5話 おっぱいの谷間に札束を挟まれるイチ スウィートバウム少女石化事件11

  イチは次の日の夕方、いつもの冒険装束ではなくクロッフの指定した服を着てテレポクラーベにやってきた。

  その服は胸元が冗談のように開いた赤いドレスで、とてもではないがイチの趣味ではなく、ただ単に男に媚びるために作られたようなデザインが気に入らなかった。

  しかしながら、男といういう生き物はこういう服を着た胸の大きい女に結局弱いという哲学をクロッフは持っていたようで、イチは不満と疑問を抱きつつも結局従った。

  事実、当時イチに会った事のあるワーコルの日記が残っているが、そこには「イチちゃんの乳房は豊かで凛としてはいるが威圧感のないちょうどよさで、くびれのある腰に、キュっとしためんこくて小ちゃいおけつ」であったと書かれているのでイチのスタイルが良かった事は間違いない。

  テレポクラーベで客はまずロビーに案内され、そこにはクロッフの部下の黒服が数人が場についている。

  その隣には客を接待するための喫茶室があるのだが、喫茶室のほうではロビー側の壁が1面鏡張りになっており、これは特殊な鏡でロビーから喫茶室を覗けるようになっている。

  客はまず少女の容姿を確認し金を払うだけの価値があるかを一旦判断する。

  喫茶室では店に在籍する少女達の中から客のために選ばれた1人がソファにかけて待っており、内装は豪著な宮廷風に仕上げられていて紅色と白色を基調に絨毯や壁紙で飾られている。また客から“チェンジ”の要望があった時のために陰から出れる秘密の裏口もあった。

  ローテーブルの上には酒やお茶、氷の入ったペールがあり、この部屋で客をひとり待っている時、暗に少女は買われる立場にある事を意識するらしい。

  客が喫茶室に入って来た後、“偶然に喫茶店で出会った2人が”しばらく会話を重ねた後、客が少女を気に入れば“たまたま意気投合した”ので外に連れ出す事ができる。

  外に連れ出した後は店は客と少女に一切関与しない。

  これが秘密倶楽部テレポクラーベの仕組みだった。

  さて、イチの目の前には正面に大きな鏡があるせいで自分の姿が嫌でも目に入る。

  胸元の開いた赤いドレスとエルビアニカにしてもらった慣れない化粧で色づいた自分の姿に「これじゃあ着せ替え人形だな」とイチはため息をついた。まったく自分らしくない格好だと感じたのだろう。

  しかしイチはふと思う。

  自分には過去がない。

  イチの最初の記憶は6年前に荒野で野垂れ死ぬ寸前から始まる。

  それ以前の、およそ12年ほどあったであろう人生の記憶は一切欠落していた。

  そんな自分に自分らしさなどあるだろうか?

  今のイチの人格や所作は彼女の師であるリャン・ハックマンのパーティにリャンの従者として参加していた中で身につけたものだ。決して自分で獲得したものではない。

  元々自分は魂のない人形のようなものだったのではないか……?

  だがそんな埒もない事を考えていると、喫茶室の扉が開いてひとりの男が入ってきた。

  「やあ」

  ____うっ……。

  イチは思わず呻きそうになった。

  その男は一見すると特徴のない初老の人族であるが、しかし穏やかだが縫って貼ったような笑顔を浮かべながら得体の知れない目つきをしている。

  イチはかつて出会った一種の殺人嗜好者の目つきを思い出したが、しかしその立ち振る舞いから血の臭いは漂ってこない。

  40を過ぎているようだが身体つきや雰囲気から従軍した気配はなく、戦時中はどこかへ身を隠していたのかもしれない。

  「お嬢さん、お名前は?」

  「ペチカ」

  (ペチカはイチの偽名である)

  男は物腰も柔らかく礼儀正しいが、しかしながらごく自然にソファに座ったイチの隣に腰掛けて距離を詰め、____どうにも女を見下しているような……と人に思わせるには十分に傲慢な雰囲気を感じさせた。

  「何て呼べばいい?」

  イチの問いに男は笑顔で答えた。

  「パーカスです」

  「そっか。良い名前だ」

  イチはジョキューの立ち振る舞いを思い返して、精一杯水商売の女を演じようとしている。

  だが所詮昨日今日の話であり、その仕草に“らしさ”が伴っておらずどこかチグハグだ。

  「お酒をいただいてもいいかな?ウィスキーを、水割りで」

  パーカスはそんなイチを舐めるように観察しながらやはりニコニコと笑っている。

  「あ、すまない」

  イチが水割りを作る所作をじっと見つめ、胸や腰、太腿を確かめるように観察するパーカスにイチは自分が品定めされている気持ち悪さを感じていた。

  それは自分の身体が値踏みされている屈辱と、性的な意図を含んだ視線からくる嫌悪感であったと考えられる。

  ____ッ!

  ふとパーカスがイチの髪を撫でた。

  優しい仕草ではあるが、何故だかまるで動物の毛並みを確かめるような手つきにイチは身震いした。

  「君はどうしてこういう店で働いてるんだい?」

  「家が大変で、お金が必要で」

  イチは嘘をついた。

  この嘘は失踪したフェーンが、鴨にしているギーミッツについた嘘をそのまま使ったのだろう。

  その嘘を聞いたパーカスはニタリと妙な笑顔を浮かべ、

  「それは大変だね。困ってるだろう?」

  と穏やかだがゾワリとする言葉で言った。

  イチは髪を撫でられながらコクリと頷いた。

  「これはね。せっかく逢えたのだから、ほんのお近づきの標だよ。家族のために、使って」

  パーカスはそう言うとごく手慣れた動作で葉巻状に丸めた紙幣の束をスーツの懐から取り出し、イチのドレスの胸元に挿した。

  「こんな大金!急に貰えないよ!」

  「いいんだ。このくらい、なんでもないさ」

  ただ水割りを作って髪を撫でさせただけでイチはひと月分の家賃を稼いでしまった。

  イチは急速に世の中の少女が何故夜の世界に身を置くのか、頭で理解する以上に体感した。

  冒険者の依頼でこの額を稼ぐのにどれだけの時間がかかるか。

  それからしばらく、イチはパーカスに身の上を聞かれる度に嘘で答えた。

  パーカスはイチの髪を撫でる以上、身体に触れる事はなくイチがなんとか捻り出した嘘の答えに頷いて聞き役に徹し続けた。

  断っておくがパカツは決して醜い男でなく、芳醇で甘い香りを漂わせ、白髪のない黒髪を整髪料で後ろに撫でつけてグレーのスーツできめている。

  清潔感、という言葉があるが清潔感で言えばパーカスは満点をとれるだろう。

  しかしイチは言いようのない気持ち悪さを感じ続けていた。

  イチはかつて冒険の最中で野盗に組み伏せられ身体を穢される寸前まで行った経験もある。

  その時、男の剥き出しの性欲をぶつけられる悍ましさを生で感じたが、今感じている悍ましさはそれとはまた別の悍ましさであった。

  「次、空いてる夜はあるかい?」

  「私は、いつでも……」

  「そしたら今週の土の日、遊びに行こう」

  イチは即答しなかった。

  というのも、イチはてっきりこの後すぐに連れ込み宿かどこかに連れて行かれるものと思っていたからだ。

  実はそれを見越してテレポクラーベの近くにエルビアニカとミュルガルデが待機していて、イチが目標と二人きりになった後に必要に応じて応援に駆けつける事になっていたからである。

  パーカスと2人きりになったら彼を捕らえて尋問する事も考えていた。

  「嫌なのかい?無理強いはしないよ」

  「嫌じゃない。行こう」

  イチはすぐさま他に選択肢がない事に思い至り、パーカスに同意した。

  なにしろ石像にされたミュウの事がある。

  彼女の石化は時間が過ぎれば過ぎるほど彼女の生命を刈り取っていくのだ。考えている暇などない。

  「よかった。これで、お洋服でも買っておいで」

  そう言ってパーカスは更に紙幣の束を取り出し、今度はイチの手を取り握らせた。

  「こんなお金、受け取れないよ」

  押し返そうとするイチだったがパーカスは笑って半ば無理矢理イチに紙幣を押し付けてしまった。

  その後、パーカスは約束の時間と場所を決めると「楽しみにしてるよ」と言って喫茶室を後にした。

  イチはしばらく呆然としていたが、パーカスに渡された紙幣を確かめると間違いなく本物で、遠くに旅行へ行けるほどの金額をものの数十分で稼いでしまった事に改めて驚いた。

  実は、この時点でパーカスがフェーンの失踪やミュウの石化に関わっているという証拠は一切ない。

  しかし。

  ____あいつだ。あいつで間違いない。

  イチはほとんど野性的な本能でパーカスが危険な存在である事を確信していた。

  そしてそれは実際に間違っていなかった。

  パーカスこそが今回のフェーン失踪の黒幕である。

  しかしながら、この時イチはある恐ろしい存在がパーカスの歪んだ企みに手を貸しているなどとは思いもしなかったのである。