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こころはる 第六話

  入学式を終えて、なんやかんやあってルームメイトの心への心配も解消された少し後。曇っていた空もすっかり晴れた時節、俺はある約束のため、食堂に併設された談話室にいた。

  ついさっき、やっと大きな悩みの種が一つ無くなったばかりだというのに、俺の気分は心底重い。というのも――。

  「あんたねえ、母親が遥々遠方からやって来たのに返事も寄越さないなんて」

  「だから、それは悪かったって」

  「椙山君も、うちの子こんなんだからきっと迷惑かけちゃうけど、よろしく頼むわね」

  「いや、別に俺は……」

  「余計なお世話だっつの」

  ――さっきからずっと、この調子である。

  まだ、俺に対して小言を言ってくるだけならいい。今回の件は全面的に俺が悪いって分かってるし……。

  でも、時々心にまで母さんのお節介が飛び火しているのは、本当に勘弁してほしい。あの心でさえ返答に困って顔引き攣らせてるぞ、どんだけだよ。

  事態がこんな面倒なことになってしまった発端は、数十分前にかかってきた一本の電話だった。

  *

  「……もしもし」

  「ああ、やっと繋がった。さっきからずっと連絡してたのに。あんた忘れたの? 私入学式には参列するって言ったじゃない」

  「ごめん、なんかさっきまでバタバタしてたというか……」

  「で、今どこにいるのよ。私、保護者説明会があった談話室にいるんだけど」

  「俺は自分の部屋で……今は友達と一緒にいるけど」

  「友達!? あんたもう友達できたの!?」

  し、失敬な……。まあ、俺のことをよく知る母さんだからこその驚きなんだろうけどさ。

  「一緒に暮らすんだから、俺でも友達くらいできるって」

  「入学前はあんなに緊張してたくせに、よく言うわ」

  「う……」

  図星を突かれて、ぐうの音も出ない。確かにあっさり友達ができたのには俺だって驚いてるけど、それにしても言い方ってもんがあるだろ。

  「じゃあ、私談話室で待ってるから来て頂戴。その友達も連れてくるのよ」

  「は? ちょ、待っ――」

  とんでもない要求に言い返そうとするも、俺のスマホは無慈悲に通話終了の音を鳴らす。

  俺の母さんに心を会わせる……か。正直、めちゃくちゃ気が進まない。

  だって、この調子の母さんだ。心に何を吹き込むか分かったもんじゃない。でも、入学式後に顔合わせる約束をすっかり忘れてたって引け目もあるし……。

  「どしたの、すごい形相だけど」

  電話中は自室から俺を見ていた心が、俺に近づいてきて言う。

  「いや、なんか俺の母さんがお前に会わせろって……」

  「へっ」

  *

  ……とまあ、そんなこんなで不本意ながら心を連れて母さんの元に来たわけだが、現在進行形で嫌な予感が的中してしまっている。

  「この子ね、入学前はそれはそれは緊張してたのよ。でもよかったわ、ちゃんと友達できたみたいで」

  「へー、そうなんですか。俺も、晴くんがルームメイトでよかったって思ってますよ」

  「だから、余計なこと言わなくていいから……」

  ひたすら要らぬお節介を焼き続ける母さんと、それに対して無駄に素直に返答する心。この調子じゃ、入学初日にして心労で倒れちまいそうだ。

  「俺の話はもういいからさ。さっきこの学校について説明されたんだろ、なんかないのかよ」

  「ああ、そうだった。パンフレット見た時から思ってたけど、やっぱり不思議な学校ねえ。あんたに推薦送るくらいだからなんとなく分かってたけど」

  なんでこう、余計なこと言わないと気が済まないのか、俺の母さんは。後半の言葉は無視して、俺は話を続ける。

  「……推薦の理由については、なんか聞かされた?」

  「体質がどうこうとか言ってたわね、確か。詳しくは聞かされてないけど」

  親にまで、特異体質の詳細は伏せるのか。さっき興味本位でネットで検索してみた時も、それらしい情報がヒットしなかったから、薄々勘づいてはいたけど。どうやら本当に公には知られたくないようだ、言の葉の存在は。

  「やけにあっさりしてんな……。気になったりとか驚いたりとかは」

  「あんたに友達ができたって驚きの方が勝ってるわ」

  ちらりと心の方を見やって母さんが言うと、心が照れくさそうに笑った。もう文句を言う気にもなれず、俺はそっぽを向く。

  「お母さんはそう言いますけど、俺からすると晴くんはすげーいい奴ですよ、ほんと」

  「なっ……」

  「あら、そう? うちの子を褒められるのは悪い気しないわね」

  唐突な褒め言葉に、胸がどきりとする。褒められ慣れてねえんだよ、俺。赤くなった顔を見られないよう、更に首を曲げる俺を他所に、二人は話を続ける。

  「晴くんって中学まではどんな子だったんですか?」

  「聞きたい? いいわよ、中学生の頃はね――」

  「よくねえ、何もよくねえから!」

  横にいる心を見やると、明らかに顔がニヤついていて。どいつもこいつも俺を揶揄って、何が楽しいってんだ。

  「……最初は正直ちょっと疑ってたけど、本当に仲良さそうねあんた達」

  「へへ、そう見えます?」

  心はやけに嬉しそうに笑って言う。お前、さっきまであんなに落ち込んでたくせに。調子のいい奴め。

  「そうね……。じゃ、私は邪魔だろうしお暇するわ」

  「えっ、もう帰んの」

  驚きのあまり、頭に思い浮かんだ言葉が口をついて出ていく。だって、母さんはまだここに来てそれほど経ってないだろうし。

  「あんた達は二人で平気そうだし、ここにいてもすること無いわよ。それに、明日も仕事だし」

  「まあ……それも、そっか」

  「それじゃ椙山君。改めて、うちの子をよろしく頼むわね」

  「はい、こちらこそ」

  そう言い交わすと、母さんは部屋の出入口へと向かう。そして扉に手をかけたところで、「あ、そうだ」なんて言いながら首だけをこちらに向けて言った。

  「あんた達、入学おめでとう」

  「……言うの今かよ!」

  それだけ言い残すと、扉を開けて部屋を出て行ってしまう。どこまでもマイペースなもんだ、まったく。

  「なんか……すごい人だったね、晴のお母さん」

  ……本当に、行っちまったのか。寂しい……とはまた少し違うが、あまりに呆気なくて釈然としない。

  今別れたら、きっと暫く会うことはない。それなのに、こんな気持ちのまま別れてしまって、果たしていいのだろうか。

  「……晴?」

  「悪い、ちょっと行ってくる!」

  心にそう言い残して、俺は走って談話室から出て行く。ここから駅に向かう道は一つしかないから、きっと見つかるはずだ。

  ピロティを抜け、校門を過ぎ去る。少しずつ散り始めた桜の花弁が疎らに彩る歩道の先、確かにその後ろ姿はあった。

  「……母さん!」

  俺がいつもより少し大きな声でそう呼ぶと、相手が振り返る。

  「どうしたの、私忘れ物でもしてたかしら」

  「いや、そういう訳じゃないんだけど……」

  母さんは、相変わらず緊張感のないのんびりとした口調で言う。でも、俺がじっとその目を見つめると、その表情はほんの少し真面目な様相になって。

  「……心の奴さ、本当に、良い奴なんだ」

  卒業式の終わった後。そんなタイミングだから、周りには新入生やらその保護者やらがちらほらいて……周りに聞かれるのが気恥ずかしくて、小さな声でそう言った。

  何を話すかなんて考えていなかった。自分が何を言いたいのかすら曖昧なままだけど、俺は言葉を続ける。

  「俺なんかのことも気遣ってくれたり、仲良くしてくれて」

  ただ頭に浮かんだことを、素直に口にしていく。なんだかさっき逸花の前でもこんな気持ちで話してたな、なんてふと思ったり。

  そうやって言葉を紡ぐうちに、俺の中ですとん、と何かが胸に落ちる感覚を覚える。

  「だからさ」

  俺は、心となら仲良くやっていける。それを母さんに伝えたくなった、その理由は。

  「……だから、母さんには安心してほしいんだ」

  胸の中に落ちた何かが、釈然とせずに澱になっていた気持ちとともに消えていく。ちゃんと伝えられた、みたいだ。

  母さんはあんな性格だから、本当に何も気にしてなかったかもしれないけど……俺、ずっと気にしてたんだ。友達も作らないで、母さんが心配してないか、って。

  まして、今回は地元を離れての寮生活。仕事の合間を縫ってまで卒業式に参列しに来たのは、俺のことを心配してのことだったんじゃないか、なんて思ったから。

  「ふふ、あはは。そんなこと言いに走って来たの、あんた」

  「……俺、真面目な話したつもりなんだけど」

  母さんがあんまり笑うから、しかめっ面で抗議する。まあ、笑われることを予想してなかった訳じゃないけど。

  「わざわざ言わなくても心配なんかしないわよ。だって、あんたのあんなに楽しそうな表情見たの初めてだもん」

  「……」

  「楽しそうな表情」と言われ、急に恥ずかしさが込み上げてくる。だって、揶揄われて喜んでたようなもんじゃん、それって。

  「まあ、一つだけ言うとしたらね」

  母さんは一転して、少し険しい表情を湛える。息子の俺でさえこんな顔してるの滅多に見たことないから、無意識に身構えてしまう。

  「あんたさっき、『俺なんか』って言ってたけど、それは止しなさい。あんたのことを好いてくれる人の気持ちまで否定することになるわよ」

  「……はい」

  思っていたよりも普通に叱られて、多少なりとも気分が下がる。だけど、母さんの言うことが尤もだってことくらい俺にも分かって。

  ……ちゃんと、なれるかな。性格も良くて友達も多い心だけど、その隣で胸を張ってあいつの友達だって思えるような、そんな自分に。

  「ま、これだけ言えたらもう言うことないわ。それじゃ今度こそ、またね」

  「……ん。それじゃ、また」

  そう言うと母さんは背を向けて、駅の方へ向かう。あっさりと別れを告げるのは、さっきと変わらないみたいだ。

  春の日差しは暖かく、風は吹く度に桜の花弁を散らしていく。じっとしているだけで汗が滲むけど、不思議とそう悪い心地はしなかった。

  母さんは改札を通り、こちらに一瞥もくれないままホームへと向かっていく。

  絶えず人の行き交う駅前の一本道。俺は母さんを乗せた電車を見送るまで、じっとその場に立ち尽くしていた。

  *

  「ただいま」

  「ん、おかえりー」

  母さんの乗った電車を見送った後、俺は自分の部屋へと戻った。心は俺が母さんと話している間に部屋に帰っていたようで、今はリビングでソファに座りながらテレビを眺めている。

  洗面所で手を洗ってリビングに足を踏み入れると、ソファの真ん中に陣取っていた心が身体をずらす。備え付けのソファは、二人で座るのに十分すぎるほどの幅があった。

  「ありがと」と心に礼を言いながら、俺はあいつの隣に腰掛ける。

  「さっきはごめんな。俺の母さん、結構無茶言うからさ」

  「いやー、全然。最初はびっくりしたけど、俺も楽しかったよ」

  「……終盤、お前まで悪ノリしただろ」

  「あはは、ごめんごめん。晴の反応が面白くって」

  そう言われ、反論したいとは思うのだが……。満更でもなかったのは否めないし、それが表情に出てたのを母さんに指摘されたばかりだから、どうにも言い返せない。

  暫くの間会話が止み、俺達はスマホやらテレビやらをぼうっと眺める。

  テレビにはニュース番組が流れており、今は全国各地の入学式の様子が映し出されている。その中で、新入生の保護者へのインタビューが行われているようだった。

  テレビの中の女性は、我が子の入学を満面の笑みで喜んでいて。こういう反応するのが普通なのかな。なんだか俺には他人事のように思えてしまう。

  「……お前の親は、今日来なかったのか」

  家庭の事情は人それぞれだから、聞くかどうか迷ったけど。今日は心の親が来ていた様子がなかったから、つい気になって聞いてしまった。

  「あー、今日はどうしても仕事が忙しいみたい。こっからあんま遠くないんだけどね」

  心の表情は、依然明るいまま。触れても問題ない話題だったようで、安心する。

  「俺の母さんって料理を仕事にしてるからさ、めっちゃご飯美味いんだ。晴にも食べてほしいなー」

  ――ぐう。母の料理について熱弁する心の腹から、間の抜けた音が聞こえる。

  「あ……へへ」

  「……夕飯にはまだ早いんだから、我慢しろよ」

  心は不服そうな顔で「うー」などと呻きながら、更に深くソファに身体を預ける。そんな顔をされたところで、俺にはどうすることもできないしな。

  心の家族……か。「友達」なんて聞こえのいい言葉で飾ってしまったが、俺は心についてまだ知らないことばかりだ。どんな家庭で育ったとか、何をして生きてきたとか。

  そして、それは心にとっても同じことで。俺の昔の話とか、胸を張って話せるようなもんじゃないけど……いつか、話す時が来るのかな。

  入寮二日目にして、入学式を終えた日の、夕暮れ時。初めて心と二人で過ごせるゆったりとした時間に身を任せながら、俺はそんなことを考えていた。

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