元勇者で奴隷に堕ちた三十路の獣人は変わり者の主人に買われる
どうしてこうなってしまったのか、俺は何度考えてもよく分からない。ただ現実としてそこにあるのは、勇者という身分から最底辺の奴隷に成り下がった自分自身の存在だ。
普通、奴隷というのは若い年齢の者が多く、10代前半から後半だと売りに出されて数日で買い手が付く。20代だと既に半分近くが最後まで売れ残ってしまう残酷な世界だ。
そんな中で当の俺は、既に30代に突入した紛れもない行き遅れだ。そもそも奴隷になってからまだ半年も経っておらず、引き取った商人からも「お前みたいな奴は買いたい人がいないだろうな」と馬鹿にした顔つきで蔑まれた。
実際、店で売りに出されてから今まで誰からも興味を示された事は無い。このままだと廃棄処分もあり得るのだろうか。悪い想像ばかりが頭を埋め尽くしてしまう。
今日も今日とて商店に客はやって来るが、目当ては若い奴隷で俺みたいな年寄りは見向きもされない。もういっそ楽にしてくれ。何の利用価値もない俺を介錯してくれと項垂れながら願っていた時、頭上から鈴の音に似た涼やかな声が降り注ぐ。
「君、すまないが顔を見せてくれないか?」
「⋯⋯⋯⋯?」
言われるがままに顔を上げると、視界に飛び込んできたのは薄汚い店内とそぐわない綺麗な面相をした碧眼の男だった。
いや、男性だと一目で断定するには少し躊躇われる中性的な見た目をしている。肩近くまで伸ばした黄金色のブロンドヘアーは太陽の光を受けてキラキラと輝き、丸くて目尻が下がった双眸と長い睫毛は向かい合う相手を魅了する不思議な力があると感じた。
そういった第一印象を抱く間、恐らく彼と呼んで差し障りない性別不明の人間は俺の方をじっと見つめ、何も言わずにうんと小さく頷いてから近くの商人へ声を掛ける。
「もし、訊ねたい事があるのだが」
「はいはい、何でしょう。お気に入りの奴隷は見つかりましたかな? お決まりでなければ当店イチオシの品を──」
「この熊獣人を買いたい。いくらで譲ってもらえる?」
男が言葉を遮ってそう告げると、商人は下卑た笑みを一瞬強張らせる。まさかそいつを、とでも言いたげな驚きに満ちた表情だ。
「どうした、売り物じゃないのか?」
「い、いえいえ。滅相もありません! どうぞ買ってやってくださいませ! 中々買い手がつかなくて我々も困っていたものでしたので」
「なら交渉成立だな。値段はいくらだ?」
「年齢が年齢ですし、銀貨3枚で奴隷の所有権を譲渡します。ではこちらの誓約書にサインをお願いしますね」
自前の羽ペンでさらさらと自身の名を書面に記入し金を支払った碧眼の男性は、商人から奴隷についての簡単な説明を受けてから俺と共に停めてあった馬車へ乗り、街から少し離れた静かな土地にぽつんと佇む一軒家へと入る。
「ここが私の住処だ。今日から君もここで一緒に暮らしてもらうが、異存は無いだろうか?」
「⋯⋯はい、ありません」
「もし要望があったら遠慮なく申してくれ。おっと、まずは邪魔な鎖を壊さないとな。ペンチを持ってくるから少し待っていてくれ」
「はい。⋯⋯って、え?」
聞き間違いだろうか。鎖を、壊す? なぜ? 商人から口酸っぱく教えられたが、首と両手に嵌められた枷は奴隷としての証だ。それは誰かに買われたとしても変わらず着け続けないといけない。なのに、それを主人自ら壊すだって?
事態が上手く飲み込めない俺をよそに、どこかから持ってきたペンチで男は俺を縛り付ける金属製の枷を次々と断ち切る。ものの数分程度で久方ぶりに身体の自由が戻った。
「ふぅ、これでよし。服は私が用意しておくから、まずはゆっくり風呂に漬かって温まってくれ。冬場だというのに腰布しか着させてもらえずに寒かっただろう」
「⋯⋯どうして」
「ん、疑問に思う点があったか?」
「どうして、あなたは俺の様な利用価値がゼロの奴隷にここまで優しくしてくれるんだ? そもそも奴隷を買うならもっと若くて器量の良い獣人がたくさんいたはずだ。確かに値段は安いが、その身なりからして生活に不自由はしていないし、俺を選んで妥協する意味が──」
「君の気持ちも理解できる。だが、私は妥協など一切していないしたとえ君の値段が金貨10枚でも迷いなく買っていた。それだけの価値があると断言できるからな」
「そこまで俺に固執するのは、俺が元勇者だと知っているからか? しかし今となっては勇者だった頃の地位も名誉も無に等しい。詳しい経緯は自分でも覚えていないが、とにかく全てを失ってしまったんだ」
「元勇者⋯⋯そうだったのか。正直なところ君の過去については知らなかった。そちらの素性を一方的に把握した状態はアンフェアだな。私も素性を明かすとしよう」
青年は懐から一枚の名刺を取り出し、礼儀正しい所作で俺に手渡す。そこに記されている名前と肩書きを見て思わず口が半開きになった。
「しょ、小説家のノエル・アスターだって!? デビューから色々なジャンルの作品で立て続けにベストセラー小説を生み出した、あのノエル・アスター!? あ、あなたがその人だったのか。よもやこんなに若いとは思っていなかった」
「デビューの頃が18歳だったから今年で作家生活5年目だね。私の事を存じていてくれて嬉しいよ、ありがとう」
「俺もそこまで本を読む方じゃないが、ノエルの書いた小説を読んだ時は心が揺さぶられて涙を流した。創作物で泣くほど感動したのはあれが初めてだったよ」
「作者冥利に尽きる感想を頂戴して誠に感謝する。創作というのは読者がいてようやく完成するものだと私は常々思ってる、故に読者からの批評は称賛も非難も全部が尊く私にとっての生きる糧だ。そして私は現在、新たなジャンルの小説に挑戦し身を投じている。これを完成されるには己のみならず、君の手助けが必要不可欠だ」
ノエルの目が真剣味を帯びていく。かつてホラー、ミステリー、アクション、SF、歴史と数々のジャンルで社会現象を巻き起こした天才作家が一体どういった悩みを抱いているのか。
それを聞く前に、俺は未だに自己紹介をしていないという事に気が付いた。相手にだけ名乗らせておいて自分が名前を言わないのは失礼な行いだ。
「申し訳ない、俺も名乗らせてもらう。俺の名前はラグラス・オルフェンだ。名前でも苗字でも好きに呼んでくれ」
「では、ラグラス。君に折り入って頼みがある。現在、私が執筆している小説のとあるシーンを書く為の取材をさせて頂きたい。どうかこの通りだ」
俺の前に立つノエルは腕を横にぴったりとつけ、深々と頭を下げて頼み込む。主人が奴隷に対して懇願するなんてのは通常あり得ない話だ。逆ならまだしも、頭を下げられた側の俺は困惑せざるを得ない。
「お、おいノエル。頭を上げてくれ。あなたは主人なんだ、頼まなくても無理やり命令すればそれで済むだろう」
「いや、命令はしたくない。あくまで君がどうしたいか、私はその思いを尊重する。もし断ったとしてもラグラスを追い出したりなどしない。まだ別の方法を考えるまでだ」
「⋯⋯あなたは、こんなどうしようもない奴隷の俺を買ってくれた恩人だ。少しでも恩を返したい。だから、俺にできる事なら協力させてほしい。ノエルが小説を書き上げるのに必要な手助けをさせてくれ」
「心強い限りだ。今日はもう遅い、執筆は明日からやるとしてゆっくり休んでくれ。君専用の客室を用意してある」
ノエルからの気遣いにありがたく応じ、しばらく浴びていなかった温かいシャワーと風呂を頂き入浴後は美味しい食事も振る舞ってもらった。本来、雑用は奴隷にやらせるのが常識でありノエルは色んな意味で変わり者だ。
──翌日、早い時間に起床した俺は主人であるノエルの許可を取り、台所に立って朝食を作りダイニングテーブルに並べた。自炊は以前から頻繁にしていたので料理スキルにはそれなりの自信がある。
「⋯⋯味はどうだ? 口に合うだろうか」
「うん、凄く美味しいよ。私より遥かに腕が良いね。可能なら食事はラグラスの作った物を毎日食べたいな」
「ほ、本当か? 任せてくれ。美味しさと栄養バランスが両立したご飯をノエルに提供してみせる」
「無理しなくて大丈夫だからね。ラグラスが疲れてたり忙しそうな時は私も作るよ」
そんな会話を交わしつつ俺とノエルは食事を済ませ、一段落ついたところで昨日の続きに入る。
「それで、ノエル。あなたが挑戦している最中の小説について、詳細を聞かせてもらえるだろうか。ちなみにジャンルは何なんだ?」
「あぁ、そうか。まだ話していなかったね。私が今、書いているジャンルとは──官能小説、だ」
「⋯⋯へ。か、官能小説?」
つい素っ頓狂な声を発してしまった。あまりにも予想外の答えが返ってきたからだ。
官能小説という物があるのは勇者時代から酒場などで耳にしていた。その中身が性行為を題材にしたいかがわしい作品である、という知識もある。実際に読んだ試しは無いが。
誰もが知る超有名作家のノエルがそういったジャンルに手を出すのは些か不思議だ。別に官能小説が低俗だという認識は持ち合わせていないが、果たして人々が描くノエルのイメージと剥離してしまわないだろうか。
「ノエル、一つあなたに訊ねたい。官能小説を書こうと思ったきっかけなど何かあるのか?」
「実を言うと私は最近まで官能小説というものを知らずに生きてきた。だが先月、本屋に立ち寄った際たまたま見つけて興味本位から購読してみたんだ。そこで衝撃を覚えた。世の中にはまだまだ未知の領域があったのだ、とね」
「それで、自分でも書いてみようと?」
「やはり作家としては挑戦したい精神に駆られた。しかしながらいざ執筆を始めると、かなり早い段階で行き詰まってしまい筆が進まない。原因を探った結果、私には官能小説を書くのに求められる経験が圧倒的に不足していると悟ったのだ」
「け、経験が不足⋯⋯そうなのか」
話している本人が真面目なのもあり、俺もつられて違和感が薄れてくる。もしかすると知らず知らずのうちに、読んでもいない官能小説への偏見があったのかもしれない。
「そう。そこで、君には私が未経験な行為の相手役を務めてもらいたい。具体的には恋人同士で行うハグやキス、ペッティング、最終的には──」
「わ、分かった。察したから皆まで言わなくても問題ない」
平然とした様子で肉体的接触の数々を言ってのけるノエルに、俺は自然と顔が赤らんでいくのを肌で感じる。まさか俺の方がおかしいのか?
ここまで意識してしまう要因の一つに挙げられるのは、他ならぬノエルの容姿が影響しているに違いない。初対面で性別に疑問符がつく美形の持ち主であり、男女問わず彼を目の前にしたらほぼ例外なく見惚れてしまう。恋愛に無頓着な俺でさえ美しさに放心したほどだ。
第一、奴隷と主人が恋仲になるのはご法度とされている。主人側が性的な目的で奴隷を買うならいざ知らず、奴隷側が主人に対して恋慕の情を募らせるなど言語道断。身分を弁えていないとみなされ即座に返品されるのが関の山だろう。
ノエルはとても優しく、奴隷の俺に風呂を与えてくれたりふかふかのベッドで寝かせてくれたりと異例の待遇だ。もう商人に貶されたり甚振られたりしたくない。元の生活に戻りたくないという思いを秘め、ノエルの要求には何でも従おうと固く決意した。
「俺で良ければ、喜んで相手役を務めさせて頂く。ノエルからの指示に全力で応える所存だ」
「ありがとう、ラグラス。であれば街に出掛けようか」
「街に? 家で執筆するんじゃないのか?」
「君の生活に足りない物を一通り買い揃えないといけないからな。服も今しがた着ているのでは窮屈だろう? きちんと身体のサイズに合った衣類を渡さないとな」
「確かに小さいが、俺は腰布があれば十分だ。服なんて贅沢だからな」
「うーん、それがラグラスの趣味であるなら否定はしないが。たとえ君が露出好きであっても私は受け入れるつもりだ」
「ちょ、ちょっと待て! 大きな誤解をしているぞ! 別に露出が好きな訳じゃなく、俺に余計なお金を使うなんて勿体ないと言っているだけだ!」
「おっと、そうだったのか。こちらが深読みしてしまった様だな。何はともあれ出発しよう、馬車も手配してある」
なし崩し的に話が進み、俺とノエルは馬車に揺られて移動し約1時間後、多くの人たちで賑わう街の中心地へと到着した。
「やはりここはいつ来ても活気があるな。ラグラス、人混みは平気か?」
「そこまで苦手じゃない。もし何かあったらノエル、あなたを俺が守ってみせる」
「頼りになるな、君の側なら立ったまま眠っていても心配なさそうだ」
「それは危ないから止めてくれ」
ノエルの天然っぽい発言に異論を挟みつつ、俺たち2人は様々な店を巡る。服屋でノエルが選んだ高そうな上着と下履きを購入し、ついでに数日分の食料品もどっさりと買い込む。
大量の荷物を両手に抱え、俺は喜びに満ち溢れていた。荷物持ちとは言え役に立ててる実感が得られたからだ。ノエルは「私も持とうか?」と俺に何度も問い掛けてきたが、ここは力自慢の出番だとその申し出を断った。
全ての買い物を終えて再び馬車に乗り、賑やかな街中とは真逆の静かな家に帰ってきた。ノエルと出会ってまだ2日しか経っていないのに、早くも居心地の良い場所になっている。
「ふぅ、我が家は落ち着くな。ラグラスの着衣をたくさん買えて満足だ」
「こんなに多くの服を買い与えてもらって感謝が尽きない。ノエル、あなたには一生かけても返し切れない恩義がある」
「そう畏まらないでくれ、もう私と君は家族なんだからな。それにラグラスには私の仕事を手伝ってもらう。今から始めようと思うが、疲れていないか?」
「っ! あ、あぁ。疲労はさほど無い。こ、心の準備も、できている」
「よし、では行くとしよう。私が執筆中の官能小説は、異種族間での恋愛が禁止されている世界で人間と獣人の登場人物が人目を盗んで逢瀬を重ね、禁断の愛を育んでいくというものだ。ちょうど私と君も異種族であるから感情移入しやすいな」
「ま、まぁ確かに。一理あるな」
「だろう? 加えて体格差も私のイメージにぴったりだ。そして小説に出てくる獣人は人間の肉体に興味津々でな、事あるごとに触って被毛と異なる素肌の感触の虜になる。そこでラグラス、君には今から私の身体を弄ってもらうぞ」
「なっ! ま、弄るだって!? い、いやでも。奴隷が主人の身に触れるのは無礼千万な気が⋯⋯」
「これは小説のワンシーンを描くのに外せない大事な行為なんだ。怖気づかずに向かってこい、私が許可する」
「⋯⋯そこまで言うなら、俺も腹を括る。もう十分だと思ったらストップの合図を出してくれ」
獣人の俺と比べると小柄なノエルの背後に回り、シャツの下から腕を入れて柔肌にそっと指を滑らせる。こうやって人間の皮膚に直接触るのは今回が初めてだが、しっとりと吸い付くかの如き素肌は何とも言えない不思議な感触だ。ずっとこうしていたいという思いが芽生える。
「ラグラス、どうだ? 触り心地の感想を聞かせてくれ」
「⋯⋯正直、想像していた以上にすべすべで滑らかだ。毛が生えていないとこうも感触に違いがあるんだな」
「一応、産毛は生えているが獣人からしたら無いも同然ではあるな。ちなみに私は毛深いのが好みだぞ。ラグラスの焦げ茶色な被毛に顔を埋めて寝たら安眠できそうだ」
「息苦しいかもしれないが、ノエルがそうしたいのなら俺は快く添い寝する」
「であれば今日の夜から同じベッドで寝るとしようか。ラグラスの部屋に置いてある寝具のサイズだったら、2人で横に並んでも窮屈じゃないだろうからな」
ノエルはこちらに首を捻り、顔を合わせた状態で言葉のやり取りをする。相手が自然体である為、俺の方も緊張が解れてきて身体を弄る手つきが大胆になっていく。
最初は主に腹の辺りを撫で回していたところから上にずらし、胸部の周りを爪で傷付けない様に注意しながらつーっと指の腹でなぞる。すると次の瞬間、ノエルは短い吐息と共に背中をビクッと震わせた。
「んっ。は、ぁっ」
「す、すまない。痛かったか?」
「ううん、そうじゃない。ただ何か、先ほどまでは感じなかった刺激があったものだから。今ラグラスが触れた箇所は?」
「胸、だな」
「胸か⋯⋯。手間を掛けさせて悪いが、もう一度さっきと同じ風に触ってみてくれ。偶然かどうかを検証したい」
「わ、分かった。失礼する」
言われるがままに俺はノエルの胸板を指でさすさすと擦り、小さな突起を優しく丁寧に扱う。乳首をこねくり回されるノエルは頬を上気させて艶やかなくぐもった声を発し、珍しく狼狽えた表情で俺に視線を送る。
「ラ、ラグラス。一旦、手を離してくれ。お願いだ」
「了解。それで、どうなんだ? 偶然なのかはたまた、確信があったのか」
「⋯⋯ラグラスに触れられて知ったが、私は胸部が感じやすい体質らしい。特に乳首を弄られると、下腹部が途端に切なくなってくる。はっ、この発見は是非とも作品に活かさなくては! しばらく部屋に籠るから食事は作り置きしておいてくれ!」
どうやら小説家としての血が騒いだノエルは早足で自室に入ってドアを閉め、中からカリカリとペンを走らせる音が聞こえてくる。仕事の邪魔をしてはいけないから、執筆が一段落するまでに掃除と洗濯をやっておくとしよう。
奴隷商会にいた期間で培った家事スキルを俺は遺憾なく発揮し、溜まった洗濯物を手洗いして外の物干し竿に一つずつ干していき、それが終わると次は箒と水で濡らした雑巾を使い家の床や窓を徹底的に綺麗にした。
主人の役に立つ、しかもノエルの為ともなれば俺はいくらでも頑張れる。そんな気持ちで昼食の料理を作り、ノエルの分はラップに掛けて保存しておいた。さて、小説の執筆は上手く行っているのだろうか。
自分の食事を終えて食器の洗い物をしながらぼんやり考えていると、ノエルがいる書斎の方から声が届いた。
「ラグラス、手が空いたら私の所に来てくれないか?」
「それは構わないが、何の用事だ?」
「後で話すよ。とにかくこっちまで集まってくれ」
内容は不明だが、主人に来いと言われたら従うのが道理だ。水道の栓を閉めた俺は濡れた手を布巾で拭い、書斎のドアをコンコンとノックしてから室内に足を踏み入れる。
──と、俺の視界に飛び込んできたのは、開いた口が塞がらなくなる驚きの光景だった。
「ノ、ノ、ノエルっ!? そ、その格好は⋯⋯っ!?」
「困ってしまった。執筆は進んだんだが、身体の火照りがどうも鎮まらなくてな。堪らず服を脱いだんだ」
椅子に座るノエルは一糸まとわぬ姿で裸体を晒しており、股座には皮を被っていながらも長く形の良い男根が屹立して存在を主張する。つまり彼は、昼下がりの仕事場にてペニスを勃起させている。
「も、もしかして⋯⋯俺があなたの身体に触れたのが原因だろうか?」
「恐らくは。というよりも、私が自らの性感帯を発見してしまったと言うべきだろうか。今まで乳首を弄った試しなど一度もなかったからな。自慰行為も基本的にせず、夢精でしか精を放っていない」
「そう、なのか。じゃあ割と性欲発散には鈍感なんだな」
「うむ。大抵の欲求は執筆作業で満たされるからこそ、いざこういった事態に陥ると対処が難しい。ラグラス、性知識が乏しい私へ君からの施しを授けてくれないか?」
「施しっていうのは、火照りを収めるのにどうすれば良いか知りたいって意味合いか?」
「その解釈で合ってる。私の身を持って官能小説のアイデア出しにも繋がれば一石二鳥だ、さぁここから先は全面的に任させてもらう」
曇りなき眼で俺の方を見ながらノエルは椅子から腰を上げ、いきり立つ股間を隠そうともせず堂々と仁王立ちして待機する。これは逃げ道を塞がれたも同然だ。
観念するしかないと悟った俺は、いっそ現状を幸運な機会だと捉えて今だけ奴隷という立場を逸脱しようと思い、ノエルに倣って脱衣し始める。ノエルの視線を浴びながら下着も脱ぎ下ろし、生まれたままの素っ裸と化した。
人前で裸になれるのは慣れている。勇者時代にはパーティーメンバーとよく野営で風呂にも入っていたし、奴隷になってからも教育と称して全裸を強要される場面があった。
にも関わらず、ノエルに己の肉体を曝け出すのは顔から火が出るほど恥ずかしい。それはきっと、俺がノエルに特別な感情を抱いてるからだと自問自答し、改めて気持ちを伝える。
「ノエル、俺は──あなたに、掛け替えのない想いを寄せている。奴隷が主人に恋心を抱くなどあってはならない愚行だ。それは重々承知している。しかし、この気持ちを見て見ぬふりはできない。こんな俺を、受け入れてくれないだろうか?」
「⋯⋯ラグラス。私は正直、人を好きになるという感情はよく分からない。けれどラグラスに会えて良かったと感じているのは確かだ。それだけじゃ足りないだろうか?」
「ノエルがそう思っていてくれるなら俺はこの上なく幸せだ。これからも一緒にいさせてくれさえすれば、他には何も望まない。一生あなたに忠誠を誓う」
俺はその場に跪き、主人であるノエルの手を取って口づけを落とす。キザな仕草だという自覚はあるが、それほどまでに彼を愛している意思表示も合わせて勝手に身体が動いた。そんな俺の行動に、ノエルは優しい笑みを浮かべてこくりと頷く。
そして俺たちは抱き合ったままベッドにしなだれ込み、火照った肉体を密着させてどちらともなく唇を重ね合わせる。
滾る情欲は留まるところを知らない。いつしか主人と奴隷の関係性も忘れ、俺はノエルをシーツの上に押し倒してバター犬が如く全身を舌でピチャピチャと舐り回す。俺の愛撫に気持ち良さそうな喘ぎを漏らすノエルが身じろぎして悶え、股間の肉茎をビクビクと小刻みに脈動させる。
その蠱惑的な光景に俺も興奮を募らせ、愚息はこれ以上なく猛り狂い亀頭の鈴口から先走り液が溢れ出て重力に従い垂れ落ちていく。今の俺は元勇者でも奴隷でもない、本能に忠実な卑しきケダモノだ。ノエルを犯したくて犯したくて理性のタガが外れる。
きっと今の俺は目を血走らせて欲望全開な顔つきをしている事だろう、ノエルもそれを察してか自ずと両足を広げヒクつく魅惑の秘孔を俺に見せつけ、純潔を捧げようといじらしく誘ってくる。
もうここまで来たら身分の違いなんて関係ない。据え膳食わぬは雄の恥だと俺はノエルに覆い被さり、処女穴にマラを突き入れて激しく豪快な動きで腰をズパンズパンッと叩きつける。
俺のピストンでナカを掻き回されるノエルは、金色のブロンドヘアーを振り乱しながら甲高い嬌声を上げて俺にしがみつく。そんな彼に至高の情愛を持って応え、何度も何度も繰り返しキツく締め付ける腸内を掘り犯して雄交尾の悦びに浸った。
やがて絶頂へと達し、俺が雄腟内にザーメンを注いだのと同時にノエルも射精して白濁液を打ち放つ。一度イクだけじゃ飽き足らず、抜かずに体位を変えて再びまぐわう。汗だくになった彼の顔を舌で拭い、細身の裸を両手で抱き寄せたまま一度目よりも多い量の子種を暴発させたのだった。
──三ヶ月後、官能小説を書き上げたノエルの作品が出版され、たちまち人々の間で話題となりすぐさま重版されるほど飛ぶ様に売れていった。
それはもちろん俺としても嬉しい限りなのだが、小説の内容を読んで目が飛び出そうになった。なぜならば、話に出てくる登場人物が丸っきり俺とノエルの2人だったからだ。
人間の主人と献身的に仕える獣人は立場や種族の差を越えて恋に落ち、互いに初経験となる情熱的な一夜を過ごす。そこでの性行為についてもほぼほぼ俺たちが迎えた初夜と一致──人間が獣人に胸を揉まれて性感帯と判明するところも含め──していた。
「どうだい、ラグラス。読者として僕が執筆した小説の感想を聞かせてくれないかな?」
「まぁ、その、何というか。作品自体は文句なしに面白くて非の打ち所なく素晴らしいと率直に感じた。感じたんだが⋯⋯これ、もはや創作というよりノンフィクションの類に近くないか? 俺とノエルの物語にしか思えなくて、作中で淫らな行為に及ぶシーンは赤面せざるを得なかったぞ」
「おかげでかなりリアリティーのある官能小説が書けたと私も満足しているよ。これも全てラグラスが協力してくれたおかげだ、心から感謝の念を抱く。で、出版社から依頼があったんだが。私とラグラスの2人で国内を巡り、サイン会や読者の方々と交流するイベントを開いてほしいみたいなんだ。突然で悪いが付いて来てもらえるか?」
「お、俺も? 作者じゃないのに?」
「当然だ。私とラグラスの二人三脚で書き上げたのだからな。さ、という訳で出発の支度をするぞ。善は急げだ。しばらく家を空ける事になるから、着替えや日用品など鞄に詰めておかないとな。ラグラス、服と下着を用意してくれ」
「了解だ。⋯⋯ノエル」
「ん、どうしたのだ?」
「もしどこかで時間があれば、俺にも小説の書き方を教えてくれ。あなたとのこれまでの出来事を文章にしてみたいんだ。ノエルと違って稚拙な作品しか生み出せないだろうが、挑戦したい気持ちがある。駄目だろうか⋯⋯?」
「本当か? ラグラスが小説を書きたいなら嬉々として教えるし、私の身を持って全面的に協力する所存だ。ところでジャンルは何にするのだ? 官能小説か?」
「い、いきなり官能小説は流石に躊躇われるな。性行為の描写は難易度が高そうだ。日常をそのまま文章にするというのはどんなジャンルになる?」
「それだとエッセイが当てはまるな。では今後ラグラスが目指す方向性として、エッセイを一つ指針にしよう。ラグラスの書いた作品を読める日が非常に楽しみだよ」
そう言ってノエルは俺に万年筆をプレゼントしてくれた。元勇者の俺が作家を志望する事になるとは、奴隷時代からはまるで想像もできない展開だ。
事実は小説より奇なり。そしてどん底な人生に明るい光を差し込んでくれた張本人──ノエルに対する感情は、現時点だと上手く表現できないからこれだけにしておく。好きだ、愛している。