Scape wolf 2-13「狼と狐の密会」

  「狼と狐の密会」

  

  リュバンの集落の東端。その夜マリに与えられた仕事は、そこの不寝番をすることだった。

  手には、いつもの鋸でなく細い針のような形の長剣が握られていた。

  「いつまでそこにいる気だ?」

  突然彼女は前を見つめたまま言った。

  しばらくすると、彼女の背後にある木の陰から狐のような顔をした魔物が姿を現した。

  「お前が、スヴェートか?」

  マリは、前を見つめたまま尋ねた。

  「はい」

  魔物はゆっくりと頷いた。

  「少しお話ししておきたいことがありまして…。お邪魔なら帰りますが」

  「シアのことか?」

  「えっ?」

  「マルコシアス。ウールヴヘジンの犬だよ。黒い蛇の悪魔と一緒だっただろう?」

  「どうして分かったのですか?」

  スヴェートがそう問いかけると、マリは自分の鼻を指で叩いた。

  「匂いだよ。アンタからヤツらの匂いがするんだよ。それから、微かだけどブラムの血の匂いもね」

  「驚きました…。うわさには聞いていましたが、人狼の鼻は本当に凄いのですね」

  「馴染のある匂いに敏感なだけさ」

  マリはそう言うと、突然スヴェートのいる方へ振り返りおもむろに彼女の腕を掴んだ。

  「痛っ!」

  スヴェートは小さく呻いた。

  掴まれた腕には血の滲んだ包帯が巻かれていた。

  「しかし、アンタも馬鹿だね。大人しく私たちのことを話していれば、そんな傷をしないで済んだモノを…」

  マリは、子どもを諭す母親のような口調で言った。

  「あんな連中に恩を売るくらいなら、死んだほうがマシですよ」

  スヴェートは、そう答えると拗ねた子どものように手を振りほどこうとした。

  だが、マリの力は予想以上に強く結局振りほどくことができなかった。

  「じっとしてなさい」

  マリは、そう言うともう一方の手をスヴェートの腕に添えた。

  次の瞬間、スヴェートは腕を柔らかくて温かい何かで撫でられるような感覚を感じた。

  傷口がこそばゆくなり、彼女は何度か呻き身体をくねらせた。

  しばらくして、マリはようやく手を離した。

  「傷を見てみな」

  スヴェートは、人狼に言われた通り包帯を外しリリスに咬まれた傷を見た。

  彼女は思わず息を飲んだ。

  そこにあったはずの傷が、消えている。

  皮膚についた血の跡さえなけえば、最初から傷などなかったのではないかと錯覚してしまいそうになる。

  「助けてもらった礼と迷惑をかけた詫びだ」

  マリは、口もとに笑みを作りながら言った。

  「ありがとございます…」

  そう言いながらスヴェートは、今一度自分の腕を見た。

  ―あの子は、壊すの時は雑に壊すくせに、生かす時は馬鹿みたいに神経を尖らせるからね…。

  ヴァジェトの言葉が、ふと脳裏に蘇ってきた。

  「マリさんは、昔医者か治療師だったのですか?」

  気がつくと、スヴェートは、そう人狼に向かって問いかけていた。

  「何故そんなことを聞く?」

  マリは、身構えるそぶりを見せながら尋ねた。

  聞いてはいけないことだったのだろうか。

  スヴェートは、不安に思いながらも話を続けた。

  「今日、ヴァジェトさんが言っていたんです。マリさんの治療は、丁寧すぎるって」

  彼女がそう言うと、マリは大きくため息をつきながら後頭部を掻いた。

  「まったく。あのおしゃべりが…」

  人狼は、そう言うと手を下に降ろし、言葉を探すようにポツポツと話し始めた。

  「まあ、そんなところだよ。私は、もともとウールヴヘジンで、当時は衛生兵だったんだ。

  詳しくは言えないけど、その前から医療の知識があってね。あそこでは、その知識を買われていたんだ」

  「では、治癒の魔術もその時に?」

  妖精の問いに人狼は首を振った。

  「いや。これは何と言うか、私が先天的?…いや違うか。まあ、学んで得たモノでないことは確かだね」

  「はあ…」

  「言いかえるなら、人狼一人一人が持っている固有の能力の一つと言ったところだな。

  シアが鋭い嗅覚で、私がこの治癒の魔法と触覚」

  「でも、生まれつき持っているモノではないのですよね」

  「そうじゃない。私の場合、色々複雑なんだ」

  これ以上聞くな。

  マリの言葉の後ろには、そんな言葉が続きそうな余韻があった。

  スヴェートは、大人しく口をつぐみ寝床へ帰ろうとした。

  その時、マリが突然口を開いた。

  「私からも聞いていいか?」

  スヴェートは、足を止めた。

  「何でしょうか?」

  「お前は、どうして私たちを助けたんだ?」

  「似ていたんですよ。貴方を背負って倒れていたブラムが、私の兄と」

  人狼の問いに妖精は、そう答えた。

  「兄?」

  「はい」

  スヴェートは、頷くとその場に腰を下ろした。

  長い話になるらしい。

  マリは、剣を地面に突き刺し近くの木にもたれかかった。

  「私は、物心つく前に実の家族と死別して血のつながりのない者に育てられていました。

  それが兄でした。一般には里親と言うべきなのでしょうが、私にとって兄は親よりもずっと近しい存在だったんで、私は彼を兄と呼んでいました。

  私は、兄からたくさんの愛情をもらって育ちました。

  私が川に落ちた時には、泳ぎが不得手だったのにもかかわらず、命がけで私を岸まで持ち上げてくれました。

  当時、兄が私の横でずぶ濡れで倒れていた姿は、今でもよく思い出します」

  「それが、ブラムの姿と重なったと?」

  「ええ」

  スヴェートは笑みを浮かべながら、頷いた。

  「あの時の兄の姿は、私にはおとぎ話の騎士のように見えました。実際、兄はそういう存在でしたし、ブラムもそんなヒトだと思っています」

  彼女は、そう言うと自らの思い出の余韻に浸りながら目を閉じた。

  「それで、その兄とやらは、今どうしているんだ」

  しばらくして、マリがそう尋ねると、妖精は静かに目を開けた。

  「死にました」

  スヴェートは、人狼の問いに淡々とした様子で答えた。

  「兄は、殺されたんです。青眼と言えば、貴方には分かりますよね?」

  「ジルド・レイ。碧玉の騎士団の騎士団長か」

  「はい」

  「…リュバンを探していたのは、復讐のためか?」

  マリの問いにスヴェートは頷きながら答えた。

  「そうです。私は、この手であの男の首を刎ねるため協力者を求めていました。今となっては、それどころでない状態のようですけどね」

  妖精は、そう言うと、手に持った武器を握りしめた。

  「…」

  「どうかしましたか?」

  スヴェートは、マリの表情がわずかに曇ったのを感じ尋ねた。

  「何でもない」

  人狼は、そっけなく返すと、リュバンの集落のある方に目を向けた。

  「そろそろ、代わりが来る頃だが、ずいぶん遅いな…」

  「私が見てきますか?」

  「あ、ああ…。マーナと言う人狼なんだが、たぶん、会議棟にいると思う」

  「分かりました」

  スヴェートは、そう言うと、集落の方へ戻って行った。