書くことなんて何も無いと思つてゐたけど、案外思ひ付くものだ。
妄想の中で、アロハダンスとボクササイズをやつてゐた。自律神経による頭痛や、冷え・のぼせの對策である。實際に體を動かさないと効果は無いので注意が必要だ。私は体を動かすと頭が痛くなるので、妄想にとどめておく。
前者の師範代を獲得し、クレタ島のハワイ文化村で、フラを披露しやうと思ふ。
その後は、ニュージーランドとイースター島、タスマニア島とオーストラリアにも呼ばれてゐるのだ。
妄想はさておき。
「心がちやんとハートの形をしてゐる人間」と言つたのは三島由紀夫である。
そのハートを鍛えるのが人文学であり、四書五経であり、アニメである。
斯様な現代的な「修身斉家治国平天下」を示したのは、カリフ道家元のハサン中田考先生である。
神道勢から言はせてみれば、四書五経はシナの儒教だしなあ、と対抗してみたくもなる。いけないナショナリズムかも知れない。世界に花咲きしシナ文明であるから、極東の島国根性を見せずに、良く学びよく食べよく遊びよく眠るがよきかも知れない。
神道思想史は、6世紀半ばの仏教公伝によつて初めて他者を認識し、自我を得たところに始まるかも知れない。方形の斎場は「ヤシロ」と呼ばれる樣になり、これは屋代の意で、常住ではない臨時のものと扱はれるにあいなつた。皇室ゆかりの神籬(ヒモロギ)から順に「ミヤ」(御屋)が準備される樣になつた。これらは寺院建築の影響である。また伊勢の大宮は、弥生時代の高床倉庫が原型とされる。故に神道の起源は「弥生時代」であるてふのが、通説である。
伊勢の倉には「倉魂神(うかのみたまのかみ)」が祀られる。これは伏見の稲荷大社よりも早い例であるといふ。ウカは食事を意味する「ウケ」と同源の語で、ウカノミタマ、すなはち穀霊であるとされる。古事記にも「クラタナノカミ」的な名前の神が出てくる。これはイザナキ大御神から、天照大御神に送られた首飾りである。高床の穀倉内の高い棚に、大切なものや神様を祀ったのが最初といはれる。
平安期は国家祭祀の時代であつた。また仏教も国家管理がなされ、「鎮護国家」の仏教となつた。
鎌倉から室町にかけて、国家祭祀が廃れた。神敵兼倶等が跳梁跋扈した。
戦国期以降、尼僧が織田信長に頼んで、外宮の遷宮が復興した。その後豊臣、徳川家の援助を受ける事ができた。
明治期は御詔詞師(おんのりとし、御師)が廃止になり、混乱があつた。林崎文化や豊宮崎文化、皇学所やなんやがあり、敗戦の折「神道指令」で廃止になつた。それに対抗すべく設立されたのが「神社本廳」であり、本宗を神宮とする由縁である。
全然思想史じやなくなつた。神宮史・本宗史やん。
佛家神道の天部〜神身離脱〜本地垂迹や、外宮神道の神本仏迹〜根葉果實論、吉田神道をぼかしたら、こんな事になつてしまつた。
江戸前期には吉田神道または吉川神道と、伊勢神道を習つた男が、儒家神道の垂加派を築く。
江戸後期には、仏教公伝以前の原始神道の復古を唱えるものが現れ、平田以降はオカルトやスピリチュアルなスメルもしてくる。ホツマとかおもしろさう。
復古神道からいへば、神道は天孫降臨によつて地上に傳はつたのである。そこに至るまでの神話には、謎の「天地初発」と別天神の示現、神世七代と國産み、神産み、黄泉國訪問と日向の橘の小戸の檍原の禊祓による天照大御神の御聖誕と出雲からの国譲りがある。
天孫降臨の後は海幸山幸が有名であらう。
そして神武天皇の御東征があり、大和に御即位されたわけである。
その後、難波宮や平城遷都、平安遷都、建武中興と南朝正閏、明治奠都と百年振りの御退位などがあり、現在に至るわけである。
神道にとつての修身とは何だらう。
儒家神道ならば、四書五経なのだらうか?
否、第一は古事記読み、神話読みであらう。
これの仏教説話的な解釈や、儒教的な忠孝道徳による読み替えなどが鬼門なのである。南北朝の髪長が書いた『神道集』を見よ。第二代天皇は人喰いだと、出鱈目を書いてゐる。(※)
だからイスラームも習合して、神道的解釈するとか、やつちやだめなんじやない? 己の欲せざるところ、人に施すなかれ、だつけ? 知らんけど。
結局はアニメを見てゐれば、万々歳で円満解決な気がする。引いては平天下への道なり、つてね。
世界征服! そしてカリフ制再興!
※
何だらう。原理主義じやない宗教はないらし。
だからキリスト教からしたら、「大嘗祭(新嘗祭)は悪魔崇拝だ〜」とかなるわけで、まあバカの壁の向かう側の人たちはさうだらうとなるわけである。
クリスチャンから面と向かつて「悪魔崇拝なんですよね?」つて言つたら「違ひます、バーカ」と否定し、バカ認定し、ブロックすれば済む話だ。
神道家は口が裂けても言つちやならねえんだらうな。バランサーとかバランシングとか中立とか客観性とか多元主義とか、それらから最も遠いものが宗教である。バカの壁の向かう側の人物に媚びて、神や自身を損なふ必要は、本来無い筈なのである。
心がハートの形つて何だらう。
三島由紀夫は宗教者では無かつたのだらうか。
文学者にして武士、武士の倫理の対象は「家族」。
或いは子々孫々護る爲の行動とか。
妻を娶り、子供を二人産んでゐる彼は立派だ。
第二次ベビーブームの合計特殊出生率のグラフを、どう見たら良いのだらう。2を超えてゐたのに、下がつて、下がつて。社会がクソだからだらうか。これは、ウェルベックの『服従』とも繋がる観点である。大学全入とか近代欧米風の国家において、子供を産むメリットが下がつてゐる。二次性徴が来たら成人、結婚すべし。それが自然法である。女子は十二歳、男子は十五歳が成年である。十八歳ではまだ遅く、インスタグラムにのつてゐた、妊娠女子高生等は希望の星である。人定法に逆し、自然法に遵ふ。