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こころはる 第十六話

  汗ばんだ体に少しの不快感を覚えながら目を覚まし、枕元で鳴り響くアラームを止める。そして訪れた静寂の中耳を澄ましてみれば、季節を早とちりした蝉の鳴き声が聞こえてきて、もう夏なんだな、なんて思った。

  肌に纏わりつくようなジメジメとしたこの空気はあまり好きじゃないけど、別に夏は嫌いじゃない。今日で期末テスト最後の3科目を受け終われば、高校生活最初の夏休みもすぐそこだし。

  ……夏休み、かあ。休みの間に何しようか、今から考えとかなきゃな。中学の頃は部活で忙しかったりもしたけど、文実も休み前半はそこまで活動も多くないしな。

  逆に言えば、後半は結構忙しくなるみたい。夏休みが明ければすぐに文化祭だし、結構大規模にやる分準備にも力を入れなきゃいけないっぽいから。

  「……って、やば!」

  呑気に考えごとをしながらふと目をやったスマホの液晶には、予想よりもだいぶ遅れた時刻が表示されていて。おかしいなあ、もっと早い時間に目覚ましセットしてた気がするんだけど。

  急いで寝間着から制服に着替えて、リビングへの扉を開く。まだ被毛もボサボサのままの俺を、とっくに身なりを整えた姿で出迎えたのは――。

  「……遅い」

  「あはは、ごめん。遅くまで今日のテストのために勉強してたからさ」

  「いいから早く顔洗ってこい。朝飯まで時間ない」

  「はーい」

  相変わらずぶっきらぼうだなあ、特に朝の晴はちょっと機嫌悪いことが多い気がする。まあ、今回ばっかりは寝坊した俺が悪いんだけどさ。

  ――俺、お前のこと……ちゃんと、好きだから。

  「……ふふ」

  何か思い悩んで俺のことを避けていた晴がもう一度俺に向き合ってくれたあの日から、数週間。あの時の素直な晴はとっくに店じまいか、なんて思うと、不意に笑みが零れてしまった。

  あの日を境に、晴は少し変わったような気がする。いつもと違うことをし始めたり、俺や逸花くんを誘って何かをしたがったりすることが増えたような。

  ……きっと、晴なりに何か考えてのことなんだろうな。何を考えてるかまでは相変わらずよく分からないけど、前より晴と一緒に何かをする時間が増えたのは嬉しかったし。

  「……何ニヤついてんだ」

  「別に~?」

  「なんでもないなら早く支度しろっつってんだろ!」

  「あ、ちょっ、押すなよお」

  晴は椅子に座りながら脚を伸ばして、俺のお尻にグイグイと押し付けてくる。さすがに今のはウザかったかなあ、ちょっと反省。

  とりあえず、晴の言う通り時間もないから早いとこ顔洗わなきゃな。そう思って洗面所の手前まで辿り着いてから、ふと大事なことを忘れていたことに気づく。

  「あ、そうだ」

  「今度はなんだよ」

  「おはよ、晴」

  「……おはよう」

  晴は呆れたような顔で、「これで満足か」とでも言いたげに返事をした。実際、そんな表情を見れただけで俺としても大満足だ。

  「へへ……」

  いつもより急ぎ目に支度をし、洗面台の蛇口を捻る朝。きっとこれから慌ただしい時間も始まることだろうけど、なんだか今日は良い日になるような。そんな予感が、ちょっとだけするんだ。

  *

  「あああ最悪だあ……」

  最後の科目も受け終わり、晴れて期末テストから解放された俺達。朝に抱いていた「良い日になりそう」なんて予感は、苦手な英語のテストによって粉々に砕かれていた。

  「いい加減立ち直れよな……ほら、ラーメン伸びるぞ」

  「まあ、今回のはちょっと難しかったかもね」

  テスト終わりというのもあって普段より賑やかな食堂で、昼食に手も付けず落ち込んでいる俺を晴達が口々に励ます。逸花くんの言う通り、確かにテストは難しかった。だけど、それだけじゃここまで凹まない。俺がここまで凹んでる理由は――。

  「昨日遅くまで勉強してたのに……範囲、勘違いして…………」

  メモした範囲が間違ってたのかはたまた眠くてページを見間違えたか、果たして俺が勉強した範囲はまったく今回のテストに掠りもしていなかった。問題用紙を開いた瞬間に見たことのない問題が目に入ってきたあの感覚、思い出すだけで冷や汗が出そうだ。

  結果として俺は、苦手科目にほぼノー勉で挑む無謀極まりない真似をしてしまったわけで。どんな点数になるかなんて考えるのも悍ましい。

  「それだったら、次回以降のテスト勉強になったと思えば……ね?」

  「あの先生、来学期はテキスト変えるって」

  「佑」

  逸花くんが精一杯俺を励まそうとしてくれてるのを感じたけど、それはなぜか佑くんによって無慈悲に撃ち落とされてしまった。まあでも、逸花くんが全力で「余計なこと言うな」の表情してるのはちょっと面白いかも。

  ……晴も逸花くんも励ましてくれるのは嬉しいけど、今回ばっかりはなあ。テストがダメで悲しいというより、自分のポンコツ具合に落ち込んでる。この気持ちはそう簡単に拭えそうには――。

  「テストも終わったことだし、用事でも無けりゃどっか遊びに行くか」

  「行く!」

  「急にすげえ食いつくなお前……」

  しばらく黙々とカレーを食べていた晴の提案に、俺はここぞとばかりに全力で乗っかる。だって、テスト明けは遊びたいじゃん! 今回は特に落ち込んでるし!

  「……てなわけだけど、逸花と朝来はどうだ」

  「僕は大丈夫だよ」

  「俺も問題ない」

  「じゃ、決まりだな」

  幸運にも四人全員がなんの用事も無かったから、すんなりと遊びの予定が立った。我ながら単純だけど、なんだか急に元気が出てきた気がする。ちょっと単純すぎる気もしちゃうけど。

  「ねえ、どこ行く? どっか行きたいところとかある?」

  「これから話し合うから、お前は早く飯食え」

  「はーい」

  晴に促されるまま、俺はようやくラーメンを口にする。時間が経っちゃった割にはあんまり冷めたり伸びたりもせず、なんだか安心した。いつもの味って感じだ。

  それにしても、この四人でどこかに遊びに行くのって初めてかもしれない。一緒にご飯食べたり勉強したりはあったけど、本当にそれくらいだったし。

  晴と遊ぶのも、随分久しぶりだ。仲直りしてからすぐにテスト期間に入っちゃったから、あんまり遊んだりできる感じじゃなかったし。

  ……それに、今回は晴の方から遊びに誘ってくれた。前は俺が晴を誘うことの方がずっと多かったから、その変化がなんだかすごく嬉しいんだ。

  一時はテストの出来にひどく凹んでたけど、そんな気分もどこかへ吹き飛んでしまったみたいで。今はただ、これからの予定に胸を弾ませるばかりだった。

  *

  世朱町から電車に乗ること一時間と少し。俺達はどうせなら少しだけ遠出してみようと、世朱町を通る路線の始発駅へとやって来ていた。新幹線も停車する駅なだけあって、やはり俺の地元や世朱町よりもずっと栄えているのが一目見て分かる。

  「入学とか帰省の時には使った駅だけど、そういえばちゃんと見たことはなかったな」

  「ね、せっかくそこそこの距離にあるんなら遊んでみたいなって」

  今日、「遊ぶならこの辺りがいいんじゃない?」と提案してきたのは逸花くんだった。俺はてっきり世朱町で遊ぶもんだと思ってたけど、思いがけず大きな街に来れて結構ワクワクしてる。

  にしても、これだけ栄えてると遊ぶ場所も色々選択肢あるよなあ。事前に何があるか調べとけばよかったかも。

  「みんな、何して遊びたいとかってある?」

  「特にないかなあ」

  「俺はどこでもいい」

  「……考えてなかった」

  逸花くんの問いかけに対し、俺達は口々に曖昧な返事をする。

  ……もしかしてこれ、みんなが「どこでもいい」って言って逆に目的が定まらないパターンかなあ。しまった、今からでも何かないか調べて――。

  「だったら僕はこことか良いと思うんだけど、どう?」

  ――なんて心配は、逸花くんの発言によってかき消された。ひょっとして、こうなることを予測して考えておいてくれてたのかな。

  俺達は、逸花くんが差し出したスマホの画面を各々覗き見る。そこに映されていたのは、ボウリングとかビリヤードとか、色々なスポーツとか競技で遊べるレジャー施設だった。

  「あ、ここ中学の頃行ったことある! 楽しかったなあ」

  「……俺、身体動かすのとか得意じゃないんだが」

  「僕も運動苦手だけど楽しかったし、大丈夫だって」

  あまり乗り気じゃなさそうな晴を、逸花くんはどうにか説得しようと試みる。俺としても晴とあそこで遊んでみたいし、一緒に楽しめると思うから受け入れてくれるといいなあ。

  ……それにしても、逸花くんがこういう所に行きたがるのってちょっと意外かも。自分でも言ってた通り、運動とかは苦手そうだったから。

  「逸花くんが行ったことあるってことは、佑くんも?」

  「いや、俺は行ったことない」

  「あれ、そうなんだ」

  逸花くんが晴を説得してる間、ふと思ったことを佑くんに聞いてみたけど……返ってきたのは意外な言葉だった。勝手にだけど、二人はいつも一緒なもんだと思ってたから。

  「いつの間に行ったんだろうな」

  意外に思っているのは、佑くんも一緒のようで。どうやら晴を説得できた様子の逸花くんを、俺達は不思議に見つめるばかりだった。

  *

  「――ストライク!」

  ピンが倒れる軽快な音と共に、隣のレーンには5連続目のストライクを告げる音声アナウンスが流れる。ボウリングは初めてだと言っていた佑くんは、何投目かで「コツを掴んだ」と言ってからずっとこの調子だ。

  「すげえな……」

  「俺、何回かやったことあるけどあんなに上手くできない……」

  正直言うと、この四人の中で一番上手いのは俺なんじゃないかと思っていた。晴と佑くんは未経験、逸花くんも数回やった程度だと言ってたけど、俺は中学の頃何度もボウリングで遊んだことがあったから。

  実際のところは、ちょうど今の一投で終わった1ゲーム目のスコアは佑くんが断トツ、その次に俺、そして晴と逸花くんがトントンってな感じ。晴も渋ってた割にはちゃんとスコアも取れて、楽しめてる様子だった。

  「……お前、未経験って本当かよ」

  「ああ」

  キリのいいタイミングってことで飲み物を買ってきた佑くんに、晴が尋ねる。俺としても同意見だ。初めてでここまで上手い人って見たことないし。

  「なんかコツとかってあるの?」

  「真っすぐ投げる」

  「……それだけ?」

  「? それだけだ」

  ……ちょっとだけアドバイス貰えないか期待したけど、ダメそうだ。たまにいるよなあ、こういう感覚でなんでもこなしちゃうタイプ。佑くん、体育の時も種目に関わらず活躍してたし。

  「佑にアドバイスは期待しちゃダメだよ、人に何か教えるのとかド下手だから」

  「そんな感じするな……」

  佑くんに関しては、逸花くんが言うならそうなんだろうという謎の信頼感がある。普段から口下手っていうか、言葉足らずなところあるとは思ってたし。

  ……なんか、ちょっと羨ましいなあ。俺はサッカーは続けてたけど、そこまで上手いわけでもなかったし。何かに秀でてるとか、そういうの無いから。

  「心、ボールの投げ方教えてくれないか」

  「えっ」

  「朝来に聞こうにもあの様子だし……俺よりはお前の方が上手いだろ」

  「……俺で、いいの?」

  「? 聞けるのお前くらいだし」

  「あ、そっか。あはは、そうだよね」

  なんか、おかしなこと言っちゃったな。現に晴も「なんだこいつ」って表情してるし、自分でも今のは変だったと思う。

  ……でも、なんか。なんかよく分からないけど、すごく、嬉しかったんだ。ちょっとだけ凹んでる時に、必要とされてる……って感じがしたから。

  「おい、もうゲーム始まってるから。教えるなら教えてくれ」

  「あ、う、うん。じゃあボール持ってレーンの前立って」

  様子がおかしいのをできるだけ悟られないように、晴の傍へと近づく。晴はまだ動きがぎこちなく、確かに俺でもアドバイスできることはありそうだった。

  「えーっと、助走の時は少し前傾姿勢で、身体の力は抜いて……」

  「こ、こんな感じか?」

  「ん、もうちょっとこの辺の関節曲げる感じ」

  「ああ……」

  言葉にするのがちょっと難しいから、身振りを使ったり晴の身体に触れてみたりで説明してみるけど、今度は晴の様子がおかしいような。なんか説明する前よりずっとぎこちなくなってる気がする。

  「……とりあえず一回投げてみる?」

  「おう……」

  そうして一度投げてみてもらったところ、1投目は力み過ぎてガーター一直線。2投目はなんとかピンに命中したものの、球速が遅く端っこの数ピンを倒すだけに留まってしまった。

  「…………」

  「じゃ、じゃあ俺が手本見せるから。それ見ててよ」

  分かりやすく落ち込む晴になんとかコツを掴んでもらおうと、俺が手本になることを提案する。俺も手本になれるほど上手いわけじゃないけど、この際仕方がない。

  背後から晴の視線を浴びながら、レーンの前に立つ。ここで失敗しちゃあ教える側として示しがつかないから、これ以上ないくらい神経を研ぎ澄ませる。

  晴にアドバイスした内容をできうる限り再現し、投球する。俺の手を離れたボールは一直線に狙った方向へと突き進み――。

  「――ストライク!」

  「よっしゃ!」

  純粋にストライクを決められた喜びと晴の前で体裁を保てた安心感で、思わず全力のガッツポーズを決めてしまった。しょうがないじゃん、嬉しいんだもん。

  「すげえな……」

  「へへ、ありがと。今の俺みたいに投げれば晴もできるって」

  「あ、ああ。じゃあもう一回投げる時に意識したこと教えてくれ。……できるだけ口頭で」

  晴の要望通り、もう一度投げ方のコツを――さっきより気持ち丁寧に――晴に教える。口頭で、ってのが良かったのか、晴はさっきよりもだいぶリラックスして投げられたみたいだ。

  晴の投げたボールは、まるで俺の投げたボールの軌道をなぞるように進んでいく。このまま行けば、きっとさっきの俺のボールのように――。

  「――ストライク!」

  「おっ」

  初めて、晴の投げたボールが10本全てのピンをなぎ倒し、ストライクのアナウンスが流れる。ひとまずアドバイスは役立ってくれたかな、なんて思うとホッとするし……なにより、なんだか自分のことのように嬉しかった。

  「晴、おめでと――」

  「や、やった! 初めて取れ……あ」

  くるりとこちらへ振り返った晴は、いつものどこか大人びた仏頂面はどこへやら、初めて取れたストライクに目を輝かせていた。そんなご機嫌な晴は言っている途中で冷静になったのか、スン、と恥ずかしげな表情を浮かべながらこちらへと戻ってくる。

  「ナイスストライク、晴」

  「……おう」

  やっぱり一瞬でも舞い上がった様子を見せたのが恥ずかしかったのか、晴はベンチに座るなりぷいと顔を背けてしまった。まあでも、顔を背けてくれたのはこちらとしても好都合かもしれない。だって――。

  ……晴、あんな表情もするんだ。いつもは何があってもそこまで大きく表情は変わらないのに、あんなに分かりやすく喜んでるのは初めて見たかも。

  俺も今、きっと人には見せられない表情してる。だってこんなにも、晴が……可愛いって、そう思ってしまったから。

  今の俺のニヤケ具合を見たら、晴はきっと怒るから。それはそれでいつもの晴って感じなんだけど、今だけはいつもとは違う晴を噛み締めたい気分だ。

  「……心」

  「うん」

  お互いそっぽを向いたまま、ぽつりと短い言葉で会話を重ねる。騒がしいボウリング場でもちゃんと聞こえるよう、ゆっくりと。

  「アドバイス……ありがとう。お前のおかげで俺、初めて……」

  「ん、どういたしまして」

  さすがにそろそろ俺も投げなきゃ、と思い、名残惜しいけどベンチから立ち上がる。できることならもうちょっと珍しい雰囲気を味わいたかったけど、今はゲームの途中だから。

  さっきと同じように、助走をつけて力強くボールを投げる。じっとしていると溢れてしまいそうな感情をぶつけるように、強い力で。

  遠くでボールがピンを弾く音を聞きながら、今日ここに来れて良かった、なんて……心の底から、そう思った。

  *

  「あー……疲れた…………」

  一頻り上の階でボウリングやスポーツを楽しんだ後、俺達は下の階に備えられたゲームセンターに来ていた。今は逸花くんが好きだという音ゲーをしているのを眺めながら、近くの小さな椅子に腰掛けている。

  あんまり体力に自信のない晴はやっぱりこういう施設だと疲れが溜まってしまうようで、こうして少し休んでるって感じ。俺としても特に目当てはないから、晴の傍にいようとここに座っていた。

  逸花くんは、最近流行りの曲に合わせて物凄い速さで動くアイコン――どうやらノーツという名前らしい――を、いつものおっとりした様子からは考えられない俊敏さで叩いていく。凄いな、俺じゃ目で追うのがやっとなのに。

  「――フルコンボ!」

  逸花くんのプレイしている筐体が、リザルト画面へと移った。どうやら逸花くんは、今の曲をノーミスでクリアしたらしい。何が起きてるかはよく分からなかったけど、素人目に見ても難しい曲だってのは分かったから、多分凄いことなんだろう。

  「……みんな、それぞれ得意なことがあってすげえな」

  隣に座っていた晴は、どこか寂しげな声色でそう呟いた。確かに今日、俺はサッカーのストラックアウト、逸花くんは射撃を模したゲームと今の音ゲー。そして佑くんはだいたいなんでも上手かった――けど、晴は全部を平均的にこなす、って感じで、抜きん出て得意そうなものはなかったかも。

  ……俺にとってはそれも凄いことだと思うけどなあ。それに、晴のいいところはこういう施設じゃ測れないだろうし。晴は勉強だってできるし、何より……誰よりも優しいのが、晴のいいところだと俺は思う。

  だけど、晴にこれを伝えたところで多分喜びはしない。晴にとって大事なのは今、ここで何か得意なことを見つけることだろうから。

  「……晴、あれやろう!」

  俺は立ち上がって、近くにあったエアホッケーの筐体を指さす。よく分かんないけど、多分上の階の競技よりかは運動神経が重要じゃない気がするし、晴も楽しめるかも。

  「あ、いいじゃん。佑も呼んでくるよ」

  ちょうど1クレジット分の音ゲーを遊び終えたらしい逸花くんが、俺の意見に賛同して佑くんを探しに小走りで去っていく。肝心なのは、誘った相手の晴が乗り気かどうかだけど。

  「……まあ、やってみるか」

  「そう来なくちゃ!」

  そうと決まれば話は早いもんで、俺と晴、逸花くんと佑くんのペアで筐体の前に立つ。ペアでやる競技だと部屋割的にもパワーバランス的にもこれがちょうど良くて、何も言わずともだいたいこの形になっていた。

  「じゃあ、始めるよ」

  みんなの準備ができたことを確認して、100円玉を投入する。すると、筐体からはポップなBGMが流れ始め、俺達側の出口からコトン、と円盤が落ちてきた。

  「行くよー!」

  掛け声と共に、マレットというらしい器具で思い切り円盤を弾く。円盤は自分で思ったよりも凄いスピードで相手側に向かって行ったけど――。

  「えっ、嘘ッ!」

  そんなスピードを物ともせず、佑くんが弾き返してくる。ほんとにどんな競技でも得意なんだな……!

  佑くんが弾いた円盤は、俺達側のゴールに向かって一直線に進んでいく。さすがにこれはやられた、なんて思うまもなくゴール――。

  「させるかっ!」

  ――とはならなかった。俺の隣で虎視眈々と円盤の行方を追っていた晴が見事に円盤を打ち返し、円盤はその勢いのまま再び相手側に向かっていく。

  「――ゴール!」

  結局、相手チームは晴が打ち返した円盤を防ぐことができず、最初の得点はこちらのものとなった。というか、あまりの展開の速さに頭が追いついてなかったけど――。

  「晴、すごいよ! 俺じゃ今の見えなかったもん!」

  「……これなら割と、いけるかもしれねえ」

  晴は静かながらも、少しばかりの興奮と喜びの滲み出た声色でそう言う。なんとなくだけど分かる。晴は今、だいぶ燃えてる……!

  「んじゃ、次はこっちから行くぞ」

  対する相手チームも、佑くんに何かのスイッチが入ったようで。「もうさっきのようには行かせまい」とでも言いたげな様子で、マレットを構える。

  ――それからの展開は怒涛のものだった。晴と佑くんの反射神経は明らかに常人のそれより優れていて、正直俺と逸花くんが置いてけぼりになっている。てか、エアホッケーって結構バンバン点数入るもんじゃないの? お互い防御が上手すぎて全然ゴール決まってないんだけど。

  「――ゲームセット!」

  残り時間もスコアも確認する暇なくゲームが続いたせいで、筐体のアナウンスでやっと試合時間が終わったことを知る。最終的に中央部分に表示された得点は――。

  「クッソ……あと少しじゃねえか」

  恐らく、ゴール1回分。それほどの些細な違いで覆るような僅差で、俺たちのチーム――ほとんど晴VS佑くんだったけど――が負けていた。

  「あちゃー……惜しかったね」

  「……もう1回」

  「えっ」

  「もう1回やるぞ、朝来! 今度はサシで!」

  「ああ」

  ……なんか、凄いことになってるな。いつの間にやら二人だけの世界に入ってら。

  まあでも、晴が本気になれるものが見つかってよかったな、なんて思った。あそこまで熱くなってる晴なんて見たことないし。

  ……だけど、なんだろうな。ちょっと胸がザワつくような、この感じ。

  晴がもう一度筐体にお金を入れると、さっきと同じようにゲームが始まる。俺と逸花くんは二人の邪魔にならないよう、少し離れたところから試合を見守ることにした。

  「山南くん、楽しそうだね」

  「……うん。初めて見た、こんな晴」

  率直な思いだった。俺が知ってる晴はいつも不機嫌そうで、物静かで、冷静な……そういう男の子だったから。

  「佑くんも、こんなに色々できるなんて知らなかったよ」

  「昔から基本的に器用なんだ。料理、音楽、美術以外はなんでもできるみたい」

  「へえ……」

  高校に入学して、もうすぐ4ヶ月。友達のことについて色々知ってきたようで、まだまだ知らないことだらけなんだなって実感する。

  「逸花くん達はずっと前から一緒なの?」

  「うん、記憶がある頃からはずっと一緒にいた。特に佑が……ああごめん、これは僕から言うことじゃないや」

  「……? そうなんだ」

  なんだか不思議なタイミングで言葉を濁すもんだからよく分からなかったけど、まあ本当に仲良しだったんだろう。高校でもだいたい二人でいるのを見かけるし。

  会話が途切れ、俺達の間にほんの一瞬、騒々しいゲームセンターから切り離されたような沈黙が流れる。話の種を探そうと逸花くんの方をちらりと見やると、まさしく神妙な面持ちで何かを話そうとしているところだった。

  「佑、ああやってなんでも器用にこなして、顔もカッコいい方だと思うし……とっつきにくいのは認めるけどさ。モテそうな感じするでしょ?」

  「えっ!? ああ、まあ……うん、そうだね」

  話が思わぬ方向に飛躍したから、思わず変な反応をしてしまった。色恋沙汰の話とかは俺からは意図的に避けてたのもあって、尚更。

  「……でも、恋人どころか友達すらあんまりいなかったんだ。『逸花がいるからいい』なんて言って」

  「確かに、佑くん言いそう」

  そう口にする逸花くんは、顔は確かに笑っていたけど、どこか寂しげだった。でもなんとなく、逸花くんの気持ち……俺にも分かるような。

  ……俺でいいのかな。晴にとっての一番の友達が、俺で。中学時代はほとんど友達いなかったって言ってたけど、あれだけ優しくて性格も良いならもっと友達がいても……それこそ、恋人だっていてもおかしくないだろう。

  「だからさ、こうして佑が僕以外の子と仲良くしてるとちょっと安心するんだ。……同じくらい、ちょっと寂しいけどね」

  ……ああ、一緒だ。俺がさっき感じた胸のザワつきと同じものを、逸花くんも感じてるんだ。

  見たことのない晴の姿は、すごく素敵だったけど。それを見せるのが俺相手なら良かった、って……そんなワガママな気持ちを、さっきの晴を見て抱いてしまった。

  何考えてるのか分からないって、今までは思ってたけど。意外と似たところあるのかもな、俺たちって。

  「なんか、似たもの同士な気がするよね」

  「へっ」

  「佑と山南くんって」

  「あ、ああ……そっちね」

  逸花くんが「そっち?」なんて不思議そうにしてるけど、俺は適当に誤魔化す。俺の考えてたことと逸花くんの言ったことが噛み合ってるようで、微妙に噛み合ってなかったもんだからさ。

  「本当は優しいのにさ、雰囲気が近寄りがたいってだけで人付き合いが少なくて。なんか、僕はそれに甘えて独り占めしちゃってるのかな、ってさ」

  「……でも、時々熱いところもある、でしょ? ほら、見てよあれ」

  いつの間にか試合を終えた二人の周りには、小学生か中学生くらいの男の子数名が集まっていた。「スゲー」だの「カッケー」だの言われてるのがちらほら聞こえるから、多分あまりに白熱した試合に途中でギャラリーでもできてたんだろう。

  「……多分だけどさ、変わってきてるんじゃないかな。高校に入ってから、二人とも」

  「あはは……そうかもね」

  歳下の子供の相手に慣れていなさそうな晴は、俺に助けを求めるような視線を送ってくる。このまま放っておくのも面白そうだけど、後で怒られそうだ。

  「……ありがと、椙山くん」

  二人で晴と佑くんの元に向かう途中。初めて、逸花くんの心からの声を聞けたような気がした。

  *

  見慣れぬ車窓からの景色は、目まぐるしく移ろっていく。薄い藍色を塗りたくったような建物が立ち並ぶ夜の風景はどれも同じように見えたけど、不思議と見ていて退屈はしなかった。

  車窓から少し目線を落とせば、疲れ果てて眠りに落ちてしまったルームメイトの猫獣人が一人。一人分だけ席が空いてたから、一番疲れてそうだった晴に席を譲ることになった。

  「山南くん、すっかり寝付いちゃったね」

  「飯食ってる時からすでに眠そうだったしな」

  結局あの後、晴はエアホッケー勝負で一度佑くんに負けてから三度目の正直でようやく勝って、同時に体力の限界も来たみたいだったからあの施設を出ることになった。それからファミレスで夕食を済ませ、今は世朱町へと向かう電車に揺られている。

  ……そういえば、晴の寝顔見るのって久々だな。初めて会った日、入寮式の時間になっても爆睡してたから起こしたことがあったけど……それ以来見てない気がする。だいたいいつも、晴の方が朝起きるのも早いし。

  普段はキリっと吊り上がった目も、寝てるとなれば瞼がとろんと落ちていて。いつも少し棘のある言葉を紡ぐ口元は、時々もごもごと動かされていた。

  「――まもなく綾崎駅に到着いたします。お出口は左側です」

  「ん……あ」

  電車が駅に止まり、晴の隣に座っていたサラリーマンが降車していく。その弾みでほんの少し晴の意識が覚醒したみたいで、半開きの目を擦り始めた。

  俺としては、滅多に見られない晴の寝顔をもっと見ていたかったけど。寝起きでとろとろになっている晴も、それはそれで見ていて面白かった。

  「椙山くん、座れば?」

  「昨日遅くまで勉強してたって言ってたし、お前もだいぶ眠そうだぞ」

  「えっ……でも」

  確かに睡眠不足が祟って今すっごく眠いのはその通りなんだけど。立ってるのは慣れっこだし、なにより睡眠不足も俺の都合でしかないから、なんだか悪い気がする。

  「ほら、山南くんも隣は椙山くんがいいよね?」

  「ん……? ん……」

  「ね、山南くんそう言ってる」

  逸花くんが尋ねると、晴は起きてるんだか寝てるんだか分からないほどの微妙な声で返事をする。晴は訳も分からないまま返事しただけかもしれないけど……ほんの少しこくりと頷いた様子を、逸花くんは肯定だと捉えたみたいだ。

  「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……ありがとね」

  足元に置いていたリュックを抱きかかえる形で、俺は晴の左隣の座席に座る。すると、座った瞬間にどっと疲労が襲ってきたような……。同時にやってきた強い睡魔に、思わず欠伸をする。

  「ふわ……あ」

  「眠かったら寝ちゃってね。着いたら起こすから」

  「ん……あ、りが……と」

  お礼くらい顔を見て言いたかったけど、もう瞼が重くて上がりそうにないや。そのまま睡魔に身を委ね、微睡みへと落ちていく……その瞬間のことだった。

  ぽす、と、俺の右肩に何かが凭れかかる感覚がした。俺の思考はとっくに動くのをやめてしまったけど……それでも分かるこの感触は、きっと。

  「んん……」

  その正体の答え合わせをするように、俺の右肩辺りにある「それ」が、うわ言を漏らす。ああ……頭が蕩けてよく分からないけど、すごく。すごく……この感覚が、心地いい。

  ……おやすみ、晴。心の中でそう呟いたのを最後に、俺の意識は微睡みへと吸い込まれていった。

  「それじゃ、今日はありがとね。また夏休みも遊ぼ」

  「うん、またね」

  寮に着いた俺達は、お別れの言葉とともに各々解散した。といっても、すぐ隣の部屋だしあんまり別れた感じもしないけど。

  「ただいま」

  「ただいまー……って、あ」

  晴に続いて「ただいま」と言った瞬間、急に思い出した。そういえば……楽しみにしてた漫画の最新刊、今日発売だった。出かけるついでに買おうと思ってたのに、すっかり忘れちゃってた。

  疲れたからすぐ休みたいってのもあるけど、続き気になるしなあ。行くとしたら腰を落ち着ける前じゃないと、きっと外に出るのが億劫になっちゃう。

  「ごめん、ちょっとコンビニ行ってくるー!」

  「ああ、行ってら」

  脱ぎかけた靴をもう一度深く履いて、小走りでコンビニへと向かう。別にそこまで急ぐ必要はないんだけど、なんとなく、できるだけ早く家に戻りたい気分だったから。

  「いらっしゃーせー」

  目的のコンビニに入れば、アルバイトの気の抜けた挨拶を聞き流して漫画本のコーナーに向かう。えーっと、目当ての本は……と。

  「……あった!」

  無駄足にならなかったことに安堵しつつ、漫画本を棚から引き出したその時だった。どこか聞き覚えのある声が、俺の名前を呼んだ。

  「あれ、椙山じゃん。どっか行ってたん?」

  「あ、あー……。ちょっと、晴とか……友達と、遊びに」

  「晴……ああ、山南ねー」

  多分、俺が私服姿でいたからだろう。偶然出会ったクラスメイトは、いかにもお出かけ帰りだった俺の様子を見てそう聞いてきた。

  ……咄嗟のことで気が回らなかったけど、こいつの前で晴の名前を出したことを後悔する。だって……こいつら、晴と遊んでる俺を「損な性格」だなんて揶揄してくるから。

  「あいつ、あんだけ可愛い彼女いても友達と遊ぶんだなー。贅沢な奴だぜ」

  「……はっ?」

  ……今、なんて。適当に言葉を繕って、できるだけ早くこの場から離れようとしてたけど。俺の耳はしっかりと、彼の口から聞き逃し難い単語を捉えてしまった。

  「あ、本人から聞いてねーの? てっきり仲いいから知ってるもんだと」

  「……そういうのいいから、詳しく聞かせてよ」

  頭の中で何かが湧き出て、全身を支配するような感覚がした。そして俺は、その湧き出たものの正体が「苛立ち」だって、自覚している。

  なんだよそれ、晴に彼女? そんなの聞いたことない。なのになんでそれを、お前なんかが。

  「いやさ、前にめっちゃ可愛い図書委員の子の話したろ? その子にこの前連絡先聞いてみたんだけどさー、『彼氏がいるから無理』っつって」

  そんな俺の苛立ちを知ってか知らずか、目の前の男はいつもと変わらないヘラヘラとした口調で語り始める。「それと晴になんの関係が」なんて言いたいのを押し殺して、俺は黙って話の続きを待った。

  「そんでこの前その子がさ、山南と二人で喫茶店から出てくるとこたまたま見かけたんだよ。それはもう仲睦まじそーに」

  クラスメイトの男は、必要以上に大袈裟な口調で、自らが目にした光景を語った。晴が女の子と仲良さげにしてた……って。

  ……馬鹿じゃないの。そんな戯言、誰が信じるもんか。

  そう言ってやりたい気持ちでいっぱいなのに、俺は相手の発言を信じるしかなかった。

  だって……だって、俺の『言の葉』が、言っているんだ。

  目の前の男は、本心から今の戯言を語っている。そこに、一つの嘘も混じっていない。

  「……っ!」

  「あっ、ちょ、椙山ー?」

  俺は持っていた漫画本を棚に戻し、一目散にコンビニから飛び出す。これ以上、あいつの口から何も聞きたくなかった。とにかく……どうしようもなく、ただただ一人になりたかった。

  疲れ切ったはずの足で、無我夢中で走る。じんわりと蒸し暑い夏の夜の中を走って走って……気づけば、寮の裏口近くの公園まで辿り着いていた。

  辺りに誰もいないのを確認して、ベンチに腰を下ろす。走ったせいで荒くなった息を整えながら、さっき聞いた話の内容を反芻する。

  ……晴に、彼女。好きな人がいた……ってこと、なんだよな。

  別に……そんなの晴の勝手だろ。誰かを好きになったって。それを俺に……隠してたって。

  そうやって、自分に言い聞かせた。今日、逸花くんとも話して考えてただろ。晴くらい素敵な人なら恋人がいてもおかしくない、って。

  ……なのに。なのになんで、突きつけられた事実が、こんなにも――痛いんだ。

  期待……してたのかなあ。俺が心のどっかで晴のことが好きで……わずかな可能性、晴とそういう関係になれるかもって期待に、目を背けてただけ?

  それとも、一番の友達に隠し事をされてたって、それが悲しいのかな。俺のことを避けてたのも、彼女のことと関係してたり……ああもう、何もかもぐちゃぐちゃだ。自分の気持ちだってのに、全然訳が分からない。

  ……肝心な時には使い物にならないのに、こういう時に限って働くのな、俺の『言の葉』って。

  

  この力さえなければ、あんな話、デタラメだって片付けられた。それが事実かどうかなんて関係ない。あれが……嘘だって可能性に、縋りつけた。

  何が……何が人の願いを叶える力だ。こんなの、いつ俺が願ったってんだ。

  「……ッ」

  太陽がジメジメした不愉快な暑さだけを残して沈んだ、夏の夜。俺は一人公園のベンチで、初めて『言の葉』の存在を強く、強く憎んだ。

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