狼が都市へと向かって早数日。虎男、フリッドはどうしていたのか、というと。
「フリッドちゃん。ご飯、できましたよ」
「おう……じゃない、はい!」
見知らぬ老婆と[[rb:同棲 > どうせい]]していた。
(なんでぇ……? 俺、どうしてこんなことに……?)
人生とはいつだって予測がつかないもの。傘を持たずに外出したら雨が降ってきた。そんな日なんてのも、まあよくあることだろう。むしろ彼の今までを[[rb:鑑 > かんが]]みれば、これくらい大差ないものだ。なんせこれよりも数段上の、波乱万丈な人生を[[rb:辿 > たど]]ってきたのだから。
「どうしたの、そんなキョトンとしちゃって」
「あ、いやその、えーと」
「育ち盛りなのだから、遠慮せずたーんと召し上がってくださいな。お食事、腕によりをかけてますから。ね?」
「は、はい! ありがとう、ゴザイマス!」
どもりながらも元気よく答えるフリッドに、件の老婆──レッサーパンダの女性は、目元に刻まれたしわをより深め、[[rb:朗 > ほが]]らかな笑みを浮かべた。
波乱万丈、などと述べたはいいが。普段の散々な扱いからかけ離れすぎた[[rb:厚遇 > こうぐう]]に、彼も動揺せざる負えない。
どうして? なぜ? フリッドの脳みそは疑問符でいっぱいだ。ぱんぱんで何の処理も受け付けそうにない。
ひとまず。ひとまず、落ち着こう。いつもより使い物にならない頭をいったん放棄し、フリッドは差し出された食事に手を伸ばすのだった。
:::
彼女が何者なのか。どうしてフリッドと共にいるのか。それらを説明する前に、いったん彼のこれまでを振り返ろう。
フリッドは不死者である。もとはとある施設にて監禁され、実験体として扱いを受けていた。数奇な運命により施設を脱することができた彼に待ち受けていたのは、荒廃[[rb:荒廃 > こうはい]]した大地。
この世界において、獣人は特別な能力を持ち合わせた存在ではない。彼だけが、異端な存在だ。彼がそう扱われる事実に直面するのに、そう時間はかからなかった。
いくら死にたくても、彼の心臓は止まることを知らない。体がいかにボロボロになろうとも、一回死んでしまえばたちどころに再生してしまう。
知らず知らずのうちに疎まれる立場となっていたフリッド。はじめこそ群衆に紛れて暮らしていたが、次第に孤立し、一人生を呪いながら当てのない放浪を続けることになった。
そんな当てもない道中、フリッドは狼に危ないところを助けられる。感謝と[[rb:侮蔑 > ぶべつ]]される恐怖で距離感を測りかねていた彼だったが、拠点を移動する際に狼と行動を共にすることを決意。新たな拠点へと移動するさなか、近辺にいるとされるクリーチャーと[[rb:遭遇 > そうぐう]]。命からがら二人はこれを撃退、フリッドは重傷を負う。
狼は[[rb:苦渋 > くじゅう]]の末、フリッドを撃ち殺した。彼が不死者であることを知っていて、あえて撃ち殺すことを選択した。そうして肉体が再生したフリッド。クリーチャーに遭遇したことを忘れ、新たな拠点にて目覚めるのだった。
二人の間に、わだかまりを生みながら。
今フリッドがいるのは、ビル街から離れた居住区。レンガ造りのアパートメントが立ち並ぶ一角が、彼らの新たな拠点だ。
今まで野宿だったり[[rb:廃 > はい]]ビルだったり、ろくなところで生活していなかった彼にとって、生活スペースがあるというのはそれだけで革命的だ。遠い昔にはこういった住居で暮らしていたのかもしれないが、生憎とそんな記憶、フリッドには残っていない。
「うわぁ~、寝るとこ固くない! え、すごい! コレ夢か何か?」
ゴロゴロとカーペットの上を転がり、フリッドは新たな拠点の住み心地を[[rb:堪能 > たんのう]]する。ベットはあるのだが、彼はそれを寝具だとは認識していない。彼にとっての寝床は文字通り床なのだ。悲しい育ちのサガが垣間見える。
「え~たっのし! 今までなーんもいいことなかったけど、これは俺史上三番目……いや、五本指かな~。それくらいいいコト、だ!」
「……五個もいいことあったっけ」ふと疑問に思ったフリッドは首をかしげた。試しに数えてみようと、指折りながら今までのいいコトを思い出そうとする。
白くて狭い施設から外に出れた。これはいいコト。
外に連れ出してくれた恩人に出会えた。これもいいコト。
狼に助けられた。……多分、いいことだ。
そしていま。
「あれ……? 四つ、しかない……?」
そんなことはない。己の人生、確かにひどいことの連続ではあったが、こんなに彩りのないものでもなかったはずだ。たとえどんなに生きるのが嫌だと嘆くのが日課だったとしても、楽しいことだってちゃんとあったはず、なのだ。
使い物にならない頭をコンコンと小突き、必死になって頭脳を働かせる。
いやいや、思い出せ。ちゃんとあるはずだ。俺の、俺だけの楽しい記憶──
『そんなつまんなそうに見てるから、だぞ? 俺を見てみろ、人生楽しいことでいっぱいだ!』
(……あ)
そういえば、とフリッドは思い出す。
初めて外に連れ出され、拒絶され、散々な目にあって。それでも引っ張って、連れ添って、放浪を共にした、あの獣人のことを。
『さっ、ぶつくさ言ってないで背を伸ばせ! 縮こまってたら面白いコト見逃しかねないぞ、フリッド』
「……そうだな。そうだった」
首から下げていたドッグタグがキラリと光った。
[[rb:俯 > うつむ]]いていたら見えなくて、進まなければ楽しめない。そうやっていつも奮い立たせてくれたじゃないか、あのヒトは。
数がなんだというのか。一生のうちで一番大切だと思える出来事があった。それだけで、[[rb:慰 > なぐさ]]みにはなってくれるじゃないか。
「よーし、今日も一日、頑張るぞい! アイツがいなくてもちゃんとできるってとこ、しらしめてやるからなー!」
ぐっと握りこぶしを天に掲げ、意気揚々とフリッドが立ち上がる。
新しい拠点、寝泊まりするだけなら十分だが、生活するには何かと不便だ。前に狼が言っていたバリケードは造られていないし、周囲の安全確保もいまだ手つかず。かつ、彼曰く『ここは水の確保が難しい』らしいので、それもどうにかしないといけない。
この時点で問題は山積み、休む暇は一切なさそうだ。
まずは材料集めから。なにをするにしろ、拠点として体制を整えるためには決起しなくてはいけない。
心機一転、この新居をより良いものにすべく、フリッドはその一歩を踏み出した。
……かに思えたが。
「……まずは、腹ごしらえからかな」
タイミングよく鳴るフリッドの腹。彼はこういうとき、締まらない虎なのである。
*
「お、みっけ」
フリッドが自身のバックパックから取り出したのは、一本のエナジーバー。包装を乱雑に破り、それを高々に掲げると、声高に宣言する。
「俺のエナジー、フル、チャーーージ!!」
ここで説明するまでもないが、エナジーバーは携帯食料である。特別なパワーを補充するために使用するアイテムでは決してない。かといって変身アイテムでもない。
ただ、本人はこの存在を初めて知ったとき、『え、コレ一本で誰でも超人になれちゃうの!?』と思ったそうな。そんな技術、このセカイには存在しないし、もしも開発などされていたら世紀の大発明だ。食糧問題がこれひとつで解決してしまう。
そんな夢もない話など全く気にせず、フリッドはそのままパクリとエナジーバーを頬張る。一度はやってみたいとひそかに誓っていた野望、達成の瞬間だった。
「……うん、まあさ。そんな喜んで食べるほどおいしくねーや。やっぱ」
もともと腹が鳴るのが嫌だから食べているだけに、対して美味しくないとなれば眉もひそめたくなるものである。
それもそのはず、今フリッドが頬張っているのは本来非常食用に作られているものだ。まだ食として耐えられる味であるほうが有事の際において効果を[[rb:発揮 > はっき]]する──要は美味しかったら残らないので、わざとまずく作ってあるのだ。ある意味では生き残るための知恵なのだが、現状フリッドにとってはたまったものではない。
とはいえ、だ。たとえエナジーが[[rb:漲 > みなぎ]]らなくても、一度口にしたならば完食するのが義理というもの。選り好みできる環境ではない、いくら不味くても胃に入ってしまえばなんだって同じことだ。せめてもの抵抗として、ぶつくさ文句を言いながら食べるしかない。
「そういやアイツ、飯くったかな。よく平気な顔してコレ食ってるけど、味覚死んでんじゃねーか?」
件のアイツこと狼は現在、もっといいものを食しているのだが、そんなこと彼には知る由もない。
「……なんか、やらかしたのかな、俺」
モソモソとエナジーバーに[[rb:齧 > かじ]]り付きながら、フリッドは[[rb:呟 > つぶや]]く。
思い起こされるのは、狼のこと。拠点を新たにしてからというもの、彼の様子がどこかおかしい。すれ違っているような、空回りしているような、そんな気分にさせられる。
劇的に何かが変わったわけでもなく、でも明らかに違う態度。初めから仲の良い関係ではなかった。何なら不干渉を互いに貫いていた。そんな間柄だから問題が起こった、というなら仕方のないコトなのだろう。……けれど、不快感はぬぐえない。
嫌われてしまった、とは違う。『ついてきたいなら勝手にしろ』と暗にほのめかしてきた彼のこと、好悪で避けられているのではないのだろう。そう、フリッドは信じていたかった。
(じゃあ、なんで……?)
考えても仕方ない。そう割り切ってしまおう。頭の悪さなどあきれるほど知っているのだから。
けれど。ここでポイと捨て去ってしまっていいのか。自分で理解できないからと、諦めていいのだろうか。心のどこかでそうしちゃいけないと、そう訴えられている。そんな気が、フリッドはしている。
「……ごち。早く作業はじめねぇと」
考えのまとまらないまま、軽い食事を終え、フリッドは改めて腰を上げる。すると、
──バンッ、と扉を蹴破るような、そんな音。急な出来事に、フリッドは床から軽く飛び上がる。「ひょあい!」という謎の悲鳴付きで。
続けて、なだれ込むようにアライグマの老人が入ってくる。彼も中に人がいるとは思っていなかったようで、フリッドを視認するや否や「誰だ!!」と、騒ぎ立てた。
「へ、あ、うん?」
突然の訪問者、それも知らないヒトに出くわした、ということにフリッドはついていけなかった。
いやお前こそ誰だよ! そう問い返せればよかったのだが、生憎とフリッドは人付き内の経験が浅い。さらに都合が悪いことに、相手は話が通じなさそうな老人だ。[[rb:流暢 > りゅうちょう]]に、円滑に対話などできるはずがない。しどろもどろと、コミュ障がごとく口を[[rb:濁 > にご]]すことしかできない。
「なんだ、口も[[rb:碌 > ろく]]に聞けないのか」
「んな! こと、」
「ならなんとか言ってみたらどうだ、そら」
答えに詰まるフリッドに、老人が勇ましく詰め寄っていく。所々毛並みが荒く、どこか殺気立っている。追い詰められた小動物が、決死の覚悟で相手に一矢報いろうとしている──そんな気風すら、感じられる。一歩も引かない高圧的な態度に、フリッドも思わずたじろいだ。
「あなた、少し落ち着いてくださいな」
そして、それを遮るように割って入るもう一人。同じアライグマの姿をした老婆だ。理性的で穏やかな、芯のあるその声が、高圧的な彼を止めた。
「勝手に押し入ったのは、他ならぬ私たちじゃありませんか。この方に迷惑をかける道理などどこにあるというのです」
「そんな[[rb:悠長 > ゆうちょう]]悠長に言ってていられるか! 追われていたんだぞ、私たちは!」
「だからと言って、あてこするような真似をする必要がありますか。野盗じゃないんですよ、私たちは」
「あ、あの」
言葉に詰まるフリッドをよそに、彼らの言い合いは熱を帯び始める。二人にはもう、虎の存在が認識できていないようだ。まるで最初からそこにいなかったかのように。
まるで嵐だ。互いに一歩も引かず、主張を押し付けあっている。他者の[[rb:喧嘩 > けんか]]など間近で経験したことのないフリッドには、間に入って仲裁などできはしない。ただただポカンと、流されるように両者を見比べる。
いったい、このヒト達は何しに来たんだ……? そんな疑問すら、はさめずに。
:::
「つまり。貴様はあの都市の獣人ではない、と」
「は、はい……」
しわがれた、いまだ高圧的な態度を崩さない老人の発言に、フリッドはどもりながらも答える。
押しかけてきた彼らが口論を続け約数十分。最後は互いに、これ以上は時間の無駄だという結果に至ったようだった。
ずっと居座られたフリッドにとってはたまったものではない。ずっと肝を冷やしながら立ち尽くすなど、新手の拷問ではないだろうか。早く過ぎ去ってくれ──そう祈る程度には、二人の言い争いは苦痛だった。
「急にお邪魔してしまってごめんなさいね」
「あ、いえ」
「ほら、貴方も謝って」
「……フン!」
「あなた!」
喧嘩は犬も食わない、とはよく言ったもの。下火となった争いの火種が、再びチロチロと
燃え上がりそうなのを目の当たりにし、フリッドはその肝を冷やす。
嵐のようにやってきた一組の男女。同じくらいの背丈、毛並みが少し悪いアライグマの獣人たち。気性の粗さはその生まれが故だろうか。種族からくる個体差などフリッドには関心がないが、口を開けば争いあう、その神経はやめてほしい。
と、いうか。なぜ開口一番が言い争いなのか。
「本当に御免なさいね、ウチのヒトが」
老婆が申し訳なさそうに謝る。優しくされることに不慣れなフリッドは、多少たじろぎながらも「あ、いえ……」と消え去りそうになりながら首を振る。彼女は、まだ彼に比べ良識的らしい。
「ここは貴方の御宅かしら」
「や、そうじゃないです」
「あらそう?」
「なら謝る必要なぞないだろ。何を下手に出ている」
「……あのヒトのことは気になさらないでくださいね。いつもああですから」
「は、ぁ……?」
いまだ不機嫌そうな彼をよそに、彼女は根掘り葉掘りフリッドのことを聞いてくる。貴方の[[rb:御宅 > おたく]]はどこか、一人で暮らしているのか、外での生活は苦労していないか等々。
狼が誓約書を書かせてまで干渉させたくない気持ちが、フリッドはほんの少しだけわかった、気がした。なんせ、己の身分を立てるものがフリッドには一切ない。こうして質問攻めにあうと、何一つまともに答えられないのだ。面倒ごとの嫌いな彼のこと、こうなることも見越して誓わせたのだろう。
「あらあら……こんなに若いのにまあ、大変そうねえ」
「あー、はい。ソウデスネ」
ほんわかと、まるで他人事のように彼女は述べる。同情されても困るのに──フリッドは胸の奥で狼に感謝しつつ、アライグマの彼女に苦笑いを浮かべた。
「気が済んだか。全く、お前というやつはいつも話が長い」
「あら、愛想の悪いヒトに言われたくありませんわ? 大体貴方というヒトはですねえ」
「わー! わー! ごめんなさいもうおなか一杯ですもう許してぇ!!!」
また言い争いが起こる。そんな予感がしたフリッドは、すかさず二人の間に入り静止を[[rb:促 > うなが]]す。もうあんな不毛で心苦しい時間を過ごすのは御免だ。たとえ邪魔だと思われようと、最悪こちらに飛び火しようと、全力で止めなければ。
そんなフリッドの必死の訴えは、どうにか二人に届いたようで。老人は露骨に顔をゆがめると、鼻をフンと鳴らし不満そうに留まった。
一体どういう関係なのだろうか、この二人は。言い争いが絶えないくせに、なぜ一緒に行動しているのだろう。
……と、いうか。まだ居座るのか、このヒト達は。
「しかし……そうか。アイツらと関わりがない、と来たか。ふむ……」
「あなた?」
「よし決めた。おいボケ面!」
「ぼ、ボケェ?! いやいや、何ボケ面って」
「私たちを匿え」
「はいいぃぃぃ!!??」
匿え。かくまえ、ときた。
重ね重ねの暴挙に、フリッドも[[rb:堪忍袋 > かんにんぶくろ]]の緒が切れそうになる。誰がそんなこと聞き届けるものか。自分より何年も長生きしているだろうに、頼み方というものがまるでなっていない。恥ずかしいとは思わないのだろうか。そんな態度で言い聞かせられると思ったら大間違い、さっさとその小柄な身を丸めて去っていけ。
何を頼まれているのか、実のところフリッドにはピンと来ていない。もう少し小難しい言葉選びでなかったならば、反応も変わっていた。かもしれない。
それが一緒に生活することだと、この時点では予想だにもしていない。
「ハッ、返事だけは威勢のいい。それじゃあ適当にくつろがせてもらうぞ」
「え、ナンデ?! ナンデイスワルンディスカ!!」
「ちょっと貴方ってば!! ……本当に御免なさい。度重なる無礼を許してくださいね。……貴方、お待ちなさいな!」
そういって二人は遠慮なく部屋に侵入していった。フリッドの意見などお構いなしに。
そんなこんなで、冒頭へとつながるのである。
:::
(なんかさぁ、成り行きで居着いちゃってるけど……うーん)
その後、出て行けなどフリッドが言えるはずもなく。老夫婦は拠点に[[rb:屯 > たむろ]]っていた。
これからどうするべきだろうか。狼に、事の次第が知られてしまったらどうすればいい。いつ戻ってくるのかわからない彼の帰省が、今のフリッドにはまるで時限爆弾のようだった。
「お口に合わないかしら。もしそうなら我慢せずにおっしゃいなさいな、フリッドちゃん」
「え゛。あちょ、違うんです! ほら俺、一人でいたわけじゃないから、その」
「お連れの狼さん、だったかしら。そうね、帰ってこられたら挨拶いたしませんと」
「いやそれがマズいっていうか」
「そうねぇ……あのヒト、きっとまた無礼を働くでしょうし」
そうではない。そうでは、ないのだ。
困ったように眉を[[rb:顰 > しか]]めるアライグマの老女──名前をサルビアというらしい──に、『貴女も迷惑がられるんですよ』と説明したい。けれど、フリッドにはそれができない。
きっとそれは、このヒトを傷つけてしまう。それは、できる限り避けたい。
「そういえば、おじさんはどこいったんだ……ですか? ご飯、ずーっと食べてなさそうだけれ……ですけど」
「ふふ、そう畏まらないで?」
「あ、ハイ」
彼女の返答に、ガチガチになりながら返事を返すフリッド。さながら油を指していない機械みたいだ。
と、いうのも。彼、女性と会話するのも、優しくされるというのも大分久しぶりのことである。ヒトに疎まれて以来、こうして穏やかに会話するというのが全くなかった。だからか、いつもの数倍、勝手というものが分からないでいる。
「あのヒトのことはいいのよ。昔から、そうだったから」
「むかし、から」
「そう。昔から」
そう語る彼女の瞳に、[[rb:哀愁 > あいしゅう]]のようなものが揺らぐ。
昔から、というのはいつ位からなのだろう。そんな相手がいるというのはどういう気持ちなのだろうか。そんな相手が一生現れないだろうと思っているフリッドにとって、彼女の存在はどこか[[rb:羨 > うらや]]ましく、そしてどこか胸の奥が痛んだ。
「長年一緒にいるとね、互いの嫌なことばっか見えてくるものなの」
「はあ」
「でも、諦めちゃうの。一緒にいることが、私たちの幸せなんだって」
諦めているとサルビアは言う。でも、そんな彼女はやはり、寂しそうで。幸せだと、自分に言い聞かせているようにすら、感じられた。
だからだろうか。つい、フリッドはいってしまう。
「だったら、やめちゃえばいいじゃないですか」
「……え?」
「あるヒトがいってたんです。苦しいとか、悲しいとかって、それって自分の悲鳴なんだって。それを聞いてあげられるのは自分だけなんだって」
「いいヒトなのね。フリッドちゃんにとって」
「あ、アハハ……。まあ、はい」
いいヒト、だった。胸のドッグタグを何となく一撫でし、フリッドは苦笑いを浮かべた。
正直なところ、彼には夫婦という関係性がピンとこない。友人、師弟、ヒトとヒト同士の関係を表すもの全般が、彼には手の届かないものだったがゆえに。
やめたければやめてしまえばいい。それは彼自身が受けてきた扱いだ。殺しても死なない、[[rb:骸 > むくろ]]の山から[[rb:這 > は]]いずってくる化け物だと。それは確かに正しくて、変えようのない事実。半ば諦めるかのように、それを受け入れるべきだと、そう思っていた。
「でもね。フリッドちゃん」
きっとこのヒトはそれを無視している。誤魔化している。苦しいという、ココロの叫びを。
フリッドは彼女を、そう解釈した。彼女があの老人といるのは、彼女の幸せではない、と。
「誰かと一緒にいられるのは幸せなことなのよ? 寂しいことなんか、これっぽっちもないんですから」
だから彼女の、サルビアの言うことはおかしい。まるで苦しむことが幸せにつながるんだと、そう言ってるみたいじゃないか。なんで切り捨てないのか。やめてしまえば、その悩みから解放されるはずなのに。
「でも嫌なとこずっと見ていたって、」
「フリッドちゃんはどう思う?」
「え……?」
「一人ぼっちで、寂しくて。それでも、誰も手を差し伸べてくれない。それが一生続くの。そんな人生、耐えることができる? それが幸せだって、言い切れる?」
「だから、私たちは幸せなの。手を伸ばせば届く距離に、あのヒトはいるんですもの」
[[rb:瞼 > まぶた]]を細め、穏やかな微笑みを彼女は浮かべる。何を言っても、うまく切り返しができそうもない。フリッドはただ、そんな彼女に絶句する他なかった。