9話 乗っ取り、セダッセン号 バルティゴ鉄道乗っ取り事件事件 10

  ティンカスキャッドは事の次第を血の臭いがする言葉でイチにこのセダッセン号が乗っ取られ、敵の構成と準魔術師に相当する者がいる事を伝えた。

  死の今際では簡潔に要点だけを伝えざるを得なかったのだろうが、車内で何が起きたかについてはこういう事である。

  ◆

  ティンカスキャッドはパニック寸前の乗客たちを落ち着かせようと奮闘していたが決定的な出来事が起きる。

  ダイナマイトが爆発した音を聞いて、ティンカスキャッドは鉄道警備隊が酷い劣勢に立たされている可能性を感じた。

  そのような状況になった場合、ティンカスキャッドに課せられた任務は非情なものとなる。

  ティンカスキャッドはパニックに陥った乗客たちを振り払い、彼らを守る責任を放棄して一等車へ駆け出した。

  一等車の乗客と貨物だけを守る為である。

  これは当時の鉄道乗務員規則にもあるが、緊急の事態に陥った場合一等車の乗客と貨物を最優先に保護する事、とある。

  特に貨物車両では乗客の命より遙かに重いと見做された機密文書を預かっている。

  電報が世に普及するまでまだ20余年を必要とする。

  鉄道はこの時代のバルティゴでは重要な通信網のひとつであった。連邦中央委員会が鉄道の開発を急ぎ各列車に警備隊を配置したのはこういう背景もある。

  その為、万一列車が強奪者の手に墜ちるような場合を想定した際の行動は予め決められている。

  一等車から後ろを切り離すのだ。

  ティンカスキャッドは一等車に辿り着くと、連結器のすぐ後ろにある客車の床を特殊な鍵で開いた。そこにはバルブハンドルがあり、これを回転させる事で後部車両のみを安全に切り離す為の緊急装置が稼働する。

  考えている時間はなかった。

  ティンカスキャッドは騒然とする一等車にしゃがみこみ、バルブを回そうと手に力を込めた。しかし、

  「余計な事はやめていただこうか」

  ティンカスキャッドは声をかけられるよりも早く、乗客のざわめきと男の放つ禍々しい気配に振り向いた。

  そこには狐面の男、アンバー・フォックスが立っていた。

  「誰だ貴様! 面妖な!」

  ティンカスキャッドは振り向きライフルの銃口を即座に向けた。見事な反射神経であった。

  「この鉄道では丸腰の乗客に銃を向けるのか?」

  「手を挙げて止まれ! 妙な事をしたら撃ち殺す!」

  アンバー・フォックスはやれやれというように首を振って両手を挙げた。しかし、これはティンカスキャッドの甘さである。

  状況は火急。敵味方の別なく障害となる者は無力化するべきであった。

  しかしティンカスキャッドの持ち前の優しさが無防備な男を躊躇なく撃つ事をさせなかった。

  そして注意力の不足が、アンバー・フォックスの右手に持っている懐中時計を見落とさせた。

  「安物だ。くれてやる」

  そう言ってアンバー・フォックスは両手を挙げたまま右手に持った懐中時計を手首のスナップを使いティンカスキャッドに放り投げた。誰が見ても高級品であった。

  ティンカスキャッドも一応警戒し、自分の胸めがけて飛来する時計を避けるか払おうとするかしたかったのだろうが、それはできなかった。

  「ぐはっ…………はっ!?」

  時計は宙で突然爆発し、金属片をばら撒いてティンカスキャッドの内臓を致命的に傷つけた。

  乗客は悲鳴をあげ、ティンカスキャッドの身体の内から弾けた血の飛沫を顔に浴びた者もいた。

  ティンカスキャッドは辛うじて心臓が無事なだけで、肺や肝臓などをやられてそのまま崩れた。

  

  「諸君! 見たとおりだ! 私は触れた物を自由に爆破できる魔術師である! 木端微塵になりたくなければ妙な気は起こすなよ!」

  アンバー・フォックスは声を張り上げ周りの物を威圧し、おまけとばかりに一等車の乗客の為に用意されていた小玉の西瓜を手に取って見せると魔法を使い木端微塵に爆破した。

  一等車の乗客はみなアンバー・フォックスに恐怖し、抵抗を試みるものなどいなかった。

  「いったい、目的はなんだ? 我々にどうしろと言うのだ」

  乗客の中でも多少の勇気があったひとりの紳士が怯えた声でアンバー・フォックスに問うた。

  どうやら孫を連れて旅行に来ているらしい。自分以上に怯えている孫と妻を気遣っていた。

  「目的か。金目のものを出せとでも言えば良いか?」

  「なんだと」

  「金目のものを差し出せ。そして、今すぐこの列車から降りてもらおう」

  「今すぐだと? 世迷い事を。まだ列車は走っているではないか」

  しかしアンバー・フォックスは本気だった。

  この冷徹な老殺人者は会話していた紳士とは別の、怯えてすくんでいる別の紳士の頭に手を伸ばすと即座に爆破した。

  再び車内に悲鳴が木霊した。

  「降りぬ者はこうなるぞ。今ならまだ列車の速度も緩い。運が良ければ死にはしないだろう。選べ!」

  それが切っ掛けとなり乗客はまるで弾かれたゴムまりのように窓から覚悟を決めて飛び出し始めた。

  ある者は発作のように窓から飛び出し地面に叩きつけられて動かなくなり、幼子を連れた者は小さな身体を抱いたまま己が犠牲となり小さな命を守った。知恵の回る者は何か荷物をクッションにし飛び出し、骨を折っただけで済んだ。

  飛び降りる事ができなかったものはみな冷徹なアンバー・フォックスに身体を爆破されて死んだ。

  こうして、一等車から全ての乗客が消えたのだ。

  「妖精の加護があれば無事に町までたどり着けるだろう。そして語り継いで行け。今日起きた惨劇を」

  客車を完全に奪ったアンバー・フォックスは律儀な乗客が残した金目の物には目もくれず、同じように殺戮が起きている二等車へ移動していった。

  しかしこの時アンバー・フォックスは些細なミスを犯した。

  ティンカスキャッドにまだ息がある事を見逃し、一等車を後にしてしまった。

  その隙にティンカスキャッドは最後の力をふり絞りイチが檻に囚われている一等貨物車に辿り着く。

  しかし、このミスはアンバー・フォックスや竜駝強盗にとり、なんら影響を及ぼす事のない細事であった。