灰色のむこうがわ 03

  「……ん、そろそろか」

  狼が荷物を整理中、ふとあることに気づく。

  まあ当たり前というべきか。当然のこととはいえ、予想よりも早くきたな、とも。

  「そろそろって何がだ?」

  「[[rb:蛆虫湧> うじむしわ]]いてきやがった」

  「ウジ虫ィ!? どこ、ドゴォ!?」

  「オメーのことだよバーカ」

  相も変わらずうるさい虎を尻目に浮上した問題と対峙しようとする。

  単純な話、食料がなくなりそうだ。一人で生活していたころとはわけが違う。なんせ厄介なお荷物が自身より多く消費するのだから。

  「へ? ああそっか! いや~ビックリした、まったく脅かせんな

  ……って誰がウジ虫だおい!」

  今もこうしてノリツッコミを繰り出してくる。大して面白くもないのによくやるものだ。

  狼が心の中で小さく[[rb:愚痴 > ぐち]]をこぼす。ホント、能天気にもほどがある、と。

  「成虫になるとプンプン飛び回って[[rb:五月蝿 > うるさ]]くなるとこまで一緒だよな。かなり的を得ていると思うが」

  「なんか、ぐうの音も出ないほど例えが上手い……くそう」

  ここで言い返さないのかと考えるあたり、大分毒されてしまった。順応してきた、ともいえるのだろう。

  あまり慣れたくないものだ、と狼は思う。あまりにも[[rb:突飛 > とっぴ]]な行動をとり続ける彼に、慣れの一言で片づけてしまうのは[[rb:勘弁 > かんべん]]願いたい。それを当たり前だと流す日常はできる事なら来ないでほしい。

  (と、いうか。コイツに一々付き合うのホントだりぃ。やっぱ声掛けんじゃなかったな。スゲー後悔)

  「つかそろそろってなんだよ。教えてくれたっていいじゃねーか」

  「お前と会話してると知能が低下していく気がする」

  「それはまともに会話を続けようとしないからじゃねーかなぁ」

  「は?」

  「ほら、そうやって一言で済ませようとする」

  慣れたくなければなれ合いもしたくない。理由は同上。

  「せめてさ、コミニケーションくらいとろうぜ? 協力、大事だいじだろーが」

  「まっとうなコトいったつもりでいるとこ悪いが、ちゃんと発音できるようになってから言えな?」

  「え? ちゃんといえてるだろ」

  「[[rb:Hey, repeat aftar me. > じゃあマネてみろよ]][[rb:“Communication” > コミュニケーションって]]」

  「コミニケーション」

  「いえてねーじゃん」

  「コミ、コミユ……うう、まじか」

  食糧難に陥ろうとしているのに、なんとのんきなやり取りだろう。[[rb:眉間 > みけん]]を軽く[[rb:拳 > こぶし]]の裏で小突きながら狼は思う。

  こちらはコントなどしている場合ではない。いつ何時だって何かしらの[[rb:脅威 > きょうい]]に追われている。ギリギリの状況にさらされながら生活しているはずなのに、この虎ときたら何一つ分かっちゃいない。

  「つか水汲みどうした。油売ってるわけじゃねーだろうな」

  「とっくの昔にいってきました~! なんだっけ、ちょすいそう? までいってきて汲んできましたぁ~!」

  「ハイハイあんがとさん」

  「感謝がペラい。もっとさあ、『ちゃんと出来てエライ!』くらいいってくれたってよくね?」

  要求が幼児に向けての称賛なのは狙ってやっているのだろうか。暗にバカにしてほしいと、狙ってやっているのだろうか。

  「というかあれな。水を汲む手段がちゃんとあるってのにびっくり。川とか全然見かけないのにどうすんだろなーって思ったらさ。あんなデカいタンクの中に水溜まってんの、フツー分かんねえよ」

  「ああ、貯水槽な。大きめの建造物にだいたいあって、蛇口がダメでも十分使えたりすんの」

  「ほへ~。ちゃんとそういうのしっかりしてんだな~」

  「あ゛ーもううっせえ! 手ェ空いてんなら外まで見回り行って来い。貧乏暇なしってやつだ、働けオラ」

  いい加減ご退場願いたい。こちとら考え事でいっぱいなんだ、お前なんかにかまっている時間なぞ惜しいんだ。そんな一心で狼はうんざりしながら虎をしっしと外へ追い払う。

  「えー、大丈夫だろ。それこそ意味ないって」

  「……お前ってさあ、追いつめられないと自覚できないタイプな」

  「なんだよ、急におっかない」

  ここで改めていうが、フリッドはオツムが大層悪い。本人もそれを自覚しているし、ほんのわずかだが気にもしている。『いやここ前にも失敗したじゃん。アホの子なの?』と毎回嫌気がさすくらいには。

  記憶障害の類というわけではない。身体の再生の際に激痛が伴うため、意識があいまいで覚えていられないというだけ。不死者という[[rb:謎 > なぞ]]の体質関係なく、都合がよかろうが悪かろうがすっぽり抜け落ちてしまうのだ。

  コイツ、実は生き返るたびに記憶とかヒトとしての大事な部分を忘れてしまうんじゃ、などと狼は不振がっているが見当違い。彼は彼で考え過ぎ、[[rb:思慮 > しりょ]]深いのが玉に[[rb:瑕 > きず]]だ。

  「お前、俺と会う前どうしてた」

  「へ? えーと……

  あ、自分でいったこと忘れてやがんな? 『互いの』……す、すっぽん?」

  「誓約書に書いてあんだろ」

  「お前難しい言葉ばっか使うからわけわかんねーんだよ! イジメか!」

  「うわの空で返事してる割には理解してんだろ」

  「まあ天才だからな……! 知らねーうちにそういうとこ、出ちゃうからな……!」

  フリッドはしょっちゅう屋上で暇をつぶす。なるほど、[[rb:天才 > バカ]]と煙は高いところが好きらしい。

  「つかそういうハナシじゃねえよ。お前のこれまでの生活なんざ興味ないっての」

  「おい」

  「あの晩のこと聞いてんだよ。あの嵐の中、何があったかって」

  「あ……」

  どうやら狼の言わんとしていることがフリッドにも分かったらしい。口をぽっかりと開け、小刻みに震えだす。

  忘れていた。安心しきっていた。そうだ、自分は襲われていたんじゃないか。

  

  「お前出くわしただろ、“アレ”に」

  答えを聞かぬまま狼は言葉をつづける。

  身体が吹き飛ばされそうなあの嵐の中、なぜ彼は走っていたのか。

  建物の崩壊? それならあの負傷にどう説明をつける?

  [[rb:倒壊 > とうかい]]時の怪我で内臓ごとごっそり引きちぎれるものだろうか。火の気がない状況で、なぜフリッドは焼け焦げていたのだろう。

  ただの事故、人為的な何か。いや違う。これはヒトが出来る事では決してない。

  “アレ”はヒトなんかじゃ、決してない。

  「アレ、は」

  「俺がもし嵐の中でどうしても外へ逃げ出すとしたら。あのクリーチャーどもしか考えられない」

  「……っ」

  フリッドが[[rb:露骨 > ろこつ]]に顔をしかめる。まあ、当然といえば当然の反応。狼自体、クリーチャーといえば虎がどういった反応をするのか想像しなかったわけでもない。

  己をヒトではないと否定された気分でいるのか、それともアレが化け物だといわれて同情しているのか。

  いずれにしろ、アレは生易しい存在ではない。狼のいう、狼の知っているアレは、言葉を選んで説明できるほど可愛げのあるものでは決してない。

  「よく[[rb:遭遇 > そうぐう]]して生き延びたもんだ。アレに出会ったが最後、どこまでも追い回されるってのに」

  「……あ、うん。俺割とついてる方だし、まあ」

  「運でどうこうできる相手じゃねーんだけどな。雨の日とか、特に」

  「雨だとどうなんの」

  「尋常じゃないくらい活発に動く。どうも水自体が苦手なんだとか」

  「え、見た目の割にとんでもなく早かったのってそういうことだったん……?」

  アレは決まった姿をしていない。ヒトに近いものもいれば、口頭で説明するには難しい[[rb:合成獣 > キメラ]]のような外見のものもいる。見た目で危険だと察知しづらいのだ。

  共通していえる事といえば、まず話が通じない。

  たとえ意味のある言葉を発していたとしても会話が成立しない。そもそれを試みる[[rb:輩 > やから]]は例外なく死ぬだろう。

  そしてもう一つ。アレはかなりの高熱を放っている。鈍器で挑んだところで得物が使い物にならなくなるのがオチだ。距離を詰めるのもまず不可能、熱すぎて敵わない。

  おそらくフリッドが遭遇したのはヒトに近しいタイプだったのだろう。そして油断したところを襲われ、あの惨状になったと狼は[[rb:推察 > すいさつ]]する。

  「個人でどうこうできる相手じゃねえ。ヒトの姿を見かけ次第さっさと離れるのが得策トクサク」

  「う、うーん……余っ計わかんねえ。なんで好き好んでこんなとこで生活してんだよ。あの白壁のトコなら襲われる心配せずにすむだろ」

  「お前そんな野垂れ死にたかったのか」

  「あ、ち、違う! そういうんじゃなく! 本当にそのことはありがとうって!」

  復興都市が白い外壁で囲われている理由にアレの存在がある。

  セカイが崩壊したその直後、どこからともなくアレはやってきた。人々は生活圏を追われ、最終的に外壁で隔てる事でしか生き延びる手段がなかったのだ。

  アレがはびこる以上、遠方から救援が来るという望みも、元の生活を取り戻すこともできない。あの中が一番安全で、人類最後の砦。

  誰もがそういう。襲われない、人が集まっている、だから安全だと。

  「感謝するなら行動で示せ。ほら、いってこいって」

  「鬼だ。危険だって説明したうえで行かせようとするとか、ガチ鬼だ……」

  「俺はそれを一人でずっとやって来たんだが」

  「ごめんなさい。鬼じゃありませんでした。もっとスゴいお方でした」

  「い い か ら い っ て こ い」

  地を這うような唸り声に『あ、これちょっとふざけすぎたかな』とフリッドがあとずさる。そういうつもりは一切なかったがこうなった以上分が悪い。

  「ハハ、いってきまぁ~す……」そういうとフリッドはトボトボと外へ向かいだした。時折恨めしそうに狼に振り向きながら。

  が、そんな視線当の本人は知ったことではない。ようやく[[rb:邪魔 > じゃま]]者が去ったと荷物に向き直り整理を再開し始めた。

  (しかし復興都市、か。しばらく顔出してなかったな)

  お荷物同然ではあるものの、やはり人手が増えたことは喜ばしい。一人であれこれ気を張っていては身体が休まらないものだ。こうして時間の余裕が出来たのが唯一虎を助けた功績だろう。

  だが、それでも避けては通れないものもある。こうして食糧問題に直面してしまった今、復興都市に赴く必要がある。コンクリートジャングルに摂取可能な植物が生えているならまだしも、そんな空想に[[rb:縋 > すが]]るなら素直にヒトが集まるところで調達した方が確実ではある。

  虎が現状狼に依存している手前、彼のことを言えたものではないが、狼はあまりあの場所に縋りたいとは思わない。彼にとってかの都市は避けられるなら避けてしまいたい。忌[[rb:忌 > いま]]まわしいというわけではないが疎ましい。そんな場所だ。

  そも彼は元から廃墟群で生まれ育った。生みの親は覚えてすらいないが、育ての親は印象深く残っている。彼の生きる指標、そしてその術を指南した恩人。

  (あのヒトですらあの都市には住みたがらなかった。あそこでのやり方とか、やたら詳しかったのに。

  ……思い返せば結構好き勝手やってたみたいだし、気質に合わなかった、ってのもあるんだろうけど)

  都市から離れて暮らしている獣人は少数ながらも存在している。狼のような放浪者もいれば、バリケードを張って小型コロニーを形成して生活していたり。都市のものからすれば変わり者、異端者だ。『外に救いなどない』と信じきっている彼らからすれば当然の反応だろう。

  ただ、どれだけ危険であろうと異端者たちは都市へ移住することはない。それを承知の上で暮らしているのだろう。それだけの理由が、彼らにはある。

  (とはいえ、だ。俺らが生き延びる以上切っては切れないトコだし。クソみたいな場所だが行くっきゃねーか)

  幸い食料は少なく見積もっても三日分はある。節約さえすれば虎を一人置き去りにしても十分お釣りがくる。おそらく連れて行ったところで邪魔にしかならないだろうし、おいて行ってしまっても問題はない。もしかしたら食べる必要すらあの虎にはないのかもしれないが。

  これは狼の憶測でしかないが、おそらく虎は[[rb:餓死 > がし]]すらできない存在だろう。確証があるわけではないが、うっすらとはそう思っている。流石に冗談がきつくて笑えないが。

  

  そも初めの数日で大分おかしいのは察せられた。急にガバリと起き上がり、ふらふらと[[rb:彷徨 > さまよ]]っては電池が切れたかのように眠りにつく。多分、あれも蘇[[rb:蘇 > よみがえ]]りの[[rb:範疇 > はんちゅう]]なのだろう。餓死と復活を繰り返していたのだろうが、初見の狼にとってはやたら心臓に悪い。

  起き上がったころに無理やり食べ物を押し込んで活動時間を作ろうとしたが、今度は排便を寝ながら垂れ流す始末。

  この先、成人男性の粗相の処理など体験しないだろう。そしてその経験が生かされる日も、やってこないはずだ。ヒト一人を介抱するのはとても大変なのだと、ストレスがたまる行為なのだと、狼は虎を通じて思い知らされた。別に知りたくもなかったが。

  (ほんと、アレはひどかった。誰か俺の代わりにやってくれってぶん投げたくなった。つか今でもそうなんだが。なんだよアイツ、イモータル? ハハ、俺の手に負えないっての。しんどすぎ)

  整理を終え、狼は疲れ果てたかのように虚空を仰ぐ。何度目かもわからない不満をつぶやきながら。

  

  「やっぱ、助けんじゃなかったな……」

  [newpage]

  復興都市、防衛隊第三[[rb:駐屯 > ちゅうとん]]所。壁の外側にいくつか配備されているうちのその一角は、その字面の厳格さとは裏腹に[[rb:閑散 > かんさん]]としていた。

  そんな人気のなさそうな場所から紙飛行機が一機、空へ飛び立つ。一直線に、すぅと優雅に泳ぐように。[[rb:濁 > にご]]った海を自由気ままに滑りゆくそれは、次第に高度を落とし、カサリと地面に[[rb:墜落 > ついらく]]した。

  まあ、そうだよな。紙飛行機を飛ばした主──いかつい顔をしたワニの男が肩から落胆する。

  ヒトが空に平和と自由を求めたのは数世紀も前のこと。偉人たちの夢は後世に受け継がれながら進化していったが、今では逆戻り。この空を自在に飛び回ることなく、ヒトは地に足をつけることを余儀なくされた。

  「隊長」

  不意にワニが声をかけられる。嫌にだるそうにあたりに視線を巡らせると、彼が座っている車のボンネットの下、若々しいモモンガの男がこちらを見上げていた。

  「本日よりこちらへ配属されました、ラッシィと申します」

  「あーハイハイ、ごくろーさん」

  新兵なのだろう。かっちりと着こまれた服も、どこか着せられているような不自然さを[[rb:醸 > かも]]し出している。

  隊長と呼ばれたワニ獣人、ガレッツォは彼を一瞥するとそばに置いていた紙束を一枚抜出し、その場で折り始めた。

  「あの、」

  「なんざんしょ」

  「なにか、激励とか、指示とかは」

  「マニュアル星人」

  「……今、なんと」

  完成した紙飛行機を空へ向けてまた飛ばす。下でしかめっ面を[[rb:曝 > さら]]すモモンガのことなど気にも留めていない。むしろ紙飛行機がどれだけ遠くへ飛んでいくのかに興味を持って行かれているのか、ずっと飛び立った先を眺めつづけている。

  「なんと。あー、仕事。仕事ね。

  はい問題。お前ここの隊の目的言ってみ?」

  「はっ! 我々はこの都市の民が末永く幸福であるよう、外壁周辺の警備、そして襲い掛かってくるクリーチャーどもの[[rb:駆逐 > くちく]]であります!」

  「そゆコト。やることわかったな?」

  「……」

  ラッシィにはわからない。なぜ隊長はこれほどまでに自身をないがしろにするのかが。

  復興都市警備隊──生き残った獣人たちを脅威から守る誇りある部隊だ。その隊員に選ばれるということは非常に[[rb:誉 > ほま]]れなことであるはずだ。

  なのに彼は。部隊隊長の一人であるはずのそのヒトは遊びほうけることに夢中になっているではないか。どころか己を邪険に扱う始末。……全く歓迎されていない。

  「……失礼します」

  そう言い残すとラッシィはその場を立ち去る。

  このヒトに任せてはいられない。自分が、自分こそが獣人たちを守るために決起しなければいけない。自分は選ばれた獣人なのだから。

  「……かわいそーなヤツ。なにいきりたってんだか」

  紙飛行機を折りつつ、ガレッツォがぽろりとこぼす。

  きっとあのモモンガは長くないだろう。己が何をしているのか知っちゃいない彼は、正しさしか信じていない彼はこの部隊に配属されるべきではなかった。

  この世にはかなえていい夢、悪い夢というのがある。あのモモンガは叶えてはいけなかったのだ。ずっと夢を見続けて、遠くのものへあこがれているべきだったのだ。

  実態というものは[[rb:綺麗 > きれい]]ごとで形作られてはいない。夢として描いたものとは違うのだ。

  「可哀そう、ってアンタなあ。そういう目に合わせてるやつがなにいってんだよ」

  車のリアドアの方からひょこりと狼がその蒼い頭をのぞかせる。

  「いやオレめーっちゃ優しいぜ? 男は外見で図るもんじゃねーから。

  試しにほら、ハート、触れてみ? お前のやさぐれたメンタルほぐれてっから」

  「口説き方がこなれてる感あって全然ハートに響かねえ」

  「まあそういうこともある」

  「証明になってねーんだかそれは」

  先ほどの冷淡さはどこへやら。泣く子も黙りそうな顔のガレッツォが冗談交じりにゲレゲラと笑い崩れる。これではおっかない軍人というよりただの笑い上戸のオジサンだ。

  ああ。そういえばこんな男だった。久々に訪れた復興都市、中に入るついでにと狼はこの駐屯所へと立ち寄っていた。目的はこのガレッツォに会うために。

  普段どう会話していたのか忘れかけていたが、[[rb:杞憂 > きゆう]]だった。いちいち気をもんで相手するような輩じゃない、むしろそれをやると馬鹿を見る男だった。

  「でもよ? オレの口説き文句、ぐっときたろ。隠したってわかんぜ~?」

  「同性口説いてどうすんだ。その熱意ほかに回せよ」

  「っはー! つれねぇなぁイワンコフ!」

  「適当に呼ぶな」

  常に相手にしている虎とは違う[[rb:鬱陶 > うっとう]]しさ。早くも合わなければよかったと狼に後悔の念が押し寄せる。

  ガレッツォがこれだけ大声で騒ぎたててもヒトが集まる様子はない。それもそのはず、彼は隊の中でもかなりの変人だと噂されているからだ。本来都民の中から選出して部隊入りするところ、彼は選ばれたものを全員のして入っている。そのくせこの態度なのだから変人扱いも無理はない。

  日ごろの行いなのだろうが、かえってそれは狼にとって都合がいい。なにせこっそりと忍び込んでいることがバレるリスクが減るからだ。

  「あの新兵……ラッシィだっけか。そいつにもおんなじテンションで話せばよかったろ」

  「あいつ戦場でおもらししそうだよな」

  「話聞いてたか?」

  「下の口からドリンクバーみたいにドバドバ垂れ流されても困るじゃん?」

  「しらんが。つか返答に困る言い方すんな」

  「下心と一緒に刈り取られてくんねーかな。そっちの方が面白そう」

  「より酷くしろって意味じゃない」

  さながら旧友のような会話をしているわけだが、両者とも特別仲が良いというわけではない。狼からすれば都市暮らしの獣人と比べたら比較的会話に[[rb:融通 > ゆうづう]]が利く相手というだけである。

  そもそも彼は下品な話をしに来たわけじゃない。あくまでもワニとは交渉をするために来たのだ。そうでなければ関わり合いを持つことすら拒絶している事だろう。

  「無駄話してねーでさっさと情報交換したいんだが」

  「いいじゃんか久々なんだしよ~。なあなあ、元気してたか? オレくたばったんじゃないかって心配でよ~」

  「仮にそうでも大して痛手ってわけじゃないだろ。サボれなくなるだけで」

  「んもう憎まれ口叩きやがって。オレ、知ってんだぞ? お前の本心。

  本当は~会いたくて仕方なかったんだろ。都市に行く前にどーしてもオレの顔が拝みたいから真っ先に会いに来てくれたんだろ?」

  「情報交換っつたが」

  「っかー! キュンときた。チューしていい?」

  「なんでそうなる。どこにんな要素あった」

  「はぐらかすなってポルナレフ!」

  「適当に呼ぶな」

  一応補足として、ガレッツォに男色の気は一切ない。軍隊というものは基本男組織、女性との出会いの無さからそういった趣向を抱くものも少なからずいる。が、ことガレッツォにおいてはそんなことはない。そん所そこいらの女性よりなびかないから彼の闘争心に火がついているだけである。

  狼もわざとやっているわけじゃなく、あくまでそんな相性だから話がそちらの方へ傾いて行ってしまう。会話というものは相手の受け取り方次第、何とも不思議なものだ。

  「よっと」ガレッツォが掛け声を掛けながらボンネットから飛び降りる。

  

  「おじゃましまぁす」

  「すでに邪魔してる」

  ドアを開け、狼を押しのけながら車内へと侵入。できるだけ反対のドアに押し付けるように距離を詰め、かしゃりとドアロックを[[rb:施 > ほどこ]]す。

  「はぁ? ちょ、おい」

  「ご乗車、誠にありがとうございます。この車は終点、ガレッツォまでの特急となっております。シートベルトを着用の上、快適なオレワールドをお楽しみください」

  「自分途中下車いいすか」

  「やめろォ! いのちを無駄にするんじゃあない!」

  「控えめに言ってくっそ地獄なんだが」

  そんな地獄と化した車内を何とか改善すべくガレッツォをぐいと押し返す。ぶつくさと文句を垂れるワニを無視しつつ、前のシートポケットから地図を取り出した。

  周辺の場所を探し当て、膝に広げる。旧時代に作られたそれは、現在の仕様に合わせてか所々が黒く塗りつぶされていた。

  通称、ゼロ地区。崩壊後空は暗雲で満たされ、気象が乱れやすくなってしまったが、その中でも特に変わってしまった危険地帯のことをそう呼ぶ。近づけば近づくほど建物の崩壊が溶けていくような状態になっていき、最終的に一面なにもない砂漠の風景が広がっている。

  ヒトが住むどころか植物すら生えない不毛の大地と化しているのだ。生命そのものを拒絶している地域──そのため何もない、ゼロであると命名された。

  そんな地図の黒い部分に狼がわずかに眉をひそめる。そしてそれを避けるように指先を滑らせるとある一か所で止めた。

  「ここ、おそらくアレが出没してる」

  「ほぅ? これまた随分と移動したとこに。確かなんだろうな」

  「間近で目撃したわけじゃない。けど近辺でそれらしいものの痕跡はあった」

  ガレッツォはこんな言動でも部隊長、それも討伐隊を率いる権限を持っている。クリーチャーが出没したならそれを補足、[[rb:掃討 >そうとう]]するため遠征したりするわけだ。

  しかしただ闇雲に廃墟群を彷徨っても物資の無駄になる。ある程度の的を絞って捜索するにしろ土地勘というものが必要だ。そこで狼の出番。

  彼は普段から安全確保の為、時に居住を移動しながら暮らしている。そのため自然と地理と周辺状況に詳しい。

  狼が駐屯所に[[rb:赴 > おもむ]]いたのもガレッツォに情報を売るため。都市の獣人相手に恩を売るつもりなど当人はさらさらない。が、自身で解決できない以上、武力突破できる集団は非常に頼もしい。たとえ敗戦したところで失うものがないのも魅力だ。

  「いやぁ、やっぱ持つべきモンは使える部外者だよな。媚びる部下とかろくでもない!」

  「……俺もアンタが変わり者で助かったよ」

  「都市生まれで奴らに反感抱いてんのはそうそういねーだろうな、確かに。お前見る目あるよ」

  ただの利害関係。しかし狼にとってガレッツォを交渉相手にできたのは非常に運がよかった。

  都市生まれの獣人でありながら都市特有の思想に全く染まっていない。どころか露骨に毛嫌いしている。珍しい部類、都合のいい逸材だ。

  「アイツらはほんとダメだ。[[rb:腐 > くさ]]ってやがる

  アイツらは幸せかもしらねえけど、あそこには自由がない。息苦しいったらありゃしねえっての。そんでまともぶってんだから救いようがねぇんだよな」

  「……」

  「それに比べお前はいい。度胸、決断力、他人に[[rb:靡 > なび]]かないその気風。

  そして何より──」

  「お、おい」

  ガレッツォが狼の下あごをつかんで顔を寄せてくる。とっさの出来事だが、狼は顔をそらさない。むしろ食って掛からんとワニを[[rb:睨 > にら]]み返す。

  「その目がいい。野心に満ちてるっつーか、簡単につぶれない誇り高さみたいな。お前最高だよ」

  「……離せ。[[rb:耄碌 > もうろく]]してんじゃねーの? いくらなんでも買いかぶりすぎだっての」

  「またまた。つれねぇんだから」

  ニタリ、端から歯をのぞかせる。ワニという種族の凶暴性を想起させる恐ろしさだ。噛みつかれたら最後、無事では済まない。本能が恐怖を訴え、誰もが背筋をこわばらせるだろう。

  それでも。そんな、ガレッツォの肉食獣らしい本性を[[rb:露 > あら]]わにされようが狼は目をそらさない。むしろ涼しげに鼻を鳴らすくらいだ。

  「っはは。ほーんと、ゾクゾクする。……喰い殺したくなるくらいにな」

  「再三言わねえぞ。は な せ」

  「わーたって。ほら、離した。離したからその綺麗な顔歪ませんガふッッ!」

  ガレッツォの[[rb:鳩尾 > みぞおち]]目掛け狼が拳を振るう。ためらうことなく放たれた一撃にガレッツォは思わずむせこんだ。

  細腕といえど人体の急所を狙えばどんな[[rb:強靭 > きょうじん]]な獣人でも怯むもの。見た目非力だからといって狼をなめてかかってはいけない。同性相手でも涼しい顔して金的を狙うし、相手が戦いになれた格上だからこそ非情になる。一撃で伸さなければ手痛い反撃を食らうことを分かり切っている者の判断はいつだって鋭いものだ。

  「死にたいらしいな、お前」

  「っ、相っ変わらず、顔のこととなると……手が早いこって」

  「もう一発いっとくか」

  「ハイハイ悪うござんしたっとぉ」

  もう一度握りしめられた拳を確認すると、ワニは逃げるようにドアを開けて退散する。

  ようやくすし詰め状態から解放された。男一人いなくなっただけで車内がかなり広くなったように感じる。座席に身を深く沈め、狼が軽くため息を吐いた。

  性格が出てしまうためある程度は仕方がないが、一々ワニの文言に真摯に返していたらきりがない。伝えることは伝えきったのだ、あとは[[rb:報酬 > ほうしゅう]]を無断で漁りとって去ってしまえばいい。長居するだけ危険でもあるのだから。

  気持ちを切り替え、適当に後部座席の後ろの荷物を漁ると持参してきたバックパックへと詰め込む。

  特に静止の声は上がらない。上がったところで狼はその手を止めないし、どういう風に見られてもかまわない。生活が懸かっているのだ。たとえ己が浮浪者と[[rb:嘲笑 > あざわら]]われようが、人道に反しない限り貪るように[[rb:搾取 > さくしゅ]]する。

  「こんなもんか。よし、邪魔したな」

  「おーいおい、もっとゆっくりしてけよ。せっかく二人っきりなんだしよぅ」

  「猫なで声あげんな気色悪い」

  「早漏は嫌われんぜ?」

  「汚ねえんだよバカ」

  「どうせ中いくんだろ? 連中よか、オレのほうが断然楽しませてやれんぜ?」

  「……」

  それは間違いなくそうなのだろう。発言にあきれ返りながらも狼の心は少しだけ揺らぐ。

  自ら警備隊に入った彼のことだ、中の現状は嫌というほど知っている。おふざけふんだんに盛っても引き留めたいのは本心。狼の心中をだいたいは察しているし、彼らと接することでその眼を汚されたくないのだろう。

  だが。狼はそういう訳にもいかないのだ。

  「……他の隊員に俺のことバレたら容赦なく腰のソレ使うだろ」

  「やだエッチ!」

  「脳みそショッキングピンクかよ」

  「ま、そうだな。即座に鉛玉ぶちこむか」

  ワニがホルスターから拳銃を抜き出しクルクルと回す。

  ガレッツォは、そういう男だ。これは、それを踏まえた上での取引だ。

  

  基本、二人は対等な立場にない。狼が生きるために何でもするというなら、ガレッツォは昇進のために何でもする。

  もしこの場で他の隊員に気づかれたら、狼を打ち殺しこういうだろう。

  『都市の反乱を[[rb:企 > くわだ]]てる異端者を始末した』と。

  「そんなわけだ。見つかる前にとんずらさせてもらうぞ」

  「ちょーち待てって。ほら、これやるよ」

  「最近はヒトを止めることがブーム……って、紙飛行機?」

  何の変哲もない、ただの紙飛行機。それを大事な宝物のようにニッカリ笑いながらワニは差し出す。

  「オレの親愛の印ってな」

  「は?」

  「つらくなったら飛ばすといいぞ。おススメは高所」

  「雨に打たれて落ちるだろ」

  「……それなー!」

  狼が下らなそうに笑い返す。紙飛行機を受け取ると邪魔にならないよう、いったん小さく折り畳み、ズボンへとしまった。

  「じゃ、また今度な」

  「おうとも! 股間濡らして待ってるな!」

  「……もっとさ、普通に送り出せねぇの?」

  「それともオレと遊ぶかインティゴ?」

  「適当に呼ぶなっての」

  狼はガレッツォに手を振ると復興都市へ向け足を踏み出す。

  「……ホント、まーじで振り向いてくんねーんだから。病み付きになりそ」

  その背を見送りながらまた一機、紙飛行機を飛ばす。限りある自由の中、そうだとも知らず、その白い両翼は空を悠々と飛んで行った。