手のひらのぬくもり【関西けもケット9:UMENION】

  ★

  ざり、ざり、ざり。

  音の中心は、椅子に座る小柄な狸。その狸が手に持った紙やすりと、木製の小物が擦れ、音を鳴らしている。

  ざり、ざり、ざり。

  八畳程度の空間にはアジアンテイストな装飾がされており、四方の壁に置かれた棚には動物モチーフの雑貨達がところ狭しと並べられている。ピアス、ネックレス、指輪などのアクセサリーや、大中小のサイズの置物、椅子や皿、フォークやスプーンと言った日常遣いできる雑貨など、そのすべては狸が丹精を込めて創作した自慢の作品たち。

  ここはとある観光地脇の市街地にある古い雑貨屋。名は店主である狸の苗字から取り、『ワタヌキ雑貨店』。

  天井中央に備え付けられたライトが、店の中央に置かれた、狸が作った中でも特に自信作といえる雑貨達が並べられたテーブルを温かく照らしていた。

  一息ついて、狸は手に持ったやすりを脇へと置き、磨いていた小さな熊の置物を、少しずつ角度を変えながら、作業のあらがないかどうかを確認していく。

  四十を過ぎてから急速に悪くなってきた視力を補うためにかけ始めた眼鏡のピントを合わせながら、一部の漏れもないように、丁寧に、丁寧に。

  「ふぅ……」

  やがて確認が終わったのか、完成した熊の置物を満足げにことり、とテーブルに置いて、うーんと両腕を伸ばして身体を解す狸。

  長時間同じ姿勢をとっていたのか、或いは歳のせいで凝り固まりやすいのかぽきぽきと身体が音を鳴らす。

  ふと狸は自身の手元の時計を見ると時刻は十七時を指している。

  少し早いが、今日はお客も少ない。早めに店を閉めようか。最近は疲れやすくて困る。

  肩に手を当て、ぽき、ぽきと解しながら、狸はそんなことを思案する。

  ふぅ、と再度一息ついて店仕舞いの支度をしに狸が席を立つと同時に、カラン、と乾いた鈴が音を鳴らし、ギィと古びた木製の扉が遠慮がちに開いた。

  ほんのりと黒色を滲ませた橙色の光と、扉を開けた主の影がそっと店内に差し込んでくる。

  「すいません。まだ大丈夫ですか?」

  影の主である大柄な虎が扉の隙間から、ぬっと顔を中へと覗かせ、こちらの様子を伺う。

  その遠慮がちな茶色の瞳と目があった瞬間、ピン、と、狸の中の琴線が刺激された気がした。

  『あれが、欲しい』

  テレビで流れるコマーシャルで見かけたおもちゃを目の前にした子供のように、過去に食い入るように見ていたドラマの続編が発表されたときのように、強い、強い欲求が狸を貫く。無意識に狸の目がわずかに見開き、極上の肉を目の前にしたときのようにごくりと小さく喉が鳴る。

  こういったことは初めてではなかった。両手では少し指が足りない程度に、狸はこの欲求に覚えがある。そしてそれが一体どういったメカニズムにより発露する現象なのか、今なお狸は正確に把握できていない。

  『一目惚れ』

  狸のその欲求をそう評したのは、狸の恩師とでも呼べる存在であり、狸にこの店を任せてくれた逞しい雄牛。

  しかしこの身を焦がすような欲求は、そんな綺麗な言葉でまとめられるものではないことを、狸は知っている。

  「ええ、まだやっていますよ」

  それでも狸は、自分の衝動に可能な限り迅速に、かつ素直に対応するように心がけている。

  欲求が強ければ強いほど、一度逃してしまえば『後悔』という形で重く、深く心の奥底に沈殿することを、これまでの経験から狸は身をもって知っていた。

  今日は早めに店を閉める、という選択肢など泡のように狸の中から消失していた。

  閉店時間など、狸一人でいくらでも融通が利くのが個人経営の雑貨屋の利点である。

  不満そうな表情など見せず、もちろん内で全身を刺すように暴れる自身の『欲求』などおくびにも出さず、普段どおりに通りに狸は来客を歓迎した。

  「いらっしゃい。ゆっくりご覧になってください」

  ホッとしたように店に入る熊。その後ろできぃ、と閉じていく扉は、先ほどよりももう少し強く自身の存在を主張していた。

  「よかった。電車が遅れちゃって、もうやってなかったらどうしようかと」

  「事故、ですかね。最近はこの時間になると電車が遅れることが多いようで」

  「物騒ですね」

  「えぇ、春ですしね」

  「桜の木の下には……って奴ですか。って流石に不謹慎か」

  はは、と愛想笑いを浮かべ象牙色のハンチング帽を載せた頭を掻きつつ、店内の物色を始める虎。その姿からは肉食獣人特有の荒々しさは微塵も感じさせず、かけられた丸眼鏡や本人のしぐさもあり、温厚さを感じさせる。

  飾り気のないシンプルな柄のポロシャツから延ばされた太い丸太のようで、狸の胴ほどもありそうである。商品を手に取る大きな手は、しかし爪の先までよく手入れがされており、物腰も合わさって丁寧な人物であることを想起させた。

  歳は狸と変わらぬ四十ほどであろうか。しかし種族の違いもあり、その体格には小さな童と親以上の差がある。

  旅行中、或いは少し遠出をしている最中なのであろう。虎の背には大き目の、というか狸と同程度のサイズのリュックサックが窮屈そうに背負われていた。

  どうやらおしゃべり好きな性格のようで、初対面の狸にも一切物怖じせずに、冗談を交えて応じてくる。

  狸とて他人との会話は嫌いではない。特に気に入った者に対しては、積極的にコミュニケーションをとる傾向が強い。

  虎と軽く雑談に興じながら、店の外に出て、扉に掛けられた木製のプレートを『Open』から『Close』へと裏返す。

  「旅行中ですか?」

  「ええ。ようやく仕事がひと段落して、少し休みが取れたもので。趣味なんです、旅行」

  「なるほど。どおりで立派な体格をされていると思いました」

  「いやぁ、お恥ずかしい。最近は運動不足で、このざまですよ」

  はは、と笑いながらさする腹は少々ぽよん、と波打ってはいるものの、その下に確かな重厚さを感じさせる。

  「今回はどなたかお連れ様とご一緒ですか?」

  「はは、それも楽しいんでしょうけどね。一人でいろんなところをふらふらするのが好きなんです」

  「なるほど」

  「今日はこの辺りをふらふらして適当な宿で泊まったら、明日はまた別のところへ行ってみるつもりです」

  「本当に旅行がお好きなんですね」

  「もう恋人みたいなもんです。なんてついつい言ってしまってよくカミさんに怒られてしまうんですけど……っと、こんな愚痴みたな話、あまりするもんじゃないですね」

  「いえいえ、旅の人のお話を聞くのも楽しいものです」

  「こちらこそ。……素敵なお店ですね。この辺り、すべて手作りなんですか?」

  壁の一角に飾られた多種多様な動物の置物を眺め、まるで少年のように目を輝かせる虎。

  「ええ。多少他所から取り寄せたモノもありますが、基本はすべて私個人の作品です」

  「へぇ、そりゃすごい」

  ひとつひとつ、品を丁寧に取り上げてそのたびに感嘆する虎を見ながら、狸は虎をじっくりと分析する。自分の胸をざわつかせる欲求。それが一体何なのか。

  ひとつは虎の純粋さであろう、と狸は考ええる。狸は自身の作品たちに対し、ある種の『愛情』ともいえる感情を抱いている。狸にとって注いで作り上げた作品たちは『子』同然であり、それを見て喜んでくれる人はそれだけで高い好感を抱く。虎はその点、混じりけのない純粋な瞳で、一部の他意もなく狸の作品を楽しんでいるのがよくわかる。虎の持つその純粋な瞳に、狸は強く惹かれていた。

  もうひとつは、『素材』としての優秀さ、とでもいうべきであろうか。

  改めて、虎の後ろ姿をじっと見つめる狸。太い手足、堂々とした手足。小柄な狸を四つ縦に並べたとしても尚届かないであろう立派な体躯は、強い『生命』を思わせた。

  多少粗雑に扱われたとしても、びくともしないであろうその強靭な肉体は、狸にとって垂涎モノであった。

  ──あぁ、これを使えば、どれだけ良質な作品が出来上がるだろう。

  そう思わずにはいられない。自身の中で膨れ上がり、今にも自身を食い破り外へと飛び出してきそうな欲求を抑えながら、狸は悩む虎へと声をかける。

  「これ、どうぞ」

  「あぁ、わざわざありがとうございます」

  そういって虎が狸から手渡されたのは、麦茶が入った小さな紙コップ。

  単に狸の気遣いと受け取った虎は、外の熱さで喉が渇いていたこともあって、一息にグイと飲み干した。

  その横で顔をにやりと歪めた狸の姿には、少しも気づくことなく……。

  「うーん……」

  「何か、お悩みですか?」

  「あぁ、ごめんなさい。うるさくしてしまって」

  虎からコップを回収しながら、いえ、と返す狸。

  「いやね。せっかくならお土産に何か一つどうかな、と思ったんですが、……いやこれがなかなか難しくて」

  「旅先のお土産で何を買うのか、決めるのは難しいですよね」

  「えぇ、行く先々で買いすぎちゃうもんだから、部屋も結構なモノで溢れてしまっていて……」

  虎は一期一会の出会い、と言うものを何よりも重んじている。

  その体現か、或いは単に旅先での買い物が好きなのか、虎は旅行先では必ずそこでしか買えないものをひとつは買う、と言う自分なりのルールを持っていた。

  とはいえ、趣味が旅行であれば、それだけモノも増えていく。

  何を買うべきか、買ったものをどうやって部屋に飾るか。

  そうやって悩みながら土産を選ぶのが、虎の旅行での一つの楽しみであった。

  特にこの店はすべてが狸の手作りである。文字通りすべてが世界に一つしか存在しない唯一のオリジナル。例えば横に並べられた二匹の同じ熊の木彫りでも、虎の目は製作者の手癖、や作成した日の狸の気分の違いによる差異を個性として映し出していた。

  「妻からも『また役に立たないモノを買ってきて!』なんてよく怒られてしまって」

  「ではもう少し大きい雑貨も見てみますか?」

  「え?」

  「一階には小物が中心に置かれていますが、地下にもう少し大きい商品も置いているんです。椅子や机などですね。こういった小物は場所を取ってしまいますが、日常的に利用できるモノならもう少し購入はしやすいかと」

  「なるほど。あー、でも……」

  一瞬心惹かれた虎だが、すぐに現実へと引き戻される。大きいということは、持ち運びがしづらいということ。仮に自宅へと郵送が可能であったとして、そこまで高価な買い物をする心の準備はできていない。

  そんな虎の様子を見て、狸は苦笑する。

  「もちろん、見ていただくだけでも結構ですよ。ここだけの話、これだけ喜んでいただけたお客さんも久しぶりですので。もう少し他の商品も見ていただきたい、というだけなのです」

  「そういうことなら……えっと、じゃあお願いします」

  未知の経験に対する好奇心と恐怖心。数秒考えた後、虎の心は好奇の側へと振れた。

  「では、こちらへどうぞ」

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  ★

  「少々急な階段になっておりますので、くれぐれもお気を付けください」

  「わ、かりまし……おっと!……ふう……」

  最低限の明かりのみで照らされているやや薄暗い、武骨な地下へ続く階段。

  狸に続くように一段、また一段と降りていく虎だが、その空間は虎にとって窮屈なものだった。

  元がめったに客を入れない空間である。基本的に狸が通ることができればよいため、大柄の獣人である虎が通るには、やや身体をすぼめながら降りる必要があった。

  無理な姿勢のために途中、虎の足がつるりと滑りかける。壁に手をつき何とか転ばずに済んだものの、虎の心臓がバクバクと緊張で音を鳴らす。

  何せ虎と狸の体格差である。もし自分が転び落ちるようなことがあれば、自分の前を歩く狸が無事では済まないだろう。一層ゆっくり、慎重に虎は一段ずつ降りていく。

  とはいえ階段もそう長いわけではなく、十段程度を降りたところで下の階へとたどり着いた。

  部屋へ続く鉄製の扉から、うっすらと光が漏れている。

  「窮屈な思いをさせてしまい申し訳ございません。この先が、件のもう一つの部屋になります。では、ごゆるりと……」

  ガチャリと扉を開け、部屋へ入る狸と虎。そこに広がっていたのは地上よりもモノが狭く、やや広く感じる、暖色の空間。

  「わ、ぁ……」

  狸に続いて部屋に足を踏み入れた虎は、部屋の様子にただただ声を漏らす。

  部屋を照らす暖色の明かり。

  くるくると回り、地面に影を作る天井に取けられたシーリングファン。

  床には象が描かれた手織りのペルシャ絨毯。

  絨毯の上にはソファやテレビ、足の短い机、棚などがそれぞれ配置されている。

  壁には振り子時計が取り付けられ、ゆったりとしたリズムでカチ、コチと時を刻んでいる。

  それはまるでモデルハウス、或いは高級なマンションのワンルームのようで。

  雑貨屋の地下スペースには、そんな居室のような空間が広がっていた。

  「なんかもう、どれが手作りかすらわからないんですが……」

  「はは、ありがとうございます。基本はすべて私の手作りですよ。さすがに電化製品は作れないですが、それ以外は」

  「このソファとかも……?」

  「ええ。時間はかかりましたが」

  「へぇ、個人で作れるものなんですね。すごいなぁ……」

  「とはいえ個人で作っているものですので、やはり耐久性や細かい部分については他所のお店さんのほうが良いですがね」

  ふに、とソファに触れてみる虎。その感触は自身が普段利用しているモノと変わらないどころか、より強い弾力や柔らかさを感じる。このソファを作るのに、いや、作るに至る技量を見につけるまでに一体どれほどの時間を費やしてきたのか、想いを馳せる虎は、ただただ尊敬の念を狸に抱く。

  「もし欲しいモノがあれば、なんでも言ってください」

  「はい、ありがとうございます」

  返事をしつつ、ひと通り実物を見て改めて価格の高さや実際の配送方法などの現実を思い出し、購入意欲の方は萎んできている熊。

  とはいえ、せっかくの狸の好意により特別に与えて貰った機会。一つ一つ、存分に見て回りたいという気持ちは強かった。

  飾られている家具たちの中でも特に高級そうに見える机に手を置く虎。

  「……ん?」

  すると、なにやら机から反応があったような奇妙な感覚にとらわれる。

  更に、途端周囲から見られているような感覚を感じる熊。

  会議でプレゼンテーションを行う時の、あの周囲からの注目を一身に受けているような感覚に、周囲をきょろきょろと見渡す。

  (今、誰かから見られていたような……?)

  しかしもちろん周囲には狸以外には誰も居ない。ただ狸がかしこまっているだけだった。

  「どうかされましたか?」

  「あっ、いえ、なんでもないんです。なんだか生き生きして見えるなぁ、なんて……」

  挙動不審なように見えてしまったかもしれない。そう焦り、取り繕う虎は、わずかに身じろぎ、動揺した狸の様子には気づかなかった。

  (まあ、気のせいだよな……)

  改めて見回しても、虎と狸以外には誰も居ない空間である。モノも少なく、誰かが隠れていそうにもとても思えない。霊の類などともこれまで無縁であり、たとえいたとしても霊感など特に持ち合わせていない虎は、これまで奇妙な感覚に対し、何かの気のせいと結論をつける。

  「そう見えるよう、材料には特にこだわって作っているんです。……その机は、特に」

  「へ、ぇ……」

  その表情はどこかうつろで、ぼぅっと何かを思い返しているかのように見える。つぅ、と虎の横で机を撫でている手つきは机をなでているというより、生き物を撫でているかのようで、一言で言ってしまえば扇情的だと虎には見える。

  「こ、こだわりの材料って何を使っているんですか?何か特別な木とか?」

  これまではとはどこか異質な様子の狸に、虎は少し身じろぎながらも何かの気のせいだろうと無理やり明るいトーンで狸に問いかける。

  「お客様は家具を買う時、何かこだわりはありますか?」

  しかし狸はそれに答えない。にこりと微笑みながら、反対に虎に尋ねる狸に、虎は少々面食らった。

  「えっと……こだわり、ですか?あんまりないかなぁ……家の近くの雑貨屋で、いいなと思った家具を買うってくらいで……こだわりっていうほどでは……」

  「それも立派なこだわりです。私もそうです。私の場合は買う方ではなく作る方ですが、『良い』と思ったら、お金でも、時間でも、いくらでも使ってしまうんですよ……おっと」

  「え?」

  何かに気づいたように、虎の腹のあたりにぴとり、と触れる狸。

  突然のことに虎はぴくりと反応をするが、狸はそれ以上は何もせず、すぐに虎から離れた。

  「失礼、少し糸くずがついてしまっておりましたので」

  「あ、あぁ……ありがとう、ございます」

  お礼を言いながら、虎は妙な感覚に気が付く。

  狸に触れられていた部分がなんだか熱くうずいているような。

  狸にもっと触れられたいと、そう叫んでいるような。

  まるで布団の中での前戯での触れ合いの時のような、興奮ともいえるような、不思議な感覚。

  (やっぱり、何か……何かが変な気がする……)

  誰かに見られているような感覚。

  どこか様子の違う狸。

  何かがいつもと違う自分の身体と意識。

  先ほどよりもかすかに虎の本能が感じていた違和感が、『ここにいたら危険だ』という警鐘という形に昇華する。。

  「えっと……あの、ありがとうございました。俺、そろそろ……」

  帰ります。今日はありがとうございました。

  そう言ってこの店から出る。一刻も早く。

  そのはずだった。

  しかし途中で言葉は切れ、虎の太い足がカク、と崩れる。「あ、れ……?」

  ぼんやりと頭が重たく、今にでも眠ってしまいそうになるほど瞼が重たくなる。

  「なんで、おれ……」。

  「あぁ、ようやくですか」

  その『答え』は、虎の目の前でニィ……と表情を歪めていた。

  「身体が大きい方はやはり効きが悪いですね。もう少し量を増やしてもよかったのかもしれません」

  効きが悪い。

  その言葉で、虎は思い出す。一階で店を回っているとき、狸が差し出したお茶。

  虎が何の疑問のなく受け取り、飲み干したそれに、何かを入れられたのだと。

  「な、んで……」

  グラグラと、虎の目が揺らぐ。

  焦点は合わず、狸のことをにらみつけようとしてもとろんとした目つきになってしまう。

  狸の姿すらとらえることはできず、もはや狸がどんな顔をしているのかすらわからない。

  「あぁ、でもそうすると味がおかしくなってしまいますか。何度やっても難しいものです」

  先ほどまでの物腰の穏やかな声とは程遠い、無機質な声。

  ぞくり、と、虎の背筋を冷たいものが走った。

  「そういえばこの机の材料はなんなのか、でしたね」

  ぽん、と虎の頭を狸が撫でる。

  「あ……」

  それだけで、その瞬間、虎の中のすべての感情は消えていった。

  明らかに異常な狸の様子も。

  これから自分が何をされるのかという不安もすべて。

  「『獣人』を使ってるんです。あなたたちのような屈強な獣人を、この部屋のすべての雑貨にはね」

  机を撫でながら、狸が言っている恐ろしいことも全て今の虎には聞こえない。

  虎の中にあるのは、『もっとこの狸に触れられていたい』という純粋な欲求、そしてその役を享受している机への嫉妬だけ。

  「おやすみなさい」

  ゆっくりと、虎の身体が絨毯へと崩れ落ちる。

  薄れていく意識の中で、目の端にぼんやりと捉えた机が、虎には何故か熊のように見えた。

  「次に起きたときには、きっと今までと違う自分に成れていますよ」

  とろとろと、虎の口から垂れた涎が絨毯を濡らす。

  それは虎に残された、最後の『自分』のようなものだったのかもしれない。

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  サンプルは以上となります。