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こころはる 第四話

  「”けしき”は漢字で気色、意味は……人の様子や表情、か」

  ホームルームを終えて昼食をとった後、心とともに部屋に戻った俺は、ネットで古文について調べていた。目的は無論、俺の”言の葉”の意味を理解するため。

  ――言の葉はいたく空の曇れるを見て その嘆きにて歌はれるもの 人のけしきもしかと違はじ 希へばやがて雲も晴れなむ

  夢の中で何者かに告げられた俺の”言の葉”。先生が言うには、人の内なる願いを古文の詩で表したものらしい。古文と聞いたときは取っつきにくさを感じたが、改めてこの詩を見てみると、意外と。

  「なんとなくだけど……意味、分かるような」

  実際、この詩で使われている言葉について調べてみると、大方俺の予想していた意味と一致していた。それに、なんでだろうか。古文の詩を読んでると、妙な懐かしさがある気がする。特に心当たりはないけれど。

  当然、俺の”言の葉”の中には全く知らない言葉もいくつかあった……が、”希ふ”は「強く願う」という意味で、最後の”なむ”は強い推量を意味していると、調べてすぐに分かるものだった。

  つまり、俺の”言の葉”が叶える願いってのは。

  「空や人の表情の曇りを察して、それを晴らす……こと」

  それが俺の内なる願い、か。思い悩んでいる人を見れば手助けしたくなるような……そんな想い。

  俺がそんな風に願うことなんて、そんなに多かっただろうか。逡巡して思い当たったのは、やけに暗い雰囲気を纏っている今日のルームメイト。

  俺はまだ、あいつのことをよく知らない。だけど、今日のあいつの様子はどうにも本調子には見えなかった。その原因を解消する手立てが俺にあるなら、あいつを助けてやりたいって気持ちも、確かにあって。

  だが、これだけが俺の”言の葉”の由来なのだろうか。内なる願いっていうのなら、もっと他にもあるんじゃないか。俺が、誰かを助けたいと思った記憶。

  「……あ」

  思い返せば、確かにあった。なるべく思い出さないようにしていたけれど、確と俺の脳に刻まれた記憶。

  俺の中学生活が上手くいかなかった何よりの原因となった、ちょっとした諍い。その契機となった出来事を、俺は思い出した。

  *

  中一の秋頃のこと。中学生活にも慣れ切って、ある程度人間関係が構築されてきたような、そんな時期だった。

  周りの同級生達の例に漏れず、俺にも何人か顔見知りがいた。放課後に遊んだりとかはしなかったから、友達と呼べるのかは微妙なところだけど。

  「じゃあな山南ー、また明日」

  「ん、じゃあな」

  帰りのホームルームの後、部活へ向かう同級生に別れの挨拶をして、ひとり下校の準備をする。部活に入っていなかった俺は、授業が終われば一人で下校するのが習慣になっていた。

  その日もすぐに下校するつもりだったのだが、ふとあることを思い出す。

  「……やべ」

  今日が締め切りの数学の課題、まだ提出してなかった。今日は数学の授業が無かったから出しそびれたけど、帰る前に提出しねえと。

  正直、放課後にどこにいるかも分からない先生を探すのは面倒だったが、締め切りが今日である以上は探しに行くしかない。俺は教室に荷物を置いたまま、ひとまず先生を探しに行くことにした。

  ……結局、先生が見つかったのは校舎中をほとんど一周した辺りのことだった。先生はバスケ部の顧問をしていたようで、体育館の周辺でようやく見つけることができた次第だ。

  「さっさと荷物取って帰らねーと」

  遠くに聞こえる吹奏楽の音以外は物音ひとつ聞こえない廊下で、そう独り言つ。早く家に帰っても特段やることなどないのだが、学校なんて望んで長居するようなところではない。それに、家で一人でいる時間は気楽で落ち着くし。

  そうこうしているうちに、教室に辿り着いた。中から物音なんかも聞こえないし、きっと皆もう帰るなり部活に行くなりで教室を出て行ったのだろう。

  そう思って扉を開いたのだが、実際に目に入った光景は想像といくらか異なっていた。

  「あ……」

  こちらを見るなり小さく声を上げたのは、同じクラスの女子。ピンと立った大きな耳が目を引く眼鏡をかけた犬獣人で、いかにも大人しそうな印象を受ける。実際、彼女――[[rb:丸山澪 > まるやまみお]]はクラスでもあまり目立たない存在で、俺との関わりもほとんどなかった。

  そんな彼女が、教室でひとり掃き掃除をしていた。随分と小柄な体格に似つかない大きな箒を携え、たった一人で。

  この学校では、放課後に五、六名から成る班が週替わりで掃除を担当することになっていた。机を全部移動してから掃き掃除や雑巾がけをしなきゃいけないもんだから、教室の掃除はなかなかの重労働のはずだ。

  それを、華奢な女子が一人で行っていた。見たところ、俺が先生を探している間にそれなりの時間が経っていたのにも関わらず、掃除は半分も終わっていないようで。

  「班の他の奴ら、どうしたんだ」

  「……」

  目の前の彼女は、ぐいと俯いて押し黙る。どう見ても、自ら進んで掃除を引き受けた、って様子ではない。ならば、この状況に至った原因として、最もあり得そうなのは。

  「……押し付けられた、のか」

  「……!」

  彼女は、俯いたまま耳を大きく震わせる。どうやら図星のようだ。

  ……いったい、誰がこんな真似を。相手が気の弱そうな女子だから、面倒な掃除を押し付けたってか。あまりに卑劣な行為に腹が立ち、俺は掃除の班の振り分けを示す張り紙へと向かった。

  張り紙は黒板の横のホワイトボードに張り付けられてある。「丸山澪」の名前がある班のメンバーを見て、俺はため息を吐いた。

  「あのサッカー部の連中か……」

  うちのクラスにおける、いわゆる「カースト上位」の連中。普段から喧しくてあまり良い印象は無かったが、こんなことまでしているとは。

  どうしたものかと考えていると、唐突に背後から声を掛けられる。

  「ま、待って!」

  振り返ると、さっきは俯いていた顔をこちらに向ける彼女の姿があった。張り上げられた声はそれでも弱々しく、無理して出した声だというのが伝わってくる。

  「私が引き受けたから、そ、その掃除……」

  「……そんな顔で言っても、説得力ないだろ」

  「……」

  事実、彼女の表情は不安に満ちていて。本当に嘘を吐く気があるのか疑ってしまうくらい顔に出てるもんだから、少し可笑しくなってしまった。嘘なんか、今まで吐いたことないんだろうな。

  「……とりあえず俺が手伝うから。箒、貸して」

  「あ……う、うん」

  「やーっと終わった……」

  数十分ほどで掃除を終え、俺は背筋を伸ばす。俺も男とはいえ体力も筋力も人並み以下だから、二人きりでの掃除は想像以上の重労働だった。

  「あ、ありがとね……山南、くん」

  「ん。特に用事もねえし、俺は全然構わねえから」

  用事がなくて暇だったのも、掃除を手伝うこと自体は嫌じゃなかったのも、どちらも事実だ。あんな状況で自分だけ帰ったら、それこそ良心の呵責ってやつで後味が悪い。

  そんなことよりも、俺が言いたいのは。

  「……で、なんであいつらは掃除してねえんだ」

  「そ、それは……」

  彼女――丸山は、またもや露骨に表情を暗くして俯く。あいつらとは、言うまでもなく今日の掃除を担当しているはずのサッカー部連中。あいつらが掃除をサボりやがったせいで、俺まで厄介な仕事をする羽目になっちまった。

  「お前が言わねえなら、俺があいつらに直接問いただすけど」

  「待って……それは、だめ」

  「なら、今ここで教えろよ。何があったのか」

  彼女は心底不服そうな顔をしながらも、ぽつぽつとしゃべり始めた。時々か細くなりながらも存外はっきりとした声で、ゆっくりと。

  彼女の話は、概ねこのようなものだった。最初はあいつらも真面目に掃除をしていたが、部活が本格的に始まるにつれて少しずつサボり癖が出始めて。最近では部活のある日はほとんど掃除もせず、すべて丸山に押し付けて部活に行ってしまうようだった。

  話を聞き終える頃には、俺の苛立ちはピークに達していた。もともと良く思っていなかった連中が陰でこんなことをして、それなのにクラスの人気者みたいな地位を得ているのが、無性に気に食わない。

  「やっぱり俺、あいつらに直接文句言ってくる」

  「……っ! 駄目だよ、それは……。山南くんまで、目の敵にされちゃう」

  彼女の言うことも、正しいと思う。だけど、今の状況を放っておくなんて、俺には。

  「……このままで、いいのかよ」

  「……」

  「お前だって、掃除なんかせずにやりたいこと、他にあるんじゃないのか」

  「う……」

  また、大きな耳がピクリと動く。彼女が隠しごとのできない性格だというのを、改めて思い知る。

  「本当にお前が望まないなら、何もしない。……けど、それでいいのか」

  下手に事が大きくなってしまえば、状況が悪化することもあり得るだろう。でも、彼女の反応を見る限り、俺のするべき行動はほぼ決まっているようなもので。

  「……い、やだ…………」

  彼女の中に溜まっていたであろう感情が、形を得て溢れ出す。それを目にしないように目は背けたが、震える声が何よりも、彼女が今泣いていることを物語っていた。

  「じゃ、俺行ってくるから。……お前は、落ち着いてから帰ればいい」

  そう言って、俺は自分の荷物を持って教室の扉に手をかける。彼女のことを放っておけないのは、俺の良心が許さないってのもあるけど。

  「ありがと、ね……山南くん」

  教室でひとり掃除をする彼女の表情の陰りがどうにも痛ましく、俺の脳裏から離れなかったんだ。

  *

  「はあ……」

  過去の自分の記憶を辿って、俺は自室で深くため息を吐く。手元の机の天板に窓からの陽射しが差し込んでは、それが雲に遮られてを繰り返してチカチカ輝いているのが、どうにも喧しい。

  思い返せば、昔の自分は今と随分違った性格をしているような気がする。今の俺からは想像もできない過去の自分の行動に、若干の気恥ずかしさを覚える。

  結局、教室から出た後の俺は、彼女に言った言葉通りにサッカー部が活動しているグラウンドに向かった。損得勘定で考えるなら賢い行動とは言えなかったと思うが、それでも当時の俺はやけに腹が立っていて。

  グラウンドに着いた後のことは……正直思い出したくもない記憶だから、曖昧にしか覚えてないけど。

  確か、脇のベンチに彼女と同じ班の奴がいたからそいつに話しかけて。文句を言ううちに口論になって、いつの間にかちょっとした騒ぎになったせいでサッカー部の顧問が来ちまったんだ。

  俺としては大事にするつもりはなかったんだが、サボりがバレたからには連中はこっぴどく叱られたらしい。結果的に先生にチクったみたいになったのが、俺には気に食わなかった。

  それからというものの、俺はクラスの中で孤立するようになって。普段は目立たないくせに急にイキりだしたチクり魔、みたいな印象が広まってしまったから、当然っちゃ当然だけど。

  ……これだけでも十分嫌な記憶なのだが、俺にとっての”最も遠ざけておきたい記憶”は、それからしばらく経ってからの出来事だった。

  ――なに、お前好きなの、丸山のこと。

  サッカー部連中との口論の中で言われた言葉を思い出し、今更ながら苛立ちが募る。これを言われてから口論がいっそ激しくなったのを、今でも覚えている。

  なんなんだよ。好きじゃなきゃ、人を助けちゃだめだってのかよ。

  俺が、彼女に声をかけたから。俺が、彼女を助けたから。俺が、彼女と仲良くしてしまったから。

  俺が、俺が、俺が――。

  *

  「へー、じゃあ山南くんが普段読んでる本ってエッセイとかが多いんだ」

  「そうだな。まあ、家にあったからって理由で読んでるのが殆どだけど」

  学年は同じく中一、時期は三月のこと。俺は終業式を終えて教室へ向かう道のりにいた。横で喋っているのは件の小柄な犬獣人の女子、丸山。

  例の騒動から数か月。すっかりクラスで腫物扱いされてしまっていた俺にとっては、学校で話す相手といえば同じく交友関係に乏しい丸山くらいだった。

  「私、昔っから童話とかが好きでさ。舞台なんかも観に行ったりして」

  「なんか、いかにも文学少女って感じだな」

  「あはは、私もそう思う」

  言葉を交わす回数は決して多いとは言えなかったが、彼女との会話は心地よかった。お互い口数が多い方じゃないのもあって会話はスローペースだったけど、俺にとってはその方が落ち着くし。

  会話を重ねるうちに、彼女について知れたことも多くあった。小さい頃から引っ込み思案で友達付き合いが少なかったこと、中学に入学するタイミングでこの辺に引っ越してきたこと、暇さえあればずっと本を読んでいること。

  あまり好ましい経緯で築かれた関係とは言えないが、お互い良い”友達”だったと思う。少なくとも、俺にとっては。

  「もう、明日から春休みだね」

  そう言った彼女の表情はどこか物憂げで、レンズ越しの瞳は遠くを見つめていた。すっかり寒さの過ぎ去った三月の陽気に冬服は少し暑かったようで、彼女の首筋にはうっすらと汗が滲んでいる。

  「あ、そうだ。休みが始まる前に誘おうと思ってたんだ」

  突然俺の方に向き直って、彼女は言う。

  「この後図書室、一緒に行こ」

  終業式後のホームルームを終えて、俺達は学校の別棟にある図書室へ来ていた。殆どの人が早く春休みを迎えようと帰宅してしまったのもあり、図書室はいつも以上にしんと静まり返っている。

  丸山は何やら俺に読んでほしい本があるようで、俺を誘ってここに来たらしい。

  「あった、これこれ」

  「……? なんだ、この本」

  「昔の人が書いた日記……の全訳。山南くん、エッセイとか読むならきっと好きかなって」

  「ああ、なるほど……でもなんで」

  「正直言うと、殆どが私の趣味の押し付け。春休みの間なら貸出期間も長いし、ちょうどいいでしょ」

  そう言って、何冊かの本を俺に手渡す。悪びれもせず”押し付け”という彼女の表情はいっそ清々しく、文句を言う気にもなれない。実際、春休みの暇をいかに潰すか考え中だったし、俺にとっても好都合だった。

  「じゃあ、お前も何か借りていくのか」

  「ううん……私はいいの。ほら、それ借りてきちゃいなよ」

  「あ、ああ……」

  心なしか強引に急かされたような気がして、内心戸惑う。なんか、図書室に来てから彼女の様子がおかしいような。

  訝りながらも、貸出手続きを済ませる。出入口の扉に向かえば、いつもと変わらない表情の彼女がそこで待っていて。

  「……帰ろっか」

  いつもと、変わらない表情。だけど、その顔は廊下の窓からの逆光の翳でどこか仄暗いような気がした。

  図書室を出て、別館の出口へと向かう。やや長い廊下をまっすぐ進めば、昇降口が見えてくる。

  その間、会話らしい会話はない。隣を歩く丸山の様子が……なんか変だ。端的に言えば、めちゃくちゃな緊張感を漂わせている。隣にいるだけでひりつくような、どう考えても普通じゃない感じ。

  気のせいだと思いたいが、やはり気になってしまう。かける言葉を探しながら、下駄箱へと歩み寄って自分の靴を取ろうとすると、突然袖を掴まれて――。

  「――山南くん」

  今まで、服越しでも俺に触れてくることのなかった彼女が、強く俺の袖を掴む。でも、それよりも気を引かれるのは、聞いたこともないほど堂々とした、俺を呼ぶ彼女の声。

  「私、山南くんに言わなきゃいけないこと、あって」

  ゆっくりと彼女の方へ向き直れば、彼女の大きな瞳が俺の目をまっすぐと射貫く。俺の袖を掴んでいた手を胸へ当てて、震える声で、でも、はっきりと言葉を紡ぐ。

  戸惑いと緊張が駆け巡る脳でも、彼女が言わんとしていることくらい、なんとなく分かる。でも、それを受け入れるだけの覚悟が、俺には。

  今すぐここから離れたい衝動と、彼女の放つ緊張感の重圧とで雁字搦めになった俺は、ただ春の空気に汗を垂らすばかりで。

  「私……私、山南くんのことが――」

  ――好き。俺の耳は、想像と違わない、でも、受け止めるには重すぎる言葉を、確と聞き入れた。

  俺の目に映る景色も、風の音も、肌に触れる心地よい暖気も、全てが他人事のようで。ただ、彼女の言葉だけが俺の中で”自分に向けられたもの”として噛みしめられる。

  「……ごめんね、困らせちゃうよね。こんなつもりじゃ、なかった……のに」

  言葉を紡ごうにも一向に脳が機能しない俺をよそに、彼女が先ほどとは打って変わって弱気な声色で言う。何か言わなければと思っても、全ての言葉が喉元でつっかえる。

  彼女の告白が、嬉しくないわけじゃない。寧ろ、俺だって彼女のことが好きだ。でも、でも――。

  ――俺にとっての「好き」は、残酷なまでに彼女の「好き」とは異質なもので。

  「……ごめん」

  「……っ!」

  思わず喉元から零れ落ちてしまった言葉を内省して、ハッとする。駄目だ、この状況において最悪の言葉だろ、これ。

  「待……っ!」

  俺の言葉を聞くや否や、丸山は靴を履いて駆け出してしまう。追いかければいいものを、俺の脚は自分のものじゃないみたいに言うことを聞かず、ただ立ち竦むことしかできなくて。

  まだ春だというのに、視界が陽炎のごとく揺らめく。そんな不安定な視界が最後に捉えた彼女の表情には、教室でひとり掃除をしている時よりも深い翳が落ちていた。

  *

  ……結局、俺が彼女を目にしたのはその日が最後だった。春休みが明けた始業式の日、掲示されたクラスの名簿に彼女の名前はなかった。春休みの内に、家庭の事情で引っ越したらしい。

  俺が、彼女に声をかけたせいで。俺が、彼女を助けたせいで。俺が、彼女と仲良くしてしまったせいで。俺も丸山も、余計に傷ついてしまったようなものだ。

  そして俺は、また人を助けたいと願ってしまっている。何か抱え込んでいる様子のルームメイトのことを、俺にできるのなら、助けてやりたい。そう、強く想ってしまった。

  ……でも、また俺が余計なことをしたせいで、俺が、心が傷つく羽目になったら。まだ得体の知れない”言の葉”を使って、何が起こるかも分からないというのに。

  いくら考えても、思考が纏まる気がしなかった。晴れ間と曇りを繰り返していた空模様も、いつの間にかどんよりとした雲に覆われたままになっている。

  ――大事に、してあげてね。

  ふと、入学式の後に言われた逸花の言葉を思い出す。心のことは、大事に思っている……はず。だから尚更、どう動けばいいのか分からなくて。

  ……逸花に聞けば、何か分かるだろうか。言の葉のこととか……今の俺がするべきこととか。少なくとも、言の葉に関しては何か知っているような口ぶりだったし。

  躊躇いつつも、徐にメッセージアプリを起動する。画面を操作して表示させるのは、以前連絡先を交換した相手――依道逸花のトーク画面。

  出会ったばかりの相手に相談を持ち掛けるのに、少なからず後ろめたさはある。でも、一人で考えるよりは、あいつを頼った方がよっぽど良い気がして。

  ――少し、話したいことがある。

  無機質な挨拶だけが交わされたトーク画面に、新たな文言が加わる。ため息を吐きつつ、俺は携帯を机に放った。これでひとまず、後戻りはできなくなったわけだ。

  ……俺としては話す内容を練るためにも気長に待つつもりだったのだが、携帯が逸花からの返信を告げるのは、存外それから間もなくのことであった。

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