草の大陸、トレジャータウンへと戻ったオズワルドとニコル、ヘレンは拠点である洋館に荷物を置くと、休憩を取る間もなく、トレジャータウンの住民達が続々とニコル、いや変幻した姿のガブリアスのゼーンの下を訪れていた。熱のある者や怪我を負った者、ヘレンの薬を必要とする者など数多くの住民がニコルとヘレンの治療を求めた。
彼らが不在の間はプクリンのギルドが代わりを務めたが、やはり本業のニコル達の方が長けており、あくまでも簡易な治療や処置しか行えなかった。そのため、ニコルとヘレンの帰還の連絡はトレジャータウン中に広がり、住民が列を作り待っていた。
「はい、これで処置は終わったよ」
レパルダスの前脚の傷口を洗浄消毒し、ガーゼで保護したゼーンは、次の住民を診るべく準備をしていた。その間にオズワルドはレパルダスを誘導し、ヘレンの用意した抗生物質と痛み止めの飲み薬をレパルダスに渡した。
「本日の処置はこれで終わりです。薬は1日1回飲んでくださいね、傷口が痛んだり腫れたりした場合は此処に来てください」
オズワルドの説明を聞いたレパルダスは「ありがとうございます」とお礼を述べると、お辞儀をして帰路へついた。その背中を見送ったオズワルドは、ゼーンが治療した次の住民を誘導し、ヘレンのいる作業部屋近くの椅子に座らせた。
朝から同じ作業を繰り返しており、時刻は午後を過ぎた辺りであった。しかし、住民の列は一向に途絶えず、オズワルドは若干の疲れを感じていた。
オズワルドの目にゼーンとヘレンが映り込む。2人ともオズワルドより遥かに難しい作業に従事しているが、弱音や疲れを見せる事もなく、淡々と作業を進めている。オズワルドは2人に喝采を贈りたい衝動に駆られたが、それは胸の内に留めておき、火傷の処置を受けたチラーミィを待機の椅子へと誘導した。
時間はどんどん過ぎていき、最後の住民が帰路に着いたのは夕方を過ぎた頃だった。
「それじゃあ、お気をつけて」
オズワルドは最後の住民を見送ると、大きく息を吐き、洋館の入り口にある椅子に腰掛けた。洋館内の診察室と作業部屋ではゼーン、いや幻影を解いたニコルとヘレンが疲れ果てた状態で椅子に座っている。
朝から休憩無しで活動していたオズワルド達の疲労は、限界に達していた。多忙で昼食を取る暇も無く、だが空腹を覚えたオズワルドはニコルとヘレンに何か軽食を作るために、重い身体を動かそうとした。
オズワルドの鼻は美味しそうな匂いを捉えた。
彼の視線が洋館の外、トレジャータウンに繋がる道に向くと、そこにはプクリンのヘンデルとギルドの弟子達の姿があった。鞠のように弾むヘンデルの身体は遠目でも目立ち、オズワルドはトレジャータウンの名士の登場に姿勢を正した。
「やあ‼︎トモダチ‼︎」
洋館の入り口に到着したヘンデルは、相変わらずのマイペースでオズワルドに声をかけた。彼の挨拶にオズワルドは浅くお辞儀をすると、彼の差し出した袋を受け取った。
「ハピナスレストランのサンドイッチとサラダだよ‼︎街のみんなの治療で忙したかったようだから、食べてね‼︎ゼーンとヘレンの分もあるからね」
ヘンデルからの差し入れにオズワルドは礼を述べた。彼の目はギルドの弟子達に向けられ、彼らの抱えている荷物を見た。
オズワルドの視線に気がついたヘンデルはまん丸とした瞳を嬉しそうに細めて、口を開いた。
「実は君達が水の大陸に渡っている間に、トレジャータウンに新しい布地屋さんができたんだよ‼︎腕が良くてね…ガーゼや包帯に最適だと思って、たくさん持ってきたから‼︎」
そう話すとヘンデルはニコニコした表情で弟子達を見て、「倉庫に運び込んでね」と言った。洋館内の構造を知っているヘンデルと弟子達はオズワルドを尻目に洋館入り口の近くにある倉庫に荷物を運び入れて行った。
「それじゃあ、みんなお疲れ様‼︎先に戻って休んでいてね‼︎」
全ての荷物を倉庫に運び入れた後、ヘンデルは弟子達に声をかけた。弟子達はヘンデルやオズワルドに挨拶をして、トレジャータウンにあるプクリンのギルドへと戻って行った。
その頃になり、物音を聞きつけたニコル、いや再度ゼーンに変幻した姿でヘンデルの前に現れた。
「親方様…これはいったい…」
ゼーンの問いにヘンデルはニコニコ笑うと、倉庫を指差して行った。
「前に物資が足りない、とか嘆いていたでしょう?最近、トレジャータウンに質の良い布地屋ができたから、早速持ってきたよ‼︎」
ヘンデルに指摘されたゼーンは心当たりがあるのか、納得したように頷いた。オズワルドはヘンデルからもらったサンドイッチをゼーンに手渡すと、続けて作業部屋から出てきたヘレンにもサンドイッチを手渡した。彼らは椅子に腰掛けると、サンドイッチに口をつけた。
疲れた身体にハピナスレストランのサンドイッチの味が染み渡る。
それを堪能したオズワルドとゼーン、ヘレンの反応にヘンデルは満面の笑みで見ると、焼き菓子と木の実のジュースも差し出した。
「物資と合わせて、プクリンギルドの奢りだからね‼︎みんなの治療もお願いするね‼︎」
ギルドの長なだけあり、ヘンデルの人を使う能力は確かなものであった。現にオズワルド達はヘンデルの振る舞いと言葉に気を良くしており、ヘンデルもまたニコニコと笑顔で彼らを見ていた。
オズワルド達がサンドイッチとジュース、焼き菓子を食べて腹を満たした頃になり、ヘンデルは話を続けた。
「電信で伝えてもらったように、ペストの治療施設も十分に稼働できているよ…これでワイワイタウンとトレジャータウンでペスト対策が可能になったね」
「えぇ…とても疲れましたよ」
ゼーンは苦笑いと共にヘンデルに応えると、ジュースのカップを傾けた。ヘンデルはまん丸とした瞳をゼーンに向けると、オズワルドとヘレンにも目を向けた。
「実はギルド連盟が今回の件を聞いて、是非とも他の大陸でもペスト対策を広めてほしいと要請があったんだよ‼︎もちろん、費用は連盟が負担するから、青天井で申請して良いよ!!」
「それはまた…気前のいい話ですね」
ヘレンの感想にオズワルドは頷いた。そんな2人を見たヘンデルはニコニコと笑いながら口を開いた。
「風の大陸での隕石落下や水の大陸での魔女狩り…草の大陸でのキザキの森やエレキ平原の虐殺と暴動…砂の大陸での感染拡大と少数部族同士の衝突…あまりに物騒な事件が続いている中、ペストの治療法は希望の光になるんだよ。ギルド連盟としても…この希望の光を広げていきたいと考えているんだよ」
「なるほど…」
ヘンデルの説明を聞いたオズワルドは納得したように呟いた。ヘンデルはまん丸とした瞳で一同を見渡すと、話を続けた。
「水の大陸ではワイワイタウンが、風の大陸ではバラムタウンが、草の大陸ではトレジャータウンがペスト治療の拠点になる手筈だよ。順調に物資と資金が集まれば、伝染病の治療拠点としても機能していく予定だよ」
「それは朗報ですね」
ヘンデルの説明を聞いたゼーンが呟いた。ヘンデルはゼーンの顔を見ると、無邪気な笑みをみせた。
「かと言って、戻ったばかりのゼーン達を砂の大陸に派遣するのも酷だと思うから…準備期間を含めて来週くらいに出発できるかな?」
「えぇ、期間はどれくらいですか?」
「予定だと3ヶ月だね…砂の大陸はゼクロム教の本拠地だから、レシラム教徒でないゼーン達が最適なんだよ」
ゼーンはヘンデルの言葉を聞くと、首を傾げた。
「しかし、ヘレンは華族です。ゼクロム教徒からの受けが悪いのでは?」
もっともな質問にヘンデルは頷くと、ヘレンを見た。
「もちろん、その可能性も考慮してあるよ。実は調査団の団長を通して、レシラム教のエリース司祭とルール司祭が率いる医療班を砂の大陸に半年ほど派遣するから、同行してもらってもいいかな」
ヘンデルの説明を聞いたゼーンは「なるほど」と呟いた。穏健派の2人が率いる医療班は慈善事業も兼ねている。当然、ある程度の人数で派遣されるため、ゼクロム教徒から攻撃を受けるリスクが下がるというものだ。
「ですが…レシラム教の関係者が複数人で砂の大陸に渡れば、ゼクロム教徒は不愉快に思う可能性があるのでは?」
オズワルドの問いにヘンデルは目尻を下げ、頷いた。
「残念だけど、オズワルドの指摘する通りだよ。先のキザキの森やエレキ平原での虐殺と暴動に対する対価として、ゼクロム教は自分たちの巫女をレシラム教に差し出した。ならば、レシラム教は見返りとして医療班とペストの治療ノウハウをゼクロム教に提供しようという考えだね」
「ゼクロム教は柔軟な思考を重要視している…ならば古代からの伝統や治療法に重きを置くレシラム教が自分たちの考え方を変えて、率先して新しい治療法を提供する事で、ゼクロム教の思想に同調したという考えを広めたい、という事ですか」
ヘレンの言葉を聞いたヘンデルは「そのとおり‼︎」と笑顔で言った。そしてオズワルド達を見渡すと、話を続けた。
「レシラム教とゼクロム教の上層部では今回の覇権について合意が取れているよ。だけど末端の信者に関しては、合意と反した敵意のある行動を取る可能性があるから、気をつけてね」
ヘンデルの依頼内容はかなりリスクがあるものであった。ギルド連盟が予算を青天井で組んだ理由が理解できたゼーンとニコル、オズワルドは揃って溜息をこぼしたが、ヘンデルはニコニコと笑顔で一同を見た。
「今回の仕事はレシラム教とゼクロム教の仲直りの糸口になるかもしれないからね‼︎よろしく頼むよ、トモダチ‼︎」
洋館の入り口にヘンデルの元気な声が響いた。
*
水の大陸、ワイワイタウンにあるレシラム教の教会。教会の地下通路から姿を現した牡のバクフーン、カウフマン改め将校はワイワイタウンの街中を歩くと、調査団拠点の近くにある裏通りへと歩いて行った。レシラム教の高位司祭の姿に道を歩くレシラム教徒はお辞儀をし、誰もが将校に道を譲っていた。
将校は裏通りにある民家に入ると、追跡者の存在を確認しながら民家の奥にある暖炉を触った。すると、暖炉の奥のレンガ壁が動き、新たな通路が姿を現し、将校はそこに入った。
暖炉の奥、そこには狭い空間があり、人影が椅子に座っていた。机上には大きなダイヤモンドが置かれており、人影はそれを撫でていた。影、元人間のグレーテは将校を一瞥すると、タバコを吸いながら声を出した。
「それで、報告とは?」
タバコの煙を吐き出しながらグレーテは尋ねた。グレーテの問いに将校は頷くと、彼もまたタバコを咥えた。
「時の守護者の一部がオズボーン教皇に捕まり、マスケット銃の存在がレシラム教にバレました」
「…それはまずいな」
タバコの煙を吐き出しながら将校は報告し、グレーテもまたタバコの煙を吐き出した。室内にグレーテと将校の吐き出した煙が広がり、壁や天井に臭いを刻んでいく。
将校はタバコの灰を落とすと、グレーテを見た。
「さらにまずい事に、ヴィレムとマスケット銃の繋がりをオズボーン教皇は察した可能性があります」
グレーテは将校の報告を聞き、指先を眉間に当てた。グレーテの脳内には間抜けなヴィレムの姿が過り、暴力装置としての価値しかない牡猿に対して溜息をこぼした。
「せっかく本家のヴィレムを抹殺し、円卓の席を分家のヤツに授けたのに…使えない猿だな」
グレーテの呟きに将校は賛同すると、タバコを灰皿に押し当てた。
「レシラム教の財力があれば、マスケット銃の独自生産も可能になるでしょう…仕組みは単純ですからね」
「…いっそのこと、ディアルガの力で時を弄れないものかな」
グレーテはそう呟くと、机上に置かれたダイヤモンド、ディアルガの至宝を撫でた。ディアルガの胸から取り出されたとされるダイヤモンドには、時渡りの力が宿っており、ディアルガ教の象徴とも言える物である。
将校は新たなタバコを取り出すと、グレーテの呟きに対して応えた。
「ヴィレムは暴力装置としては有能です。グレーゴルとカフカの発見後は、ヴィレムも処分すればいいでしょう」
そう話した将校は炎タイプと思えない冷たい笑みでグレーテを見た。昇降の提案にグレーテは頷き、将校はニヤリと笑った。
「風の大陸はヴィレムが、草の大陸はフランツが活動しています。砂の大陸に送り込んだKからの報告がまだなので、連絡を試みます」
将校の報告を聞いたグレーテは「ご苦労」と返した。
続けて、将校は口を開いた。
「別件の報告になりますが、異端審問官のリラがオズボーンの子供を既に身籠っているようです」
将校の報告を聞いたグレーテは、愉快そうな声で「確かか?」と尋ねた。グレーテの質問に将校は頷くと、タバコの煙を吐き出した。
「先日のことですが、教会内で働くオズボーン教皇とリラの侍女…時の守護者がリラの変化に気づいたようです。着替えや湯浴びも1人で行い、人前でリラ自身の体型を見られないようにしている、と…周囲の者にも隠しているようですが、寝屋を共にするオズボーンと巫女は気づいているようですが」
「…巫女の方はどうだ?」
「侍女の報告によると、巫女も月経が止まったようです。侍女の報告と時期から考慮して、リラは妊娠6ヶ月…巫女は3ヶ月ほどでしょう」
将校の報告を聞いたグレーテは小さな笑い声をあげると、楽しそうにタバコを灰皿に押し当てた。グレーテの反応を見た将校もまた、低い笑い声を上げた。
「これは使える…使えるぞ」
愉快そうに笑うグレーテは将校を一瞥すると、彼に尋ねた。
「レシラム教の法に則った場合…どちらの子供が次の教皇となる?」
グレーテに質問された将校はレシラム教の事務方トップとしての顔で思考した。そしてタバコの煙を吐き出すと、カウフマンはグレーテに対して答えた。
「リラは華族とはいえ、正式な婚姻関係にない…とするとゼクロム教の象徴たる巫女とオズボーン教皇の子供が、次のレシラム教の教皇になると思われます」
カウフマンの返事を聞いたグレーテは「なるほど」と呟くと、新しいタバコ咥えると火をつけた。そしてカウフマン、いや将校を見ると、命令した。
「リラを監禁し、オズボーンの子を確実に産ませろ、そして赤子を奪ってこい。リラが抵抗したら殺してもいい」
「…巫女の子は?」
グレーテの思惑を察した将校は、小さな声で尋ねた。その質問にグレーテは首を左右に振ると、笑いながら将校を見た。
「巫女とオズボーン教皇の子にはレシラム教の次期教皇としての役割がある。私が欲しいのはオズボーン教皇の血を引いた子だ」
グレーテの命令を聞いた将校は「了解しました」と頷くと、タバコを灰皿に押し当てた。
将校は右手を胸に当てると、机上のダイヤモンドを見た。
「ディアルガ様のために」
はっきりとした声で将校は言うと、グレーテに一礼して部屋を出て行った。将校の背中を見届けたグレーテは、机の下に隠していた新たな玩具、ライフル銃の試作品を取り出した。
内部に旋条の彫られた銃身を撫でると、グレーテは小さな声で呟いた。
「…腕の良い職人が必要だな」
その声は狭い部屋の中にのみ、広がった。
裏通りの民家から教会に戻った将校、カウフマンはレシラム教の司祭服と白い装飾品を身に纏い、教会内を歩いていた。何人かのレシラム教徒や侍女とすれ違い、カウフマンは教会内に設けられた自室へと戻った。
椅子の背もたれに司祭服の上着をかけると、カウフマンはグレーテからの命令を思い出し、ほくそ笑んだ。
「グレーテも人が悪い…」
グレーテの意図を見抜いているカウフマンは低い声で笑い声を漏らすと、タバコを咥えて指先に炎を灯した。それをタバコの先端に当て、カウフマンはその味を堪能した。
室内に時計の針が動く音のみが響く。
静寂はノックの音で破られた。
カウフマンが視線をドアに向けて、小さな声で「どつぞ」と言った。直後、ドアがゆっくりと開き、その向こうには件の異端審問官が立っていた。白い異端審問官の服を着ているリラは小さくお辞儀をすると、室内に入ってきた。
カウフマンの視線がリラの腹部に向けられたが、彼女はそれに気づきもしなかった。
「どうぞ、お座りください」
カウフマンは至極丁寧な口調でリラに椅子を勧めると、タバコを咥えたまま、別のタバコをリラに勧めた。喫煙者である彼女はカウフマンの差し出したタバコを見ると、椅子に座り、首を左右に振った。
時の守護者である侍女のもたらした情報通りである事を確信し、カウフマンは僅かに口角を上げた。
「それで…どういった用件でしょうか」
カウフマンはタバコを吸いながら尋ねると、リラは躊躇するように視線を逸らした。先のタバコの件と視線の動きから、カウフマンはリラの用件をある程度絞っていた。それでも知らないふりをしたまま、カウフマンはリラに声をかけた。
時計の秒針が一回りした頃、リラは言葉を選びながら口を開いた。
「…オズボーン様の子供を妊娠しました」
リラの報告を聞いたカウフマンは驚いたような表情を浮かべた。それは演技であったが、今のリラにカウフマンの本性を見抜く余裕などなかった。
「…それは確かですか?」
カウフマンの問いにリラは頷いた。
リラは椅子から立ち上がり、白い異端審問官の服の服を脱ぐ。露出したリラの乳房は大きく膨らんでおり、腹部は大きく膨らんでいる。
普段、リラは異端審問官の白い服を着ており、身体のラインが見えないようになっている。だが、カウフマンに説明するために彼女は自身の胸と腹を見せ、自身の言葉の裏付けとした。
リラの姿を見たカウフマンは、内心ではほくそ笑んでいた。
服を着たリラは自身の腹部を撫でると、カウフマンの顔を見た。
「カウフマン様もご存知だと思いますが、私はオズボーン様の慰み者です。巫女が献上される前からオズボーン様の命により、抱かれていました」
「…」
カウフマンはタバコの煙を吸うと、黙ってリラの話を聞いた。
「元々、オズボーン様には正妻が居らず、私が慰み者としてお側にいましたが…とうとう孕んでしまいました」
リラの言葉を聞いたカウフマンは「ふむ」と呟き、顎に手を当てた。考え込むジェスチャーを示すと、カウフマンはタバコを灰皿に押し当て、リラを見た。
「リラも知っていると思いますが、由緒正しき身分でないと教皇の正妻にはなれません。仮にリラが赤子を産んだとしても、継承権は与えられず、腹違いの子として育てられます」
カウフマンはそこで言葉を切ると、わざと溜めるように時間を置いて話を再開した。
「…リラは、オズボーン様の子を産みますか?」
その質問にリラは顔を伏せると、小さく頷いた。その反応を見たカウフマンはグレーテの指示を思い出しながら、内心笑いそうになっていた。
「…では、出産までリラは異端審問官としての活動を禁止します。また、エリースの医療班の下、教会内で過ごしてもらいますが、いいですか?」
妾とはいえ、教皇の血を引く赤子の話であるため、リラはある程度の軟禁を覚悟していた。彼女はカウフマンの指示に頷くと、カウフマンは小さな鈴を鳴らした。
少しして、室内に複数の侍女と使用人が入ってきた。
カウフマンは侍女と使用人達を見渡すと、声を抑えて命令した。
「リラがオズボーン様の子を妊娠しています。出産までは教会の中で過ごしてもらいます。あなた達はリラの身の回りの世話をしなさい」
カウフマンの命令を聞いた侍女と使用人、いや時の守護者達は深々とお辞儀をした。当の本人であるリラは、自身の腹の中にいる赤子をグレーテやカウフマンが狙っている事などつゆ知らず、彼らに向かって深々とお辞儀をした。
「では、日当たりと風通しの良い部屋を用意してください」
カウフマンの指示に時の守護者達は深々とお辞儀をして、リラと共に退室した。彼らの足音が聞こえなくなった頃、ポツリとカウフマンは呟いた。
「リラと巫女がオズボーンの子供を…」
それが意味すること、グレーテの狙いを理解しているカウフマンはニヤリと笑うと、タバコを取り出し咥えた。指先の火をタバコに当てると、その煙を吸った。
カウフマンはデスクの引き出しを触ると、中に入っている物を指先で触った。冷たい金属の塊はバクフーンの体温を中和し、心地よい触覚を生む。
青銅色の歯車、時の歯車を触ったカウフマンは口角を上げ、目尻を僅かに下げた。部下である時の守護者達が歯車を守る番人を襲い、4つの時の歯車の強奪に成功した。それらを一括で管理しているカウフマンは、残り2つの時の歯車の所在を探っていた。
カウフマンはタバコの煙を吐き出した。
タバコの煙が時の歯車に当たり、青銅色を霞ませる。それを見たカウフマンは指先で歯車をトントンと叩き、引き出しを閉めた。
「オズボーンの子供と時の歯車…」
カウフマンは先程のグレーテとの会話を思い出した。グレーテは机の下に何かを隠していた。カウフマンはその事も見抜いており、それが何かを思考した。
未来の世界のトレジャータウン、プクリンギルドの跡地に設けられた処刑場、いや流刑地にてグレーゴルと名乗ったリオルが尋ねた言葉を思い出した。
「…ライフル」
カウフマンは小さな声で呟くと、机の下に隠してある小型のマスケット銃を取り出した。時の守護者達の改造により、小型の笛程度の大きさの筒を使い、弾を発射できるようになっている。携行性に長けた笛は、命中率に欠けるため、かなりの近距離での運用となる。
グレーテはまだ生まれていない赤子ですら、利用しようとする性格である。そんな性格の持ち主がマスケット銃などという大発明を無償で提供するのだろうか。
「…」
カウフマンはタバコの煙を吐き出しながら考えた。そしてタバコを灰皿に押し当てると、マスケット銃を触った。
「マスケットではなくライフル…」
小さな声でカウフマンは呟いた。グレーゴルが言ったライフルという単語が何を指すかはわからない。しかし、グレーゴルはマスケット銃を見て「ライフル」と言った。
それはマスケット銃の類似品である事を意味している。
グレーテの性格とグレーゴルの言葉を思案したカウフマ、いや将校は新たなタバコを咥えると、それに火を灯した。それらから判断できることは、ライフルという物がマスケット銃と同じく武器であること、グレーテがライフルの存在を隠す必要があるということが伺える。
「…マスケット銃よりも強い武器、か」
それ即ち、グレーテがライフルを得た場合、マスケット銃で対抗できるかは不明である。仮にグレーテが時の守護者を裏切った場合、マスケット銃の星の調査団とライフルのグレーテが戦う可能性もある。加えて、グレーテには固有の力がある。
グレーテの力と正体不明のライフルという存在が、パワーバランスに影響を与えている。
「…類似品なら、マスケット銃を改造すれば使えるか?」
カウフマンは予想を立てると、椅子から立ち上がり、教会内にある電信室へと向かった。室内には信者のモココが座っており、タバコを吸っていた。モココは扉から姿を現したカウフマンに向かってお辞儀をしようとするが、カウフマンはそれを制してモココに話しかけた。
「電信機を使いますので、発電をお願いします」
カウフマンの指示にモココは頷くと、慣れた手付きで電信機のコードを触り、電流と電圧をコントロールしつつ通電した。数秒後、モココが準備完了の合図を送り、カウフマンはゆっくりとした口調で話し出した。
「宛先は氷の大陸のレシラム教支部…宛名はフルトです」
モココの指が一定感覚で動き、送信キーを押していく。モココが頷いたのを見て、カウフマンは口を開いた。
「金属加工に長けた腕の立つ職人を探してください。見つけ次第、カウフマンへ連絡してください」
モココの指が動き、送信キーを押していく。それを見ながらカウフマンは腕の立つ金属加工の職人にマスケット銃を見せ、更なる加工ができないか相談することにした。
(…グレーテがライフルとやらを作るにしても、大量の資金が必要になる)
モココの指を見ながらカウフマンは考えた。
(グレーテのパトロンはレシラム教の資産…管理も私に任されているから、資金の用途も追跡できる)
そう考えたカウフマンはモココの背後でニヤリと笑った。彼の表情の変化にモココは気づいておらず、ひたすら打電を繰り返した。
やがて、送信を終えたモココの指が止まった。それを見たカウフマンは労いの言葉をモココにかけると、電信室を後にした。
だが、グレーテもカウフマンも知らない事が一つだけあった。
電信室を担当しているモココがエリースとも懇意にしており、お茶を共にする仲だと。教会内で働く一般職員のほとんどがエリースと顔馴染みである事を。