AdAd
  
ダサい虎人に一目惚れしたらとんでもない事になった話(前編)

  神よ。

  おお神よ、何故このような仕打ちをするのですか。

  「――のぉおお!!!!!!!!!!」

  カーテンを閉め切った、薄暗い部屋の中で。

  俺は頭を抱えていた。

  目の前には、突然ブルースクリーンを吐いた後にオシャカになったノートパソコン。

  電源ボタンを連打しても、出鱈目にキーを叩いてみても、電源アダプターを抜き差ししても。

  うんともすんとも言わないそれを前に、俺は膝をついて涙する。

  確かに、10年は頑張ってくれた。

  お前はよくやったよ。

  だけど…

  「何も納期前日にぶっ壊れる事はねぇじゃねぇかああああああ!!!」

  慟哭する。

  すると、呼応するように部屋の壁がドンドン、と音を立て、うるせぇー!!という絶叫が続いた。

  隣人の声だ。

  ……俺の声が迷惑なのだろう。

  でもお隣だって、普段から爆音でAVを流して精神汚染を仕掛けてきている。お互い様だ。

  というか、一番悪いのは壁の薄さを黙ってこの部屋を案内した、あの不動産会社だ。

  これだから狐人は信用できない。

  まぁ、家賃が安いから文句は無いが。

  ――ともかく。

  そんな事は、今はどうでもいいのだ。

  納期が迫っているデータを、なんとか今日中…最悪明日の朝までに仕上げる事が、何よりの最優先事項だ。

  幸いなことに、作成途中の納品データそのものは、クラウドに全て保存してある。

  新しいPCさえ素早く調達すれば、今日中には作業が完了するだろう。

  時刻は午前11時。

  今から急いで電気街に繰り出し、程度のいい中古PCを買って、すぐに帰宅、作業!

  これしかない!

  速足で脱衣所に向かうと、二日間履きっぱなしだったパンツと、首元がだるだるに伸びきった肌着を急いで脱ぎ捨て、ふんわりと柔軟剤の匂いがするシャツとボクサーパンツを乾燥機の中から適当に取り出し、身にまとう。

  見繕っている暇など無い。事は一刻を争うのだ。

  そして8年間履いている、かなり味が出ている(ボロボロとは言わない)デニムに足を通し、全て同じ色で揃えた靴下の中から、適当にワンセット取り出した。

  時間がないのでシャワーは浴びない。

  既に丸二日風呂に入っていないので、もしかすると雄のフェロモンが…もとい体臭が…酷いかもしれないが、今の俺になりふり構っている暇はないのだ。

  「急げ急げ急げ…!」

  自転車の鍵と、財布と、携帯電話。

  それらをポケットに押し込むと、スニーカーに足を突っ込み、ショルダーバッグを乱暴に取って足早に部屋を出た。

  

  それと同時だろうか。

  隣人の牛人が、がちゃりとドアを開けて出てくる。

  肩がはだけ、脇腹まで袖口ががっつりえぐれたタンクトップに、もっこりと膨れた股間を誇示するために穿いているとしか思えない、ぴちぴちのスウェット。

  そいつがこちらを一瞥し、何かを言おうと口を開くが、見えないふりをして小走りでその場を離れた。

  

  一段飛ばしで階段を駆け下りると、乗りなれたママチャリの鍵を外す。

  ところどころ錆が浮き出ているそれは、俺が都会に出てきたときにある人に買ってもらった物だ。

  もう大分ボロいので買い替え時期なのだろうが、未だに未練がましく乗り続けている。

  

  前かごにショルダーバッグを投げ入れ、自転車に跨る。

  ふんっ、と気合を入れて最初のひと漕ぎ目を踏み込んだ。

  現在俺が住んでいるのは、都心から一駅離れた住宅地にある、寂れたアパートの一室だ。

  格別に家賃が安く、しかも自転車で都心に向かえる距離に建っているので、俺はそこを心底気にいっている。

  

  ……まあ、部屋に風呂やトイレがなく、共有のものをアパートの住民で使いまわしているため、衛生観念にうるさい人は住めたもんじゃないんだろうが。

  おかげでそのアパートは、低賃金で働く獣人達の巣窟と化している。

  あそこに住んでいる人間は、なんと俺一人だ。

  友人からは奇異の眼で見られているが、住めばなんとやらである。

  自転車で風を切りながら、俺は電気街へと急ぐ。

  初秋の風は汗ばむ肌に心地よいが、のんびりサイクリング、と洒落込んでいる場合ではない。

  全力でペダルを回転させながら、俺は自分の運動不足を痛感していた。

  橋を一つ渡ると、住宅街から商業区域へと町の趣が変化する。

  

  目の前の信号が赤になり、自転車を止めた俺は、ふと左手に見えるビルの窓へ目をやった。

  鏡のようにピカピカに磨かれたそこに、ややぽっちゃりとした人間の男が写っている。

  短く切ってもらった髪はところどころ寝ぐせでボサボサで、不健康そうに出た腹が自己主張するように揺れている。

  かつて部活で鍛えた脚はまだまだ健在だが、それが筋肉なのか、それとも元筋肉の現贅肉なのかは定かではない。

  そもそも、俺は自分の体系に興味がない。

  人間、死ぬときはあっけなく死ぬのだ。

  体を鍛える暇があるなら、その時間で享楽に没頭した方が後悔がない。

  高校生の頃には筋トレ用のダンベルを毎晩上下させていたが、今は同人誌をオカズに、オナホを上下させる毎日である。

  堕落していく事、そこに後悔はない。

  人生、そんなものだ。

  それが、30年生きてきた俺の持論だ。

  考え込んでいると、信号が青に変わる。

  ぼんやりと思考を巡らしていた俺は、目線を前に戻すと、再びペダルを強く踏み抜いた。

  ――電気街。

  そこかしこにメイドカフェ、フィギュアショップ、カードショップが立ち並んでいる。

  かつては時代の最先端を行っていたそこも、時代の移り変わりと共にオタク街へと姿を変え、昔ながらのPCショップは片隅へと追いやられていた。

  メインストリートを、俺は迷うことなく颯爽と進んでいく。

  目当てのショップは決まっていた。

  以前、友人のPC選びに付き合ったあの店だ。

  時刻は昼を回っていた。

  夏が過ぎたとはいえ、まだまだ日光は強く、汗ばんでしまう。

  さて、件のショップに到着。

  俺はドリフトをする勢いで自転車を止めると、ずかずかと店内に足を進めた。

  自転車のカギを閉める時間すら惜しい。

  どうせすぐ出るのだ。

  ぱんぽーん、という間の抜けたインターフォンと、エアコンで冷やされた清涼な風が俺を迎えた。

  息を吸い込むと、ほのかに埃っぽい。

  雑多に部品が積まれた棚の向こうから、いらっしゃいませー、という男性の声が迎える。

  ここは、低価格で高品質の中古PCが集まる、と界隈で有名なショップだ。

  腕のいい修理屋が、ジャンクPCを修理しては安価で店頭に並べている。

  昔ながらの店頭販売にのみ特化し、ネットショッピングはしていない。

  オタク街へと変わっていく事で遠のく古客を引き留め、この電気街の歴史を守っていきたい、という店主の計らいなのだそうだ。

  俺は財布と相談しながら、並んだPCをつぶさに確認していく。

  仕事柄外で作業をする事もあるので、軽量のノートパソコンでなければいけない。

  あまりに低スペックすぎて、作業中にフリーズされても困るが。

  だが、無駄に高スペックな物を買っても仕方がない。

  「――あの、良ければ商品のご案内をしましょうか?」

  渋い顔で商品とにらめっこしていると、

  唐突に、店員が話しかけてくる。

  「あ、いえ、自分で……」

  顔を上げ、遠慮しますのポーズを取ろうとして…俺は目を疑った。

  ふさふさの毛並み。

  黄色というよりは橙色に近いベースの体毛に這う、縞々の模様。

  温和そうな太い眉、くりくりとした目。

  大きな鼻はしっとりと濡れ、口元からは犬歯が窮屈そうに覗いている。

  PCショップのロゴが入った糞ダサいTシャツ。

  グリスやオイルでところどころ汚れたズボンと、これまた糞ダサいスニーカー。

  太ましい尾が、大きな尻の横から遠慮がちに顔を覗かせている。

  

  全体的に丸っこい、俺とよく似たぽっちゃりとした体格。

  よしんばこの腹を触ってしまえば、栄養ドリンク漬けになって三徹した後に味わう低反発枕のような、至上の無重力幸福感に包まれるのだろう。

  今すぐ触りたい。さわさわしたい…

  頬がぼっと赤くなるのを感じる。

  

  ――知っているぞ。

  この感覚を。

  十数年前、高校生の時分…

  練習試合で遠征した、あの山奥の高校で見かけた虎人の体育教師。

  あれが、俺の性の目覚めだった。

  初恋…初一目ぼれ…初夢精…初ストーキング…初盗撮…初停学…。

  走馬灯のように思い出が脳を巡る。

  この感覚は…あの時と同じだ。

  「す、すいません、あの?」

  俺の目線に射られて、おどおどとした表情の虎人。

  ――キュートだ!

  これでもか、と庇護欲をそそられる。

  「いや!!!是非!!!!案内、お願いします!!!!!!」

  咄嗟に声量を跳ね上げながら、俺は直角に腰を曲げて頭を下げた。

  「えっと、このパソコンは…5年前のモデルで…」

  ショーケースの前。

  耳障りのよい声で、虎人が説明をしている。

  俺はそれを、ぼんやりと聞いていた。

  

  中古PCを買いに来たはずなのに。

  目の前の虎人が、あまりにも気になりすぎる!

  「役所や企業に卸されたものが、今市場に大量に出回り始めたので、性能の割に大変コスパが良く…」

  丁寧に解説してくれているのだが、頭に入らない。

  駄目だ、ワイセツしたくて堪らない。

  どうしたんだ、おかしいぞ今日の俺。

  「あの、ちょっと見せてもらってもいいすか?」

  もうこの人がお勧めする商品ならなんでもいい、と熱に浮かされかけて、俺ははっと頭を冷やす。

  駄目だ駄目だ、色目を使っている場合ではないのだ!

  優先順位を間違えるな、俺!

  「わかりました!すぐにショーケースのカギを開けますね!」

  笑みを浮かべると、虎人はこちらに背を向けて、よいしょ、としゃがみ込み、ショーケースの鍵を外し始めた。

  別に意識した訳ではないのだが、ふいっとその背中に視線を落とし…

  (!?)

  俺は気づいてしまった。

  シャツの裾に隠れていたせいで気づかなかったのだが、なんとこの虎人、獣人用ではなく人間用のズボンを穿いている!

  尻尾がジャマなのでやや腰履きになっているからだろうが…何度この言葉を使っているかもうわからんが…鬼ダサいアニメ柄のパンツがもろに覗き、しかも尻の割れ目が半分見えてしまっている。

  ダメダメダメ、エッチすぎます!

  脳内でもう一人の自分が警報を発している。

  無意識に股間が熱を持ち始める事に焦燥する。

  やめろ、ここで勃つな、落ち着け、沈まれ俺のマグナム…。

  しかしこの尻、公然わいせつ罪で捕まっても文句は言えない。

  俺が慄いていると、

  鍵を外し終えた虎人が立ち上がり、ショーケースを開け――

  「あ、買います。それ」

  ――る前に、俺は即決した。

  駄目だ、これ以上は正気を失ってしまう。

  俺にできる、精一杯のアクションだった。

  「39800円になります」

  かたかた、とレジを叩くと、虎人が価格を提示する。

  ……よかった。

  この虎人に見惚れて気が気じゃなかった俺は、値段の確認をすっ飛ばしていたので、実は20万円とか請求されたらどうしよう、と内心冷や冷やしていたのだ。

  クレジットカードを差し出すと、受け取った店員はリーダーにそれを挿入する。

  センターに確認中、の文字と共に数秒の沈黙。

  俺が目線を前に向けると、緊張しているのか、虎人は目線を宙にさまよわせていた。

  胸につけた名札が、なんとなく目に入る。

  ――士縞(シジマ)さんというのか。

  「はい、確認いたしました。

  カードをお返しします。

  レシートは」

  カードを受け取ると、レシートはいいです、と返す。

  フリーランスの俺に、どうせ請求する先など無い。

  「あ、そうだ。

  会員カード、作っておきませんか?

  今回の分、ポイントつきますよ」

  店員が思い出したように言う。

  虎人の笑顔にキュンとしてしまった俺は、二つ返事で会員カードを作ることに同意した。

  差し出された書類に名前と住所を書き込むと、真新しい会員カードを受け取る。

  30万円分の商品を買うと、1万円分の商品券が貰えるらしい。

  ――貰えるの、何年後だろうか。

  それにしても、慌ててパソコンを買いに来ただけなのに、思わぬ出会いをしてしまった。

  店員に背を向けると、俺はえびす顔で自動ドアに向かう。

  また来よう。

  仕事が落ち着いて、暇なときに。

  今度は無意味にいろんな商品を紹介してもらって、あの尻を際限なく眺めさせてもらおう。

  そして。

  

  

  どあああああああっ、と降る雨が、俺を迎えた。

  

  ついでに自転車も盗まれていた。

  ……最悪だ。

  「――あの」

  振り返ると、俺は見送っていた虎人に、

  「タクシー呼ぶので、それまでここにいてもいいですか?」

  「あ、ええ、勿論!」

  何故か虎人の声が裏返っている。

  ま、面倒な客がやっと出ていくと思ったのに、やっぱり店内に居残るとなれば、気が休まらないもんな。

  申し訳ない。

  …それにしても。

  タイミングの悪い豪雨に、自転車を盗まれるダブルパンチを食らった俺は、思わずしゃがみ込んでしまった。

  「大丈夫ですか!?どこか具合でも!?」

  慌てて虎人が駆け寄ってくる。

  「あ、大丈夫です。ちょっと自転車を盗まれただけなので」

  「ええっ!?」

  驚く虎人。

  「け、警察に言わないと!!」

  「いやいや、いいんです。ボロボロだったから買い替えを検討してましたし。

  ゴミに出す手間が省けたと思えば」

  虎人に心配をさせたくないので、俺は精一杯強がる。

  嘘だ。割と思い出の詰まった自転車なのだ。

  しかし悲しいかな、女々しい所を見せたくない俺。

  

  「とにかく、ちょっとタクシー呼びますので…」

  背を向けてスマホを操作する。

  そして、タクシーの配車アプリを立ち上げた。

  「えっと、近くにタクシーは…」

  ない。

  一つも、ない。

  「直接タクシー会社の営業所に電話すれば…」

  近隣で大手のタクシー会社に電話をかける。

  しかし、タクシーは一台も捕まらなかった。

  ……当然だ。

  この豪雨だ、タクシードライバーにとっては書き入れ時である。

  捕まるはずがない。

  結露するガラスの自動ドアに、しょぼくれた人間の男が映っている。

  みすぼらしい。どうしようもない男だ。

  どうやって帰ろうか。

  

  少しでも早く帰宅して、作業に取り掛からなければならないのに。

  こんな雨に濡れちゃパソコンはおじゃんだろうし。

  そもそも、徒歩で帰ったら二時間はかかる距離だ。

  

  そうだ、クラウドにデータがあるなら、店内のWi-Fiを借りて作業をさせて貰えば……なんて厚かましい真似、俺にはできない。

  考えあぐねていると。

  ガラスに反射する自分の姿に、ふと気づく。

  着ているTシャツ。

  コレ、同人イベントで購入した奴だ。

  同人エロゲーの主人公である犬人の雄が、笑顔でブイサインをしている。

  背後から、メインヒロイン?ヒーロー?わからんが、攻略対象の雄の虎人が、スケベそうな顔で抱き着いていた。

  

  …なんてこった。

  なんちゅーシャツを着てきたんだ俺は。

  焦りすぎて気づいていなかった。

  これでは歩くカミングアウトである。

  昨晩、このTシャツを着ながら一発抜いた自分を呪いたい。

  ん?

  じゃあ何?

  あの店員の、士縞さん、これ見たって事?

  

  さーっ、と血の気が引いた。

  

  その時だった。

  曇った自動ドアの向こうに、傘を差した誰かが近づいてくる。

  慌ててパソコンが入った紙袋で胸元を隠すと、俺はドアから離れた。

  その人物は、入口の近くに立つと、傘を畳み、ばさばさと水けをきって、

  「おうぃーっす」

  言いながら入ってくる。

  身長2mはあるだろうか。

  アロハシャツを着た、長身の狼人だ。

  俺の親父くらいの年齢だろうか。

  「おはようございます」

  虎人が声をかけ、狼人はそれに右手をひょいっと上げて応えた。

  「やっべーなコレ、土砂降りじゃねぇか」

  通路の隅っこで縮こまっている俺に気づくと、狼人は小さく頭を下げた。

  店員だろうか?

  「店長、言われてたやつ、全部修理終わってます」

  虎人の声。

  なるほど、この人が店長ね。

  

  「お疲れ様。後は俺が引き継ぐから、お前はもう帰れ」

  店長はレジカウンターに入ると、カタカタとレジを操作し始める。

  「えっ、まだ時間が…」

  「いいっていいって。この雨じゃ客もしばらく来ないだろうし。

  つか夜までこの調子らしいぞ。警報も出てる」

  だから早く帰れー、と狼人は売上金の確認を始めながら言う。

  そして俺に目線をふと向けると、

  「お客さん、大丈夫?

  傘、貸そうか?」

  不愛想な口ぶりだ。

  しかし、悪い人ではなさそうである。

  「あ、いえ、ちょっと遠いので…

  タクシー呼んでるんですけど、捕まんなくて」

  俺が返すと、

  「そりゃそうだろー!

  今朝の段階で、大雨が来るって天気予報で言ってたしな。

  初っ端から、どいつも駅で長距離の客待ちに並んでるよ」

  狼人は苦笑した。

  マジか、天気予報見てなかったな、そういや…。

  

  困ったな、とため息をつきながら、虎人を見る。

  虎人はいそいそと帰り支度をし始めていた。

  

  ぼんやりとそれを眺めていると。

  急に店長がポンと手を打って、

  

  「あ、そうーだ!

  士縞、お前確か車で来てたよな?

  お客さん、送ってあげなよ」

  「えっ!いや、そんな」

  俺は慌てて遠慮する。

  

  「いいからいいから。お客さん家、どこら辺ンーだー、っと」

  そこで、会員カードを作るときに書いた書類を見つけて、

  「あれ!ここ、士縞ン家に近いじゃん!」

  と狼人は無邪気な声を上げた。

  そうなんですか?と近寄ってくる虎人。

  PCのジャンクパーツを大股で越えてくるときに、胸や腹がぽいん、と揺れる。

  

  「た、確かに近いですね」

  「良かったねお客さん!

  タクシー代浮いたじゃん!」

  あっけらかんと言い放つ狼人。

  

  「いやいや、マジで大丈夫です!

  なんとかしますんで!」

  好意はありがたいが、流石に初対面の、しかもショップの店員に送ってもらうなんて、いくらなんでも虫が良すぎる。

  

  …というか、この虎人と車内で二人きりなんて、頭がどうかしちまうよ…。

  虎人も、どこか気まずそうな、緊張した面持ちでこちらを見る。

  「それにさっき外から見えたけどさ~、お客さん?」

  

  狼人は急に表情を崩すと、にやにやと笑い始めた。

  「士縞が寝坊したのを迎えに行った時見ちゃったんだけど~、

  アイツも同じシャt」

  「わあああああああああああ!!!!店長ォオオ!!!!

  突然、士縞さんが絶叫した。

  大気がぐわんと歪んだような錯覚を受ける。

  虎人の本気の咆哮に、俺の聴覚は一瞬で麻痺させられる。

  きいーん、と激しい耳鳴りがする中、無音に近い世界で虎人が狼人に食ってかかるのが見える。

  ごちゃごちゃ言い合っているようだが、まるで聞き取れない。

  

  笑いながらひらひらと逃げ回る店長と、赤面しながらそれを追う虎人。

  咆哮の衝撃でくらくらしながらも、アットホームな職場だな、と考えてしまった。

  「――なんかすいません、ホント」

  揺れる軽自動車。

  助手席に座る俺は、膝の上に乗せたパソコンを見つめながら言った。

  「い、いやいや!僕も、さっきは大声出しちゃってすみませんでした!!」

  本当に申し訳なさそうに、ハンドルを持つ虎人がぺこぺこと頭を下げる。

  結局、半ば店長にむりやり決められた形で、俺は士縞さんに車で送ってもらう事になった。

  割とまだ新しい軽自動車。

  獣人向けに天井が高く設計されており、やや大柄な俺でも快適だ。

  ふんわりと、芳香剤のいい香りが漂っている。

  いいぞ、そのまま俺の体臭をかき消してくれ…

  「空調、寒くないですか?」

  虎人は目線を前に向けたままで言う。

  「獣人用の車なんで、ちょっと空調強いっていうか。

  よく冷えちゃうんですけど」

  「全然大丈夫!

  快適です!」

  俺が応えると、よかった、とホッとするように虎人が笑った。

  可愛すぎる。

  嫁に来てくれ。

  ――本当は割と肌寒い。

  雨に少し濡れたせいもあるだろうが。

  「あの、ええと、お客さん…」

  車が段差を越え、虎人の声がわずかに震える。

  「あ、[[rb:槙島 > まきしま]]でいいです、苗字。

  一々お客さんって言わなくて大丈夫ですよ」

  [[rb:槙島健吾 > まきしま けんご]]。俺の本名だ。

  先ほど会員カードを作る際に書いたので、虎人ももう知っているはずだ。

  「あ、じゃあ槙島さん。

  僕の事も、士縞、と呼んでください。

  それで、パソコンのセットアップとか大丈夫ですか?」

  不意に窓を叩く雨脚が強くなり、虎人はワイパーの速度を上げながら言う。

  ウィンウィン、ウィンウィンと高速で左右するワイパーを見ながら、俺は考える。

  ――ま、セットアップ自体は問題なく出来るだろうが…

  「このPCって、すぐ使えるようにされてないんすか?」

  「いえ、勿論OSなどはバッチリ入ってます。

  ただ、慣れていない方だとアカウントの設定に戸惑ったりするので…」

  …そういえば、前のパソコン、アカウントとかどうなってたっけ?

  10年前に適当に登録したきり、ロクにサインアウトもせずにずっと起動させ続けていたので覚えていない。

  パソコンのデスクトップ上に、アカウントとパスワードを書き込んだメモ帳のデータがあったはずだが…そうだ、もう立ち上がらないから確認できないじゃん…

  さっと青ざめた俺の顔を見て、士縞さんが、

  「――もしかして、アカウント情報、忘れました?」

  「あーーー、その、はい…」

  普段、仕事で使っているデータはPCのログインアカウントとは別のアカウントに紐づけてあるので、仕事をする分には差しさわりは無い。

  そっちのアカウントはしょっちゅう使うので覚えている。

  しかし…ログインアカウントか…作り直すの面倒臭いな…

  考え込む俺。

  車は赤信号で緩やかに停止する。

  ばしゃ、と水しぶきを跳ねる音。

  「あ、あの!」

  雨音に紛れないように、だろうか。

  急に虎人の声が大きくなる。

  「もも、もしよければ、その、アカウントのセットアップ、お手伝いしまひょうか!?」

  震え、掠れ、裏返り、滅茶苦茶なイントネーションで士縞が言った。

  「え、ええっ!?」

  虎人の提案に驚く。

  それってもしかして、

  「う、うちに来るって事ですか!?」

  俺の声も裏返っている。

  「は、はい!!!」

  なぜかどんどんトーンアップする二人の声。

  士縞さんの顔が真っ赤になっている。

  緊張しいなのだろうか。

  俺の顔も、たぶんそれ以上に赤くなっているのだろう。

  「出張サービスです!」

  言い切る虎人。

  中古PC買っただけなのに、サービス精神が旺盛すぎるだろう。

  

  ――いや、そんなの願ったり叶ったりというか。

  実のところさっきから痛い程勃起していて、それを隠すためにPCを膝の上に置いていた俺にとっては、願ってもない提案なのだが。

  

  いや、駄目だ。

  こうやって送って貰っているだけでもこんなに緊張してるのに、こんなに可愛い獣人と、部屋で二人きりになんてなってしまったら…

  さすがにヤバい。

  仕事どころではなくなってしまう。

  それに、士縞さんのこのイモっぽさ純度100%の雰囲気からして、ストレートだろう。

  手を出して、犯罪者になる訳にはいかない。

  断らなければ。

  「はい、よろしくお願いします!!」

  ……意志薄弱の権化と化した俺は、決意と真逆の返答を、とてもいい顔でしてしまった。

  

  

  その後、30分ほど経っただろうか。

  大雨のせいでところどころ渋滞になっていたが、士縞さんはこの辺りの地理に詳しいようで。

  すいすいと裏道を進んでくれたおかげで、予想していたより早く、車はアパートに到着した。

  

  「車は適当に停めててもらって結構です、どうせ誰も車持ってないんで」

  俺が言うと、あんぐりと口を開けてアパートを見上げていた士縞さんは、納得したように頷いた。

  見れば見るほど幽霊アパートにしか見えないここに、車を持てるような甲斐性のある住人がいるようには見えないだろう。

  事実その通りだし。

  虎人は一旦俺を下すと、一番近い駐車場へと車を停めに行く。

  あの後、士縞さんと交わした会話によると。

  なんと士縞さんと俺は同い年、つまり二人とも30歳なのだそうだ。

  だから、敬語はいいですよ、と士縞さんに言われたが、やはり客と店員という関係でもあるので、俺はそのまま敬語を貫いていた。

  一方士縞さんも、どうにも生真面目な性格のようで、家族以外の誰に対しても敬語なんです、と照れたように言っていた。

  可愛すぎる。

  俺の家族になってくれ。

  と、喉元まで出かかったが、何とか理性でそれを抑えた。

  

  がちゃり、と部屋のドアを開けると。

  俺は玄関に散らばる靴を足で蹴散らし、士縞さんが靴を置けるようにスペースを確保した。

  「汚い家ですが…」

  謙遜ではなくマジで片付いていないのだが。

  なんだか申し訳ない気持ちになってくる。

  やっぱり断ればよかったか。

  「お邪魔します」

  対する士縞さんはと言うと、玄関にしゃがみ込み、几帳面に脱いだ靴を揃え始める。

  そして再び露になるダサいパンツと尻の割れ目。

  目のやり場に困り、俺は慌てて明後日の方向に目線を外す。

  この部屋の間取りは、とてもシンプルだ。

  まずは玄関。

  上がるとすぐに手狭なリビング兼ダイニングがあり、玄関から見て右側に洗面所、奥に寝室が繋がっている。

  左手には、これまたちっちゃな台所。

  備え付けのコンロなど無いので、カセットコンロを適当に置いてある。

  そして洗面所には水道と、洗濯機を置くパンしか無い。

  俺は先ず、そこそこ片付いているリビングに士縞さんを待機させると、急いで寝室の片づけに取り掛かった。

  寝室にはセミダブルのベッドと、PCデスク、ゲーミングチェア。

  それ以外はまあ、趣味のものが散乱している感じだ。

  

  さて。

  Wi-Fiがあれば良かったのだが、生憎うちには有線LANしかないせいで、リビングでセットアップしてもらう事が出来ない。

  だからまずは、故障したPCをどかし、スペースを確保しなければいけないのだ。

  ……あと、PC周りに乱雑に放ってある同人誌や同人ゲームのディスク、同人即売会で買ったアクリルスタンド、デフォルメされた獣人のフィギュア、ノリで買ってしまった雄獣人の雄っぱいマウスパッド、窓際に並べて乾燥させてあるオナホール、オナホ用のローション、そういった『見られては困る物』を片づけなければならない。

  …多すぎる、ちょっとこれ、無理じゃないか?

  うろうろと視線を這わせる。

  押し入れ…は布団で埋まっているし、

  いい感じの段ボールも無い。

  

  困った俺が唸っていると。

  「あ、あの」

  虎人が、がちゃりと扉を開けた。

  「大丈夫です、ぼ、僕も男ですから。

  そういうのには、抵抗ありませんし」

  あーっ!と俺が制止する間もなく。

  無遠慮に、士縞さんは部屋に入り…

  …惨状に、フリーズしてしまった。

  数秒程、お互いに何も言わず立ち尽くす。

  は、はは。

  笑おう。

  とりあえず。

  マジで死にたい。

  「あ、ああーっと!!!と、トイレ、トイレありませんか!?」

  取り繕うように、士縞さんが声を上げた。

  呆然自失としていた俺は、はっと我に返る。

  「すすすいません、共用なんで外に、外に出てすぐ左です!!」

  「わかりましたぁー!!!」

  どたどたと虎人が退散する。

  玄関から急いで靴を履き、外に出ていく気配。

  やがて静寂が戻ると、俺はその場にしゃがみ込んでしまった。

  

  …はぁ~。

  

  …まあ、もう見られちゃったし。

  仕方ない…パソコンだけ、退かすか。

  

  古いノートパソコンを持ち上げると、繋がっていたコネクタやケーブル類を外していく。

  周りに並べた恥ずかしいアイテムさえ動かさなくていいなら、これだけで作業は終わりだ。

  

  ふと、窓に目をやる。

  雨脚はまだ強く、時折ばたばたと雨粒が窓を叩く。

  ここからちょうど、停まっている士縞さんの軽自動車が見えた。

  ――もしかして、士縞さん、このまま逃げてくんじゃね?

  そんな考えが、脳裏によぎる。

  そりゃ、サービス精神を発揮して部屋に上がり込んだはいいものの、住人がホモだって判ったら逃げ帰ったとしても仕方がない。

  というか、むしろそうして欲しい。

  気まずすぎる。

  ま、今後二度とあの店には行けないが…

  パソコンなんて、どこでも買えるしな。

  投げやりな思考になると、俺はゲーミングチェアにどっかりと腰を掛けた。

  大枚をはたいて買った椅子だ。座り心地だけはいい。

  ぼんやりと、軽自動車を眺める。

  そして、デスクの隅っこに置いたデジタル時計に目をやる。

  

  時刻は、14時。

  

  ………

  ……

  …

  「…ん」

  疲れていたせいか。

  うたたねをしていたようだ。

  時計を見る。

  14時10分。

  窓の向こうに目をやると…

  そこにはまだ、軽自動車があった。

  帰らないな…

  と、思っていると。

  玄関が開く音と共に、

  「戻りました~」

  という、虎人の声が聞こえた。

  まさか戻ってくるとは思っていなかった俺。

  「あれ!?士縞さん!?」

  「は、はい?」

  立ち上がり、リビングに戻ると、そこには笑顔の士縞さんがいた。

  少し息が上がっている。

  何処かへ行っていたのだろうか?

  「すいません、失礼しました!

  遅くなってしまい…すぐにセットアップに取り掛かりましょう」

  「は、はぁ」

  なんだかあっけにとられてしまう。

  そして時間差を置いて、再びこの虎人と同じ空間にいられるのだ、という実感が湧いてきて。

  

  「それじゃ、改めて、失礼します」

  士縞さんは、ぺこりと頭を下げると、再び寝室へと入ってくるのだった。

  「――よし、これで完了ですね」

  時刻は14時30分。

  虎人はテキパキとした手つきで作業を終えると、ふう、と息を吐いた。

  「すいません、手伝って貰って」

  「いえ、」

  

  士縞さんはくしゃりと笑って、

  「アカウントを作って、プリンターや色んな機器のドライバーをインストールしただけなので。

  言うほどの事は何もしていませんよ」

  と謙遜をする。

  しかし、シャツにうっすらと汗の染みが出来ている。

  それなりに集中してやってくれたのだろう。

  「いやいや、それでもほんと、ありがたいです。

  これで、今日中に作業を終えられそうです」

  俺は頭を下げる。

  そして財布を取り出し、札を数枚手渡そうとしたところで、それを手で制された。

  「お金は不要です。

  僕が勝手にやらせてもらっただけなので…」

  虎人の太い指が、俺の右手に触れる。

  「いや、悪いですよ」

  「ほんと、いいですから」

  虎人は頑なだ。

  「それより、その…」

  士縞さんはなにやら、もごもごと小さな声を発する。

  雨音に消されて、さっぱり聞き取れない。

  「その、シャツ…なんですけど」

  「これですか?

  今更隠すのもあれですけど、これ同人グッズなんですよね~」

  ま、今更誤魔化しても無駄だろう。

  俺は頭を掻きながら、

  「その、男同士の恋愛ゲーム、というか。

  はは、俺の机の周り、見てもらったらわかると思いますけど、その」

  続きは、なんだか言いにくい。

  …すると。

  「そ、そそそ、そそそそ」

  士縞さんが、壊れたラジオの様に奇妙な言葉を発し始めた。

  様子がおかしい。

  「そそそ?」

  おうむ返しに俺が言うと。

  「そ、そそ…その…そそそそそその…」

  どうしたんだ。

  何が言いたいんだ。

  とにかく、こういう時は変にリアクションをしない方がいいか?

  「その、どど、同人ゲーム…その…ぼ、ぼ…」

  士縞さんの目が、ぐるぐると回転し始める。

  

  「ぼ、僕が…」

  「士縞さんが?」

  「ぼ、僕が作ったんです!!!!」

  ――え。

  がらがら、と遠くで雷が鳴っている。

  雨はまだまだ強く、窓の外は雨の飛沫で白く濁っている。

  士縞さんはなぜか肩で息をしていて。

  俺はそんな虎人を、あっけにとられて見ていた。

  冷蔵庫から、500mlペットボトルのジュースを2本取り出す。

  一本は、俺用。

  もう一本は…ベッドに腰かけている、神にだ。

  「――ファンです!!!!」

  ジュースを渡すと。

  俺は開口一番、頭を下げた。

  「ちょっと、恥ずかしいです…」

  そして士縞さんの前、床の上に正座する。

  「い、椅子に座って下さい」

  「いや、俺が同じ目線で喋るなんてそんな、おこがましすぎます!」

  自分でも、厄介な反応をしてるんだろうと思うが、

  それほどまでに感動していた。

  俺は、この同人ゲームに心底惚れこんでいる。

  アクスタも全キャラ分買ったし。

  全キャラのルートを、バッドエンド含めてそらで言えるほどにはシナリオも読み込んでいる。

  実際、通販サイトでもグッズの売れ行きは好調のようで、一部ではグッズの転売まで行われているそうだ。

  士縞さんの話によると、そのゲームにおいて、彼はキャラクターの原案と、メインライターを担当していたらしい。

  「まさか、あんな場所で先生と会えるなんて!!」

  奇跡のめぐり逢いに感動し、打ち震える。

  

  「い、今まで通り士縞でお願いします…

  そ、それに、イラストなんかは別の人が描いてるので、その」

  虎人は丸っとした体をちぢこめると、照れたように頬を赤らめた。

  ややなで肩気味なせいか、同い年なのに、どことなく子供っぽい印象を受ける。

  …反則だ。

  こんなに可愛くて、その上才能に溢れているなんて。

  天は二物を与えずと言うが、それは嘘だ。

  少なくとも、目の前にその実例が存在している。

  「えと、それでその、実は相談がありまして…」

  おずおずと、士縞さんは口を開く。

  「神が…相談…!?」

  何だ。

  今から、一体どんな崇高な質問をされるんだ。

  俺に応えられるのか。

  士縞さんの様子だと、なんだか切羽詰まっているような、行き詰っているような、そんな雰囲気を感じている。

  これは、本気で臨まねばなるまい。

  

  と。

  俺が戦慄していると。

  

  「えと、その前に…」

  虎人は姿勢を正すと、

  「――ごめんなさい。こんな形で、近づいてしまって」

  ぺこりと頭を下げた。

  「え?」

  「その、強引な方法で上がり込んでしまったというか。

  ほ、本当はセットアップとか、一人でも出来ましたよね?

  僕がその、わざわざ来なくても」

  俺はぎくり、と固まる。

  正直その通りだ。

  下心が無かったと言えばまぁ、嘘になる。

  「でも、その、ぼ、僕の作品を知っている人に、聞いてみたくて」

  もじもじとつま先を見つめる士縞さん。

  頬がうっすらと赤く染まり、心なしか目も潤んでいるように見える。

  

  「恋愛とか、せ、セックスの描写、とか…あれで、良かったでしょうか?

  おかしなところ、とか…」

  「士縞さん。

  パーペキっす。

  言うとこねっす」

  俺は即答する。

  これは信者だから、とかそういう事ではないが。

  俺は何度もあのゲームで感動して泣いたし。

  エッチなシーンでは、それこそチンコ擦り切れるんじゃねぇの、という程抜いた。

  

  しかし、士縞さんの顔は、暗い。

  「その、相談という、のが」

  そこまで言うと。

  急に、士縞さんが、ベッドから立ち上がる。

  そして俺の隣に…つまり、大して掃除もされていない床に、直に座った。

  

  「士縞さん!?」

  その行動に戸惑う。

  慌てて俺もずりずりと移動し、士縞さんと対面した。

  虎人は何かを決意した面持ちで、真剣な目でキッと俺の顔を見つめ。

  「まま、槙島さん!

  僕にセックスを教えて下さい!!」

  

  一息に言うと、土下座をした。

  土下座。

  今まで30年間生きてきて。

  俺は初めて土下座をされた。

  情報を処理しきれず、俺は土下座する士縞さんの背中をぼんやりと眺めていた。

  ダサTが引っ張られてみちみちと伸び、シャツの襟首からは豊かな首の毛がふさふさと溢れている。

  平伏するその手はよく見ると細かく震えていて、同じように尻尾も床にぴったりとつけられていた。

  いや、土下座はいいのだ。

  土下座ではなく、その前に士縞さんが言ったこと。

  つまり、『セックスを教えてください』という、そこに本質がある。

  

  よし。落ち着いた。

  

  「その、士縞、さん?」

  「…はい」

  土下座したまま顔を上げない虎人。

  「とにかく、顔を上げて下さい」

  「……無理です。恥ずかしいです」

  …あ、恥ずかしいのね。

  

  「せ、せせ、セックスを教えてくださいってのは、どういう意味なんですか?」

  あれだけ完璧にシナリオを書ききった士縞さんだ。

  俺なんかでは想像もできないような、変態的プレイや鬼畜攻めを経験してきたのだろう。

  じゃなければ、あんな臨場感のある文章は書けるはずがない。

  

  という事は?俺が今乞われている、『セックス』とは、どれだけアブノーマル極まりない内容なんだ?

  「……実は……僕は童貞で…」

  「え」

  急にとんでもないことをカムアウトする士縞さん。

  「あの文章としての…セックスの内容は…その…アドバイザーのような人が、話を聞かせてくれたものなんです…」

  「…何…と…」

  つまり…

  士縞さんは…

  「その、僕は……それで、その。

  自分だけでも、セックスを書けるように…なりたいんです…」

  

  ――成程。

  なんとなく話は見えた。

  士縞さんは、ずば抜けた文才やキャラクターのデザインセンスは持っているが。

  性交渉の経験が一切ないせいで、上手くそういったシーンが書けない、と…

  「今日、偶然働いてるときに、槙島さんを見て…

  この人は僕と同じ、ゲイ…だし…

  相談に乗ってもらえないかな、と思ってたら…

  偶然店長が…」

  いい加減土下座をやめて欲しい所ではあるのだが。

  頑としてその構えを解かない士縞さん。

  「はぁー、その…え、でも」

  「駄目ですか?」

  「いや、駄目とかっていうか…」

  …言えない。

  俺も、実は今まで、一度しかしかそういうことはした事がないのだ…。

  だが…。

  いや…。

  駄目だ、正直に言おう。

  

  「すいません、士縞さん…

  俺は、その…

  多分、教えられるほどの経験が、ないっつうか…」

  なんだろう。

  泣けてきた。

  「その、童貞卒業したのもォ、大学生の、頃で…ッ!!

  ぐすっ、しかも、出会い系で、出会ったおっさんに、やり逃げされ、て…」

  ――人生における最大の汚点。

  それは、俺の初体験だ。

  出会い系で出会った成金趣味っぽい獅子人のおっさんに発展場でやり逃げされ。

  さらに、毛じらみまでうつされたのである。

  その後俺は暫くの間、対人恐怖症になり。

  現在まで、半ばひきこもるような生活を送るようになったのだ。

  「だから、そのっ、人生で、一度しか…

  セックスを、した事がないんですぅぅう…!!」

  急に俺が号泣しだしたせいか。

  士縞さんが、ついにその顔を上げた。

  涙で視界がぐちゃぐちゃになっているせいで表情までは見えないが。

  「泣かないでください…!

  僕も、僕だって…!!」

  すると。

  今度は士縞さんまで涙声になる。

  「こ、この歳までずっと…ずっと童貞で…

  死ぬまでずっと…ひ、一人なのかなって…

  うう、うううう…!!」

  そして、ひくひくと泣きだした。

  狭い部屋の中で。

  三十路の男が、二人揃って床に座って泣いている。

  なんだこの状況。

  どうすればいい。

  畜生。

  「お、俺は…!」

  もうどうなってもいいや、と俺も告白する。

  「俺は、ショップで士縞さんを見た時、一目ぼれしちゃって…

  す、すっげえ可愛いなって…それで…うっ、ひっく、

  お近づきに、なれたら、いいなって、うう、俺は汚い奴なんですぅ…」

  腹の底から絞り出す。

  涙が止まらない。

  すると、不意に。

  士縞さんが、泣くのをやめた。

  「ま、槙島さん」

  泣いたせいか、顔が真っ赤になっている士縞さん。

  

  「僕も、槙島さんに、ひ、一目ぼれ…」

  「え?」

  今度はこちらが泣き止む番である。

  一目ぼれ?

  俺に?

  「こ、この人に…初めてをもらってほしいって…思って…

  だから押しかけたんです…」

  「えええ!!!」

  なんで、こんな…

  小汚い人間を、こんなプリティーの権化のような虎人が…?

  「嘘でしょ!?」

  思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

  「ほんとです!!

  槙島さんこそ!

  僕みたいなダサい奴のどこがいいって言うんですか!!」

  突然食って掛かる士縞さん。

  泣いたり怒ったり、情緒が不安定すぎる。

  

  「いや、ダサいって…

  その、怒らないで下さいよ?」

  俺は念を押して、

  「その、イモっぽいし、穏やかな雰囲気で、顔もその、タイプド真ん中で…

  それに、体系も滅茶苦茶好みだし…」

  既に赤くなっていた士縞さんが、更に真っ赤に顔色を変えていく。

  

  「じゃ、じゃあ、僕たちは…

  そそ、相思相愛って事なんですか!?」

  会って一日目に相思相愛って言うのもなんか違う気もするが。

  しかし、お互いがお互いに一目ぼれするなんて、そんな偶然あるのか?

  

  ……いや、あってほしい。

  この偶然を、俺は絶対にものにしたい。

  神シナリオライターではなく、

  一人のヒトとして。

  この虎人と、もっと深い関係になりたいのだ。

  「じゃあ、セックスを、教えてくれますか!?」

  目の前に、士縞さんの顔が迫る。

  ふんふんと鼻息を荒くして。

  そんな風に言われると、少し恥ずかしいが…

  「ええと、い、一度しか経験ないですけど…

  それでも良ければ…」

  いつの間にか、お互いに泣き止んでいた。

  ピッ、とアナログ時計が短く鳴る。

  午後四時。

  そろそろ仕事をしなければ。

  ……ま、いっか。

  もう、なるようになれだ。

  ×××××

  

  まだ、雨は止まないようだ。

  薄暗い部屋に、妙な緊張感が張り詰めていた。

  

  ベッドに、士縞さんを先ずは座らせる。

  そして俺も、その前に座る。

  「ふ、服はいつその…」

  

  士縞さんは緊張した面持ちだ。

  その緊張が痛いほど伝わる。

  俺だって、もう10年ぶりだ。

  そんなもん判らん。

  「とりあえず…ぬ、脱ぎますか…」

  「はい…」

  俺は穿いていたデニムを脱ぐ。

  まさかこんな展開になるとは思っていなかった。

  高々とテントを張ったボクサーパンツが露になる。

  先端部が、濡れて黒々と光っている。

  こんなに先走りって出るんだ、と我ながら感心してしまう。

  

  「ず、ズボンからですか!?」

  シャツの裾に手をかけていた士縞さんは、慌ててズボンに両手をかけた。

  特に順番なんてものはないんだろうが、俺は頷く。

  「ちょっと、ちょっと待って下さいね」

  しかし士縞さんは、ズボンを下すでもなく、そのまま動きを止めてしまった。

  はぁはぁ、と肩を上下させている。

  目線は、俺の下腹部に注がれていた。

  「大丈夫ですか?」

  そんなに凝視されると流石に恥ずかしくなる。

  「だっ!大丈夫です!!」

  …なんか大丈夫そうには見えないが。

  「やっぱ…やめます?」

  もうちょっと、こういうのは段階を踏むべきだったか?

  士縞さんも、気持ちばかりが焦っていて、心の準備が出来ていないのではないか?

  

  「ちち、違うんです、その、…ううっ!!!」

  覚悟が決まったのだろうか。

  虎人は、目をぎゅっとつむると、えいやっとズボンを脱ぎ捨てた。

  まるで時間がスローモーションになったように、宙でズボンがひらひらと舞って。

  「――すっげェ…」

  思わず、嘆息が漏れる。

  士縞さんの糞ダサパンツの前が、

  いや、前一面が、びっしょりと濡れていた。

  

  「ううう、その…ううう…」

  「す、すげぇ、士縞さん…これ全部…」

  これ全部先走りなのか!?

  俺は息を呑む。

  獣人の精力の賜物ってやつか…

  「ず、ずっと…店にいた時から、妄想してて…」

  ……さすがは、実体験がゼロとはいえ、あの文章を書いただけのことはある。

  士縞さんの妄想力は、尋常ではないようだ。

  「その、じ、実のところ、さっきトイレに行ったときに、一回パンツ履き替えたんです…」

  「えっ」

  それでこの量なのか!?

  

  「それに、その、トイレで一回、その」

  驚愕する俺の前で、士縞さんは太い眉をㇵの字に下げた。

  

  「お、オナニーしてきたんです…」

  ――なんと。

  俺が居眠りしている間に、そんな事が。

  

  「なのに、こんなになってて…

  は、恥ずかしい…」

  虎人はしゅんと縮こまると、両手で顔を覆ってしまう。

  尻尾がぐるりと胴を巻き、股間を隠すように所在なく揺れていた。

  「士縞さん、」

  なんだこの可愛い生き物…

  

  その姿に興奮した俺は、衝動的に。

  士縞さんを抱きしめていた。

  「うっ、わっ!」

  バランスを崩し、押し倒される士縞さん。

  追い打ちをかけるように、俺はさらに力を込めて士縞さんの胸に抱き着く。

  「士縞さん…

  マジで…好きだ…」

  「ま、槙島さん…」

  士縞さんの胸に、耳を押し当てる。

  まるで小動物の心音の様に、バクバクと鼓動が猛っている。

  「そ、その、こうやってれば見えないんで。

  落ち着くまで、俺、士縞さんの、見ませんから」

  ……なんてのは方便だ。

  本当は、愛しさが爆発してしまっただけ。

  しかし、そんな身勝手な俺の背中に、士縞さんの腕が回ってくる。

  「…すいません、僕、童貞拗らせすぎてて…」

  この虎人は、何度謝れば気が済むのだろう。

  

  密着した士縞さんの胸に鼻を押し当てると、俺は胸いっぱいに息を吸い込んだ。

  獣臭さと、汗やほこりの匂い、それに車の芳香剤。

  あれこれ混ざった士縞さんの匂いが、肺一杯に充満し、満たされる。

  そこでふと、俺は思い出した。

  

  丸二日風呂に入っていなかった事を。

  だが。

  「槙島さん…いい匂い…」

  俺の髪に鼻を圧しつけると、虎人は恍惚とした声を出した。

  途端に申し訳ない気持ちになる。

  「あの、実は二日風呂に…」

  言いかけるが、興が削がれてしまいそうで躊躇う。

  士縞さんの顔は見えないが、ふふっ、と小さく笑う声が聞こえた。

  「店に来た時から、気づいてましたよ」

  ――気づかれてたか。

  さすが獣人、人間より鼻が利くのか。

  「寝ぐせ凄かったですし、自転車こいで汗も凄かったですし」

  嘘だろ。

  死にたい。

  「でも、僕…その匂いも、す、好きです」

  やっぱやめだ。

  生きよう。

  「もしかして、匂いフェチ?」

  顔を胸にうずめたまま問いかけると、うう、と士縞さんが唸るのが聞こえた。

  「その、ちょっと臭い方が、興奮するかも、です…」

  風呂入ってなくて、良かった。

  たぶん、人としてはダメなんだろうが。

  そうして、3分ほど密着していただろうか。

  「その、もう、大丈夫です」

  小さな声で言った。

  俺が体を離すと、士縞さんは照れたように笑って。

  シャツを脱ぎ捨て、パンツ1枚になる。

  

  むちむちとした胸に、脂の乗った腹。

  成熟した雄の体に、俺は息を呑む。

  士縞さんだけに、恥ずかしい思いはさせられない。

  俺もシャツの裾に手をかけ、一気に脱いだ。

  「わ…」

  俺の体を見て、虎人が息を漏らす。

  

  …鍛えているわけでもないし、毛の処理もしていない。

  固太りなのでそれなりに見栄えは悪くないが、不健康なイメージはあるかもしれない。

  俺のそんな堕落した体を、士縞さんは眺めて。

  「凄い、期待通りだ…」

  と呟いた。

  「士縞さんの体も、俺が期待してた通り…

  その、クソエロいっす」

  素直に感想を伝えると、士縞さんは今まで見たことない笑顔で、

  「僕、今、生きてきて一番幸せです」

  と言った。

  

  16時30分。

  秋の日は釣瓶落としと言うが。

  加速度的に、部屋の闇が濃くなっていく。

  「それじゃ、士縞さん」

  いつまでも、お互いここを見ない訳にはいかないだろう。

  

  「はい、槙島さん」

  向き合って、俺たちは同時に最後の1枚を…つまり俺はボクサーパンツを、士縞さんはトランクスを…脱いだ。

  互いのペニスが露になる。

  「うわ…」

  士縞さんが声を漏らした。

  途端に、部屋に漂う匂いが密度を増した。

  「すげぇ…」

  俺は、虎人のそれを見て、思わず絶句してしまった。

  ――デカい。

  20㎝はゆうに越えていた。

  仮性包茎で、先端部分以外は包皮に包まれている。

  その先端部分から、つつつ、と先走りが糸を引いている。

  根本は太く凝り固まり、野性味のあるフォルム。

  

  士縞さんの目線の先には、俺の一物。

  とは言っても、特別立派なものではない。

  普段からズル剥けではあるが、サイズは14センチくらい。

  一般的な大きさだろう。

  

  …と。

  まるで熱にうかされたように。

  士縞さんは姿勢を低くすると、俺のペニスに顔を近づける。

  そしてくんくん、と匂いを嗅ぐと、うあぁ、と小さく呻いた。

  「く、臭くない…?」

  不意を突かれて、敬語を忘れる俺。

  虎人はううん、と首を横に振ると、

  「いい匂い…」

  

  と、マタタビに酔ったネコの様に目を濁らせ、俺のペニスに鼻先を擦り付ける。

  ぞわぞわ、と背筋を快感の波が走る。

  

  その仕草が煽情的すぎて、俺はそれだけで達しそうになってしまう。

  「ま、待って」

  腰を引くと、士縞さんの肩を押しやって起き上がらせた。

  「槙島さん、僕…」

  もう恥じらいを忘れたのだろうか。

  士縞さんは自分のペニスを誇示するように、腰を突き出す。

  

  「うお、マジか…」

  

  こりゃ、パンツもああなるわ。

  そう納得してしまう。

  一物の先端から、まるで小便を漏らしているのかと見紛う程に、たらたらとカウパーが溢れ、重力に負けて垂れ落ちていた。

  

  「槙島さんの、ちんぽ、嗅いでたら…」

  つい小一時間前まで、まるで子犬の様に震えていた虎人が。

  年齢相応に淫らな表情を浮かべていた。

  本当に童貞なのか、と疑問に思うほどに。

  「おかしくなりそうです…」

  こんなもの、見せられたら。

  俺だって、狂ってしまう。

  「すいま、せん…」

  士縞さんは急に俺の肩を掴むと。

  唇を、俺の唇に押し当ててきた。

  「んっ…」

  目を閉じてそれを受け入れる。

  …が、流石は童貞、というか…

  舌を入れてくる訳でもなく、ただ強く押し付けるようなバードキスだ。

  じれったくなった俺は、虎人の首に、腕を回すと。

  口づけている部分を開き、舌をチロチロと虎人の口先に這わせた。

  「うう、ん…!」

  驚いたようなうめき声をあげると、少しして、士縞さんは口をゆっくりと開ける。

  そして、獣人らしく太くて分厚い舌を、恐る恐る俺の舌に絡めた。

  ふっ、と二人の声が同時に漏れる。

  俺は一層強く士縞さんを抱き、士縞さんも俺の胴をきつく抱きしめる。

  くちゃりと音を立てながら、経験の薄い俺たちは、乱暴なキスを続けた。

  昼間に見た、あのイモ系のお兄ちゃんが。

  今は目の前で、誰にも見せたことのない姿を俺に晒している。

  ――堪らない。

  士縞さんの舌を吸うと、同時に唾液も俺の口の中に流れ込む。

  獣人の唾液は、人間に比べると薄く、さらさらとしている。

  匂いもきつくないので、飲み込んでも嫌悪感は無い。

  しかし、本人は気にしたようで、

  「唾飲まないで、恥ずかしい…」

  さっきあんなにギンギンのチンポ晒しといて何を言うか、と思わなくもないが…

  虎人は照れてキスを止めてしまう。

  「全然嫌じゃないし、もっと飲みたいっすよ」

  俺が素直にそう催促すると、

  「じゃ、じゃあその、今度は僕が…」

  「え、でも…」

  …虎人のマズルは、人間のように平らではない。

  だから、舌を伸ばすことは出来ても、逆に舌を吸うのには適していない。

  士縞さんはそれが判っているからか。

  「つ、唾、少し、飲ませてください」

  舌をべー、とつきだす。

  マジか、と一瞬躊躇うが…

  俺はその舌を口に含み、音を立ててしゃぶる。

  あ、うん、と身をよじる士縞さん。

  そして俺は口を離すと、だらしなく伸びた士縞さんの舌の上に、唾液を少し垂らした。

  「まひしまはん…」

  舌をくるりと口の中に格納すると…

  士縞さんは、

  「おいしい…」

  「士縞さん…」

  目を潤ませる虎人が、いじらしく見えて。

  俺はもう一度、その頭を抱きしめた。

  そして。

  「んっ、あっあ、んっ!!!」

  士縞さんのペニスを、しごく。

  今まであえて触っていなかったのだが、やはり刺激が強かったようで。

  虎人の背中が、ぐっと強張る。

  「士縞さん、大丈夫?」

  「うん…」

  相変わらず先走りをだらだらと垂らす士縞さんの下腹部は、まるでジュースでもこぼしたように広く濡れていた。

  そこに手を這わすと、濃密な匂いと共に、薄めのローションのようにとろりとした手触りの粘液が絡みつく。

  その手を長大なペニスに這わせると、俺は再びしごき始めた。

  力をこめすぎず、優しく。

  士縞さんがセックスを嫌いにならないように、丁寧に動かす。

  「ま、槙島さん!」

  焦ったように士縞さんが口走り、俺のペニスに手を伸ばす。

  いつの間にか自分の先走りを手に広げていたようで。

  スライムが絡みついたのか、と思うほどの粘液質な快感が、下半身にジワリと広がった。

  反撃を予感していなかった俺は、その感覚に驚く。

  虎人のおおぶりな肉球が、吸いつくように俺の一物をしごき上げた。

  「うお、し、士縞さん!!それはヤバい!」

  腰が引ける。

  なんだこりゃ、セックスってこんなに気持ち良かったのか?

  俺は今まで何をしていたんだ?

  そんな謎の後悔が脳裏をよぎる。

  「や、ヤバいのは、ぼ、僕も!!!」

  お互いにパニック状態になる。

  だが、一物をしごく手は止まらない。

  「あっ、やっ、!!」

  士縞さんが悲鳴を上げる。

  俺は、抱きかかえていた虎人の頭を離すと、ペニスに視線を注いだ。

  手を上下する度、包皮が一緒に上下して。

  そのたびに亀頭が、雁が見え隠れする。

  二人の吐息と雨音以外に、何も聞こえない部屋で。

  くちゃくちゃ、と淫靡な音がやけに大きく響く。

  少し深めに手を動かすと、皮の中に閉じ込められていた臭気が、強烈に鼻を衝く。

  コレが俗に言うフェロモンなのか、と納得するほど、それは濃く、艶めかしい匂いをしていた。

  匂いに脳を灼かれ、意識が飛びそうになる。

  肉色の中身を隆起させて、士縞さんのペニスが切なげに脈打つ。

  そして。

  「――あ、ご、す、すいません、あ、で、でるッ!!」

  士縞さんの断末魔と共に。

  先端から、ぶびゅ、と音を立てて精液が放たれた。

  「うっ、ちょ、すげっ…」

  精液が、俺のペニスにびっしりと絡みつく。

  熱い。

  人間と体のつくりが違うからか。

  放たれた精は、湯気がたつのでは、と思うほどに熱を持っていた。

  朦朧とした士縞さんが、そこに手を伸ばして、ひと扱きした瞬間。

  「あ、し、士縞さん!」

  俺も、限界に達してしまった。

  今まで感じたことのない快感が、肛門から蟻の門渡り、そしてチンポの先端へと上り。

  士縞さんの時の様に、勢いよく射精する。

  それも、今までAVでしか見たことがないくらい、何度も。

  「まきしまさ、すごい…」

  士縞さんの腹を、俺の精が汚していく。

  背徳的な快感。

  そして、俺は力なく、士縞さんの上に倒れ込んだ。

  士縞さんはそれは難なく受け止める。

  「槙島さん、せ、セックスって、凄いですね」

  はぁはぁ、と乱暴に息をする虎人。

  「俺だって、こんなの、人生で初めて、で」

  息も絶え絶えになる俺。

  こんなの、何度もやってたら頭がおかしくなる。

  

  「槙島さん、僕、もっとしたいです」

  俺の頭を胸元にかき抱きながら、士縞さんはうっとりとした声で言う。

  これが、俗に言う性の悦びを知る、という奴なのか。

  なんだか士縞さんは、一皮剥けた様だ。

  俺は息を整えると。

  「…士縞さん」

  「はい?」

  「俺、その、マジで今日一目ぼれしただけで、まだ士縞さんの事全然わかってない。

  まだ名前だって知らないし…どこに住んでるかとか、どんな人生送ってきたのかとか。

  何一つわからないけど…」

  顔を上げて、士縞さんの目を見つめた。

  昼間見たのと同じ、太い眉の下につぶらな瞳を細めて、士縞さんが俺を見ていた。

  「ずっと、一緒にいたいっす」

  「槙島さん…」

  士縞さんは、きゅっと目を細めると…

  ぽろり、と涙をこぼす。

  「僕は、凄く、ずるい人間です。

  弱いし、迷惑をかけるかもしれません」

  目を見張る俺の前で、泣き笑いしながら、

  「でも、今、凄く幸せです。

  それに、ずっと先まで、一緒に幸せになりたい。

  だから、付き合ってください」

  と、はっきりとした声色で言った。

  ×××××

  

  その後。

  飛び散った精液やらなんやらをタオルで全て拭き取ると。

  俺たちは肩を並べて、お互いの情報を交換し合った。

  俺の名前は、槙島健吾。

  30歳で、フリーのSE。

  人生で、今日が2度目のセックス。

  虎人の名前は、士縞泰牙。

  30歳で、PCショップの修理担当。あと、副業で同人のシナリオライター。

  人生で、今日が始めてのセックス。

  俺たちはお互いに、今日、一目ぼれをして。

  お互いに、告白をして。

  そして、互いに、これからの未来を祈りあった。

  それに…

  「槙島さん、ところでセックスって、肛門を使ってもやるんですよね?」

  「てか、口でしゃぶったりすらしてないっていうか、俺たち二人とも…あっという間にイっちゃったし…」

  「僕たち、その、二人とも、早漏なんでしょうか」

  「……さぁ……」

  まだ、セックスの勉強は長く続きそうだ。

  ちなみに、俺は結局、その後仕事が手につかず。

  翌日納期オーバーで大目玉を食らったのだが、それはまた別のお話。

  (後編につづく)

  

AdAd