目が覚め、夢に絶望し、また暫く泣いた。
落ち着いて周りを見ると、一応病院内の何処かだということは分かった。
仮眠室的な場所なのかもしれない。
ひとまず洗面台で顔を洗い、腫れた目を勝手に冷凍庫から拝借した保冷剤で冷やす。
これからのことも、未来も、何も描けなかった。
思い浮かばなかった。
今さえ、失いかけている気がして。
酷く、気が重い。
無気力に毎日を過ごすことが怠惰か否かは、考え出すと面倒だから置いておくが…
千秋さんの記憶が戻らず、俺を知らない今の千秋さんのそばにいていいことがあるのだろうか。
きっと俺は、色んな場面で前の千秋さんと比べてしまう。
そうすれば今の千秋さんには強い負担がかかるだろう。
もうない面影を追い掛けても仕方ない。
1人で考えるうち、思考が狭く、鋭くなっていくように思えた。
そしてそれは1つの結論に突き刺さろうとしていて、その結論を出してしまえば、きっともう戻ることは出来ないだろうと思った。
だから、その前に部屋の扉が開いてくれたことに内心ホッとした。
「…目、覚めたか」
部屋に入ってきたのは海斗先生だった。
「…はい…」
掠れた声で返すと、目を冷やしている俺の行為を見て海斗先生は辛そうな顔で目を伏せる。
そのまま、ソファーの横の椅子に座った。
俺はソファーに寝ていたが、恐らく倒れた後にまたひいりさんが運んでくれたのだろう。
そんなことをぼんやり考えながら目を冷やしていたら、海斗先生が俺に問いかけた。
「…神代さんとのこと、どうするつもりでいるんだ」
「…どういうこと」
「…だから、なんだ…その……」
「“どうするつもり”?
俺に選択肢なんてない。」
精神的に疲れ果てていた。
言い訳かもしれないけど。
ずっと待ってた。
ずっと、待ってる。
それでも現実は残酷で、目が覚める度全てが夢であったらと願うのに、突き付けられるのはいつも同じこと。
何度朝が来ようと、何度眠りにつこうと、変わらない事実がそこにある。
記憶喪失。
俺のことを忘れている。
俺に関する全ての記憶を。
今の千秋さんの中で、俺はただの子供。
全く覚えがない知り合いみたいなもんだ。
俺はそんな人を前にして、何をすればいいっていうの?
何を言えばいい。
言いたいことも伝えたいことも沢山あるさ。
それでも…言えないんだろ?
相手に負担がかかるから。
「…黒木…」
「……きついよ……」
考えるうちに泣き出した俺に、海斗先生が声を掛けてくる。
本音が漏れ出す。
「…何で思い出してくれないの…?
俺だよ……俺だよ千秋さん……っ」
あの人の前で言えないことを、誰にともなく口に出す。
「…どうして……どうして神様は……っ」
言葉に詰まりながら、誰に訴えたいのかも分からないまま、吐き出した。
「俺から千秋さんを奪ったの…っ」
「……」
悲痛な面持ちで黙り込む海斗先生のことを冷たいとは思わなかった。
その表情は、俺以上に苦しそうだったから。
「…返してよ……千秋さんを返して……
お願いだから思い出させて……せめて俺の…名前だけでもっ……」
どのくらいの間泣き、言葉を吐いたか分からない。
けれど少し落ち着いて、海斗先生に向けての言葉に切り替えると、海斗先生はちゃんと返してくれた。
その返事は決して、夢を見させてはくれなかったけど。
「……俺はもう……今の千秋さんを支えていける自信がない……」
「……支えようとしなくていい
ただ……そばにいろ」
その言葉にまた俺が泣くと、海斗先生は頭を撫でてくれた。
そばにいてくれた。
「……海斗先生はさ…」
「ん?」
「もし愛斗先生が記憶喪失になったらどうする、?」
「…っ……それは……」
「そばにいる?離れる?」
「……んなこと…」
「決められない?」
「……」
海斗先生は困った顔で黙りこみ、俺は意地悪だと自覚して質問した。
途中で愛斗先生が入ってきたことには気付いたけど、言葉を止められなかった。
「……そばに、いる」
「自分のこと覚えてなくても?」
「っあぁ…「会う度誰?って顔されても?昔の話しても覚えてなくても?」
「…おい、…落ち着け」
「好きだって思っても相手は自分のこと好きじゃなくても?」
「っ…!もうやめろ、」
「思い出して欲しいのに何も言えなくても、その人が自分の愛する人と違ってても、それでも…「黒木くん」
止まらない言葉を遮ったのは、苦しげな表情の海斗先生ではなく、険しい顔をした愛斗先生だった。
「もうやめて」
「……」
悔しげに歯を食いしばった俺に、愛斗先生は眉を寄せた。
「気持ちは分かるけど、海斗のパートナーとして、Domとして、悪いけどその意地悪は許せない。
だからやめて」
俺のパートナーは記憶を失ってるのに、目の前で絆を見せつけられた気がして、呼吸が心做しか浅くなった。
「……俺の…」
何度も口をパクパクさせて、震える唇のまま、声のまま、誰にも向けられない言葉を吐き出す。
向けてはいけないのかもしれないけれど…
「俺のパートナーは俺を覚えてないんだぞ!」
限界だったのかもしれない。
あるいはもう、そのラインを越えていたのかも。
「なんで…なんでおればっかり…っ
じぶんだってえらべないんだろっじゃ俺に選ばせんなよっっ!」
子供じみていると、心の中で自嘲した。
分かっている。
痛いほど。
それでも…言いたかった…言わせて欲しかった…聞いて欲しかった…。
俺の叫びを……。
「もう…限界だよ……思い出してくれないならもう待てない……そんなに俺強くない……ごめん……ごめんね……」
床に座り込み、泣き続ける俺を、2人は何も言わずに見つめていた。
ぐちゃぐちゃの頭の中で鳴り響く警告は、終わりが近いことを告げていた…。
続く