時は今から千年も前のことだ。私は男児を拾った。
そのガキは虚ろな目をして、息絶えている母を見ていた。私は笑って声をかけたのだ。
「ガキ、そこで何をしている。」
「………………なにも。」
長い沈黙のあと、ガキは答えた。
その時を、現代では平安と呼ぶらしいな。私は当時、鬼と呼ばれていた。
今では病だとわかるものが、当時は恐ろしい鬼憑きと考えられていた。馬鹿馬鹿しい時代だったものだ。貴族は良いものを食べ、清潔な生活を送っている。しかし、庶民やそれ以下はそうもいかずに鬼すなわち病を患うのだ。
私も元は貴族の家に生まれた。しかし、鬼子だった。阿呆らしい話だが、私は今で言う奇形児だったのだ。顔に痣とこぶを持って生まれた。そもそもは、親の暮らしのせいだろうと思うのだが、私は虐げられた。
しかし、私はそれ以外は健康な人間だったはずだ。故に、私は両親の暴力には負けなかった。仕返せば、その拳一つで大きな男を吹っ飛ばせたのだ。
私は力が強かった。そして世は平安。呪いや悪霊、悪鬼や妖が力を持ち、時にはその信仰心から神の力を一部借りる者も居た時代。陰陽師が多くいた時代。私も呪いは得意だった。故に、私は人間でありながら、鬼神や酒呑童子だなんだと言われた。
こぶは角のようで、口には尖った犬歯のような歯があり、怪力で呪いを使い、妖を見る見鬼の力を持つ。たしかに、私は鬼子だったのだろう。
「面白い。貴様も鬼子か忌み子か。」
「だったら………なんなのですか。」
その返事に笑った。
私は当時、私を殺そうとする者を片っ端からなぶり殺した。時には素手で、時には呪いで。故に、私に近づく者はいなかった。皆、私に言葉を返すことすら恐れる。
私には隙がなかったのだ。武力だけではない。知力もだ。
陰陽師の使う陰陽道など、私には簡単な学問だった。呪術の類は私には持って生まれた知識の一つに過ぎなかった。もちろん、医学もだ。だから、鬼など本当はいやしないとわかっていた。
私は面白くて仕方がなかった。そのガキの落ち込みを見て、腹を抱えて笑った。ガキが自分の力のせいで家族や周りを殺したのだと信じているからだ。
「貴様、阿呆だな。」
ガキは私の声と笑みに顔を上げて固まっていた。わかっていないのだ。
「その力の使い方を教えてやろう。」
「え…」
「その代わりだ。貴様、私の横に居れ。」
「あ…の…?」
私はガキの手を引き、歩かせた。なんと便利な力だろうと思ったのだ。ガキの引き寄せている小さな、おそらく凡人には見えない虫たち。そいつらが、弱い奴らを勝手に殺しているだけなのだから。
凡人には見えない小さな虫は、いわゆる陰陽師たちが使うような式神のような存在、それらにもなれないような小さなモノたちだ。陰陽師の起こす奇跡とも呼ばれる数々の術。それを引き起こすのは生命力のようなもの。その力によって生まれた自然の虫である。つまり、見える者にしか見えない虫だ。
「これらは…そうだったのですか。」
ガキはそう言って、なんの感情も湧かないような目をしていた。虫を引き寄せ、自らには毒と不成。そんなたまにいる稀有な存在、それがこのガキだ。
「ではなぜ、あなたは私の横にいて…死なないのですか。」
ガキは私の話で、不安そうに尋ねた。私は笑った。腹を抱えて。
「死ぬわけがなかろう。お前のようなモノで。」
ガキは目を丸くしただけだった。
ガキを横においておけば、ガキの周りの虫はたいてい目の前の餌に行く。私のような力の強い者には効かない微毒な虫は、弱い奴らを喰い殺していく。
ガキには術をいくつか教えた。陰陽師の使う結界や奇跡と呼ばれた術、妖の祓い方。ガキはいつしか、都で酒呑童子の従者蟲使いと呼ばれる術師になっていた。
ガキは飲み込みが早く、頭は良かった。現代の医術もガキはあの当時、こんなのがあればとよく私に話していた。
ガキは鬼だなんだと皆が言っている様子を笑うようになっていった。それも私には理解できた。皆が信じないから悪い。あれは化け物ではなく、誰もがなる病なのだ。
ガキはやがて、私に挑戦する者を蠱毒で作った式神などで殺す仕事までこなすようになった。私が拾った時には十になったかそこらだったガキは、数年で何千何百という人間を呪殺したのだ。
ガキはただ、見鬼の才を持ち、少しばかり人ならざるモノに好かれるだけの者だった。
「私に、出会わなければ…」
声にしてしまえば、それは真になる。
浅葱、それは私がガキにつけた名前だ。
私には酒呑童子という異名がつけられたが、本当の名前は伊吹という。浅葱は私を伊吹様と呼んだ。
私が初めてその名を呼ばれた時だった。あいつが美しいと好んでいた蝶を見て、思いついたままに名付けた。
「お前には名がなかったな。今日から私はお前を浅葱と呼ぼう。」
ガキは忌み子と蔑まれて名がなかったからだ。たいしたことないものなのに、浅葱はその名を喜んでいた。
「なんなりとお呼びください。伊吹様の思うままに。」
頭を下げていた奴の横顔が火照っていた。
聞かなくともわかる。浅葱は口を緩ませて笑っていたのだ。
なぜ、あの当時に気が付かなかったのだろう。
血塗れの浅葱と、顔を見合わせて笑っていた。
首を取られた今、私は気がついたのだ。
なにも、鬼と呼ばれたことに恨みを持たず、あっさりと死んでいれば。手を出さなければ。この生まれ持った怪力と、見鬼の才を使わなければ。
無闇矢鱈に殺生をしなかったはずだ。私も、浅葱も。
一度殺せば、恨みを買い、その力に驕ってしまうと、なぜ気が付かなかったのか。
あの日、あの時に。浅葱を拾った日に。気がつけばよかったのだ。
浅葱と静かに、人間らしく生きることもできたのだと。
なぜ?
私はかの有名な都一の陰陽師に追い詰められ、庇った浅葱が切られた時、なぜ?頭に血が登ったのだ。
怒りに任せ、その場にいた数百人という命を取った。
なぜ?
浅葱が名前を呼んだとき、なぜ?私はそれが浅葱と気が付かずに殺していたのだ。
周りが凍りついたのは、言うまでもない。今まで動けなくなる人間をたくさん見たが、私も動けなくなったのは初めてだった。
暴走していた自分に、恐れた。
なぜ?
どうでもいいはずだった。都合がよかっただけだったはずだ。
なぜ?浅葱の腹に穴が空いただけで、内臓が転がり出ただけで、焦りを感じた。
「伊吹様、ちょうどよいところに…。私のようなモノの肉で申し訳ありませんが、回復に、良いかと。」
浅葱は自らの血をすくい上げて言った。
化け物と呼ばれ、化け物として生きることも、人間らしくしようとすることも、選択できたのだ。
しかし、浅葱と私はその時、化け物らしく選択した。
浅葱の血が滴るその白い腕ごと、私は貪り喰った。
浅葱、あの時のお前は、なぜ、笑っていた?
あれは、幸せだったのだと、考えて良いものか?
それから、私は自らがどうしたのか知らなかった。
しかし、阿呆だな。人間とは。
千年以上は経った。現代では私のことも、浅葱のことも誰もが知らない。
鬼子とはよく言ったものだ。私と浅葱は、周りと少しばかり違っただけで。
いや、浅葱は本当にただのガキだった。
私が、化け物と、そんな様に生きるように、させたのだ。
阿呆なのは私もだ。
あの日を思い出すなら。思い出すくらいならば、もう一度その時を過ごせるのならば。
浅葱、お前と別の道を、歩いてもいいかもしれない。
なぜ、こんなことを語るのかと、思うだろうか。
人ならざるモノに形を変えてまで、生き永らえたのだから、何処かできっと、会えるだろうと、信じているからだ。