絶命で本能射精した獅子獣人の優秀な遺伝子を絶やさぬよう尽力するも無駄に終わる
鈍く、しかし決定的な音が、獅子獣人の強靭な肉体の芯で響いた。
頸椎。鋼のごとき筋肉が守り、誇り高く中枢を支えていた七つの骨が、理不尽なまでの衝撃によって一気に粉砕される。
「……ッ、が、……あ……」
黄金の鬣(たてがみ)が乱れ、視界が激しく明滅する。脳と身体を繋いでいた電線が、無残に引きちぎられた。一瞬前まで彼を支配していた「闘争心」も「誇り」も、断裂した脊髄から漏れ出す髄液とともに消失していく。指先一つ動かすことのできない完全な弛緩が、屈強な四肢を襲った。
だが、その絶望的な静寂のなかで、生物としての「種」の熱源だけが狂ったように暴走を始めた。脳からの制止(モラル)を失った脊髄中枢が、死を目前にした極限の生存本能を叩き起こす。脈動を止めるはずの心臓が、最後の一滴を絞り出すように激しく跳ねた。
全身の血液が、出口を求めて下腹部へと殺到する。
「は、ひ、……あ…………っ!」
黄金の瞳から光が失われ、焦点が虚空へと泳ぐ。喉の奥で鳴る獣の喘ぎ。それと同時に、厚い太ももに包まれた欲望の源が、死の恐怖を快楽へと誤認したかのように、無残に、そして猛々しく屹立した。
皮肉なものだ。
意識が暗転し、魂が肉体を離れようとするその瞬間に、彼は人生でもっとも強烈な「生」を自覚させられる。
――ドクン、と。
重厚な肉体が最期の痙攣を起こすと同時に、白濁した生命の種が、何の意志も介さずに虚空へと放たれた。
誇り高き戦士の最期を飾るのは、勝者の凱歌ではなく、ただ無機質に、そして本能のままに溢れ出した、熱い絶頂の残滓(ざんし)だけだった。
静寂が支配する路地裏に、回収班のブーツの音が重く響く。ライトの光束が瓦礫の山をなぞり、その中心で力なく横たわる巨躯を捉えた。
「……いたぞ。第4区の『黄金の牙』だ」
班長の低い声が、冷たい空気の中で震えた。かつて戦場を蹂躙した王者の姿は無残だった。衣服はすべて剥ぎ取られ、鍛え抜かれた褐色の肉体は全裸で石畳に投げ出されている。不自然な角度に折れ曲がった頸椎が、彼の命が理不尽に断たれたことを物語っていた。
隊員の一人が跪き、その下半身に目を留めて絶句する。
「……班長、見てください。この量を。死に際だというのに……」
獅子の股間から溢れ出し、太ももを伝って石畳を濡らしているのは、おびただしい量の白濁だった。死の直前、脊髄の暴走がもたらした生存本能の爆発。その痕跡を、隊員は手袋を脱いだ指先でそっと掬い上げた。
「……まだ、微かに温かい。だが、粘度が失われつつある」
隊員は指に絡みつく精液の感触を確かめ、震える声で言った。
「くそっ……あと数分、いや、あと一分早く発見できていれば! この子種を、鮮度を保ったまま回収できてたはずなのに……!」
班長もまた、その凄まじい生殖能力の名残りに目を奪われていた。
かつて猛々しく屹立していただろう性器は、今はただ剛直を失い、力なく横たわっている。その下で、命の源を蓄えていた巨大な睾丸は、持ち主の死を悟ったかのように重力に従ってだらりと弛緩し、石畳の冷たさに馴染んでいた。
「これほど濃密で、これほど生命力に満ちた種子(たね)が……ただの汚れとして、ここで冷えていくのか」
別の隊員が、悔しさを押し殺すように呟く。
「この強靭な骨格、発達した筋肉の資質。すべてがこの液体の中に凝縮されていたというのに。俺たちの到着が遅れたせいで、彼の血統はここで完全に途絶える……。これは国家的な、いや、種族的な損失だ」
班長は、指先に残る白濁を惜しむように見つめる隊員の肩に手を置いた。
「……悔やんでも、死んだ者は戻らん。だが、見ておけ。彼は首を折られ、尊厳を剥がされてなお、最期まで『生きよう』とした。この惨状こそが、彼が遺した最高の抵抗だ」
回収班は無言で、その壮絶な「生の証明」を汚さぬよう、慎重に布を広げた。
もはや重力に抗う力のない、弛緩しきった獅子の肉体。その冷えゆく液体の一滴一滴に、彼らは失われた未来への深い後悔と、果てしない敬意を込めて、静かに頭を下げた。
重い静寂を切り裂くように、遅れて到着した医療専門隊員の鋭い声が響いた。
「どけ。無闇に触れるな。……まだ可能性を完全に捨てる段階ではない」
白衣の上にタクティカルベストを羽織ったその男は、膝をつくと同時に、腰のポーチから滅菌済みの採取キットと、手のひらサイズの携帯顕微鏡を取り出した。彼は慣れた手つきで、獅子獣人の逞しい太ももを伝い、石畳の窪みに溜まった白濁に指先を浸した。手袋越しではない、生身の指先による触診。彼はその粘り気と温度を確かめるように指を擦り合わせる。
「……体温は急速に奪われているが、粘稠度は極めて高い。この濃縮具合、流石は純血の獅子だ」
医療隊員は、剛直を失い力なく横退いた性器の根元から、重力に従ってだらりと弛緩しきった巨大な睾丸へと手を伸ばした。その重みを掌で受け止め、内部の残留圧を確認するように慎重に圧迫を加える。
「睾丸内の残存精子については、まだ生存の余地がある。だが……」
彼は採取した液体をスライドガラスに載せ、携帯顕微鏡のレンズを覗き込んだ。端末のモニターに、拡大されたミクロの世界が映し出される。
そこには、本来であれば力強く尾を振り、猛然と進むはずの無数の精子たちが映っていた。しかし、その動きは緩慢で、円を描くように力なく漂うものや、すでに動きを止めたものが大半を占めていた。
「……判定を出す。受精能、現時刻をもって2%以下。機能的死滅(タクティカル・デス)だ」
医療隊員の非情な宣告に、周囲の隊員たちから短い溜息と落胆の声が漏れた。
「そんな……。これほどまでの量、これほどまでに強靭な個体の子種が、ただの白い尿に成り下がったというのか」
「頸椎断裂による中枢神経の遮断。それに伴う急激な血圧低下と酸素供給の途絶が原因だ。射精の瞬間こそ爆発的な生命力を示したが、放出された瞬間に、彼という『個』の終わりと共に、これらの細胞もまた未来を奪われた」
医療隊員は顕微鏡から目を離し、持ち主を失って冷たくなった獅子の下半身を見つめた。
完全に弛緩し、石畳の冷たさに同化していくその肉体は、もはや「種を繋ぐための器」としての機能を終えていた。
「あと三、いや、二分早ければ……。特殊凍結保存を施し、この気高い獅子の意志を人工受精によって繋ぐこともできた。我々の無能が、一つの血統を終わらせたのだ」
彼は指先に残った、もはや体温を感じさせない白濁を、悔しさを押し殺すように強く拭った。
石畳の上に広がる惨状。それは、強者が最後に放った、あまりにも皮肉で、あまりにも虚しい「生」の遺言だった。
医療専門隊員は、もはや感傷を排除したマシーンのような手つきで、メスをホルダーに固定した。石畳の上に横たわる獅子獣人の、重力に負けて平たく潰れた巨大な陰嚢を、消毒液を浸したガーゼで無機質に拭い去る。
「……野外緊急採取を開始する。精巣内精子回収術に準ずる」
鋭利な刃先が、弛緩しきった陰嚢の皮膚を獣毛の上から迷いなく切り裂いた。
屈強な戦士の肉体の、死してなお失われぬその袋の厚みと弾力に、メスが微かな抵抗を見せる。切り口からは、もはや拍動を失った暗赤色の血液が、凝固の兆しを見せながらじわりと滲み出した。
肉の層を割り進むと、その奥から、青白い光沢を放つ一対の巨大な精巣が姿を露わにする。
「……美しいな。これほどまでに発達した精巣…陰嚢越しに相当な物とは思ったが、まさかこれほどとは…」
医療隊員は、自重で形を歪ませるその臓器を指先で探り、精巣上体(副睾丸)の膨らみを慎重に圧迫した。本来であれば、そこには無数の、成熟を待つ精子たちが、獅子の強靭な生命力を背景に、爆発的なエネルギーを蓄えていたはずだった。
メスの先が、精巣の本体を包む白膜を裂く。
中から溢れ出したのは、乳白色の組織――精細管の束だ。
細く、緻密に折り重なったその管の一本一本が、かつては彼という獅子獣人の王者の遺伝子を製造する、休むことのない工場だった。医療隊員はピンセットでその一部を摘み取り、迅速にスライドガラスへと塗抹する。
「顕微鏡、倍率400。……走査を開始」
隊員たちが固唾を呑んで医療隊員の報告を待つ。
拡大された視界の中で、迷路のように入り組んだ精細管の断面が映し出された。そこには、本来であればうごめくような生命の奔流があるはずだった。しかし、映し出されたのは、静止したモノクロームの世界だった。
「……第1、第2、第3視野、共に活動個体は確認できず」
医療隊員の指が、無機質に顕微鏡のピントを回す。
「わずかに残存する酸素を消費し尽くしたか。……精細管の深部、セルトリ細胞の周辺に数匹の頭部を確認。……だが、尾部の振幅がない。膜構造の崩壊が始まっている」
医療隊員の、望み薄である事を示唆するように目力を落とした表情が、周囲にも絶望を確定させる。
顕微鏡の中で、一匹の精子が微かに震えたように見えたが、それは細胞内の電解質バランスが崩れたことによる、死の直前の痙攣に過ぎなかった。
「……遺伝子伝達体の生存数、なし。受精能保持個体、皆無」
医療隊員は、メスをトレイに放り投げた。金属音が、獅子の亡骸が転がる路地裏に虚しく響く。
「……完敗だ。彼の強すぎる生存本能が、射精という形であらゆる精力を使い果たしてしまった。この精巣の中には、もう空殻(から)しか残っていない」
切り開かれたかつての雄の核は、持ち主の死を追うように、急激にその張りを失い、萎んでいく。
彼の帰りを待つ者の胎内という苗床へ蒔かれ、そして時代を繋ぐはずだった獅子の種子は、今や医療廃棄物としての冷たい定義を待つだけの、ただの肉の断片へと成り果てていた。
「……縫合の必要はないな。死体袋へ入れろ」
医療隊員は立ち上がり、血と白濁に汚れた手袋を脱ぎ捨てた。
足元には、無残に解剖され、その秘部までを晒したまま、二度と立ち上がることのない「王」の亡骸が、重力と死に支配されたまま横たわっていた。