11話 くすぐり私刑を受けるイチ(4) よせあつめ外伝8

  暫くした後、イチは目を覚ました。

  周囲を見回すがグリムら女冒険者の姿はない。

  服が乱され下着がぐっしょり濡れているせいもあり身体が冷えている。

  いったいどの程度気を失っていたのか。

  取りあえず下着を乾かそうと炉に火を起こしながら状況を確認した。

  「銃がない………………!」

  携行していたはずのカーペイト10式ライフルがなくなっている。

  どうやらグリムらが持って行ってしまったのだろう。

  自分の装備で奪われたのはライフルのみで、ガンベルトに挿しているカーペイト1式回転拳銃とライフル弾含めた各種弾薬、緊急用の装備などは無事。路銀も手は付けられていなかった。

  しかし。

  「金時計が………………!」

  イチはコートの隠しポケットにしまっていた依頼目標の金時計がなくなっているのを知り顔色を失くした。

  しかもそのポケットの中には下手な文字で「今度はオムツを履いてくることね」と書かれた紙が折り畳まれて入っていた。

  イチは干して乾かしてある自分のショーツを一度見て顔が真っ赤になる。

  「あんの………………パスカ共が!!」

  イチは怒りのあまり魔族語でその場にいないグリムたちに罵声を浴びせた。

  取るに足らない冒険者と思い込んでいた相手にいいようにやられ失禁するという大恥をかかされた屈辱と怒りは慢心し調子に乗っていたイチのプライドはボコボコに圧し折られた。

  イチは誰も見ていない事を良いことに、床に仰向けになってゴロゴロジタジタと手足を動かした。

  後悔、無念、痛恨の思い!

  イチ、大いに歯噛みし大いに反省!

  ………………しかしながらいつまでもそうしていられない。

  なぜならライフルを失った今、鎧熊に遭遇したら命を失う危険が現実にある。

  時計を見れば既に20時30分過ぎ。辺りは薄暗くなっている。

  今から町を目指せば日が暮れる前に戻れる。

  グジグジしている暇はない。

  衣服を直すと右手にカーペイト1式回転拳銃を握り、小屋を出ることにした。

  街を目指しながらイチは自分を振り返った。

  ____あいつら、私の後をつけてきたのか。まさか気づかないなんて。

  もしかしたらクースが優れた斥候であった可能性は否めない。しかし、2年前にリャンに山に身ぐるみはがされ置き去りにされた経験はいったい何のためにあったのか?

  あの時の感覚を忘れていなければあの3人の尾行に気が付くなど造作もなかったはずであろう。

  ここではじめてイチは己が慢心していた事に気が付き始めた。

  そう思えばあの3人よりも自分に腹がたってくる。

  ____くそ! 私のバカ! 迂闊もいいところじゃないか!!

  後の歴史を考えるとイチにこんな時期があったと思うと可愛らしく思える。

  リャン・ハックマンが結局イチに対してどのような感情を持っていたかは議論の分かれるところではあるが、イチに単身で連邦中を回るように言いつけたのはこういう狙いがあったのかもしれない。

  ____リャンにこのことが知られたら、なんて意地悪を言われるか……。

  イチがいよいよしょんぼりしはじめた時である。

  「ヤバいって!! まだ追いかけてくるよ!!」

  「撃ってよグリム!!」

  クースとコチョラータの叫び声が離れた場所から聞こえてきた。

  そして銃声。

  どうやらのっぴきならない事態が彼女たちの身に起きているらしい。

  ____まさか、あいつらラージュリヴァの死体を取り戻しにいったのか?

  そうと決まったわけではないが、イチはグリムらが鎧熊に追われている姿を想像した。

  グリムたちもラージュリヴァが鎧熊に連れていかれた事を考えたのだろう。しかもイチから奪い、新しく手に入れたカーペイト10式ライフルも手にある。

  ラージュリヴァの遺品や死骸の一部を持ち帰り、報酬の上乗せを狙ったとしてもおかしくはない。

  そしてラージュリヴァの死体を見つけ、何か証拠となるものを持つ帰ろうとしたところを鎧熊に見つかってしまう。

  鎧熊は自分の物を奪われるのを酷く嫌うのだ。

  ____鎧熊の生態を知らなかったんだろう。バカなやつらだ。

  イチは関わるまいと、帰路を急ぐ。

  助けてやる義理などないし、そもそも興奮した鎧熊を始末できるだけの武装はない。

  しかし。

  「なんで!? 頭に当てたのに!!」

  数発の銃声の後に悲痛な叫びが聞こえた。

  ____バカ! 頭を狙ってどうする!!

  鎧熊の頑丈な皮膚と頭蓋骨は通常のライフル弾を通さない。

  鎧という言葉で修飾されているのだ。

  目を狙って脳髄を破壊し行動を止める手もあるが、グリムにそれができるとも思えなかった。

  ____知るもんか。勝手に食われちまえ。

  イチは無関係を決め込み、彼女らを見捨てるつもりだった。

  「どうしようグリム! このままじゃ!!」

  「とにかく逃げるわよ!! クースとコチョラータも撃つの!!」

  ____バカヤロウ! なにやってる!!

  イチの脳裏にグリムらの苦境が浮かぶ。

  鎧熊は賢い。

  カーペイト10式ライフルが自分を殺傷し得る武器である事をしって迂闊な攻撃はしかけず様子を窺っているのだ。

  しかしやがてグリムらに抵抗する術がない事を見極めると鎧熊は襲い掛かる。

  鎧熊の早さは人と人と比べものにならない。逃げ切る事は不可能だ。

  そして黒い爪が肉を骨からはぎ取るように抉るようにグリム達を………。

  「………………くそ!!」

  無謀にもイチは駆け出した。

  今その心に慢心は、ない。

  ◆

  グリム、クース、コチョラータの3人は身を寄せ合い檻の中にいた。

  熊を捕える為に設置された罠で、人間が熊から逃れる為に檻に入るとは皮肉なことだが、幸運でしかなかった。

  「いやあああああああ!! 怖い!! 怖いよグリム!!」

  コチョラータは恐怖で叫ぶ。

  鎧熊は獣臭い涎を飛ばしながら執拗に檻の格子に噛みつき引き裂こうとしている。

  「どうしよう!! ねえ!! どうしよう!?」

  クースは半狂乱でグリムに縋る。

  檻に逃げ込んだのは幸運だが、不運なことにその檻は魔王大戦より前に作られ放置されたものらしく、全体が錆びていた。

  特に留金が脆くなっている。

  鎧熊の破壊的な力でやがて破られてしまうだろう。

  そんな檻の中で逃げ場もなくどんどん軋む金属の音を聞くしかない恐怖は想像以上だろう。

  「落ち着いて!! 落ち着くのよ!! 絶対大丈夫だから!!」

  震える声でそういうグリムも恐怖の為に涙と涎で顔をグシャグシャにし怯え切っている。

  熊に襲われた者の末路は酸鼻を極めるという。

  生きたままじわじわと食われてゆくという話しも聞いた。

  この狭い鉄格子の中で仲良く3人でなにもできず冒険の終わりを迎えるなどと思ってもいなかった。

  「いやだよおおおおおおお!! 死にたくないよおおおおお!!」

  コチョラータの悲鳴にグリムは耐えきれず耳を塞ぎ叫んだ。

  「誰か!! 誰か………………たすけて!!」

  その叫びに呼応するかのように銃声が響いた。。

  木々の間に潜み、熊の注意を引くためにイチが放った弾丸だ。

  しかし、やはり拳銃弾は鎧熊の皮膚に弾かれる。痛みさえ感じているかどうかすら怪しい。

  「あなたなの!! なんで!?」

  なぜ自分がリンチを加えた少女が。グリムは驚き叫ぶ。

  「心臓だ! 熊は心臓を撃つんだ! 10式なら倒せる!!」

  鎧熊がイチの姿を探して周囲を見回している隙に熊を撃たせようと思ったのだが、甘い。

  「もう弾がないのよ!! それに、心臓ってどこなのよ!?」

  「………………馬鹿野郎!」

  イチが下唇を吸った時には既に鎧熊はイチの臭いを突き止めていた。ゴフゴフと不気味な唸り声をあげてゆっくりとイチが潜んでいる場所に近づいてくる。脅威を計ろうとしている動きだ。

  おお!

  しかしなんの蛮勇か、イチは鎧熊の前にその姿を晒したのだ!

  破れかぶれにも程がある!

  「来いよ熊公! 相手になってやるぞ!!」

  鎧熊にイチは戦いの意志を示した。勝算はないが。

  鎧熊はイチを敵と認識。そしてその戦力があまりにも貧弱である事を知り、怒号にも似た鳴き声と共に突進した。

  その瞬間にイチの神速が光る。

  イチは汗ばむグローブの中でカーペイト1式回転拳銃の引き金を引いた。

  銃弾は鎧熊の右目を潰す。

  「グガッ!!」

  しかし、鎧熊は短く痛みに鳴いたがその突進は止まらない。

  ____ちくしょう! 拳銃じゃダメか!?

  

  鎧熊の脳髄は小さい。

  確かに目に拳銃弾を叩きこめば脳髄を破壊できる可能性はある。

  しかしこの時イチの射撃はあまりにも真っすぐすぎたのだろう。目を潰しただけで無力化にはいたらなかった。

  鎧熊が恐ろしい速度で迫る。

  致命的な爪の一撃がイチを引き裂くのにもう2秒もかからないだろう。

  「この熊野郎!!」

  しかしイチは予め左手をベルトの後ろに伸ばしており、ブリキで出来た三角帽子のようなものを手に握りしめ底部を鎧熊に向け頂点についたリングを引いた。

  すると底部が破裂し煙と共に粉塵が吐き出された!

  「ゴガアアアアッ!! バフッ! バフッ!」

  鎧熊は粉塵を吸い込みその動きを止めくしゃみをくり返している。

  これはバルティゴ連邦北部で発明された熊撃退用の仕掛けで、その仕組みは現代ではパーティグッズとして売られているクラッカーと同じである。

  リングを引くと内部で火薬が破裂し、刺激物で作られた粉塵が飛散し相手の目を一時的に潰す。

  だが、怒り狂った鎧熊はその程度では攻撃を諦めない。

  完全でなくてもすぐにある程度の視力を取り戻し、何があろうとイチを喰い殺そうと襲い掛かるだろう。

  「10式を返せ!!」

  イチはグリムらが閉じ込められている檻に走ると手を伸ばした。

  グリムはイチの気迫に何の返事もできず、格子の隙間からカーペイト10式を伸ばした。

  イチは1式回転拳銃を捨てると、右手に10式を握る。

  「後ろ!!」

  コチョラータが叫ぶ。

  10式を取り戻したイチの背後に鎧熊が迫っていた。

  弾倉に弾は込められていない。

  イチは予め右手に握っていた1発のライフル弾を瞬時に装填する。

  「早く!! いやああああああ!! だめえええええ!!」

  クースは格子を叩きながら叫んだ。

  もう、すぐそこに鎧熊の鼻先が迫ろうとしている。

  イチはまだ向かい合っていない。

  いくらイチが射撃に優れようとその体勢から爪を食らう前に鎧熊の心臓を狙い撃つのは不可能に思えた。

  ____に、逃げるなら、いまのうち………………。

  グリムは流石にリーダー格だけあって冷静であった。

  イチが熊に食われている間に逃げられるかもしれない。

  不義理であるが、他に助かる方法はないのだから仕方がないことではあるだろうが。

  しかし、

  「グルアアアアア”ア”ア”ア”ア”ッッッッッッッッッッ!!」

  イチはすぐそこまで迫った鎧熊に振り向くと少女のものとは思えぬ雄叫びをあげた。

  その凄まじい声、その皺の寄った表情は怒れる虎か獅子のようである。

  「ゴガアアアアアアアアアッッッッッッッッ!!」

  その声に呼応するかのように鎧熊は咆えるなり、その場に二本の脚で立ち上がる。

  これは、鎧熊の習性であった。

  彼らは相対する者を自分と同等の脅威と見做すと反射的に立ち上がってしまう。

  これには所説あるが、危機を感じ視界を広く取る為か、相手に自分と同等の脅威を感じた場合、両腕を自由にし闘いの姿勢をとるためだとも言われている。

  鎧熊はイチの気迫に闘うべき脅威だと見做したのだろう。

  しかし、イチの武器は爪や牙ではない。

  「撃たせてもらうぞ。心臓を」

  銃声が響き、黒い巨体は音を立てて崩れた。

  「やった!! やったよおおおおおおお!!」

  「助かった………本当にすごいよ~!!」

  後ろの檻の中からクースとコチョラータの歓声が聞こえたが、イチはしばし興奮が覚めぬ様子で眠るように動かない鎧熊の死骸を見下ろしていた。

  生命を賭け銭にした闘いに勝利した後の、鳴りやまぬ心臓の音にイチは酔っている。

  「なんで…………わたしたち、あなたに酷い真似をしたのに」

  檻の中からグリムがイチを見ていた。

  「なんでって………………。友達だろう?」

  グリムの顔を見ずに言ったイチの言葉を聞いてグリムは目頭を熱くした。

  「…………負けたわ。あなた、名前は何て言うの?」

  イチを見つめるグリムの目は敬意と感謝で輝いていた。そして何も言わずイチから奪った依頼目標の金時計を檻の隙間から返した。

  金時計を受け取ったイチはその眼差しに答えるよう微笑みを見せる。

  「イチだ」

  名乗るなりガンベルトの後ろぶら下げたポーチからスキットル(金属の湾曲した水筒)を取り出すと中身をグリムたち3人にふりかけた。

  「ぎにゃあああああああ!! な、なにするのよ!!」

  「ぺッ、ぺッ、!」

  「なにこれっ! あま~い!」

  甘く蜜のような臭いのベタベタする液体に濡れた3人は突然の事に驚き叫んだ。

  「街で売ってた蜂蜜と葡萄を混ぜたジュースだ。美味しいから帰り道で飲もうと買っておいたんだが………」

  スキットルに蓋をしながらイチはニヤニヤ笑いながら続けた。

  「これは君たち友達へのプレゼントだ。ちなみに、ここらへんの蚋(ぶゆ。刺されると酷く痒い)は夜行性のものがいて、夜でも蜜を求めて飛び回るらしいぞ」

  イチの言葉を理解したグリムらは自分の身に起きようとしている事を思い知り顔をひきつらせた。

  「ちょ、ちょっと。冗談でしょ?」

  「ここから出せ!! 出せよ!!」

  「やめてよ~~~~~~」

  3人は顔を青ざめさせイチに檻から出すよ格子を手で叩いて抗議した。

  一度作動した罠は外から出ないと開けられないようになっている。

  「わたしは仕留めた熊を町に降ろすのに応援を呼びにいかないといけないんでな。すぐ戻るから、その間楽しんでくれよな」

  置き去りにされまいとイチに罵声を浴びせる3人を背にし、イチは後ろ手に手を振った。

  この時のイチは、いや、この先でもイチは受けた仕打ちを水に流せるほどの心の広さは持っていなかった。

  その後、グリム3人がどのような冒険をしたかは筆者にはわからない。

  ただし、この日からしばらくは酷く耐えがたい痒みに悩まさただろうことは違いない。

  イチがまだひとりで各地を旅していた時の話しである。

  『くすぐり私刑を受けるイチ・完』

  次回、『イチ、害悪フラワーを拾う(予定)』