インターミッション7 イチの何もかもうまくいかない日
歴史的インターミッション7
その日の朝、イチは自分の住処であるルーナハイムの自室で目を覚ました。
季節は冬であり、既に寝る前に炊いた薪ストーブは火が消えており殆ど寒さで目が覚めたようなものである。
「んん”~~~~~~~~」
毛布にくるまり不機嫌そうに唸るイチ。なにしろ寒くて仕方ないのだ。
それもそのはず、毛布の中ではショーツ以外身に着けていない。
これは仕方のない事で、当然薪ストーブでは現代のエアコンのように細かな温度調整などできず、イチの部屋に備え付けられていたものは普通に使えば4時間~5時間ほど燃焼を続ける。
その間の室内は十分に暖かくなり、イチは暑がりなのもあり寝間着を着ていると今度は暑さで寝つきが悪くなってしまうのである。
それにしても朝は眠い。
ハーフエルフ耳派の激励祭襲撃からしばらく経ち、傷ついた身体が癒えてきたため先日は小さな依頼を肩慣らしにこなした。
闇冒険者に恐喝されている酒場からの依頼で、脅迫するのを止めさせて欲しいとのことで、多少荒っぽい手段をとったので程よく疲労を貯めてしまった。
出来る事であればもう少し寝ていたかったのだろう。
しかし、朝の寒さがまず邪魔をし、飼っている6匹のダンジョンネズミが餌を求めて籠を齧りはじめた。
ダンジョンネズミとはこの時代の冒険者がよく飼育していた品種改良されたネズミで、罠の仕掛けられた遺跡の調査などで役に立つ。
「寒いなあ、もう……」
仕方なくイチはベッドから毛布にくるまったまま身体を起こし、ひとまず顔を洗いに行くことにした。
冷たい水で顔を洗えば嫌でも目が覚める。
歯を磨いて私服に着替え小用を済ませると、ダンジョンネズミに餌をやる。
健康的な冒険者のイチは朝になればちゃんと腹が減るので何か食べるものがないか1階に降りた。
「そういえば今日は私ひとりだったか」
ルーナハイムは女子寮でありイチの他にタオ・メイメイやイルハ、他4名の全7名が一緒に住んでそれぞれの部屋を持っている。
ただ、別に常に一緒に行動するわけではない。
この日はイチ以外の者は冒険者ギルドの依頼の為みな外に出ていた。
無論、常に仲間同士でパーティを組み依頼に臨む冒険者もいないではないが、イチ達については人手が必要であったり全員の技能が必要でない場合は7人全員で依頼を受ける事はそう多くない。これは冒険者としてはむしろ主流である。
とは言え、ルーナハイムにイチひとりだけという状況は珍しいのでなんとなく寂しさを覚えたのだろう。
イチは共用の戸棚を開ける。
これは食料を入れておくための戸棚で子供の背丈ほどあり、7人それぞれが買ったパンやチーズ、干し肉などが入っていた。
イチは自分の印をつけた紙袋を取り出すと、包んであるパンを取り出し齧った。
_____なんか、たまにはひとりでパっとした物でも食べたいなあ。
いつもであれば他に暇な仲間を見つけて食事や買い物に行くのだが、今日はひとりである。
しかしイチは前向きに考える事にした。
_____そうだ。昨日の報酬でたまには良いご飯でも食べにいっちゃおう。
スウィートバウムの冒険者通りに隠れた名店と言われる飯屋の話を聞いたのを思い出した。
そこは一見すると潰れかけの汚い店で「マルキド市場」と言うこの時代のスウィートバウムでは珍しい動物の内臓を焼いて出すというホルモン屋のような店だった。
ホルモンはまだ多くの者が食べなれていないので今まで誰かと食事に行くとき中々誘いづらかったのだ。
_____よし。今日は美味しい料理を食べて、夜は『イチの食事記』を書いて一日を楽しもう。
パンを食べ終わったイチは昼頃まで装備の手入れや部屋の掃除を済ませると、他所行きのコートを羽織って外に繰り出すのであった。
◆
「へ、閉店してる……………………!」
腹を空かせたイチが見た者は『マルキド市場』の閉まった木製のシャッター。そして鋲で貼り付けられた「閉店します。ご愛顧賜りありがとうございました」という無慈悲な張り紙であった。
理由は不明だが限られた客しか来ないために経営が立ち行かなくなってしまったのかもしれない。
「なんかこういうこと多いんだよなぁ、なんだよもう」
期待を裏切られたイチは「チェッ」とでも言いたげに小石を蹴飛ばすと、他に良さそうな店を探す為に来た道を引き返そうとした。
しかし、
「ふぎゃ!」
道に誰かがポイ捨てしたバナナの皮を踏んづけて思い切り足を滑らせひっくり返ってしまった。
余談ながら当時のスウィートバウムは世界の果物が集まり露店で売られていた。
「いたたたたた…………」
どうにかして状態を起こすと、視線の先で服だけは妙に洒落た頭髪が櫛状に剥げている初老の太った人族の男が自分の股間を見ていた。
「_____!!」
イチは自分の花柄の可愛らしい下着が観音開きの丸見えになっている事に気が付き慌てて脚を閉じた。
一瞬で顔が赤くなり、そのイチの顔を見て初老の禿男は赤顔猿のような笑顔を浮かべると満足そうにうなずいて去って行った。
_____最悪! 最悪だ!
この時代の女性冒険者には太腿を露出させるファッションが流行っていた。
これは、脚回りに布が少ないほど足さばきが良くなり生存率が上がるという迷信から来るものであり、そのため今日のイチは上は瑠璃色のピーコート、下は黒のペンシルスカートだった。
_____店は閉店してるし! 下着は見られるし!
普段危険な遺跡に入ればあらゆる罠を警戒し、一度銃を抜けば神業のような早撃ちを見せるイチも冒険に出ていなければこんなものである。
_____せめて、なにか美味いものを食べて気分を変えよう。
イチは地面にぶつけて痛めた尻をさすりながら“良い店”を探す為に歩き出した。
◆
_____なんだったんだあの店は!!
昼過ぎ、昼食を済ませたイチは酷く不機嫌になりながら街を歩いていた。
どこか適当な店を探していたイチだったが、新規開拓をしようと思い行ったことのない店に入ったのだがそれがいけなかった。
そこは新しく出来た店で『油パスタ専門店・ポンポン』という店で、どうやら味付けされた油にスパゲティを漬けて食べるという不思議な料理を出す店らしい。
イチは物珍しさから入ってみたのだが、そこの油パスタなるものは最悪だった。
_____なんか、温くて味の薄い油に妙に歯ごたえのないスパゲティを絡めて…………いったいどうしたいっていうんだ!?
どうやらイチが食した油パスタなるものは現代の大日国ではお馴染みの『つけ麺』のようなものだったようだが、ポンポン店主は何を勘違いしたのか上品な味を目指してしまい、開店当初の顧客満足度は最悪だった。
イチの怒りは相当なもので、当時の彼女の日記にはこのように書かれている。
~~~油パスタなる食べ物は最悪。茹でたパスタを味のついた油に浸して食べるという変な料理だった。
しかしその味付き油は温く、塩気がなく、にんにくの香りだけはするがそれだけだ。
麺は妙に歯ごたえがない。あきらかに茹ですぎだ。チュルチュルと啜るためだろうが、パスタへの冒涜と言える。
しかも油に玉ねぎのスライスが浮いており、恐らく重たい油をさっぱりさせるためだろうがそもそも塩気が薄いので玉ねぎの味が強すぎてパスタを食べているのか油っぽい玉ねぎを食べているのかわからない。
(略)
金を払わずに文句を言って出てってやろうかと思ったが、そういうことが出来ない自分にも腹が立つ。エルビアニカやタオ・メイメイなら迷わず金を踏み倒したのに~~~
ともかくイチの休日は最悪であった。
あまりにも不機嫌な顔をしていた為、すれ違った鳥人族の少女が思わず「ピキョ!」と小さく驚いた声を出してしまっていたほどである。
_____あぁ、もう! あぁもう! なんて日だ!
苛立たしいうえに油パスタの無駄な脂肪分のせいで胃ももたれてしまっている。
しかしそんなイチの休日に助け舟が入った。
ふとイチは視線の先に冒険者の少女ふたりが紙袋を抱えて楽し気に歩いているのを見かけた。
何事かと思って意識を向けると「ホントに安かった」「しかもデザインも可愛い!」などと口にしているのが聞こえた。
どうやら新しいブティックが出来て、そこが大安売りをしているというのだ。
_____これだ! 今日一日碌な目に合ってない私の為に妖精が良いことを用意してくれたに違いない!
イチは別に妖精信仰者ではないが、彼女の都合のいい脳みそは何か幸運があったとき偶に妖精の存在を思い出すようにできている。
当時のバルティゴ連邦ではバルティゴ王国時代から歴史的な事情で神への信仰を放棄させるために妖精信仰が広まっていた。
とにかく、イチは不幸な休日を取り返す為に新しくできたというブティックへと向かうのであった。
◆
_____うふふふふ。まさかこんな可愛いスカートがこんな値段で買えるなんて。最高じゃないか!
イチは今までの腹立たし気な出来事をすっかり忘れ、上機嫌で紙袋を抱えて通りを歩いていた。
_____今度シーナやメイメイに教えてやろう。
今イチは買ったばかりの紺のタイトスカートに履き替えている。
イチには子供っぽいところがあるのか、気に入った服はそのまま着て帰る事をしょっちゅうしていたようである。
狐人族の女店主が「とてもお似合いですよ」と言ってタグを切ってくれたのでイチはすっかり気分を良くして店を出ることができた。
_____やっぱり買ったものはちゃんと装備しないと意味がないからな!
イチの足取りは軽く、スカートのフィット感を確かめるように小さくスキップしてみたりする。
その姿からは普段死線を潜り抜ける事もある狼階級の冒険者だとはととえも思えないだろうが、冒険に出ていない時のイチなどこんなものである。
_____今日は昼まで最悪だったけど、ちゃんとその分取り戻せたぞ。泣きっ面に飴とはこのことだな!
しかしイチはこの時気づきようがないのだが、イチが服を買った店、『ユニブラック』は他の店では不良品同然の服を売るだけ売ってすぐに店を畳んで屋号を変えるという悪質な店で、そこの店で売られた服の多くは裁縫が甘くすぐに壊れたり破れたりしてしまうのである。
_____心なしか街の人が私を見ている気がするぞ。可愛いスカートだからな! みんな気になるに違いない! ふふふ、いい気分だぞ!
イチは有頂天だが、ツキに見放されている時はとことん見放されている。
一瞬「ビッ」という音が聞こえたかと思ったら、次の瞬間には「ビビビビビビ!」と布が裂ける音が聞こえ、イチの買ったばかりのスカートは無情にも尻のほうから縦に裂けて中に隠れていた花柄の白い可愛らしいショーツを世間に晒してしまったのだ。
「 _____げっ!!?」
あまりに事態にイチはスカートの裂け目をどうにかしようと後ろに手を回しせめて裂け目を隠そうとしたが、それが良くなかったようでスカートは「バツッ!」という音を立てて服としての短い生涯を終え、価値のないただの布切れへと変わってしまった。
「わわわ! うわあああああああああ!!」
イチは周囲の人間の視線をまるで矢か槍にでも刺されたかと思うほどに感じていた。
玉投げ遊びをしていたコボルト族の子供たちが、買い物帰りの蛙人族の母子が、仕事を終えてきたミノタウロス族の工員が、そして妙に服だけは洒落た櫛状禿げの人族の男がショーツ丸出しになったイチの下半身を見ていた。
◆
「うぅ”ぅ”ぅ”ぅ”ぅ”ぅ”ぅ”ぅ”ぅ”~~~~~~~~~」
その日の夕方、イチはベッドに倒れこむと枕に顔を押し付けて声にならない唸り声をあげてジタジタと脚と腕を上下に動かした。
最悪の一日であった。
スカートが破けた後、急いでどこか適当な公衆便所に駆け込みそこで元々着ていたスカートに履き替えたのだが、そこの個室は描写するのも憚られるような最悪の惨状になっていた。
本来だったらユニブラックに文句をつけに行くべきところだったがその時点ですっかり心を折られたイチは自分を辱めた憎いスカートの残骸を便所の床に捨てると、涙目になりながら夕食も忘れてルーナハイムに走って帰ったのである。
そのまましばらく「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!」だの「うううううううう!!」だの「もお”お”お”お”お”お”お”」だの言いながらベッドの上でジタジタしたりゴロゴロしたりバタバタしていたイチであったが、再び飼っているダンジョンネズミが餌を求めて籠を齧り始めたので仕方なくベッドから降りて彼らに餌をやった。
_____今日はスウィートバウムに来て最悪の一日だったかもしれない。
イチがスウィートバウムを拠点に活動を始めてから2年以上経つ。
思い返せばその間に色々な事があったのだろう。
本小説はイチの残した日記や周辺人物が残した文章からイメージを膨らませ当時の様子を創作しているが、読者獲得の便宜上時系列を最初からは書かず、18年3月にイチが通称『エロトラップダンジョン』を攻略したところから初めている。
次章は第8章になるはずなのだが、ここで次を実質の“第0章”に位置づけ、イチがスウィートバウムに拠点を移したところから書いてみても良いのではないかという考えが強くなってしまっている。
今日、スウィートバウムで最悪の一日を過ごしたイチがクタクタになりながら過去を振り返っているのに合わせて、次章では物語を2年前の16年3月に戻してみようと思う。
もしこのどこかポンコツみのある女冒険者イチに興味を持っていただけたのなら、是非次章もお付き合い頂きたく思う。
次回、第8話『触手なんて怖くない! ~冒険者ギルド某支部にようこそ~』