羅馬の浪漫
ギアクロン(GeaCron)で、都市としての「ローマ」の歴史を見てみた。
以下、十年送りを基本として進行する。
前743.1.1、都市ローマが地圖に現る。
ロムルスによつて前753年に建設されたとされてゐる。
彼は、軍神マルスの子だと言ふ。また、トロイアの武将の血を引く、半身的存在でもある。
狼に育てられた双子、ロムルスとレムスとして、セットで語られる事が多い。
しかしローマ建設の諍いで、弟殺しが発生したてふ。
最初はエトルリア人(Etruscans)に囲まれてゐるので、独立した存在かは怪しい。
傳説上の七人の王は、最初の四人はラテン人とサビニ人、あとの三人はエトルリア人だ。
前393.1.1、地図に動きがあつた。少しローマが大きくなつた。
この頃は、「共和政ローマ」の時代である。
前333、前303、前283と、領域を順次拡大してゐる。
前273には、半島をほぼ覆つた。
前223迄には、カルタゴから三つの島を奪ふ。
侵攻をかけられるも、前193にほぼ勝利。
前183、前173は、北のアルプス山麓まで影響を広げてゐる。
前143、カルタゴ領を得る。完全勝利だ。
後123年までに、ナバテア(Nabatea)やThraceを飲み込んだ。
ナイル流域のメロエ迄をも併合するには至らなかつた。(後にSennarとなり、1823年までに「オスマン帝国」に組み込まれた。)
433年、西ローマ帝国になつた。
483年、オドアケル(Odoacer)になつた。
493年には、Othtrogoths(東ゴート王國)に。
ここいらで大ローマは終はりを告げた。
553年、東ローマ帝国が西の首都を取る。
然し573年には、半島にSpoleto、Benevento、Lombardsなどが割拠す。
753年に、ローマはLombardsに取られた。
763年、教皇の私物になつた。
キリスト教世界の首都ではあるが、もはや我々には関係あるまい。
1873年までに、イタリアに統一された。
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ウィキペディア「ローマ」(都市)の歴史
パラティーノの丘。
他にもエスクイリーノの丘やクイリナーレの丘。
カンピドリオとユピテル神殿。
ガリア人の進出と、城壁。
領土拡大と共に、首都としてますます榮える。丘の下にまで家屋が広がる。
皇帝アウグストゥスの時代(前27〜後14)には、100万人が居住する世界最大の都市となった。
古代シナを超えたか。
前漢の末期だし、色々衰退したのかも知れない。
286年以降、政治的重要性が大きく低下。
5世紀には西ゴート人やヴァンダル人の掠奪を受けて衰微。
6世紀中頃、度重なる戦争で荒廃し、ローマ維持には努めたものの、重要視はしなかった。
15世紀半ば以降、ローマ教皇領の首都として栄え、ローマはルネサンス文化の中心地となった。
1943.7.19〜8.13に、連合國によつてローマが空爆された。
1970年代初期までは、ファッションの中心地であつた。
主要記事として、[[jumpuri:英語版のウィキペディア > https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Rome]]もご参照の事。