直方体の建物に挟まれた道を、刀を手にした瀞が歩く。刀を振りやすいよう道の左端を歩いており、銃撃が来た場合はすぐに建物の陰に飛び込めるようにしている。
(この先だな)
この辺りも催涙ガスの匂いが残っているため、残留した匂いを正確に嗅ぎ取ることは難しい。だが、個人の特定は出来なくても獣人の匂いは間違いなく残っている。
(副隊長だったら終わりだな)
通路の先には高いビルに様な建物があり、そこで賢士が狙撃の体勢を整えている可能性もある。
(ま、俺が撃たれたら、すぐに空が反撃してくれるから、無駄にはならねえよな)
瀞は、後方のビルの屋上でライフルを構えている空を信頼し、単独で前に進んでいる。怖いと言えば嘘になるが、空の存在はとても心強かった。
(ん)
ゆっくりと歩みを進めていた瀞だったが、不意に足を止めた。
(あ、こいつは・・・・・・)
あることに気付いた瀞は足を止めた。
(純心、だな。丸見えだぞ)
左前方の建物の中から微かに漏れる純心の匂いを、瀞の鼻は逃さなかった。催涙ガスの匂いに紛れてしまいそうになるが、5メートル以内に近づけば正確にかぎ取れる。嗅覚を鍛える訓練を続けてきた瀞には、建物の中に身を潜めて槍を構える純心の姿がしっかりと脳内で映像化されていた。
(こっちから斬りかかるか?でも、ばれてることに気付いてる可能性もあるな)
瀞は下段に構えた刀を握る手に力を込め、純心がいる建物へ近づいていく。
だが、ふと足を止めた。
(いや、でも、いくら馬鹿な純心でも、こんな無意味な不意打ち、やるか?俺じゃなくても、和虎隊長や京香さんだって、気配で気付くぞ、絶対)
仲間たちから馬鹿にされる純心だが、意外と座学の成績は風丸や瀞より高い。そんな兵士が、何の工夫もなく身を隠すという、獣人相手では失敗確率が高い作戦を実行するだろうか。
(催涙ガスの匂いでごまかせると思ったか?いや、もしかして・・・・・・)
瀞は正面に聳えるビルに視線を向けた。
(おとりか?純心に斬りかかった瞬間、狙撃を?)
ビルまでの距離は200メートル。狙撃が難しい距離ではない。
(純心を誘い出して空に狙撃してもらうか、それとも、ビルの狙撃手が顔を出した瞬間、そっちを空に狙撃してもらうか。そもそも、ビルに狙撃手いるのか・・・・・・)
瀞が次に取るべき行動を選択しようとした瞬間。
キィン!
ビルの内部から、刃同士の衝突音が飛んできた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
数秒前、ビルの中では狸獣人が息を潜め攻撃の時を待っていた。
(もうすぐね)
08部隊隊員、四月一日理理だ。その手には、愛用のライフルH&K XM8のカービンモデルが握られている。理理は念のため弾の装填を再び確認し、大きく深呼吸をした。
今、理理がいるビルに向かって瀞がゆっくりと接近している。やがて瀞は、建物に潜んでいる純心に攻撃を仕掛けるだろう。その瞬間、窓から瀞を狙撃する。それが作戦だ。
外で戦闘の音が聞こえたら、それが合図だ。迅速に相手を場所を確認し、標準を定め、引き金を引く。理理は微かな音も聞き逃しまいと、全神経を聴覚に集中させた。
だからこそ、理理は音もなく部屋の中に侵入してきた人物に気付けなかった。
音も、そして気配も消して部屋に侵入してきたのは灰色の猫、03部隊副隊長の京香だ。まるで本物の猫のように、扉を開けず部屋の隅にある小さな換気用の穴からにゅるりと部屋に入った京香は、着地と同時に右腰のホルスターから訓練用の手裏剣を取り出し、これまた音もたてず理理に投げつけた。
部屋に入って1秒足らずでの攻撃だった。
しかし。
キィン!
手裏剣は理理の手前で弾き落された。
「にゃに」
驚いて振り返る理理と、新たな手裏剣を取り出した京香の間に割って入ったのは、08部隊隊長のイタチ、零だ。左手にはナイフが握られており、不敵な笑みを京香に向けている。
一瞬の硬直の後、京香と零は同時に跳んだ。
京香は手裏剣を投げつつ、対する零は右手で短機関銃Vz85を抜き京香へと発砲しながら。
高速で飛来する刃も弾も、身軽な猫と鼬には当たらない。
しかし、この場ではフルオートで放たれた弾幕に分があり、京香は部屋の隅に追い詰められる。
すかさず、理理が京香へ向けてXM8をフルオートで撃つ。
京香は手裏剣を理理へ投げつつ右へ跳んで躱す。
理理は手裏剣を避けたため、弾幕が止んだ。
Vz85を撃ち尽くした零が、京香へとナイフで切りかかる。
京香は腰の忍刀の柄を逆手で握り、居合で迎え撃った。
ギィン!
両者の刃がぶつかり合い、火花が散る。
直後、零はその場から後退した。
京香の左手から、小さな玉が落ちたのを見落とさなかったからだ。
ボンッ!!
部屋は一瞬で、黒い煙幕に包まれた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
キィン!
零が京香の手裏剣を弾いた音で瀞の耳が揺れた瞬間、建物の中に潜んでいた純心もそれを聞いていた。
(行くしかねえ!)
理理の身に何かが起きた。零がいるため無事だとは思うが、作戦は失敗し、しかも瀞には自分の居場所がばれていると、純心はそう判断し、瀞に攻撃を仕掛けることにした。
ガン!!
純心は建物の扉を蹴り開けた。
(お、やっぱり隠れていやがったか)
瀞にとっては、予想通りの場所に相手がいたため驚かない。
下段の構えを取り、その場で身構える。
(無理に攻めなくても、空が狙撃してくれるはずだ)
空の援護がある以上、無理に動く必要はない。
瀞は、建物から純心が出てくるのを待った。
すると。
「おりゃ」
建物から腕だけを出した純心が、何かを投げた。
(やっべ!)
それは、さきほど理理が撃ち落としたドローンに装備されていた、催涙ガスのグレネードだ。
グレネードが地面に落ちると、即座に白煙をまき散らす。
瀞は後退して煙から逃れた。
(姑息な手を使いやがる。これじゃ、空も狙撃できねえな)
ボンッ
どうすべきかと瀞が思案していると、ビルの方から爆発音がした。
そちらに視線を移すと、窓から誰かが飛び出していた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「くっ!」
京香が投げた煙幕により、部屋は一瞬で黒煙に包まれた。
このままでは、また目と鼻をやられてしまう。
理理はすぐにビルの窓から飛び出した。
「えっ」
視界に入ったのは、純心が潜んでいた建物の付近で発生している催涙ガス。
そして、それよりも後方の小さなビルの屋上でライフルを構えている空の姿。
空は即座に自分へ狙いを定めた。
(やられる!)
理理は落下しつつも空へ向かってライフルを発砲した。
空も同時に引き金を引く。
5.56ミリのペイント弾は空中で交差し標的へと突き進む。
しかし、共に弾は外れた。
理理はそのまま落下していき、やがて催涙ガスで互いに姿は見えなくなった。
(あの猫・・・・・・なんであんなの持ってるのよ。ま、零さんなら大丈夫だろうけど)
着地した理理は零よりも、瀞と空に狙われるであろう純心を救助すべきと判断した。
(それにしても、使うの早すぎるでしょ)
しかし、催涙ガスのせいで近づけない。
どうするかと悩んでいると。
ガンッ!!
白煙の奥から、轟音が聞こえてきた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(今の、理理か)
瀞は、ビルから飛び出た理理が落下していくのを見届けると、空がいるビルを振り返った。
(空に向かって撃っていたな。当たっていなきゃいいけど)
空の元へ向かうべきかと瀞が考えていると。
ドォン
「ん?」
建物の中から、何かを壊すような音が聞こえてきた。
(純心か!)
瀞は建物から離れた。
ガンッ!!
1秒後、建物の壁が砕かれ礫が飛来してきた。
瀞は大きく後方に跳んで逃れた。建物の近くにいたら、避けられなかっただろう。
「躱しやがったか」
壁を破壊して現れたのは、槍を手にした純心だ。
外は催涙ガスのが充満しているので、建物の中を通って瀞の元まで来たのだ。建物の壁を怪力で破壊しながら。
「無茶しやがる」
瀞は下段の構えを取り、迎撃態勢を整える。
あと一歩、純心が建物から完全に身を乗り出せば、空が狙撃してくれる。
空が、先程の理理の銃撃に当たっていなければの話だが。
そして、純心が一歩踏み出そうとしたその時。
「純心、空が狙ってる!建物から出ないで!」
白煙の奥から、理理の叫びが聞こえてきた。
「おう!」
純心は足を止めた。
(あ、まさか!)
瀞は理理の狙いに気付き、純心とは向かい側の建物に飛び込んだ。
直後、催涙ガスの奥から理理が放った銃弾が飛来してきた。
純心を空の狙撃から守り、自分の銃撃に純心を巻き込まないための声掛けだったのだ。
(危ねえ。考えてやがる)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(瀞、危なかった)
空はビルの屋上から、瀞が辛うじて理理の銃撃から逃れるのを見ていた。
(理理も純心も、攻撃できない。瀞も動けないし)
空は下の街並みを見下ろすも、理理は白煙の奥に、純心は建物の中にいる。
(このままじゃジリ貧ね)
作戦を慎重に熟考するのもよいが、出来るだけ早くこの場の戦闘を終わらせ、他の味方の援護に行くべきだ。
相手に思考を暇を与えまいと、空は即座に行動に出る。
周囲を再確認して敵の姿が見えないことを確認すると、ビルから飛び降りた。
(屋根から屋根へ飛び移ってくること思ってるかも。だったら)
そして息を止めると、ライフルのセレクターをフルオートに切り替え、両脚に力を込めて全力で地面を蹴った。
矢と化した空は立ち込める白煙を貫通し、その奥で銃を構えていた理理へと向かう。
(ぅあ!)
白煙から飛び出してきた空は、理理にとっては不意打ちだ。
理理は白煙越しの銃撃に備えて建物の陰に隠れていたが、矢と化した空に側面を取られる。
空が一瞬早く、フルオートで発砲した。
理理は建物の陰から飛び出したが、1発が右手に当たった。
「あっ!!」
理理の手からライフルが落ちる。
空は撃ち尽くしたマガジンをライフルから外しつつ、理理へ接近した。
リロードして撃つよりも、接近戦を仕掛けた方が早い。
理理が左手でナイフを抜くが、それを蹴り落として追撃のミドルキックを打ち込もうとしたが。
(うっ!!)
空は蹴りを止め、後ろに跳んだ。
ガキッ!
直後に、空がいた場所に小太刀の鞘が降ってきた。
かなりの速度であったため、回転しつつ高くバウンドする。
空は素早く新たなマガジンをライフルに装填し、付近の建物の屋根の上を見た。
そこには、雄々しい鬣を靡かせる獅子がいた。
直槍を手にして小太刀を咥えた、03部隊隊長の氣雷が。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
空が白煙に飛び込んだ直後、瀞と純心は互いに建物から飛び出した。
空と理理が戦闘に突入すれば、自分たちを狙い撃つ余裕はなくなるだろう。
むしろ、相手を早く倒して加勢に行くべきと判断して。
瀞は下段の構えを取り、相対する純心は切っ先を瀞に向けるもすぐには仕掛けなかった。
(闇雲に突っ込んだりはしねえか)
純心との試合を通じて、瀞は分かっていた。
目の前で槍を構える犀は、普段の大雑把な性格からは考えられないほど、戦闘は理詰めだ。力任せに押しまくることもあるが、それは攻撃が有利と判断した時のみであり、拮抗した状況では無暗に攻めず相手を観察する。
それは、自身の弱点が分かっているから。犀獣人である純心は、その巨体に見合った怪力の持ち主だ。筋力と体重を活かした突進力は凄まじく、その刺突は硬いキメラの筋肉や骨を貫くほどだ。
しかし、その巨体故に俊敏さに欠ける。刺突は脅威だが、それを躱されるとあっさりと懐に飛び込まれてしまう。だからこそ純心は、容易に攻撃を繰り出さなかった。
とは言え、間合いの利は槍を持つ純心にある。瀞は風丸のようなスピードはないため、先手は純心だ。
純心は間合いを詰め、そして。
「しっ!!」
鋭い突きが瀞に向かう。
訓練用の武器でも、直撃すればただでは済まない。
遠い間合いだが、純心の踏み込みは長く切っ先は予想以上に伸びた。
刀で防げるはずもなく、瀞は右半身を引いて半身になって躱す。
瀞が踏み込まず、後方に下がった。
長く鋭い刺突だが、接近を警戒した純心の踏み込みはやや甘く、その分引きが早く次の刺突の準備が整っていた。
再び突きが瀞を襲う。
頭部に向かう突きはしゃがみ、胸元に来た突きは半身になって避ける。
追い込まれてこれ以上下がれない、という事態を避けるため、瀞は純心から大きく距離を取ると左に跳び、道路の真ん中で陣取った。
純心は再び間合いを詰め、足元に突きを打ち込んだ。
後方に大きく飛んで躱した。
サイドステップは跳躍の直前に硬直があり軸足がその場に残るため、多用は出来ない。
突きは想定以上に伸びてくるので、距離は大きく取らざるを得ない。
(ジリ貧だな)
奇しくも空と同じことを思った瀞は、間合いを詰めてくる純心を迎え撃つべく重心を前に置き、覚悟を決めた。
純心は、今度こそ仕留めてやると言わんばかりに、大きく踏み込み再び足元を狙う。
しかし、下段に構えていた瀞は刀を振り、槍を払った。
ガチン!!
火花が散り、槍の軌道が逸れ、瀞の前足の僅かに左を通過した。
純心の突きのタイミングを把握したからこそ出来た芸当だ。
瀞は返す刀で切上を打ち込もうと、前に踏み込む。
しかし、純心は左腰の脇差の柄に左手を伸ばし、逆手で握り抜き放った。
ギィン!!
再び火花を散らし、刃同士が衝突する。
鍔迫り合いとなるが、状態は拮抗した。
筋力では純心が有利だが、体勢は瀞が有利だ。
「ぐぅぅ・・・・・・」
「ぬぅぅ・・・・・・」
互いに歯を食いしばり、渾身の力を込めて押し合う。
瀞はこのまま攻め倒そうとするが、純心はそれを拒むように押し返す。
捕食戦とする肉食獣と、抗おうとする草食獣のように。
(押し切れ!)
(耐えろ!)
(このまま!)
(相手が疲れるまで!)
(いけぇ!)
(弱めたらやられる!こうなりゃ!)
純心は槍を手放し、右手で拳を作り脇差の峰に当てた。
(押し切って、反撃で仕留めてやる!)
(させるかぁ!)
両者は互いに筋肉を隆起させて刀を押した。
「力で、負けるか。犀だぞ・・・・・・」
「年下に、俺が、負けるか・・・・・・」
「早生まれ、舐めんな・・・・・・」
「俺も、早生まれだ・・・・・・」
鍔迫り合いが筋力のぶつけ合いから意地の張り合いに切り替わりつつある、その時。
タタタン!!
「いでぇ!!」
突如、白煙から飛び出してきた空が、純心の背中に向けて発砲した。
ペイント弾の直撃を受けた純心の身体から力が抜けたため、瀞はそのままその巨体を吹き飛ばした。
「瀞、一旦逃げるわよ!」
達成感や焦燥感を味わう間を与えず、空が叫んだ。
何事かと白煙の方角を見ると、槍を構えた氣雷が催涙ガスを吹き飛ばし現れた。
(いっ!?やべえ!!)
純心以上の大きさと速度と重圧で向かってくるその姿は、キメラ以上の迫力がある。
一瞬恐怖で硬直した瀞だったが。
(氣雷さん、俺より足速えから追いつかれるし。それに、俺ら二人がかりならいけるだろ)
瀞は空の指示を無視し、迎撃の体勢を取った。
(やってみねえと!!)
下段に構え、槍の動きを見つめる。
過去の合同訓練で、試合をしたことはある。あの刺突は、初見ではない。
(落ち着け・・・・・・よく見ろ・・・・・・)
自身にそう言い聞かせ、迫りくる獣の全身を刮目する。
汗が噴き出て、口中に唾が溜まる。
それを飲み干した瀞は、全身の力を抜き、そして両脚に力を込めた。
(今だ!!)
「ッシ!!」
そして、氣雷の刺突が突き出された。
純心とは比較できないほどの速度で、高い威力が凝縮された一撃が。
野性的な容姿の嫌いから放たれたのは、習練により洗練された突きだった。
それを、瀞は後方に全力で跳んで躱した。
(躱せた!!)
初見では初動に気付けず腹部に直撃してしまい、悶絶した経験が役に立った。
氣雷の一撃は予備動作がほとんどなく、攻撃の起こりを見極めるのが困難で、対峙しているといつの間にか打ち込まれてしまう。間合いも広いため、全く避けきれなかった。
しかし、試合と激痛を重ねることで、突きの直前に起こる予備動作に少しずつ気付けるようになってきた。
まだ紙一重で躱すことは出来ず、恐怖心のせいで必要以上に動いてしまうが、ようやく躱せるようになってきた。
(空、いけ!!)
仲間の援護に合わせて攻めれば、どうになかるかもしれない。
空の援護を期待した瀞だったが。
「あ」
白煙の奥から、ライフルを片手で構えた理理が現れ、瀞に向かって発砲してきた。
瀞は刀でペイント弾を防ぐ。
その隙に、氣雷は瀞に接近した。
(げっ!!)
一瞬、凶悪な笑み浮かべる氣雷の顔が見えた。
その直後、瀞の腹部に薙ぎ払われた槍の一撃がめり込んだ。
高速で吹き飛んだ瀞は、建物の壁に全身を打ち付けた。
(あぁ、だから空は逃げようって言ったのか。氣雷さん一人が相手なら、戦うよな・・・・・・でも、氣雷さん以外にもう一人いたら・・・・・・そりゃ、勝てる、わけ・・・・・・)
空の命令に納得した瀞は、自分より判断力が優れている相手の指示に従わなければと反省しつつ、意識を手放した。
****************************************
同刻、別の地点で一人、荒い呼吸を繰り返し呼吸を整えようとする若い獣人がいた。
(はぁ・・・・・・撒いたか)
5階建てのビルのような直方体の建物の中で、風丸は一人、最上階の個室の中にあるコンテナの陰に身を潜めていた。
(今のうちに・・・・・・まだ北側の部屋は見てなかったな)
風丸は部屋からそっと頭を出し、左右を見渡して誰もいないことを確認し、足音を立てぬように走り出した。
警戒心を最大に高め、目と耳と鼻の感覚を最大限に発揮し、敵の接近にすぐにでも気付つようにして。
(ここもだめか)
風丸は4階の北に面した部屋を全て調べ、大きくため息をついた。
どこの部屋も窓が閉め切られており、開かないのだ。
(逃げ込まなきゃよかった。全力で突っ走ればよかったのに・・・・・・)
風丸は、数分前の自分の行為を、ひたすら後悔していた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「はぁ、ひぃ、くっそ、んだよあれ・・・・・・」
数分前、風丸はぶつくさと文句を垂れつつ一人町中を走っていた。
風丸のチームもまた、瀞たちのチームと同様に催涙ガスの洗礼を受けてばらばらになった。自慢のスピードで催涙ガスから逃れた風丸だったが、ドローンや小型戦車などのロボット達による追撃があまりにも激しく、無酸素状態で走り続けてしまいスタミナを激しく消費してしまった。
(あそこまで、やるか、普通・・・・・・目がいてーし、疲れたし、皆ともはぐれたし)
風丸は周囲を見渡したが、味方の姿はない。かと言って、敵の姿もドローンも見当たらなかった。
(もう、敵と会うかもしれねーよな。狙い撃たれたりしねーかな)
急に不安になった風丸は、付近のビルの中に飛び込んた。
(ちょっと、休憩しよう。こんなんじゃ、自分の力発揮できねーし)
通路と個室があるだけの、無個性な建物だ。風丸は廊下を進み、突き当りにある階段の脇に腰を下ろした。
(ここなら、オレの匂いを追ってビルに入ってきた奴がいても、絶対に正面の通路から来るから、不意打ちはされないな。和虎隊長とかなら、階段上って逃げればいいし。あ、でも、空はジャンプ力すげえから、二階の窓から入って上から来るかもしねれーな)
風丸は正面の廊下と階段の上、2か所からの攻撃を警戒しつつ、1分ほど休憩を取った。
(おーし、もう大丈夫だ!いっくぜー!)
呼吸は整い、体のだるさも消えた。ナイフを手に取り準備を整えた風丸はビルの入り口に戻ったのだが。
「あれ?」
ドアは動かなかった。
入った時は、スライド式のドアが自動的に開いたのだが、何故か全く動かない。
「おいおい」
スライドさせようとしても、動かない。全力を出しても微動だにしない。体当たりや蹴りをお見舞いしても、結果は同じだった。
「え、ちょっと、マジかよ。壊れたのかよ。それとも、これもトラップ?でもこれ、トラップっつーか、ただの嫌がらせじゃん」
風丸は周囲を見渡すが、窓はない。
(他にドアとかあるかな?部屋もたくさんあったし、窓とか一つくらいあるっしょ)
別の出口を探そうと、ドアに背を向けた瞬間。
ガシャッ
ドアが開いた。
「おっ。なおっ、た・・・・・・」
振り向いた風丸の目に映ったのは、目を丸くしてこちらを見る和虎の姿だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(なんでこんなビルの中で、和虎隊長とデスマッチしなきゃいけねーんだよ)
敵チームである和虎と遭遇した風丸は、全速力で逃げた。当然、和虎はそれを追いかけた。
速度で勝る風丸は和虎を撒き、ビルの入り口へ再び戻ったが、やはりドアは開かなかった。どうやら、入ることは出来るが出ることは出来ないらしい。
その後も和虎から逃げ回りつつ、各階の個室に入り窓を調べるが、どこも閉鎖されておりまったく開かない。風丸は、ビルの中で和虎と二人きりとなってしまった。
そして、全ての部屋を見て回ったが、開く窓は一つも見つからなかった。
(どーすんだよ、これ。出られねーじゃん。隠し通路とかねーのかよ)
途方に暮れた風丸は、仕方なくその場に座り込んだ。肉体的なものでなく、精神的な疲労の色が強い。
(あ、でも、もしかしてこれゲームでよくある、敵を倒したら扉開くってやつかも。だったら和虎隊長をぶっ倒せば)
一度はそう考えた風丸だが、下段に太刀を構えた和虎の姿を想像し頭を振った。
(いやいやいやいや、死ぬ死ぬ。ぜってーやられる。返り討ちだわ)
自身が取るべき行動を考える風丸に、新しい策が浮かんだ。
(そーいや、あの入り口のドアって多分、外からは開くよな。じゃあ、誰かがドアの入り口に立てば開いて、その瞬間なら脱出できるかも・・・・・・よし、それでいこう!音とか立てれば、それを聞いた奴がビルに近づくかもだし!)
作戦を決めた風丸は個室から出ようとしたが、再び不安がよぎる。
(あ、和虎隊長ならそんなオレの作戦を読んで、1回で待ち伏せてるかも。そもそも、音を立てたら和虎隊長が聞きつけてやってくるし)
この作戦もだめか、と思ったが。
(でも、もうこれしか思いつかねーし。とりあえず、1階に行くか。待ち伏せも、警戒してたら大丈夫だろ)
何もせず座っているわけにもいかず、何かしら行動を起こさなければならない。しかし良い案が浮かばず、何もできず不安だけが膨らんでいく。
風丸には良い案を出せるほどの知力はないが、不安に捕らわれるほど心は弱くなかった。
(よーし、行くか)
深呼吸をして部屋から出た風丸は。
「あ」
「お」
てっきり下で待ち伏せしていると思っていた和虎の姿を見て、硬直した。
匂いを追って、ここまで追ってきていたのだ。
意外と近く、距離は5メートルほど。一足飛びで容易に届く距離だ。
和虎も不意に風丸が出てきたため驚いたが、すぐに冷静さを取り戻し風丸に斬りかかる。
風丸の進路を立つように、上段から勢いよく振り下ろす。
とっさに後退した風丸は、部屋の中に戻ってしまった。
「いぇ!?」
狭い部屋の中には、逃げ場がない。
出入り口には、和虎が聳え立ち塞いでいる。
(まずい!追い込まれた!)
袋のネズミとなった風丸は、恐怖のあまり後ずさりをして、壁にぶつかってしまった。もう下がれない。
(なんか、和虎隊長、いつもと雰囲気違うような・・・・・・怖さがハンパねーし!)
初陣で心に根付いてしまった恐怖心を克服するため、風丸は和虎と毎日試合をしている。実戦のように、寸止めはせず力を込めた打ち込みに晒されながらも、臆することなく行動できるようにするためだ。その際、和虎は本気を足さずとも恐怖を感じさせる力加減で風丸に攻撃してくるのだが、やはり試合であるため実戦ほどの恐怖はない。
だが、今は違う。攻撃は試合の時より鋭く速く、風を切る音に殺気を感じる。身体から放つ威圧感も凄まじく、対峙しているだけで精神的に消耗してしまう。
(実戦形式の訓練だからかな?にしても、怖すぎるって!あれにぶっ叩かれたら、どんだけいてーんだよ!)
以前、試合の最中に和虎の攻撃が直撃したことを思い出す。
腕、足、腹、打ち込まれた箇所にはとんでもない激痛が走り悶絶してしまった。あの痛みが、これから自分に襲い掛かってくるのかと思うと、ナイフを握る手が震えた。どうすべきか分からず、ただただ和虎を怯えた顔で見ることしかできない。
すると、和虎の表情が変わった。戦闘時独特の、相手を睨みつけるような獣の表情だったのだが、それが徐々に怒りを込めた顔に変わっていく。
訓練や試合の時、部下をしかりつけるような顔に近いが、それとも少し違う。その顔よりも、もっと怖い。
目がつり上がり、眉間にしわが刻まれ、牙がむき出される。
(ひええ・・・・・・)
「風丸」
更に恐怖する風丸に、和虎の冷たく重い声が届いた。
「はいっ?」
「訓練だぞ!!!来んか!!!」
今まで聞いたことのない怒号が狭い部屋の中に響き渡った。
失跡、そして苛立ちが籠った声は風丸の全身を叩きつけられ、鼓膜と共に心を揺さぶった。
(も、もうどうにでもなれ!!)
恐怖心が更に膨れ上がると思いきや、行かねばならないと背中をたたかれたような気持ちになり、風丸は身構えた。
そして。
(死にはしねー!!)
風丸は全力で地を蹴った。フェイントや方向転換を全く考えず、和虎の左脇を駆け抜ける。
ブォン!!
和虎の切上が風丸を襲う。
しかし刃は空を切る。
刃が振り上げられた時、風丸の姿は部屋の中になかった。
「いで!」
和虎の、そして自身の予想を超える速度で駆け抜けた風丸は、廊下の壁に激突した。
(助かった!よっしゃ!今だ!逃げろ!)
和虎が振り返った時、風丸は既に走りだしていた。
(やった!なんか、助かった!和虎隊長、油断してたっぽい!助かった!)
風丸は1階に戻るため、階段を駆け下りる。
(あ、今、もしかして)
風丸は階段の踊り場でターンした瞬間、ナイフを上の階に向かって投げた。
丁度階段を降りようと角を曲がった和虎の胸元に、ナイフが迫る。
ギン!
回避が間に合わないと判断した和虎は、太刀でそれを防ぐ。
和虎が足を止めた隙に、風丸はどんどん下の階へ降りていった。
(ドンピシャ!)
命中を確認せず走り出していた風丸は、金属音を聞いて防がれたことを知った。
和虎の速度なら、今投げると丁度いいと判断してナイフと投擲したが、どうやらベストはタイミングだったらしく、胸の中でほくそ笑んだ。
ついさっきまでは攻撃の意識など全くなかったが、一度和虎の攻撃を回避できたことで、いいリズムに乗れたらしい。
(足止めにはなったろ。よーし、だれか外にいるといいな!)
風丸は1階の出入り口まで走り、扉を叩いて叫んだ。
「誰かいるかー!」
扉を叩いて叫ぶ。
しかし、扉は反応しない。
風丸は振り返り、和虎の接近に警戒した。
(避けまくれば、意外とチャンスあるかも)
風丸のポジティブな性格は、ここでは上手く働いていた。
すると。
ガシャッ
扉が開いた。
「お!」
風丸は喜んで振り返ったが。
「あ」
「わ」
そこに建っていたのは、巨漢のワニ。
和虎と同じチームの、陸であった。
(敵増えてるし!)
絶望する風丸に向けた、陸は手にしていたモスバーグの銃口を向けた。
ドンッ!!
散弾ではなく、非致死性のゴム弾が飛ぶ。
風丸は左に跳んで躱し、陸の脇から外に出ようとするも、出入り口は小さく隙間が無い。
一瞬躊躇した瞬間、陸は銃をしててマチェットを抜き、風丸の接近戦に備えた。
(やばばばば!)
仕方なく陸から距離を取ると、廊下の奥から和虎が現れた。
(ひえー!挟まれた!)
和虎は低い姿勢で下段の構えを取る。
もう背後は取らせまいと、その姿勢を維持して接近してくる。
一方陸は、マチェットを構えて出入り口から動かない。
(わ、わ、わ、わ、わ)
広さはせいぜい、5メートル四方程度。動き回って翻弄できる広さではない。
(やるしかねーって!いける!大丈夫!さっきみたに!)
良くも悪くもポジティブかつ単純であるが故に、先程の自信はまだ消えていなかった。
恐怖で押しつぶされることなく、和虎へ向かう。
(もう一回、マックスで・・・・・・)
風丸は再び、全速力で和虎の脇を通り抜けようと速度を上げたが。
「いっ!!」
和虎の間合いの直前で、急停止した。
振り上げられた刃の切っ先が、自分の顔面を下から上に通り抜ける様子が目に浮かんで。
風丸が全速力を出す前に取る動きを、和虎は見抜いたいたのだ。
いかに速くても、動きを読むことが出来れば仕留められるほどの技量を、和虎は備えていた。
風丸は踵を返し、陸に向かう。
陸も風丸の速度が分かっているので、狭い空間で勝負すべく、逃すものかと言わんばかりに出入り口から動かない。
(そーいや、京香さんはこういう時・・・・・・)
風丸は、同様のスタイルで戦う灰色の猫、京香の言葉を思い浮かべていた。
同じ戦術で戦うので学ぶことが多いだろうと、合同訓練の時は指導を頼み、よく試合をしていたのだ。
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試合は、いつも風丸の完敗だった。
風丸の攻撃は一切当たらず、一方で強化の攻撃は全て当たる。
どんなに風丸が速く動き、ナイフを振っても、京香は身を捻じり、かがみ、半身になり、そして華麗なステップであざ笑うようにするすると躱してしまう。そして、突如視界から消えたかと思うと、いつの間にか背後に建っているのだ。
そして、隙だらけの風丸には京香の刃が当たる。何度やっても結果は変わらない。
「きょ、京香さん、強すぎるっしょ」
試合の後、風丸は畳の上で仰向けに寝転がり、息も絶え絶えの状態で呟いた。
「いやー、それほどでも」
多少的に、京香は全く疲れていない。無駄な動きが全くないのだ。
「何で当たらねーのかな。やっぱ、オレ、まだ遅いのかな」
完敗のショックで風丸がつぶやくと、京香が首を横に振った。
「ううん、風丸の方がちょっと速いよ」
「え?そーなんすか」
「ソォーナンス」
「いや、オレ真面目なんすけど」
京香のモノマネにあきれながら、風丸は起き上がる。
「じゃ、どーして」
「風丸は次の動きが丸分かりだから。もっと素振りして、攻撃前の“起こり”が分からないようにしないと。和虎君とか、ノーモーションじゃん」
「そっか・・・・・・」
「あと、私のフェイントにも簡単に引っかかるし」
「フェイント?」
「あ、フェイントも難しい?」
「それくらいは分かるって!右と思わせて左、とかのやつでしょ!ボディブローと思わせて、ストレート打つ、とかの!」
「そうそう」
「馬鹿にしないでくださいよー」
「和虎君から、風丸はバカだから説明する時は気を付けろって言われてたから、つい」
「ひでーし。でも、京香さん、フェイントとかしてたっけ」
「私は常にしてるかな。ちょっとしたもんだよ。右に踏み出そうとしたら、風丸は左手のナイフを振ろうとする。だから、右脚をちょっと前に出して前傾姿勢になって。で、すぐに右足を引いて左足から踏み込もうとする、とか。風丸は目が良くて反応が早いから、引っかかりやすいんだよね」
「はー」
「分かった、今の説明。かなり分かりやすく言ったつもりだけど」
「分かりましたよ!そっかー、なるほど」
「分かってなさそうだなー」
「分かりましたって!じゃあ、もう一回お願いしゃーす!フェイントに気を付けながら戦うんで!」
だが、次の試合でも、風丸は京香に完敗してしまった。
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風丸は陸に対し、減速して接近した。
それでも風丸は速く、陸は間合いの手前にいる風丸に対しマチェットを振り下ろす。
風丸はそこで進路を変え、陸の右側面へと回り込む。
陸の技量は和虎に劣るため、攻撃の起こりを見抜くことが出来た。
また、柔軟かつ軽量な筋肉を持ち、減速していたために、急激な方向転換も難しくはなかった。
攻撃を誘い、ベストとタイミングで躱して側面に回り込み、脚か脇腹にナイフを打ち込み、崩れ落ちた陸の脇を通り外へ脱出する。
その作戦を実行すべく、風丸は陸に切りかかった。
しかし、陸は経験豊富な兵士であるが故に、技量の不足を補う策を持っていた。
陸は風丸に、巨体をぶつけてきた。
「わっ!」
脇腹を狙った刃は、太い右腕に当たる。
そのまま風丸は陸の巨体に押されて後退した。
風丸が陸の刃を紙一重で躱していれば間に合っただろう。
しかし、重圧に押されて必要以上に陸から離れて回り込んだため、攻撃がワンテンポ遅れてしまったのだ。
そして、体勢を崩した風丸に和虎が迫る。
「うひっ!」
切上を辛うじて躱す風丸。
しかしその結果、和虎と陸に挟まれてしまった。
(げえっ!!)
和虎の逆袈裟と、陸の右薙が風丸に打ち込まれた。
(死ぬ・・・・・・)
風丸が絶望した、その瞬間。
(えっ)
和虎と陸、刃を振るわんとする二人の動きが止まった。
否、よく見ると、僅かに動いている。
スローモーションのように、ゆっくりと。
(え、何、これ。なんか、スローに・・・・・・)
何が起こったのかわからず、風丸は立ち尽くした。
自分は死んでしまったのか。
二人がわざとゆっくり攻撃してくれているのか。
今なら、避けられるか。
動いてもいいのか。
(これなら、避けられるよな)
そう思いながら、混乱しつつも僅かに体を動かした瞬間。
ドゴォッ!!
虎と鰐、それぞれの刃が風丸の肉体にめり込んだ。
一瞬の激痛の後、風丸の意識は闇に消えた。