「エレン。お前の善行はこの数百年でいくつもの地獄を培養し続けてきた。お前のいう正義や平和など、ただの自己満足だ。お前自身の信じる美学を実現したいがために、他者の現実を壊し続けてきた。いいかエレン……お前は賢者でも何でもない。世界で最も有害な無知な加害者だ」
「私は……私は……」
カイルは絶望に沈むエレンの前に立ち、その顎を強引に掬い上げた。
[i:【対象:エレン・シルヴァリオ】
【紋章:三重螺旋の聖紋(トリプル・グリフ)/色彩 深緑、群青、濃紫】
【深層心理詳細:紋章の汚染率90% もう何も間違えたくない、失敗したくない、無知なる自分を誰かに導いてもらいたい。対象の他力願望の発生を確認。責任の放棄、思考の放棄、自主的行動の放棄を対象は切望。被支配欲求の高まりを確認。圧倒的な支配者による絶対的な支配を切望】]
その情報を『視た』カイルはにやりと微笑み、
「エレン……わかっただろう。お前が正義や平和を考えればまた誰かが地獄に墜ちる。お前が自らの正義を信じれ行動すると、また血が流れる……自分の意志で動くことがどんなに恐ろしいか、わかったんじゃないか?」
その耳元でそっと囁く。
「……ぁ、あぁ……。私は……私は、どうすればいいんですの?……何をしても、何を考えても全て間違ってしまう私はどうしたら……っ!」
「簡単だエレン。全てを俺に委ねればいいんだ」
「あなたに……委ねる……」
「そうだ……お前の思考、魂、身体の全てを俺に差し出せ……俺に従ってさえいれば、お前はもう『間違える』ことはない。俺の思考のまま、俺の手先となって動くだけで良いんだ……そうすればもう二度と間違いも、罪も背負わなくて済むぞ」
「何も、考えず、従う……だけ」
「そうだ。空っぽの器になり、俺だけを受け入れろ」
「受け……入れる……あなた、を」
エレンの胸元から下半身まで伸びる多色の紋章が、徐々に変質していく。
エメラルドのような深緑は灰色に、サファイアのような群青は泥のような色に、アメジストのような濃紫は真っ黒に……それはエレンの中にあった信念や正義、それらを支えていた長年にわたって蓄積されてきた知恵。それらが崩壊している様を表していた。
「自分で思考しないのはとても気持ち良いぞ、エレン」
「何も、考えない……気持ち、良い」
ぴきっ!
エレンの深層心理にひびが入る音が響く。
『[b:心触(クラック)』]が発動し、エレンの中に芽生え始めた、誰かに従っていれば間違うことはない。
もう何の責任も負いたくない、というエレンの本音を増幅させていく。
「そうだ、お前は長い間考え続けてきた。だが心の底ではもう考えることを放棄したがっている。さぁ、自分で考えることを捨て、自分の信念も正義も捨て、俺に従うだけの人形に成れ」
カイルは自らの右手をリンドに小刀で切り裂かさせ、その邪悪な色に染まった掌をゆっくりとエレンへと近づけ、
「我が血に流れる穢れた因子よ。この者の『本音』を現実にしろ]」
そのままエレンの胸元にぐっと押し当てた。
「あ、は……っ。ああああああああああああああああッ!!!」
その瞬間、絶叫と共にエレンの瞳から自我が消え、代わりに「支配を受け入れることに対する安堵」「盲目的な服従に対する安心」が宿る。
「あ……あ、あ……あ」
その場で力なく、がくりとうなだれたエレンにカイルが問いかける。
「……新しく生まれ変わった気分はどうだ? エレン」
「……とても、気分が良いですわ、マイ・ロード……何も考えないって、こんなにも素敵なことだったんですのね」
光を失った瞳をカイルに向けたままエレンが答える。
「そうだ。お前はもう何も考える必要はないんだ……エレン、質問に答えろ。お前は誰だ?」
「……わかりませんわ」
「そうか……ならお前の仕事は何だ?」
「……わかりませんわ。考えたくもありませんわ」
「ふふっ。いいぞエレン、それでいいんだ……教えてやるエレン。お前は俺の『頭脳』。お前の持つ数百年の知識は全て俺のためだけに使え」
「……私はあなた様の頭脳。私の知識は全てあなた様のために使う。わかりましたわ。そう致します、マイ・ロード」
「そうだ。そしてお前の仕事は、お前を追い詰めた『救いようのない人間たち』の都を一掃することだ」
「人間の都を一掃する。それが私の仕事……わかりましたわ。マイ・ロード」
そう答えるエレンは虚ろな、だがどこか救われたような恍惚の微笑みを浮かべ、カイルの足元に跪く。
「……マイ・ロード……私のこの『穢れた知性』を……どうかあなた様のために使い潰してくださいませ」
そう呟くエレンの前面には、妖しく光り輝く黒紫色の紋章が見て取れた。
「……おめでとう。お前もようやくご主人様のものになれたな。これからはお前の身も心も、全てご主人様にささげるのだ、エレン」
跪くエレンの前にリンドがそっと躍り出る。エレンは首を垂れたまま、
「はい。よろしくお願いいたしますわ。リンド様」
そう述べた。
そんなエレンを見下ろしたまま、リンドは不敵な笑みを浮かべ、
「これから私のことは敬意をこめてリンドお姉様と呼びなさい」
そう告げた。
「わかりましたわ。リンドお姉様」
「ふふ……ご主人様、この『新入り』への教育はぜひとも私にお任せください。この新人にご主人様の足元を這うときの正しい作法を、徹底的に叩き込ませていただきます」
カイルは完全に堕ちたエルフとそれを悦悦と見下ろすリンドを眺め、満足げに頷いた。
「……ああ。頼むぞ、リンド……教育はお前の得意分野だからな」