27.世界で一番安心できる場所

  空港に着くと、エントランスで搭乗券を買い、割と待たずにフランス行きの飛行機へ乗った。

  『本日は羽田空港発、フランス行きのセントマリア175便にご搭乗くださり、ありがとうございます。

  快適な空の旅をお贈りいたします。

  つきましては、注意事項のご案内をさせていただきます。

  少しの間、お付き合いください。』

  機内アナウンスが流れる中、俺はなんとも言えない喪失感に包まれていた。

  離れたことを後悔したくはないし、きっと、正しいことではある。

  それでも……これでいいのか。

  その問い掛けを、繰り返している。

  別の結末が浮かばない。

  千秋さんと一緒にいても、きっと俺は前の千秋さんと比べてしまう。

  そして、千秋さんは、俺が見たことない笑顔で、笑うんだ。

  そんな苦しい世界に、生きていたくはないから。

  だからきっと、これでいい…。

  「…お客様、大丈夫ですか?」

  「へ……ぇぁ……は、ぃ…」

  驚いたせいで変な返しになってしまった俺に、CAのお姉さんが困ったように首を傾げる。

  その向こうで、機内アナウンスが現実を告げた。

  『これから本機は、飛行いたします。

  お忘れ物はございませんでしょうか。

  これが最後の機会になります。

  お降りになる方はいらっしゃいませんね』

  まるで、俺に向かって言っているような言葉に、俺は滲む視界のまま唇を噛み締める。

  これでいいんだ。

  […ホントニ?]

  ぇ……

  [ホントニコレデ、イイノ?]

  これ、この子って…まさか

  [ヒサシブリ、タカカズ♪]

  アキ……

  アキは、ちあきさんが創ったイマジナリーフレンドのようなものだった。

  俺が幼くなってぐずぐずと寝ることを渋っていた時に、千秋さんが裏紙に描き出した。

  アキは俺の幼い心を守ってくれる友達だった。

  [ネェ、モウイチドダケ、ミテミナイ?]

  なに、を…?

  [チアキノ、エガオ]

  そう言って満面の笑みで笑ったアキに、俺の瞳から涙が溢れ出す。

  「っ…ふ………」

  千秋さんの笑顔が、大好きだった。

  愛おしそうに微笑んで俺を見つめるその笑顔が。

  俺にだけ向けてくれる素顔が大好きで、もう一度だけでいいから、見たいと思った。

  […ドウスル?]

  アキの言葉に、俺は………────

  [newpage]

  一方、千秋と涼介を乗せたタクシーも、羽田空港に到着した。

  空港内に入るとエントランスに走り、フランス行きの飛行機の有無、その出発時刻を聞く。

  「あのっフランス行きの飛行機って、!」

  「どの便でしょうか。」

  「は、ぇ…わかっ…」

  分かるかよ、!柄にもなくそう怒鳴りそうになり、拳を握り締める。

  何がなんでも引き止めたい。

  でも、映画でもないし飛行機に飛びついた所で止まるわけがない。

  飛び立つ前に阻止しなければ。

  「…これじゃないか

  セントマリア、セントマリアはいつ飛びますか!?」

  涼介の言葉に、職員はパソコンで確認し始める。

  それがとても遅く感じた。

  「…セントマリア175便は、今さっき出発いたしました。」

  「な、……」

  言葉を失った千秋達に一瞬申し訳なさそうな表情を向けた職員は、すぐに後ろの客に声をかけ、千秋達を移動させた。

  「……千秋…」

  「ダメだ……ダメなんだ…」

  頭を抱えるようにして立ち尽くす千秋に、涼介が困ったように寄り添う。

  「ダメなんだよ、貴和がいないと

  私にはあの子が必要なんだ…っ」

  こんなに長い間傷つけ続けておいて、随分と都合のいい言葉だと自分でも思う。

  でも、千秋にとって貴和は誰より大切な人だった。

  誰よりも愛おしく、必要な存在だった。

  人生の全てだったのに。

  傷付けて、追い込んで…離れる選択を、あの子にさせてしまった……。

  「ぁ、……ぁぁ………」

  私は…

  「千秋、落ち着け…考えるな」

  涼介の宥める声が遠のいていく。

  私はあの子の心を、殺してしまったのではないか。

  「千秋っ」

  肩を強く掴まれて、無理やり顔を上げさせられて。

  ただ涙が頬を伝う。

  「……仕方ないことなんだ…

  アイツが離れたのはアイツの選択で、お前のせいじゃない…

  お前のせいであってももう時間は戻せない

  アイツは……もう戻ってこない…

  忘れるんだ」

  頭に入ってくる情報に心が追いつかない。

  そんなこと言われたって。

  無理がある。

  向こうが離れていったから忘れる?

  そんな都合のいい話があるだろうか。

  「私が忘れたらあの子は…っ

  本当にいなかったことになる!」

  そんなことしたくない。

  あの子は確かにいたんだ。

  私と生きていた。

  私が記憶を失ってからも、ずっと独りで生きていたんだ。

  「忘れない…絶対忘れない、!」

  「千秋、っ」

  聞き分けのない子どもを前にした親のような顔で、涼介は尚強く千秋に言い聞かせようとした。

  そうして、口を開いた時。

  「……ぇ……」

  「…は……」

  耳に入った小さな声に千秋は顔を上げ、そして……そこに立っていた貴和を見つけた。

  「……ち、あき、さん……、?」

  貴和も混乱しているようで、千秋の視線を追って振り返った涼介に目で尋ねる。

  何故彼はここに?

  関係ないはずじゃ

  もう、俺の事など…

  「……たか、か、ず……」

  「へ、ぇ、は。」

  驚きすぎて、そして涙でぐちゃぐちゃな千秋の顔がレアで。

  変な声を出した貴和に、千秋が抱き着いた。

  「貴和っ貴和、!!」

  その声色に、その泣き様に、貴和は期待を込めて涼介を見る。

  涼介は言わんとしていることを飲み込んで、頷いた。

  瞬間貴和は強く強く千秋を抱き締める。

  お互いがお互いの、今の状態を理解した瞬間だった。

  「よかったぁぁ……ほんとによかったぁ……

  ごめんね…ごめんね貴和……っ」

  千秋の言葉に、貴和は泣きじゃくる。

  「ふ、ぅぇぇ……ちあ、……ちあきさん…っ」

  やっと、やっと、一番安心できる場所で。

  心から泣くことができた。

  「貴和……よかった……間に合ってよかったっ」

  「実際には間に合ってねぇけどな(苦笑)」

  涼介は少し後ろでつっこむ。

  「貴和……よく降りる判断したね…

  あのまま乗ってたら……」

  千秋の言葉に、貴和は流れる涙もそのままに説明した。

  「俺……ほんとは……降りないつもりだったんです…っ

  フランスに行ったら、もう二度と、日本に帰ってこないつもりでした…泣」

  貴和は、飛行機を降りてよかったと思った。

  千秋が自分を、思い出してくれたから。

  「貴和……愛してる…っ」

  「おれも……俺も、愛してますっ」

  抱き締めあって泣き笑いしながらキスを交わした2人に、空港内から拍手が届く。

  「……ほんと、よかったな

  ほっとしたよ。」

  涼介はそう言うと、帰ろうと2人を促す。

  そうして振り返った先には、愛斗先生と海斗先生が立っていた。

  恐らく貴和との電話を終えた後、仕事の合間を見て空港に飛んできたのだろう。

  「……よかったぁ…」

  ほっとした愛斗先生は、貴和に言った。

  「…黒木くんにあんなことを言わせてしまったから、偉そうには言えないけど…

  愛はどんな困難も、乗り越えられる、でしょ?」

  たとえこの記憶が戻ったことが、奇跡だったとしても。

  「……多分」

  笑ってそう言った貴和の頭を、愛斗先生は優しく撫でた。

  「よし、じゃあ皆で病院戻ろっか。」

  「うん」「そうしよう」

  空港を出ると、霧雨が降っていた。

  そのシャワーに、心が潤っていく気がした。

  「ぁ、貴和」

  「ぅん?」

  「見て……虹だ」

  「……きれい…」

  「フフ」

  「ぁはは」

  当たり前よりも輝いて見える世界が2人の中に帰ってきたことを、天も祝っているようだった。

  もう少し、続く