【一週間前】
夕方。
住宅街。
駆ける。
ひたすら駆ける。
悠然と往く狼さんの先にひと気はない。
けれどこの先の大通りを抜ければ、すぐ駅前である。
このままいけば騒ぎは免れない。かもしれない。
不意に、狼さんを初めて目にした私や二上の反応が思い出され、予測が揺らぐ。
当然ながら狼さんは全く頓着せずに
駆ける。
駆ける――
「いけない!信号赤だぞ!」
「せやかて狼さんが―――」
――立ち止まっている。
大通り。車が行き交う車道を前に、狼さんは立ち止まっていた。
「え、ちょ…んなアホな」
「アホでも何でも、チャンスや二上」
「お、おお。――って待ってくれ」
「あかん。きっと青になったら走り出すで。あの狼さん。今しかない」
「いや、それは解るが、追いついて、それでどうするんだい」
二上の言葉に、その場でじれったそうにジョギングしていた足が止まる。
振り向きざま
「それは………―――モフったり?」
思わずボケた。
「その心は」
「狼さんな、めっちゃ触り心地ええねんで。一回思いっきりマフマフしたいやん?」
「なるほど全然触らせてくれへんもんな。じらし上手やで。どっかの誰か見たいやな。
――ってアホか!」
「アホネンって呼んでえ。それやとウチがアホみたいやん?」
「なんやそれ!今の流れで名前呼ぶわけあるかい!!
『モフりたい』『アホネン』ってなんやねん!じゃあアレかっ!?
僕がボケたら『ああ狼さんモフりたいなあ。』『二上』ってなるんかい!?」
「惜しい。『太志♪』って下の名前で呼んでドキっとさせるな。ウチなら」
「ああ。なるほど確かにドキっとしたわ。ほなら仕返しや――」
信号が青になる。
狼さんも、動き出す。
「さて行くでー」
「血も涙もあらへん」
「下の名前呼んでもらえて嬉しいくせに」
「否定はしない」
向かいを行く人たちは、大型犬らしき白い毛並みが駆けて来るのに一瞬ギョっとする。
が、そのまま何事もなく過ぎていくと、何も見なかったかのようにそそくさと。
なんとも都会らしい反応だが、何人かは携帯を取り出してどこかへ電話をかけていた。
夕暮れが、そろそろと街を赤く色づけ始めていた。
◇
その日、藤井寺なるは夕飯の買い出しに出かけていた。
夕暮れ時の駅前商店街。
私服に着替え、買い物かごを両手でもち、目当てのスーパーを目指している。
彼女の家は、多忙な両親と、育ち盛りの弟たちという家族構成であった。
そんな環境からか、長姉である彼女は自然に家の台所を預かるようになっていた。
手芸部と料理同好会の掛け持ちも、思春期に入り料理と衣服両方に文句を言うようになった弟たちに対応してのことである。
とはいえ、どちらも趣味の延長線上の緩い集まりなので、今日のように買い物をする日などは、早めに切り上げるのが常であった。
「そういえば、最近アホネンさん顔出さないなあ」
ふと、自分の『弟子』の顔が思い浮かぶ。
金髪に碧の瞳と白い肌。端正な顔立ちでする、勝ち気なのに品があって、その上艶さえあるような笑顔。
女の子なら、誰もが憧れずにはいられない、抜群のプロポーションを誇る少女。
自分のことではないけど、そんな子が同級生で、しかも友達だというのは、やっぱり誇らしい気分になってしまう。
少女は一時期、なるが誘った料理同好会で、かす汁やお好み焼き、甘い味付けの関西風おでんと言った、大阪の味を学んでいた。
教師は主に友人である、なるだったので、友達であると同時に師弟関係でもあった。
所属していなくとも自由に活動に参加できる同好会であるため、あっという間に師匠顔負けの腕前に達した今となっても、折に触れて顔を出している。
なんでも、かす汁が故郷の鮭のクリーム煮を思い出させるんで、極めたいとかなんとか。
なるとしても、想像もつかないフィンランド料理には聊か以上に興味があったので、進級する頃には二人で互いに教えあい研究する仲となっていた。
同好会では、そんな二人を料理同好会の美少女ツートップなどともてはやしていたが、華やかな友人と並べられては、どうも気おくれしてしまうというのが、なるの率直な感想であった。
彼女としては腑に落ちない話であったが、華やかな相方だからこそ、素朴な魅力が引き立つのだとか。同好会員談。
「そもそも――」
とはいえ、友人に必要以上に壁を感じているというわけでもない。
それをさせない親しげな所が友人にはあった。けれど、料理という一事に限って言えば、なると友人には大きな隔たりがあったのだ。
「旦那さん、いるんだよねえ。あとアイナちゃん」
そう。友人には旦那と娘がいた。
いろいろ思うところはあったが、なるにとって重要なのは、食べてくれる相手が、自分の愛する人――つまり旦那さんだということだろう。
友人の旦那さんは、何度か目にしたことがある。
美男子というわけでもなかったが、誠実そうで頼り甲斐のある白人男性だった。
友人もまた、全幅の信頼と限りない愛情を、彼に向けていた。
そんな相手に料理を作ってあげられる。
なるが物心ついたころから、漠然と思い描いていた夢の形がそこにあった。
それを思うにつけ、
「私なんか――はあ~あ…」
一番下の弟がふざけ半分にひっぱたたいたお尻がまだヒリヒリとしていた。
両親とも、料理の腕前をほめてくれたり、アドバイスしてくれたりする。
弟たちも、からかったり、興味なさげなふりをしつつ、夕食時には必ず帰ってきて残さず平らげている。
けれど、それとこれとは違うのである。
「いいなあ…アホネンさん」
愛する人に料理を振る舞う。
それで、『美味しい』と言ってもらえる。
たまには、『ここをこうした方がいいんじゃないかな?』なんてアドバイスしてもらったり。
理想ではあっても、だからこそ夢見ずにはいられない。
容姿や料理の腕前、男子生徒からの人気を差し置いて、なるが友人に関して最も羨むのがそこであった。
「私だって――」
まだ、いい人は見つからないけど、いつか必ず。
そう、紅(べに)に彩られたうろこ雲を見上げながら、拳を握る。
同時に、お尻に軽い衝撃。
「?」
正体を確かめようと振り向くと、白い毛並。
「え、あの…―――誰ですか?」
自分でもちょっとずれた返答だと、そんな感想しか浮かんでこない。
なにやら大型犬めいた生き物が、お尻に鼻先を突き付けている。
飼い主はどうしたのだろうか。
それにしては首輪もリードもつけてない。
迫力が物凄い。
でも綺麗だな。
本当に犬?
そんな雑多な思考が泡のように次々生まれては消えていく。
その生き物は、なおも興味津々といった様子で、彼女の腰やお尻を鼻先で押している。
敵意や害意のない調子ではあったが、力が強まった際、自分の抵抗が全く意味をなさないのに気づくと、なるの中でやおら恐怖が頭をもたげ始めた。
「や、ちょっ、あの、その、、、」
動物はなおも、しげく彼女にまとわりついている。
だんだんと恐怖がほかの感情を圧し始めていく。
体の芯が冷えていく。
喉の奥、お腹に力が入るのを感じる。
「やっ―――」
今にも叫びだしそうな、そんな声が漏れたのと、腰に向けられる圧力が消えたのが同時であった。
「藤さん!」
ひどく懐かしく感じる友人の声がした。
声のほうに視線を向けると――
「アホネンさん!」
真っ赤な暮れの光を正面に。
何事かと言った道行く人々の視線を側面から。
どちらもまともに受けながら、まるで怯む様子もなく勢いよく、先ほど思い浮かべていた友人が駆けてきた。
フッと、心が軽くなり、暖かな安堵が体の中で広がっていく。
「二上!狼さんあっち行ったで!」
「おっしゃ!ほならその子頼むで!」
「その子?藤さん?―――うぉっ、、、藤さん!大丈夫!?」
どこか遠くで交わされているような会話の後、友人が上から覗き込んできた。
「ふぇ?」
素っ頓狂な声とともに、自分の腰が抜けていることに気づく。
幸いすぐに立ち上がることができたが、なんとも気恥ずかしくて
「あはは…腰、抜けちゃったぁ」
と笑ってごまかす。
真っ赤な顔は、夕日でごまかせているだろうかと気にしながらも、心配して付き添いを買って出る友人に、大丈夫だよと断りを入れる。
それでも納得できない彼女の背中を強引に押して、先へと促す。
友人は、それでこちらの意をくんでくれたのか。
「ん。ほなら気を付けて。無理したらあかんで?」
と、とても優しい笑みで言うと、颯爽ともう一人の男子生徒の後を追いかけていった。
「やっぱり…格好いいなあ」
愛する人をすでに持っている友人への羨望はある。
けど、それ以上に。
『東京から?じゃあウチと同じ外様やね。なんか困ったことあったら、何時でも相談のるで!』
関東から関西へ越してきて、文化の違いに戸惑い、入学当初の友人作りに失敗しかけ、パニックになりかけていたなるに声をかけてくれた少女。
目の前が真っ暗になって、身動き一つできないなるにとって、差しのべられた手が、かけられた言葉が、どれほど暖かく輝かしく感じたか。
屈託なく笑う表情は、いつも変わらず。
迷いなく向けられる顔は、何時だって凛としていて。
なのに、そのまなざしはとても優しげで。
「うん。アホネンさん、本当に格好いいよ」
過去がどうあれ、今がどうあれ。
藤井寺なるにとっての少女は、誰よりも、どんな男子よりも格好いい憧れの友人だった。
[newpage]
◇
「と、言うわけで、そこをどいてもらおうか。感動を台無しにしたらあかんで。鴎」
「何が、『と、言うわけ』か知らんけど、それは無理な注文やなあ。アホネン」
「これにはさすがの狼さんもあきれ顔」
実際、狼さんは呆れている様に見えた。
何を思ってか藤さんに纏わりついていた狼さんだったが、私たちが追いつくと、これまで通り駆けて行った。
そうして街ゆく人々の注目を浴びつつ、次第に路地の奥へ奥へと……
気が付けば、ハッテン場として有名な公園へ迷い込んでいた。
まだ少し早いが、もう少しすれば、純粋なる愛を育む薔薇とか百合とか鴎とか。
そう。公園内に建てられた、これまた同性愛者の歌人の碑の前には見知った顔が。
木津鴎。嘘かまことかレズである。
不覚にも。そう本当に不覚にも。私の友人である。
「で。何か用かな?ちょっと急いでるんやけど」
「ツレないなぁ。目当ての狼さんは見ての通り休憩中や。
アンタらも休憩してったらどうなん?喉、乾いてるやろ?ジュース、用意したで」
あかん。
もう、本当に、何から突っ込んでいいのか。
とりあえず一言。これだけは、という一言を。
「うん。キショいで。自分」
「これにはさすがの僕もサブイボ全開」
隣で二上が白けた顔で投げやりに言う。
そもそも藤さんのあの割と感動的な場面のあとで、よくもこう、空気の読まない場面転換ができるなといったメタ的な突っ込みにはじまり。
なんでウチだけが、それもあの木立の外では口にしたことのない『狼さん』という呼称を過たず口にできるのか、とか。
唐突に現れて、ウチらの目的を知ってるかのように口にできるのかとか。
っていうかジュースを用意してるって、それどう見てもアレでアレな何らかの何かが混入されてるな?
ほんでそれを飲ませてどないするつもりやとか。
だいたい、全てを知ってるようなその顔は。
「あかん。親しくしとった同級生がストーカーに進化してまった。か」
「うちのセリフとらんといて」
「くくっ。落ち着いていられるのも今のうちやで。アホネン」
「大した自信やな」
「ああ。何を隠そう私は―――ストーカー検定、略してスト検1級や」
「馬鹿な!スト検1級!?取得者はすべて塀の中だと聞いたぞ!!」
「へえ。知ってたか。まあ二上なら不思議もないか。ええで。特別に教えたる。何故、スト検1級取得者。通称プロストーカーが塀の外n(ry」
付き合いきれないので以下省略。
人類は、なぜ争いを繰り返すのか…
人は、自然をむしばむことでしか生きていけないのか。
寒いギャグ、意味不明な文章の運び…
もう、この手で世界に幕を引くべきなのだろうか………
「――という、集合無意識が私という怪物を――」
「ちっ!」
「――そもそも世界とは、人間の――」
「………アホネン?」
「かっ」
「あのー…アホネンさん?」
「本題」
「はい?」
「さっさと本題に入らせる。っちゅうか、あの×××黙らせぇ、二上」
「うわぁ…マジギレェ…」
片足で地面をたんたん叩きながら、思い切りご機嫌ななめな声を出す。
二上は察したのか、慌てて寒いギャグを中断をするが、鴎は意に介さない。
「つまりー、アホの鴎はー、何が言いたいねん。あぁっ?」
「つまり?つまりさぁ――」
さすがにしゃべり疲れたのか、ふらりとした足取りであったが、声と視線には変わらずおぞましい気配をみなぎらせて、女は応える。
「アホネンは、ウチの嫁ってことやでぇ…」
今度こそ、ぞわぞわっと。鳥肌が背中を虫のように這いまわる。
「旦那がおる。男子に人気。告白は連日。それからついでにそこの味噌っかす」
「ひどい!」
「けど、そんなんどうでもええねん。ウチが、アホネンを、どう思うかや。
思えば長い付き合いなのに、モーションかけんのに忙しすぎて、本当の本心伝え忘れてた…」
「へえ、本心。」
本心、という言葉に、ほんの少し私の中の柔らかい部分が反応する。
「せや」
「ウチをどうしたい」
「どうしたい?そんなん決まってるやん。
まず監禁やな。さっきのジュースでもなんでもええから眠らせて、こっそりウチの用意した別荘へ連れてく…
当然車で運ぶけど、その間、眠ってるアホネンの柔い肌をこう…指でつつっとなぞってみたり。
その指を口元に持ってって、張りのある瑞々しい唇を、私の指の腹で押して、感触を楽しんで…えへへへ
たまぁーに胸に手を当てて、ボリュームたっぷりのおっぱいを揉んで、その大きさと柔らかさに感嘆しつつも、ほんのちょっとだけ嫉妬しちゃったりして
いひひひ。で、で、やね。もう辛抱ならへんで指先を下まで持ってこうとするねんけど、お腹のあたりで思いとどまって…はあはあ…
ここで襲ったら全部台無しやって。必死に服の上から、おヘソの周りをそろーり、そろーりと撫ぜ回してな。
そろーりそろーりと。落ち着くまで何度も何度も。ほんで、落ち着いたな思たら、自分へのご褒美言うことで、アンタの髪の房を一掴み。
金色の大地のかけらに、鼻先を思いっきりうずめて。ひ、ひひ、、、スーハースーハーと息を吸って、はいて、吸って、吐いて。
スーハ―スーハー、クンカクンカ、、、いーい匂いやなあって、、、う~~ん。スーハースーハースー…ハ、ハー、、、
そ、そうやって気を失うまでスーハーして、別荘についたら地下室へ運ぶ、と。
手足に手錠をかけて、せやな。どっから脱がしてくか…うん。まずは下着から――下着だけ――
シミひとつない、人種の差をこれでもかと見せつける白い肌を撫でまわしながら、ひっひっひ、、ひへへへ、
こう。むっちりと五指をしっかり食い込ませる感じで、そのまま十本の芋虫を蠕動運動で上へ上へと持っていき、尻タブの付け根に来たら、わしっとお尻を両手で掴むねん。
あ。ちゃあーんと指はショーツの中に入れてな?
で、そのあたりでアホネンは目覚める。
『ここ、どこ?』って最初は呆けて、あたりを見回して。
その無防備な顔がまたかぁいくてやらしくてなあ、、髪の毛が数本、口に引っかかったりしてて、、ほっ、ほほっ、うほっ、、、
私を見つけて、一気に険しい顔になって『木津!冗談じゃすまへんで!』って言うねんけど、その先は続かへん。
何故って?
私の唇がアホネンの唇をふさぐからやな。
『ちょ、んむ、、、!?』
で、舌を入れられて、目を見開くんやけど、徐々に蕩けてく。
当然抵抗もしてんねんけど、だんだん弱まってく。
何故って?
それは私のファイブフィンガーがアホネンのm」
「いーい加減にっ!」
大きく振りかぶって。
「せっ!」
「ぎにゃ!!」
牝鶏のごとき叫びをあげ鴎は吹っ飛ぶ。
「痛ェ…」
二上が悲しそうな哀れっぽい声でつぶやく。
何をどうしたかは、ご想像にお任せすることとしよう。
ただ、私の雲居より高い沸点が、数年ぶりに臨界突破してヤバい物質をぶちまけたことを語って、描写としておく。
「行くで」
吐き捨てる。
吐き捨てるように、ではなく、オモックソ吐き捨てる。
二上が泣きそうな顔でついてくる。
狼さんも何かついてきた。
「なあ」
「なに?」
「泣いていい?」
「シネ」
「泣くね?」
「シネ」
「ごめん。やっぱ泣かない」
「シネ」
自分でも何を言ってるかわからないが、なんとなく、二上の声が名残惜しそうな気がしたのだけ記憶に残っていた。
そろそろあたりは暗くなってきていた。
[newpage]
◇
「今地下何階?」
「えーっと…さっき3階だったから――地下4階。かな」
「随分降りたなあ」
倦んだ視線を壁に向けると、アヴァンギャルドな絵が描かれた広告が目に入る。
戸棚のような、地図のような。
あれから私たちは狼さんを追って、街の中心へ中心へと進み、やがて駅の地下街へとつながる地下道へといたった。
木津の現れた公園からは数駅離れた位置にあり、実際に私たちも鉄道を利用した記憶はある。
けれど、同時に狼さんとは、つかずはなれずの関係で、視界には常に彼女が収まっていたことも覚えている。
だとすれば狼さんも鉄道に乗っていたはずで、そうなると、誰かが騒いでもよさそうなものであったが、なぜかそのあたりの記憶は曖昧だった。
記憶が抜け落ちたという実感はわかない。
ただ、過去に違和感を覚えつつも、入り組んだ地下道の階段を狼さんに導かれるまま、友人とともに下へ下へと降りていく。
それだけが今の私に言える確かな事であった。
「そういえば。」
「なんだい?」
壁には大阪らしい、ヘンテコな意匠が随所にみられたが、井戸のように深く深く続く階段そのものは、よくあるコンクリ製のそっけないもの。
そこにタンタンと響く自身のローファーの足音を聞きながら、何とはなしに思ったことを口にした。
「ここの駅な、出る、らしいで」
「赤い女、かい?」
「うちが言おう思ってたんやけど」
「ああ。それはすまない」
「ええってええって。二上が無粋なんは今に始まったことやないしなー」
「無粋も粋のうち――ってのはダメ?」
「ダメやな。セウトや」
「セウトってなんやねん」
「セーフっぽいけどアウト。」
「へーへー」
友人と、普段通りの軽口を叩く。
口にしたのはこのあたりで噂される怪談だったが、話の運びはそちらではなく。
「で、その赤い女がどうしたんだい?」
「なんかな、赤の女王思い出すなって」
「赤の女王――不思議の国のアリスの?」
「せや」
「なんでまた」
二上が問う。
階段は、よくあるつくりのものなので、何度も折り返しながら地下へと潜っている。
当然、先を行く狼さんは、折り返し地点を境に、私たちの視界から消えたり現れたりしている。
チラチラと見え隠れする白が、また目の中に飛び込んできたのを確認すると、私は応えた。
「だって、白ウサギみたいやん」
狼さんと、二上。それから例の児童文学に意識を割いた分、階段を降りる足取りが怪しくなったので、両手を軽く握り肩の上にあげバランスをとる。
「今うちらは、真っ白い狼さん追ってったら、赤の女…女王のいる地下へと降りていってる――っていうと、アリスっぽいやん?」
後ろを歩く二上のほうへ、わずかに顔を向けて問いかける。
思えば、狼さんは、街中という場違いな場所にいたりして、なおかつ神秘的な白い毛並である。
その姿はなんとも現実味を欠いていて、アリスを不思議の国へ誘う白ウサギとどこか重なった。
まして今現在私たちは、言葉通り彼女を追って地下へと降りる真っ最中なのだ。
階段の奇妙な意匠も、怪談の赤い女の存在も、割とアリスと符合していて、思い至ればもはやそれ以外考えられないというものだ。
「それで君は自分をアリスだとでも言うつもりかい?」
「え、うちは三月ウサギとちゃうん?」
「え?」
「え」
二上の言葉に、一瞬、互いの話が見えなくなる。狼さんも見えなくなったが、すぐにまた見えるようになる。
「いや、それじゃあウサギが二人いることになる」
「それでええやん」
「いいのか?」
「………白ウサギと三月ウサギは別キャラやでー?」
「え、あ。ああ。……ああ……ああ?」
「知らんかったん…」
「いや、あの、あれだ。読んだことはある。が、あんまり良く覚えてないっていうか、いやでも紛らわしいやん?
僕、ディズニーとかのは見てないし」
「まあ、原作いきなりなら、高校生には厳しいかもなぁ…」
階段はいつ終わるとも知れない。
もう、何度も折り返しを繰り返していて、本当に、こんな状況も合わせて、地下他界へと向かっているような気がしてくる。
「それに、あれだけいろいろいるんだから、わざわざウサギで例える必要もないじゃないか。
それこそアリスとか、君ならハートの女王とかチェシャ猫も似合いや」
「チェシャ猫は鴎やろ?」
「鴎?ああ、木津か。鴎なんだからドードー鳥でいいんじゃないか?」
「ドードーなあ、それも有りか…ああいや、でもアイツネコやん?ネコ・タチの」
「なんで知ってるん…―――まさか、おお…なるほど」
「首、刎ねたろか?」
「やっぱ君ハートの女王やん」
「いらんこと言うからやでー。ネコについてはアイツが言ってただけや。」
新たな折り返し地点の踊り場には、世界地図が描かれていた。
母国のあたりを見やりながら話を続ける。
「でも木津持ってくるんなら、じゃあ藤井寺さんは?」
「料理人。公爵夫人の」
「ふーん」
「それだけ?」
「だって僕、あんまり藤井寺さんのこと知らへんもん」
「せやな。そういう君は帽子屋かイモムシってとこか」
「まあ予想はしてた。結局文学やってる人間なんてイカレやからなぁ」
自嘲気味な、けれど熱に浮かされたような口調で二上は言う。
後ろで大仰に手を振り上げる気配がしたかと思うと
「『いや、そういうわけにはいかんね。このへんじゃ、だれでも狂ってるんだ。おれも狂ってるし、あんたも狂ってる。』」
右手と左手とめぐらしながら、作中の台詞を諳んじる相方に、なにが良く覚えていない、と呆れながらも付き合ってやることとする。
「『あたしが狂ってるなんて、どうしてわかる?』」
「『狂ってるさ。でなけりゃ、ここまでこられるわけがない。』」(出典:矢川澄子訳「不思議の国のアリス」新潮文庫)
本当、よくこんなところまで来たものだ。
そういう意味では私たちも、なるほど。三月ウサギや帽子屋のごとく、狂った生き物なのだろう。
なんとなく、終わりの気配を感じながらそんなことを考える。
「まあ君は確かにアリスよりウサギの方が似合いだね」
そう言う二上に、何でと返す。
「だってウサギは多情だっていうだろ?」
「せやな」
と。内心、女の子に言うことか、と背後の男の評価を下方修正しようとすると
「加えて純真」
とんでもなく、こっ恥ずかしいことを言われた。
「なっ、、純真て、、、」
「多情で純真。ああ、あと意外と寂しがりやな所も似てるな」
「―――っ」
戸惑っているところへ更なる追い打ち。
この時ばかりは、前方を歩いていることが何より有り難く思えた。
こんな真っ赤な顔をさらせば、なんと言われることか。
言いふらされたりはしないだろうが、見られる、というか悟られるだけで末代までの恥となるだろう。
咄嗟に耳は髪で隠れているか確かめていると、
「お、どうやら着いたみたいやで」
との声。狼さんはすぐ下の踊り場で、階段へは降りず、フロアへと歩を進めていった。
私たちもそれを追って、長々と続いた階段を後にする。
◇
「郭名喜『ヴァルヴレイヴ』……」
「スーパー?……だよな?」
狼さんを追っていった先。
地下何階かもわからないフロアは、地下街によくあるテナントがズラリと並ぶ空間。
その一画に狼さんは佇んでいて、スーパーと思しき店舗の煌々たる光を受けていた。
「なんか…スーパーにしては、とんでもなくぶっ飛んだ名前だな……むしろ狙ってるんじゃないかってくらいだ」
「うちは…娘が心配になる名前や思うな」
「なんでやねん」
「なんでもや」
「ほうか」
互いにどこか心ここにあらずといった調子の会話であった。
それも当然の話で、二人とも意地の張り合いの結果、慢性的な寝不足や空腹にさらされている状態だ。
しかも、この日はいつも以上の長丁場の上、長距離を駆けずり回っていた。
地下では空は見えないが、日はとっぷりと暮れているであろう時間帯で。
自分にも相手にも、疲れを隠しきれなくなっていた。
「なあ…」
「休憩せえへん?」
どちらともなくの言葉であった。
ここまで来た手前、狼さんには最後まで付き合うつもりであったが、さすがに休憩を入れねば持つまい。
そう、お互いがお互いに視線で了解した。
[newpage]
◇
「セール…セール、やて?」
眉をひそめる。
視線が鋭くなる。
目の前には普段より安い牛肉。
大阪では牛肉ありきである。カレーと言えばビーフカレーだし、肉じゃがの肉とは牛肉の肉である。
もつ煮は家ではやらないが、近所では割と一般的のようでもある。
しかし、そこはやはり牛肉。狂牛病やらなにやらで気を遣う上、何より高い。
自然、主婦としてはセールを狙う習性がついてしまった。しかも、目の前の肉は類を見ないほど安い。
あまりに安いので、いささか不安を覚えるところではあったが、国産のラベルや、何より牛肉の状態は極上の一言に尽きる。
主婦としての勘は、今が買い時であると告げている。が、
「荷物になるしなあ…」
もとより体力が底をついている状況だ。
ここでセール品に手を出せば、あれもこれもと連鎖的に買ってしまうのは自分でも予測できた。
それはこの状況下では致命的。
加えて二上と分ける飲食物も買わないといけないし、そろそろ家に連絡を入れなければならない。
ついつい狼さんを追いかけてきてしまい、こんな時間になってしまった。
娘の送り迎えは夫がしてくれているが、料理に関しては、さすがに今日ばかりは店屋物で凌ぐ他ない。
最後に外食で済ませたのは一か月ほど前。そこから先はずっと手料理なので、今日だけなら問題はないだろう。
むしろ、連絡を入れる体力さえ削り取られることだけは断固として避けねばならない。
「くぅ~~っ!くやしいなあぁ!もうっ!」
狼さんを見張ってる役と、休憩用の飲食物(たこ焼き一船500円、飲み物2本で240円)を購入する役。
前者を二上に任せてしまったことを今更ながら後悔しつつ、私は売り場から踵を返そうとする。
「あの――」
「――はい?」
背後からかけられた声に、反射的に返す。
まだ、体と視線は売り場の肉へ向けられている。
「その肉、買わないなら俺が買うてもいいですか?」
なんの変哲もない大阪のアクセント。
若い男性のものとはいえ、違和感を覚える要素などないはずなのだが。
「あ、ああ。すみません。邪魔でした?」
同じく大阪らしいアクセントで返しながらも、なんだか聞き覚えがあるような気がして売り場から視線を外す。
背後に立った男性――少年が目に入る。
「え?あれ?え――?」
「あ。イ…――あ、え、あれ?」
互いに、戸惑いの声。
背後にいたのは学生服の少年。
さして特別な容姿ではない。どこにでもいる、黒髪の、平凡な男子学生である。
けれどその顔は、娘の幼馴染のものに瓜二つであった。
もちろん、娘はまだ幼稚園児であり、同い年の幼馴染の少年も言わずもがなである。
目の前の男子学生とは別人であるはずだ。
兄弟、あるいは従兄弟。そんな発想が一瞬浮かぶ。
けれど、そんな言葉では言い表せない既視感。幼馴染の小太郎くんが、あと十年育ったような姿。
そんな表現があまりに似合いすぎていて、ほかの可能性の全てが見当はずれな解答に思えてならない。
小太郎くんに姉妹はいるが兄弟はいない。
「あの――」
声がかかる。そこでやっと、私は少年をまじまじと見つめている自分に心づいた。
「ああ、ごめんなぁ。知り合いの子に似てたから。育ったら君みたいな良い男になるんやろな思ってなぁ。あははは~」
笑いで誤魔化し、足早にその場を去る。
学生でも、赤の他人なのだから、敬語を使うべきだと思いつつ、小太郎くんに話すような言葉遣いをしてしまった。
何やってんねん自分、と未だ混乱する頭で自省して、さっさと用事を済ませようと飲み物コーナーを目指す。
背後では
『コスプレ…?でも妙に若々しかったような……やっぱり別人か?』
なんて呟きが聞こえたが、それを受け入れて理解するだけの余裕も体力も、今の私にはなかった。
◇ ◇ ◇
「あのー…」
声がした。
どこか、聞き覚えのあるような。
初めて、聞くような。
「これ、アナタの落し物と違います?」
記憶にある声は、もっと自信に満ちたものだった。
けれど、今かけられた声は、それとは対照的な。
どこか不安をはらんだ。けれどそれ故に強い未来への意思を感じさせる。
記憶にある彼女が持つ、自信と矜持、諦念と寂寥。
それらとは真逆の、劣等感と焦燥、希望と意欲。
「――似ているからこそ、違いが際立つ、か。」
「え…」
声に出す。目を開く。
ようやく、その決心がついたので、彼女の顔を拝むことに決めたのだ。
アホネンに狼さん――らしい生き物がこの場を離れたら呼ぶように言われ、入り口脇のベンチで体を休めつつ待機していた。
当然というべきか、失態というべきか。
そのまま気が付けば、意識を手放してしまっていた。
そんな自分を起こしたのが、先ほどの声。
視線を向けると、綺麗な金髪に、青い、湖を写し取ったような深い青がこちらに向けられている。
先ほど口にした台詞に戸惑っている様子がうかがえた。
こちらとしては、もっと変人に声をかけてしまった後悔と恐怖の視線を期待したのだが、そこは対人のままならなさと言ったところか。
「いや失礼。知り合いとよく似ていたのでね」
改めて見ると、目の前の少女はアホネンと実によく似ていた。
――いや、似ている、というのは語弊がある。
太陽の光を注ぎ込んだような、濃密なブロンド。
印象的な碧眼が収まる、パッチリした人懐っこそうな瞳。
そこから延びる鼻梁と口元は、小ぶりで、白人とわかる顔立ちでありながら、人種の壁を思わせない愛嬌が満ちている。
そして、ニットのセーターを盛り上げる、胸の二つの球。
アホネンよりも大きな胸など、生涯出会わないと思っていたが、少女のそれは控えめに見積もっても、彼女の一つ上のサイズだ。
アホネンはもう少し切れ長の目だし、髪の色もやや薄めだ。なにより瞳の色は、翡翠のような、錬鉄された空のような、そんな光をたたえている。
目の前の少女とは部分で見れば相違点の方が多い。
けれど、雰囲気というのだろうか。
物腰というのだろうか。
ともかく、全体でみると、アホネンのそれと非常に近しいものが感じられた。
もしも共通点ばかり目につけば、人種が違うと見分けがつかない、などと自分を誤魔化せたかもしれない。
けれど、いろんなものが、徹頭徹尾対照的だったり、違いがあったりしたために、同じモノが浮き彫りになってしまったのである。
「えっと……この定期入れ、貴方が落としたのと、違いますか?」
「ふむ」
戸惑いつつ、学生証その他を入れた定期入れを、彼女は差し出す。それは確かに自分のものであった。
有り難いと思うと同時に、目の前の少女が気に食わなかった。
気に食わなかった、というのはやや的を外している気もするが、名状しがたい不穏な気持ちが広がっているのは確かだった。
惚れた相手はただ一人。
それも、並大抵の相手ではない。生涯に一人、出会えるか、出会えないかといった、それほどの。
なのに、それと同じものが目の前にある。
その不条理を、認められない自分がいた。
彼女を汚されたような感情があったのだろう。道理に合わないものの考え方だが、感情など、道理や倫理にかなう方が珍しい。
結局、当たり障りのない対応をして、後はもう、さっさと無かったことにすることに決めた。
「確かに僕のものだ。有難う。これがないと家にも帰れなくなるところだった」
「こんなこと言うのもなんですけど、こんな所で居眠りしたら危ないと思いますよ?」
「それもそうだ…ははは…なんだか慣れた言い方だね。そんな相手がいるのかな?」
当たり障りのない対応をしようという理性は、長年の研鑽の結果しみついた軟派な自分に無かったことにされた。
かわいい女の子を前にして、ついいらん事を口にすると、彼女は顔を真っ赤にした。
『ちゃ、ちゃうねん…これは小太郎のこと聞かれて、そんで赤なったんであって、浮気とかとちゃうねん、、裏切りちゃうからっ』
なんて一人ボソボソ言ってる姿に、イイもの見れたなあ、と一人浸る。
やがて彼女は、店内に知人がいると、スーパーの中へそそくさと引っ込んでいった。
名前を聞いておけばよかったと、惜しむ心が浮かぶ。
同時に、彼女が口にした想い人の名前に、どこか聞き覚えがあるような気がして、ほんの少し眉をひそめた。
◇
スーパーで買うのはドリンク二本。たこやきは、スーパー出口脇の店で買う予定である。
夕飯時ということで人でごった返すレジにならぶ。
疲れがたまっているので、遅々として進まないレジにいら立ちを覚えるかとも思ったが、意外にもさほど気にならなかった。
先ほどの出来事が後を引いているせいかもしれない。
あれはいったい何だったのか。
未だに自分の中で整理がつかず、考えてるうちに自分の会計の番が来てしまう。
特に問題なく会計を終え、その場で袋に入れてもらい、出口を目指す。
と、さわり、とした感触がお尻に。
電車はあまり使わないし、満員電車に乗った経験も数えるほどしかない。
なので痴漢にあったことはないが、やはりこの美貌のために、似たような不快な思いはそれなりにしてきた。
本当に、この時ばかりは男という生き物の罪深さを神に直訴したくなる。
瞋恚の炎が抑えきれず、あらゆる手段で痴漢という概念そのものが消え去るまで徹頭徹尾すりつぶしたくなるような、恥辱と憤りに全身が支配される。
涙さえ浮かぶほどの感情の奔流に、身を任せ、掴んだ手よ捩じ切れろとばかりにひねり上げようとしたあたりで、やっと異変に気付く。
あてがわれた手が、妙に小さい。
まろいラインを浮かびあがらせるように添えられた手は、しかし全体を覆うにはあまりに小さく、しかも下から持ち上げるような位置にあった。
さらに言うと、痴漢体験者の談にあるようなネットリとしたものではなく、こう、もっと、切羽詰まったような。
余裕のない、むしろこの駄肉をこちらに寄越せという意思をがありありと伝わってくる手の動き。
もう、感情は平坦に。
平坦から、喜色へと。グラデーションを経て、湧く。
「このっ―――」
「っぷぅ――んむぅ!」
くるりと体をひねり、そのままお尻を掴む、ふっくらとした腕をとり、抱き寄せる。
「イタズラ娘やなぁ!アイナぁ!」
んぎゅぅっと。
思いっきり娘エナジーを吸収するべく、娘の頭を自分のクッションにうずめる。
子供特有の高い体温や、わずかの引っ掛かりもない、せせらぎの様な手触りの髪を堪能する。
じたばたとするが、私の母性の前に、すぐに抵抗はやむ。
「もー♪どしたん?なんでこんな所におんねん?オカンいなくて寂しくてここまで来たんかぁ~」
「ぷぇ」
とろっとろに蕩けた表情で腕の中の娘をかわいがる。
思いがけぬ至福に、疲れは大体消し飛んでしまった。
何度も何度も睦言を繰り返してから、やっと娘を解放する。
アイナは最上級の愛撫によって、未だ天上から帰ることができず、ポーっとした表情で私の顔を見上げている。
「―――よいっしょっと」
ここでやっと、場所が絶賛修羅場中のレジ前であったことを思い出し、そそくさとその場を離れ、娘をおろした。
娘はまだまだ帰ってこない。
「おーい。アイナー」
目の前で手を振ると、徐々にこちら側に帰ってきたのか、視線が定まり始める。
「あぁ…おかぁん…」
「どしたんー。オトンどこ?一緒に来てるんやろぉ?」
やっと状況確認を取り始めるダメ母に、娘は健気にも懸命にゲシュタルト崩壊した自分を取り戻そうと、力んでいる。
「あ、あぁ~そうや。おかぁん」
「ん~?」
「今日な、おとぉんがご飯買うてくれるって」
「へぇ」
唐突で脈絡のない返答だったが、内容そのものは予想外、というほどではない。
むしろ、なんだか理由に思い当たるような気がしてならないのが、乾いた笑いを誘う。
「せやから、あのフクのことについてはキかんといてくれって」
「あー、あの服なぁ」
「オカン、アイナもあのカッコええフクきてええ?」
「う~ん。あと十年くらいしたらなぁ。」
「むぅ。じゅうねんなんてまてへん」
「我慢せな。みんな、我慢してるんやでぇ」
むずる娘をなだめながら、本当に、できた夫を持てた自分の幸せを噛みしめる。
もちろん、バニースーツをスタイリッシュにしたようなあの格好いいのを、彼がどうやって手に入れたのかはどうだっていい話だ。
ある程度のめぼしもついている。きっと彼の友人が何かの理由で置いていったのだろう。
あるいは、来るべき日に備え、彼か友人かが我が家にと持ってきたのかもしれない。
聞くなというならば聞かずにおこう。
私が察していると、彼も察しているだろう。
そんな公然の秘密であっても、ちゃんと埋め合わせをしてくれる所が愛おしい。
「これはお礼せんとなあ」
そう。ここまでしてくれるのだから、私も、あの三月ウサギスーツを家に置いといた、彼の期待に応えねばなるまい。
これは、早いうちにあれを来て迫ってきてれというサインなのだ。
そう曲解することにして、いよいよ目前に迫った初夜(二回目)に胸高鳴らせる。
「で、アイナ、オトンどこぉ?」
早く会いたい気持ちが高まったための、当然の質問。ネコを撫でるように尋ねる。
アイナの返答は、さして当たり障りのないものであった。
夫のラブコール(仮)に浮ついた私の頭は、そう判断した。
◇
二上太志は目を覚ました。
連日のバイトに、期末テストも重なったため、体力が落ちている。
友人に言われ、ここまで追いかけてきた白い大型犬様の動物を見張っていたのだが、ベンチに腰を下ろした途端に睡魔に襲われ、そのまま撃沈してしまった。
眠りの後の覚醒。
一瞬自身の所在を見失うが、夕飯時の主婦や仕事帰りのサラリーマンの姿を認め、自分がスーパーの前にいることを思い出す。
なにか夢を見ていたような。
スーパー内部の軽快なBGMと、行きかう人々の活気。そこに若干混じる浮ついた春の気配。
その中で夢の印象を噛みしめる。
ふと、相方から任された仕事を思い出し、慌てて動物の姿を探す。果たしてその雌の獣を確認すると、浅く息をつく。
呆と。
なんの気はなしに当たりを見回す。
彼は今、スーパー入り口の脇にしつらえられたベンチに腰を下ろしている。
たこ焼き屋の屋台じみた小型店舗がその隣にある。そこには数人の買い物客が、たこやきを求めて並んでいた。
一口サイズのおやつ感覚。見たところそんな感じの一般的な大阪のたこ焼き屋である。
後ほど、彼も友人とともに味わう予定のたこ焼きだった。
列が進む。
その中に、見知った顔を見つける。
言葉を交わしたことはない。
けれど、忘れたことのない顔だった。
精悍な顔つきにどこか一般人とは違う光を湛えたまなざし。二上は思い至らなかったが、それは戦場を垣間見た男のそれであった。
都市部であるため外国人もさほど珍しくはないが、市井にあってはやはり目立つコーカソイドらしい出で立ち。
仕事帰りなのか、スーツに身を包んでいる。
名前は――
「クラウス・P・アホネン」
自分にだけ聞こえる声で、口にする。
同級生の。部活の相方の。友人の。想い人の、『夫』。
記憶を確認すると、軽い震えを感じた。言葉の持つ意味と、そのリアルの鋭さに。
友人である女子、アホネンは、幼いころ、彼に命を救われ。
そして、彼の苦しみを癒すため、一夜の過ちを犯し、『娘』を身ごもった。
にわかに信じがたい話であったが、今年で六歳になるという娘も、その夫も現に存在している。
そこにどのような葛藤や試練があったのか。
たかが三年に満たない付き合いの二上には、想像の及ぶものではなかった。
時折、話の流れの中で家族の話になると、アホネンは強い幸福感をもって彼らについて語る。
さすがに旦那のことは、男子である彼を慮ってあまりしないので、主に娘の話であったが、それでもそこには常に、夫への無限の信頼が垣間見えていた。
その事実が、辛くなかったといえば嘘になる。
いくら彼が彼女を好きであったとしても、もう、その想いは報われないのだから。
彼女を愛する自分に、罪悪感を感じなかったといえば、それもまた嘘になる。
いつだって、彼女を、女性として好きである、と口にする際には僅かに後ろめたさを感じていた。
そういった背徳を越えた自身の感情であり、言動だと理解はしていても、目を背ける以外に良心の声と折り合う方法はなかった。
想いは確かに本物で。いつか振り向かせると宣言したのも確かだった。
けれど、こうして本人を前にすれば。その重みは、たやすく彼を挫くものだという実感が蘇った。
幾度か、クラウス・P・アホネンを目の前にした時に感じた震えだった。
単純に善悪を語るならば、二上太志は身を引くのが正しい。
想いを殺し、初めから何も無かったことにして。彼女は存在さえしないものだと。
そう、諦念して、日々を過ごせばいいのだと。
「…………」
それは、酷く惨めになる考えだった。
自分のことしか考えていないだけかもしれないが、これまでの彼女との思い出を無いものとするのは、耐えられないことだった。
「思えば、よくこの関係が続いたものだ」
想いは言葉になって漏れる。
この関係といったが、自分はアホネンの何だったのだろう。
片思いにして恋敵。そこが妥当であり、同時に最も遠い答えのような気がした。
彼の葛藤など知る由もなく、たこ焼き屋はたこ焼きを焼き、人は人の列を回す。
クラウス・P・アホネンも店のロゴの入った袋を手に下げ、出てきたスーパーの自動ドアへと帰っていく。
その際、二上の前を通る。
二上はチラリと視線をやる。クラウスは気付いた風でもなく、そのまま通り過ぎていった。
「ああ。でも」
そこでやっと。
二上は、自分の中に流れる感情が、それほど悪いものではないことに気付いた。
ドロリとしているのに、底には澄んだ流れがあるような。そんな感覚があった。
思えば、自分は幸福な家族を語るアホネンに惹かれていたのだろうか。
否、と自答する。
もっとそれ以前から。
そもそも、夫や娘がいるなどと知る、それ以前から。
ただ、一目見たその瞬間に。面はゆい表現であったが、彼女の存在そのものに、惹かれたのだと、心づく。
確かに自分には、アホネンに、娘を語る時にする、あの表情をさせることはできない。
それは彼女が彼女である限り。二上が二上である限り。叶うことはないだろう。
けれど、
「あくまで、もしかして、なんだけどさ」
いつか夕暮れに駆けたあの日。
たわいもない。ともすれば喧嘩ととられかねないような。
けれど、心がわきたって、あらゆる情念が背肉(そしじ)にしこり充ちた快い敵愾に溶けていくような。
ただただ、青春のきらめきに身を任せ、束縛から解放された束の間の時間。
いつの間にか、彼の中には、その瞬間の、弾けるような彼女の笑顔があった。
人生の中で得たものを尊ぶ母としての笑みではなく、若さ故に脈絡なく沁みだし湧きあがった少女としての笑顔。
思えば、彼と彼女が出会った初めのころには決してしなかった表情だった。
打ち解けてしばらくも、彼女がするのは母親の笑みだった。
自分が、アホネンに幸せそうなあの表情をさせられないのと同じように。
彼女の夫は、心から楽しそうに笑う、あの笑いをさせられないんじゃないか。
二上の記憶と経験以外には、なんの根拠もない考えだった。
けれど、その可能性がある、というだけで彼にとっては充分すぎた。
これまで、彼女への想いだけで、ただの少年には重すぎる想い人に向かい合ってきたように。
これからも、その儚い認識と、色褪せぬ記憶があれば、どんな苦悩にも困難にも耐えていけると。
その気付きに少年の顔には笑みがあふれ出していた。
泣きたくなるような、爽やかな笑みがあとからあとから。
人に訝しがられまいと、顔をうつむけてから、彼は笑い、それから少しだけ――
「ああ―――よかった。」
呟きは誰の耳にも届くことなく。
ただ彼の救済を証明して虚空へと還っていった。
獣は少年へ送っていた視線を外す。
くるりと。
それまでと変わらず、おそらくは彼女の祖先がそうしてきたのと同じように。
方向を変えて、先へと足を進めた。
◇
「だいたいアイナから話は聞いたでー」
仕事帰りの出で立ちで、手にたこ焼きの入った袋を下げる夫に告げる。
元来が寡黙な性質の彼は、委細承知といった風で
「そうカ」
と。アイナの前まで来ると、膝をついて手を広げる。
娘はすぐに察して、夫の腕に飛び込むと、勢いを殺さず抱き上げられる。
「そういえば、そこに彼がいタで」
『彼』という言葉で察する。
夫の表情はあくまで穏やかだ。
怒りとか、猜疑とか。そんなものはまるで無い。
あるのは限りない信頼と愛情。それから労り。
最後の感情だけが、少し、悲しかった。
自分がそれをさせているのだ、と。
こんなに歪な私のせいで、彼の信頼と愛情に、水をさすことになってしまったのだと。
それならば、初めから、何もしなければ良かったのだと。
でも、それは今、彼が抱く娘と引き換えの『もしも』で。
どう考えても、釣り合いのとれた交換ではなかった。
結局、欠けた幸せは、決して満足な形にはならない。それが、辛かった。
「このあとはどうするん?」
思いに沈む私に、珍しく訛りのない言葉がかけられる。
「彼、待たせてるんとちゃうん?」
その言葉で、私の中の少女が顔をあげる。
「うん、でも、もう暗なってるやん?そろそろ潮時かな、思ってたんやけど―」
彼の手前、娘の手前、母親としての私を通す。
本心を言えば、このまま狼さんを追いかけていきたい。
彼女の思惑を知りたい。
けれど、それは意味のない行為だった。
無理矢理、彼を父にしてしまった自分には許される行為だとは思えなかった。
それは、高校生活を通して…いや、学校というものに通う間、常に感じていた思考だった。
そこから逃げられたためしは――我を忘れた、ごくわずかな瞬間を除けば、一度も存在しなかった。
「いつまでも遊びほうけるのも具合悪いやん。なあ?アイナぁ。オカンと一緒の方がええよなあ?」
「ぐー」
「コラー。狸寝入りすなー」
「眠いのは本当やもん…」
娘の反応に戸惑う。
いつも、よくわかる娘の心が、わからない。
「なあ」
不意に、声がかかる。夫に視線を送る。
「愛してるで」
「な、なんなん。いきなり」
「君は最高の奥さんや。」
「そ、そんなんいきなり言わんといて…こんな所で、、、は、恥ずかしいやん、、、」
「でも、娘に気を遣わせるのはいただけないな。」
「―――」
狸寝入りのつもりが、本当に眠気が襲ってきたのか、娘はうつらうつらとしていた。
「君のことな、本当に尊敬してる。あんなに小さい体で頑張ってこの子産んで、その上育てて…
それだけでも充分すごいのに、しかもちゃんと学生もできてた。
最初のころは大変で、うまくいかへんことばかりやったけど。
いろんな人の助けもあって、それでだんだん、ちゃんと学業できるようになってった。
ほんま、すごいと思う。ほんま、尊敬してる。
僕にも出来ない、多分この子もできない…というかやらないやろうな。
そんで、君はどんどん綺麗になってった。
そんな君をな、僕は世界で一番愛してる。妻として、母親として、そんで、一人の女の子として。
どれか一つ欠けてもあかん。……ちゃうな。そもそも全部君やねん。
せやから、どれか一つないがしろにするんは、その分君をないがしろにするのと同じや。
それが、多分、僕は一番許せへん。―――せやから」
彼は、買ってきたたこ焼きを差し出す。
「持ってき。今日だけは大丈夫やで。
君も頑張ってる。家事も、育児も、ちゃんとやって、
家を空けるのは一月に一回なんて、いまどき少ないくらいや。
僕だって頑張れるんや。いくらでも頼ったらええ。
君もいつも言ってたやないか。本心は大切にするって。尊重するって」
そう言って彼は、私の頬に手をあてがう。
そのまま親指で、私の眉間を撫でる。
いつの間にか、皺が寄っていた。
ほんの数回撫でられただけで、私の心のこわばりが、静かにほどけていった。
「今がその時や。青春は一回きりや。思いっきり、楽しんで来たらええ」
その言葉で、なにか欠けていたものが、埋まっていくような気がした。
自分の中で、ほんの小さな部分が変わって、それだけなのに、全てが連鎖して反応し変わっていくような。停止して錆びついた歯車が噛み合って動き出すような。
「もうっ…かなわへんなぁ。ほんま、、、あはは、、もう、なんなんこれ、ほんま、何回惚れ直させんねん、、あはは」
何故か止められない涙を流して、笑いながら彼に告げる。
何度目かの告白であり、初めての感情だった。
またひとつ、彼を好きになったけど、その好きは、今までの私が知らなかった好きだった。
きっとこうして私は、彼を何度でも好きになるのだろう。
それは私が変わっていくことであり、私の世界が変わった証拠だ。
それは、とても喜ばしいことで、人として全うな事で。
そんな風に自分がなれるのだと分かって、心から救われた気がした。
だから、もう、始めたことを裏切ることはやめよう。
たとえ苦しくても、自分を諦めることだけは決してしない。
そうしてやっと、自分の中の進めを見つけられたのが嬉しくて。
つい、彼に
「なぁ、うちのこと好き?」
なんて言って。
「ああ。愛してる。」
「うち、クラウスさんの、特別な人やな?」
「せや」
「なら、ちゃんと名前、読んでくれる?特別な人なのに、ちゃんと読んでもらえないなんておかしいで」
まだまだ人気の多い場所だったけど、これだけは譲れないお願いをしてみた。
「なぁ?ウチの名前、呼んでぇ」
「お安い御用やで」
彼は。私の愛する夫、クラウスさんは、笑って口にする。
私の私だけの、名を。
[newpage]
◇
「なあ」
「なに?」
「泣いてた?」
「…泣いてへん」
「ふうん」
「君は」
「んー?」
「泣いてたかい?」
薄らと笑いを浮かべる。
ほんの少し黙考。それから推敲。
「いや、無粋なことを――」
「樋(問い)すれど いつしか湧(分)ける 汝(なれ)が井(意)に
水(見ず)汲む仲に 吾(われ)なりにけり」
樋を渡して我が家に水を引こうとしたが、いつの間にか、君の家に湧いていた井戸を汲みに行っていた。
そんな風に、問うても答えを聞くことなく、互いの意を汲む仲になってしまったなあ。
と、そんな心(うら)を。
私から唐突に投げかけれられた歌に、しばしの沈黙。
けれどそこは曲がりなりにも数寄者の二上か。
さして間を置かず――
「樋裂けて(とひさけて) 流るる水の なかりせば
香久山に吾(われ) なりぬるものを」
貴女の家の使われなくなった樋が裂けて壊れても、そこから流れる水がなければ。
互いの心の寂しさを語り合って慰め合っても、そこに流れる涙がなければ。
私は貴女の夫と争う仲になってしまえたのになあ。畝傍山を惜しいと言って耳梨山と争った、あの香久山のように。
「―――oooooon...」
その時、先を行く狼さんが、初めて鳴き声を上げた。
ひどく寂しげな、哀切を帯びた。廃れて人のいなくなった街に吹く風の様な声だった。
それで私は、返歌の意を考えることをやめてしまった。
もとより、深く探ってはいけないような。二上に悪いような、そんな気がしていた。
「おっ。広いところに出るみたいだ」
「やっとかぁ。いい加減狭い通路で―――…え?」
「なにこれ?」
トンネルを抜けた先には、広々とした空が広がっていた。
◇
その後も私と二上と、狼さんによる地下他界の道行きは続いた。
「歴史再現とは恐れ入る。」
「あかん、遠未来ついてけへん」
「いや遠未来は素晴らしい。あわよくばどこまでもついてきたい」
「あの女子用制服は無しやで」
「有りだろ。素晴らしい新世界」
「君も着てみたらわかるでー」
「――平行線やな。」
「……平行線やな。」
「次行こか」
◇
時には上ったり
「あかんあかんあかん!」
「君が乱発するから!!」
「口動かす前に足動かしい!!崩れるでぇ!!」
「赤い女の噂がまさか―――キターーーーーーー!!!」
「ドロッドロや!ドロッドロやで!!!!」
「走れえええええええ!!!」
「うひゃああああああああ!!!」
「だああああああああああっはっはっはっはっはっは!!」
「あはははははははははははははははははははははは!!」
「いよっしゃああ!!崩落に巻き込まれてったあ!!」
「って聖杯が飛んでったで!!」
「七つに分かれた――なんとかボールか!」
「もうワケわからん!!分け分からんすぎて笑えてくる!」
「だあはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」
「だああああああああああああああああああっはっはっはっは!!!」
「ひいいいいっひっひっひっひっひいいいーーー!!あーお腹痛っ」
◇
時には下ったり
「……」
「なあ…」
「……………なにっ?」
「いや、その、機嫌直してくれないか?」
「ブスーっ」
「口で言うな。口で」
「知らへん」
「いや、やっぱり条件反射で言ってしまうだろう。あのシチュエーションなら…」
「二上シネ」
「本当にスミマセン。確かに近くにギャルも女性用下着もなかったけど…」
「………」
「なぁ、、、さっきからずっと謝ってるじゃないかぁ」
「ス」
「?」
「スースーすんねん!!」
「え」
「ぐぬぅぅぅ…」
「君、まさかまだノーpぶべっ!!!」
◇
いろんな事があったような気がするし
「ひっぐえっぐ、、、」
「泣くなぁ…あいつは、アイツはよくやったやないか、、、」
「特攻なんて、悲し過ぎやないかぁ…」
「これであの海底は平和になったんだ…尊い犠牲やでぇ、、、」
「うぇぇぇぇぇ、、、死んだらあかんよぅ、、、」
「泣くなって…っ!僕まで泣けてきてまうやないかぁ、、、」
◇
ずいぶん長い間、旅をつづけたような気もするし
「これで、今までの事、全部忘れてしまうんだね」
「全部やないで。多少は覚えてるって言ってたやないか」
「………そうだね」
「もともと別の世界の話や。忘れるのが、道理や…」
「…せやな」
◇
「そろそろ出口か」
「ずいぶん階段のぼったなぁ」
「これで地下世界ともお別れか」
「まぁほとんど覚えてへんねんけどなぁ」
「楽しかったような気もするし、悲しかったような気もするな」
「また行ってみたいなぁ」
それほど長い散歩でもなかったような気もした。
一つ言えるのは、なんとも不可思議で不条理な世界だったということだろうか。
「おっ、この先出口やって。あとちょっとで大阪の街に凱旋やなぁ」
「ところでウチら今、大阪のどこらへんにいるん?」
「さぁ…」
「ん、ここか。梯子で上に上がるのかぁ」
「ほなら僕が先やな。トラップもあったし安全確認してくる」
「おおきにー。気を付けてなぁ」
穴の底、梯子を上る二上を見上げながら、狼さんを傍らに、壁に背を預け私は大きく伸びをした。