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ケモナーおっさん転生記(7)

  第31話:英雄の価値と、商人の矜持

  空が白み始めた頃、俺たちは出発の準備を整えていた。

  予定よりも早いが、もう行くことに決めたのだ。これ以上あの温かい場所に浸っていては、俺もウィルも、根が生えて動けなくなってしまいそうだったからだ。

  孤児院の前には、まだ眠い目をこすりながら子供たちが集まっていた。

  「やだぁ! ガクおじちゃん、いかないでよぉ!」

  「ウィル兄ちゃん、ずっといてよぉ……」

  小さな子供たちが泣きじゃくり、俺の足にしがみついてくる。

  胸がチクリと痛む。だが、ここで足を止めるわけにはいかない。困り果てていると、マーサ院長がパンと手を叩いた。

  「こら! 泣くんじゃないよ! 笑顔で送り出すって約束しただろう?」

  マーサは子供たちを優しく、しかし力強く引き剥がし、俺たちに向き直った。

  その目元は少し赤く腫れていたが、口元にはいつもの豪快な笑みを浮かべていた。

  「湿っぽいのはなしだ。……二人とも、達者でね。いつだって帰っておいで」

  「……アリガトウ。……マーサ」

  「院長……。みんなのこと、お願いします」

  俺たちは深く頭を下げ、逃げるように、けれど確かな足取りで歩き出した。

  村の入り口には、村長やガント、そして早起きの村人たちが見送りに集まってくれていた。

  「ガク殿。……この子のこと、くれぐれも頼みますぞ」

  村長が俺を見上げ、深々と頭を下げる。

  俺は無言で、任せろとばかりに力強く頷き返した。

  「そしてウィルよ。……息災でな。ここはいつでも、お主らの帰る場所じゃ」

  「はい。……行ってきます!」

  多くの言葉はいらなかった。

  ただ手を振り、背中を押し、「またな」と声を掛け合うだけで十分だった。

  ***

  村を出て、街道へ。

  俺は愛用の荷車の持ち手を握り、グッと腰を入れた。

  荷台には、旅に必要な最低限の物資と、そして――誰にも見られないよう幌(ほろ)の下に隠した『大量の荷物』が積まれている。

  一番の切り札である『氷山龍の魔石』は、ウィルが大事そうに懐へ仕舞い込んでいた。

  ゴロ、ゴロ、と車輪が回り出す。

  懐かしい重みだ。だが、今の俺には羽のように軽く感じる。

  俺の隣には、もう守られるだけの子供ではない、一人の頼もしい「相棒」が歩いているからだ。

  村が見えなくなり、しばらく歩いたところで、隣のウィルが口を開いた。

  「……ガクさん。まずは西へ、グランキースに行こうと思うんだ」

  「……グランキース?」

  「うん。幌の下の『氷山龍の素材』と、僕が領都で仕入れた交易品……。この辺りだと、あの交易都市が一番高く売れそうだし。大福商会の会頭さんに相談したら、きっと良いように取り計らってくれると思うんだ」

  ウィルは荷台の幌をチラリと見て、ニヤリと商人らしい顔つきになった。

  村人には内緒にしていたが、荷台の奥には、辺境伯から餞別として貰ったドラゴンの素材が隠されている。それに加えて、ウィルが領都の商業ギルドで買い集めた香辛料や布などの交易品も山積みだ。

  これらをグランキースで売れば、かなりの利益になるのは間違いない。

  だが、ふと疑問が湧いた。

  わざわざ交易品で商売をしたり、素材を切り売りして「小銭稼ぎ(といっても額は大きいが)」をする必要が、今の俺たちにあるのだろうか。

  「……デモ、ウィル。……マセキ、ウレバ、イイ」

  俺はウィルの懐を指差した。

  そこには、今回の討伐で得た最大の戦利品――『氷山龍の魔石』が眠っているはずだ。

  伝説級のドラゴンの魔石。これを売れば、それこそ巨万の富が手に入るだろう。わざわざ手間をかけて商売をする必要なんてないはずだ。

  しかし、ウィルはきっぱりと首を横に振った。

  「ううん、それはダメだよ。それに……そもそも、あんなの普通には売れないよ」

  「……ウレナイ?」

  「うん。辺境伯様が『小国の城が買えるかもしれん』って言ってたでしょ?」

  「……アア」

  「お城が買えるほどの金額なんて、その辺の街の商業ギルドにポンと持ち込んでも、支払えるわけがないし、完全に手に余るよ」

  「……タシカニ」

  「まともに売ろうとすれば、大商会か、大貴族を相手に取引するしかない。でも、どこの誰ともわからない僕たちがそんな大取引をするには、あのアイゼンベルク家の『証』を使うことが前提になっちゃうんだ」

  ウィルは少し声を潜め、懐の魔石をポンと叩いた。

  「それに、氷山龍の魔石なんて、強力な魔道具や兵器の材料になるかもしれないでしょ? そんな危険なもの、闇市場みたいな裏稼業の人に売るわけにもいかないし……もしそんな奴らに売ったら、間違いなくアイゼンベルクから追手が来るよ」

  ウィルの的確な指摘に、俺は深く頷いた。

  城が買えるほどの価値ということは、国家予算クラスの途方もない金額だ。まともな市場では捌ききれず、裏で売れば即座に目をつけられる。

  魔石を売れば大金は手に入る。だが、真っ当に売ろうが裏で売ろうが、その足取りは確実にアイゼンベルク家に筒抜けになる仕組みだ。

  「……ケッキョク、マセキ、ウレバ、ヒモツキ、カ」

  つまり、あの魔石を換金しようとした時点で、俺たちはアイゼンベルクの「管理下(紐付き)」に置かれることが確定するというわけだ。

  豪快に笑って魔石を渡してきた辺境伯の顔が脳裏に浮かぶ。やはり、ただの気の良いおっさんなわけがない。

  (……これくらいの危機管理が出来ないようだったら、大人しくウチの紐付きになっちまえっていうメッセージなんだろうな)

  彼らは「縛らない」と言いつつ、これ以上ないほど強固な「見えない鎖」を、笑顔で俺たちの懐にねじ込んでいたのだ。

  「だから、この魔石は売らない」

  ウィルは懐の上から、魔石を愛おしそうに押さえた。

  「この魔石は、ガクさんが命がけで手に入れた、大切な宝物だもん。……一度手放したら、二度と手に入らない。

  それに、この魔石にはお金以上の……もっと大事な『使い道』がある気がするんだ」

  「……ツカイミチ?」

  「うん。まだハッキリとは分からないけど……。いつか来る『ここぞ』という時のために、これは僕が責任を持って持っておきたいんだ」

  ウィルはニカっと笑い、商人らしい顔つきに戻った。

  「それにね、ガクさん。魔石を売って大金持ちになっても……それじゃあ、ただの『運が良かった成金』でしょ?」

  ウィルは自分の拳を強く握りしめ、揺るぎない眼差しで真っ直ぐに俺を見た。

  「僕は、ガクさんの戦利品を切り売りして生きていくんじゃなくて……自分の知恵と力で、お金を稼ぎたいんだ。ガクさんが身体を張って戦ってくれたみたいに、僕は僕のやり方で、ガクさんを支えられるようになりたいから」

  俺は、その頼もしさに目を細めた。

  この子は、安易な道を選ばず、自らの足で立とうとしている。

  その矜持こそが、どんな魔石よりも価値のある宝物かもしれない。

  

  「……ワカッタ。……タノム」

  「うん! 任せてよ!」

  ウィルは嬉しそうに頷くと、話題を切り替えるように前を向いた。

  「それでね、ガクさん。……しばらくの間、グランキースに滞在してもいいかな?」

  「……ドウカシタカ?」

  俺が尋ねると、ウィルは真剣な眼差しで前を見据えた。

  「大福商会の会頭さんにお願いして、いろいろと教えてもらおうかと思って」

  「……オソワル?」

  「うん。商売のことや、他の領地のこと、お金の流れ……。領内のことなら、紹介状でなんとでもなりそうだけど、他の領ではわからないからね」

  ウィルは自分の腰にある短剣をギュッと握りしめた。

  「ハンス兄ちゃんに剣を教わったみたいに、僕は僕の武器……『知識』と『商才』を磨きたいんだ」

  ウィルが俺を見上げる。

  その瞳に宿るのは、野心だけではない。もっと切実な、誰かを守りたいと願う強い意志だ。

  「ガクさんは強いけど……人の悪意には疎いから。だから、ガクさんという凄い相棒を、つまらない詐欺やトラブルで困らせたくないんだ」

  (……ウィル)

  俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。

  この子は、自分のためではなく、俺の「盾」になろうとしてくれているのだ。

  暴力からは俺が守る。だが、人間社会の荒波からは、自分がガクを守るのだと。

  ウィルは悪戯っぽく微笑み、いつもの少年の顔に戻った。

  「それに、あの会頭さんなら、こんなお願いでも聞いてくれそうだからね」

  ウィルが、懐にしまった辺境伯の紹介状をポンと叩き、荷台の素材へと視線を移した。

  『紹介状』と『氷山龍の素材』。この手土産があれば、あの狸の会頭も断りはしないだろうという算段だ。

  「……」

  俺は思わず吹き出しそうになった。

  ちゃっかりしている。

  あのしたたかな商人と、この少年の化かし合い。想像するだけで面白そうだ。

  「……ワカッタ。……スキニ、シロ」

  「ありがとう、ガクさん!」

  俺たちは顔を見合わせ、笑い合った。

  道は続いている。

  雪解けのぬかるみを越え、俺とウィル、そして希望を詰め込んだ荷車が進んでいく。

  行き先は、交易都市グランキース。

  そこでまた、新しい何かが俺たちを待っているはずだ。

  俺は空を見上げた。

  どこまでも広がる青い空は、俺たちの前途を祝福するように、どこまでも眩しく輝いていた。

  [newpage]

  第32話:商会の主と、語らぬ真実

  西へ向かう街道の旅は順調だった。

  途中、何度か盗賊のような連中が遠巻きにこちらを窺っていたが、氷山龍の篭手を装備した腕で道端の大岩を粉砕して見せると、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。

  平和なものだ。

  そして数日後、俺たちの目の前に、巨大な城壁と活気に満ちた街並みが現れた。

  「着いたね、ガクさん! 交易都市グランキースだよ!」

  「……オウ。……ヒサシブリ、ダナ」

  懐かしい景色だ。

  以前、村のお使いで来た時は、右も左も分からず、ただキョロキョロするばかりだった。

  だが今回は違う。俺たちの荷車には、この街の経済を揺るがしかねない「爆弾」が積まれているのだ。

  城門の前には、入街審査を待つ商隊や旅人の長蛇の列ができていた。

  俺たちが列の最後尾に並ぶと、周囲の人々がギョッとして道を空ける。まあ、身長二メートル後半の熊獣人が、山のような荷物を引いていれば驚きもするだろう。

  「……次! 身分証と通行証を……ッ!?」

  順番が回ってきた。

  検問の衛兵――強面の犬獣人――は、俺の顔を見るなり槍を構えかけ、そして引き攣った顔で後ずさった。

  「き、貴様……! その巨体、……な、何者だ!?」

  デジャヴだ。

  前回もこうだった。俺の凶悪な顔面は、公権力に対して常に敵対判定を引き起こすらしい。

  俺が溜息をつきかけた、その時だった。

  「お疲れ様です。怪しいものではありません」

  ウィルがスッと俺の前に進み出た。

  そして、懐から一振りの短剣を取り出し、衛兵の目の前に掲げた。

  飾り気のない無骨な柄とは対照的な、豪奢な鞘。そこに刻まれているのは、鋭い六角形の雪の結晶に、三本の荒々しい爪痕が刻み込まれた紋章。

  辺境伯家、直轄部隊の証だ。

  「っ……!? そ、それは、アイゼンベルク家の……!」

  衛兵の顔色が変わり、慌てて背筋を伸ばして敬礼した。

  周りの兵士たちも、紋章を見るなり直立不動になる。効果は絶大だった。

  「し、失礼いたしました! 辺境伯様のご関係者とは知らず……! どうぞ、お通りください! 荷改めも不要です!」

  「ありがとうございます。ご苦労さまです」

  ウィルは大人びた口調で礼を言い、短剣を懐にしまった。

  その堂々とした振る舞いは、とても十代の少年とは思えない。場数を踏んだ商人のような貫禄すら漂っていた。

  「……スゴイ、ナ」

  「えへへ。これ、本当に便利だね」

  門をくぐり抜けると、ウィルは年相応の悪戯っぽい笑顔に戻った。

  「前回は、ガクさんが狩った獲物を見せたりして、必死に説得したのにね。……権力って、すごい」

  「……アア。……ベンリ、ダ」

  俺たちは顔を見合わせて苦笑した。

  街の中は、相変わらずの活気だった。

  石畳の大通りを行き交う人々、呼び込みの声、スパイスや焼き肉の匂い。

  だが、俺たちの目的地は屋台ではない。

  「行こう、ガクさん。『大福商会』へ!」

  俺たちは迷うことなく、あの大商人の待つ商館へと向かった。

  ***

  大福商会の倉庫前。

  そこには、以前と変わらず忙しなく指示を飛ばす、恰幅の良い狸獣人の姿があった。

  「こらこら! そっちの荷物は二番倉庫や! 傷つけんように丁寧に運びや!」

  丸いお腹を揺らしながら怒鳴っているのは、この商会の会頭、フーゴだ。

  俺たちが近づくと、彼はふとこちらに気づき、丸い目をぱちくりとさせた。

  「……ん? そのデカイ図体……ガクの旦那か!?」

  「……ヒサシブリ、ダナ」

  「おお! 久しぶりでんなぁ! ウィルの坊ちゃんも一緒か! いやぁ、元気そうで何よりや!」

  フーゴは満面の笑みで駆け寄ってくると、俺の腕をバシバシと叩いた。

  「どないしましたんや? また村のお使いでっか? それとも、また珍しい獲物でも狩ってきはったんか?」

  「フーゴさん、お久しぶりです」

  ウィルが一歩前に出て、ニヤリと笑った。

  「今回は『お使い』じゃありません。……フーゴさんに、折り入って商談があるんです」

  ウィルの真剣な眼差しに、フーゴの笑顔がスッと商人のそれへと変わった。

  彼は俺たちの荷車に積まれた荷物――厳重に幌がかけられている――をチラリと見て、顎をしゃくった。

  「……なるほど。立ち話もなんですわ。どうぞ、中へ」

  通されたのは、商館の奥にある豪華な応接室だった。

  ふかふかのソファに、最高級の茶葉で入れた紅茶とお菓子。

  俺が遠慮なく茶菓子をバリボリと食べている横で、ウィルとフーゴが対峙した。

  「さて、商談っちゅうのは何です? 村の特産品程度なら、わざわざこんな場所は取りまへんけど……」

  フーゴが茶を啜りながら探りを入れる。

  ウィルは無言で懐から包みを取り出し、テーブルの上に置いた。

  包みを開くと、そこには一片の「青白い鱗」と、分厚い「皮」の切れ端があった。

  荷車の荷物のサンプルだ。

  「……ほう」

  フーゴがそれを手に取る。

  途端に、室内の空気が冷えたように感じられた。

  フーゴの目が鋭くなる。彼は鱗を光にかざし、皮の弾力を確かめる。

  「……冷たい。それに、ミスリルみてぇに硬いのに、羽毛みたいに軽い……。魔力の含有量も桁外れや」

  フーゴが唸った。

  さすがは海千山千の商人だ。一目でそれが「ただ事ではない素材」だと見抜いている。

  だが、その正体までは分からないようだ。彼は怪訝そうに首を傾げた。

  「せやけど、見たことない素材やな。ワイバーン……いや、地竜か? いやいや、この冷気は……」

  フーゴが答えを求めてウィルを見た。

  「坊っちゃん。……この極上品、一体『ナニ』の一部ですんや?」

  ウィルは一呼吸置き、静かに告げた。

  「……『氷山龍』です」

  その名が出た瞬間、フーゴの手が止まった。

  部屋に重苦しい沈黙が流れる。

  フーゴは瞬きを数回繰り返し、やがてゆっくりと口を開いた。

  「……氷山龍、やて?」

  彼の脳裏で、情報が繋がっていくのが分かった。

  「そういえば……最近、領都の方からとんでもない噂が流れてきてますわ。『アイゼンベルク騎士団が、伝説の龍を討ち取った』いう噂がな」

  フーゴの視線が、鋭く俺たちを射抜く。

  「噂じゃ、討伐された龍の素材は騎士団が管理しとるはずや。それに、加工法が見つかったとかで、領都じゃ素材の価格が天井知らずに高騰しとるとも聞いとります」

  フーゴはテーブルの上の鱗を指差した。

  「そんな国の宝みたいな代物が、なんでこんな遠く離れたグランキースに? しかも、騎士団でもないあんたらが持っとる? ……どういうカラクリでっか?」

  疑念と興味が入り混じった視線。

  ウィルは動じることなく、淡々と説明を始めた。

  俺たちが領都で『ちょっとした人助け』をして、辺境伯様と知己を得たこと。その縁で直筆の紹介状を貰ったこと。

  そして、この氷山龍の素材は――本当は討伐の報酬として譲り受けたものだが――騎士団の厚意により、特別に市場へ回る前のものを安く仕入れさせてもらったのだと、フーゴに伝えた。

  (……そんな無茶な作り話、通じるか?)

  横で聞いていた俺ですら冷や汗が出そうな、穴だらけの建前だ。だが、ウィルの横顔に焦りはない。

  彼自身、こんな子供騙しの説明で海千山千の大商人が納得するとは、初めから思っていないのだ。これは彼なりの、「ここから先は踏み込まないでほしい」という『境界線の提示』なのだろう。

  「……なるほどな。辺境伯様とお近づきになり、騎士団の連中もえらい気前よう融通してくれたと」

  全てを聞き終えたフーゴは、感心したように顎を撫でた。

  だが、その目は笑っていなかった。鋭い商人の光が宿り、値踏みするように俺たちを見つめている。

  「せやけど、話が美味すぎまへんか?」

  フーゴが身を乗り出し、テーブルをコンコンと指で叩いた。

  彼もまた、ウィルがあえて残した建前の「穴」を容赦なく突いてくる。

  「辺境伯様の直筆の紹介状。それに、騎士団がわざわざ伝説の龍の素材の買い付けを後押しした……? いくらちょっと人助けして知り合いになったとはいえ、ただの『村のお使い』や『偶然居合わせた旅人』にしては、待遇が破格すぎまっせ。

  騎士団っちゅうのは、面子を重んじる組織や。本来なら、部外者にドラゴンの素材なんて渡したくないはず。……それを、まるで『本来の持ち主に返した』みたいな顔して協力しとる」

  フーゴは目を細めた。

  「なぁ、坊っちゃん。……あんたさんら、一体領都でどんな『人助け』をしたんです?」

  部屋の空気が、ふっと静まった。

  フーゴの問いは、核心を突いていた。

  だが、ウィルは怒るでもなく、焦るでもなく――最初からこうなることを予期していたように、隣で能天気に茶菓子を頬張る俺をチラリと見て、困ったように眉を下げた。

  「えっと……フーゴさん」

  ウィルが申し訳なさそうに、コテンと小首をかしげる。

  「その答え、……本当に知りたいですか?」

  「……っ」

  その純粋すぎる問いかけに、フーゴの喉が小さく鳴った。

  ウィルは脅しているわけではない。ただ純粋に、「聞いたら後戻りできなくなっちゃいますけど、大丈夫ですか?」と心配しているのだ。

  その無邪気な「配慮」こそが、何よりも雄弁に真実を物語っていた。

  少年の背後に控える、規格外の巨体を持つ熊。

  そして、アイゼンベルク騎士団が総出で口裏を合わせ、あえて公にはせず守ろうとしている『事情』。

  それは決して、恐ろしい陰謀などではない。

  辺境伯様と騎士団が、この目の前の二人の平穏を守るために用意した『優しい沈黙』なのだと。

  もし「真実」を聞いてしまえば、その配慮に土足で踏み込むことになる。ただの取引相手ではいられなくなる。

  商人の本能が、「それは野暮というものだ」と告げていた。

  「……いや」

  フーゴはパッと手を挙げ、おどけたように肩をすくめた。

  「やめときまひょ。長生きの秘訣は、余計なもんを見んこと、聞かんことですわ」

  フーゴは額に滲んだ冷や汗を拭い、ちらりと俺を見た。

  その目は語っていた。

  『なるほど、そういうことか』と。

  誰が氷山龍を沈めたのか。騎士団が報いようとした「真の英雄」が誰なのか。

  彼は全てを察した上で、口を噤んだのだ。

  「カッカッカ! 野暮なこと聞いてすんまへんな! 詮索はナシや、ナシ!」

  フーゴは空気を変えるように、豪快に笑い飛ばした。

  「ええでしょう。その商材、事情も含めて丸ごとウチが引き受けさせてもらいます。……こいつは金の卵や。ウチの販路を使えば、領都の相場よりさらに高く売り抜けてみせまっせ」

  「はい。お願いします」

  ウィルが頭を下げる。

  張り詰めていた空気が緩み、再び商談の場に戻った。

  だが、フーゴの俺たちを見る目は、先ほどまでとは明らかに変わっていた。ただの「面白い客」から、「絶対に敵に回してはいけない相手(そして最高のパートナー)」へと。

  

  ウィルは顔を上げ、強い意志を込めた瞳でフーゴを見据えた。

  「その代わり……フーゴさんにお願いがあります」

  「……ほう? 何でっか? 手数料の値引きなら、これ以上は……」

  「違います。……僕を、ここで働かせてください」

  「……ああん?」

  予想外の申し出に、フーゴが目を丸くした。

  「この素材を売って終わりじゃなくて、そのお金をどう動かすか、どうやって商売を広げていくか……。フーゴさんの元で、本物の商売を学びたいんです」

  ウィルは言葉を続けた。

  ただの田舎の子供で終わりたくない。

  相棒を支えるために、もっと力をつけたいのだと。

  フーゴは腕組みをして、じっとウィルを品定めしていたが、やがてフンと鼻を鳴らして笑った。

  「……物好きな坊っちゃんや。一生遊んで暮らせるだけの金が手に入るっちゅうのに、わざわざ苦労を買うて出るとはな」

  フーゴは立ち上がり、ウィルに手を差し出した。

  「ええ目や。安く仕入れて高く売るだけが商売やない。その先を見ようとする姿勢……気に入った!」

  ガシッ、と小さな手と大きな手が握手を交わす。

  「契約成立や! 今日から大福商会は、あんたらと一蓮托生や! 泥船には乗せしまへんで、大船に乗ったつもりで任しとき!」

  こうして、俺たちの旅の「最初の一歩」は、最高の形で幕を開けたのだった。

  ***

  その夜。

  商会が手配してくれた宿の一室で、俺たちは長旅の疲れを癒やしていた。

  ウィルは興奮して、明日からの修行のことで頭がいっぱいのようだ。

  

  「ガクさん、どうしよう。明日から忙しくなるよ! 帳簿のつけ方とか、商談のイロハとか……覚えることがいっぱいだ!」

  「……ムリ、スルナヨ」

  「うん! でも、楽しみなんだ。ハンス兄ちゃんに剣を教わってた時みたいに、新しい世界が広がる気がして」

  キラキラと輝くウィルの横顔を見て、俺は安堵すると同時に、ふと自分のことに思い当たった。

  ウィルは明日から、フーゴの下で修行だ。

  朝から晩まで、店に出たり倉庫で働いたりすることになるだろう。

  (……俺、何してればいいんだ?)

  店の手伝いをしようにも、商品を握りつぶす未来しか見えない。

  かといって、ウィルが頑張っている間、一人で宿でゴロゴロしているのも気が引ける。

  「……ウィル」

  「ん? なに、ガクさん」

  「……オレ、ヒマ、ダナ」

  俺が正直に漏らすと、ウィルはきょとんとして、すぐにプッと吹き出した。

  「あはは! そうだね。ガクさんがお店に立ったら、お客さんが怖がって逃げちゃうもんね」

  「……(否定できない)」

  ウィルは少し考えてから、ポンと手を叩いた。

  「そうだ。ガクさん、明日は『冒険者ギルド』に行ってみたら?」

  「……ボウケンシャ?」

  「うん。この街には大きなギルド支部があるんだ。そこで登録すれば、ガクさんの腕に見合った仕事が見つかるかもしれないし……それに」

  ウィルはニコッと笑った。

  「珍しい魔物の肉の情報とか、美味しいお店の情報も、冒険者ギルドなら集まってるんじゃないかな?」

  その言葉に、俺の耳がピクリと反応した。

  美味い肉。

  未だ見ぬ食材。

  「……ナルホド」

  (それに、「冒険者ギルド」という響きも魅力的だ。未知の強敵と、未だ見ぬ極上肉。ゲーマーとしてのサガと、野生の食欲が同時に刺激される)

  「僕は商会で頑張るから、ガクさんはガクさんで、この街を楽しんでよ。夕飯の時に、お互いの成果を報告し合おう!」

  別行動。

  少し寂しい気もするが、互いに成長するための時間だ。

  「……ワカッタ。……イッテミル」

  俺は頷いた。

  明日は、俺一人で冒険者ギルドへの殴り込み……もとい、登録だ。

  どんな冒険(あるいは食材)が待っているのか。

  俺は少しの不安と、大きな食欲を抱いて、眠りについた。

  [newpage]

  第33話:独りぼっちの猛獣と、読めない文字

  翌朝。

  俺が目を覚ました時、隣のベッドは既にもぬけの殻だった。

  広い部屋に、俺ひとり。

  だが、慌てることはない。そういえば昨夜、眠りにつく前にウィルが言っていたのを思い出した。

  『ガクさん。明日はフーゴさんに呼ばれてるから、朝一番で商会に行ってくるね』

  『朝ごはんは食堂に用意してもらうように頼んであるから、ちゃんと食べてね。夕方には戻るから!』

  ……働き者だ。

  日の出と共に仕事に向かうとは。それに比べて、俺だけ昼までゴロゴロしているわけにはいかない。

  「……メシ、クウカ」

  俺は大きく伸びをすると、顔を洗って宿の食堂へ向かった。

  食堂の給仕をしている山羊獣人のおばちゃんに「お連れさんから『お腹いっぱい食べさせてあげて』って言付かってるよ!」と山盛りの朝食を出され、それを平らげると、俺は身支度を整えて外へ出た。

  今日の予定は決まっている。

  昨夜ウィルが提案してくれた通り、『冒険者ギルド』へ行ってみるのだ。

  グランキースの街は、今日も活気に満ちていた。

  大通りには多くの露店が並び、様々な種族の商人や旅人たちが行き交っている。だが、俺がその人混みに足を踏み入れた瞬間、奇妙な現象が起きた。

  ザッ、ザザッ……。

  俺が進む先々で、まるで波が割れるように、人混みが左右に開いていくのだ。

  誰も俺と目を合わせようとしない。楽しげに談笑していた犬獣人の若者たちは口を噤み、猫獣人の母親は子供を引き寄せ、屈強そうな牛獣人の男たちでさえ、俺の姿を見ると「ヒッ」と息を呑んで道を譲る。

  (……なんでだ?)

  俺は自分の身体を見下ろした。

  今の俺は、初めてここに来た時のような「ボロ布を巻いただけの野性児」ではない。

  特注のシャツとズボン、上着を身につけている。さらに、腕と足には、アイゼンベルク騎士団が俺のサイズに合わせて作ってくれた、氷山龍の篭手と脛当てを装着している。

  誰がどう見ても、身なりのしっかりした戦士に見えるはずだ。少なくとも、森から出てきた魔物と間違われることはないだろう。

  それなのに、この反応だ。

  ウィルと一緒に歩いていた時は、ここまで露骨に避けられることはなかった気がする。

  あの子が隣でニコニコしているだけで、俺の「凶悪さ」が中和されていたのだろうか。

  

  (……ウィル、偉大すぎる……)

  一人になった途端にこれだ。

  俺は少し傷ついた心を隠すように、無表情のまま、教えられた道を黙々と進んだ。

  大通りを外れ、少し荒っぽい雰囲気の区画に入ると、目当ての建物が見えてきた。

  入り口の上に、剣と盾が交差した看板が掲げられている。

  『冒険者ギルド・グランキース支部』だ。

  両開きの扉を押し開け、中に入る。

  ――ガヤガヤ……。

  酒場を兼ねた広いホールには、昼間から多くの冒険者たちがたむろしていた。

  革鎧を着た狼獣人、杖を持った山羊獣人の魔術師、大剣を背負った虎獣人の戦士。

  樽杯を片手に談笑する者、真剣な顔で地図を広げる者。

  まさに、ゲームで見たファンタジー世界の光景そのものだ。

  (……オォ。……スゴイ)

  俺は内心で感動の声を上げた。

  だが、俺が足を踏み入れた瞬間、その喧騒が水を打ったように静まり返った。

  数十の視線が、一斉に俺に突き刺さる。値踏みするような、警戒するような、そして畏怖を含んだ視線。

  俺は努めて平静を装い、ホールの壁際に設置された巨大な掲示板へと向かった。

  そこには、依頼書がびっしりと貼り付けられている。

  (まずは、どんな依頼があるのか確認だな)

  俺は一番上の、目立つ依頼書に目を凝らした。

  そこには、達筆な文字で何かが書かれている。

  『緊急……討伐……北の……森……報酬……金貨……』

  ……そこまでは読めた。

  だが、肝心な部分が頭に入ってこない。

  『■■■が大量発生……■■■に注意……■■■の部位を納品……』

  (……だめだ。虫食い状態だ)

  俺は眉間を揉んだ。

  看板に書かれた「店名」のような単純な単語なら読める。だが、こういった「文章」や「専門用語」、あるいは「崩した手書き文字」になると、途端に脳が理解を拒絶するのだ。

  まるで、知らない外国語の長文を読まされているような、あるいは文字がゲシュタルト崩壊を起こしているような感覚。

  (もしかして、これもEDU:04の弊害か……)

  教養のステータスが低いせいで、複雑な構文や難しい語彙を処理できないらしい。

  これまでの旅では、書類や買い物メモは全てウィルが読んでくれていたから気づかなかった。

  俺の読解力は、現地の子供レベル……いや、それ以下かもしれない。

  (もしかして、俺ってウィルが居ないと何もできない……?)

  これでは、「討伐」という単語はわかっても、肝心の「何を」「どこで」「どうやって」倒せばいいのか詳細がわからない。

  下手な依頼を受けて、また「実はとんでもない強敵でした」なんてことになったら目も当てられない。

  (……自力で解読するのは無理だな。受付で聞くしかないか)

  俺は溜息をつき、掲示板から離れてカウンターの方へ振り返った。

  受付には三つの窓口があり、それぞれに数人の冒険者が並んでいた。

  俺は一番空いていそうな右端の列の最後尾に並んだ。

  ……と、思ったのだが。

  俺が並んだ瞬間、前にいた男が、背後の気配に気づいて振り返り、「ヒェッ!?」と奇声を上げて飛び退いた。

  それを皮切りに、その前にいた二人組も、俺を見るなり「お、お先にどうぞ……」と顔を引きつらせて列から離脱していった。

  気づけば、俺の前には誰もいなくなっていた。

  「…………」

  いいのか? いや、良くない気もするが、せっかく譲ってくれたのだ。

  俺は遠慮なくカウンターの前へと進んだ。

  受付に座っていたのは、長い耳を持つ兎獣人の女性だった。

  栗色の毛並みに、丸い眼鏡。いかにも事務員といった風貌だが、俺が目の前に立つと、彼女の長い耳がピーンと垂直に立ち上がり、小刻みに震え始めた。

  「よ、よ、ようこそ冒険者ギルドへ……ッ!」

  声が裏返っている。顔色が悪い。

  彼女は引き出しの下で何か(おそらく防犯用の警笛か何か)を握りしめながら、必死に笑顔を作ろうとしていた。

  「……イライ、ウケタイ」

  俺ができるだけ優しく(低音で)言うと、彼女はビクリと肩を震わせた。

  「は、はいっ! 依頼の受注ですね! か、畏まりました! では、認識票のご提示をお願いいたします!」

  「……モッテナイ」

  「へ……?」

  彼女が眼鏡の位置を直し、まじまじと俺を見た。

  「お持ちでない……ということは、未登録でしょうか?

  し、失礼ですが……その立派な装備、そしてその……歴戦の風格……。他国のギルドや、傭兵団に所属されていたわけではないのですか?」

  受付嬢は手元の書類と俺を交互に見比べ、丁寧な口調で付け加えた。

  「もし、他ギルドでの等級を証明するものや、騎士団や貴族様からの身分証、推薦状などをお持ちでしたらご提示ください。これまでの実績や経歴に応じて、初回の登録ランクに特例で補正をかけることも可能なのですが……」

  彼女の視線が、俺の篭手や上着に向けられる。

  無理もない。騎士団製の装備に身を包んだ巨漢が「新人です」と言っても、冗談にしか聞こえないだろう。

  (……どう説明したものか)

  俺は内心で頭を抱えた。

  転生前のゲームには、冒険者ギルドなんてシステムは実装されてなかった。プレイヤーは最初からフリーランスの何でも屋として世界を放浪していた。

  この「ギルド登録」や「認識票」というのは、この世界独自のシステムらしい。

  (身分証、か……)

  俺は懐に手を触れた。

  そこには服の下に隠すように、今朝ウィルから渡されたものが首から掛けてある。

  『アイゼンベルク辺境伯家の紋章が入った短剣』だ。

  「もし何かトラブルがあったら、これを見せてね。大抵のことは解決するはずだから」と、ウィルは言っていた。

  だが、俺は手を止めた。

  ただの新人登録で、いきなり大貴族の紋章をちらつかせるのは、どう考えてもやりすぎだ。

  そんなことをすれば、「辺境伯の密偵」か「お忍びの要人」だと勘違いされ、余計に目立ってしまう。

  俺はただ、暇つぶしに小遣いを稼ぎたいだけなのだ。

  俺は懐から手を離し、首を横に振った。

  「……ナニモ、ナイ。……シンジン、ダ」

  俺がそう告げると、受付嬢は「ええぇ……」と困惑の声を漏らしたが、すぐに気を取り直して書類を取り出した。

  「わ、わかりました。では新規登録の手続きをさせていただきます。……えっと、お名前と、得意な武器、魔法の有無を……あ、代筆しましょうか?」

  俺がペンを持てそうにないと判断したのか(あるいは文字が書けないと見抜いたのか)、彼女は親切に申し出てくれた。

  「……ガク。……ブキ、ナシ。……マホウ、ツカエナイ」

  「ガク様ですね。武器は……素手、と。魔法は……なし、ですね」

  彼女がサラサラと竜皮紙に記入していく。

  (俺の魔法は、一度使えば魔力も体力も空っぽになって倒れてしまう。実質、使い物にならないからな。下手に「使える」と言って、いざという時に頼られても困る)

  「……スグ、トウバツ、デキルカ?」

  俺が単刀直入に聞くと、彼女は申し訳なさそうに、しかしきっぱりと首を横に振った。

  「いえ、それはできません。当ギルドでは、新規登録者は一律『アイアン』ランクからのスタートとなります。

  まずは街中の清掃や、薬草採取といった『雑務依頼』をこなし、信用ポイントを貯めていただく必要があります。

  魔物の討伐依頼が受注可能になるのは、一つ上の『ブロンズ』ランクに昇格してから……つまり、実戦経験と信用を積んでからとなります」

  なるほど、王道だ。

  いきなり「ドラゴンを倒したい」と言っても「まずは薬草採取からだ」と言われるやつだ。

  俺のステータスなら、そこらの魔物などワンパンなのだが、制度なら仕方がない。

  「……ワカッタ。……ドレ、ヤレバ、イイ?」

  俺が大人しく従う姿勢を見せると、受付嬢はあからさまにホッとした表情を浮かべた。

  どうやら、俺がいきなり暴れだすとでも思っていたらしい。

  「あ、ありがとうございます……!

  では、こちらの『初心者向け依頼』の中から、お好きなものをお選びください」

  彼女が差し出したのは、木箱に入れられた依頼書の束だった。

  俺はそれを受け取り、パラパラとめくる。

  文字は読みにくいが、「掃除」「運搬」といった簡単な単語と、添えられた図解のおかげで、なんとなく内容は理解できた。

  (……さて、どれにするか)

  俺は依頼書をめくりながら考えた。

  『薬草採取』……どれが薬草か見分けがつかないし、繊細に摘むのは無理だ。

  『水路の掃除』……ブラシを握りつぶして終わる未来しか見えない。

  俺は依頼書の束をそっとカウンターに戻した。

  「……モジ、ニガテ。……ヨメナイ」

  俺が正直に告白すると、受付嬢はキョトンとして目を丸くした。

  だが、すぐに「あっ……!」と何かを察したようにポンと手を打った。

  「なるほど! 読み書きや細かい作業よりも、その……恵まれた体格を活かしたお仕事をご希望ですね! 失礼いたしました、すぐに探します!」

  彼女の表情が、少し明るくなった。

  どうやら「見た目は怖いが、中身は単純な肉体労働者」だと判断してくれたらしい。

  間違ってはいない。今の俺のステータスは、実際そこらの子供よりも単純だ。

  彼女はテキパキと三枚の依頼書を並べた。

  「ガク様のその体格なら、こちらがおすすめです。

  一つ目は、『街道の倒木撤去』。邪魔な木をどかす力仕事です。

  二つ目は、『老朽化した倉庫の解体』。とにかく豪快に壊して運ぶお仕事。

  そして三つ目は……『港での積み荷運び』です」

  彼女は三枚目を指差した。

  「ちょうど今、大型の商船が入港したばかりでして、人手が足りていないそうです。

  内容はシンプル。船から降ろされた重い木箱や樽を、指定の倉庫まで運ぶだけ。

  通常なら数人で運ぶような重荷ですが、ガク様ならお一人でも運べるかと」

  (……運搬か)

  俺は頷いた。

  それなら得意分野だ。

  村からここまで、山のような荷物を積んだ荷車を引いてきた実績がある。

  壊す仕事(解体)も魅力的だが、今の俺は繊細な力加減の練習中だ。うっかり勢い余って隣の家まで破壊してしまうリスクを考えれば、単純に「持って、運ぶ」だけの仕事の方が安全だろう。

  「……ソレ、ヤル。……ハコブ、トクイ」

  俺が三枚目の紙を指差すと、受付嬢はニッコリと微笑んだ。

  「ありがとうございます! 『港湾荷役』の依頼ですね。

  では、こちらの手続きを進めさせていただきます」

  彼女は手際よく書類に記入を済ませると、一枚の金属プレートを差し出した。

  「こちらが『臨時登録証』になります。

  これを持って、港の『第四倉庫』へ向かってください。倉庫長のボルドさんに渡せば、仕事の指示がもらえるはずです」

  「……ワカッタ。……イッテクル」

  俺はプレートを受け取ると、軽く頭を下げてギルドを出た。

  背後で、受付嬢が「ふぅ……」と安堵の息を吐きながら、椅子にへたり込む気配がした。

  ……悪かったな、怖がらせて。

  ギルドを出た俺は、潮の香りを頼りに港を目指した。

  ***

  グランキースの港は、街の中心部以上に活気に満ちていた。

  巨大な帆船が何隻も停泊し、怒号と滑車の音が飛び交っている。

  カモメの声、波の音、そして男たちの熱気。

  (……ここが現場か)

  俺は指定された『第四倉庫』の前で足を止めた。

  そこでは、上半身裸の屈強な獣人たちが、脂汗を流しながら巨大な木箱と格闘していた。

  逞しい角を持つ牛獣人や、太い首を持つ馬獣人たちが、四人がかりでロープを引いている。

  「おい! そっちのロープ緩めるな! 落とすぞ!」

  「くっそ、重てぇ……! 中身なんだこれ、鉛でも入ってんのか!?」

  彼らが持ち上げようとしている木箱は、ビクともしない。

  その横で、図太い腕組みをして怒鳴っている巨漢がいた。

  全身を覆う剛毛と、口元から突き出た鋭い牙。猪獣人の男だ。

  あいつが倉庫長か。

  「……ボルド、カ?」

  俺が声をかけると、猪獣人の男はイラついた様子で振り返った。

  「あぁん? 忙しいんだ、用がないなら……ッ!?」

  俺の巨体を見上げた瞬間、ボルドの言葉が喉に詰まった。

  彼は俺の顔と、その全身を覆う筋肉と脂肪の鎧をまじまじと見つめ、ゴクリと喉を鳴らした。

  「……デカいな。ギルドからの増援か?」

  「……オウ。……ガク、ダ」

  俺が無愛想に登録証を見せると、ボルドはニヤリと牙を剥いて獰猛な笑みを浮かべた。

  「ハッ! 上等だ! 誰でもいいから手伝ってほしい状況だったが、まさかこんな大男が来るとはな! 即採用だ! あそこで立ち往生してる木箱、運べるか?」

  ボルドが指差した先には、四人の獣人たちが苦戦している木箱があった。

  俺は無言で近づき、彼らに「どいてろ」と手で合図した。

  「お、おい……一人でやる気か?」

  「無理だろ、これ相当重いぞ……?」

  牛獣人や馬獣人たちが半信半疑で道を空ける。

  俺は木箱の前に立ち、腰を落とした。

  両手を箱の底に掛け、深呼吸する。

  (……よし。軽いな)

  俺にとっては、道端の石ころ程度の重さだ。

  ――ヒョイ。

  効果音をつけるなら、まさにそんな感じだった。

  俺は空の段ボール箱でも扱うように、何の苦もなく巨大な木箱を肩に担ぎ上げた。

  「「「はあぁッ!?」」」

  周りの獣人たちの目が飛び出る。

  俺は彼らの驚愕を置き去りにして、ボルドに向き直った。

  「……ドコ、ハコブ?」

  ボルドは呆気に取られていたが、すぐに腹を抱えて爆笑した。

  「ガハハハ! すげぇ! こいつぁ正真正銘の化け物だ! 気に入った! おいお前ら、道を開けろ! とんでもねぇ新人のお通りだァ!!」

  ボルドの豪快な笑い声が、潮風とともに青空へ吸い込まれていった

  [newpage]

  第33.5話:蜜の味と、猛獣の微熱

  大福商会での修行は、毎日が新しい発見の連続だった。

  商品の運び出しから始まり、帳簿の整理、商談の立ち会い。覚えることは山積みだけれど、フーゴさんは時に厳しく、時に豪快に、商売のイロハを叩き込んでくれる。

  そんなある日の夕暮れ時。

  一日の仕事を終えて帰ろうとした僕を、フーゴさんが呼び止めた。

  「ウィル坊主、ちょっと待ちや」

  「はい? 何か手伝うことですか?」

  「いやいや、そうやない。……ほれ、これ持ってき」

  フーゴさんが棚の奥から取り出したのは、緑色がかった分厚いガラス瓶だった。

  コルクの栓は蜜蝋で封がされ、瓶の腹には見たことのない植物の紋章が直接彫り込まれていた。

  「これは?」

  「珍しい酒が手に入ったんや。『マタタビ酒』言うてな、なんでも猫族の間じゃ目の色変えて欲しがる代物らしい」

  「マタタビ……ですか?」

  「せや。木の実やら蔓やらを漬け込んだ薬用酒の一種やけど、これがまた甘くて口当たりがええんや。猫族以外でも、滋養強壮に効くって評判でな」

  フーゴさんはニカっと笑い、その瓶を僕の手に押し付けた。

  「お前さん、最近成人したんやろ? 祝いそびれとったからな、これ、餞別や」

  「えっ、いいんですか? 高そうなのに……」

  「かまへん、かまへん! 坊主の働きっぷりに比べたら安いもんや」

  僕は瓶を受け取り、礼を言った。

  以前、村の祭りで飲んだエールは苦くてあまり得意じゃなかったけれど、「甘い」と聞けば、僕の犬耳がピクリと反応する。

  「ありがとうございます、フーゴさん! ガクさんと一緒に楽しみますね」

  「おう! ただ、飲みすぎには注意しなはれや?」

  フーゴさんの忠告に苦笑いで頷き、僕は尻尾を小さく振りながら商会を後にした。

  ***

  僕たちが寝泊まりしているのは、商会が手配してくれた石造りの空き家だ。

  しばらくは、商館が手配してくれた宿に寝泊まりしていたのだけど、ガクさんには窮屈だろうと用意してくれた。元々は倉庫として使われていた建物らしく、天井が高くて広々としている。ガクさんの巨体でも快適に過ごせるのがありがたい。

  部屋の奥には、特注の「寝台」が鎮座している。

  普通のベッドではガクさんの重みで底が抜けてしまうため、頑丈なベッドを三つ並べて連結し、さらに鉄枠で補強した特別製だ。まるで小さなステージみたいな広さだけれど、ガクさんが寝転がるとちょうどいいサイズになる。

  「……タダイマ」

  「おかえりなさい、ガクさん。お腹空いたでしょ?」

  夕食の準備を整えていると、冒険者ギルドから戻ったガクさんが、ドシドシと足音を立てて入ってきた。

  彼は上着を脱ぐと、いつものようにテーブルの横にドカリと腰を下ろした。全身を覆う黒褐色の分厚い毛皮が、波打つように揺れる。僕もその向かいの椅子に座り、買ってきたパンと煮込み料理を並べる。

  「あ、そうだ。これ見て」

  僕は食事の前に、貰ったばかりの瓶をテーブルに置いた。

  「今日、フーゴさんから餞別でお酒をもらったんだ」

  「……サケ?」

  ガクさんが訝しげに丸い耳をピクリと動かし、眉をひそめる。

  「うん。『マタタビ酒』っていうんだって。甘くて飲みやすいらしいよ。これなら僕でも飲めるかも」

  「……ダメダ」

  ガクさんは即座に首を横に振った。

  「……ウィル、ヨワイ。……コノマエ、タオレタ」

  「えっ?」

  「……セイジンノギ。……イッキノミ、シテ、アブナカッタ」

  ガクさんの言葉に、僕は首を傾げた。

  成人の儀……? そういえば、村を出る前夜にみんなと乾杯した記憶はあるけれど、その後のことはさっぱり覚えていない。気がついたら、ガクさんの温かい背中におんぶされていたような……。

  「もしかして、僕、迷惑かけちゃった?」

  「……イヤ。……デモ、アブナイ」

  ガクさんは心配そうに僕を見つめる。どうやら、僕がまた気を失うことを警戒しているらしい。

  その過保護ぶりが嬉しくて、僕はくすりと笑った。

  「心配してくれてありがとう。でも、今日はガブガブ飲んだりしないよ。味見程度にするから」

  「……ホントウ、カ?」

  「うん。それに、せっかくの貰い物だし……飲まないのはフーゴさんに悪いよ」

  僕が上目遣いで頼むと、ガクさんは「……ウゥ」と低く唸り、しぶしぶといった様子で頷いた。

  「……ワカッタ。……スコシ、ダケナ」

  「やった! じゃあ、せっかくだしガクさんも一緒に飲もうよ」

  僕は棚から自分のコップと、ガクさん専用の分厚い金属製のコップを取り出した。

  トクトクと琥珀色の液体を注ぐと、ふわりと甘い香りが漂う。

  「じゃあ、乾杯」

  「……カンパイ」

  カチン、と大きさの違うコップを軽く合わせる。

  僕は恐る恐る、お酒を口に含んだ。

  「……ん!」

  驚いた。

  麦酒のような苦味はない。口いっぱいに広がったのは、深い森の木々のような爽やかな香りと、蜂蜜を煮詰めたような濃厚な甘みだった。喉を通ると、カッと熱くなり、鼻に抜ける香りが心地よい。

  「これ、美味しいね! 甘くてお菓子みたいだ」

  「……ホウ」

  僕の反応を見て安心したのか、ガクさんもコップを煽った。

  ゴクリ、と太い喉仏が毛皮の下で動く。

  「……ン。……ウマイ」

  「でしょ? これなら僕も好きかも」

  ガクさんは短く舌なめずりをして、空になったコップを見つめた。

  その瞳が、いつもより少しだけ熱っぽく光った気がした。

  「……モウイッパイ。……クレ」

  「えっ、珍しいね。ガクさんも気に入ったんだ」

  普段、ガクさんはあまりお酒に執着しない。出されれば飲むけれど、自分からおかわりを要求することは稀だ。よほど口に合ったのだろう。

  僕は嬉しくなって、ガクさんの大きなコップになみなみとお酒を注いだ。

  「はい、どうぞ」

  「……アリガトウ」

  ガクさんはそれを一息に飲み干した。

  まるで水を飲むようなペースだ。

  それから、食事を挟んで三杯、四杯。

  瓶の中身が半分を切った頃、僕はガクさんの異変に気づいた。

  「……ガクさん?」

  いつもなら微動だにしない巨体が、ゆらりと揺れた。

  床に胡座をかいたまま、上半身が前後におきあがりこぼしのように揺れている。

  そして何より――目が、変だ。

  いつもは鋭い黒曜石のような瞳が、今はとろりと溶けたように潤み、焦点が合っていない。

  

  「……ガクさん、酔っちゃった?」

  僕が覗き込むと、ガクさんはのっそりと顔を上げた。

  「……ウィル……」

  その声は、いつもの低い響きではなく、どこか甘く、粘度を帯びていた。

  ガクさんが大きな手を伸ばし、僕の服の裾を掴む。

  分厚い手のひらと、硬い肉球の感触。いつもの力強さはなく、すがるような弱々しい力だ。

  「……アツイ。……フラフラ、スル」

  「えっ、大丈夫? このお酒って、熊族にも効くのかな……?」

  普段、どんなに強いお酒を飲んでも顔色一つ変えないガクさんが、明らかに酩酊している。

  鼻先が赤い。呼吸も少し荒く、毛皮越しに尋常ではない体温が伝わってくる。

  (これ以上はまずいかも……)

  僕は瓶の蓋を閉めた。

  「それなら、もう夜も遅いし……寝ちゃおっか」

  「……ネル……?」

  「うん。僕、片付けをしておくから。ガクさんは先にベッドに横になってて」

  僕が促すと、ガクさんは素直に頷き、ふらつく足取りで立ち上がった。

  ドシン、ドシンと千鳥足で特注の寝台へ向かい、そのまま重い音を立てて倒れ込む。巨大な毛玉が、ベッドに沈み込んだようだった。

  「……ふぅ」

  僕は手早く食器を片付け、ランプの明かりを落とした。

  部屋が薄暗闇に包まれる。

  窓の隙間から差し込む月明かりが、広い部屋を青白く照らしていた。

  「おやすみなさい、ガクさん」

  僕もガクさんの隣――広大なベッドの端っこへ向かった。

  ガクさんは僕に背中を向けて横たわっていた。黒々とした背中の毛並みが、闇に溶け込んでいる。すでに寝息を立てている……と思ったが、様子がおかしい。

  ハァ、ハァ、ハァ……。

  寝息にしては、荒すぎる。

  苦しげな、熱に浮かれたような呼吸音。

  布団もかけずに丸まっている背中が、小刻みに震えているようにも見える。

  「ガクさん……? 大丈夫? 気分悪い?」

  心配になって、僕はガクさんの顔を覗き込んだ。

  その時だ。

  のそり。

  ガクさんがゆっくりと寝返りを打ち、僕の方を向いた。

  月明かりに照らされたその顔を見て、僕は息を呑んだ。

  ガクさんの目は、トロンと濁り、理性の光が揺らいでいた。

  いつもの頼もしい保護者の顔じゃない。まるで、熱を出して親に甘える子供のような、無防備で、弱々しい表情。

  「……ウィル……」

  ガクさんが、掠れた声で僕の名前を呼ぶ。

  そして、毛むくじゃらの大きな腕を伸ばし、僕の腰にぎゅっと抱きついてきた。

  「えっ、わっ!?」

  「……イカナイデ。……ココ、イテ」

  熱い。

  分厚い毛皮に触れられた場所から、火傷しそうなほどの体温が伝わってくる。ガクさんは僕の腹に濡れた鼻先を埋め、グリグリと擦り付けてくる。

  その仕草は、甘えているようにしか見えなかった。

  「……ガクさん、甘えん坊さんなの?」

  僕がくすりと笑って、その丸い耳のあたりを撫でてやると、ガクさんは気持ちよさそうに目を細め、「……ン」と喉を鳴らした。

  可愛い。

  いつもは僕を守ってくれる大きな熊さんが、今は僕の腕の中で小さくなっている。その無防備な姿を見ていると、胸の奥がキュウと締め付けられるような、不思議な感覚に襲われた。

  もっと触れたい。

  このふかふかの毛並みの、もっと奥深いところを知りたい。

  「……ウィル……テ、ツメタイ……キモチイイ……」

  ガクさんが僕の手を自分の手で覆い、さらに強く肌に押し付けてくる。

  その熱さと、酒の甘い匂いに、僕の頭もクラクラしてきた。

  理屈じゃない。普段は大きくて頼もしいこの人を、僕の手でめちゃくちゃにしてしまいたい。そんな雄としての本能が、頭の中で叫んでいる気がした。

  僕の短い尻尾が、興奮でバタバタとシーツを叩く。

  「……ガクさん、僕……どうにかなりそう」

  僕は吸い寄せられるように、ガクさんの上に跨った。

  「……ウィル……?」

  「じっとしてて。……僕、ガクさんのこと、もっと知りたい」

  僕は震える手で、ガクさんが着ているシャツの裾に手をかけた。

  ゆっくりと胸元まで捲り上げると、岩のように分厚い胸板と、熱を持った黒々とした剛毛が露わになる。

  その熱い肌に直接触れ、剛毛をかき分けたその奥に、小さな突起があるのを見つけた。

  僕は恐る恐る指先でつついてみた。

  「……ッ!? ア、……ソコ……!」

  ガクさんがビクリと身を跳ねさせた。

  ただ触れただけなのに、過敏に反応している。

  (ここ、こんなに感じる場所なの……?)

  ガクさんの反応がもっと見たくて、好奇心のままに、その突起を指でコリコリと弄ってみた。

  「……ヤ、メ……ッ、ヒグッ……!」

  ガクさんの息が荒くなる。

  苦しそうなのに、拒絶の手は伸びてこない。むしろ、シーツを握りしめて耐えている姿が、僕の衝動を煽る。

  僕は顔を近づけ、甘い匂いに誘われるまま、そこをパクりと口に含んだ。

  「……ァッ! アアッ! ……ダメ、……ウィル、……ソレ……ッ!」

  舌先で転がすと、ガクさんの身体が弓なりに反った。

  すごい。僕が舐めるたびに、この巨体が震えるんだ。

  面白くて、愛おしくて、僕は夢中で舌を動かした。口の中いっぱいに、ガクさんの獣臭さと体温が広がる。

  「……イクッ、……イッチャウ……ッ!」

  「えっ、ガクさん……?」

  「……ムリ、……トマラナ……ッ、ア、アアアッ!!」

  ガクさんの腰が大きく跳ねた。

  ズボンの布地越しに、どろりと濃いシミが広がっていく。胸を舐めただけで達してしまったのだ。

  この屈強な熊獣人が、僕の舌先一つで翻弄されている。その事実に、僕は背筋がゾクゾクするほどの興奮を覚えた。

  「……ガクさん、すごい……。こんなになっちゃった」

  僕は濡れたズボンに手を伸ばした。

  脱がせてみると、そこには射精直後だというのに未だ脈打ち、怒張しているモノがあった。毛皮の奥から現れたそれは、黒々としていて、雄々しい。

  (……おおきい)

  僕のとは比べ物にならないサイズだ。

  僕はその熱い塊を、小さな両手で包み込むように握った。

  この感触は知っている。どうすればガクさんが気持ちよくなるかも、僕はもう知っている。

  「……ン、ァ……」

  僕が慣れた手つきで上下させると、ガクさんの口から甘い吐息が漏れた。

  いつもなら、こうしてガクさんをイかせてあげるだけで満足だった。

  でも、今日は違う。

  酔いの熱のせいだろうか。手で触れるだけじゃ、全然足りない。

  (もっと……もっと深く……繋がりたい)

  僕の下腹部も、痛いくらいに張り詰めている。

  この熱を、どこかにぶつけたい。ガクさんの身体のどこかに、僕自身を埋めてしまいたい。

  そんな衝動に突き動かされ、僕は無意識のうちに、ガクさんの秘所へと指を伸ばしていた。

  剛毛に覆われた股の間、その奥にある場所へ。

  「……ッ!? ……ナニ、……スル……!?」

  指先が、未開の場所に触れる。

  ガクさんがビクリと身体を震わせた。

  (……ここ、熱い)

  ガクさんの剛直の裏側。そこには、柔らかくて、吸い付くような場所があった。

  僕は「そこ」の使い方を知っていたわけじゃない。

  ただ、指を入れた瞬間の、締め付けられるような熱さが、本能に教えてくれたのだ。

  ――ここなら、僕を受け入れてくれるかもしれない、と。

  僕はズボンを下ろし、自分のいきり立ったモノを取り出した。

  ガクさんの巨体に比べれば、僕のそれはあまりに小さい。

  けれど、今の僕には、これしか深く繋がる方法が思いつかなかった。

  「……ウィル、……ダメ、……」

  「……お願い。……ガクさんの全部で、僕を包んで」

  先走りの液と、さっきガクさんが出した白濁をたっぷりと塗りたくる。

  僕はガクさんの太い足の間に膝立ちになり、あてがった先端を、ゆっくりと沈めた。

  「……グ、ゥ……ッ!」

  キツい。

  熱くて、狭い肉壁が、僕を拒むように、けれど招き入れるように吸い付いてくる。

  「……はぁっ、……熱い、すごい……」

  全部入った。

  僕が、ガクさんの中に入っている。

  手や口で触れるのとは違う。全身がガクさんに溶けていくような、強烈な一体感。その事実だけで、気が狂いそうになるほどの充足感があった。

  「……ウィル、……ナカ、……ハイッテル……」

  「うん。一緒だよ、ガクさん」

  僕はガクさんの太腿に手をつき、どう動けばいいのかも分からず、ただ衝動のままに腰を揺らした。

  こすれる粘膜の感覚が、脳髄を痺れさせる。僕の三角耳が、興奮で後ろに倒れる。

  「……アッ、……ウィル……ッ!」

  「ガクさん……ガクさん……ッ!」

  ガクさんの喘ぎ声が、僕の耳を鼓舞する。

  もっと気持ちよくなってほしい。僕と同じくらい、とろとろになってほしい。

  僕は腰を動かしながら、ガクさんのモノにも手を伸ばした。

  中を突き上げながら、外も同時に責め立てる。

  僕の知っている「気持ちいいこと」を、全部ガクさんにしてあげたい。

  「……アッ、……アアッ! ……キモチイイ……ッ!」

  「僕も……もう、だめ……ッ!」

  ガクさんの内壁が激しく収縮し、僕を締め付ける。

  限界だった。

  「……一緒に……ッ!」

  「……アッ、……アアアアアッ!!」

  ガクさんが大きく背中を反らせ、白濁を撒き散らすのと同時に、僕もその最奥に熱い塊を吐き出した。

  ***

  ……ハァ、ハァ……。

  嵐が去った後のような静寂。

  ガクさんはぐったりとし、そのまま糸が切れたように意識を手放していた。気絶したように眠っている。

  

  僕はガクさんの身体から抜け出し、呆然とその寝顔を見下ろした。

  汗に濡れた毛皮。赤く染まった頬。無防備に晒された肢体。

  乱れた毛並みからは、僕とガクさんの匂いが混ざり合った、濃密な香りが立ち上っている。

  (……僕、やっちゃった……)

  初めての経験。初めての情事。

  それがまさか、こんな形になるなんて。

  罪悪感と、羞恥心と、そして何より――言いようのない独占欲が胸を満たしていた。

  ガクさんは僕のものだ。

  こんな顔を見せるのは、僕の前だけだ。

  そう思うと、身体の震えが止まらなかった。

  「……おやすみ、ガクさん」

  僕はガクさんの汗ばんだ額に、そっと口付けを落とし、その隣で小さく丸まった。

  ガクさんの温かい毛皮に顔を埋めると、不思議と安心できた。

  ***

  翌日。

  僕は朝一番で大福商会へ顔を出した。

  ガクさんはまだ宿で泥のように眠っている。

  「おう、ウィル坊主! 昨日の酒はどうやった?」

  フーゴさんがニコニコしながら聞いてきた。

  「ありがとうございました、フーゴさん。すごく……美味しかったです。ガクさんも気に入ってくれて」

  僕は少し顔を赤らめながら答えた。

  昨夜の記憶が蘇り、心臓がトクトクと鳴る。

  「ところで、質問なんですけど……。あのお酒って、熊族にも効果があるんですか?」

  「ん? 熊? ……さあなぁ」

  フーゴさんは首を傾げた。

  「熊族なんてこの辺には滅多におらんから分からんわ。まあ、マタタビ以外にも滋養強壮の薬草がぎょうさん入っとるから、何ぞの成分が偶然効くかもしれんな。……なんかあったんか?」

  「いえ、別に。ただ、ガクさんも気に入ったみたいなので」

  僕は照れ隠しに笑った。

  そうか。フーゴさんも知らなかったのか。

  つまり、これは偶然見つけた「僕だけが知っているガクさんの秘密」というわけだ。

  僕は懐から財布を取り出し、カウンターに置いた。

  「フーゴさん。あのお酒、追加で貰うことはできますか?」

  「ん? まだあるけど……気に入ったんか?」

  「はい。二、三本買い取らせてください」

  「珍しいものやから……、それなりに高いで?」

  「構いません。お金ならありますから」

  僕は迷いなく言った。

  深い計算があったわけじゃない。

  ただ、またいつか――あんなに甘くて、可愛いガクさんに会いたい。

  その純粋な欲求が、僕を突き動かしていた。

  「……へいへい、毎度あり」

  フーゴさんは少し呆れたように、それでも商売人らしく注文を受けた。

  ***

  昼過ぎ。

  ガクさんがのっそりと目を覚ました。ひどい二日酔いと、なぜか腰回りに鈍痛があるらしく、眉間に皺を寄せている。

  「……イタイ……。……ナニガ、アッタ……?」

  「おはよう、ガクさん。覚えてないの?」

  ガクさんに水を差し出す。

  「……アア。……サケ、ノンデ……ソレカラ……」

  「ふふっ。ガクさん、酔っ払ってすぐに寝ちゃったんだよ。寝相が悪くて、ベッドから落ちそうになってたから、僕が支えるの大変だったんだ」

  僕はさらりと嘘をついた。

  昨夜のことは、僕だけの秘密にしておこう。ガクさんが知ったら、きっと気まずがって、もうお酒を飲まなくなるかもしれないから。

  「……ソウ、カ。……ワルイコト、シタナ」

  ガクさんは申し訳なさそうに頭を下げた。

  何も覚えていない。自分の身体に刻まれた快楽の記憶も、僕に向けた甘い声も、全て忘れてしまっている。

  「ううん、いいんだ。……ガクさんの可愛いところ、見れたしね」

  僕は悪戯っぽく微笑み、荷物袋の奥底にしまい込んだ「新しい瓶」のことを思った。

  これは、僕のお守りだ。

  いつかまた、勇気が出たら――この魔法の薬を使わせてもらおう。

  「さあ、着替えて。今日もいい天気だよ、ガクさん」

  「……オウ」

  何も知らない熊と、秘密を知った犬。

  二人の関係は、昨日よりも少しだけ深く、そして甘いものになっていた。

  [newpage]

  第34話:肉体労働者の処世術と、次なる一歩

  グランキースでの日々は、飛ぶように過ぎていった。

  港から吹き抜ける風に混じる熱気が、日を追うごとに増していく。日差しの強さが、季節の移り変わりを肌で感じさせた。

  ウィルは大福商会で、俺は冒険者ギルドで。それぞれの場所で汗を流している。

  顔を合わせるのは、夜、家に帰ってから向かい合って遅めの夕食をとる時くらいだ。

  「今日はフーゴさんに『契約書の裏読み』を教わったんだ! わざと分かりにくく書かれた『不利な条件』を見つけ出したら、『よく気づいたな! これなら旅先でも騙されないぞ』って褒められたよ!」

  そうやって目を輝かせて話すウィルを見るのが、今の俺の至福の時間になっている。

  ウィルの修行は順調らしい。商人の技術というよりは、これから俺たちが旅をする上で騙されないための、実践的な自衛術を叩き込まれているようだ。

  俺の方も、順調そのものだ。

  「人間重機」として、毎日いくつもの現場を回った。

  普通なら大の男数人がかりで一日かかる仕事を、半日で三つも四つも片付ける日々。その圧倒的な仕事量のおかげで、ギルドへの貢献ポイントは爆速で貯まり、あっという間に『アイアン』から『ブロンズ』へとランクアップしてしまった。

  だが、そこから先……『シルバー』への昇格には、壁があった。

  単純な作業実績だけでなく、「討伐依頼」や「護衛任務」といった依頼の実績が必要になるらしいのだ。

  (……やめておこう)

  俺は、それらの依頼を断固として拒否することにした。

  討伐も護衛も、都市を数日間離れる必要があるものがほとんどだ。

  その間、ウィルと会えないなんて考えられない。ウィルの成長を毎日聞けないなんて、何のために旅をしているのかわからない。

  それに、下手に派手な武功を立てて目立ちすぎれば、あの「氷山龍」の二の舞いだ。

  俺はウィルと、ただゆっくりと平和に旅がしたいだけなのだ。

  金も名誉もいらない。体が鈍らなければそれでいい。

  そういうわけで、ウィルが修行中の間は、俺はひたすらギルドで肉体労働に従事することに決めていたのだったが……。

  ***

  朝。

  俺が目を覚ました時、既にウィルの姿は無かった。

  『ガクさん。明日も朝一番で商会に行ってくるね。朝食はテーブルに用意してあるから、ちゃんと食べてね!』

  ……本当に働き者だ。

  朝早くから仕事に向かい、食事の準備までしてくれている。ウィルには頭が上がらない……。

  「……メシ、クウカ」

  テーブルの上の籠には山盛りのパンと干し肉が用意されていた。ウィルの気遣いに感謝しながらそれを平らげると、俺は身支度を整えて外へ出た。

  見慣れてきた冒険者ギルドの重厚な扉を開ける。

  ――ガヤガヤ……。

  相変わらずの喧騒だが、俺が入ってもホールが静まり返ることはなくなった。

  常連の冒険者たちは、入ってきた俺をチラリと見て、「おう、お疲れ」「今日も稼ぐなぁ」と目配せしてくる程度だ。

  たまに新顔の冒険者が、俺の巨体を見て「ヒッ、なんだあの魔獣!?」と腰を抜かしているが、すぐに常連たちから「あれはガクだ。気にするな、ただの働き者のバケモンだ」と諭されている。

  どうやら、俺はこのギルドの平和な風景の一部になれたらしい。

  俺はカウンターへと向かった。

  受付にはいつものように列ができている。

  俺が最後尾に並ぼうとすると――

  ササッ……。

  やはり、俺の前だけモーゼの海割れのように人が捌けていく。

  

  (……なぜだ?)

  もう怖がられていないはずなのに、なぜか「優先席」扱いされている。

  俺は誰もいないカウンターの前に進んだ。

  そこにいるのは、すっかり俺の専属担当みたいになってしまった、あの兎獣人の受付嬢だ。

  彼女は俺の顔を見ると、おはようございますと微笑み、慣れた手つきでいつもの「肉体労働系」の依頼書を準備し始めた。

  「お待ちしておりました、ガク様。今日は建築資材の運搬依頼が入っていますよ。それとも、港の倉庫整理になさいますか?」

  「……マテ。……ソレ、チガウ」

  俺が依頼書を遮るように手を上げると、彼女はきょとんとして長い耳を揺らした。

  「……? どうされましたか?」

  「……ランク。……アゲタイ」

  俺は短く告げた。

  「……シルバー。……ナリタイ」

  その言葉を聞いた瞬間、彼女は依頼書を落としそうになるほど驚いた顔をした。

  無理もない。つい先日まで、あれほど頑なに昇格を拒否し、討伐依頼を避けてきたのだから。

  「え、ええっ!? シルバーランク、ですか? あんなに『目立ちたくない』『街から出たくない』と仰っていたのに……一体どういう風の吹き回しですか?」

  彼女は身を乗り出して聞いてきた。

  俺は少し考え、昨夜ウィルと話し合った結論を、拙い言葉で伝えることにした。

  「……タビ。……ホカノ、リョウ、イク」

  「旅……ですか? アイゼンベルク領を出て、他領へ?」

  「……オウ。……ソノトキ、ミブンショウ、イル」

  俺は首から下げた認識票を指差した。

  今は『ブロンズ』だ。

  このランクでも身分証にはなるが、効力があるのはこの街や近隣の村くらいのもの。領境を越えたり、厳しい関所を通ったりするには心許ない。

  (……本当は、アイゼンベルク家の短剣や紹介状がある)

  だが、昨夜ウィルは真剣な顔で言っていたのだ。

  『あの剣や紹介状は強力すぎるよ。アイゼンベルク領内ならともかく、他領でいきなり出したら、逆に怪しまれたり、変な権力闘争に巻き込まれるかもしれない』

  『だから、誰に見せても恥ずかしくない、実力で勝ち取った別の公的な身分証が必要なんだ』

  そのための答えが、シルバーランクだ。

  シルバーになれば、少なくとも国内の関所はフリーパスに近い扱いになる。国外に出ると一度効力は失われるが、冒険者ギルドがある国なら、現地のギルドで「再認定」を受ければ、同様のランクとして活動できるらしい。

  ちなみにゴールドランクになれば、再認定すら不要で、世界中どこでも身分証として通用するらしいが……それはまだ遠い先の話だ。

  まずはシルバーになり、国内の移動を自由にする。それが当面の目標だ。

  俺の説明(という名の単語の羅列)を聞いて、受付嬢は真剣な表情で頷いた。

  「おっしゃる通りです。シルバーランクは、単に『腕が立つ』だけではなれません。ギルドがその冒険者を、実力的にも、そして『人格的』にも問題のない人物だと保証する……それがシルバーという称号の意味です」

  彼女は俺の目をじっと見つめ、それからふわりと微笑んだ。

  「人格面については……ここ数ヶ月のお付き合いで、ガク様が誠実で、思慮深く、……言葉は少ないですが、とてもお優しい方だということは、私がギルドに保証します」

  買いかぶりすぎな気もするが、どうやら彼女の中での俺の評価は「見た目は凶悪だが、中身は真面目な働き者の善人」で完全に固まっているらしい。毎日黙々とレンガを運んでいた甲斐があったというものだ。

  「ですので、残る課題は『実績』ですね」

  彼女は表情を引き締め、手元のメモに何かを書き込み始めた。

  「以前もお話ししましたが、シルバーへの昇格試験を受けるには、単純な依頼件数だけでなく、『討伐』や『護衛』といった依頼の実績、そして他の冒険者との『連携(パーティプレイ)』が審査対象になります」

  「……」

  「依頼は、数日に渡る長期間のものや、都市から離れた場所での活動が必須になります。……本当に、よろしいのですか?」

  彼女は心配そうに俺を見た。

  俺がウィルと離れるのを嫌がっていたことを知っているからだ。

  「……モンダイ、ナイ」

  俺は即答した。

  寂しくないと言えば嘘になる。ウィルとの夕食の時間がなくなるのは辛い。

  だが、これもウィルと決めたことだ。今はそれぞれ、自分の場所で力をつけよう。そして、誰にも邪魔されない平和な旅のための準備をしようと。

  これは、未来への投資なのだ。

  「……ヤル」

  俺の揺るがない決意を見て取ったのか、彼女は「承知いたしました」と深く頷いた。

  その目には、事務的な対応ではない、一人の冒険者を応援する熱が宿っていた。

  「では、早速候補となる依頼を探しましょう。何か、希望される条件やリクエストはありますか? 討伐対象の好みとか、方面とか」

  彼女はペンを構え、さらに続けた。

  「それと、パーティメンバーの募集はどうされますか? ソロでの実績も評価されますが、シルバー昇格には『協調性』も重視されます。もし当てがないようなら、ギルドから条件に合いそうな方を斡旋・紹介することも可能ですが……」

  俺は少し考え、そして首を横に振った。

  俺には土地勘もなければ、魔物の知識もない。どの依頼が効率的で、誰と組めばいいのかも分からない。

  変に知恵を回すより、プロに任せた方が確実だ。

  「……マカセル。……ゼンブ、タノム」

  俺がそう告げると、彼女は一瞬驚いたように目を見開き、それから嬉しそうにニッコリと笑った。

  「ふふっ。丸投げですね。……でも、光栄です」

  彼女は書類の束を胸に抱き、頼もしく宣言した。

  「お任せください。ガク様の実力を最大限に活かせて、かつ最短で昇格条件を満たせるような……そんな『最高の依頼』と『最適なパーティメンバー』を、私が責任を持って見繕ってみせます!」

  彼女の眼鏡がキラリと光った。

  どうやら、受付嬢としての腕が鳴るらしい。

  「ただし、調整には少しお時間をください。明日までには必ず用意しておきます」

  「……ワカッタ。……ナラ、キョウ、ハ?」

  「今日は……そうですね。いつもの建築資材の運搬をお願いできますか? ちょうど急ぎの案件が入っていたので、ガク様に受けていただけると助かります」

  彼女が差し出したいつもの依頼書を、俺は受け取った。

  「……マカセロ」

  俺は短く頷き、カウンターを後にした。

  ***

  その日、俺はいつものように建築現場へ向かい、いつものように山のような資材を運び、いつものように親方に感謝された。

  ――そして、夕暮れ時。

  茜色に染まる空を見上げながら、俺は掌を見つめた。

  そこには、資材を運んだ時の土埃と、硬いタコができている。

  平和で、単調で、それでいて充実していた「肉体労働者」だけの日々。

  それも、今日で終わりだ。

  明日からは、魔物と戦い、仲間と連携し、命を賭ける「冒険者」としての本当の生活が始まる。

  俺は拳を強く握りしめた。

  不安はない。あるのは、ウィルとの約束を守るための、静かな闘志だけだった。

  (……さて、まずはウィルに報告して、今後の相談をしないとな)

  俺は足取り軽く、ウィルの待つ家へと急いだ。

  明日から始まる新たな日々に、胸を高鳴らせながら。

  [newpage]

  第35話:黄金と銀灰と、昇格への道

  翌朝。

  俺は約束通り、朝一番で冒険者ギルドの扉をくぐった。

  カウンターの向こうでは、いつものウサギ獣人の受付嬢が、待ち構えていたように書類の束を胸に抱えて微笑んでいた。

  「おはようございます、ガク様。お待ちしておりました」

  彼女の眼鏡が、自信ありげにキラリと光る。

  「昨日の今日ですが、ガク様と『パーティを組む』のに相応しい『最高の人材』と、面会の手はずが整いました。すでに奥の別室でお待ちです」

  「……ハヤイナ」

  「ふふっ。彼らもちょうど、腕の立つ前衛を探していたところだったのです。利害が一致しました」

  彼女に案内され、俺はギルドの奥にある個室へと通された。

  重厚な木の扉が開く。

  「うわぁ! 本当にデッカイねぇ!」

  部屋に入るなり、元気な声が飛んできた。

  そこにいたのは、黄金色の毛並みを持つ犬獣人の青年だった。ゴールデン・レトリバーっぽい見た目だ。垂れた大きな耳と、人懐っこい笑顔が印象的だ。

  身長は180センチほど。犬獣人の平均よりは高いはずだが、三メートル近い俺から見れば、ウィルとさほど変わらない小型に見えてしまう。

  彼は俺を見るなり、目をキラキラさせて駆け寄ってきた。

  「噂には聞いてたけど、想像以上だ! 僕もデカイって言われるけど、君の腰くらいしかないじゃないか! それにこの毛並み! うわー、モフモフだぁ!」

  「……」

  距離感が近い。

  初対面だというのに、彼は俺の周りをグルグルと回りながら、遠慮なくベタベタと触ってくる。

  嫌な感じはしない。尻尾が千切れんばかりに振られているのを見れば、純粋な好奇心と好意しかないのが分かるからだ。まるで、散歩中に新しい犬友達を見つけた大型犬のようだ。

  「初対面の相手だぞ、ルッツ。少しは品位というものを見せろ」

  その時、呆れたような凛とした声が響いた。

  「……?」

  声の主は、部屋の奥の長椅子に深く腰掛けていた。

  鼬(イタチ)獣人だ。

  月明かりのような銀灰色の体毛に包まれた、ウィルよりもさらに小さな獣人。愛らしい見た目に反して、その目はカミソリのように鋭く、不機嫌そうに腕組みをしている。

  「あ、ごめんよ、エミール。嬉しくなっちゃってさ!」

  ルッツと呼ばれた青年は、鼬に叱られると、「えへへ」と照れくさそうに頭をかいた。

  改めて二人を見る。

  奥の椅子に座る鼬――エミールは、動きやすそうな革のベストに、深い青色のチュニックを纏っていた。首元には短いマントを巻き、横には自分の背丈ほどもある杖を立てかけている。

  小さいながら、熟練の冒険者の空気を漂わせていた。

  対する犬獣人――ルッツは、対照的に重装備だ。

  輝く黄金の毛並みの上から、傷だらけの銀色の全身鎧を装着している。胸元には太陽を模した聖印が輝き、背中には、普通の人間なら持ち上げることもできないような巨大な大剣が括り付けられていた。

  その姿は、絵本に出てくる「正義の騎士」そのものだが……金属の鎧にバチンバチンと当たるほど、尻尾が千切れんばかりにブンブン振られているせいで、威厳は皆無だ。

  「初めましてだな、巨体の新人。

  俺の名前はエミール。しがない魔法使いだ。こっちの暑苦しいのがルッツ。見ての通りの聖騎士崩れだ」

  「僕はルッツ! よろしくな、ガク!」

  エミールとルッツ。

  なるほど、この二人が俺のパーティメンバー候補か。

  「……ガクだ。……ヨロシク」

  俺が短く挨拶すると、エミールは値踏みするように俺の全身をジロジロと眺めた。

  「ふん……。受付の話では『熊の魔獣みたいなのが来る』と聞いていたが、あながち間違いでもないな。……まあいい、その図体なら壁役としては合格点だ」

  (……えっ、俺そんなふうに思われてたの?)

  てっきり、あの受付嬢とはすっかり良好な関係を築けていると信じていたのに。あのプロフェッショナルな笑顔の裏で、「熊の魔獣」呼ばわりで紹介されていた事実に、俺は密かにショックを受けていた。

  エミールは偉そうに頷いた。

  小さな体でふんぞり返るその態度は、どこか微笑ましい。

  ルッツが屈託のない笑顔で補足する。

  「エミールは口が悪いけど、腕は確かだよ! 氷魔法を使わせたら右に出る者はいないし、索敵や鍵開けだって名人級なんだ。僕たちのリーダーなんだ!」

  「余計なことを言うな。……おいルッツ、こいつデカすぎて見上げるのに首が痛くなる。俺をテーブルに乗せろ」

  「はいよ! ここなら話しやすいかい?」

  ルッツは文句ひとつ言わず、エミールの脇に手を入れてひょいと持ち上げると、テーブルの上へと丁寧に降ろした。さらに、エミールが座りやすいように依頼書の位置をずらし、書き物用のインク壺の蓋を開けてやる。

  その様子を見て、俺の中に既視感が湧き上がった。

  巨大で力の強い犬獣人が、小さくて賢い小型獣人の世話を焼き、顎で使われている。

  それなのに、二人の間には確かな信頼関係が見える。

  (……なんだか、俺たちみたいだな)

  俺とウィルの関係にそっくりだ。

  ルッツとエミールもまた、凸凹ながらも完璧に噛み合ったコンビなのだろう。

  「……イイナ」

  俺がボソリと呟くと、エミールがピクリと耳を動かした。

  「何がいいんだ?」

  「……オマエタチ。……ナカヨシ」

  「なっ……!?」

  エミールが顔を真っ赤にして狼狽える。

  ルッツは「だろー? 僕たち最高の相棒なんだ!」とニカッと笑って、エミールの背中をバシバシと叩いた。

  「ぐえっ! ……き、貴様、力加減を考えろと何度言えば……ッ!」

  「あはは、ごめんごめん!」

  騒がしいが、見ていて飽きない二人だ。

  俺は自然と口元が緩んだ。

  この二人となら、うまくやっていけそうだ。

  「……デ、シゴト。……ナニ、ヤル?」

  俺が本題に入ると、エミールは咳払いをして居住まいを正した。

  「ああ、そうだったな。

  知っていると思うが、シルバーランクへの昇格は、試験を受けて終わりという単純なものではない。ギルド側から『この冒険者なら問題ない』と判断され、打診を受ける必要がある」

  エミールは真剣な眼差しで俺を見た。

  「つまり、俺たちに必要なのは『実績』だ。

  ただ敵を倒すだけじゃない。他の冒険者と連携し、困難な依頼を確実に遂行できるという信頼を積み重ねる必要がある」

  だからこそ、俺のような壁役が必要だったのだろう。

  彼らもまた、シルバーランクを目指す途上にあり、最後のピースを探していたのだ。

  「しばらくは俺たちと組んで、いくつかの依頼をこなしてもらう。

  手始めに、最初の仕事はこれだ」

  エミールがテーブルの上の依頼書を指し示す。

  「ターゲットは『岩石蜥蜴(ロック・リザード)』の群れ。

  場所はここから北へ半日ほどの岩場だ。硬い皮膚を持つ厄介な相手だが、お前のその腕力があれば問題ないだろう」

  「……イワ。……カチワル」

  「話が早くて助かる。だが忘れるなよ。今回の目的は、あくまで『連携』の確認だ。お前が前線で敵を引きつけ、俺が魔法で足を止め、ルッツが遊撃する。……この動きが噛み合うかどうかが重要だ」

  エミールの鋭い視線が俺を射抜く。

  俺は力強く頷いた。

  「……マカセロ。……カベ、トクイ」

  「よし。交渉成立だ」

  エミールがニヤリと笑い、小さな手を差し出した。

  俺はそれを壊さないように慎重に、人差し指一本でそっと握り返した。

  続いてルッツが、俺の手を両手で包み込んでブンブンと振った。

  「よろしくな、ガク! 大船に乗ったつもりでいてくれよ!」

  こうして、俺の初めてのパーティが結成された。

  銀灰の鼬の『エミール』。

  陽気なゴールデン・レトリバーの『ルッツ』。

  そして、巨漢の熊『ガク』。

  個性豊かな三人組による、シルバー昇格を目指した実績作りの日々が、ここから始まるのだった。

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