Scape wolf 2-5「追跡」

  「追跡」

  

  夜の闇の中、一頭の黒馬が地面を蹴りながら駆けていた。

  辺りに聞こえるのは、馬の足音だけ。

  生き物の気配はない。

  闇を駆ける馬の上には一人の人狼が手綱を握り乗っていた。

  くすんだ金色の毛に覆われた顔と鮮やかな桃色の瞳。

  それが、狼になったシアの顔だった。

  寒空の中走り回るには、人間の柔肌より狼の頑丈な毛皮の方が何かと都合が良い。

  シアは手綱を引き、馬を止めた。

  馬は大げさに立ち上がり嘶くと、前肢を地面に叩きつけ止まった。

  「今日は、ここで休みましょう」

  シアは馬の頬を撫でながら言った。

  馬は不満そうに唸った。

  「私、まだ走れるわよ」

  馬は顔を後ろに回すと、緑色の眼でシアを見つめながら言った。

  「早くしないと、マリを追いかけるのが、難しくなっちゃうんじゃない?」

  「そうね…。でもね、リリス。今は体力を蓄えておかなくてはいけない時よ」

  シアは、馬に対して言った。が、実際シアも焦っていた。

  最初、彼女は、ルーがマリと会ったと言った場所に真っ直ぐ行くつもりでいた。

  だが、道中、崖崩れや倒れた巨木に道を阻まれ何度も回り道をすることになってしまった。

  誰かが、追跡を妨害している。

  そう思いたくなるほど、不運だらけの旅だった。

  マリは、もうだいぶ遠くまで行ってしまっただろう。

  だが、手がかりは、今のところそこにしかない。

  痕跡が消える前に、向かわねば。

  シアは、はやる気持ちを抑え馬から降りた。

  「言ったでしょう?マリは、堕心している可能性が高いって。

  そうでなくても、ルーたちにも斬りかかってきたんだから…。出会ったらまず戦闘は避けられないでしょう。

  マリは、他の誰よりも強かった。私たちも本気で行かないと死ぬわよ」

  シアの言葉に馬は何度も不満そうに地面を蹴った。

  だが、彼女が野宿の仕度をし始めると、ようやく諦め膝を折り地面に横たわった。

  次の瞬間、馬の身体が泥人形のように溶けだし中から黒いドレスを着た幼女が姿を現した。

  馬の身体だったモノは、黒い蒸気を上げながら跡形もなく消えてしまった。

  シアと幼女姿のリリスは、そのまま火を囲み荷物袋に入れてあった干し肉とビスケットを齧りはじめた。

  「ねえ、どう思う?」

  どのくらい経った頃だろう。突然、リリスが独り言のように尋ねた。

  「何が?」

  シアは、干し肉を噛みながら問い返した。

  「シアは、本当にマリが堕心していると思っているのかってこと」

  リリスがそう言うと、シアは一瞬考えるそぶりを見せてから答えた。

  「そうね…。黄色い目と言うのは気になるけど、どうも私は堕心しているようには、思えないのよね…」

  「やっぱり、そう思う?」

  「うん。ルーは、マリがヴァンパイアの男の子を連れていたって言っていたじゃない?

  堕心した人狼は、思考が獣並みに低下するけれど、力が強い分他の獣と違って飼いならすことはできない。

  とすれば、マリにまだ思考する頭が残っていると考えた方が妥当だと思わない?」

  「確かにね…。まあ、理性がそれなりにあっても、向こうが敵意を持っているなら、堕心しているかどうかの違いは、あまりないけどね」

  「それもそうね」

  シアは視線を火の方に向けながら言った。

  炎の激しい揺らめきを見ながら彼女は物思いに沈んだ。

  マリと戦う覚悟はある。だが、心のどこかで自分には好意的に接触してくくれるのではないかと淡い期待もあった。

  彼女とは、かつては親友同士の中。いや、それ以上の関係だった。

  どんなに覚悟を重ねても隠しきれない思いが、目の前の炎のようにシアの中でくすぶっていた。

  「それにしても、どうしてマリは突然ルーに斬りかかったのかしら? そもそも生きていたことも驚きだけど…」

  「さあね。私にも分からないわ」

  シアは、リリスの言葉に曖昧に答えた。

  マリの死んだという報告があったのは、彼女がウールヴヘジンを去りリュバンに入ってから一年後、今からだと三年くらい前だろうか。

  マリの生家が焼失したという情報を独自のルートで入手したルーは、すぐに数名を調査員として現地に送った。

  彼らの報告によると、家は全焼、中に住んでいた住人は全員焼死していたとのことだった。

  マリのものと思しき遺体は、特に損傷が酷く、燃え残った衣服の端から辛うじて個人を特定できたと言うほどだった。

  特に不自然な点がなかったことから、当時この件は深く議論されなかった。

  不幸な事故による友人の死。

  シアたちウールヴヘジンの戦士たちは、誰もがそう思っていた。

  だが、マリが生きていると分かった今、その考えも不確かなモノとなってしまった。

  マリの服を着ていたジン物は、マリとは全くの別のヒト。

  シアの知る限り、マリは他人に自分の服を貸すようなことはしない。

  つまり、件の事件には当事者以外の第三者の干渉がある。

  火事の原因が不幸な事故なのかそれとも何者かの手によって故意にひき起こされたモノなのかまだ分からない。

  だが、あの時のことと今回のマリの出現には何か因縁めいたモノがある気がしてならなかった。

  「シア?」

  リリスに名前を呼ばれシアはハッと我に返った。

  「とにかく、まずはマリを探さないと…。堕心しているかどうかはともかく、まずはあの子の口から色々聞きださないといけないみただし…」

  シアは、独り言のように言いながら荷物入れの中の地図に手を伸ばした。

  「えっと、ルーがマリに会った場所は確か…」

  突然、彼女は言葉を切り耳をピクリと動かした。

  リリスは怪訝な表情で主人を見つめた。

  「シア、どうしたの?」

  「しっ!」

  シアは人差し指を口元にあてながら小さな声で言った。

  彼女のマゼンタ色の瞳は、すぐ隣の草原に向けられていた。

  「誰か来る」

  シアは、草原を見つめたまま囁いた。