Silver Hound

  [chapter:「戦いの跡」]

  血と燃え殻と死の臭い。

  戦場特有の悪臭に眉を潜ませながらアージェントは馬車に揺られていた。

  胸ポケットから取り出したハンカチで口元を抑え窓から外を覗くと予想通りの光景がそこには広がっていた。

  血の海と化した大地。そこに浮かぶのは事切れた兵士たちの骸。わずかに残った乾いた大地には未だ衰える様子のない火柱が上がっている。

  恐らくは大量の火薬を竜のブレス引火させたモノだろう。

  「ここか…」

  アージェントは、自分一人しかいない馬車の中で独りつぶやいた。

  「もうすぐ目的地です。そろそろ止まりますね?」

  彼の声に答えてか、御者席の人狼の女性が彼に向かって話しかけてきた。

  アージェントは「分かった」と了承すると、間もなく馬車の揺れが止まった。

  御者が開けてくれた扉から外に出ると中よりも強烈な臭いが鼻をつき吐き気が込み上げる。

  「大丈夫ですか、領主様?」

  ふらつく彼に御者は気遣わしげに声をかける。

  「問題ない。それより早く済ませてしまおう」

  アージェントは御者の手を振り払い言った。

  戦場は無残な死を遂げた魂たちがさまよう場所。

  念のため御者には数種の守護魔法をかけたが、それでも彼女が悪霊たちの影響を受けないとは限らない。

  それにアージェント自身ここへはさまよう魂たちを鎮めるためにやってきたのだ。

  魂の浄化は早い方が良い。

  遅れればそれだけ悪霊は狂暴になり最悪狂ったアンデットが大量に発生してしまう。

  そんなことを考えながら歩いていると、先に戦場を浄化していた集団に出会った。

  ここで無益な戦争を繰り広げていた二つの国から派遣された魔術師や呪術師たちだ。

  「ああ、ファング卿、お待ちしておりましたよ」

  魔術師の一人がアージェントに気づき声をかけた。

  黒いローブを羽織りオークの杖を持ったエルフの男だ。

  「現状は?」

  アージェントが問うと、エルフの隣にいた犬顔のコボルトが答えた。

  「土地の四分の一ほどは終わりました。アンデットの出現も今のところありません」

  「生存者の回収は?」

  「絶望的ですね。何人か生きてるものはいましたが、すでに手遅れの状態で…。

  僕も何人か逝かせてやりました」

  コボルトの青年はそこまで言うと耳をダラリと下げ「女王もあそこまでやる必要はなかったのに」とこばした。

  「そうか、ご苦労だった」

  アージェントはそれだけ言うと、コボルトの小さい肩に手を置いた。

  「後は、我がやる。

  皆は浄化を終えた地で休んでくれ」

  彼がそう言うと、魔術師たちは心底ホッとした表情を浮かべながら口々に感謝の言葉を述べその場を離れた。

  [newpage]先の集団たちが尽力してくれたおかげで浄化は大きな問題もなく終わった。

  道中生きている者に何度なく出会ったが、話にあった通りほとんどが手遅れの状態だった。

  彼は最後の浄化を終え数十人目の兵士を生の苦しみから解放すると、そばの遺体を見つめた。

  全身が爛れ、裂けた鎖帷子からは肉がむき出しになった皮膚が見え、鎧の隙間から滲み出た体液が滴っている。

  「毒竜でしょうか?」

  御者が青ざめた顔で問いかけた。

  「恐らくな」

  アージェントはうなずいた。

  今回の戦争の戦勝国であるニヴルヘイム帝国を勝利に導いたのは、この毒竜を使った作戦だと言われている。

  もっとも、この地で戦が起こる前から件の国の勝利はほぼ確定だった。

  戦争を泥沼化させたのは、今は亡き敵国ミズガルズ王国の前国王。

  彼はニヴルヘイムの広大な土地と資源を求め幾度となく無謀な戦争を繰り返した。

  資金が尽き人心が離れようと、王とその取り巻き達は目の前の利益に目がくらみ、ニヴルヘイムからの和解案を幾度となくはねつけた。

  その結果が、この惨事である。

  ついに業を煮やした帝国の女王が最終手段に出たのである。

  結果は、王国の惨敗。

  あまりの惨劇に王国の国民たちは蜂起を決意し、国王の取り巻きたちは彼らによって処刑され、王自身も何もかに暗殺された。

  この出来事をきっかけにして四十年以上続いた戦争は幕を閉じたという訳だった。

  「この戦争は歴史書に残るでしょうね?」

  御者のつぶやきにアージェントはうなずいた。

  「両国にとって、悪い意味で、な…」

  と彼が言葉を返した時だった。

  「だ、誰か…」

  突然、声が聞こえた。

  今にも命の灯が消えそうな、かすれた声。

  アージェントは、声のした方へ駈け出した。

  そこには大きな岩があった。

  なだらかな平地が広がる大地には不自然すぎるモノだ。

  「う、うう…」

  突然岩がうめき声をもらし、もぞもぞとうごきだした。

  いや、岩ではない。

  それは巨大な黒い竜だった。

  どちらの国の者だろうか。右の腕に巻かれた腕章は焼け焦げ所属は判別しない。

  「早く助けないと!」

  御者の声でアージェントは我に返り竜に近づいた。

  見たところ竜に大きなケガは見られない。

  金属のように硬いウロコに守られているおかげか、毒の影響もそれ程受けていないようだ。

  「すぐに治療する。待っていろ」

  アージェントは竜に語りかけると、治癒魔法をかけようと手をあげた。

  だが、竜はその手を鼻先で押し返した。

  「私のことはいい…。それよりこの子を…」

  竜は荒い息の中やっとの思いで言うと自身の胸元に目を向けた。

  その時、アージェントは彼が両腕で何かを抱えているのに気づいた。

  目を凝らしてみると、彼の腕の中で人間の女性がうずくまっているのが見えた。

  竜の身体に守られていたためか、皮膚に爛れらしきモノはないが、足から血を流しグッタリとしていた。

  「すぐに魔術師たちを呼んでくれ!」

  アージェントが振り返り叫ぶ頃には御者はすでに駆けだしていた。

  彼は、御者が応援を呼びに行ったのを確認すると、竜の腕から女性の身体を引きずり出し抱き起した。

  女性は思っていた以上に若かった。

  見たところ十代後半くらいだろうか。

  その血に塗れた顔を見た瞬間、アージェントは一瞬ドキリとした。

  血に驚いた訳でも彼女の死にそうな顔に肝を冷やした訳でもない。

  ただ何となく直視できない顔だと思ってしまった。

  そして、何としても彼女を死なせたくないと。

  「必ず助けるから…」

  アージェントは、そう言うと絹でできたハンカチを千切り少女の足に固く結びつけた。

  

  [newpage][chapter:「生き残りと銀狼と」]

  目が覚めた時、ジャンヌは自分が何処にいるのか分からなかった。

  彼女がいたのは、見覚えのない小さな部屋の中。

  小さいと言っても狭すぎるわけではなく、むしろ快適な広さだった。

  周りにあるのは贅沢ではないが、丁寧に磨かれた家具や調度品。

  棚にはいくつかの本が並んで見える。

  ジャンヌはそんな空間に囲まれながらベッドの上で絹の寝間着姿で横になっていた。

  全身の痛みに耐えながら上体を起こし、辺りを見回す。

  特にヒトの気配はない。

  両足の間隔がないのが怖くてシーツをめくる気にもならない。

  見ず知らずに場所にいる不安に支配されそうになった頃、扉が開き誰かが部屋に入って来た。

  「あら、気がついたみたいね?」

  そんな台詞とともに部屋に入って来たのは竜人の女性だった。

  黒い鱗に覆われた蛇に似た顔の中で光る二つの目はザクロ石のような赤色。

  頭から流れるように垂れ下がる白いタテガミは絹糸を思わせる美しさだった。

  「気分はどう? どこか気になるところはない?」

  竜人の女性はジャンヌの方へ近づきながら尋ねた。

  「足が…少し変な感じです」

  ジャンヌは一先ず質問に答えた。

  いつの間にかベッドの上で見知らぬヒトに介抱されているなどと言う場面は傭兵稼業を続けていれば良くあることだ。

  「どれどれ…?」

  竜人は、そうつぶやきながらシーツをめくり上げ、包帯を解くような動作をした。

  ジャンヌも恐る恐る自身の足を見た。

  幸い両の足はまだ付いていたが、そこには見るも絶えない傷が刻みつけられていた。

  彼女は目を背けたくなるのを堪えながら傷を直視した。

  骨が見えていたであろう深い裂傷は綺麗に縫合されているが、それでもなお滲み出る血が生々しく感じてしまう。

  「痛い?」

  竜人の問いに無言で首を振る。

  無礼だとは思ったが、今口を開けば礼儀どころでは済まされないことになりそうだ。

  「どうやら麻酔は効いてるみたいね」

  竜人は独り言のようにつぶやくと、ジャンヌの足に新しい包帯を巻き始めた。

  「今はまだ動かないけど、しばらくしたら元のように歩けるようになるから」

  心配しないでね。

  その一言にジャンヌは思わず目頭を押さえた。

  「どうしたの? 気持ち悪くなったの?」

  竜人が心配そうに声をかける。

  良いヒトだ。

  仲間以外からこんなに優しい言葉をかけられたのは、いつぶりだろうか?

  ジャンヌは首を振りながら思った。

  「そう? じゃあ何かあったらコレで知らせてね」

  竜人はそう言いながら呼び鈴をジャンヌの隣にある机の上に置くと、姿勢を正し部屋の入口へ戻っていった。

  「また来るから」

  心優しい魔物は最後にそう言い残して部屋を出た。

  [newpage]竜人が部屋を出てしばらくの間、ジャンヌは特にすることもなくベッドにうずくまっていた。

  相変わらず、足の感覚は戻らないが、前ほどは気にならない。

  自身に関する不安がなくなり気持ちが幾分か落ち着いた頃、竜人は誰も乗っていない車椅子を押しながら再び部屋にやってきた。

  「しばらくは不便だけど、これで我慢してね」

  彼女はそう言うとジャンヌの身体を軽々と持ち上げ車椅子に座らせた。

  「ありがとうございます」

  ジャンヌは座ったまできる限り深々と頭を下げた。

  「お礼なら、アージェントに言ってあげて」

  「アージェント…?」

  「そう。貴方をここまで連れて来て、その足を手当てしたのも、あの子なの。

  さっきまでは、貴方を庇っていた竜の治療もしていたわ」

  「竜…。もしかして、黒いニーズホッグ種の竜ですか?」

  ジャンヌは車椅子から飛び出す勢いで尋ねた。

  「ええ、そうよ。確か、ソラと名乗っていたかしら」

  竜人は、そう答えながらジャンヌを座らせなおすと、車椅子を押し始めた。

  「とりあえす、応接間に行きましょう。アージェントも貴方の大切な竜も、そこで待ってるから」

  部屋を出て幅の広い廊下を進む間、ジャンヌは竜人と簡単な自己紹介を済ませた。

  「私は、ローズ・ヨルムンガルド・ブラッドストーン。まあ、俗に言う領主と言う身分ね」

  曰く竜人はシルヴァと言う街を収める伯爵らしく、先の話で出てきたアージェントと言うこの辺り一帯を所有する貴族から件の街の統治を任されているとの事だった。

  貴族や領主と聞きジャンヌは身を強張らせたが、ローズは先の彼女の振る舞いに対しては特に言及しなかった。

  「そんなに恐縮しなくて良いのよ。貴族って言っても私もアージェントも礼儀作法とかいい加減な方だから」

  竜人はそう言いながら優しくジャンヌの肩を撫でた。

  そうこうしている内、二人は大きな扉の前にたどり着いた。

  竜などの身体の大きな種族に配慮した形の扉で、下には小柄な種族のための扉も二つほど用意されていた。

  ローズは、ジャンヌの乗った車椅子を押しながら中サイズの扉をくぐった。

  中は一番大きな入り口同様に広々としていた。

  多種多様な種族を受け入れるため、椅子やテーブルの類はなく、代わりに厚みのある柔らかそうなクッションが等間隔で床に並べられていた。

  ジャンヌが部屋を一通り見回すと探していたジン物はすぐに見つかった。

  「ソラ!」

  ローズは、ジャンヌが声を上げるより一瞬早く漆黒の鱗を持つ竜の方へ車椅子を押した。

  「やあ、ジャンヌ。

  重症だと聞いていたが、元気そうで何よりだ」

  黒竜ソラは、疲れを滲ませながらも明るい声で彼女に語りかけた。

  竜の状態は、ジャンヌよりも酷かった。

  全身のほとんどを包帯に覆い、コウモリのような翼の皮膜には所々破れた跡が見えた。

  自慢だと言っていた二本のツノの内の右側は無残にも真ん中で折れてしまっていた。

  「私の方は、おかげ様で何とか…。

  ソラは、その…大丈夫でしょうか?」

  ジャンヌは、なるべくツノを見ないように尋ねた。

  「何とか生きているよ」

  ソラは冗談めいた口調で言ったが心傷のほどは誰が見ても明らかだった。

  「傷はすぐ治るし、ツノはいつか勲章になるだろう」

  竜はそう言うと、ふと自分の胸に手を当てた。

  「問題は、ここだね。先の戦争は、しばらく忘れられそうにないよ…」

  その言葉にジャンヌはうなずくことしかできなかった。

  終戦間際と言われた時、王国側が最後のあがきと言わんばかりに起こした戦争はあまりに悲惨なモノだった。

  ジャンヌたち黒竜傭兵団は帝国側の数倍近い報奨金と国王の言う〝秘策〟に心惹かれ王国側として参戦した。

  それが、そもそもの失敗だった。

  実際国王には秘策などなく、わずかばかりの兵力を帝国側にぶつけるだけの消耗戦だった。

  ずっと後になって知った話によると、国庫もそこを尽きかけた状態で報奨金もまともに払えるような状態ではなかったらしい。

  結果、帝国側の圧倒的兵力により王国側は壊滅。多くの命が無残に散ることとなった。

  「仲間はほとんど生きていたが、皆これを期に傭兵稼業を辞めると言っていたよ」

  ソラは、いつの間にか明るさを装うのも止め暗たんとした声で話していた。

  「あれは、本当に酷い戦いでした…」

  ジャンヌは、うなずきながら答えた。

  彼女自身も、件の戦争で惨いモノを見た。

  巨大な力で若木のように切り倒される者。業火に焼かれ灰と化した者。毒に犯され苦しみのたうちまわる者。

  思い出したとたんに全身が震え吐き気が込み上げてきた。

  横にいたローズがどこからか銀の桶を取り出しジャンヌの前に置いた。

  ジャンヌは高価なモノに汚物をまき散らすことに引け目を感じ懸命にこらえた。

  「無理しないで」

  ローズは、彼女の背をさすりながら言うと、ソラに非難の目を向けた。

  「戦争は、もう終わってるの。今は故人を偲ぶよりも自分たちの傷を癒す時よ」

  「ああ、そうだった…。すまない」

  ソラはそう謝罪すると、立ち上がり「失礼する」と言って立ち上がった。

  「さて…」

  黒竜が部屋を出るとローズは部屋を見渡した。

  「アージェントは、ここにいないみたいね。と言うことは、図書室かしら?」

  彼女は、そう独り言を言うとジャンヌが落ち着いたのを確認し車椅子を押し始めた。

  図書室は、かなり奥まったところにあるらしく応接間からたどり着くのに多くの時間を要した。

  応接間同様、大中小と並ぶ扉をくぐるとジャンヌは大きく目を見開いた。

  壁際にまで並べられた棚に本がギッシリと配架されている。

  〝図書室〟と呼ばれるのだから当たり前なのだが、問題はその量だった。

  ジャンヌ自身、貴族の家に招かれることすら一度もなかったが、感覚的にこの蔵書量は他の貴族をはるかに超えるモノだと思った。

  ローズに頼んで棚の一つに近づけてもらうと、本の背表紙にはミズガルズ国やニヴルヘイム国の言葉が均等に並んでいた。

  中には見たことのないような文字の背表紙の本も混ざっている。

  「凄いでしょう?」

  ローズは自慢するように言った。

  ジャンヌは、ただうなずくことしかできなかった。

  「アージェントの家系のヒト達は、貴族の中でも特に書物への造詣が深くてね。

  この土地一体の行商人に頼んで色んなところから本を飼いつけているの。

  ちなみにアージェントは、ここの本を半分ほど読んでるみたいよ」

  ローズは、そう言うとふと右の方を見た。

  「噂をすれば、かな?」

  彼女の言葉につられジャンヌも同じ方向を向いた。

  そこには、本を両手で抱えながらこちらへ向かう人影があった。

  アージェントなるジン物が魔物であることは大体察しがついたが、その容姿はジャンヌが創造していたどの姿とも異なっていた。

  一見すると人狼にも見える顔立ちだが、毛は美しい銀色で頭頂には二本の立派なツノが生えていた。

  どちらも彼ら人狼にはない要素だ。

  加えて絹の服の袖から覗く手や腕はルーインやローズのような黒い鱗で覆われている。

  かなり異様な容姿だが、ジャンヌは何故か彼の姿を一目で美しいと思った。

  アージェントは二人に気づいたようだが、意に介さずと言った様子で近くの机に本の山を置くと椅子に腰掛け一番上の本を手に取った。

  誰も声を発しない。

  「あ、あの…」

  失礼だと思ったが、ジャンヌは思い切って読書中のアージェントに声をかけた。

  魔物はすぐには答えず、やがてため息をつくとうんざりした様子でジャンヌを見た。

  「何だ?」

  威圧的な声に気圧されそうになるが、話しかけた手前沈黙している訳にはいかない。

  「えっと、今回は助けていただき、ありがとうございます…」

  ジャンヌは何とかそう言うとできる限り腰を折り曲げ一礼した。

  「要件は、それだけか?」

  「はい…。一度お礼を申し上げておきたかったので…」

  何か気に障るようなことを言ってしまっただろうか。

  そう思った瞬間、声が小さくなってしまう。

  「用が済んだのなら、部屋に戻れ。ケガが治るまでの間の滞在は許すが、可能な限り我の前には来るな」

  有無も言わさぬ口調で言うと、アージェントは再び本を開き読書に戻った。

  これは早く席を外した方が良さそうだ。

  後ろで控えていたローズもジャンヌの考えを察したのか車椅子のハンドルに手をかけた。

  二人は図書室を抜け部屋に向かって長い廊下を歩き出した。

  

  [newpage][chapter:「土地祓いと人形と吸血鬼と」]

  「ごめんね。アージェント普段はあんな感じじゃないんだけどね…」

  「大丈夫です。気にしてませんから…」

  ローズの言葉にそう返しはしたが、正直なところジャンヌは件の魔物に腹を立てていた。

  お礼のあいさつに来ただけであそこまで邪険にされるのは、貴族と傭兵と言う身分差のこと考えてもあまりにも無礼な態度だ。

  ―可能な限り我の前には来るな

  可能だろうが不可能だろうが二度と会うものか。

  そう思いながら怒りを紛らわすために髪をいじり始めた。

  「あの子、昨日までずっと〝土地祓い〟をしてたから。

  たぶん、それで気が立っていたのかも」

  その時、突然ローズがふと思い出したように口を開いた。

  「土地祓い?」

  ジャンヌは後ろを振り返り尋ねた。

  「ええ。貴方も傭兵なら知っているでしょう?

  あの土地祓いよ」

  もちろん知っていた。

  と言うより、貴族や学者のように屋内に引き籠っているような者でもない限り誰もが知っていることだろう。

  ニヴルヘイムやミズガルズ、その他様々な小国を有するこの土地は他と比べ大気中の魔力が濃い地域が多く、そう言う場所で戦争や犯罪が起こるとその時その場にいたヒトビトの負の感情により様々な異変が起こってしまう。

  特に戦争となると、多くの戦死者によって恨みや憎しみ、後悔などと言った負の感情が土地にたまりやすく危険だと言われる。

  悪霊やゾンビなどアンデットの発生ならまだ良い方だが、最悪の場合大規模な自然災害や疫病の蔓延などが発生してしまう。

  そう言った不幸な事態を未然防ぐために行われるのが、土地祓いだ。

  土地祓いに専門家はなく、癒しの力に精通した魔術師や呪術師によって行われる。

  彼らは、汚染された土地の魔力を浄化し必要があれば悪霊をしずめアンデット化した死体を再び死の世界へ導く。

  そうしたことから土地祓いは肉体精神ともに負担が大きく多くは三人以上の集団で行われるのが通例とされる。

  専門家がいないのも、一部の集団にのみ負担をかけないための措置だった。

  ジャンヌ自身も傭兵団の仲間とともにアンデット討伐を手伝ったことがあるが、その日に教会で祝福された武器でなければ倒すことはおろか無力化することもできないため相当苦労した覚えがある。

  そんな過酷な仕事をこなした直後に自分や仲間たちの治療をしたのだ。不機嫌にならない方が不自然だろう…。

  「お礼は、また機会を改めた方が良いかもね」

  ローズの言葉にジャンヌはハッと我に返った。

  気がつくと、先程まで自分の寝ていた部屋の前まで来ていた。

  部屋の前に誰かが立っている。

  見たところ人間の女性のようだが、どことなく人ならざる雰囲気がただよっていた。

  「ああ、二人とも外出していたのですね?

  部屋にいないので、探そうかと思っていたのですが…」

  女性はそう言うと、長い黒髪を耳にかけながらジャンヌに向かって優雅に一礼をした。

  「ようこそ、お客様。

  ワタクシ、ここで小間使いをしておりますヘラと申します。

  アージェント様から貴方のお世話を任されておりますので、お困りの際は遠慮なく申しつけ下さい」

  「ジャンヌ・マルグリート・ブライトです。心遣い感謝いたします」

  ジャンヌはぎこちなく一礼を返すと同時にアージェントの見方を変えようと心改めた。

  〈あんなこと言っていたけど、治療もしてくれたし、案外悪いヒトじゃないのかも〉

  「彼女は、先々代の頃からこの屋敷にいる人形だから、ここの事は何でもまかせて大丈夫だからね」

  後ろからローズが肩を叩きながら補足するように言った。

  「ありがとうございます」

  そう言いかけ彼女はふとあることに気づいた。

  「えっと…さっき〝人形〟って言いました?」

  ジャンヌはヘラを横目で見ながら尋ねた。

  「ええ、そうよ。ヘラには4代前のファング家に仕えていたメイドの魂が宿っているの。

  まあ、言いかえれば幽霊とも言えるのかな?」

  「幽霊はやめてください。私は、あくまで人形ですから」

  ローズの答えにヘラは苦笑交じりで言った。

  すると、ローズがふとまた何かを思い出したように口を開いた。

  「あ、そうそう。ちなみに私は竜人と間違えられるけど、本当はヴァルコラキって言う吸血鬼族の一人なの。

  まあ、それほど重要なことじゃあないけどね」

  イタズラっぽい笑みを浮かべながらそう言う彼女をジャンヌはまじまじと見つめた。

  アージェントの容姿と言い目の前の住人たちと言い、ここは他とは違った異質な者に良く出会うらしい。

  だが、絶えず笑みを浮かべながら話すローズとヘラの姿はむしろ心地よい異質さのように感じられた。

  

  [newpage][chapter:「傭兵と女王」]

  ソラは人間の姿で古びた皮袋を背負いながらファング家の屋敷を背に歩いていた。

  主のアージェントには立ち去る旨を伝えたが、やはりジャンヌを残して行くことに後ろ髪を引かれる思いに駆られてしまう。

  だが、彼女を連れて行けば、より一層強い罪悪感に駆られていただろう。

  〈これで良いんだ…〉

  自身にそう説き伏せ、重い足を無理矢理持ち上げる。

  ようやく屋敷の門をくぐり抜けると、探していた者はすぐに見つかった。

  門のすぐ横のオークの木。そこに背を預けるようにして一人の女性が立っている。

  一見すると人間のようだが、匂いと蛇のような細い瞳孔ですぐに同胞だと分かる。

  竜の女性は、ソラに気づくと腕を上げ小さく手を振った。

  「久しいわね、ソラ」

  彼女の言葉は、その華奢な見た目からは想像できないほど力強く威厳があった。

  だが、ソラはその威圧感に気づいていないかのように小さくため息をついた。

  「モデナ・ニーズホッグ・サーペントロード ニヴルヘイム国女王陛下様がこのようなところに何の用ですか?」

  ソラはうんざりした様子で目の前の同胞に尋ねる。

  「何って観光よ。最近戦争続きで息が詰まっていたからね」

  モデナと呼ばれた女性は、サラリと答えた。

  先程までと違い、声音は幾分か穏やかに聞こえる。

  「素直に偵察と言ったらどうです。ここの領主は中立なんですから盗み聞きの心配もないですよ?」

  ソラはため息をつきながら答える。

  「ああ、そうだったね。だから私もミズガルズ国の新国王もここを和平会議の場に選んだんだけど」

  「和平会議は一か月後ですが?」

  「その一ヶ月の間にミズガルズ国の新しい統治を調査するの。敗戦した国ましてや国王が変わったばかりの政治。

  何かが起こってからでは遅いでしょう?」

  「それには同意しますが、女王である貴方がわざわざ敵地に向かう理由は?」

  「だから、言ったでしょ? 観光だと」

  ソラは再びため息をついた。

  昔からこのヒトはそうだった。

  先のどの王よりも優しすぎる故、民が傷つき悲しむことを嫌い、自らが痛みを引き受けること選ぶ。

  今回の毒竜を使った作戦も戦争の長期化により民が疲弊する事を憂いた彼女が早い終戦を望んで行った苦肉の策なのだろう。

  「私は後世残虐な君主と語られるでしょうね」

  ソラの考えを察したのか、モデナが突然目を伏せながらつぶやいた。

  「後悔しているのか?」

  「半々かな?」

  モデナは悲しげな目で答えた。

  ソラは頭をかいた。

  「俺もつきあって良いか、観光?」

  彼の問いかけにモデナは顔上げた。

  「良いの?」

  「もともと、そのつもりで出たんだ。ちなみ、嫌と言ってもついてくるからな」

  ソラがそう言うと、モデナの顔にようやく笑みが戻った。

  「ありがとう、ソラ。よろしく頼むね」

  「ああ。それじゃあ行こうか、姉さん」

  

  [newpage][chapter:「散歩と和解」]

  「さあ、ゆっくりで良いから立ってみて」

  ヘラに諭されジャンヌはベッドの手すりに捕まりながら恐る恐る地に足を置いた。

  一週間ぶりに立ち上がるのだから無理もないが、改めて二本の足で立つと言うのはなかなか難しい。

  それでも、目の前の命ある人形に支えられ何とか立ち上がることができた。

  治りたての傷がむず痒いが、ようやく自分の足で立てるようになったのはそれにも勝る喜びだった。

  本当なら飛び上がりたいくらいだが、まだ足が立つことに違和感を訴えるので無理はできない。

  車椅子に座りなおすとジャンヌは腰を弾ませ、顔をパッと輝かせた。

  「本当に…本当にありがとうございます」

  頭が喜びでいっぱいでそれ以外の言葉が出なかった。

  アージェントの屋敷で目覚めた翌日にソラが旅立ってしまった時は正直不安しかなかった。

  ローズとヘラは親切で、彼女を献身的に看病してくれた。

  アージェントもあれ以来姿を見せないが、村の名産だと言う焼き菓子や図書館で持ってきたらしい本を数冊ヘラに持たせて渡してくれた。

  どうやら、ローズの言う通り彼は本来優しい性格なのかもしれない。

  だが、結局のところココはジャンヌにとっては他人の家。加えて不自由な足で滅多に外に出ることもできない日が続いていた。

  これで萎縮するなと言う方が酷な事だろう。

  だが、それももうすぐ終わる。

  足が完全に動くようになれば、どこへだって行ける。

  幸いこの一週間の間、先に屋敷を出た傭兵仲間から数件手紙を受け取ることもできた。

  内容は先に出てしまったことへの謝罪と見舞いの言葉、それに傭兵に代わる新しい仕事の紹介だった。

  皆枠は開けておくと言っておいてくれたので、足が完全に治れば彼らに頼ってまた稼ぐこともできる。

  歓びと期待に心躍り思わず足が揺れた。

  [newpage]

  ※

  それからさらに一週間、ケガも跡が残らないまでに回復しヘラたちの助けがなくとも歩けるまでになった。

  とは言え、アージェントに近づくなと言われていたため外出することは滅多になかった。

  幸い部屋はお風呂からも近く、食事や着替えはヘラが持ってきてくれるので、日常生活では特に苦労はなかった。

  むしろ、命の危険がないので傭兵時代より良い暮らしだとも言えるが。

  「ねえ、ジャンヌ。せっかく歩けるようになったんだし、屋敷の外にも出て見ない?」

  そうローズが提案したのは、ジャンヌが杖なしでも以前のように自由に歩けるようになった頃だった。

  その日のローズは領主の仕事を休んでいたらしく、随分と簡素な服装だった。

  「外ですか?」

  ジャンヌが首を傾げ尋ねると、ローズは力強く頷いた。

  「ええ、そう。この屋敷のすぐ近くにあるアイバー村へね。

  あそこは、アージェントが直接治めてる土地だから住人も皆良いヒトよ」

  彼女はそう言うと、蛇のように大きく裂けた口を開けニッコリと笑った。

  「そう、ですね…。せっかくですし、行ってみましょうか」

  ジャンヌは一瞬迷ったが、彼女の好意に甘えることにした。

  答えるが早いか、ローズは嬉々とした様子で早速ヘラを呼び準備を始めた。

  とは言っても、ピクニックのような大掛かりな外出ではないので、準備は着替えだけで終わった。

  ジャンヌは着替えを済ませ、今までの傭兵仕事で稼いでいた貯金からいくらかお金を取り出すとローズの跡について外に出た。

  長い廊下を渡り大きな玄関ホールを抜けると、ジャンヌはここに来て初めて外の景色を見た。

  まず目に飛び込んできたのは、広い庭園だった。

  冬と言うこともあり花はまばらだが、それにも関わらず良く手入れされた緑は心に安らぎを与えるモノだった。

  ジャンヌは村へ行くと言う当初の目的を忘れ、しばし美しい庭園に心奪われた。

  「綺麗でしょう?」

  ローズの問いにジャンヌはうなずいた。

  「ええ。とても素敵です。

  ここには、腕の良い庭師さんもいるのですね」

  「ふふん。実は、これはね…」

  ローズはほくそ笑みながら、そこで突然言葉を切った。

  ジャンヌが驚いて振り返ると、彼女はあらぬ方向を向いて悪戯っぽく微笑んだ。

  「ほら丁度そこにね」

  そう言う竜人似の吸血鬼の指し示す方へ視線を移すと、そこに彼がいた。

  会ったのは一度きりだが、白銀色の狼頭とその額から生えるツノは昨日会ったかののように印象深く記憶に残っている。

  アージェントは、初めて会った時よりも簡素でユッタリとした服に身を包み大きなハサミで木のせん定をしていた。

  以前よりも機嫌が良いらしく鼻歌まで歌っている。

  〈マズイ…〉

  ジャンヌは咄嗟にそう思った。

  アージェントの印象は前ほど悪くないが、彼には顔を見せるなと言われている以上ここで鉢合わせるのは流石に居心地が悪い。

  「ん?」

  気配で気づいたのだろう。アージェントは鼻歌を止め手を降ろすと、二人のいる方へ目を向けた。

  ジャンヌは思わず背の高いローズの後ろに隠れた。

  「何だ〝お前たち〟か」

  〈ダメだったか…〉

  アージェントの言葉に、ジャンヌは観念し顔を半分だけ覗かせ一礼した。

  「どこに行くんだ?」

  彼は、誰にとなく問いかけた。

  「アイバー村よ。彼女の気分転換に良いかなと思って」

  ローズは、ジャンヌの頭を撫でながら答えた。

  「そうか…」

  そうつぶやきながらアージェントはアゴに手を当てジャンヌをマジマジと見つめた。

  いたたまれなくなり、ジャンヌは再びローズの背中に隠れる。

  「その…我も同行して良いか?」

  「えっ?」

  アージェントの言葉にジャンヌは思わず再び顔を覗かせた。

  「久々に…ああその…村の様子も見ておきたいからな」

  魔物の貴族は妙に歯切れの悪い言葉で答えた。

  「イヤよ。今日は女の子同士で楽しむって約束なんだから。

  視察なら一人で行って」

  ローズは、ジャンヌが何か言うよりも先にそう答えると「あっちへ行けと」と手を払った。

  「そ、そうか…」

  アージェントは、そうつぶやきながら三角形の耳をダラリと横に反らせた。

  どう言う訳か、一緒に行けないことを残念がっているようだった。

  そんな彼をジャンヌは少し可愛らしいと思ってしまった。

  「あの…」

  気がつくと、彼女は全身を彼の前に出し口を開いていた。

  「私は、アージェント様とご一緒でも良いですよ」

  思わず発した言葉に二人の魔物が目を丸くして振り向いた。

  「あ、えっと…、大勢の方が賑やかで楽しいですから」

  ジャンヌは言葉を詰まらせながら答えた。

  これでは、アージェントの事を言えた性質でない。

  そんな事を胸の内で思いモジモジしていると、先程まで思案顔だったローズが納得したようにうなずいた。

  「それもそうね。じゃあ、三人で行きましょうか?」

  [newpage]

  ※

  ちょっとした散歩道も大勢なら楽しい旅行になる。…となるはずなのだが。

  〈気まずい…!〉

  御者の引く馬車に乗り屋敷を出てから数分後、ジャンヌは心の中で叫んだ。

  馬車の中は車輪が畦道を進む音を除けば静寂そのものだった。

  アージェントは初めて会った時と同様に寡黙に本を読みふけり、本来夜行性だと言うローズは馬車で揺られる内にウトウトと眠ってしまっている。

  ジャンヌはと言えば、特にすることもなく話す相手もいないので、ただ黙って座っているしかない。

  事実上最悪の出会いを果たしてしまった相手と二人きりと言う状態に、ジャンヌは形容できない息苦しさを感じていた。

  せめてローズが起きてくれればと彼女に寄り添おうとしたが、その口もとから覗く鋭い歯を見て思いとどまった。

  「ローズは寝てしまったのか?」

  突然の声にジャンヌは文字通り飛び上がった。

  振り向くと、アージェントはいつの間にか本をわきに置き真っ直ぐこちらを見ていた。

  ルビーのような眼には蛇のような縦長の瞳孔が走っている。

  「えっ…ああ、はい。そうみたいです」

  思わず美しい眼に見とれてしまい、返答するのに時間がかかっていしまった。

  「そうか…」

  相変わらず素っ気のない返し。

  特に機嫌の悪い雰囲気ではなかったので、ジャンヌはホッと胸をなで下ろした。

  再び辺りに静寂がおとずれる。

  と思った矢先だった。

  「傭兵よ」

  アージェントが再びポツリと口を開いた。

  それが自身に対する呼びかけだと気づくのに若干の時間を要した。

  「…私の事ですか?」

  そうジャンヌが聞き返すと、アージェントは突然サッと立ち上がりいきなり彼女の前で跪いた。

  「先日は、貴殿に対し無粋な態度を取ってしまい申し訳ない」

  魔物の貴族は、そう言うと床に額を擦りつけんばかりに頭を垂れた。

  「え、あ、ちょ、ちょっと…!」

  突然の出来事にジャンヌは言うべき言葉を失ってしまった。

  他人しかも自分よりもはるかに身分の高い貴族に頭を下げられるなど初めての出来事だった。

  「数々の非礼、どうか許してはくれぬだろうか?」

  「分かりました! 分かりましたから! 許しますから、早く頭を上げて下さい」

  アージェントの言葉にジャンヌはそう言うことしかできなかった。

  だが尚も彼は「ありがとう」と深々と頭を下げる。

  ジャンヌは驚きと混乱の中でそんな彼を無理矢理椅子に座らせようと立ち上がった。

  その時だった。

  ガッタン!

  段差に乗り上げたのか、馬車が派手な音を立てて大きく揺れた。

  「わっ!」

  ジャンヌは突然の出来事にアージェントの身体に覆いかぶさるような形で前のめりに倒れた。

  「ギャン!」

  アージェントもまた彼女を支えきれず後ろに倒れ、頭をイスにぶつけた。

  ゴンとと言う鈍い音。

  「す、すすすすすすみません!」

  ジャンヌは慌てて立ち上がり椅子に座りなおした。

  「すいません、アージェント様。道にデカい石が転がってたみたいで…。

  お怪我はありませんか?」

  外から御者の声がした。

  「ああ、我は大丈夫だ」

  アージェントは御者のいる方向に向かって答えると、サッとジャンヌの方を見た。

  彼は再び慎重に立ち上がると、そっと彼女の肩に手を置いた。

  怒られる。

  ジャンヌはギュッと身を縮めた。

  だが、彼の言葉は予想外のモノだった。

  「お前は、大丈夫か?」

  「えっ?」

  「我の姿がハッキリ見えるか? 足は痛まないか?」

  アージェントはそう言いながら、ジャンヌの身体にそっと手を這わせた。

  声はいつも通り落ち着いているが、その手つきは妙に落ち着きがない。

  恐らくは触診なのだろうが、何故か顔の周りが熱くなってきた。

  「だ、大丈夫です。大丈夫ですから、その…手を…」

  ジャンヌはそう言うと、さらに身体を縮こませた。

  「あ、ああ、すまない」

  アージェントは、慌てて手を離し元いた席についた。

  隣でうたた寝をしていたはずのローズの口元がニヤリと笑みを作ったが、二人は先の出来事で頭がいっぱいでそれに気づくことができなかった。

  [newpage]

  「さあ、ようこそアイバー村へ」

  ローズは、そう言いながら目の前の光景を手で指示した。

  道中のちょっとしたハプニングから程なくして一行はアイバー村にたどり着いた。

  村の様子はジャンヌの予想を大きく超えるモノだった。

  「すごい…」

  彼女は思わずため息を漏らした。

  アイバー村は、村と呼ぶにはあまりにも大きく活気に満ち溢れた場所だった。

  辺りには住民の住む住居の他、様々な店や施設も軒を連ねており、まだ昼前だと言うのに道には多くのヒトで賑わっていた。

  村人は男女問わず皆屈強でたくましく、目には生気に満ち溢れていた。

  領主が魔物なので魔物の村なのかと思ったが、意外にも魔物と人間の数は丁度半々に見えた。

  彼らは、アージェントたちに気づくと皆にこやかに手を振りながら日頃の感謝の言葉を投げかけ、ジャンヌにも歓迎のあいさつをしてくれた。

  「はいはい、皆そこまで。

  今日のファング卿は遊興に来たんだから邪魔しないの。

  ほら、戻った戻った」

  ローズは、我が子を諭すような口調で村人たちに語りかけた。

  群集は名残惜しそうにしながらも、流れるような早さで各々の仕事に戻って行った。

  「皆、アージェント様のこと愛しているのですね」

  ジャンヌは、村人たちの背を愛おしそうに見つめながらつぶやいた。

  「そうだな。我も皆を愛してる。皆、我の大切な宝だ」

  目を細めながらアージェントは答えた。

  その表情には初めて会った時の撥ねつける様な雰囲気はどこにもなかった。

  「さて、じゃあ私は勝手に楽しんでるから、アージェント案内よろしく」

  と感傷に浸っていた時、ローズは突然そう言いながらマントを翻して人混みの中に飛び込んでいった。

  「お、おい!お前が案内すんじゃなかったのか?」

  アージェントが、そう問いかける頃には彼女の姿は人混みの中に消えてしまった。

  「私より直接管理しているヒトの方が適任でしょう?」

  どこからかローズの返事が返ってくる。

  声を頼りに探そうとするが、魔法で姿を隠しているのだろうかそれらしい影すら見えない。

  「後は、よろしく~」

  間延びした勝ち誇った様な声とともに彼女の気配が消えた。

  「はあ…」

  アージェントは大きくため息をついた。

  ローズの魔力は強いが彼ほどではない。

  探そうと思えば探せるだろうが、そこまでして彼女を探す気力はない。

  「何か、見たい者はあるか?」

  友人の捜索を早々に諦めアージェントは背後にいるジャンヌに問いかけた。

  「えっ? ああ、えっと…」

  突然の質問に戸惑いジャンヌは手をお祈り時のような形に組んだまま考え込むような仕草を見せた。

  そんな所作を見ながらアージェントは言いようのない高揚感を感じていた。

  何て美しい手なのだろう。

  傭兵と言う猛々しい職の者には似つかわしくないと思えるスルりとして絹のように艶やかな手。

  許されるのなら、その手にキスを…いやむしろ舌を這わせ…それよりも口の中に含んでしまって…。

  と、彼がボンヤリと妄想の海の上を漂っていた時だった。

  グウウウウウ!

  ジャンヌの腹から、遠慮のない抗議の声が上がった。

  彼女は慌てて腹部を両手で押さえると気恥ずかしそうにアージェントの方を見つめた。

  魔物の貴族の高揚感は、さらに膨らんだ。

  「まずは、腹ごしらえからか」

  質問と言うよりも確認の意味合いを込めて言うと、ジャンヌは顔を真っ赤にしてうなずいた。

  

  [newpage][chapter:「当たり障りのない会話」]

  アージェントたちは、食事のために近場にあった酒場に入った。

  もっとも、大きいとは言え街ほどの規模のないこの村では酒場は一軒しかないのだが…。

  「いらっしゃ…。ああアージェント様、お久しぶりですね」

  酒場の店主は来客に気づくと嬉しそうに言った。

  領主へのご機嫌取りとは一切違う、心からの親しみがこもった口調だった。

  「ああ、久しいなジャック。家族は変わりないか?」

  アージェントは、ジャンヌを店主の目の前のカウンター席へ案内しながら言った。

  「おかげ様で皆困るくらい元気ですよ」

  店主は苦笑い交じりに答えると磨いていたグラスをテーブルに置いた。

  「あ、注文は、いつもので?」

  店主の問いかけにアージェントはコクりとうなずいた。

  「そうだな。あとブドウ酒も少し」

  「かしこまりました。そちらのお嬢さんは?」

  「私は、これで店主のオススメを」

  ジャンヌは、答えながら銅貨を3枚カウンターに置いた。

  「あいよ、ちょっと待っててな」

  傭兵流の注文に店主は一瞬驚くそぶりを見せたが、特に何も言わず硬貨を受け取ると店の奥に入っていった。

  しばらくすると、彼は二つの皿を持って再び現れ、それぞれの皿をアージェントとジャンヌの前に置いた。

  二つの皿の中には、ぶつ切りにした肉と野菜の入った煮込み料理が入っていた。

  ジャンヌは自分とアージェントに出された料理を交互に見ると。キョトンとした様子で店主の顔を見た。

  「どうかしたか?」

  アージェントが問いかける。

  「ははあ。さてはお嬢さん、俺が注文を間違えたと思ったな」

  首を傾げる彼をよそに、店主はイタズラっぽい笑みを浮かべた。

  「注文は何も間違っちゃいねえよ。これが我らが領主アージェント様もお気に入りの銅貨3枚で食えるウチの看板料理肉と野菜のごった煮だ」

  店主は鼻息荒く自慢げに叫んだ。

  「確かに君のシチューは我の好物だが、その歌い文句はどうにかならんのか?」

  アージェントは、やれやれと言った様子で頭を振るが、ズボンから飛び出した尻尾はブンブンと嬉しげに揺れている。

  彼は、そのまま店主の答えを待たずにシチューを食べ始めた。

  ジャンヌは何の気もなしに彼の食事する様を眺めた。

  流石は貴族と言うだけあって獣のような荒っぽさはないが、大きく裂けた口を開けて肉の塊に喰いつく様子はなかなかに迫力のある光景だった。

  「早く食べないと冷めるぞ」

  視線に気づいたアージェントに言われ、ジャンヌは慌てて料理をかき込んだ。

  気のせいだろか。一瞬彼に見られた時、胸がドキリと高鳴った気がした。

  店主自慢のシチューは、素朴ながらも素材のうま味が効いた深みのある味わいだった。

  確かに酒場の料理にしては上品な味つけだが、貴族と言うのはこう言ったモノを好むのだろうか?

  そんな疑問が頭の片隅に浮かんだが、シチューの美味しさにいつしかそんな疑問もどうでも良くなってしまった。

  思いの外量も多くジャンヌは一皿で満腹になったが、アージェントは追加で燻製肉と野菜を中に詰めた拳大のパン3つとブドウ酒数杯を平らげた。

  竜のソラも日頃の食事は他の人間の傭兵仲間の3倍近い量だったが、目の前のアージェントの食事量はそれに負けず劣らないモノだった。

  何杯目かのブドウ酒を飲み干しようやく満腹になったのか、彼はカウンターに頬杖をつき満足そうに喉を鳴らした。

  「ずいぶん食べましたね」

  ジャンヌは思わずつぶやいた。

  アージェントは細めていた目を開け彼女に視線を向けた。

  失礼だったろうか?

  ジャンヌは思わず身構えたが、彼の方はさして気にした様子もなく口を開いた。

  「まあ、我には竜の血が混じっているからな」

  「竜?」

  やはり普通の魔物ではなかったのか。

  そんな事を考えていると、アージェントはおもむろに自身のことを話し始めた。

  「そうだ。我の父はかつてこの地を治めていた竜で、母はニヴルヘイム国から移り住んできた人狼だ。

  見ての通り外見は母の血が濃いが、身体の中は父から授かったモノの方が多い」

  「じゃあ、もしかしてアージェント様はブレスも出せるのですか?」

  「ああ、まあな」

  ジャンヌの問いにアージェントは右の耳を爪で掻きながら気恥ずかしそうに答えた。

  「すごい! それ、見てみたいです。

  あ、でも竜族の方は無闇にブレスを出しちゃいけないのですよね…」

  ジャンヌは興奮して思わず口走ったが、すぐに戦場でソラが放ったブレスを思い出した。

  彼は何度なく漆黒の炎のブレスで戦地一帯を変えていた。

  彼女を始めとした傭兵仲間には自分たちを守り勝利へ導いてくれる聖なる火だったが、対峙する者たちからすれば地獄の業火にも等しかっただろう。

  「まあ確かに、ここでブレスを使えば流石の店主も怒髪天で怒り狂うだろうな」

  アージェントはイタズラっぽく微笑んだ。

  何だか仕草一つ一つが愛らしく見える。

  「アージェント様の両親は今どちらにいらっしゃるのですか?」

  そんなことを思ったからだろうか、ついそんなことを訪ねてしまった。

  「死んだよ、数年前にね」

  アージェントは何でもないように答えた。

  感情のない、事実をあるがまま淡々と伝える様な口調だった。

  「ごめんなさい…」

  言葉に詰まったジャンヌはそれしか言えなかった。

  貴族が生家にいない理由など考えなくとも分かることだったのに。

  「何故謝る? 父と母の死を話したところで我には何の損もない」

  アージェントはなおも淡々と答える。

  「悲しくはないのですか? その…、ご両親のこと」

  ジャンヌは、おずおずと尋ねた。

  「どうだろう。今は特に何も感じないかな?」

  〈そんなはずない!〉

  ジャンヌは思わず叫びそうになった。

  〈だって私だって…〉

  「君の両親はどうしている?」

  突然アージェントに尋ねられ、ジャンヌはどう答えたらよいか分からなくなった。

  「死にました。私が十歳の時に」

  結局、彼女もアージェントと似たような答えしか出せなかった。

  「そうか。それは、悲しいな」

  アージェントは、その答えを聞くと初めて感情を吐露したようにつぶやいた。

  会話が途切れ、気まずい沈黙が流れた。

  「あっ。そう言えば、ここって人間の数も多いですよね。

  アージェント様も魔物だから、てっきりニヴルヘイム国領だと思ったのですけど…」

  ジャンヌは半ば強引に話しを変えた。

  「ああ。ここは、あくまで中立領で両国を行き来する際には関所になるところだからな」

  アージェントは会話の流れの変化に気づくそぶりを見せずに答えると、彼女が再び問いかけようとするのを察してさらに説明を始めた。

  「先の大戦でミズガルズとニヴルヘイムのどちらの国にも入らず静観を表明した領主が数名いたことは、傭兵の君なら知っているな?」

  ジャンヌは無言でうなずいた。

  戦闘に入る前、彼女はそんな領主を軟弱者と決めつけていた。

  だが、敗北と言うにはあまりに惨く悲惨なあの結果を見た今となっては彼らの方が正しかったと認めるしかなかった。

  「あれは誰一人として得をしない戦争でした」

  気づくと彼女はそうつぶやいていた。

  目に見える範囲で言えば、ミズガルズ国の損害の方が大きいと考えられるが、戦場で大量のブレスを吐いた毒竜たちも何人かは体力を使い切り人知れず衰弱死していることだろう。

  そんな思いが思わず喉元に上ってきたゆえに出た言葉だった。

  「ああ、そうだな」

  アージェントは、ぼそりと言った。

  「君や戦場に向かった者たちには申し訳ないと思うが、我は戦争に加わらなかったことを今でも正しかったと思っている。

  あの骸の山に我の民が加わるくらいなら、我自身が臆病者となじられる方がはるかにマシだ」

  そう語る彼の目には強い決意の色が光っていた。

  「アージェント様は、本当に民を愛しているのですね」

  ジャンヌはポツリと言った。

  「もちろんだ。この地の民は我にとって親であり兄弟であるからな」

  アージェントはそう答えると、他の客と話し込んでいる酒場の店主に目を向けた。

  「彼は、この酒場の一人息子でな。小さい頃は良く泥まみれになりながら一緒にふざけ合う仲だった」

  彼は感慨深げに言うと「フッ」と小さく笑った。

  「あの頃は、二人仲よく互いの母に叱られていたモノだ」

  [newpage]

  食事を終え店を出た二人は当てもなく村をさまよい始めた。

  日が西に傾き始めたためか、最初に来た時よりもヒトの数は疎らだった。

  「さて、どこへ行こうか?」

  歩き始めてからしばらくしてアージェントは尋ねた。

  「そうですね…」

  ジャンヌはそう答えながら考えた。

  「アージェント様が好きな場所、とかですかね」

  「我の好きな場所、か…」

  彼女の答えにアージェントも同じように考える仕草をした。

  「分かった。ついて来てくれ」

  彼はそう言うと、おもむろにジャンヌの手を引いて歩き始めた。

  アージェントが案内したのは、村の中央広場だった。

  入り口付近と異なり、広場では未だ多くのヒトが立ち話をしたり市場を開いたりしている。

  周囲をグルリと見回すと広場のちょうど真ん中には大きな井戸があり、そこを見守るように竜と人狼が寄り添って眠る像が鎮座していた。

  「我の父と母の像だ」

  ジャンヌの視線の先にあるモノに気づいたアージェントが言った。

  彼の言葉を聞き改めて像を見ると、確かに二人の顔はどことなく彼の顔を彷彿とさせた。

  「二人とも優しそうな顔ですね」

  ジャンヌが像を見ながらつぶやくとアージェントはゆっくりとうなずいた。

  「ああ、両親は我やこの地の民を深く愛していた。

  だからこそ、我は二人の思いを記憶に残すために、この像を作ったのだ」

  「これ、アージェント様が作ったのですか?」

  「ああ、そうだ。もともとは教会に飾るつもりだったのだが、村人たちにココが良いと強く打診されてな。

  こうも多くの者の目に止まる場所だと少し気恥ずかしいが…」

  アージェントはそう言いながら、また右の耳の端を搔いた。

  その後、二人は広場に残っていた市場でささやかな買い物を楽しんだ。

  ジャンヌは筆記具や髪を束ねるリボンなど日用品を購入し、アージェントは工芸用のナイフや珍しい染料の店を回った。

  先の酒場で腹は膨れていたが、途中匂いにつられ何度か屋台でつまみ食いもしてしまった。

  そうして市場を回っている内に二人は宝石商の前に立っていた。

  「やあ、いらっしゃい。良かったら一つどうだい、領主さん?」

  店主らしい女性がアージェントに話しかけてきた。

  どうやら知り合いだったらしい。

  「ああ、いや。今日は…」

  アージェントはそう言いながら一瞬断るそぶりを見せたが、ふと目の前に並ぶ商品を見て言葉を切った。

  彼は商品棚の前にしゃがみ込むと赤い眼を細め品物を選び始めた。

  光り物を好む竜の血か着飾ることに命を懸ける貴族の性か、その目は真剣そのものだった。

  「これにしよう」

  しばらくして、アージェントは銀製の指輪を指差し店主に向かって言った。

  「流石は領主様。白金貨十枚だ」

  店主は満足そうに言った。

  「は、白金貨?」

  ジャンヌは思わず声が裏返った。

  白金貨と言えば金貨十枚分の価値を持つそもそも流通自体が少ない貨幣だ。

  一枚でもジャンヌの稼ぎ五年分にはなる。

  「分かった」

  驚くジャンヌを余所にアージェントはさっと白金色に輝く硬貨を取り出し小さな袋に移し替えた。

  「まいど!」

  宝石商の女性は機嫌よく料金を受け取った。

  アージェントは女性から指輪を受け取ると、ジャンヌの方を振り向いた。

  彼女は思わず身を固くした。

  「ジャンヌ、コレを」

  そう言うとアージェントは先程買い取った指輪を前に差し出した。

  よく見ると指輪には小さ青い宝石が象嵌(ぞうがん)されていた。

  「えっ?」

  事態が飲みこめず、気の抜けた声が漏れてしまった。

  アージェントは、おもむろにジャンヌの左手を持ち上げると指輪をその中指にはめた。

  「この前の詫びだ。受け取ってくれ」

  「えっ、い、いやいやいや!こんな高価なモノ…!

  それにお詫びなら、お菓子貰いましたし…」

  ジャンヌは半分パニックになりながら口走った。

  自分の手に白金貨十枚が…。そう思うと頭が沸騰しそうだった。

  「き、気に入らなかった…のか?」

  アージェントは、耳を横に垂れながら尋ねた。

  「だったら、他のモノを」

  「そ。そう言うことじゃなくて! 私には、こんな過ぎたモノなど」

  「はいはい、そこまで!」

  会話が混沌を極めはじめた頃、宝石商が手をパンパンと叩き割って入った。

  「受け取ってやりなよ、お嬢さん」

  彼女はニヤニヤと笑いながらジャンヌに向かって言った。

  「で、でも…」

  ジャンヌは釈然としない様子で左手をさすった。

  流石に指輪を直接手で撫でる気にはなれない。

  「貴族から贈り物なんて、一生に一度あるかないかだよ? その指輪、アンタに似合ってるしね」

  ジャンヌは顔を真っ赤にして手を下に降ろした。

  納得したわけではないが、そこまで言われて受け取らないのは逆に失礼だろう。

  結局その後、彼女は手のむず痒さとともに市場を探索することになった。

  

  [newpage][chapter:「闇夜に潜むモノ」]

  すっかり日が暮れてしまった。

  アイバー村を出たアージェントとジャンヌは、足早に屋敷へ向かった。

  ガタガタと揺れる馬車の中、二人は心地よい疲れと満足感の中でウトウトとしていた。

  村を出る前にローズを探したが、御者に尋ねたところ先に自分の領地に帰ってしまったらしい。

  村を出てどれくらい経った頃だろう。突然御者席から紙切れが投げ込まれた。

  アージェントは床に落ちた紙を拾い上げた。

  どうやら手紙だったらしく、中には文字らしき線が見えた。

  「面倒だな」

  彼は手紙を読むと、険しい顔になった。

  「どうかしたのですか?」

  ジャンヌが問いかけると、彼はさらに険しい顔で答えた。

  「つけられているらしい」

  「つけられている? 一体誰に?」

  ジャンヌは身体を強張らせた。

  「分からない」

  アージェントは首を横に振った。

  「心当たりは?」

  「あり過ぎる程ある」

  まあ、そうだろう。

  ジャンヌは一人納得した。

  一領主にすぎないとは言え彼も権力者だ。

  彼女自身も貴族の護衛なども請け負ったことがあるので、そう言った話が上がるのを不思議だとは思わなかった。

  「何もしてこないのなら、それはそれで良いが、屋敷まで来られると面倒だな」

  アージェントは一人ブツブツとつぶやいた。

  「対峙するなら護衛しますが」

  職業柄だろうか。ジャンヌは無意識のうちに提案していた。

  だが、アージェントは首を横に振った。

  「いや、その必要はない。だが、君が自衛できれば我としては大変助かる」

  「その辺は大丈夫です。これでも傭兵ですから」

  ジャンヌはそう答えると持ってきていた短剣を取り出そうとした。

  「待て」

  アージェントは手を前に出し彼女に呼びかけた。

  「それよりも良いモノがある」

  彼は、訳知ったような顔で言うと、先程まで腰かけていた椅子の下に手を入れ二振りの剣を取り出した。

  一つは刀身を覆う鞘から柄まで全てが黒一色に染め上げられたバスタードソードで、もう一方は全体が白いロングソードだった。

  アージェントは黒いバスタードを自身の腰のベルトに差し、白いロングソードをジャンヌに手渡した。

  「ありがとうございます」

  ジャンヌは礼を言いつつ剣を受け取った。

  渡された剣は驚くほど軽く、不思議と手にすぐに馴染んだ。

  よく見ると鍔には青い宝玉が埋め込まれ、その周囲には美術品かと見まごうばかりの美しく繊細なレリーフが施されていた。

  具合を確かめるため少し鞘から刀身を抜くと、白銀色の刃が姿を現し一瞬だけキラリと輝いた。

  見た目だけでなく剣としての実用性も申し分なさそうだ。

  ジャンヌは満足気にうなずくと、アージェントの方を見た。

  彼は既に剣を抜き放ち馬車の扉を開こうと手を置いていた。

  彼の持つバスタードにも美しいレリーフが彫られ鍔の中央には赤い玉が煌めいていた。

  驚いたことに、その刀身は鍔や鞘と同じく黒曜石のような黒色に染められていた。

  「準備は良いか?」

  アージェントはジャンヌの視線に気づくと目だけを彼女に向けて尋ねた。

  ジャンヌは無言でうなずくと、彼に習って白銀色の刀身を閃かせながら剣を抜き放った。

  「行くぞ」

  魔物の貴族はそう言うと扉を開け外に出た。

  [newpage]扉の先では人狼の姿の従者が片手に巨大な鎌を持ち待っていた。

  ジャンヌは、アージェント共に彼女の手を借り馬車から飛び降りた。

  外は案の定真っ暗闇だったが、月明かりと傭兵団に入った際ソラにかけられた暗視の魔法で視界にはそれほど困らなかった。

  周囲を見回してみると、なるほど御者の言う通り複数のヒトの気配があった。

  木の影から武器の一端や服の裾が見え隠れしていたり殺気を隠す気配がないことから相手は追っ手や闇討ちに関しては素人のように見える。

  追跡者たちは、二人が馬車から降りるのを見ると、一人また一人と木陰から姿を現した。

  ざっと数えて十数人。剣や槍で完全武装した人間の集団だった。

  誰一人とて敵意を隠すことなく、こちらを睨みつけている。

  「貴公らに問う。これは一体何の真似だ?

  ここをファング領と知り、なおかつ我をその領主アージェント・フェンリル・ファングと知っての狼藉か?」

  アージェントは首を回らし、追跡者一人一人の顔を威厳のある視線で見つめながら問いかけた。

  追跡者たちは、質問に対する返答の代わりと言わんばかりに武器を彼の方に向け一歩前に進み出た。

  どうやら、話し合う気は毛頭ないようだ。

  「今一度猶予を与える。ただちに武器を収めこの地を去れ。

  さすれば、今回のことは不問とする」

  アージェントは悲しげに耳を垂らしながらも、再び目の前に立ちふさがる者たちに向かって言った。

  だが、そんな彼に帰って来たのは、一本の矢だった。

  魔物の貴族は相手が射た矢を片手で掴み受け止めると握りつぶすようにへし折った。

  「これが貴公らの答えか」

  彼は手に残った矢の残骸を悲しげな目で見つめると、そのまま追跡者たちの方へ目を向けた。

  「ならば、しかたあるまい。力づくでこの地を去ってもらおう」

  その言葉を合図にするかのように追跡者たちが一斉に戦闘態勢に入った。

  ジャンヌと従者も武器を構え一歩前に出る。

  「どんなことがあっても相手は殺すな」

  アージェントが二人よりさらに一歩前に進み出ながらつぶやく様に言った。

  ジャンヌは従者とともに彼の言葉にうなずいた。

  次の瞬間、どこからともなく鬨の声が上がった。

  追跡者の一人だろうか? あるいは、アージェントだったのかもしれない。

  だが、命のやり取りが繰り広げられる戦場では、些末な問題だ。

  静かな森は、一瞬にして金属音と怒号が飛び交う戦場と化した。

  そんな中でもジャンヌは理性を保ち続けアージェントの命令を守りぬいた。

  振り下ろされる武器を受け流し、柄頭など殺傷能力の低い部位で相手に攻撃を加える。

  数々の過酷極まる戦場での経験があるからこそできる芸当だ。

  追跡者たちは武術の方も素人だったらしく、戦闘は思いの外あっけのない幕切れとなった。

  ある者は頭を殴られ気を失い、またある者は骨を砕かれうめき声をあげていた。

  骨を折るなとは言われていないので、これは問題ないだろう。

  ジャンヌは密かに自分に言い訳しつつ、アージェントの方を見た。

  「それで、このヒト達はどうします?」

  「とりあえず、全員を縛り上げてくれ。一番負傷がマシなヤツを尋問する」

  アージェンとはそう答えると、ドサリと地面に座り込んだ。

  彼の言葉を聞くと御者の人狼は慣れた手つきで御者席から縄を取り出し、追跡者たちを縛り始めた。

  ジャンヌは後のことを彼女に任せ隣で疲れ切ったようにうずくまるアージェントの方に目を向けた。

  「大丈夫ですか?」

  彼女の問いにアージェントはゆっくりとうなずいた。

  「少し疲れただけだ。一晩寝れば良くなるよ」

  彼は、そう答えるとさっと顔を上げ前を見つめた。

  ジャンヌが同じ方向に目を向けると、御者の女性が後ろ手に縛られた男を引っ張りながらこちらに近づいて来るのが見えた。

  着ている服から男が追跡者の一人であることはすぐに分かった。

  男は、御者に投げられるように地面に転がされるとジャンヌたちの方をギロリと睨みつけた。

  アージェントは意に介さずと言った様子で視線を受け流すと男に向かって問い掛けた。

  「まずは貴公らの飼い主について聞こうか?」

  「お前たちに答える義理はない」

  男は捕虜の身でありながらも噛みつくように言った。

  「自分の口で答えれる内に吐いておいた方が楽だぞ」

  アージェントは、なおも表情を崩さない。

  優しげであるが、どことなく冷ややかな雰囲気を感じさせる声だ。

  だが、男もそれに負けず高圧的だ。

  「貴様にできる訳がない。戦争に出れない腰抜けな上、不浄な交わりで生まれた忌み子であるお前にはな」

  男がそう吐き捨てた瞬間、突然御者が鎌を振り男の首に刃先を突きつけた。

  「貴様! その言葉を今すぐに撤回しろ!

  さもなくば二度と口をきけぬ体にしてやる!」

  気がつくとジャンヌも立ち上がり、剣を男の心臓の前に突き出していた。

  「二人ともやめろ!」

  アージェントの怒号が響き渡った。

  だが、御者もジャンヌも武器を降ろそうとはしなかった。

  「ジャンヌ、サラ。今すぐに武器を降ろすんだ。これは領主としての命令だ」

  領主の命とあっては従わなくてはならない。

  ジャンヌは隣の御者にならい武器を降ろした。

  「後は我がやる」

  アージェントは二人が武器を収めたのを確認すると、そう言って男に近づいた。

  男は怯えたウサギのように身を縮ませ再び罵倒を浴びせようと口を開いた。

  「黙れ」

  すかさず御者がその顎に蹴りを一撃食らわす。

  「サラ!」

  「武器は使ってません」

  御者の屁理屈にアージェントは一声唸ったが、特に何も言わずに一度頭を振ると再び男の方へ近づいた。

  「手荒な真似はしたくなかったが、貴公が非協力的であるなら仕様がない」

  彼はそう言うと、おもむろに男の頭を鷲掴みにした。

  そのまま頭をもぎ取るのか。とジャンヌは思ったが、アージェントはそのまま特に何もすることなく男の頭を掴み続けた。

  たが、どういう訳か、彼に頭を掴まれている間、男は大きく目を見開きながらピクピクと痙攣し続け、手が離れるとそのまま白目を向いて地面に倒れた。

  「殺したの?」

  ジャンヌの問いにアージェントは首振った。

  「いいや。彼の記憶を吸い取っただけだ。

  目が覚めれば、自分が何故ここにいるか分からぬくらいには記憶を失っているだろう」

  彼はそう答えると、サラの方に目を向けた。

  「我は先に帰る。コイツらはローズのところにでも預けておいてくれ。

  間違えても殺したり血袋にしたりせぬ様にな」

  「承知しました」

  領主の命令にサラは渋々と言った様子でうなずくと、気絶した男の襟首を掴み馬車の中へ放り込んだ。

  アージェントは物言いたげに唸ったが、結局何も言わずに踵を返すと屋敷のある方に向かって歩き出した。

  特に命令された訳ではないが、護衛なしに夜道を歩く彼を放っておくこともできない。

  ジャンヌは、彼の後についていくことにした。

  [newpage]屋敷は思ったほど遠くなく、二時間ほどでたどり着いた。

  玄関先では、ヘラが心配そうな様子で待っていてくれた。

  「おかえりなさい。ずいぶん遅くなりましたね?」

  彼女は二人に気づくと近寄りながら語りかけてきた。

  「旧王国の連中が道に塞がってたんだ」

  「ああ、道理で」

  アージェントの答えにヘラは納得した様にうなずいたが、特に彼の身を案じているそぶりは見せなかった。

  彼は、気にする様子もなく話しを続けた。

  「悪いが、しばらくジャンヌと二人きりにさせて欲しい。用があれば呼ぶから」

  「分かりました。何か必要なモノは?」

  「では、何か菓子を」

  「却下。今朝もケーキ一ホール食べたばかりですよ?」

  「我のでない。ジャンヌにだ」

  「そう言って、自分でもつまみ食いするおつもりでしょう?

  甘いモノは程々にと言ったばかりですよね?」

  「お前は時々母上のように口うるさいな」

  「生前の奥さまからは甘やかさない様にと仰せつかっておりますので」

  アージェントは叱られた後の犬のように悲しげに唸った。

  彼の垂れ下がった耳を見ながらヘラは諦めた様にため息をついた。

  「まあ、今回は災難もあったことですし特別に出しましょう」

  ヘラの言葉にアージェントの耳がものすごい速さで元の位置に戻った。

  「本当か?」

  「ただし、明日から数日は控えてもらいますからね」

  「数日…」

  「嫌なら、今夜はお茶だけです」

  「…分かった」

  「では、お部屋にお持ちしますね」

  ヘラはそう言うと、屋敷の方へ戻って行った。

  「さて、では我々も行こうか」

  ジャンヌはハッと我に返った。

  途中から話について来れず、自分への呼びかけに気づくのが遅れてしまった。

  「ああ、はい」

  彼女は先を行く魔物の貴族の背を追いかけながら歩き出した。

  

  [newpage][chapter:「終わらない戦争」]

  ジャンヌが通されたのは、アージェントの執務室だった。

  彼に勧められるままにイスに腰掛けると、間もなくヘラがティーセットと焼き菓子の乗った盆を持って部屋に入って来た。

  彼女は、盆をジャンヌの前ちょうど部屋の真ん中にあるテーブルに静かに置くとそのまま部屋を出た。

  アージェントはティーセットに手を伸ばすと慣れた手つきでお茶を淹れ始めた。

  しばらくして2つのカップに琥珀色の液体が注がれ1つがジャンヌの前に差し出された。

  「口にあうと良いが」

  「ありがとうございます」

  ジャンヌは礼を言うとカップに口をつけた。

  お茶は香りよく寒さで冷え切った身体を優しく温めてくれた。

  「美味しいです」

  彼女が感想を述べると、アージェントはヘラが持ってきた焼き菓子を齧りながら恥ずかしそうに右の耳を掻いた。

  「それは良かった」

  彼は満足そうにうなずくと、お茶を一口飲み再びジャンヌの方を見た。

  「今回は想定外とは言え君を巻き込んでしまったな。せっかくの休息を台無しにしてしまって申し訳ない」

  「そんな、気にしないで下さい。仕事柄慣れてますし…」

  ジャンヌは朝の馬車の中と同じように土下座しそうになった彼を止めながら言った。

  「いや。この埋め合わせは必ず取らせてもらう」

  何とか土下座は止まってくれたが、アージェントはそこだけは譲ろうとはしなかった。

  「…分かりました」

  指輪だけでも十分だったが、これ以上論争になっても仕方ない。

  ジャンヌは諦めると目の前に出された菓子を齧った。

  少し砂糖が少ない気がしたが、生地の中に練り込まれたナッツが香ばしい。

  恐らく甘党のアージェントを気遣ったヘラの知恵なのだろう。

  改めて彼が周りから愛されている貴族なのだと実感した。

  「さて、何か聞きたいことはないか?」

  アージェントの問いにジャンヌは焼き菓子から顔を上げた。

  何の話かは大体察しがつく。

  「聞いた後、口封じに殺したり軟禁したりしないですよね?」

  「誰かに知られて困るような秘密ではない。それに、今のところ護衛はサラたちで充分だからな。

  ああ、だが使用人は後何人かは欲しいかな?」

  アージェントは思い出したように最後の一言をつけ加えると、ソファに背を持たせかけた。

  「では、お言葉に甘えてお伺いします」

  ジャンヌはそう答えると、姿勢を正した。

  「まず、さっき貴方たちを襲撃したヒト達は何者なんですか?」

  彼女の問いかけるとアージェントは少し困ったような表情になった。

  「最初の質問としては妥当だな。

  だが、説明するのは難しい。

  ジャンヌ、王国と帝国の戦争の顛末は、どれ程知っている?」

  「私が加わっていた大戦で王国側が惨敗した事以外は何も…」

  「そうか。

  まあ簡単に言うと、王国は件の戦争の後に兵力を完全に失い時を同じくして王も暗殺により死去。

  国としての中枢を失った王国は帝国に降伏。近々新国王により和平条約が結ばれる運びとなっている。

  これが、表で広まっている情報だ」

  まあ、そんな所だろう。

  ジャンヌは、アージェントの話を聞きながら思った。

  あれほどの戦争で負けた国が国として機能できるとは思えない。

  恐らく王がまだ生きていたとしても数年と立たずに王国は壊滅しているだろう。

  その分より多くの命が奪われるだろうが。

  ジャンヌは物思いからアージェントの方へ意識を戻した。

  「表の情報と言うことは、アージェント様はその裏の事情に関わっていると言うことですか?」

  「察しが良くて助かる」

  「察しが良くなければ、傭兵は生きていけませんから」

  「話しを戻そう。

  君の言う通り、我、いや我々は王国と帝国の和平に一枚噛んでいる」

  「〝我々〟?」

  「そう。具体的には今回の戦争で中立を唱えた貴族たちだな。

  我々は、長く二国間の争いを静止してきたが、最近になって戦争が泥沼化したのを深刻に受け止め二国それぞれに和平案を出した。

  帝国側は攻め込んできた王国から国を防衛しただけなので、皇帝は二つ返事で我々の案に賛同してくれた。

  問題は王国側だった。帝国の広大な領地と本国で取れる鉱山資源に目を奪われていた王とその側近たちは我々の案を頑として受け入れなかった。

  交渉は数年に及んだが、事態は平行線だった。

  だから、我は行動に出たのだ」

  「行動って、もしかして…」

  [newpage]「もちろん、国王の暗殺だ。我が、この手で王を屠った」

  ジャンヌは目を見開いた。

  二つの大国相手に交渉を持ちかけるだけでも驚きなのに、目の前の気の優しそうな青年が誰かの命を奪ったという事実が信じられなかった。

  ふと彼女は、アージェントが襲撃者たちのことを旧王国の連中だと言っていたのを思い出した。

  「では、さっきの襲撃者たちは、もしかして国王の復讐に?」

  「それもあるだろうが、多くは和平の妨害だろう」

  「和平の妨害? 何故それでアージェント様の命を狙うのですか?」

  「実はだな」

  アージェントは、そこで言葉を切り一息つくようにお茶を飲んだ。

  「和平の調停は、ここで行われるんだ。二国の王を招いてな」

  「えっ?」

  だんだん話について来れなくなった。

  一体このヒトはどれ程の重鎮なのだろう?

  「まあ、我が死んだところで他の貴族の領地に場所が変わるだけなのだがな。

  ヤツらとしても半分は意地なのだろう」

  そう言う彼の顔に襲撃者たちに対する嘲りはなく、むしろ憐れんでいる様に見えた。

  

  [newpage][chapter:「国王の到着」]

  「そう言えば、今日ですね」

  ジャンヌは食器を洗いながら誰にとなく言った。

  「今日って何の話?」

  洗い終わった食器を片づけながらサラが問いかけた。

  「ミズガルズの国王が来る日ですよ。何だか緊張してきたなあ」

  ジャンヌはそう答えると、ため息をついた。

  「そんなこと言ってたら、ここの使用人は務まらないわよ。ここは貴族の溜まり場みたいなところだからね」

  サラは、からかう様に言った。

  そう。自分はファング家の使用人になったのだ。

  彼女の様に気丈に振る舞わなければ。

  ジャンヌは自分に言い聞かせると仕事に集中した。

  アージェントから全てを打ち明けられた日の翌日、彼女は彼の家の使用人になる決心をつけた。

  主人の方は「冗談のつもりだったのに」などと言っていたが、彼女は半ば無理矢理に話しを推し進めた。

  使用人になろうと思ったキッカケは色々あったが、一番の理由としては、この地に留まって自分が闘った戦争の行く末を見守りたいと言うのが大きかった。

  幸い、傭兵時代は交代で炊事洗濯をしていたので仕事に関しては特に困ることはなかった。

  屋敷内の使用人はジャンヌ以外ではサラとヘラのみで、アージェントの足りないと言うと言う話は本当の様だった。

  たまにローズがやって来ると、彼女の召し使いのミラが手伝いに来るが基本は三人で全てを賄う。

  もっとも、それだけでは仕事が成り立たないのでアージェントが仕事の合間に手伝いに来たりもするのだが…。

  仕事を初めてからの一か月は慌ただしく過ぎて行った。

  まず、今まで放ったままにしていた傭兵仲間からの手紙に返事を書き、仕事の紹介をしてくれた者にはファング家の使用人になった事を知らせた。

  〝剣一筋だったお前が使用人とは、随分な方向転換だな〟

  ある仲間の手紙には、このような一文もあった。

  しかし、彼女は別に剣を握らなくなったわけではなかった。

  人手は足りていると言う護衛の仕事も半ば強制的にアージェントから貰い受けたからだ。

  幸か不幸か、例の襲撃の日から今日まで襲撃は何度かあったが、アージェント自身の剣の腕も良くさして大きな脅威とはなりえなかったが。

  一ヶ月の間、ジャンヌも彼の剣術には何度なく驚かされた。

  母である人狼から伝授されたと言う優雅であると同時に平和慣れした貴族のお遊びとはまるで違う実戦向けのその技に魅せられたジュンヌは仕事の合間に剣の稽古もしてもらいながら月日を過ごした。

  そんな日々の中でミズガルズ国王から到着の予定を知らせる手紙が届いたのは、つい三日前だった。

  詳しいことは書かれていなかったが、道中国王一行もそれなりの苦労をしたらしくて今の今まで手紙を書く余裕がなかったそうだ。

  だが、貴族の溜まり場と言うだけありファング家当主は特に慌てた様子もなく淡々と準備を進め手紙が来た翌日にはすぐにでも来客を迎えられる状態になっていた。

  もっとも、その間屋敷の住人たちの仕事は大幅に増えたが。

  「さあて、お皿洗いも終わったし、そろそろ行きましょうか?」

  サラの声にジャンヌはハッと我に返った。

  時計を見ると、長針と短針が真上で重なり合おうとしていた。

  「そうですね」

  ジャンヌは手近にあった布きれで手の水気を拭うと先に台所を出たサラの後に続いた。

  [newpage]

  ※

  「アーサー・ティアトル・ドレイク新国王陛下、アージェント・フェンリル・ファング侯爵領にご到着!」

  煌びやかに輝く鎧を纏った従者が豪奢な馬車を背景に高らかに宣言した。

  重い金属の兜の下から発せられているとは思えないほど大きく朗々とした響きの声だった。

  馬車の中からもう一人の従者に導かれ件の人物が姿を現すと馬車の周りにいた護衛たちが一斉に胸に右手を当て敬礼の姿勢になった。

  ジャンヌは横目で隣のサラを見ると彼女に習い敬礼を省いた。

  新国王は思っていた以上に若く隣を歩く従者より一回り小さくも見えた。

  だが、彼は長旅の疲れも感じさせないほど堂々とした足取りでジャンヌたちが脇に並ぶ赤いカーペットを歩きその先で待つアージェントの前に立った。

  「かような辺境まで御足労感謝いたします、国王陛下」

  国王が立ち止まると、アージェントはそう言って恭しく一礼した。

  こちらも負けず劣らず毅然とした振る舞いだ。

  これが、貴族の会話と言うモノだろうか。

  ジャンヌは目の前のクラクラするようなやり取りから目を逸らし本来の仕事である付近の警戒に集中することにした。

  辺りには特に変わった様子はない。

  最も何か変わりがあれば、国王の護衛たちかサラが真っ先に反応するだろう。

  最悪、以前のような襲撃があれば自分は全力でアージェントと国王守れば良いだけだし、今回は見栄え良くするためにと着せられたミスリル銀の鎧もあるので滅多な事では死なないだろう。

  「さて、長旅で疲れたでしょう。ニヴルヘイム皇帝の到着まで今しばらくかかる故、それまでここを我が家と思いくつろいで下さい」

  どうやら、長い挨拶の弁が終わったらしい。

  アージェントはそう言いながら国王と後に続く従者たちを屋敷に招き入れた。

  彼の護衛兼使用人であるジャンヌたちは一番最後に続いて屋敷に入った。

  ※

  国王一行を迎え入れ、屋敷は一気に賑やかな場所になった。

  幸い彼らの食事は王国側で賄う手はずになっていたのが、アージェントの好意で秘蔵のブドウ酒が振る舞われた。

  ある程度酔いが回った後でも浮かれた者が現れなかったあたりは、流石国王直属の兵士と言ったところか。

  酒の給仕が一段落するとジャンヌは兵士たちがいる大広間横のバルコニーで遅めの夕食をとることにした。

  昼の余り物をパンに挟んだだけの簡素なモノだが、味も良く腹も充分に膨れた。

  「ジャンヌ、ちょっと良い?」

  パンの最後のひとかけらを口に放り込んだ直後、後ろからヘラの呼ぶ声が聞こえた。

  「ほはい、はんれしょう?」

  ジャンがパンを咀嚼しながら答えると、ヘラは苦笑しながら酒瓶の入ったバスケットを差し出してきた。

  「これをアージェントの部屋に届けてくれない?」

  「いーれふよ」

  思いの外パンが大きく、なかなか呑み込めない。

  一先ず、バスケットを受け取り了承すると、ヘラは堪えきれないとばかりに肩を震わせた。

  「ありがとう。それと王様もいるから、届ける前に口の中のモノをしまっておくようにね」

  ヘラはそう言い残すと、クスクスと笑いながら兵士たちの給仕に戻った。

  そこで、ジャンヌはようやくパンを飲み下した。

  「王様か…」

  歓迎の儀を終えた今となっては流石に不安感はないが、それでも王の前に立つと思うと気が引ける。

  「傭兵たる者、仕事はキッチリこなさないと、よね」

  当時ソラから何度となく聞かされた言葉を思い出しジャンヌはバスケットを抱えると目的の部屋に向かって歩き出した。

  [newpage]

  アージェントの部屋の前に着くと、ジャンヌは控えめに扉を叩いた。

  「誰だ?」

  扉の向こうからアージェントの声が返ってきた。

  王を歓迎していた時とはまるで違う。いつも通りのおっとりとした口調だった。

  「ジャンヌです。ブドウ酒をお持ちしました」

  「入ってくれ」

  「失礼します」

  ゆっくりとドアノブを捻り扉を押した。

  部屋の中ではアージェントと国王が二人きりでソファに腰かけて向かい合っていた。

  どうやら、話の途中だったらしい。

  邪魔するわけにもいかない。

  そう思いジャンヌは素早くバスケットの中のモノを二人の間にあるテーブルの上に置くとすぐに退出しようとした。

  だが、そこで突然アージェンが手を上げ彼女の動きを制した。

  「ああ、ジャンヌはココにいてくれないか?

  実は、さっきアーサーの持ってきた酒で些か酔い過ぎてしまってな…」

  そう言う彼の声は確かに呂律が怪しい。

  「酔ってしまったなら、ブドウ酒は控えるべきでは?」

  「我が蔵のブドウ酒は別だ。飲むと決めたら飲むぞ?」

  「若いからと飲みすぎると身体に触りますよ?」

  「お前、言動がヘラに似て来てないか?」

  「これは、前の上司からの受け売りですよ。

  まあ、今日は王様もいますから特別ですけど、明日からしばらくは禁酒ですからね」

  「やっぱり、お前ヘラにそっくりだ」

  そんな問答を繰り広げていると、いつの間にか横で王がクスクスと笑い始めた。

  「いや、すまない…。二人の様子が夫婦のようで、ついな」

  驚いて振り返ると王はバツの悪そうな顔で謝罪した。

  「ふ、夫婦だなんて…」

  ジャンヌは話てて否定しようとしたが、あとに続く言葉が出てこなかった。

  住んでる世界や身分どころか種族だって違うのに…。

  頭では言葉として出てくるのだが、それらを声として発しようとすると喉がつかえる様な心地になった。

  まるで〝夫婦〟と言う言葉を否定するのを恐れているみたいに…。

  「どうした、ジャンヌ?顔が赤いぞ?」

  アージェントに指摘され、彼女は初めて自分の顔が熱くなっているのに気づいた。

  「これは、その…」

  何とか言い繕おうとするが、また言葉がつかえてしまう。

  何だか頭に濃い霧がかかったみたいだ。

  「お前は相変わらず女心が分かってないなアージェント」

  隣の王が呆れたようにつぶやいた。

  「どう言うことだ、アーサー?」

  アージェントは困ったような顔つきで首を傾げるとジャンヌの方を見た。

  「ああ、もう! 何でもない! 何でもないですから!」

  ジャンヌは自分に言い聞かせるように叫ぶと、おもむろに持ってきたブドウ酒を二人のグラスに注いだ。

  「そんなことより、コレ! ブドウ酒! ほら、今日は飲むんでしょ?」

  使用人らしからぬ粗野な言葉でそう言うと、彼女は予備のグラスにもブドウ酒を注ぎ自分で飲んでしまった。

  アージェントとアーサーは、彼女の無遠慮な行動を特に咎めることなく思い思いに自分で持ち込まれたブドウ酒をグラスに注ぎ始めた。

  「それで、何の話だったかな?」

  ブドウ酒を一口飲みアーサーがアージェントに尋ねた。

  どうやらジャンヌが来る前までに何か談笑をしていたらしい。

  彼女は給仕の仕事を再開しながら二人の会話に耳を傾けた。

  「道中で襲撃にあった話だよ。旧王権派の人間が少なかったのは意外だったな」

  アージェントは質問に答え考え込むように顎に手を当てた。

  「ヤツらは、あくまでも王権派だからな。王族である僕には表立って手出しはできないだろうよ」

  「となると、当面の問題は魔物側の差別主義者か」

  「差別主義者?」

  思わず口を挟んでしまいジャンヌはすぐに何でもない風を装うとしたが、アージェントは気にする様子もなく答えた。

  「人間を魔物の奴隷もしくは家畜とかんがえている様なロクでもない連中さ」

  「まあ、話はそこまで単純じゃないけどね」

  アーサーが苦い笑みを浮かべながら補足した。

  「似た様なモノだろう?」

  アージェントは険しい顔で反論すると、グラスの中のブドウ酒を一気に飲み干した。

  「まあ、遠征中の君たちを襲撃したのも大体察しがつく。

  恐らくはアンドバリ家の者か、そのとり巻きだろう」

  「そのとおりだよ。襲撃してきた魔物たちは、自分からアンドバリ家の者だと名乗ってたよ。

  僕自身は何とか無事にココまで辿りつけたけど、代わりに十六人の兵を失った。

  全く、新王としてなさけない限りだよ…」

  「相手は魔物の中の先鋭だ。追い払えただけでも誇りに思わなければ、死んだ者たちの名誉を傷つけることになるぞ」

  アージェントの言葉にジャンヌも同意してうなずいた。

  「それもそうだな。いや、少し感傷的になりすぎたかもしれない。

  すまない」

  アーサーは素直に謝罪の言葉を述べると、ブドウ酒に口をつけた。

  「長旅の後だ無理もないさ。

  明日、兵士たちの慰霊碑を建てよう。ここは我以外にも魔物と戦いの長けた者たちが多い。

  もう、誰も死なせないよ」

  アージェントは優しく微笑みながらも力強い眼でアーサーに訴えた。

  

  [newpage][chapter:「切り裂かれた絆」]

  翌日、ファング家の館は昨日をはるかに超えるヒトであふれ返るほどになっていた。

  兵士の給仕や慰霊碑建造のため、アージェントが治めるオピーオン村とローズの治める領地からも多くのヒトが集められ、それぞれの仕事に従事している。

  そんな光景を眺める暇もなくジャンヌは館やその周辺の地図を眺め頭を悩ませていた。

  誰の推薦か、作戦参謀に選ばれた彼女は慣れない金属の鎧を纏い、腰には最初の襲撃でアージェントに貸し与えられた白銀色の長剣を下げている。

  「如何なさいましたか、ジャンヌ殿?」

  隣で別の作業をしていたはずのガウェインが、いつの間にか地図を覗き込みながら尋ねてきた。

  「東側の配分が少し足りないかなって思ってね」

  ジャンヌは、手甲に覆われた指で地図の一点を指差しながら答えた。

  王国騎士である彼に〝殿〟などと呼ばれるのは些か気が引けるが何度言っても聞き入れてもらえなかったので気にしないでおいた。

  「東と言うと、アンドバリ家の領地とは真反対ですね。そこまで兵を配置しても仕様がないと私は思いますが」

  「そうなんだけど。ただ、やっぱり何となく不安でね…」

  ジャンヌはそう返しながら眉間にシワを寄せた。

  予期せぬ方角からの強襲は傭兵時代嫌と言うほど経験してる上、アージェントの話を聞く限りアンドバリ卿は相当の曲者らしいので些細なことも気をつけねばならないと思ってしまう。

  だが、兵の数は限られており、どこの防衛線も人手はギリギリの状態だ。

  何か他の手を考えねば。

  そう考えあぐねていた時だった。

  「だったら、我が行こうか?」

  親しみ深い声が後ろから聞こえてきた。

  いつからそこにいたのだろうか、振り返るとアージェントが外出用の服装で地図を見ながら立っていた。

  「アージェント様? もうお仕事は良いのですか?」

  ガウェインの問いにアージェントはうなずいた。

  「問題ない。先ほど周辺の中立国宛てに文を送った。

  数日かけずとも、二、三国あたりから兵が数人くらいは来るだろう」

  「となると、今夜が一番警戒すべき時ですね」

  ジャンヌは地図に援軍が来ることを書き込むとアージェントの方に目を向けた。

  「でも、良いのですか? アージェント様にも、まだお仕事が残っているのでは…」

  「もう両手で数えるほどしかないよ。それに、今さっきニヴルヘイムの皇帝から一週間後に到着するとの文も受け取った。

  しばらくは、各国の代表が来るのを待つくらいしかやることもないのでな」

  そう言うとアージェントは、腰から下げたバスタードを撫でた。

  どうやら、始めから前線に立つつもりでいたらしい。

  「では、私も行きます」

  反射的にジャンヌは言った。

  「確かに、その方が良いですね」

  ガウェインが納得した様にうなずいた。

  「王族のアージェント様と熟練の傭兵であるジャンヌ殿がいれば防備は万全と言えるでしょう」

  「熟練は言い過ぎですよ―」

  言いかけて、ふとジャンヌは彼の言葉に気になる単語があることに気づいた。

  「今、ガウェイン様、アージェント様の事を〝王族〟って言いました?」

  「えっ? 確かにそう言いましたが…」

  彼女の問いにガウェインは面食らったような様子で答えた。

  「もしかして、まだご存じでなかったのですか?」

  問い返されたジャンヌは話題のジン物の方に目を向けた。

  「必要がなかったから、言わなかっただけだ。

  我としては、それで周りからとやかく言われるのにも飽き飽きしているのでな」

  そう言い繕うと、アージェントは心底ウンザリした様な口調で話し始めた。

  「ガウェイン殿の言う通り、我は父から王族の血を引いている。

  ちなみに、父は現ニヴルヘイム国皇帝の弟にあたる。

  もっとも、父は王権などには興味がないので婚姻後は母の姓のファングを名乗っていたがな」

  「アージェント様の父君は、無欲な方でしたからね」

  ガウェインは、感慨深げにうなづいた。

  「私も一度だけお会いしましたが、本当に穏やかで紳士的な方でしたよ。

  私個人としては、彼こそ皇帝に相応しい器だと思っていますが、ああ言った無欲さが、彼らしいと言えばらしいのですがね…」

  「父の世辞を言ったところで、我からは秘蔵のワインしか渡せぬぞ、ガウェイン殿」

  アージェントは、照れ隠しの様に耳を掻きながら王国騎士に言った。

  「世辞ではなく事実ですよ。ワインは私の好物である故、ありがたく頂戴させていただきますがね。

  ああ、もちろん任務中は控えさせていただきますけどね」

  ガウェインは、真面目な口調で答えた。

  良くも悪くも正直なヒトだ。

  「そうか、なら帰りにでも持っていくが良い。くれぐれも他の騎士に見つからぬ様にな」

  アージェントは悪戯っぽい笑みを浮かべて言うと、地図に目線を落とした。

  気のせいだろうか。ジャンヌは、彼が一瞬悲しげに眼を伏せた様に見えた。

  その瞬間、彼女の中で胸がざわつく様な気分が広がった。

  [newpage]

  ※

  東の防衛線に着いてから、大分時間が経った。

  すっかり夜も更け、あたりでは大量の松明がまぶしい位に灯されている。

  幸いにも敵襲は一度もなかったが、高台でその様子を見守っていたジャンヌはその静かさが気味悪く思えてならなかった。

  「このまま何もないと良いのだがな…」

  隣で椅子に腰をかけて休憩していたアージェントが、不意に口を開いた。

  身体を休めるなら下に王国騎士が立てたテントの方が良いだろうに、何故か彼は「ここで休む」と頑として聞かなかった。

  「そう、ですね…」

  このまま予感が杞憂に終われば良い。ジャンヌは、そう思いながらアージェントの言葉にうなずいた。

  「アージェントさまぁ!」

  ふと下の方から声が昇って来た。

  他の防衛線の状況を見回っていたガウェインだ。

  「思ったより早く来たな」

  アージェントは、椅子から立ち上がりながらつぶやいた。

  「他も、ここと同じなのですかね?」

  ジャンヌが問いかけると、彼は小さくうなずいた。

  「だろうな。ただアンドバリが守りの薄いこの機会を逃すとは思えない。

  長い戦いになると思うが、引き続き警戒を頼む」

  「任せて下さい。これでも古参の傭兵ですから」

  「ああ、頼りにしてる」

  アージェントは、そう言い残すと下に降りるためハシゴを下っていった。

  ジャンヌは再び敵が来るであろう前方に視線を戻した。

  辺りは相変わらず静寂そのもの。

  と、思ったのもつかの間、彼女は前方で何かが動くのを見た。

  手をそっと警鐘を鳴らすための紐に滑らせながら影の見えた方へ目を凝らす。

  敵は確認できなかったが、相手の掲げる旗がチラリと見えた。

  ヒトの骨を掴んだ竜の紋章。前線に来る前にアージェントのまとめた資料で見たモノだ。

  「敵襲! 敵襲―!」

  ジャンヌはあらん限りの声で叫びながら警鐘を鳴らした。

  眼下の兵士たちが自分の声と鐘に反応したのを確認すると、そのまま高台から飛び降りた。

  下ではアージェントとガウェインが剣を抜刀して待っていた。

  「アンドバリか?」

  アージェントの問いにジャンヌはうなずいた。

  「はい。紋章が見えたので間違いはないかと」

  「分かった。では、斥候班行くぞ」

  二人が先行して敵の偵察に行くと言う作戦は、王国騎士一人が同行すると言う条件の元でようやく王から許可が下りたモノだった。

  「全く。先王がもう少し分別がある人間なら、こう言った時のために魔物の兵士を一人くらい雇えたのに…」

  ガウェインは独り愚痴をこぼしながら、アージェントたちの跡について行った。

  [newpage]

  ※

  「ワイバーン十にコボルトが十二、ゴブリンは三十…。

  割と小規模ですね」

  ジャンヌは木の影から相手の様子を見つつ口を開いた。

  「後続の部隊でも用意しているのですかね?」

  ガウェインの疑問にアージェントは首を振った。

  「現状は様子見であろう。

  アンドバリは、以前の襲撃で君たちの戦力を把握している上、我の領地の軍事面もある程度把握しているから、これで充分と考えてる節もあるだろうしな」

  彼は、そこで一度言葉を切ると腰のポーチから丸い玉のようなモノを取り出した。

  「だが、我も臆病ではない。

  相手が如何に強大であっても、守る者のために心血を燃やすのがファング家の誇りなのだからな」

  そう言うと同時に手にした玉を敵陣に向かって放り投げる。

  ジャンヌとガウェインは目をつぶり両手で耳を塞いだ。

  玉は地面にぶつかると強烈な光とけたたましい音を出しながら炸裂した。

  アンドバリの兵は突然の出来事に混乱状態に陥った。

  ある者は目や耳を抑えうずくまり、またある者はその場から逃げて行った。

  「静まれ! 怯むな! 逃げるヤツは見つけ次第殺す!」

  指揮官らしきワイバーンが声を上げる。

  その混乱に乗じてアージェントたちは襲撃をかけた。

  混乱が収まる頃には敵軍の多くは、その場を逃げ出そうとしたためにワイバーンの兵に制裁される形で壊滅状態にまで減っていた。

  ジャンヌは、いつしか敵を倒すことを止め逃げる兵士をワイバーンから守る様になっていた。

  「この、人間があああ!」

  三人目のワイバーンを斬り伏せた時、突然後ろから上がった怒号に振り返ると、ワイバーンがかぎ爪を前に突き出しながらこちらに滑空してくるのが見えた。

  かぎ爪をかわし相手の脇腹目掛け剣を振る。

  重厚な金属で作られているらしい白剣は、魔物の硬い鱗を木の皮の様に切り裂いたが、致命傷とまではいかなかった。

  相手は大きく半円を描き方向転換すると再び向かって来た。

  二度目の攻撃にジャンヌは剣を強く握り身構えた。

  しかし、その時だった。

  「かかったな、小娘」

  背後から、また別の声が聞こえた。

  とっさに振り返ると、もう一人のワイバーンが前の魔物と同じ様に攻撃態勢で飛び込んでくるのが見えた。

  ジャンヌは避けようと身をよじったが、足がもつれその場に倒れてしまった。

  前と後ろからかぎ爪がすぐそこまで迫っている。

  彼女は死を覚悟し目を閉じたが、次の瞬間爪とまた違った衝撃とともに身体が宙へ突き飛ばされる感覚が全身を襲った。

  重力に引かれ全身を地面に打ち付ける。

  痛みを堪えつつ目を開けると、アージェントが負傷し倒れる二人のワイバーンを背にこちらを見ていた。

  彼の剣は血で真っ赤に染まっていた。

  「大丈夫か?」

  「何とか…」

  ジャンヌは、差し出された手を握りながら答えた。

  「撤退だ! ワイバーンどもが皆やられちまった!」

  どこからか、甲高い声が聞こえバタバタと慌ただしい音が辺りに響いた。

  周囲を見回すと、声の主の言う通りワイバーンがちょうど十人倒れていた。

  皆、一様に深い傷を負い、まともに戦えそうな状態ではなかった。

  「追いますか?」

  いつの間にか近くに来ていたガウェインがアージェントに問いかけた。

  彼の纏う鎧にも大量の血がついている。

  「いや。ヤツらは無理矢理領地から徴兵された農民だろうから、放っておいても脅威にはならない」

  魔物の貴族は、そう答えると踵を返し陣地へ歩き始めた。

  ジャンヌは、そんな彼の後姿を見てあることに気づいた。

  「アージェント様、血が!」

  彼女は思わず叫んだ。

  「ん? ああ、これか」

  アージェントはそう言いながら左手で右の肩を触った。

  対したことはないと言わんばかりの口調だったが、そこは服とともに皮膚が大きく裂け大量の黒い血が脈打つように流れていた。

  「すぐに手当てしないと」

  ジャンヌは、彼の元へ駆け寄りながら言った。

  「大丈夫だ。対したケガじゃない」

  アージェントは、そう返すと肩を押さえながら逃げるように歩いた。

  「嘘。そんなに血が出てるのに大丈夫なはずないじゃない」

  ジャンヌははねつける様に言うと、逃げる魔物の手を掴んだ。

  「とにかく止血と消毒はしないと。化膿でもしたら大変」

  相手に言い聞かせるように彼女はつぶやくと、持ってきたポーチに手を伸ばした。

  「良いと言ってるだろ!」

  突然アージェントが声を上げ手を振った。

  軽く手を払うだけのつもりだった。

  だが、彼の手は勢い余ってジャンヌの顔に当たった。

  「あっ!」

  鋭い爪が当たったのか、彼女の頬から赤い血が一筋流れ襟に落ちた。

  魔物の顔が動揺で強張り、少女の顔は怒りで険しくなった。

  「何するのよっ!」

  ジャンヌは、そう叫ぶなりアージェントの頬に平手を喰らわせた。

  柔らかい。魔物にとっては痒い程度にしか感じない一撃だったが、それでも彼は全身に強い衝撃が走るような気持ちになった。

  「そこまで言うなら良いわよ! もう知らないから!」

  彼女はまくしたてる様に声を吐き出すと、ポーチから取り出した茶瓶の中身を目の前の魔物に向けてぶちまけた。

  瓶のラベルには消毒液と書かれていた。

  「行こうガウェイン」

  始終呆然と眺めていたガウェインは、ジャンヌの言葉にハッと我に返ると先へ行く彼女の背とその場に立つアージェントを交互に眺めた。

  「しばらく一人にしてくれないか?」

  アージェントの言葉に王国騎士は渋々うなずくとジャンヌの跡を追って歩き出した。

  

  [newpage][chapter:「針鼠あるいは山嵐の葛藤」]

  「はい。これで大丈夫」

  ヘラは、そう言いいながジャンヌの頬にガーゼを貼り付けた。

  「ありがとう」

  彼女は礼を言いながら、沁みる傷口に伸びそうになった手を下に降ろした。

  斥候隊の活躍のおかげで死者が出なかったためか、アンドバリ家の襲撃から一夜明けた屋敷は先日までの緊張感が嘘だったかの様な穏やかな空気が流れていた。

  「何だか、いつもより静かだね」

  「今までずっと忙しかったからね」

  何気なく発した言葉にヘラはうなずきながら答えた。

  「王国騎士の皆もまだ寝てるみたい。国王も、今日は特別に容認するって言ってたわ」

  「そうなんだ…」

  ジャンヌは、相づちを打ちながら姿勢を正した。

  一瞬、沈黙が流れる。

  「アージェントのこと、まだ怒ってる?」

  「えっ?」

  ヘラの突然問いかけにジャンヌは思わず戸惑った。

  「いや、別にそもそも怒ってないし…」

  「でも、昨日はずっとピリピリしてたみたいだったけど?」

  「あれは、何て言うか…戦闘で気が立っていたというか…。

  まあ、アージェント様のああ言う頑固なところはどうかと思いますけど…」

  そこまで言って彼女は目の前のヘラが意味ありげな笑みを浮かべながら自分を見ているのに気づいた。

  「なんですか、その顔?」

  「別に」

  ヘラは、わざとらしくはぐらかすと、椅子から立ち上がった。

  「まあ、怒ってないならちょうど良いわ」

  彼女は、そう言いがら近くにあった銀盆に手を伸ばした。

  銀盆の上には水差しといくつかの治療具が乗っている。

  「私は、これから食事の準備があるからアージェントの傷の具合診てきてくれない」

  [newpage]

  ※

  「いつまでそうしてるつもりだ、アージェント?

  今日は来客があるんだろ?」

  アーサーは半ば呆れた口調で目の前の布団の塊に尋ねた。

  「ローズに来客の際には知らせるよう言ってある。

  心配せずとも出迎えはするよ」

  塊の中からくぐもった声で返事が返ってきた。

  「とてもじゃないが、安心できる要素が一つもないんだけど」

  「公私の区別はわきまえている」

  「だったら今すぐに僕の前で公の状態になってくれないか?」

  「今は、そんな気分じゃない」

  「…」

  アーサーは、喉まで出かかった数々の言葉を呑み込んだ。

  こうなっては、アージェントはテコでも動かないのは昔から知っていたし、何よりも今の自分は目の前に鎮座する布玉の友人である以上に国王だ。

  「ああ、もう。分かったよ。

  その代わり、来客が来るまでにはその鬱陶しい布の塊はがしておけよ」

  アーサーは説得をあきらめ、それだけ言うと部屋の主に背を向けた。

  しばらくしたら、また様子を見に行こうと思いながら、扉をくぐる。

  すると、意外なジン物と鉢合わせた。

  昨夜、アージェントと大喧嘩をしたばかりのジャンヌだった。

  「あ、おはようございます」

  ジャンヌは、たどたどしい言葉で言った。

  「ああ、おはよう」

  アーサーは、軽い調子で答えると開け放しになっていた扉からさっき出た部屋を盗み見た。

  アージェントはまだ布団の中に引き籠っている。

  「アージェントに用?」

  前に視線を戻しジャンヌに尋ねる。

  「ええ」

  彼女は小さくうなずいた。

  どうやら、昨日の事はそれほど気にしていない様だ。

  アージェントも彼女を見習ってほしいモノだなどとアーサーは胸の内で一人愚痴をこぼした。

  「まことに遺憾であり不本意極まりないですが、ヘラからの指示なんで、いたしかたなく来ました」

  前言撤回。この子もこの子で相当面倒くさい。

  王国騎士や側近たちに彼らの様なヒトがいなくて心底安心する。

  「そ、そうか。まあ、仕事だと思って頑張りたまえよ」

  何とも言えない空気に胃の痛みを感じ始めた。

  アーサーは無理矢理会話を切ると逃げる様にその場を立去った。

  [newpage]残されたジャンヌはため息をついた。

  「仕事、かあ…。まあ、王様の言うことも一理あるよね」

  そうつぶやきながら王が開け放したままにしていった扉の中を覗き見ると、ベッドの上の布団の塊が視界に入った。

  「アージェント様、傷の具合を見に来ました」

  ジャンヌは布の塊に向かって言った。

  返事はない。 ので、勝手に入って布団の撤去を始める。

  端を持って引っ張ろうとすると、中のアージェントが布団を掴み抵抗し始めた。

  「もう、大丈夫だから放っておいてくれ」

  中からこもった声がした。

  「イヤです。私だって仕事で仕方なくやってるんですか」

  ジャンヌは布団を持つ手に力を込め言った。

  傭兵時代は痛みで暴れ回るソラを抑え込んで治療したこともある。これくらいは造作もないことだ。

  彼女は抵抗するアージェントにかまわず布団を引き剥した。

  「いやあああああ!」

  甲高い悲鳴。

  「変な声出さないで下さい!」

  思わず抗議してからジャンヌは、彼の姿が普段と違うことに気づいた。

  頭部からは普段と同じ鹿に似た角に加え牛や山羊のような湾曲したツノが計四本増えていて、背中からはコウモリのような翼が二対も飛び出している。

  いつもの二倍以上に膨らんだ身体は心なしか首や胴が若干伸びているようにも見える。

  普段のアージェントの姿を人狼と呼称するなら、今の彼は〝狼竜〟とも呼べる姿の様に思えた。

  「見ないでくれ…」

  ジャンヌが呆然と見つめていると、突然アージェントがか細い声でつぶやきながらベッドのシーツを腰回りに引き寄せ始めた。

  「もしかして、今裸なの?」

  ジャンヌの問いにアージェントは無言でうなずいた。

  「この姿になることは滅多にないから、あまり準備してないんだ」

  「あまりと言うことは、多少はあるんですね?」

  「一応、緊急用に礼装なら…」

  「どこに?」

  「クローゼットに…」

  「来客前なのに準備すらしてないのですか?」

  「…申し訳ない」

  ジャンヌのただならない様子にアージェントは思わず頭を下げた。

  「とにかく傷の手当てを始めましょう。それから、すぐに服を準備します。

  良いですね?」

  有無を言わさぬ勢いで言われ、アージェントはうなずくことしかできなかった。

  「はい…」

  「では、後ろを向いて下さい」

  「はい…」

  目の前の使用人の言葉に素直に従いアージェントはクルリと後ろを向くと自身で包帯を外した。

  ジャンヌは、主人の元に這い寄ると傷のある肩に指を滑らせた。

  白金を思わせる硬質そうな見た目に反し滑らかな獣毛の手触りに思わずドキリとする。

  「…」

  突然、アージェントが背をピクリと震わせた。

  「痛かったですか?」

  「いや」

  彼は首を振った。

  「続けてくれ」

  ジャンヌは言われた通り触診を続けた。

  昨夜ヘラが適切に処置してくれたのだろう。化膿など大きな問題もなさそうだ。

  手早く消毒だけ済ませ、煮沸しておいた新しい包帯で再び傷を覆った。

  「じゃあ、後は着替えですね」

  「うん…」

  アージェントは今までにないほど穏やかな声で答えながらうなずいた。

  「服は自分で着れるから、大丈夫」

  彼はそう言うと腰にシーツを巻いたまま立ち上がりクローゼットに向かった。

  ジャンヌはしばらく後ろから着替えの様子を見ていたが、ケガをした方の腕の動きがぎこちないのを見てそこだけは手伝うことにした。

  礼服ゆえの複雑な構造に手こずらされたが、何とか終わらせると二人は一仕事終わらせたと言った様子でベッドにドッカリと腰を下ろした。

  ジャンヌは一息つき、着替えを終えたアージェントを見上げた。

  黒い布地に金の刺繍をあしらった彼の姿は、裸の時よりも威厳深く神々しくさえ見えた。

  心なしか表情も引き締まって見える。

  再び心臓が跳ね返りジャンヌは慌てて視線を逸らした。

  「ジャンヌ…」

  名前を呼ばれ今度は身体が跳ね返りそうになった。

  ドキドキと鼓動が耳元まで聞こえてくる。

  今まで経験したことのない感覚に戸惑い振り返れすにいると、突然アージェントが手を近づけてきた。

  「お前は大丈夫なのか? その、キズ…」

  黒い鱗に覆われた大きな手が顔に近づき、鋭い爪のついた指が頬の傷を撫でた。

  「っ!」

  ピリリと痛みが走りジャンヌは声を漏らした。

  「す、すまない!」

  アージェントは手を引っこめながら謝罪した。

  「そんな触られ方したら、誰でも痛いです」

  ジャンヌは頬をさすりながら抗議したが、痛みとともに怒りも自然と引いていった。

  「もっと優しく触ってください」

  彼女は、宙をさ迷う魔物手を握り自分の顔に近づけた。

  掌が頬に触れ、ガーゼ越しに温かい体温がキズに滲んだ。

  「柔らかいな…」

  アージェントはポツりとつぶやいた。

  「人間は…いや君は、どうしてこんなに柔い肌なのだろう?

  あんなにも強いのに、君の身体は怖いくらいに脆い」

  「それって、悪口ですか?」

  「あ、いや、そういうつもりでは…」

  魔物は言い淀みながらもう一方の手を伸ばし、両の手で隣に腰かける人間の少女の手をそっと包み込んだ。

  視界が黒一色に染まったが、不思議とジャンヌは怖いと思わなかった。

  「初めてあの戦場で君を見つけてから思っていた…」

  再びアージェントがつぶやく。

  「ジャンヌ、君は本当に―」

  大きな獣の顔と小さな人間の顔が鼻先が重なり合うほどに近づく。

  

  [newpage][chapter:「魔王到着」]

  「アージェント、来客よ」

  突然ローズが部屋に入り込んできた。

  ジャンヌとアージェントは、慌てて離れるとベッドの端と端に移動した。

  「あれ、もしかしてお取込み中だった?」

  ローズはそんな二人の様子を見るとバツの悪い顔で肩をすくめた。

  「「そんなんじゃない!」」

  ローズの問いかけに二人は声をあわせて答えた。

  「いや、そんなに強く否定されても匂いで丸分かりだし…」

  「だから、違う!」

  「えっ、ちょっと待って匂いって…」

  「いや、ローズの言いたいことは、たぶん…。って、どこを見てるんだジャンヌ?」

  「あっ…」

  「あ、いや、これはその…」

  「もうすぐ来客だから早めに大人しくさせてね」

  「ロォォォォォォォズ!」

  ※

  「それで、誰が来るんだ?」

  屋敷の玄関でアージェントが右隣に立つローズに尋ねた。

  来客を迎える前だと言うのに、その目は隠しきれない疲労感がにじみ出ていた。

  左隣ではジャンヌが顔を真っ赤にしてうつむいていた。

  「ニヴルヘイム国皇帝モデナよ」

  ローズの返答にアージェントは目を丸くした。

  「伯母上が? 予定よりだいぶ早いな」

  「まあ、あの方にも思うところがあるのでしょうね」

  「だろうな。しかし、これで余計な横槍も相当大人しくなるだろう」

  「それは間違いないでしょうね。まあ、貴方の仕事はかなり増えるでしょうけどね」

  そこでローズは言葉を切り、何かに気づいたように上空を見た。

  「あ、ほら。来たわよ」

  彼女の言葉に目を上空へ向けると、大きな黒い影が青空の中を漂っているのが見えた。

  距離はまだだいぶ離れていたが、巨大な竜のシルエットをハッキリと確認できる。

  アージェントは、使用人たちの並ぶ列から外れると向かい側の王国騎士たちの列に交じっていたアーサーとともに前に立った。

  竜は空の上をゆっくりと一度旋回すると、二人の立つ場所に向かって舞い降りた。

  そのあまりの巨躯にアーサーは思わずたじろぎそうになった。

  地上に降りた件の魔物の背から大人の竜が飛び降りたが、それすら件の魔物の子どものように見えてしまう。

  後ろで誰かが息を飲む声がしたのも無理のないことだろう。

  先に降りた竜を先頭に数人の魔物の兵士が降りてきた。

  「それで、あれがニヴルヘイムの王か?」

  アーサーは、最初に降りてきて黒竜を見ながらアージェントにこっそりと尋ねた。

  「いや違う。しかし、あの方が伯母上と一緒とはな…」

  「どういうことだ?」

  王がそう問いかけた時、兵士たちを乗せてきた巨竜が近づいて来た。

  二人は会話を中断し赤黒い鱗の巨竜に向き直った。

  「今宵の月夜が安らかであることを、アーサー・ティアトル・ドレイク ミズガルズ国国王陛下。

  私が、ニヴルヘイム帝国帝王 モデナ・ニーズホッグ・サーペントロードです。

  此度は和平の申し出の受理を感謝するとともに先の大戦並び道中の旅での数々の苦難を心よりお悔みいたします」

  竜は見た目に似合わない透き通るような声でそう流暢に語ると長い首を曲げながら額を地面にこすりつけた。

  アーサーはまさかの王の正体に驚きながらも返礼のため即座に跪いた。

  「明日の太陽が何よりも輝かしいモノであること、モデナ・ニーズホッグ・サーペントロード ニヴルヘイム帝国帝王殿。

  身に余る心遣い、感謝いたします」

  [newpage]

  ※

  王同士の挨拶が済むと、ニヴルヘイム帝国の兵士のためささやかな宴が開かれた。

  二人の王とアージェントは、例のように今後の段取りを話しあうため席を外していた。

  宴の間、ジャンヌはモデナの背から最初に降りてきた黒竜の給仕をしていた。

  「しかし、驚きましたよ。まさかソラ様がニヴルヘイムの王様と一緒にいらしてたなんて」

  彼女の言葉に黒竜は楽しげにほくそ笑みながらブドウ酒を口に運んだ。

  「その敬語は何かの嫌味か?」

  「いえ、ただ客人に失礼のないようにしているだけですよ」

  そう言うジャンヌの声はだいぶ刺々しいモノだった。

  「勝手に出て行ったことは謝るよ。ただ、あの時はそうする方が最善だと思ったんだ。

  別にお前をないがしろにしたかった訳じゃないんだ」

  ソラはそう言うと、飲み干したグラスをテーブルに置いた。

  「別に置いてかれたことには怒ってませんけど、せめてそれらしい伝言とかは残して欲しかったです」

  ジャンヌはグラスにブドウ酒を注ぎながら言った。

  「すまない。あの時は余裕がなくてな…。

  まあ、こっちに来てくれ」

  黒竜はそう言うとグラスを持ったまま二本足で立ち上がり、ゆっくりと歩き始めた。

  彼に案内されついて行くと、小さな個室についた。

  ソラは個室の中に置かれたテーブルの前で身体を丸めると、ジャンヌに席を勧めた。

  彼女は言われた通りに竜の向かい側にあったイスに腰を下ろした。

  「さて、どこから話したモノか…」

  ソラはそうつぶやくと、ブドウ酒を一口飲み再び話し始めた。

  「そう言えば、まだ私の出自を語ってなかったな」

  「傭兵団でも深入りしないのが決まりみたいな感じでしたからね」

  ジャンヌはそうつぶやきながら、予備にと持ってきたグラスにブドウ酒を注ぎ口に含んだ。

  「そうだった。まあ、それは良いとして私の出自だったな。

  実は、私はモデナ―ニヴルヘイム帝王の実弟なんだ」

  「実弟、と言うことは王族と言うことですか?」

  「まあ、そうなるが。あまり驚かないんだな」

  ソラは目を丸くしながら言った。

  「少しは驚いてますけど…。アージェント様といるからですかね?」

  「そう言えば、彼も王族だったな。私から見たら甥のようなモノか」

  「それで、その王の実弟が何故傭兵団を?」

  「弟と同じさ。ちょっと王族暮らしが息苦しくてね。

  もっとも、姉上は家出こそ許してくれたが勘当はしてもらえなかったな。

  先の戦争でも、いつの間にかスパイに利用されてしまったしな…」

  「つまり最初からミズガルズに付くつもりでなかったのですか」

  「結論から言ううと、そうなるな。

  ただ、コレだけは信じてくれ。俺は、お前たちを謀った訳でない。

  むしろ、お前たちを守りたくてスパイを買って出たんだ。

  まあ、あんな事の後では信用も何もないだろうがな…」

  ソラはそこで言葉を切り、ブドウ酒を一気に飲み干した。

  「私は信じますよ。みんなも、きっと理解してくれると思います」

  ジャンヌはそう言うと空になったソラのグラスにブドウ酒を注いだ。

  「実際、私を毒竜の攻撃から守ってくれたのはソラだし、あの戦争で死者が出なかったのは私たちの傭兵団だけだし…」

  「でも、皆の心に深い傷を残してしまった…」

  竜はそう言うと、うなだれた。

  一瞬の重い沈黙。

  「もう、あの話は止めましょう」

  ジャンヌは暗い雰囲気をかき消すように声を出した。

  「結果がどうであれ、もう終わった事でしょう?

  それより、今までのこと聞かせてよ。

  帝王と一緒だったってことは、何か面白いことしていたんでしょう?」

  「別に面白いことなどないさ。王国の視察と両国の反和平派の討伐くらいさ」

  「じゃあ、それを聞かせて」

  ジャンヌは目を輝かせながら言った。

  

  [newpage][chapter:「夜襲」]

  ファング家の屋敷の奥に設えられた一際大きな一室。そこがニヴルヘイム帝国の帝王たるモデナにあてがわられた部屋だった。

  先代ファング家当主の弟が兼ねてから彼女のために準備していたと言うその客間は、趣味のよい家具や装飾で彩られており故郷の自室のような安心感があった。

  「それで、あの子が噂の新しい使用人?」

  モデナは、目の前で赤い液体の入ったゴブレットを愛おしげに見つめるローズに尋ねた。

  液体から漂う金臭い匂いが鼻を突いたが、あえて黙っていることにした。

  「ええ、そうよ。とてもいい子でね、ミラも近い歳の子と話せて嬉しそうにしてるわ」

  ローズはそう答えると、液体を口に含んだ。

  「心なしかあの子の血も前よりまろやかになったみたい」

  「ふうん」

  モデナは相づちを打ちながら故郷から持ってきた菓子を口に運んだ。

  「それにしても、あのアージェントに恋人がねえ」

  黒竜は感慨深げにうなずいた。

  「あ、そう言えば」

  ローズは、ふと思い出したように口を開いた。

  「迎えの時の彼見た?」

  「見た見た! しっかり手繋いでたよね」

  モデナは嬉々として声を上げた。

  「あの子たち、どっちも否定してるけど、匂いでバレバレなのよねえ」

  クスクスと笑いがらローズは言った。

  「本当ねえ。発情しきってて、こっちまでクラクラししゃいそうよね」

  「モデナは今日来たばかりだから良いけど、私なんかここ数日、ずっと嗅ぎっぱなしなんだからね。

  王様や貴方には申し訳ないけど、ちょっとハプニングでもあれば良いんだけどね」

  「ハプニング、ねえ…」

  モデナはそうつぶやくと、アゴに手を置いた

  「ちょっとしたことなら、起こせなくもないけど…」

  「貴方、王位継いでから怖いことサラッと言う様になったよね」

  「まあ、仕事柄かな。

  ああ、でも前みたいな馬鹿な事はしないから安心して」

  吸血鬼の言葉に黒竜は寂しげな笑みを浮かべながら言った。

  「もっとも、アレを提案した彼がこの状況を黙って見ていないと思うけどね…」

  [newpage]

  ※

  一方その頃、ジャンヌはソラとの談笑を終え他の使用人たちの手伝いに向かおうと廊下を歩いていた。

  彼は所々言葉を濁しながらも心躍るような話を聞かせてもらった。

  反和平派の貴族の鎮圧や終戦の混乱に乗じて勢力を広げようとした賊の討伐。

  王都への視察の話はアージェントに話したら喜んでくれるだろうか?

  そんなことを考えながら歩いていると、今さっき思い浮かべていたジン物が目の前を横切ったのが見えた。

  人狼姿に戻っていたアージェントは外出用の服をまとい腰に剣をつけていた。

  「アーージェント様」

  ジャンヌが呼びかけると、彼は驚いた様に振り向いた。

  「ああ、ジャンヌか。

  叔父上の給仕はもう良いのか?」

  「ソラ様なら先程ご自身の部屋に行きました。

  アージェント様は今からどちらへ?」

  「散歩…」

  言いかけたアージェントはジャンヌの鋭い視線に気づき言葉を飲みこんだ。

  「ああ、いや。君に隠し事は無意味だったな。

  和平の準備が整いつつあるので、少し屋敷の周りを警戒しておこうと思ってな」

  「なるほど。確かに今の状況は反和平派にとってはある意味好奇ですからね」

  これから和平を結ぼうとする二国の王が一ヶ所に集まっている中、どちらかあるいは両方の暗殺などがあれば事態は簡単に悪化するだろう。

  仮に暗殺が失敗に終わったとしても、和平に亀裂が入るのは想像に難くない。

  「それにアンドバリが一回の襲撃で諦めるとは思えぬからな」

  アージェントは思案顔でつけ加える様につぶやいた。

  「では私も同行します」

  ジャンヌは食い込むように言った。アージェントは小さくため息をついた。

  「どうせ断ってもついて来るのだろう? まあ、誰か一人は同行させようかと思っていたから、ちょうど良いが」

  彼はそこで言葉を切り、一瞬思案する素振りを見せると再び口を開いた。

  「玄関で待っているから、仕度を済ませて来てくれ。

  あと、ついでにヘラに偵察の旨を伝えておいてくれないか? 今なら使用人部屋にいるはずだから」

  「分かりました。

  すぐに済ませるので、勝手に先に行ったりしないで下さいね」

  「…っ!

  我は誠実な貴族だ。そんな小賢しい真似はしない」

  「そうですか? アージェント様ならやりかねないと思っているんですけど…」

  「なっ!」

  これ以上無駄話をしていてる時間もない。

  ジャンヌは、反論される前にそそくさとその場を立ち去った。

  音を立てない様早足で自室に戻ると、使用人の服を脱ぎ賓客到着以来袖を通していなかった普段着用の服をクローゼットから取り出した。

  装飾のない簡素なシャツとズボンは、待っていたとばかりにすんなり身体に馴染んだ。

  着替えを済ませると、今度はベッドの方へ向かいそばに立てかけてあった剣を手に取った。

  もう一か月以上も前になる。この地につれて来られて始めて襲撃を受けた際アージェントから貰った白く輝く剣だ。

  襲撃の翌日に返そうと思ったが、彼は首を振ってそれを断った。

  〝それは、ジャンヌお前が持っている方が相応しい。どうか正しい道に使ってくれ〟

  あの時、アージェントに言われたことは難解で理解できなかったが、そんなことを言われながら譲られた手前断ることもできず結局剣は彼女の手元に残ることとなった。

  「本当に私に相応しいのかな?」

  部屋を出て長い廊下を歩きながらジャンヌは独りつぶやいた。

  確かにこの一か月使い続けていて手の内にある剣は、先の大戦でなくした剣以上に手に馴染んだが、装飾品のような美しさは粗野な自分にはどうしても不釣り合いに思えてならない。

  「やっぱり、返した方が良いよね…」

  これだけ美しい剣だ。きっとファング家の大事な宝の一つに違いない。

  そんなモノを自分が持っていいはずがない。

  明日にでもアイバー村で新しい剣を買って、この剣はお返ししよう。

  そう決心しジャンヌは歩く速度を速めた。

  [newpage]

  仕様人部屋に着いたジャンヌは、ヘラにこれからアージェントと見張りに行くことと明日少しの間だけ暇をもらうことを告げた。

  「分かったわ。道中気をつけてね。

  あと、明日は中立領の領主が三人正午に来る予定だから、できれば早く戻ってきてね」

  「うん。分かった」

  ヘラの言葉にジャンヌは了承の意をこめてうなずくと、その場を後にし玄関へ向かった。

  玄関ではアージェントが落ち着かなげな様子で待っていた。

  「遅くなりました」

  ジャンヌは彼の方へ駆け寄りながら言った。

  「いや、気にするな。我も今来たところだ」

  アージェントは、そう答えると玄関の方へ目を向けた。

  「それじゃあ、行こうか」

  「はい」

  屋敷の外の森は、不気味なまでに静まりかえっていた。

  以前は王国騎士の面々も同行していたから余計にそう感じるのだろう、とジャンヌは考えた。

  だが、アージェントの見解は違うようだった。

  「静かすぎるな…」

  彼は、ポツりとつぶやくと立ち止まり辺りを見回した。

  「獣の声が聞こえない。それに草木も今日はやけに口数が少ない」

  「草木…」

  ジャンヌは、手を当てつつ耳を澄ませたが、何も聞こえなかった。

  どうやら、アージェントには他者には知覚できない声が聞こえているらしい。

  だが、獣の声を聞かないのは確かに異常な状態だと思った。

  「やはり、誰か潜んでいるのでしょうか?」

  ジャンヌが問いかけると、アージェントは小さくうなずいた。

  「恐らくは、な」

  と、その時だった。

  ガサガサ―

  突然、背後の草むらが音を立てジャンヌは後ろに引っぱられる様な感覚に襲われた。

  「ジャンヌ!」

  アージェントの呼ぶ声が、あっという間に遠ざかった。

  

  [newpage][chapter:「激情」]

  気がつくとジャンヌは森の深いところで大柄のリザードマンに後ろから羽交い絞めにされていた。

  手で口元を抑えられているため、声が出せない。

  待ち伏せされたと気づくのに時間はかからなかった。

  まもなく、木々の間から魔物の集団が姿を現した。

  彼女を拘束している者と同じリザードマンもいれば、ゴブリンやオークなど様々な種族も入り混じっており中にはワイバーンの様な大型の種族も交じっている。

  「何とか護衛は捕まえられたな」

  集団の中の誰かが口を開いた。

  「ああ。コイツを餌にすれば、アージェントも簡単に殺せるだろう」

  別の誰かが答えた。

  〈なるほど、私は人質か〉

  だったら話は早い。

  ジャンヌは現状を把握すると、自身を拘束している魔物の足を踏みつけた。

  「グッ!」

  わずかに拘束が緩んだ隙をついて頭を勢いよく後ろに振り相手の鼻面に頭突きを喰らわせる。

  リザードマンは悲鳴を上げながら後ろに倒れた。

  ジャンヌは、倒れた魔物を蹴りつけ素早く駈け出した。

  引きずられた方とは逆の方向へ。アージェントから遠ざかる様に。

  「追いかけろ! 計画が失敗すれば、アンドバリ卿に八つ裂きにされるぞ!」

  恐怖と焦りと怒りの入り混じった声を尻目に彼女は走り続けた。

  森のなるべく深いところ。ワイバーンたちが追いかけて来れないような鬱蒼としたところへ。

  どれだけ走り続けただろう。

  心臓が破裂するほど早鐘を打っている。

  ジャンヌは、ようやく立ち止まると息を整えながら後ろを振り返った。

  アンドバリの兵士たちが、こちらに向かって近づいて来る。

  木の影に隠れ見えないが上空ではワイバーンの翼が風を切る音が聞こえる。

  「俺たちから、生きて逃げられると思うなよ人間」

  先頭付近にいたリザードマンが言った。

  鎧の装飾から見るに相当高い身分の様だ。

  「もとから逃げられるなんて思ってないよ」

  ジャンヌは、つぶやく様に答えた。

  魔物は驚いた様に片方の眉を上げた。

  「なるほど、囮か?

  だが、お前にはキッチリ人質の役をこなしてもらうからな」

  彼はそう言うと、脅しのつもりか剣を前に突き出した。

  しかし、その言葉にジャンヌは不敵な笑みを浮かべただけだ。

  「貴方たちに私を捕まえることはできないよ」

  〈生きたまま捕まえることはね…〉

  彼女は心の内を続けると剣を抜き構えた。

  「虚勢を張っていられるのは、今の内だけだぞ」

  指揮官らしき魔物はそう言うと、ジャンヌに向かって斬りかかった。

  他の魔物も彼の後に続く。

  ジャンヌは最初の魔物の攻撃を左腕の手甲で受け止め、続けて別の魔物が突き出した武器を剣で薙ぎ払った。

  「何っ?」

  薙ぎ払いの勢いのままに驚く司令官の頭に向かって剣を振り下ろす。

  白い残光を放つ一撃は兜にはじかれ致命傷に至らなかったが、重い打撃で相手を昏倒させるには十分だった。

  「隊長がやれた!」

  どこから叫び声が上がった。

  集団のあちこちから不安の声が聞こえてくる。

  それと同時に兵士の中の何人かが闇雲に武器を振り回しながらジャンヌに向かって突っ込んできた。

  彼女はそれ軽くあしらいながら、次々と兵士を戦闘不能にさせていった。

  「だいぶ減らせたかな…」

  ジャンヌは周囲を取り囲む兵士たちを見回しながら独りつぶやいた。

  ソラの加護で強化されているとは言え、一人で数十人の魔物を相手に戦い続けたせいで肉体が限界に近づき始めていた。

  防御に使っていた手甲は既にボロボロになり、腕の感覚もない。

  〈せめて、ワイバーン以外は全員倒さないと〉

  そんなことを考えていると魔物たちが再び一斉に襲いかかって来た。

  一瞬反応が遅れ剣を振るう手が鈍った。

  最初に突貫したオークの戦鎚が脇腹に食い込む。

  「!」

  激痛が走り、喉から鉄臭い臭いが込み上げた。

  ジャンヌは血を吐きながら向かって来たオークの頭を殴りつけた。

  魔物の兵士はその場で白目を向いて倒れた。

  再び動揺する集団に向かって剣を振り、五人をまとめて斬り伏せる。

  それで限界だった。

  激しく咳き込みながら、ジャンヌはその場に膝をついて倒れた。

  好機と見た魔物たちが向かって来る。

  完全に我を忘れ彼女を生きたまま捕えると言う本来の使命を忘れている。

  「さあ、殺しなさいよ…」

  ジャンヌは不気味な笑みを浮かべながら言った。

  このまま人質になってアージェントたちの枷になるくらいなら、ここで殺される方がずっとマシだ。

  彼女は死を覚悟して目を閉じた。

  [newpage]その時―。

  「ウオオオオオオオオオオオオオオオ!」

  森全体を震わせる程の怒号とともに竜狼姿のアージェントが突然木々をなぎ倒しながら姿を現した。

  その赤い眼は怒りにギラギラと輝いていた。

  「ジャンヌゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!」

  彼は再び声を上げ、辺りを見回した。

  木々が倒されたことで視界が開けたワイバーンたちが真っ直ぐ彼の方へ向かって降下してきた。

  「アージェント、逃げて!」

  ワイバーンたちの動きを見てジャンヌは叫んだ。

  だが、空の魔物は相手が動くよりも早く攻勢に出た。

  ある者は爪や牙で、またある者はそのやじり型の鋭い尾でアージェントの身体を抉り、その銀色の毛皮を黒く染めた。

  「アージェント!」

  ジャンヌは悲鳴を上げた。

  しかし、怒りで感覚が鈍っているのか、アージェントは唸り声を上げながらそのまま反撃に出た。

  身体に突き刺さっている数本の尾を両手でまとめて掴んで引き抜くと、そのままワイバーンの身体ごとフレイルの様に振り回しながら投げ飛ばした。

  不幸な歩兵が数人振り回された巨躯に弾き飛ばされ昏倒した。

  アージェントは地面や近くの木にぶつかり気絶した魔物たちを一瞥すると残りのワイバーンに目を向けた。

  魔物たちの目は完全に恐怖に染まっていた。

  「許サナイ…」

  アージェントは唸り声交じりにつぶやいた。

  兵士たちは、ジリジリと後じさった。

  「貴様ラ、全員八ツ裂キダアアアアアアア!」

  彼の声に弾かれた様に兵士たちは散り散りになった。

  逃げる魔物たちを容赦なく追撃するアージェント。

  と、一人のワイバーンが彼の前に立ちふさがった。

  「お前たちは逃げろ!」

  彼は逃げる兵士たちに向かって叫ぶと、アージェントに向かって行った。

  アージェントは、飛び込んできたワイバーンの巨体を受け止めると、翼に掴みかかり一気に引き千切った。

  「グアアアアアアア!」

  吹き出した鮮血が、アージェントの身体を朱に染めた。

  「アージェント、もう止めて!」

  ジャンヌは、力いっぱいに叫んだ。

  血が再び喉を這い上がり口の中にあふれた。

  「全員、武装を解け!」

  どこからか、別の声が上がった。

  だが、今はそんなことを気にしている余裕はない。

  口中のモノを吐き出し、彼女は半ば這う様にアージェントに向かって近づいた。

  アージェントは、彼女の姿を見つけると慌てて駆け寄ってきた。

  「ジャンヌ、動くな!」

  彼は、ジャンヌの身体を掻き抱きながら言った。

  その目からは怒気の色が薄れつつあった。

  「大丈夫。私は、もう大丈夫だから…」

  ジャンヌは大きな彼の腰に手を回しながら言い聞かせる様に言った。

  アージェントは、手を彼女の背に添えた。

  震えている…。

  「アージェント・フェンリル・ファング卿」

  その時突然、呼びかける声がありアージェントは渋々声の方に目を向けた。

  声の主は、ジャンヌが最初に気絶させた司令官のリザードマンだった。

  彼は、兜を脱ぎ剣を地面に置くとその場で跪いた。

  「我々の完敗でございます。

  主君の命とは言え此度の無礼と伴侶殿の命を奪おうとした責は私一人にあります。

  この命は喜んで貴方様に捧げますので、どうか配下の者たちには寛大なご対応をお願いいたします」

  そう言うとリザードマンの司令官は深く頭を下げた。

  周りの兵士たちも彼の周りに集まり同様に跪いた。

  アージェントは何も言わない。

  長く重い沈黙。

  ジャンヌは、依然として口を閉ざしてる彼の手を引いた。

  赤と青。二人の目があう。

  言葉は交わさないが、アージェントは彼女の言わんとしてることを理解してうなずいた。

  「…分かった」

  アージェントはそう言うと、魔物の兵士たちの方を見た。

  「我は、今この時を持ってお前たちの無礼を一つ残らず赦そう。

  ただし、次また狼藉を働こうものならば、その時は死よりも恐ろしい罰が待っていると心得よ」

  彼の言葉に司令官は頭が地に埋まるほど深く頭を下げた。

  「勿体なき寛大なお心、感謝いたします」

  「分かったなら。今すぐ我の視界から消えろ。

  それから、今日はこのすぐ近くの村の酒場に泊まれ。

  〝アージェント・フェンリル・ファングの寛大な心によりしばしの滞在を許された下賤の者と〟名乗れば、主人がわずかな路銀でとめてくれるはずだ。

  忠告しておくが、村の者に傷一つでも負わせようモノなら、それ相応の罰を覚悟をしておけ」

  アージェントのその言葉に、司令官は目を大きく見開き再び頭を下げた。

  「イエス、マイロード」

  

  [newpage][chapter:「萌芽」]

  その後、アージェントとジャンヌは、アンドバリの兵士だった者たちがアイバー村へ向かうのを見届けた。

  幸いなことに、兵士たちの中に死者はいなかったので、それ以上の仕事はなかった。

  兵士たちの姿が見えなくなると、二人は屋敷に戻った。

  血塗れで帰って来た彼らの姿にはヘラですら発狂せん勢いで声を荒げた。

  「小言は後で聞く。

  とりあえず、サラとローズをアイバーに向かわせてくれ。

  それから、今夜は誰一人我の部屋に入ることを禁ずる」

  アージェントはそんな彼女の言葉を制し、必要な事だけを告げるとジャンヌを連れて自室に入った。

  ジャンヌは、彼の勧めで部屋の中に備え付けられた風呂に入ることにした。

  主人よりも先にしかも彼専用の浴室で血や泥を洗い落とすのは大分気が引けたが、反論する気力もなかったので言葉に甘えることにした。

  身を清め、入れ替わりがてらにアージェントに手渡された薬を飲みベッドに腰掛けてしばらく待つと、一点の汚れもないアージェントが戻って来た。

  まだ、感情が昂っているのか、竜狼の姿のままだ。

  アージェントが隣に腰かけると、ジャンヌは素早く彼に抱きついた。

  「ジャンヌ、何を…」

  言いかけて、すぐに彼女の身体が震えているのに気づいた。

  「怖かった…」

  ジャンヌは、か細い声でつぶやいた。

  アージェントは、息のんだ。

  「すまない…」

  そう言いながら、そっと両手で彼女の小さな体を抱き締めた。

  「軽率だった。もっと我が注意していれば、お前をあんな目に合わせずに済んだのに…」

  「違うの」

  ジャンヌは、彼の胸の中に顔を埋めたまま首を振った。

  「違う?」

  アージェントは、問いかけた。

  「私が怖いのは、貴方が死んでしまうこと。貴方が貴方でなくなってしまうこと。

  もう、誰かが傷つくのを見るのは嫌なの…」

  胸の中のくぐもった声は次第に嗚咽が交じる様になっていった。

  「…ごめん」

  アージェントは喉から込み上げてくるモノを飲みこみながら言うと、ジャンヌの身体を抱き締め返した。

  「本当に、ごめん」

  抱き締める手に力がこもる。

  「ジャンヌ…。我も、怖かった。

  君に何かあったらと考えたら、冷静でいられなくなった」

  そこで言葉を切り、ジャンヌの肩をつかんだ。

  彼女が見上げてくる。

  中身は全く違うが、冷静でいられないのは今も同じだ。

  だが、この小さく柔らかい身体をどうにかしてしまうことだけは嫌だ…。

  そう思いながら唇を噛みしめていると、不意にジャンヌの手が頬に触れてきた。

  「大丈夫です、アージェント様。ちゃんと受け止めますから」

  [newpage]そう言う彼女の泣き腫らした顔を見た瞬間、アージェントの中の何かが堰を切った。

  彼女の肩を両手で掴み、そのままベッドに押し倒し、覆いかぶさるように顔を近づけ、口先を唇に押しつける。

  大きくザラついた舌が血の残る口内に入り込む感覚にジャンヌは短い吐息を漏らした。

  アージェントは、貪るように彼女とのキスを味わうと、次はその小さな頭を歯で傷つけないようにそっと咥えた。

  その瞬間、相手の身体がビクッと震えた。

  「怖かったか、ジャンヌ?」

  口を放して尋ねる。

  人狼もとい狼を祖先に持つ魔物の愛情表現だったが、人間相手には過激だったかもしれない。

  猛省するアージェントだったが、ジャンヌの方は首を振って否定した。

  「違うの。ただ、アージェント様と、こうしているのが、嬉しくて…」

  荒い息の中でジャンヌが答える。

  「ああ、そうだな。我も嬉しい…」

  そう言いながら、アージェントは鼻先を彼女の首筋に押しつけた。

  「でも、〝アージェント様〟は止めてくれ。君の前では、ただのアージェントでいたいんだ」

  「…分かった」

  「さあ、我の名を呼んでくれ。さっきみたいに」

  「アージェント…」

  名前を呼ばれただけなのに、耳がざわつき全身の毛と鱗が逆立った。

  反射的に舌先で喉元をなぞる。

  「ひゃんっ!」

  また、身体がうずいた。

  「そんな声も出るのだな」

  そう言いながら、胸元を舐める。

  「んん…」

  普段と違う声音に、気が狂いそうになる。

  長子に乗って、今度は耳の中に舌を突き出した。

  「やんっ! 恥ずかしいから止めて!」

  ジャンヌは、アージェントの頭を小突きながら抗議した。

  「ご、ごめん。つい…」

  とアージェンが言いかけた瞬間、今度はジャンヌが彼の耳元にそっと噛みついた。

  「ワフッ! な、何するんだ!」

  「おかえしよ。貴方ばかり良い思いするなんてズルいもの」

  そう言うと今度は首筋に噛みついた。

  「キャンッ! 全く君は…、グゥッ!、そこらへんのヴァンパイヤより、ヤンッ!、性質が悪い、ニャンッ!」

  アージェントは息も絶え絶えと言った様子でつぶやくと、突然両手でジャンヌの頭をつかんだ。

  「もう、そろそろ、限界、かも…」

  「私も、もう、ダメ…」

  「ジャンヌ、愛している…」

  「私も、貴方が好き…」

  ―――

  

  [newpage][chapter:「穏やかな朝とうわさ話」]

  小鳥のさえずりと早朝の朝日の光。

  アージェントは、小さく唸りながら目を覚ました。

  人狼の形に戻った身体は、昨日のジャンヌとの営みのせいか、やけに気だるい。

  「ジャンヌ?」

  そうだ、彼女はどこだろう?

  上体を起こして辺りを見回したが。隣で寝ていたはずの彼女の姿は見えない。

  「ジャンヌ?」

  不安になり、もう一度呼ぶ。

  「ここよ」

  愛する者の声に安堵する。

  浴室からジャンヌが濡れた髪をタオルで拭きながら現れた。

  「ごめん。汗かいちゃったから、お風呂使っちゃった。

  あとで、掃除しておくね」

  「そうか」

  アージェントは、そこで一瞬思案する。

  「我も入ろうかな」

  温かい湯を浴び身を清めると、二人で浴室を掃除しアージェントとジャンヌは食事のために大広間に向かった。

  広間では、既に人々が思い思いに食事を楽しんでおり、二人が到着すると銘々に意味ありげな表情を浮かべながら挨拶の言葉をかけてきた。

  挨拶が一通り済むと落ち着かなげ空気が部屋一体に広がった。

  「ねえ、二人とも。何か私たちに言うことがあるんじゃないの?」

  おもむろにモデナに尋ねられアージェントはハッと気づいた様に居住まいを正した。

  「ああ、そうだった」

  そう言って一度腰を下ろした席から立ち上がり、隣のジャンヌも彼に習った。

  「皆、昨晩は多大な心配をかけてしまい、申し訳なく思う。

  ここに滞在する者たちの安全のためとは言え、些か軽率な行動だったと反省している。

  今後は、この様な失態のないよう十分に留意する。

  本当にすまなかった」

  「すみませんでした」

  言いながら、二人は同時に頭を下げた。

  「いや、そうじゃなくて…」

  アーサーが半ば呆れたように首を振る。

  「ああ、もうじれったいな」

  ローズが頭を掻きながらつぶやく。

  「それで貴方たちはつき合うの?

  まさか、一晩同じ部屋にいて何もなかったとか言わないわよね?」

  彼女の言葉にアージェントは目を見開き、ジャンヌは思わず赤面した。

  「な、なななな何を急に?

  ま、まあ、今回の和平の件が片付いたら、正式に籍を入れるつもりだが…」

  アージェントはまくしたてる様に口走った。

  浴室の掃除中に話しあったことだが、全てが片付いた時に正式に公表するつもりだったのに…。

  彼は胸中で愚痴をこぼしながら誤魔化そうと席についた。

  その一方でジャンヌは意外にも落ち着き払っていた。

  「すいません。別に隠していたつもりはないのですが、大事な調定を前に浮ついた話題は控えようとアージェントと二人で話し合った結果でしたので。

  さっきも彼が言った通り、正式な発表は後日にさせていただき、式に関してはここにいる皆様に加え私たちの友人親族全員を招待したいと思います」

  彼女はそう言うと一礼し席についた。

  「別に浮ついてるなんて思ってないわよ。

  可愛い甥っ子と弟の親友が婚約なんて、これほど喜ばしいことはないわ」

  モデナが優しく微笑みながら言った。

  「私も姉君と同じ考えだ。

  ですよね、アーサー殿?」

  ソラはそう言うと、斜め前に腰かけるアーサーに問いかけた。

  「ああ、もちろんだ」

  若き王は深くうなずきながら言うと、アージェントとジャンヌの方に目を向けた。

  「気は早いかもしれないが、二人とも幸せにな」

  彼の言葉を皮切りにその場にいたヒトビトは口々に祝いの言葉を述べた。

  [newpage]

  それから先は婚約云々など言ってはいられないほどの目まぐるしい騒ぎだった。

  兼ねてから和平調定に参加を表明していた各地の領主たちが護衛を連れてやってきたからだ。

  世間話の好きなローズが話して回っているらしく、アージェントとジャンヌの婚約の話は彼らの間にまで広がっており、二人は顔をあわせる度に祝辞の言葉を送られた。

  「これじゃあ、和平の準備をしているのか結婚の準備をしているのか分からないわね」

  夜になり領主たちの訪問が一段落した頃、自室に戻ったジャンヌはドレスのコルセットを緩めながらつぶやいた。

  「社交辞令だから、仕方ないさ。

  領主たちも聞き及んでおいて無視できる案件でなかったし、忙しなかったのはお互い様であろう」

  アージェントは二つのカップにハーブ茶を注ぎながら言った。

  レモングラスとペパーミントの爽やかな香りが鼻をくすぐった。

  彼は入れ終わったカップの一つをジャンヌに差し出した。

  「疲れただろう? 飲めば少しは落ち着くだろう」

  「ありがとう」

  ジャンヌはカップを受け取ると中身を一口すすった。

  飲み物の温かさで全身の筋肉の強張りが緩む。

  そんな彼女を見て、アージェントはニッコリと微笑んだ。

  「ジャンヌ、もし君が良ければだが…」

  突然、彼はそう切り出してきた。

  「和平と我らの婚約、両方が全部が片付いたら、二人だけでどこか旅行に行かないか?」

  「え? 旅行?」

  ジャンヌの問いにアージェントはうなずいた。

  「以前ここを訪れたことのあるスヴェートと言う妖精の旅人がいてな。

  君がここに来る少し前、海向こうの島国に友と伴に腰を落ち着けたので機会があれば遊びに来てほしいと便りがあったんだ。

  今まで和平の件で忙しくしていたが、せっかくの誘いでもあるし休息も兼ねて行こうかと思うんだ。

  もちろん、君がその気でないなら、ここで好きなように過ごすなり別の君が行きたいところへ行くなりするが…」

  「行きたい!

  他の国も行ってみたいし、アージェントの友達にもあってみたい」

  ジャンヌは食いつくように答えた。

  「そ、そうか…」

  予想外の反応に戸惑うアージェント。

  「じゃあ、約束だ。

  さっそく、スヴェートにも便りを送ろう」

  ※

  翌日の朝、いつも以上に賑やかになった厨房でジャンヌは使用人たちと交じって給仕の仕事に勤しんだ。

  「手伝ってもらえるのは嬉しいけど、せっかく伯爵夫人になったんだから、こんなことしなくても良いのよ」

  サラは、スープの準備をしながらからかい交じりに話しかけてきた。

  「正式な婚約発表は、まだまだ先よ。

  それに、元傭兵が貴族になったくらいで落ち着けると思う?」

  そうは答えたが、正直なところジャンヌも出来ることならアージェントの隣に付き添っていたかった。

  だが、今は二つの大国、引いてはこの大陸一体の運命を左右する重大な時。

  アージェントも心血を注いで事態に取り組んでる中で自分だけ色恋に酔っていることなど彼女には考えられないことだった。

  「まあ、そこが貴方らしいところだけどね」

  サラは、クスクス笑いながらも尊敬の念を込めて言った。

  「そろそろ、良いかな…。

  ジャンヌ、干し肉とローリエを持ってきてくれる?」

  数百人分の朝食が出来上がり、給仕たちが料理を大広間に運び出し始めた。

  険しい顔のヘラが一通の書状を持って入って来たのは、まさにその時だった。

  彼女は、少しためらう様な素振りをみせながらアージェントにそれを渡した。

  他の使用人たちの計らいで彼の座る席近くで給仕をすることになったジャンヌは、思わず手を止めそちらに近づいた。

  手紙を読むアージェントの顔が、ヘラよりもさらに険しくなる。

  「どうしたの?」

  ジャンヌが尋ねると、アージェントは小さく唸り、ため息をついてから、ようやく口を開いた。

  「アンドバリから決闘の申し込みだ」

  

  [newpage][chapter:「決闘」]

  「ねえ、本当に行かないとダメなの?」

  揺れる馬車の中、ジャンヌは隣に腰かけるアージェントに尋ねた。

  「その質問、もう十回目だぞ、ジャンヌ」

  アージェントは半ば呆れたように答える。

  「理由や相手の真意がどうであれ、これは正式な決闘の申し込みだ。

  断れば、我の方が不誠実と捉えられる」

  そこで一度言葉を切り、窓の方を見つめる。

  「それに、もう決闘場所は目と鼻の先だ。

  今更引き返すことはできないよ」

  彼の言葉にジャンヌは視線を窓の方に向けた。

  草木もまばらな平地の先に角ばった大きな石造りの建築物が見える。

  「闘技場、か…。

  未だにあんな時代錯誤な施設を持っている領主がいたとはな」

  向かい側に座るアーサーが建物を睨みながらつぶやく。

  「全くよね」

  王の隣に腰かけるモデナが同意する。

  馬車に入るため魔法で猫ほどの大きさに身体を縮めているが、近寄りがたい雰囲気は普段と変わらなかった。

  「戦時中で視察が滞っていたとは言え、よくもまあこんな派手で不愉快なモノを私の前で建てられたわね。

  ずる賢さだけ見れば、アンドバリの右に出る者はいないでしょうね」

  女皇帝はフンと鼻を鳴らした。

  闘技場―血気盛んで勇猛な戦士たちが戦いを繰り広げる場所。

  そう言えば聞こえは良いが、アンドバリが持つそれは他の領地から攫ってきた人間の奴隷や捕虜を死ぬまで戦わせる恐ろしい場所で、時には人身売買の市場としても使われていたと言う。

  「今後は、こんなことがないよう視察も強化しないとね。幸い、ソラも協力してくれるって言ってるし」

  モデナは馬車の中の面々に視線を移しながらつぶやいた。

  「えっ、ソラがですか?」

  彼女の言葉に思わずジャンヌは尋ねた。

  「ええ、そうよ。

  あの子、これからは貴方や傭兵団の皆が争いに巻き込まれないような世の中にしたいって言ってたわね」

  ニヴルヘイムの女皇帝は、そう答えると再び例の闘技場を見つめた。

  「私も、これから頑張らないとね」

  闘技場前に着いた一行は、友好的とは言い難い歓迎の挨拶を受け控え部屋に通された。

  アージェントは、部屋に着くと竜狼の姿になり屋敷から持ってきた礼服に着替えた。

  「やっぱり、鎧の方が良かったんじゃない?」

  着替えを手伝いながらジャンヌが問いかけると、彼は笑いながら首を振った。

  「君は本当に心配性だな、ジャンヌ」

  「真面目に聞いてるの!」

  「知ってるよ。

  でも我はああ言った重い装束は好まないし、重装で周りに腰抜けと思われたくない。それに、何より一度しか着ない鎧を鍛冶師たちに一晩で作らせるのは酷というモノだろう?」

  アージェントは、そこで言葉を切り表情を固くした。

  「戦争は、これで最後にしよう」

  彼のその言葉にジャンヌは同意の意を込めうなずいた。

  「そうだよね。これで終わりにしないとね」

  [newpage]

  ※

  いよいよ決闘が始まる。

  闘技会場ではファング領から来た四人と御者のサラに加え、アンドバリ側の立会人と御者が集まった。

  実際に決闘をするアージェントとアンドバリが場内に入り、残りは観戦席に座る。

  モデナとアーサーは、あくまで国の代表者として参加なので審判の席についた。

  「これより、アージェント・フェンリル・ファングとレギン・ファフニール・アンドバリの一騎打ちによる決闘を執り行う!」

  モデナが朗々とした声で開始を告げる。

  隣に腰かけるアーサーが彼女に続いて負けず劣らずの声量で話し始めた。

  「この決闘は、ニヴルヘイムとミズガルズ両国の和平を阻害した事へ相応の謝罪と報いを求めるアージェント卿と先の大戦での報酬の不当性を訴えるレギン卿の両者の正統性を見極める厳粛かつ神聖かつ正式な決闘である。

  故に、ここにいる者は何人であれ全員何があろうとも決着がつくその時まで席を立つこと、声を発すること、その他一切の行為を禁じる!」

  「それでは、両者場内へ!」

  モデナの声とともに闘技場の出入り口が開き、アージェントが東側の扉から姿を現した。

  黒地に金の刺繍をほどこした礼服を身にまとっているだけにも関わらず、表情を引き締め巨大なバスタードを持ったその姿は騎士と呼ぶに相応しい風格があった。

  ジャンヌは自身の剣を胸に抱きながら彼の姿をじっと見つめた。

  一瞬遅れて相手が西側の扉から場内に入って来た。

  赤い鱗を持つ竜人族のアンドバリは、モデナ程ではないがアージェントより一回り大きく、彼とは対照的に全身を重厚な金属製の鎧で覆っていた。

  「ようやく会えたな。腰抜けのファング卿」

  アンドバリは、手に持った大剣を振り回しながら尊大に言い放った。

  だが、アージェントは挑発に乗ることなく冷静に相手を見つめた。

  「面倒な能書きはやめて始めないか、アンドバリ?」

  彼は剣を構えながら静かな声で言った。

  アンドバリは嘲るように鼻を鳴らす。

  「フン! よほど、早く死にたいようだな。お前に頼まれなくとも、すぐにあの世に送ってやろう。

  せめてもの慈悲にお前の玩具の人間は死ぬまで下男どもの世話役にしてやろう」

  彼がそう言った瞬間だった。アージェントの剣が素早く弧を描きながらその首を切り裂いた。

  鎧に弾かれ致命傷はまぬがれたが、それでも深手と言うには十分な一撃だった。

  「言いたいことは、それで全部か?」

  冷静だが明らかな怒気をはらんだ声でアージェントは言った。

  「貴様―!」

  逆上したアンドバリが首から血を流しながら大剣を彼に向かって振り下ろす。

  とっさに剣を両手に持ち攻撃を受け止めようとしたが、巨大な剣の重い一撃に耐え切れず肩に刃が食い込んだ。

  「グゥッ!」

  思わず声を漏らすアージェント。

  アンドバリは、さらに深く切り込もうと剣を握る手に力を込めた。

  怒りで興奮しているのか、切り裂かれた首から鮮血が脈打つように噴き出している。

  「どうした、腰抜け? そんなモノか?」

  アンドバリの言葉にアージェントは唸り声で答えると、右手を剣から離し彼の腹を勢いよく殴りつけた。

  一瞬、竜人の身体が宙を舞い地面に落ちた。

  剣を杖代わりにして立ち上がった瞬間、アンドバリは地面に向かって血を吐き出した。

  よく見ると、腹部の鎧が大きく凹んでいる。

  アージェントは、フラつく相手に追撃を与えようと剣を振った。

  だが、アンドバリもそれを許さず剣を振り上げ応戦した。

  二振りの剣のぶつかる音が闘技場内に何度もこだまし、合間を縫うように鎧と衣服と肉を切り裂く音が入り込む。

  気がつくと辺りはすっかり暗くなり、松明のわずかな灯りのみが辺りを照らすのみとなった。

  モデナが立ち上がり日が昇るまでの間一時休戦を提案したが、アージェントもアンドバリもそれを退け再び剣を打ちあった。

  どちらも長い戦いの中で傷つき血に塗れていた。

  両者の荒い息づかいが静かな場内でやけに大きく聞こえる。

  ジャンヌは隣で息を飲むサラの声を聞きながら剣を抱く手に力を込めた。

  〈大丈夫。彼は、きっと勝つから〉

  彼女は、そう胸の内でつぶやきながらサラの手を力強く握った。

  [newpage]

  夜が更け、空が再び白み始めた。

  決闘を続ける二人は、すでに立つのもやっとと言った様子だった。

  ―次の一手で勝敗が決まる。

  ジャンヌは直感的にそう感じた。

  〈勝って、アージェント…〉

  叫びたくなる衝動を必死に抑えながら、彼女は愛する者の姿を脳裏に焼き付ける様にじっと見つめた。

  次の瞬間、アンドバリが獣のような雄叫びを上げながら剣を振り上げた。

  それに答えるかのようにアージェントも咆哮を上げ剣を振る。

  ジャンヌは思わず目を閉じた。

  剣が肉を切り裂く音、敗者の倒れる音、静寂。

  彼女は、ゆっくりと目を開けた。

  アンドバリが血の流れる胸を抑えながら地面に倒れ、その横でアージェントが生気を失った石像のように立っていた。

  アーサーが、手に持った杖で地面をゆっくりと力強く三度叩く。

  王は杖を降ろし隣のモデナの方を向くと厳かな様子でうなずいた。

  皇帝も彼を見返すと同じようにうなずいて見せた。

  「勝負あり! 此度の決闘は、アージェント・フェンリル・ファング卿の勝利とする!」

  アーサーは、高らかな声で宣言した。

  サラが歓声を上げ、ジャンヌは観戦席を飛び降り地面に膝をついたアージェントに駆け寄った。

  「まだだ!」

  だが、その瞬間アンドバリが血の泡を吹きながら叫ぶと、自分の付き添いがいた陣地を見つめた。

  いつの間に集まったのだろうか、そこには弓や剣で武装した何十人もの兵士が立っていた。

  アンドバリが再び叫び声を上げる。

  「こんな所で終わってたまるか!

  私は、この地を、いやこの世界を統べる王となるのだ!

  貴様ら全員この場で亡き者にしてくれわ!」

  彼の声に呼応するように兵士たちが武器を構え場内になだれ込む。

  モデナが「不敬者め」と怒りを顕わにしながら声を上げ、アーサーが向かって来る相手に備えようと剣を抜いた。

  「フハハハハハハハ!

  いよいよ、この時が来た!

  モデナとアーサーを殺し、私がこの地の王となる時が!」

  アンドバリは、そう高らかに叫ぶとヨロヨロと立ち上がり、目の前で倒れるアージェントを見つめた。

  「だが、その前に目障りなお前から先に始末してくれる」

  彼は、そう言うと手にした大剣を天に向けた。

  先の戦いで力を使い果たしたアージェントは、彼を睨むことしかできない。

  「死ね、混ざり者!」

  アンドバリが剣を振り下ろす。

  「やめろー!」

  だが、その瞬間ジャンヌが間に入り手にした長剣でその一撃を弾き飛ばした。

  突然の出来事に思わず体制を崩すアンドバリ。

  ジャンヌは、無意識のまま側に落ちていたアージェントの剣を左手で拾い上げると、硬直するアンドバリに向かって二振りの剣を突き出した。

  一瞬、両方の剣の鍔に埋め込まれた宝石が光り輝き、二つの刀身が竜人の身体を切り裂いた。

  「グゥアアアアアアアア!」

  身体から血を噴き出しながら倒れるアンドバリ。

  「レギン様が倒れた!」

  どこからか、兵士の声が聞こえた。

  だが、アンドバリはまだ生きていた。

  かなりの重傷だが、竜人の身体を以ってすれば数ヶ月で完治するだろう。

  ジャンヌはトドメを刺そうとそちらに向かおうとしたが、アージェントが彼女の手を掴みそれを止めた。

  「殺してはならない…!」

  アージェントは荒い息の中言った。

  「ジャンヌ…。お前は、お前のままでいて欲しい」

  その言葉にジャンヌの中で怒りが静かに消えていった。

  彼女は剣を落とすと、アージェントの方を振り返り腰を下ろした。

  「アージェント…」

  ボロボロになった彼を見た瞬間、次の言葉が出てこなかった。

  自然と涙がこぼれ頬につたった。

  アージェントは、そんな彼女を抱き締めた。

  気がつくと、二人はお互いの唇を重ねていた。

  熱中して舌を入れそうになったが、モデナのせき払いで危ういところを現実に引き戻された。

  二人は顔を赤くしながら、バツの悪そうな顔で目の前の皇帝を見つめた。

  「お楽しみは、問題が片付いてからにしてね」

  モデナは、からかい半分に言うと、表情を固くしアンドバリの方へ歩いた。

  「さて、レギン・ファフニール・アンドバリ。今回の不敬について、どうするか決めましょうか?」

  そう言う彼女の目は普段の優しさなど一片もない無慈悲な王のそれだった。

  その場にいる全員の視線が彼女とアンドバリに集まった。

  このままでは、彼は死罪となるだろう。

  だが、それでは自分がやらなかった事を彼女に全てなすりつけている様で後味が悪すぎる。

  「モデナ様」

  せめて死刑だけでも避けられないだろうか。

  ジャンヌは、そう進言しようと立ち上がった。

  だが、その時だった。

  [newpage]「それには、及びません」

  突然、東側の入り口から声が上がった。

  目を向けると、そこには以前ジャンヌが対峙したリザードマンの指揮官がいた。

  彼は、ジャンヌたちの前まで歩いてくると、その場で跪いた。

  「突然の発言、失礼しました。

  私は、ジェード。かつては、このアンドバリの元兵士隊長を務めておりましたが、今はローズ・ヨルムンガンド・ブラッドストーン様の元で領地警護を務めております」

  「そうだったの?」

  ジャンヌの問いかけにアージェントは何も答えなかったが、その目は「初耳だ」と言っていた。

  「それで、その領地警護の者が何用でしょうか?」

  モデナは、目の前のジン物を見定めようとすかのように観察しながら問いかけた。

  「アンドバリ ―レギンの身を、私に預けていただけないでしょうか?」

  彼のその言葉に、一同は驚き言葉を失った。

  「何故、その様な申し出を?」

  モデナだけが冷静に問い返す。

  ジェードは、威圧するような彼女の目をまっすぐ見つめながら答えた。

  「かつて私は、そちらのアージェント様とジャンヌ様に非道な行いをしてしまい、その時死を覚悟したことがありました。

  ですが、私は彼らの慈悲のおかげで今もこうして生きることができています。

  私は、レギンにも同じように一度慈悲を与えるべきと思い、ローズ様の許しを得てここに参りました。

  正直に申しまして、私はレギンを主君だと思ったことは一度もありません。

  ですが、彼に雇われていた以上その恩を返さぬままでは私の誇りが許してくれません。

  レギンの身は、私がこの命にかけて預かり、ともに海の向こうへと送ります。

  ですので、モデナ様、どうか死罪だけは免除してください」

  そこまで言うと、ジェードは両膝を地面につけ深々と頭を下げた。

  彼の姿を見ていたジャンヌはいても立ってもいられなくなった。

  「私からも、よろしくお願いいたします」

  ジャンヌは、彼の隣で跪きモデナに向かって言った。

  すると、アージェントが這う様に彼女の元に近づき同じように跪いた。

  「我も、アンドバリの免罪を所望します、モデナ皇帝。いえ、伯母上」

  モデナは目の前で跪く三人を見つめ、周りを見回した。

  気づくと、三人に続くように周りのヒトビトもその場に跪いていた。

  隣では、アーサーまでもが跪いている。

  皇帝は、闘技場の中央で倒れるアンドバリを一瞥した。

  「はあ」

  ため息を漏らすモデナ。

  「命拾いしたわね、レギン…」

  彼女はそうつぶやくと、再び目の前の三人に視線を戻した。

  でも私は大国の指導者。ただ慈悲を与えるだけではいけない。

  そう胸の内でつぶやきながら一つ深呼吸をする。

  「分かりました、ジェード。

  ただし、今後二百年、貴方とレギン、そして貴方たちの子孫がこの地に足を踏み入れることを固く禁じます。

  もしも、これが破られた場合、貴方たちは今度こそ不敬の罪で死罪とします。

  これに異論は、ありますか?」

  モデナがそう言うと、目の前の三人の目がパッと輝いた様に見えた。

  「いえ。寛大なお心に感謝すとともに、この恩は末代まで語り継ぎます」

  ジェードは、そう言うと再び頭を下げた。

  

  [newpage][chapter:「贖罪と新しい希望」]

  静寂。

  目に映るは、海の蒼のみ。

  耳に響くは、波の音のみ。

  鼻を掠めるは、潮の香りのみ。

  ジェードは、目の前に座るもと主のアンドバリを見つめながら船の櫂を一心不乱に漕いでいた。

  身に着けていたモノを全て押収され麻の粗末な服といくらかの食物を与えられた後、急きょ駆けつけたニヴルヘイムの兵士たちに連れられてこの海原へ追放されてからどれ程の時が流れたであろう。

  未だ陸地の見えないことに一抹の不安を覚えながら、彼は櫂を漕ぐ手を止め食料を詰めた樽に手を伸ばした。

  中のリンゴを一つ手に取りナイフで半分に割った。

  罪人に与えられるはずでない刃物がこの樽の中に入っていたのは、恐らくモデナのささやかな好意であり赦しだろう。

  「食べて下さい、レギン。陸を見つける前に壊血病になられたら困りますので」

  ジェードは、割ったリンゴの半分をアンドバリに渡しながら言った。

  「…」

  もとアンドバリ卿のレギンは、一瞬躊躇う素振りを見せた後リンゴを受け取ると一口齧った。

  彼が食べ始めたのを見届けると、ジェードも残りのリンゴを大きな口で齧り取った。

  沈黙。

  波の音に二人のリンゴを噛む音が交じる。

  半分の果実はあっという間に腹に収まった。

  当然満腹にはならなかったが、いつ陸に着けるか分からない状態で樽の中身を空にするのは自殺行為だろう。

  〈流木なり蔦なり手頃なモノが流れて来てくれれば、釣竿なり銛なり作って魚取りができるんだがな…〉

  ジェードがそんなことを考え始めた頃、レギンがふと顔を上げた。

  「腹、減ったな…」

  彼は、ポツりとつぶやいた。

  「言うと余計に腹減るから、やめてくれないか?」

  ジェードは、そっけなく跳ね返した。

  海に放り出されてからポツポツと会話はあったが、終始こんな調子だった。

  レギンが二言三言話し、ジェードがそれに答えて終わる。

  主従と言う関係も罪人には関係ないと考えジェードは敬語を省いたが、レギンも特に意に介していない様だった。

  再び沈黙がおとずれる。

  それからしばらくして、何を思ったのかレギンはおもむろに自身の尻尾を海に沈め始めた。

  何をしてるのだろう。ジェードは一瞬問いかけようかと思ったが、ただの戯れだろうと考え流木探しを始めた。

  やがて日が傾き西の水平線に沈み始めた。

  今日は、もう諦めよう。

  そう思い、海面から視線を外し寝転がろうとした時だった。

  ポチャン…!

  突然の水の跳ねる音に驚いて顔を上げると、レギンが得意げな顔で尻尾を掲げていた。

  尾の先には大きな魚が食いついていた。

  「なかなかの大物だな」

  レギンは魚を尾から外しながら満足気な笑みを浮かべながら言った。

  魚は彼の手の二倍ほど大きさで、二人で分け合ってもそこそこ腹が膨れそうに見えた。

  「まさか、釣りをしてたのか?」

  ジェードが問いかけると、彼は微笑みながらうなずいた。

  「昔、母から聞かされた話に尻尾で魚を釣るウサギの話を思い出してな。

  もっとも、そのウサギは尻尾をウミヘビに喰い千切られ、その名残からウサギは短い尻尾になり植物しか食さなくなったらしいがな」

  そこでレギンは一度言葉を切り、自分の尻尾を両手で持ち上げた。

  「どうやら竜人の尾はウミヘビのお気に召さなかった様で助かった」

  「ぶっ!」

  その言葉にジェードは思わず吹き出した。

  昔話を真面目に受け取るかつての主君の姿に、もはや暴君の面影はなかった。

  ジェードは我慢できなくなりその後長いこと大きな声で笑い声を上げたが、レギンは穏やかな目でそれを見ていた。

  笑いの発作が治まると、ジェードはレギンから魚を受け取って素早く捌き魔法で熾した火でそれを炙り始めた。

  [newpage]やがて油の焦げる香ばしい匂いとともに魚が焼き上がると、二回目の食事を始めた。

  果実では味わえない濃厚な命の味に心身が満たされる。

  二人は、しばらく肉厚の魚に無言でかぶりついた。

  どれくらいそうしていただろう。ふとレギンが思い立ったように顔を上げた。

  「なあ、ジェード。聞いても良いか?」

  「なんだ?」

  ジェードは魚を食べながら目だけ彼の方に向けて答えた。

  「お前は、私を主君と思ったことは一度もないと言ったな」

  「モデナ様との会話の時か? ああ、確かにそう言ったな」

  「ならば、何故わざわざ俺を助けた? いや、それ以前に何故俺とともに流刑になると申し出た?

  お前としては、俺があのまま死刑になっていた方が都合が良かったんじゃないか?」

  「確かに、アンタの言うとおりだな…」

  ジェードは、なおも魚を齧りながら答えた。

  一瞬の間。

  彼は、二口齧ると再び口を開いた。

  「アンタ、俺がいつアンドバリの兵になったか知ってるか?」

  「うん? ああ、確か父の代だったな十年前の任命式にいただろう?」

  レギンはジェードに問い返され一瞬戸惑ったが、すぐに答えた。

  当時、黒や茶色の体色の魔物が多い集団に交じって輝く翡翠色の鱗は彼の中でも印象的だった。

  父から代を引き継いだ際、その体表の美しさから戯れに彼を騎士団長に任命したことをふと思い出す。

  そんなことを考えているとジェードが再び口を開いた。

  「アージェント殿とジャンヌ殿に命を助けられて、そのことを思い出したんだ。

  あの時は勢いでモデナ様にあんな風に言ったが、当時のアンタは他の誰よりも領地をより良くしようと必死だったし俺も心のどこかでそんなアンタを尊敬してた。

  でも、代を受け継いでからアンタは変わってしまった。

  本来なら、俺は騎士団長としてそれを諫めるべきだったのに、俺は保身を考えてそうしなかった」

  そこでジェードは口を閉じ、隣に広がる海原を見つめた。

  「これは、俺自身への贖罪でもあるんだよ」

  彼のその言葉を聞いた瞬間、レギンの目から熱いモノが込み上げ溢れ出た。

  当時の記憶が蘇る。

  古い慣習に縛られ自身の提案を撥ねつける父とその側近たち、新しい従者たちの期待の眼差し、母の病死をきっかけに心を病んだ弟―彼は後に人間とのささいないさかいで命を落とした―。

  そんな環境の中で彼の理想は黒いドロドロしたモノに覆われてしまった。

  いや、今思えば、まわりの者たちに逆らえない自分に甘えていただけなのかもしれない。

  激しい後悔と懺悔の念が押し寄せ、何度拭っても涙が止まらない。

  ジェードは、そんなレギンの肩にそっと手を置いた。

  「私は、…間違っていた…。

  すまない、ジェードよ。

  すまない、領地の皆よ。

  すまない、ニヴルヘイムとヨルムンガルドの民たちよ。

  すまない、すまない…」

  レギンは顔を手で覆い嗚咽交じりにつぶやいた。

  ジェードは、肩に手を置いたまましばらくそのままにしてやった。

  やがて声が聞こえなくなると、ジェードは静かに口を開いた。

  「レギン、どんなに謝っても罪は消えません。

  でも、やり直すことはできます」

  彼はそこで一度口を閉ざし、東の水平線に視線を移した。

  日が昇りはじめ、二人の姿を黄金色の光で照らした。

  ふと太陽の手前に大きな影が見えた。

  陸地だ。

  食事と会話に夢中で今まで気づかなかった。

  「やり直しましょう、レギン。二人でじっくり長い時間かけて。

  モデナ様なら、土地に入れてくれなくとも、きっといつか赦してくれます」

  ジェードは陸地を見ながら、力強い声で言うと素早く櫂を手に取った。

  急がなくては、潮に流されてしまう。

  彼は、陸地に向けて船を漕ぎ始めた。

  するとレギンも櫂を手に取り漕ぎ始めた。

  彼は何も言わなかったが、その目には期待と希望で輝いていた。

  ジェードはニッコリ微笑みながら陸地の方に目を向けた。

  緑の多い肥沃そうな土地だ。見たところヒトは住んでいない様だ。

  新しいスタートにはピッタリの土地だ。

  期待に胸を膨らませながらジェードは、発見した陸地に足を置いた。

  [newpage][chapter:「婚姻」]

  長い宣言文句と儀式の後、アーサーとモデナは特殊な素材で作った紙の上にインクに浸した指で署名をした。

  二人の署名した和平の契約書は、アージェントが貴重なインクで魔法を込めながら書き上げた特殊なモノだ。

  これで今後数百年は、二国間の絶対に戦争は起こらない。

  ジャンヌは感慨深い思いで和平条約の様子を見ていた。

  すると、隣に座っていたソラが、大きな手で彼女の頭を撫でてきた。

  周りには、兼ねてから招待していた他の傭兵仲間たちもいる。

  傭兵時代に同じことをされていたことを思い出す。

  「良く頑張ったな、ジャンヌ…」

  彼の言葉に思わず目頭が熱くなった。

  「うん…。ありがとう」

  嗚咽が交じらないように声を抑えながら答えた。

  ※

  翌日、追加の招待客を招き入れアージェントとジャンヌの結婚式が執り行われた。

  アージェントが最初から竜狼姿であることについては、敢えて誰も触れて来なかった。

  来客一人一人に歓迎の挨拶を告げるのは若干骨が折れたが、アージェントの助けもありさほど苦には感じなかった。

  来客の応対を全て終え、軽い食事と休憩で一息つくといよいよ式が始まった。

  この日のために特別に仕立て上げた豪華な礼服に身を包みアージェントとジャンヌは互いの手を取り礼拝堂の長い廊下を歩いた。

  廊下の両脇では大小さまざまな種族の者が手を叩きながら二人を出迎えてくれた。

  礼拝堂の最奥ではソラとガウェインが魔物と人間の代表兼神父として二人を待っていた。

  「「これより、アージェント・フェンリル・ファングとジャンヌ・マルグリート・ブライトの婚礼の儀を執り行う」」

  二人の神父が声を揃えて宣言する。

  ジャンヌは、昨晩必死に練習していた二人を偶然見つけコッソリ覗いていたことを思い出し笑いそうになった。

  「アージェント・フェンリル・ファング、そなたはジャンヌ・マルグリート・ブライトを妻として迎え、いついかなる時も死が二人を分かつまで添い遂げることを万物の神ティアトルとすべての神に誓うことを承認するか?」

  「承認する」

  ガウェインの問いにアージェントは力強く答えた。

  「ジャンヌ・マルグリート・ブライト、そなたはアージェント・フェンリル・ファングを夫として迎え、いついかなる時も死が二人を分かつまで添い遂げることを万物の神ティアトルとすべての神に誓うことを承認するか?」

  「承認します」

  ソラの問いにジャンヌは朗々とした声で答えた。

  「では両者、これより神々に捧げる誓いの口づけを」

  再びソラとガウェインが声を揃えて言う。

  長身のアージェントが身をかがめ顔をジャンヌの方へ近づけた。

  ありとあらゆる愛を尊ぶ神々は誓いのキスが濃厚であればあるほど歓び歓迎する。

  遠慮はいらない。

  二人は、互いの唇を貪り、舌を伸ばした。

  さすがに他人の目があるので、音を立てない様にだけは注意する。

  参列者の誰かが「まあ」などと息を飲むのが聞こえた気がしたが、気にせず二人は互いの髪を乱しながら何度も唇を重ねた。

  見かねたモデナが咳払いをしなければ、さすがの神々も卒倒する事態になっていただろう。

  [newpage]

  かくして式を終えたアージェントとジャンヌは、早々に式場から出ると新しい寝室に飛び込んだ。

  前領主であるアージェントの父の書斎を改良した部屋は二人がそれぞれかつての自室から持ち込んだ私物に加え新しく設えた大きなベッドが鎮座していた。

  二人は、礼服を脱ぎ下着姿になると、さっそくベッドの上で抱きあった。

  「これで、やっと一緒なんだね」

  ジャンヌは嬉々としながら言った。

  「前からずっと一緒だろう?」

  アージェントはそう答えると彼女の頭を撫でた。

  ソラとは違う優しい手つき。

  だが、以前のような危なげな感じでないシッカリとした手つきだった。

  「今、叔父上のことを考えていただろう?」

  突然アージェントが声に明らかな不満を交えて問いかけた。

  ジャンヌが少しだけ気まずくなって口を閉じると、彼はおもむろに屈みこみ彼女の耳に舌を差し入れてきた。

  「ひゃん! ちょっと、何するのよ?」

  「二人きりの時に他の者のことを考えるのは許さない」

  ジャンヌの叱責にアージェントはそう答えると再び耳を舐めた。

  「ちょ…! んん…、て言うことは…、あん…! 貴方…、調定式の時…私のこと見てたの?」

  彼女の問いにアージェントは悪びれる様子もなくうなずいた。

  「当然だ。すぐそばにいるのに妻から目を離すヤツがどこにいる」

  これは少し灸を据えた方が良さそうだ。

  ジャンヌは、なおに耳を舐める夫の顔を両手で押し退けた。

  アージェントは、戸惑いながら彼女を見つめた。

  「良い、アージェント? 貴方は私の夫であると同時にこのフェンリル領の領地であってミズガルズとニヴルヘイムの仲を取り持つ存在なの。

  そのことを自覚してよね」

  ジャンヌは険しい表情で夫をしかりつけた。

  「で、でも…」

  アージェントは、耳を下げ露骨にガッカリした様子で言いよどんだ。

  「でもも何もない!

  私の愛したアージェントは自分の責務を疎かにするヒトじゃないわ。そうでしょう?」

  ジャンヌのこの言葉に、アージェントはハッとした様子でうなずいた。

  「そうか…。そうだったな。

  すまない、ジャンヌ」

  「分かれば、よろしい」

  彼の謝罪を受け入れ、ジャンヌは頬にキスをした。

  そして、目の前の狼顔がニヤケ始めたのを見計らい、頬に歯を立てる。

  「痛い!」

  「仕事を疎かにした罰よ。次やったら、血が出るまで噛むからね」

  「やっぱり、お前はヴァンパイアの末裔じゃないのか?」

  「何か言った?」

  「ああ、すまない。何でもない。

  痛い!

  謝る! 謝るから、これ以上噛…―

  ちょっ、どこを!

  あっ、ああ…!」

  ― † ―

  [newpage]

  数年後

  緑生い茂る草原の中、一人の少女が元気よく駆け回っていた。

  少女は一見すると人間の様だが、金と銀の入り混じった髪の流れる頭の上には三角形の獣の耳と小さな角を称えていた。

  「お母さん! こっちだよ。早く早く」

  少女に呼ばれ、ジャンヌは力強い足取りで少女の方に向かった。

  「ほらほら、イリナ。あんまりはしゃぐと転ぶわよ」

  そんな二人の光景を見ながらアージェントはハーブ茶の入ったカップを手に取った。

  「貴方のそんな顔を初めて見ましたよ」

  隣に腰かける狐顔の魔物に言われ、彼は思わず自身の顔に手を置いた。

  「そうか?」

  アージェントは、そう答えると魔物の方を見た。

  「そう言うお前も、ずいぶん顔が変わったなスヴェート」

  「あら、そうでしょうか?」

  スヴェートと呼ばれた魔物は、同じようになめし革のような表皮の手を顔に置いた。

  「ああ、ずいぶん穏やかになったよ。

  あの人のおかげかな?」

  アージェントはそう言うと、再びジャンヌたちのいる方へ顔を向けた。

  親子の方へ赤い上等な服を着た人狼の女性が人間の子どもを連れて近づいて来た。

  四人は出会うなり楽しそうに談笑を始めた。

  「そうかもしれませんね。

  いえ、きっとそうですよ」

  スヴェートは確かな自信を持って答えた。

  「マリは…、マリとブラムは、私を暗闇から救い生きる意味を教えてくれました。

  貴方も、ジャンヌさんから色々教わったのでしょう?」

  「ああ、そうだな。ジャンヌは、我に我の知らないことをたくさん教えてくれた」

  突然問い返されたが、アージェントは迷うことなく答えた。

  「そうだ!」

  そこでスヴェートが思い出したように立ち上がった。

  「そう言えば、今日はブラムとアゾットが一度帰ってくる日でした。

  アージェント様も一度お会いしませんか? どっちも変わり者ですけど、きっと気に入ると思いますよ」

  「そうだな。それは、是非会ってみたいモノだ」

  彼女の提案にアージェントは即座にうなずいた。

  スヴェートが好もしく思うヒトなら会って損はないだろう。

  それに今は何故か他人と会うのが楽しい。

  溢れるほどの期待を胸に抱えながら、アージェントは妻と娘の名前を呼んだ。

  (完)