵〟を探す理由、召喚してしまった神との取り引き。早く〝鍵〟を探さなくては。しかし、体がもう言う事を聞かない。
「きゃあぁっ!」
駆け出そうとして足がもつれて前のめりに倒れた。両足が融合し始めていた。
「はぁはぁ……な、なに………これ……足が……手が……」
着ていたパンツとズボンをビリビリに破って、両足が融合した。手はだんだん短くなり、最終的には体に吸収された。髪の毛も頭に吸収され、首が著しく太く長くなる。耳が小さな穴になり、瞳孔が縦長になる。
嗚呼、禁書はやはり禁書だったのだ。うかつに手にしていい代物では無かった。非科学的だが、絶対的なチカラを持つ〝神〟は存在したのだ。しかし、今後悔してももう遅い。理不尽なゲームは始まってしまった。私はプレイヤーに選ばれてしまった。
舌が2つに分かれる。融合した足がシッポのように伸びていく。全身がウロコで覆われていく……。ヘビ化した私は、最早、〝鍵〟を探す気力なんて残っていなかった。意識が曖昧になっていく……。
「シャアァァァァァー!」
――これが一番最初の記憶だった。
気が付けば、私は体育館で〝神〟とのゲームを開始した直後に戻っていた。しかし、このタイムリープは不完全なのか、戻った瞬間には前回の記憶が戻らない。過去の記憶が戻るのはいつも自分のヘビ化が始まったタイミングだ。ヘビ化が始まり、完全なヘビになってしまうまでの時間はたった数十分しかない。少しずつ記憶を取り戻す時間は早くなっているが……〝鍵〟を探す十分な時間は無い。〝鍵〟とは一体何なのか? 私は今日も記憶を失いながら、この呪いを解くために、正体が何かよく分からない〝鍵〟を探し、ひたすらループし続ける……。