陽の光が藍の空に混じろうとする頃。
冬の微かな冷気が窓辺を這うように部屋に忍び込み、霜の粒子をガラスに散らしていた。
ジンオウガの獣人であるレイジィは、目覚ましが鳴るほんのわずか前にゆったりと瞼を開けた。蒼く澄んだ瞳が、薄暗い天井の木目模様をぼんやりと捉える。
まだ夜の余韻が残る部屋は静寂に包まれ、遠くから聞こえるバイクの通る音が、夢の残滓をふわりと払いのけていく。
あまり時間は経たずに、携帯から慣れ親しんだ穏やかな音楽の冒頭が流れ、柔らかなピアノの調べを奏で始める。レイジィは即座に画面をタップして止めた。指先が冷たいガラスに触れる感触は、レイジィに眠気を完全に振り払うには十分なものだった。
睡眠を誘う暖かなベットに別れを惜しむこともなく抜け出し、壁にかけてあった黒いヒートテックと青いランニングウェアに手をかける。
がっしりとした体格を強調するかのように、ヒートテックがレイジィの肌にぴっちりと密着し、筋肉の隙間を埋める。その上から軽くランニングウェアを羽織ったところで、ふと、床に目が向いた。
ソファーの上に脱ぎ捨てられたり、床に散乱している服。レイジィのものではない。もう1人の住人、フーイェのものである。
せめて脱衣所に持っていけと再三言っているというのに、毎度軽く返事をするだけで持っていった試しが無い。
帰ってきてから片付けようと見て見ぬフリをし、レイジィは廊下を抜けて音を立てないように玄関を開けた。
冬の澄んだ空気感が鼻腔をくすぐり、肺を満たしていく。種族柄寒いのは苦手なタチだが、朝のこの雰囲気は好きだった。
レイジィは軽く息を吐き、いつものコースをジョギングし始める。足音が地面を軽やかに叩き、短く吐き出される息遣いが白く舞う。大学の裏手を抜け、川沿いに出たことで視界が一気に開く。凍てつく水面が、昇る日差しに銀に輝き、泳ぐ魚たちが波紋を広げていた。おおよそ20分程度の道のり。心拍が徐々に上がり、筋肉が温まる心地よさが、レイジィの体を駆け巡る。
戻るころには町は少しずつ目を覚まし、人々の生活の気配が耳についた。
家に帰ったレイジィは、リビングに抜け殻のように落ちている服を拾い集める。他には無いかと確認したその時、回収した服のポケットから、カードが1枚地面に落ちた。
緩慢な動作で拾い上げ見れば、そこにはピンクと紫を基調とした背景に、フーイェが働いている「乱菊」という場所の名前と住所、そして、やたら細く美麗なフォントで[[rb:泡艶 > パオイェン]]という文字が書かれていた。
寝ているフーイェの部屋にそれを置きに行こうとして、レイジィはすぐに後悔する。
「……はぁ」
開けた瞬間目に映るのは、強盗にでも入られたかのようにぐちゃぐちゃの[[rb:汚部屋 > ・・・]]である。床の色が様々なモノのせいでまるで見えず、足の踏み場なんてものはありはしない。
つい2日前に意を決してフーイェが居ない間に片付けて、「もう汚さない」なんて言っていたはずなのに、なぜすぐこうなるのか、レイジィには1ミリたりとも理解ができなかった。
そんなモノだらけの場所に囲まれた中央。布団を被るようにして眠っているのが、その元凶──タマミツネ獣人のフーイェである。
レイジィはフーイェの枕元にカード置き、腹いせにフーイェの頬を軽くつねる。しかし、フーイェは「んにぃ……」などと気の抜けた声を出すだけで、まるで起きる気配がなかった。
ふざけたヤツ。
それがレイジィの、フーイェに対する総評だった。
こんなとこに居られるかと、レイジィは部屋からすぐに抜け出し、拾った服共々脱衣所に向かう。脱衣所のカゴに無造作に放り投げ、脱いだ自分の服も投げ入れた。
汗を流すため、軽くシャワーを浴びる。火照った身体には、丁度良いくらいの熱。毛皮を濡らし、筋肉の疲れを優しく解きほぐす。
汗も流してスッキリしたレイジィは、しっかりと水分を落としてリビングに向かった。
まだ早朝の静けさが残る部屋の空気はひんやりとしていて、レイジィの足音が控えめに響く。
冷蔵庫からベーコンと卵を取り出す。フライパンに火をつけ、油がじゅっと音を立てて弾けると、ベーコンを置いてレイジィの意識は料理に集中しはじめる。
そうして、ベーコンの脂が溶け、香ばしい匂いが部屋全体に満ちてきた頃。
「はよぉ、レイ……」
なんとも気の抜けた声がレイジィの背中に届いた。
ちらと横目で見れば、そこには寝起きですといわんばかりのフーイェがいた。
寝癖をくしゃくしゃと掻きながら好き勝手に跳ねさせ、大きな欠伸をひとつ。
パンツのゴムが緩んでるせいで、僅かに割れた腹筋から腰骨にかけての綺麗な流線のラインがちらちらと覗く。Tシャツは片方の肩からずり落ちかけており、妙に色っぽい素肌を晒している。
足取りは寝起きのせいかおぼつかず、今にもまたその場に倒れ込んで寝そうな勢いであった。
「……ちゃんと服着ろ。だらしない」
「えぇ〜? レイしかいないんだからいいじゃーん」
「目に毒だ」
「酷いなぁ」
フーイェは不満げに唇を尖らせながら、ふわりと、どこか甘えたような笑みを見せる。いつものように朝食を置くテーブル前にあるソファーに座るかと思えば、そのままふらふらとレイジィに近寄る。レイジィの背中越しに、面長な顔をわざとらしく映りこませる。
そのまま、するりと。
フーイェの軽い腕がレイジィに絡みつき、背にぴったりと身体を寄せる。思考を削ぐような甘い香水の匂いが、レイジィの身体に這うように染み付いていく。
「ふふ、レイ〜、体温分けて〜」
「おいバカやめろ、危ないだろ。今火ぃ使ってんだぞ。じゃれてくるな」
「ふーん? じゃあ後でなら良いってコトなーんだぁ〜……?」
回された腕がわざとらしく上着の下へ潜り込む。
指の腹が、レイジィの腹筋の段差に沿って滑る。獣人として発達した硬い筋の形を確かめるかのように、なぞり、押し、吸い付くような手つき。下着越しだというのに、地肌に薬でも塗られているかと思うほど妙に意識させられる触り方に、レイジィは耐えきれずフーイェの手首を掴む。
「ふざけてないで離れろ。飯抜きにするぞ」
「はぁーい、ママ」
「ママ言うな」
「じゃあパパ」
「そういう意味じゃない」
名残惜しげにレイジィの腹から離したフーイェの指先は、まるで最後の一滴までレイジィの体温を指に絡め取っていこうとするかのように、じれったいほどゆっくりと滑り落ちていく。
そのまま離れるかと思うと、すぐそばのシンクの縁へ、妙に高い腰を乗せ、隙あらばレイジィに触れるタイミングをはかっているかのように目を細める。その表情に反省の色はなく、むしろイタズラが成功した子供のようなタチの悪さが見て取れた。
レイジィは小さくため息をつきながら、卵を片手で割る。殻が綺麗に分かれ、中身が白い光のようにフライパンへ落ちていく。
「レイ、今日はいつから?」
「俺は9時から講義だ」
「朝からよく行けるねぇ」
「お前は昼からだろう? 鍵かけていけよ」
「あー……うん。鍵ね、うん。かけるかける」
フーイェは曖昧に笑いながら答えたが、その時尻尾がフーイェの脚に僅かに巻きついた。
レイジィは、それを見逃さない。
普段から動きの軽いタマミツネの尾がこう動きをする時は、経験上、十中八九なにか後ろめたいことがある時だ。
「……フーイェ、今すぐお前の持っている鍵を見せろ」
「え? い、いやぁ、カバンの中に入ったままだから、持ってくるの面倒というかぁ〜?」
嘘ついた子供のように、分かりやすい言い訳。レイジィは透明な蓋をフライパンに被せ、トントンと爪で叩いた。
「この目玉焼きが出来るまでに見せろ。じゃなきゃ[[rb:目玉焼き > こいつ]]は食わせんからな」
フーイェが目に見えて固まった。
そして次の瞬間には、先程までのだらだらした存在と同一人物と思えないほど俊敏に動き、フーイェの部屋に駆け込んでいた。
部屋の向こうから、布団をひっくり返したり、物を落とす音や、クローゼットを乱暴に開ける音が次々響く。明らかに普段触ってもいないだろう場所を探る音すらも聞こえてきて、レイジィは天井を見上げてしまった。
「……あいつ、本当に俺がいなかったらどうするつもりなんだ……?」
その愚痴に返事をする者はこの部屋に一人もいない。もはや、返ってこない静寂が肯定のように思えて、レイジィは肩を落とした。
そして、ちょうど目玉焼きが白く固まり始めた頃。
とぼとぼと、幼獣が悪さをして叱られた後のような情けない足音が近づく。
「で?」
「……ごめんなさい。なくしました」
予想通りすぎる発言に、レイジィはもはや怒る気力すら起きなかった。目頭を抑え、呆れからの大きなため息が吐き出される。
寝癖で跳ね散らかった髪の間から見えるピンク色の耳は、情けないほど垂れ下がり、長い尻尾も床をかすって力なく揺れていた。
まるで雨に濡れた猫のようなしょんぼり加減である。
「お前なぁ……今月に入ってから何度目だ?」
「……2回目?」
「もうこれで3回目だ。少しは気をつけようとか、そういう気にはならんのか?」
咎める声に、フーイェは両手の指先をくるくると絡め、視線を泳がせながら答える。
「き、気をつけてはいるよ? けど、実は僕、鍵と喧嘩しちゃってさぁ。だから喧嘩別れして行方が分からなくなったというか……?」
「フーイェ」
「はい」
「怒るぞ」
今日はさすがに軽口が効かないと理解したのか、フーイェはまいったなぁと言わんばかりに、バツの悪そうな笑みを浮かべた。
「……もういい。なくなったものにとやかく言っても仕方ない。鍵屋に合鍵作ってもらえ。次なくしてでもみろ。この家から容赦なくたたき出すからな」
「はぁーい……」
この前もそう言ったはずなのだがなぁ、とレイジィは思う。
次は本当に叩き出して、反省するまで家の中に入れないなんていう、前時代すぎる子どもの躾みたいなことをするのもやぶさかではなかった。
「まったく。これから鍵は首から下げてろ。さすがにそうまですれば、早々なくしはしないだろ」
「あ、それいいかも。この鍵は泡艶くんの貞操帯の鍵かなって言わ──」
「わかった。お前との生活はここまでだ」
「わぁ〜! 冗談冗談! 反省してるから僕のこと捨てないで〜!」
「捨てたら3日で死体になりそうな奴を捨てるか。寝覚めが悪くなるだろう」
吐き捨てるように言うと、レイジィはフライパンを軽く振って目玉焼きを皿に移し、ベーコンを添えてシンクに置いた。湯気の立つ皿から立ち上る香ばしい匂いが、朝のひんやりした空気を優しく溶かしていく。
ベーコンの脂が黄金色に輝き、卵の白身がふっくらと縁取られた目玉焼きは、レイジィの几帳面さが表れたように完璧な形を保っていた。
「ほら、お前の分だ。さっさと持ってけ」
「なんだかんだ言っても、ちゃんと食べさせてくれるレイのこと、僕は大好きだよ。結婚してくれない?」
「しない。あと次は無いからな」
「はぁーい」
自分の分も皿に乗せ、テーブルに置いてソファーに座るフーイェの隣に腰を下ろす。コーヒーカップに湯気を立てるブラックコーヒーを注ぐ。
フーイェは砂糖をたっぷり入れ、ミルクパックを手に取り、どぼどぼと音を立てて注ぎ始める。もはやカフェオレと言うのも生ぬるい量である。
「毎回それ見てると腹立つな。コーヒーに対する冒涜だ」
「だって苦いのダメなんだもん。レイみたいに飲めたらカッコいいんだけど、僕には無理〜」
「ならミルクそのものを飲めよ……」
「ブラックは無理でも、コーヒーは飲みたいんだよ。わかる?」
フーイェは悪びれもせず笑い、ミルクパックを置くと、フーイェは目玉焼きをフォークで突く。
とろりとした黄身がベーコンに流れ、それを満足げに口へ運ばれる。頬がもこもこと膨らみ、咀嚼しながら小さく尻尾を左右に振る仕草は、まるで甘やかされた大型の猫のようだった。
「……ん〜、いつものことながら美味しいや」
レイジィはコーヒーを一口含んで、ふと視線を上げる。窓から差し込む朝日がテーブルの上を金色に染め、フーイェの横顔を柔らかく照らしている。長い睫毛が影を落とし、口元が満足げに弧を描く。
顔だけは良いのだから、絵になるのが腹立たしい。そういう気をレイジィは持ち合わせていないが、客観的に見て、そういう仕事で人気になるのも分からないではなかった。
「あ、そうだレイ」
突然、フーイェが口を開いた。
「なんだ」
「今日、僕が仕事終わって帰ってきたらさ、一緒に晩酌しない?」
くいっと飲む素振りをさせながら、フーイェの声が少しだけ弾む。ピンクの瞳が期待に濡れたように輝き、尻尾の先がそわそわと床を叩いている。レイジィはフォークを止めて、軽く眉を寄せた。
「講義……はそうか、明日は休校日か。仕事は?」
「休み。だから何かあっても問題ないよ」
フーイェはにこりと笑い、尻尾を優しく振る。期待を込めた瞳が、レイジィをじっと見つめている。
まるで断られたら本気で拗ねるぞ、という無言の圧力がかかっていた。
別段明日、レイジィに朝早くの用事などはない。断る理由も、特には見当たらなかった。
「……まぁ、いいぞ。ほどほどには付き合ってやる」
その言葉に、フーイェの顔がぱっと明るくなった。耳が喜びでぴんと立ち、尻尾が勢いよく床を叩く音が響く。
「ほんと!? じゃあ、僕のお気に入りのお酒買って帰るね。レイはビールでいいよね?」
レイジィは小さく頷き、残りのベーコンを口に運んだ。
朝食を終えた頃には、窓から差し込む陽光はすっかり強くなり、部屋全体を柔らかな朝日が包んでいた。片付けをしている最中、フーイェが後ろからレイジィの肩に軽く頭を乗せて囁く。
「楽しみだなぁ、レイと二人でゆっくり飲むのなんて久しぶり」
「そりゃ良かったな」
フーイェの方を見ないよう視線を逸らしながらも、少しだけ待ち遠しく思うことを、レイジィ自身も気づいていた。
なんだかんだと、フーイェと過ごす今を気に入っているのだなと、レイジィは改めて思う。
そんなこと、絶対にフーイェに言うつもりは無い。調子に乗るのは目に見えているのだから。
[newpage]
時計の針が12時を少し過ぎた頃、玄関の鍵がガチャリと回る音が部屋に響いた。
「たっだぁーいまぁ〜」
少し舌足らずな、酒の入った甘ったるい声。
やっとか、とレイジィはソファから軽く身を起こし、テレビを消した。
フーイェは靴を脱ぎ散らかしながら、ビニール袋のがさかざという音をたてながら、リビングに入ってくる。
もこもことしたうざったいくらいの白いファーコートをソファーに無造作にかければ、薄い紫がかったレースの上着を投げ出し、白いシルクのシャツと細身のスラックス姿となる。
店の照明に映えるように整えられた化粧の跡か、目元にはまだラメが僅かに光っていた。
既に、テーブルにはレイジィがコンビニで適当に買ってきたつまみチーズの盛り合わせに枝豆が並べられていた。
そこに、フーイェは果実酒のリキュールと、レイジィ用のビールが入ったビニール袋をどさりと置いた。
「遅くなっちゃってごめんね、レイ。最後のお客さんがちょっと長引いちゃってさ」
フーイェはそう言いながら、レイジィの隣に遠慮なくどさりと腰を下ろした。
首元が緩く開いて鎖骨が覗いている。香水の甘い匂いが、ほんのりアルコールの香りと混じって部屋に漂った。
「……先に風呂くらい入ってこい。相変わらず凄いぞ、匂いが」
「えー? これでもあっちで結構オトしてきたんはずなんだけどなぁ。ずっといるから、鼻が慣れちゃってわからないんだよね」
「だから、先に風呂に」
「やだ。久しぶりのレイとの2人っきりの宅飲みだよ? 今すぐ飲みたい」
フーイェはにこにこと笑って、テーブルのリキュールを手に取る。そのままグラスにたっぷり注ぎ、グイッと一気飲みしてしまった。
「ふふん、今入ったら溺れ死んじゃうかもね」
「お前なぁ……」
レイジィが片手で顔を覆って大きくため息をついていると、フーイェはビール缶にも手を伸ばす。
「はぁい、レイの分も開けちゃいまーす」
有無も聞かずに缶を開ける音がして、泡が少し溢れる。フーイェは悪びれもせずそれを舐め取り、自分のグラスと軽く合わせた。
「かんぱーい。今日もお疲れ様〜」
「飲む前にやれ……」
レイジィは小さく鼻を鳴らしながらも、缶を受け取って口をつけた。待っていたかいもあって、冷えたビールが喉を滑り落ちていく感覚はまぁ悪くはなかった。
「んー、レイの匂い落ち着く……」
甘えるような声で、頭をレイジィの肩に乗っけるフーイェ。尻尾がソファの背もたれをゆっくりと撫でながら、フーイェはレイジィの腰の辺りに軽く手を回す。
「離れろ。暑苦しい」
「えぇ〜? 寒い外から帰ってきた僕に優しくしてくれたっていいじゃん。寂しくて泣いちゃいそう」
「ならさっさと泣け。近所迷惑だってなってお前を追い出せる口実になる」
「ひっどーい」
フーイェはくすくす笑いながら、さらに身体を預けてきた。
太ももがレイジィの脚に触れる。意図的に擦りつけるような動きに、レイジィは妙に意識が向いてしまうが、なんでもないことだと自分に言い聞かせ、またビールを飲んで意識をそこから外す。
「今日の大学、レイはどうだった?」
「まぁ、いつも通り……というか、昼からはお前だって出てただろう。アタリハンテイ力学論」
「実はレイジィが出てから2度寝してさぁ。ふふ、飛んだ」
「カス大学生の象徴みたいなムーヴをかますな、このバカが。留年したいのか?」
飲んでいる最中の会話は、とりとめのないものだった。大学の授業のことや、フーイェの今日の客のことや、最近見た映画のこと。
フーイェは酒が入るといつにも増して饒舌になる。
レイジィと飲むのが楽しいのか、フーイェのグラスを空けるペースも随分と早かった。
レイジィが二本目のビールを飲み終えた頃、フーイェの頬はすっかり上気していた。ピンクの瞳が潤んで、睫毛がゆっくり瞬く。
「ねえ、レイ……今日さ、ちょっと疲れちゃったんだよね。客にいっぱい触られちゃって、体が火照っちゃってるんだぁ……」
そう言いながら、フーイェはレイジィの胸に顔を埋めてきた。鼻先がシャツの上から筋肉の輪郭をなぞるように動く。熱い息が布地を通して伝わり、レイジィの肌をじんわり熱くする。
「そうか、ならそろそろ寝るか」
「やだ。まだ飲み足りないし……レイともっとくっついていたい」
指先がレイジィの腹部を軽く撫で始める。最初は服の上から、ゆっくりと円を描くように。爪が軽く引っかかり、レイジィにぞわっとした感覚が走る。
レイジィは眉を寄せたが、ビールの酔いも回ってきて、すぐに振り払う気にはなれなかった。身体が重く、心地よい酩酊感が抵抗を鈍らせていた。
「……やめろ。酔ってるだろ」
「まさかぁ。こんなので酔えるコスパの良さしてないよ、僕」
フーイェは顔を上げ、レイジィの首筋に口を寄せた。息が熱い。舌先が軽く耳たぶを舐め、湿った感触を残してぞくりと背筋が震えた。
「んふ……レイってさ、いつも我慢してるでしょ? [[rb:ボク > ・・]]とさぁ、もっと……ふふ……」
指がシャツの裾から潜り込む。今度は直接、地肌に触れた。熱い指の腹が、硬い腹筋の段差を、ゆっくりとなぞっていく。爪が軽く食い込み、甘い痛みが混じる。
「我慢してるって顔に出てるよ? 堅物なフリしても、ちゃあんとバレてるんだからね、ダーリン」
レイジィは缶をテーブルに置き、[[rb:フーイェ > 泡*]]の手首を掴んだ。強く、でも引き離すほどの力は入っていない。
「……あまり調子に乗るなよ」
「恥ずかしがっちゃって、ふふ、かーわいいの。レイのそういう顔、大好き。もっと見せてよ」
[[rb:フーイェ > 泡*]]は掴まれた手首を逆に利用して、身体をさらに近づけた。膝がソファに乗り、レイジィの腰を跨ぐような体勢になる。胸元が開いて、鎖骨の下まで覗く。
長い尻尾がレイジィの両脚に絡みつき、滑らかな体毛が太ももを締め上げる。逃げられないように、しっかりと固定する。
「おい、おまえ……」
声が自然と低くなる。[[rb:フーイェ > 泡*]]は微笑みながら、レイジィの胸を両手で押した。力は強くないが、レイジィは抵抗できずにソファへ背を預ける。クッションに沈み込み、[[rb:フーイェ > 泡*]]が完全に腰を跨ぎ、体重を乗せてくる。
[[rb:フーイェ > 泡艶]]の肌が触れ合い擦れ、熱が直接伝わる。腰が微かに前後に動き、レイジィの特定の場所を刺激する。尻尾の先が興奮で小刻みに震え、レイジィの脚をさらに強く締め上げる。
「ふふ……レイも火照ってきた? 上着脱がしてあげるね……」
瞳は完全に欲に染まり、唇がわずかに開いて熱い吐息を漏らす。
[[rb:フーイェ > 泡艶]]の細い指が、レイジィのシャツのボタンに掛かった。
一番上のボタンを、ゆっくりと外す。
ボタンと爪が当たるチ、チ、という小さな音が、静かな部屋に響く。二番目、三番目……と、シルクのような滑らかな指先がボタンを外し、布地を優しく滑るたびに、レイジィの胸元が少しずつ露わになる。
黄金色の毛皮に覆われ、鍛えられたがっしりとした胸板が、部屋の柔らかな照明に照らされて艶やかに浮かび上がる。筋肉の輪郭を強調するように、わずかに汗ばんだ肌が光を反射していた。
胸の上下が少し速くなり、黄金の毛が微かに揺れる。
[[rb:フーイェ > 泡艶]]のピンクの虹彩が妖しく濡れ、長い睫毛がゆっくりと瞬くたび、影が頬に落ちる。
腰を跨いだまま、身体を少し前に倒し、レイジィの首筋に顔を寄せる。甘い香水の残り香が濃く漂い、仕事の残滓と[[rb:フーイェ > 泡艶]]自身の体臭が混じって、より生々しくレイジィの鼻腔を刺激した。
「素敵な身体してるね。鍛えられてて、こんなに硬くて、熱くて……ちょっと汗臭くて……あぁ、とってもボク好み」
意識を溶かすように甘い声音。喉の奥から絞り出されるような艶やかさで、レイジィの耳をくすぐる。指先が黄金色の胸毛を梳くように撫で、乳首の周りを円を描くように這わせる。爪が軽く引っかかり、ぞくりとした刺激にレイジィの身体が僅かに跳ねる。
硬く尖った先端を、意図的に避けながら周囲を焦らすように触れ、レイジィの息に乱れが生じるのを楽しむかのようだった。
指の腹で軽く押し、捻るように転がすと、レイジィの喉が小さく鳴った。
鱗の縁が微かに擦れ、かすかな音を立てる。
[[rb:泡艶 > フーイェ]]の息が荒くなり、自分の興奮も隠さず、腰の動きが少しずつ大胆になっていく。股間の熱が布地越しに伝わり、レイジィの反応を確かめるように腰を押しつけていた。
「レイのこと、全部気持ちよくしてあげる。ボクに任せて……全部、ボクがしてあげるからさ……」
[[rb:泡艶 > フーイェ]]は見せつけるように自分のシルクのシャツのボタンを外し始めた。
一つ、また一つと、ゆっくりと。布地がするりと滑り落ちる音が部屋に小さく響く。
白く滑らかな肌が照明に照らされ、華奢な肩から流れるような曲線がレイジィの視界に飛び込んでくる。
細い指が自分のスラックスのベルトに掛かる。カチャリと金属音が鳴り、ゆっくりとファスナーを下ろす。布地が腰から滑り落ち、長い脚が露わになる。黒いレースの下着だけを残し、[[rb:泡艶 > フーイェ]]は腰を軽く浮かせてスラックスを完全に脱ぎ、ソファーの横に投げ捨てた。
「ふふ……ボクも熱くなってきちゃった。ほら、見てよ……」
興奮で濡れたレースの下から覗く膨らみの部分は黒い布地をさらに黒くなっており、ぬらりとした質感にさせていた。[[rb:泡艶 > フーイェ]]は恥ずかしげもなく、むしろ誇らしげにそれを晒し、レイジィを見下ろした。
ほぼ裸同然の姿のまま、レイジィの胸元に手を置くと、[[rb:泡艶 > パオイェン]]の指がさらに下へ滑り、レイジィの腹筋の段差を一つ一つ確かめるように押していく。硬い筋肉が指の下でわずかに沈み、レイジィの体温が熱く伝わる。
ゆっくりと上半身を下ろして、[[rb:泡艶 > パオイェン]]の舌先がレイジィの鎖骨を舐め、湿った跡を残す。甘い唾液の感触が冷たい空気に触れて、ひんやりと残る。
そのまま、[[rb:泡艶 > パオイェン]]の両手が、レイジィのズボンのベルトに伸びた。金属バックルが外れる音が響き、ファスナーをゆっくりと下ろす。指先が下着の縁に引っかかり、布地を下へ引き下げる。
焦らすように、膨らみに触れるか触れないかの距離感を維持していた。
[[rb:泡艶 > パオイェン]]は満足げに笑い、腰を前後に揺らしながら、自分のレースの下着をレイジィの下腹部に擦りつける。互いの熱が布地一枚隔てて伝わり、[[rb:泡艶 > パオイェン]]は甘い吐息を宙に吐いた。
「レイ……ここじゃ狭いから、ベッドに行こうよ。朝まで、いっぱい楽しむためにもさぁ……。ふふ……」
「…………はぁ」
レイジィが、深いため息をついた。
ため息は重く、静かに、[[rb:泡艶 > パオイェン]]の甘い言葉をすべてかき消すほどだった。胸の奥から絞り出されるような、抑えた響きがあった。蒼く澄んだの瞳がわずかに細められ、眉間に浅い皺が寄る。
「……ひとつ聞かせろ」
突然の、低い声。
[[rb:泡艶 > フーイェ]]の動きが、ぴたりと止まる。尻尾の締め付けが一瞬緩む。腰の動きも止まり、部屋に再び静寂が戻る。
「ん、なぁに? してほしいことあるの? なんでも聞いてあげるよ」
[[rb:泡艶 > フーイェ]]は顔を上げ、甘えた笑みを浮かべようとした。唇を弧に曲げ、睫毛を伏せて上目遣いに。
しかし、レイジィの瞳は、真剣そのものだった。酒の酔いなど、どこにも見えない。まっすぐに、[[rb:泡艶 > フーイェ]]の目を見つめ、逃がさないといわんばかりに。
「[[rb:お前は誰だ > ・・・・・]]」
一言。それだけ。
静かな部屋に、重く響く。声に怒りはなく、ただ事実を問うように。
[[rb:フーイェ > 泡艶]]の瞳が、わずかに揺れた。睫毛が震え、唇が小さく開く。
「……だれって、まったくひどいなぁ。お酒飲みすぎてボクのこと忘れちゃったの? これはお仕置しなくっちゃあいけないね?」
軽く笑って誤魔化そうとする。声を少し高くして、いつもの調子で。気にすることもなくまたレイジィの指を動かそうとすると、かなり強めにレイジィはその腕を掴んだ。
「いいから答えろ。[[rb:お前は > ・・・]]、[[rb:誰だ > ・・]]?」
「誰って、そりゃあボクは……」
フーイェは軽く笑い、睫毛を揺らして上目遣いにレイジィを見上げる。唇の端にいつもの甘い余裕を浮かべ、掴まれた手首をわざと小さく捻って甘えるように動かした。声は艶やかで、まるで店で客をからかうときと同じ調子だった。
「ボクは……」
言葉が繰り返される。瞳が一瞬だけ泳ぎ、視線がレイジィの蒼い瞳に絡まる。余裕の笑みが少し硬くなり、喉が小さく上下する。尻尾の先がソファの背もたれをゆっくりと撫でていた動きが、ほんの一瞬止まった。
「ボク……[[rb:僕 > ・]]、は……」
声が震えた。睫毛が小さく震える。
レイジィの真剣な視線から逃れるように、視線をわずかに逸らした。
「僕……は……」
言葉が、続かない。喉が詰まる。
[[rb:フーイェ > 泡艶]]は、自分でも気づかないうちに、息を止めていた。胸が早鐘のように鳴り、尻尾の先が小さく震える。視界が熱く滲み、頬がさらに赤くなる。
はたして、今自分はどちらなのか。
フーイェとして、レイジィに接しているのか。
それとも、泡艶として、レイジィを籠絡しようとしているのか。
いつもの癖で、甘い言葉を紡いでいた。
でも、ここは店じゃない。相手は客じゃない。目の前にいるのは、レイジィだ。
朝のキッチンで背中に抱きつくと、怒ったふりをして体温を分けてくれるレイジィだ。
ちゃらんぽらんな自分を呆れながらも、散らかった服を黙って拾ってくれるレイジィだ。
「…………っ」
[[rb:フーイェ > 泡*]]の胸の奥が、きゅっと締めつけられるように痛んだ。熱いものが込み上げ、視界がわずかに滲む。睫毛に涙が溜まり、零れそうになる。
レイジィは、静かに続けた。
「お前は、[[rb:フーイェ > ・・・・]]だろう」
その言葉に、フーイェの睫毛が震えた。耳がわずかに伏せ、尻尾が力なくソファーに落ちる。腰を跨いだ体勢のまま、肩が小さく落ちる。
「演技なんてせず、本当のお前で来い。少なくとも、俺は今日、フーイェと晩酌すると聞いたから付き合っているんだ。泡艶は呼んでない」
声は低く、どこか優しい。それでいて、一切の妥協を許さない強さがあった。
レイジィの大きな手が、ゆっくりとフーイェの腰に触れる。強く引き寄せるのではなく、ただ存在を確かめるように、温かく包むように置かれる。
「それともなんだ? 俺は、お前にとって客と同じなのか?」
「違う! レイはそんなんじゃない!」
自分でもびっくりするくらいの大声をもって、フーイェは強く否定した。
瞳に涙が浮かび、頬が熱くなる。両手でレイジィの胸を掴み、必死に首を振る。尻尾が再び動き、レイジィの腰に絡みつく。
今度は強く締め上げるのではなく、すがるように巻きついていた。
レイジィは小さく息を吐き、フーイェの頬に手を伸ばした。親指で、わずかに滲んだ涙の跡を拭う。黄金色の毛皮に包まれた手は、意外に優しく温かい。指の腹が頬を撫で、耳の付け根を軽く触れる。
「お前がそういう仕事をしていることも理解しているし、別にそれを咎めようなんて思っちゃいない。ただ……」
少し間を置いて、レイジィは続けた。視線を逸らさず、フーイェの瞳をまっすぐ捉える。
「家でくらいいつものお前でいろ。ずぼらで、おっちょこちょいで、だらしなくて、生活能力ゼロで、甘ったれで、どうしようもないくらいふざけた性格してるのがお前だ。なら、大人しくバカしてろ。ちゃんと叱ってやる」
言葉は厳しいが、口元にわずかな柔らかさが浮かぶ。蒼い瞳が、少しだけ温かく細められる。
「……ひどい。そんな悪口言わなくてもいいじゃん……」
フーイェの声は小さく、震えていた。唇を尖らせ、睨むような上目遣いをするが、涙で濡れた瞳に力はない。
「……ねぇレイ……」
小さな声で、フーイェは呟いた。頬を赤らめ、睫毛を伏せて視線を逸らす。指先がレイジィの胸毛をいじくり、恥ずかしそうに動かす。
「……僕のこと、好き……?」
言葉は途切れ途切れで、尻尾の先がそわそわと震える。部屋の空気が、甘く張り詰める。
レイジィは一瞬、目を逸らした。耳の付け根がわずかに赤くなり、ため息を吐く。
「……ま、嫌いならとっくに追い出してるだろうよ」
ぶっきらぼうに、視線を雪降る外が見える窓の方へ向けて言う。手はフーイェの腰から離れず、むしろ軽く撫でるように動く。
「なんなんだよぉ……そこは好きだよって言うとこじゃんかバカぁ……」
フーイェは涙声で抗議し、レイジィの胸に顔を埋めた。熱い吐息が毛皮にかかり、身体をさらに預けてくる。尻尾が喜びに震え、強くレイジィを抱きしめるように巻きつく。
レイジィは小さく笑い、仕方なくフーイェの背中を抱き寄せた。黄金色の腕が、優しく包み込む。
すすり泣く声が、レイジィの胸元でくぐもって、部屋に響いていた。