柴後輩とクロ兄ちゃん【海】

  「“ クロ[[rb:兄 > にぃ]]!海行こう!海!”」

  「海!?」

  突然[[rb:玄來 > げんき]]から電話があった。

  今は6月も終わり頃。俺は[[rb:優 > ゆう]]と大学の学食で昼飯を食べていた。

  「“ うん!店長がさ、今度の日曜日に海行かないかって。クロ[[rb:兄 > にぃ]]のこと前から話してたから、一緒にどうだって誘ってくれたんだ!”」

  なるほど、そういうことか。

  実は[[rb:玄來 > げんき]]の方から遊びに誘うというのは珍しい。

  昔からそうなのだが、誘うのはいつも俺の方からだった。こっちで初めて晩飯に誘われた時も珍しくて少しビックリしたくらいだ。

  ただ誘われるのは満更でもないようで、いつも尻尾を振って嬉しそうについてくる可愛いヤツだった。

  「もちろんオッケー。何か持って行った方がいいものあるかな」

  「“ 手ぶらでいいって!店集合だと思うから、オレと一緒に行こ!時間とかはまた連絡するね”」

  俺はワクワクで胸いっぱいになりながら、やり取りを終え電話を切った。

  「海行くの?」

  「うん。[[rb:玄來 > げんき]]んとこの店長が一緒にどうだって誘ってくれたみたいでさ。にしても6月中に海開きって結構早い方だよな」

  「ふーん。まあ楽しんで」

  あれから[[rb:玄來 > げんき]]とは大体週3ペースで一緒に晩御飯を食べている。

  隙を見せるとすぐに身銭を切り出すので、俺の家には調理器具や基本的な調味料はもちろん、保存の効く食材からスパイスまで完備し、盤石な布陣を整えている。

  ちなみにその中で俺が扱えるのは米と卵だけだ。

  色々考えもしたが、[[rb:玄來 > げんき]]が俺をどう思っているかという事については、一切詮索しないことにした。

  されて嬉しいことでは無いし、どうしても知りたくなったら、俺から勝手に告白して、俺が勝手に砕け散ればいい。

  とにかく[[rb:玄來 > げんき]]に嫌な思いをさせるのは、クロ[[rb:兄 > にぃ]]として絶対に無しだ。

  ただ、そうは言っても好きな人には違いない。

  自分を好きかもしれないなんて淡い期待を持ってしまった分、これからも些細なことでドキドキしてしまうだろう。

  そして何より今回は海だ。

  快晴の空、夏の陽が差すビーチ、爽やかな笑顔で俺を呼ぶ水着姿の[[rb:玄來 > げんき]]。

  卒倒もんである。

  しばらくジト目でこちらを見つめる[[rb:優 > ゆう]]に気付かないまま、俺は未来で待つ水着姿の[[rb:玄來 > げんき]]に思いを馳せていた。

  [chapter:柴後輩とクロ兄ちゃん]

  ────時刻は午前4時半。ここは[[rb:玄來 > げんき]]の勤め先の小料理屋『銀』の前である。

  陽も登りきらぬ早朝。移動手段は車。海も割と近い。

  結論から言おう。釣りだった。

  俺が[[rb:玄來 > げんき]]に釣られたとかそういう話では無い─────いや、半分そうなのかもしれないが。

  ビーチではなくフィッシング。しかも船の上から釣るらしい。

  「よし、荷物は全部詰んだな。クロ[[rb:兄 > にぃ]]は釣りやったことあんのかい」

  「防波堤でサビキを何回かやったくらいです」

  「今回はその10倍以上のヤツがかかるぞ。楽しみにしときな」

  この人が小料理屋『銀』の店長、[[rb:尾神 > おがみ]] [[rb:銀吾朗 > ぎんごろう]]さんだ。

  耳まで入れたら2メートルはありそうな巨躯を持つ漆黒の狼で、職業柄か頭の後ろの毛をゴムでまとめている。

  そして何故か右目には縦にズバッと古傷があり、初見ではどう見てもカタギに見えない。今も見えない。

  「あの、クロ[[rb:兄 > にぃ]]じゃなくて、呼び捨てで・・・」

  「お、じゃあクロでいいか? 俺の事も店長なり大将なり好きに呼べ。銀ちゃんとかゴロちゃんでもいいぞ。あ、[[rb:尾神 > おがみ]]さんはヤメろよ」

  「あの・・・じゃあ店長で」

  見た目に圧倒されてしまうが、正直かなりモテると思う。男女両方。全身から雄のフェロモン全開って感じだ。奥さんはまだ寝ているようだが、きっと美人なのだろう。

  「まだ出発しないんすか?」

  [[rb:玄來 > げんき]]が店長に尋ねる。

  「待て。もう1人来る」

  店長がそう言って間もなく、遠くからバイクの音が聞こえてきた。

  「おーきたきた」

  「・・・え!?あれ、まさか」

  バイクは店の前で止まり、ヘルメットを取ると見慣れた虎の顔が出てきた。

  「久しぶりだな[[rb:優 > ゆう]]坊。元気そうじゃねぇか」

  「うん。元気」

  「[[rb:優 > ゆう]]!」

  「よ」

  驚愕する俺をよそに、[[rb:優 > ゆう]]は落ち着き払った様子で返事をする。

  「なんだ?知り合いか?」

  「大学の友達。よく一緒に遊ぶ」

  「なんだそうかよ。だが良かったぜ。俺はまたお前がぼっちで意地張ってんじゃねぇかと心配したんだが、余計なお世話だったな」

  「うん。意外と順調」

  そうかそうかと、店長は嬉しそうだ。

  「あの・・・」

  [[rb:玄來 > げんき]]が[[rb:優 > ゆう]]に近づく。

  「クロ…井先輩の後輩で、[[rb:柴 > しば]][[rb:玄來 > げんき]]っていいます。[[rb:虎守 > こもり]]さんっすよね?クロ…井先輩からお話よく聞いてます」

  「うん。[[rb:柴 > しば]]くんでしょ。聞いてる。てかクロ[[rb:兄 > にぃ]]って呼ばないの?」

  えっ、と固まる[[rb:玄來 > げんき]]につい笑ってしまった。

  今日も[[rb:優 > ゆう]]は通常運転だ。

  「なんだなんだ。世間は狭いな。楽しくなりそうで良かったぜ」

  俺たちは全員店長の車に乗り換え、海へと出発した。

  ◆◆◇◇◆◆

  「ゴロちゃーん」

  「セイさん。今日もよろしくお願いします」

  波止場に着くと、俺より背が低く丸っこい感じのセイウチのおじいちゃんがこちらにトコトコ走ってきた。

  「こちら、今日船を出してくださる船長の[[rb:戸渡 > とど]] [[rb:晴一 > せいいち]]さんだ」

  「セイちゃんでいいよー」

  ホントにお茶目で可愛らしい印象を受けるおじいちゃんだ。

  初対面なのにすぐ慣れてしまった。

  「[[rb:黒井 > くろい]] [[rb:琉貴 > るき]]です」

  「[[rb:柴 > しば]] [[rb:玄來 > げんき]]です。今日はよろしくお願いします」

  「うんうん。[[rb:琉貴 > るき]]くんと[[rb:玄來 > げんき]]くんね。[[rb:優 > ゆう]]くんも久しぶりだね」

  「ども」

  どうやら[[rb:優 > ゆう]]は顔見知りらしい。釣りにも何度が来たことがあるのだろうか。

  「あの」

  「うん?」

  「できれば、黒井のほうでお願いします」

  失礼だとは思ったが、やっぱり名前呼びは慣れない。嫌では無いがビクッとしてしまう。

  「こいつは[[rb:玄來 > げんき]]の兄貴分でして、いつもクロ[[rb:兄 > にぃ]]って呼ばれてるんですよ」

  「そっかそっか。じゃあクロくんね」

  船長はニコニコで了承してくれて、ちょっとホッとした。

  「で、ゴロちゃん今日はどうする?また泳がせで大物いっちゃうー?」

  船長は無い竿にかかった大物と格闘しながら、店長に声をかける。

  「今日は連れも多いし、ジグで青物でも狙いますかね」

  挨拶を終えて、俺たちは船長の案内で船へと向かった。

  ◆◆◇◇◆◆

  「ふわぁ・・・」

  「スッゲー!」

  俺と[[rb:玄來 > げんき]]は2人して感嘆の声を上げる。

  想像していたよりもずっと立派な船だった。テレビや動画で漁師さんたちの釣り船は何度か見た事があるが、目の前の船はそれらとは雰囲気が違う。船のことは無知だが、これは釣り船というよりクルーザーと言ったほうが適切なのではないだろうか。

  「た、高そうだね。クロ[[rb:兄 > にぃ]]」

  「どのくらいするんだろ」

  「大したことないよ。ささこれ着てー」

  船室から出てきた船長が俺と[[rb:玄來 > げんき]]と[[rb:優 > ゆう]]にライフジャケットを着せてくれた。

  船に乗り込むと足に船の浮力と波の揺れが伝わってくる。それと同時にしっかりとした船の力強さも感じ取れた。

  初めての感覚に胸が痺れるように疼いた。

  操縦席を挟んで、船の前後はどちらも十分なスペースがあり、男5人でも余裕だ。

  土足厳禁の階段を降りた所にある船室にはテーブル1つとベッドが数台。トイレとシャワーまでついている。余裕で住めそうだ。

  「よし、じゃあ出発しよっか。着いたら教えるから中でくつろいでていいよ」

  船長の言葉で[[rb:優 > ゆう]]は船室に引っ込んだが、俺と[[rb:玄來 > げんき]]は外で潮風を受けながら、初めての船旅に2人で興奮していた。

  ◆◆◇◇◆◆

  「そろそろ着くよー」

  船長がそう言ってから船のスピードが変わり、俺はフラついて体制を崩してしまった。

  「おわっ」

  「おっと」

  後ろ向きに[[rb:玄來 > げんき]]のほうに倒れ込んでしまったが、[[rb:玄來 > げんき]]は胸でしっかりと受け止めてくれた。

  「大丈夫?クロ[[rb:兄 > にぃ]]」

  「あ、ああ。ゴメンな[[rb:玄來 > げんき]]。ありがとう」

  「うん!」

  [[rb:玄來 > げんき]]は両手で後ろから俺の肩を持って密着したまま、嬉しそうに尻尾を振っている。

  もう大丈夫なのだが、[[rb:玄來 > げんき]]は密着したまま離れない。

  ふと、あの夜のことを思い出す。

  [[rb:玄來 > げんき]]は今、どんな気持ちでいるだろうか。離れたくないと思ってくれているのだろうか。

  ライフジャケット越しでも、[[rb:玄來 > げんき]]の触れている部分が暖かく感じる。

  [[rb:玄來 > げんき]]の顔が耳にあたってくすぐったい。

  波も風も船のエンジン音もあるのに、[[rb:玄來 > げんき]]の息遣いが、ひどく鮮明にハッキリと分かる。

  ─────できればずっとこのままで。

  ─────このまま抱きしめてくれないかな。

  俺は[[rb:玄來 > げんき]]に気付かれないように、本当に少しだけ、[[rb:玄來 > げんき]]の脚に自分の尻尾を巻き付けた。

  ◆◆◇◇◆◆

  「到着ー!65ー」

  65はおそらく水深とかだろう。

  到着してすぐに、俺と[[rb:玄來 > げんき]]は釣竿を渡され、店長からレクチャーを受ける。

  [[rb:優 > ゆう]]もいつの間にか出てきていて、自分で手際良く竿を準備し、サッサと釣り始めてしまった。

  もう何度も来ているんだろうな。

  「よし、とにかく実践第一だ。仕掛けが水中でウマそうに動くのをイメージしてやってみろ」

  俺と[[rb:玄來 > げんき]]は隣で、[[rb:優 > ゆう]]と店長は反対側で釣り糸を垂らした。

  「[[rb:玄來 > げんき]]より先にデッカイの釣ってやろうかな」

  「クロ[[rb:兄 > にぃ]]、オレ負けないよ」

  軽く隣の[[rb:玄來 > げんき]]に喧嘩をふっかけて竿を動かしながら当たりを待つ。

  この竿に魚が喰いついた時の衝撃を想像すると、胸が高鳴った。

  ─────最初のヒットは[[rb:優 > ゆう]]だった。

  後ろから聞こえていたリールの音が変わり、店長が[[rb:優 > ゆう]]に声をかける。

  俺と[[rb:玄來 > げんき]]も魚と格闘する[[rb:優 > ゆう]]に目をやる。

  「おー!いきなり狙いのヒラマサじゃねえか。やるな[[rb:優 > ゆう]]坊」

  店長がタモで掬い上げた魚は、ハマチのような立派な魚体をしており、俺は思わず声を上げた。

  「おー!スゲー!ハマチみたいだ」

  「似てるが、別の魚だ。ハマチよりサッパリした味でよ。ウマいぞー。昼はコイツを捌いて食うか」

  魚は好物だ。特に寿司や刺身は焼肉よりずっと好きだ。

  俺は刺身になった釣りたてのヒラマサを想像して生つばを飲んだ。

  店長はヒラマサを生簀に放り、[[rb:優 > ゆう]]と2人で再び釣りを始める。

  「次は俺が釣るからね。クロ[[rb:兄 > にぃ]]」

  意気込む[[rb:玄來 > げんき]]をよそに、続いてのヒットは店長、[[rb:優 > ゆう]]がタモで揚げると、こちらも立派なヒラマサだ。

  当たり無しは俺と[[rb:玄來 > げんき]]だけだ。

  「オレだって」

  [[rb:玄來 > げんき]]は先ほどより真剣な顔で竿を見つめている。

  「ほらほら、怖い顔するとお魚さん逃げちゃうよ。のーんびり。気楽に」

  船長がニコニコしながら俺と[[rb:玄來 > げんき]]に声をかけてくれる。

  顔ならどう考えても後ろ2人の方が怖いと思うのだが、言うのは辞めておいた。

  俺はスッと肩の力を抜いて、潮風や船から伝わる波の揺れを感じながら、釣れたらラッキーくらいの心持ちで、再び糸を垂らした。

  ─────すると。

  「き、きた!」

  船長が「お」っと俺の方を向く。

  俺は竿から伝わる振動と、魚の圧に耐えながら、店長の指導通りに糸を巻いた。

  しばらく格闘すると水面近くまで魚が上がってきた。

  横から船長がタモですくってくれて、俺の記念すべき1匹目が揚がる。

  「カサゴだ!」

  「フフフ。コレはウッカリカサゴ。よく似た別の魚だよ」

  「昔は一緒にされてたらしいがな。カサゴより身に歯ごたえがある。いいサイズだな」

  人生初のサイズの魚に俺は興奮し、尻尾と耳を[[rb:忙 > せわ]]しなく動かしていた。

  「オレも釣らなきゃ・・・」

  そう呟いた[[rb:玄來 > げんき]]はさっきよりも真剣な顔で竿を見つめている。

  しばらくして、再び[[rb:優 > ゆう]]の竿がヒットする。

  「うお! なんだそりゃ!」

  俺も釣り糸を垂らしながら見守っていると、店長が声を上げた。

  揚げられたタモの中身を見ると、仕掛けの上と下の針にヒラマサが1匹ずつ喰いついていた。まさかのダブルGETだ。

  「何ってヒラマサでしょ」

  「1つの仕掛けに2匹喰いつくなんて中々ねえよ。持ってるなー[[rb:優 > ゆう]]坊」

  店長は2匹のヒラマサを手際良く生簀に放り込む。

  [[rb:玄來 > げんき]]の竿だけ、未だ当たりが無い。

  「店長!俺もそれやってみたい!」

  突然[[rb:玄來 > げんき]]が声を上げた。

  店長は俺たちがやっている釣り方と違い、竿を振って仕掛けを遠くに飛ばしながら釣っている。

  「キャスティングか?やって[[rb:釣果 > ちょうか]]が上がるってもんでもねえぞ?」

  「お願い!」

  まあ何事も経験だなと言って、店長は[[rb:玄來 > げんき]]に竿を持たせやり方をレクチャーする。

  「見ててよクロ[[rb:兄 > にぃ]]。絶対大物釣ってやるから」

  「あんまり気張りすぎるなよ」

  [[rb:玄來 > げんき]]は竿を振って、仕掛けを遠くへ飛ばす。

  「今の倍は飛ばさねえと意味ねえぞ。もっと手元に仕掛けの重さをのせて飛ばしてみろ」

  「うす!」

  その後、何回か釣り糸を垂らしてから俺は竿を揚げ、座って休憩していた。

  俺は後ろから竿を振る[[rb:玄來 > げんき]]を見ていた。

  ─────未だ[[rb:玄來 > げんき]]の竿に当たりは無い。

  [[rb:玄來 > げんき]]のガッシリした背中や引き締まった脚とかを眺められるのは最高だが、ボウズに焦る[[rb:玄來 > げんき]]は心なしか前のめりで落ちないかちょっと心配だ。

  「もっと、もっと遠くに・・・次は絶対・・・」

  そう呟いた[[rb:玄來 > げんき]]が竿を勢いよく降った瞬間、急な波で船が揺れ、[[rb:玄來 > げんき]]は体勢を崩した。

  「うわっとと!」

  「[[rb:玄來 > げんき]]!!」

  瞬間─────俺は[[rb:玄來 > げんき]]に飛びついていた。

  [[rb:玄來 > げんき]]が海に落ちると思った瞬間、底知れぬ恐怖と焦燥が全身を刺すように俺を襲い、心臓が叫んだ。

  「クロ[[rb:兄 > にぃ]]、ゴメン。ありがとう」

  俺はまだ[[rb:玄來 > げんき]]を後ろから強く抱きしめている。

  目を見開き、全身の毛皮が逆立ち、呼吸は乱れている。

  瞳の奥に、あの日の光景が映る。

  血に淀んだ川の水と共に、[[rb:玄來 > げんき]]の身体がゆっくりと流されていく。

  足のつかない深い場所。川の水と涙と嗚咽で溺れそうになりながら[[rb:玄來 > げんき]]の身体を岸に運ぶ。

  震える足腰に、おんぶするより何倍も重たく感じるヒトの身体。自分の毛皮に染み付いていく、[[rb:玄來 > げんき]]の血の匂い。泣きじゃくる妹の[[rb:光 > ひかり]]。

  河原に[[rb:玄來 > げんき]]の身体を置いて、その後はただ必死に走った。誰でもいい。[[rb:玄來 > げんき]]を助けて欲しい。息切れしている事も忘れ、泣きながらただただ走った。

  そこからはもう覚えていない。

  気がついたら病院のベッドで意識を取り戻した[[rb:玄來 > げんき]]の手を握っていた。

  “───── クロ[[rb:兄 > にぃ]]、ゴメンね・・・。”

  “・・・お願い、クロ[[rb:兄 > にぃ]]。オレ────”

  あの時[[rb:玄來 > げんき]]は俺に何か頼み事をした気がする。俺は[[rb:玄來 > げんき]]に何を頼まれていただろうか。

  「クロ[[rb:兄 > にぃ]]・・・?」

  [[rb:玄來 > げんき]]の声にハッとして我に返る。

  「あ、悪い。[[rb:玄來 > げんき]]がフラついて、ビックリしちゃって」

  「オレもちょっと竿振りすぎてヨロけちゃった。ありがとクロ[[rb:兄 > にぃ]]」

  [[rb:玄來 > げんき]]は困ったように笑うと、再び竿を振ろうとする。

  「なあ、[[rb:玄來 > げんき]]。やっぱり元の竿に戻さないか?」

  「大丈夫だよ。飛ばし方のコツも掴めてきたし。今度はもっと軽い力で遠くへ飛ばせると思う」

  「でもさ。ほら。[[rb:優 > ゆう]]もこっちの竿で1番釣ってるわけだし」

  「心配しないでクロ[[rb:兄 > にぃ]]。任せといてよ。店長の真似してバッチリ大物釣り上げてみせるから」

  ─────店長の“真似”・・・。

  それを聞いた瞬間、再び強い恐怖と焦燥が襲いかかった。

  「だからクロ[[rb:兄 > にぃ]]は・・・」

  「いいから言うことをきけ!!」

  俺は声を荒げた。

  船の皆が横目で俺たちを見つめている。

  [[rb:玄來 > げんき]]は一瞬ピンと耳を立てたあと、クタッと垂れ下げた。

  「わかった。ゴメンね。クロ[[rb:兄 > にぃ]]」

  [[rb:玄來 > げんき]]は竿を置いた。

  「はいはーい!そろそろお昼の時間だよー」

  そう言うと船長はトコトコと船室に駆けていって、大きめの炊飯器を抱えて戻ってきた。

  「炊きたてーごっはーん!」

  パカッと開けると炊きたてご飯が湯気をのぼらせている。

  「じゃ、さっきのヒラマサ捌いて海鮮丼でも作りますか。[[rb:玄來 > げんき]]、お前船室で酢飯作ってこい」

  「あ、うす」

  船長は寿司桶もあるよーと言いながら[[rb:玄來 > げんき]]と一緒に船室に歩いていった。

  店長と[[rb:優 > ゆう]]は勝手知ったる様子で食事テーブルやまな板など準備を整えていく。

  俺も手伝いをと思った時には、既に準備は終わっていた。

  ◆◆◇◇◆◆

  俺たちはヒラマサの海鮮丼に舌鼓を打った後、また少し釣りをして帰港した。

  船長にお礼と別れを告げ、車で『銀』まで戻った。

  俺はドッと疲れが襲ってきて、店長に断ってから車の後ろの席で眠ってしまった。

  少し気まずくて、隣の[[rb:玄來 > げんき]]とは何も話さなかった。

  ◆◆◇◇◆◆

  「帰ったよー。[[rb:友紀 > ゆき]]ちゃーん」

  「おかえり、ゴロちゃん。皆もお疲れ様。釣果はどうだった?」

  『銀』に戻ると、ふわふわで真っ白な毛皮の兎さんが出迎えてくれた。

  「上々だ。今日はご馳走だぞ」

  店長は荷物を置くと、白兎の横に立って肩を抱き、俺の方を向いた。

  「妻の[[rb:友紀 > ゆき]]だ」

  「[[rb:友紀 > ゆき]]です。あなたがクロ[[rb:兄 > にぃ]]? 毛並みツヤツヤでとっても綺麗。イケメンさんね」

  [[rb:友紀 > ゆき]]さんはニコニコと楽しそうに話しかけてくれる。

  「おいおい。俺のほうがカッコいいだろ?」

  「うんうん。ゴロちゃんが1番よ」

  「そうだろ?」

  [[rb:友紀 > ゆき]]さんは小さな手を店長の顔に伸ばしてヨシヨシしている。

  店長はブワッと音がしそうなほど大きな尻尾を振ってご満悦の様子だ。

  「あ、あの。黒井[[rb:琉貴 > るき]]です。[[rb:玄來 > げんき]]がいつもお世話になってます」

  「[[rb:琉貴 > るき]]くんっていうの? 素敵な名前ね」

  「できれば上のほうで・・・」

  「そっか。クロ[[rb:兄 > にぃ]]だもんね」

  「[[rb:友紀 > ゆき]]、[[rb:誓優 > せいや]]は?」

  「まだ寝てる」

  [[rb:誓優 > せいや]]くんは2人の息子さんで0歳の赤ちゃんだそうだ。息子が産まれて人手が欲しいと思っていた時に、[[rb:玄來 > げんき]]の話しがあり、トントン拍子に話が進んだのだと[[rb:玄來 > げんき]]から聞いた。

  「お前ら今日はうちで食ってけ。[[rb:玄來 > げんき]]、手伝え」

  「うす」

  店長と[[rb:玄來 > げんき]]は厨房へ行き、釣った魚の処理を始めた。

  俺と[[rb:優 > ゆう]]は店のテーブルに座らせてもらい、[[rb:友紀 > ゆき]]さんは[[rb:優 > ゆう]]との関係や店での[[rb:玄來 > げんき]]のことを色々聞かせてくれた。

  ◆◆◇◇◆◆

  「できたぜー」

  「うおおおお!」

  ヒラマサのお造りにカマ焼き、天ぷら、それに汁物と俺が釣ったウッカリカサゴはアラ煮になっている。

  「それとコイツは店の裏メニューだ」

  ポン酢の匂いがする椀の中央には魚の皮と肝らしきものが綺麗に盛られ、小ネギともみじおろしが添えてある。

  「ウッカリカサゴの皮と胃袋と肝だ。ウマいぞー」

  [[rb:玄來 > げんき]]も調理場から戻ってきて、俺の目の前の席に着く。[[rb:玄來 > げんき]]はまだ顔を合わせずらそうにしている。俺も正直ちょっと気まずくて隣の[[rb:優 > ゆう]]に声をかける。

  「よし、じゃあ食うか。いただきまーす」

  椅子を持ってきた店長が俺と[[rb:玄來 > げんき]]の間になる机のヘリに座って合掌する。

  それに皆続いて、食事を始める。こんな人数で食卓を囲むのは久しぶりだ。

  俺は店長と話しながら、自分が釣ったウッカリカサゴのアラ煮に箸を付ける。噛み締めるとしっかりとした魚の旨味が口に広がる。コレは美味い。

  「こっちも試してみろ」

  店長が裏メニューといった皮と内臓のポン酢仕立てを勧めてくれ、これもひとくち。

  ─────美味い。めちゃくちゃ美味い。

  魚の内臓ってこんなに美味いものなのかと、ちょっと感動してしまった。

  「ウッカリカサゴは[[rb:玄來 > げんき]]が捌いて調理したんだぜ」

  俺は不意に出てきた“ [[rb:玄來 > げんき]]”の名前にビクッと耳と尻尾を立てた。

  正面を向くと、耳をすこしヘタらせて、[[rb:玄來 > げんき]]が困ったように笑っていた。

  「どうかな・・・クロ[[rb:兄 > にぃ]]」

  俺は、うん、と1つ頷いて、自然に零れてきた笑顔と共に[[rb:玄來 > げんき]]に応えた。

  「すげぇ美味いよ[[rb:玄來 > げんき]]。お前の料理はホントいつも最高だよ」

  ヘタれた犬耳がぴょんと立って、[[rb:玄來 > げんき]]の顔にぱぁっといつもの笑顔が戻った。

  [chapter:柴後輩とクロ兄ちゃん]

  ※次回※

  第三者視点の[[rb:玄來 > げんき]]回です。

  Twitterで作品関連の呟きなどしてますので、良ければ見てやってください。

  ☆時系列的に、この次で[[rb:優 > ゆう]]視点の読み切り作品『虎がウソをついた日』を挟みます。

  [[rb:優 > ゆう]]の心情が気になる方は読んでみてください。