定期的に訪れる"ヒート(発情期)"
それに僕はずっと悩まされていた。
自分がオメガであることは、生まれた時からの宿命。
発情期が来れば、どんなに理性を持っていても――
身体は熱くなり、勝手にフェロモンを撒き散らして、
―――ただ誰かを求めてしまう。
……それが、どうしようもなく、惨めだった。
就職したのは、比較的"ホワイト"と言われる企業。
労働環境は整っているし、働く人の雰囲気も条件も悪くない、
オメガへの制度的な配慮も、一応はある。
定期的な健康診断、抑制剤の提供、
発情期における休日申請――
「制度としては」整っている。けれど。
現実は、やっぱりアルファやベータに比べてオメガは"弱い立場"だ。
たとえ抑制剤を服用して耐えていても、
周囲の視線、上司の言葉、そのひとつひとつが僕を、縛る。
そんなある日―――……
『おはようございます。……ん?』
僕のデスクに置かれていた、1通の封筒。
『……健康診断の、結果か……』
――嫌な予感がした。
そして中身を開けた瞬間、背筋がゾクリと冷える。
"診断書
抑制剤によるホルモンバランスの乱れが確認されました。
健康のため、自然発散による調整が望ましいと診断されました。"
――あれ、これってもしかして。
この文章がどんな意味を持つのか、すぐに理解した。
『……自然発散……つまり……』
"発情協定"の履行。
それすなわち、
簡単に言うと"誰かとセックスする"ということだ。
オメガが、制度に従って、
"協力"という名目で"抱かれる"
ということでバランスを戻す。
胸の奥がざわつき、呼吸が乱れた。
その瞬間、身体が――……
嫌でも熱を帯び始めていることに気づいた。
まさか、履行せざるを得ない日が来るとは―――……
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診断書に記された文字は、何度見返しても消えることはない。
「自然発散による調整が望ましい」
「発情協定の履行を推奨します」
その言葉の意味を、僕は、理解していた。
制度のために。健康のために。社会のために。
誰かに"抱いて"もらい、
同時に僕の身体を"使ってもらう"という、そんな制度。
胸の奥がきゅっと縮み、呼吸が乱れる。
けれど、たしかに、
薬ではもう体調が崩れていくだけというのは薄々感じていたし、
ドキドキと高鳴る鼓動を感じつつも、
僕はスマホを取り出し、会社指定のヘルスケアアプリをタップする。
その中にある「発情管理庁・ヒートオフィス 登録ページ」
ボタンひとつで、登録できる。
住所、生年月日、オメガ種別。
わずか数分で、すべてが終わる。
その手軽さが、逆に怖い。
たったこれだけで、自分は誰かとセックスするんだ。
その現実が、重くのしかかる。
『………はぁ』
まさか、恋人が出来る前に"制度で"セックスすることになるなんて。
休憩スペースのソファに腰を下ろし、
スマホを見つめたまま、僕はただ、戸惑っていた。
指先は、最後の「登録完了」ボタンの上で止まったまま。
ひとたび登録してしまえばもう、
僕に"マッチした誰か"と、
日時がセッティングされ、セックスすることになる。
見ず知らずの、はじめましての人とヤるなんて、ムリ。
なんて思っていたその時だった。
視界の端に、動く影。
ふと顔を上げると、目に入ったのは別部署で働く、あの人。
社内で有名な存在な、狼獣人のアルファ。
背が高く、僕との身長差は頭2つ分は優にある。
ゴツゴツとした筋肉質の腕、
スーツの上からもはっきりと分かる逞しい胸板。
キッチリと整えられた髪、鋭い目つき――
まさに凛々しく、紳士的で、雄々しい風格。
でも、動きは静かで、落ち着いた雰囲気。
いつも無口で、人との距離を取る彼に、
僕は、一度も接点をもったことなんてない。
なのになぜか、目が離せなかった
話したことも、ない。
廊下ですれ違うことがあっても、
こちらを見たことなんて、一度もない。
ただただ存在感のある、有名なヒト。
あの人は、いつも数人のアルファ仲間や、
明るいベータの女性たちに囲まれていて――
まさに雲の上の存在だと、そう思う。
見上げるような背丈。
分厚い胸板に、スーツ越しでもわかる圧倒的な雄の体格。
そして無口で視線ひとつで空気を制すヒト。
『……あの人にも……抱かれる可能性が、ある、のかな……?』
―――なんて、
そんなしょうもない思考が脳裏をよぎったその時、
喉がきゅっと絞まった。
恐怖でも羞恥でもない、期待。
自分でも、驚いた。
制度のため、健康のため。
仕方なく登録するはずだったのに――
次の瞬間にはもう僕の指はスマホの画面をタップしていた。
ピッ
画面の表示が切り替わる。
「発情管理庁 登録完了」
「マッチング手続きに移行します」
心臓が跳ねる音が、耳を打つ。
もう、戻れない。登録してしまった。
あとは"誰が選ばれるのか"を待つだけ。
「履行日が、決定しました。」
忘れたころにスマホに届いた、無機質な通知。
文字の並びは、どこまでも淡々としている。
心を持たないAIがただ"事実"を告げるだけの表示。
『履行日…今週金曜、19:00に協力センターC、か…』
ああ、ついに逃げられない現実が、確定された。
げんなりとしながら僕は指を滑らせ、
今回、マッチングした相手の情報を確認する。
―――次の瞬間。
画面に映し出された"プロフィール"に目が釘付けになった。
『……――っ、う、そ……』
心臓がどくんっ、、と跳ねて、指先が震える。
呼吸が、急に浅くなる。
まさか、あの人。
会社で何度も見かけたことのある、
別部署のあの狼獣人のアルファ。
鋭い目元、分厚い胸板、
スーツが張り裂けそうなほどの屈強な肉体。
中年特有の余裕と貫禄。
――絶対的な存在感。
性格は、よく知らない。
話したことなんて、一度もない。
けれど――
評判だけは耳にしていた。
"完璧なオス"、"仕事も容姿もすべてが完璧"
そして女性にもオメガにも手を出さない、孤高のアルファ。
そんな彼が。画面の中に、いた。
まさか、まさか、あの人も、
――この制度に、登録していたなんて。
自分が、この人に抱かれるなんて。
その現実にごくり、と喉が鳴る。
『僕、が……この人に、使われるんだ……っ♡』
自分の意思とは裏腹に、
腹の底から、じんわりと熱がこみ上げてくる、熱。
呼吸が苦しくなり足が震える。
画面を閉じても、脳裏に焼き付いた"あの人の顔"が離れない。
もうこの瞬間から――
僕の発情は、静かに始まっていた。
―――――
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