ライカンスロープ 第19話

  BAT07基地地下7階、Aブロックにて。

  屋内スポーツを存分に楽しむための娯楽施設の一角には、武道場がある。深夜であるにもかかわらず電気がついているその部屋には、和虎が一人佇んでいた。

  右手には、愛刀である太刀・虎姫が握られている。肉厚な刀身は、周囲の光景が映るほどに磨き上げられており、光を浴びて銀色に輝いている。

  更には、頑強かつ柔軟な筋肉を多く立派な虎毛も、汗に濡れていることもあって輝いているようだった。赤いパンツ一丁の姿で、身体の大半が露出しているため、全身が光っているようにも見える。

  「すぅぅぅぅ・・・・・・」

  和虎は息をゆっくりと吸い込み、止めて。

  「しっ!!」

  構えていない状態から踏み込み、太刀を振り上げた。

  その一歩の距離は長く、刀身の長さも相まって3メートル先の相手にも届くだろう。構えていない状態だが速度も十分であるため、標的に逃げる時間も与えない。

  次に和虎は下段に構え、呼吸を整え脱力すると、再び高速の切上を打ち込む。それを何度も繰り返し、ミリ単位で動きを矯正していく。少しでも強く、速く、正確な斬撃を打ち込めるように。

  低い姿勢で下段の構えを取り、切り上げる。和虎の師が得意としていた斬撃だ。和虎は師を亡くした後も、その背中を追いかけるように刀を振り続けた。師の一閃を体得し、それを超えるために。

  「ぜいっ!!」

  構え、打ち込みのタイミング、振り方、そして振った後の動きに至るまでを、何度も反芻し、良いところを悪いところを探り、改善し、必殺の一刀へと昇華させていく。一挙手一投足を、全身の筋肉の躍動に意識を巡らせて、完璧な攻撃へと近づけていく。

  「かっ!!」

  一閃の度に周囲の風が吹き荒れ、汗が飛び散り、畳が揺れる。

  刀身は銀に煌めく残像を帯びて走り、空気を切り裂く。

  それを数百回繰り返した和虎は、動きを止めてその場に座り込んだ。

  (ここからだな・・・・・・)

  和虎は荒い呼吸を繰り返しつつ、自分の斬撃を振り返り、今後の鍛錬について考えた。

  自分がイメージする師の動きに、自分の動きをようやく重ねられるようになってきた。基本は体得出来たと言ってもいいだろう。

  だが、問題はここからだ。師の模倣を続けたところで、習得できる強さなどたかが知れている。これからは、自分に適したように技を変えていかなければならない。基本を忠実に守れながらも、それを自己流に応用させなければならないのだ。

  (体格が違うどころじゃない。清美隊長と違って、俺は虎だからな。当然、動きは変わってくる)

  「はっ」

  師の姿を思い浮かべ、和虎は笑った。思い返すと、喪った悲しみを愉快な思い出の方が多く、思い出し笑いをこらえきれない。

  だからこそ。自分の戦う理由は曲げられない。

  「ふぅ」

  今日はここまでと思っていたが、最後にもう一度と思い直し、和虎は立ち上がって再び構えた。

  自身の構えに意識を巡らせながらも、眼前にもしっかりイメージを作る。

  師匠の背中を、そして仮想の敵を。

  そして、自分の動きに注意しつつ、眼前の敵の攻撃をかいくぐり、切上を打ち込んだ。

  その斬撃は、満足できるものだった。

  さながら、密林に潜み、獲物を襲う虎の如し。

  最も、本物の虎は、このような鍛錬をすることはない。

  本能と才能を用い、実戦経験を重ねて獣は強くなるが、獣人は更に武器を手にして習練を積み、より一層強くなる。

  野性と理性により、獣人は獣も人も超えた強さを手に入れるのだ。

  しかし、強さを目指しながらも和虎は考えてしまう。

  敵とは何なのかと。更に

  イメージする敵とはキメラばかり。

  想像の中でも、現実の世界でも、キメラばかり斬り続けて。

  自分の戦う目的を果たすことが出来るのだろうか。

  (考えたところで答えは出ない、か)

  和虎は小さなため息をつくと、道場の隅の方へ歩き、愛刀を鞘に丁寧に納めた。

  (しかし、意外と寂しく感じるもんだな)

  和虎は、いつもなら隣にいるはずの瀞や風丸の姿を思い浮かべた。

  どちらも、自ら進んで和虎に指導を申し込んできた。

  片や、強くなるために。

  片や、弱さを捨てるために。

  かつての自分と同じように。

  (自分が清美隊長のように、誰かの指導をするなんて、全く考えなかったな)

  和虎はスポーツドリンクで水分を補給し、脇のタオルを取り、道場の畳を濡らしている自分の汗を拭き取り始めた。

  (瀞も風丸も十分強くなったが、空の言う通り、まだまだ不安だな)

  自身の鍛錬の時間が短くなることに多少の歯がゆさはあったが、これも隊長の務めだと思い、和虎は二人の申し出を引き受けた。初めは07部隊を強くするためという思いしかなかったが、日に日に成長していく二人を見守る内に、和虎の意識は変わっていった。

  (楽しいもんだな。一緒に強くなることは。隊長と部下という関係でもな)

  瀞と風丸はセンスが良く、目に見えて強くなっていった。更には、他者に教えることで新たな発見があり、それが自身を心身ともに成長させてくれた。

  同期の氣雷と切磋琢磨しつつ強くなるのではなく、部下を育成しつつ強くなっていく。その時間が、和虎はとても楽しかった。

  (清美隊長も、こんな気持ちだったのかもしれないな)

  和虎は畳の汗を拭き終えると、自分の体の汗もぬぐった。

  (最も、誰かと一緒だとこんな格好は出来ないか)

  汗でびしょ濡れになるため、下着一丁の姿で刀を振るう。こんなことは、一人っきりで鍛錬をしている時にしか出来ないだろう。

  (汗を流して寝るか)

  和虎はシャツと短パンを身に着け、電気を消し、道場を後にした。

  普段はシャワールームに向かうのだが、今日は近くの銭湯へ向かった。

  深夜に勤務している職員のため、銭湯は定期的に24時間稼働する日を設けている。

  今日が、正にその日だった。

  だからこそ、和虎は銭湯へ向かった。

  瀞と風丸が一緒ではなく、たった一人で。

  コンビニ等の余計な場所に向かわずに。

  深夜も稼働していた銭湯へ。

  それは、いくつもの偶然が重なった結果だった。

  BAT07基地地下7階、Eブロックにて。

  「はぁぁ」

  一人の青年が、コンビニから出て小さなため息を付いた。

  BAT直属の機動隊に属する新兵の一人、和田という男だ。

  最も、既に和田はこの世にいない。今そこにいるのは、和田の姿をした別人だった。

  仲間である狼の女兵士に心配されていることなど露ほども知らず、その男はBATの基地に数年ぶりに快適な生活を満喫していた。

  しかし、その生活も終わりが近づいている。

  (もうすぐ、こいつの長期休暇か。そのタイミングで出ていくしかないか。せっかくの悠々自適な生活が終わるなんて・・・・・・そりゃ訓練は大変だったし、演じる苦労はあったけど、僕たちの日常と比べたら天国だよ。あぁ、長期休暇終了前のサラリーマンってこんな気持ちなのかな)

  一週間後に再び始まる悲惨な生活を思い返し、男は再びため息を付く。

  (また、こそこそ隠れながらの生活が始まる・・・・・・泣きたい)

  それでも、運命には抗えない。受け入れるしかなかった。

  (まぁでも、また皆に会えるのは嬉しいな。元気かな。ゼーレに流姫、万も。死んでないといいけど、いや、本当に)

  そんなことを考えながら、その男は銭湯に向かった。

  普段は深夜に入ることなどないのだが、今日はたまたま遅くなってしまった。

  数日前から始めたテレビゲームを、この生活が終わる前にクリアしなければと、一日中躍起になってプレイしたため、入浴が遅くなってしまったのだ。

  遊んでる場合ではない立場なのだが、和田という男を不自然なく演じるには、適度に遊んだほうがいいと己に言い聞かせ、男は仲間の心配をよそに遊んでいる。

  (夜もやってる銭湯があるなんて、いいな)

  こうして、男がその時間帯に銭湯に立ち寄ったのもまた、偶然によるものだった。

  (こんな生活も終わりかぁ。ま、よくよく考えたら、こんな敵地にいつまでもいたいって思うことがおかしいもんな)

  男は苦笑しつつ、暖簾を潜り脱衣所に入った。

  衣服を置くための戸棚にコインロッカー、扇風機やドライヤーなど、最低限の設備しかない狭く簡素な脱衣所にて、全裸になった和虎は一人、姿見の前で自身の肉体を眺めていた。

  自身の肉体美に酔いしれているわけではない。筋肉の具合を確かめているのだ。

  速度を落とさずに増量し、そして肉体の上下左右に均等となるように。それが出来ているかいないかを、己の目でじっくりと眺めている。

  (瀞や風丸に聞いても、相変わらずとしか答えないからな。氣雷だったら分かるんだろうが)

  第三者の意見も聞きたいところだが、適当な答えを提供してくれる人物は近くにいない。小さくため息を突き、和虎は浴室へと向かおうとした。

  その時。

  「おわっ」

  背後で、小さな声がした。

  和虎は、弾かれるように背後に体を向けた。

  そこには、BAT機動隊の若い隊員がいた。

  敵地に潜入した兵士は、常に警戒心を高めて慎重に行動する。和田に成りすましている男も同様に、呑気に遊びながらも警戒心は一時も緩めていなかった。

  ましてや、男がいる場所は敵の本拠地であり、しかも十分な準備もなく半ばアクシデントのような形で潜入することとなった。

  加えて、男は殊更に憶病者である。隠してはいるものの、心臓を鷲掴みにされているような恐怖を常に感じており、警戒心は極限まで研ぎずまされていた。

  だからこそ。

  「おわっ」

  銭湯の暖簾を潜り、脱衣所に入った瞬間、驚愕のあまり声を上げてしまった。

  鏡の前に立つ、大柄な虎獣人の姿を見て。

  (な、何で07部隊の獣人がこんなとこに!?)

  戦闘能力が高い獣人が近くにいると、より警戒心と恐怖心は高まってしまう。

  しかも、精神的な準備が全く整っていない状態で遭遇したのだから、つい声を上げてしまったのだ。

  (やばいやばい!この基地って、獣人自体は5人しかいないから、遭遇する機会が少ないもんな。つい、油断していた。わんさか獣人がいる場所の方が、ある意味、逆に安心かもな)

  心中は激しく動揺していたが、男はそれを全く表には出さず、即座に精神を立て直し平静を取り戻した。

  「どうも」

  和虎に一礼し、脱衣所に設置されている棚の方へ歩く。

  (獣人を見て驚くって、そんなに変でもないよな。和田って人は、新米だし)

  男は自身に言い聞かせ、そそくさと服を脱いぎ、タオルを手にして浴室へ向かおうとしたが。

  「なんですか?」

  姿見の前にいる和虎が、こちらを凝視していたため歩みを止めた。

  (え、なになになに?おかしくないよな、変じゃないよな!?)

  落ち着いた心が、再び乱れそうになる。男は混乱を押しとどめ、冷静に和虎を見返した。

  「いや、急に大きな声を出されたからな。すまん」

  和虎はそう言い、自身の着替えが入っている棚の方に歩いて行く。気を悪くした様子はなく、至って平常に見えた。

  「こちらこそ、すいません。ちょっとびっくりしちゃって」

  男はそう言い、浴室へと入っていった。

  この時、男は気付かなかった。

  和虎もまた、激しく心が動揺しつつも、それを必死に隠していたということに。

  「フッ」

  男の姿が浴室へ消えた刹那、和虎の表情が変わった。

  眉間に深い皺が入り鋭い牙が露出する。

  敵を威嚇する虎のような顔は、しかし一瞬で元に戻り、平常の顔つきとなったた和虎は赤いタオルを手にして浴室へと向かう。

  無意識のうちに、獲物へと忍び寄る虎のように、足音は全く立てないように歩いていた。

  「ふぃぃ」

  3メートル四方の湯船に入り、男は肩まで湯に浸かり、力を抜いて温もりに身をゆだねた。水色のタイルは掃除が行き届いており、清潔感があり触り心地もよく、全身欲の心地よさを邪魔することもない。

  (しっかし、さっきはびびったな)

  男は先程、和虎と対面した時に味わった恐怖を思い出していた。

  (思わず、手が出そうになった。まさに、蛇に睨まれた蛙、だな。蛙じゃないけど。あ、いや、それだと動けなくなるか・・・・・・まぁ、なんにせよ、注意しよう)

  男は湯船に浸かったまま、シャワーで体の泡を洗い流している和虎に視線を向けた。

  和虎の隣では、引き締まった肉体の壮年の男性が体を洗っている。確か、この基地の警備員を務める男性だ。時折会話をているので、どうやら顔見知りらしい。

  (特に変わった様子は見られないな。会話の内容も世間話だし、もう大丈夫かな)

  先程のやり取りで疑われたのではないかと心配していた男は、和虎の様子を見つつ会話に耳をそばだてていたが、ほっと胸を撫でおろし視線の和虎から外した。

  (あぁ、欲を言えば、銭湯じゃなくて温泉に入りたいな)

  透明なお湯が張られた湯船を見て、男は小さくため息をついた。そして、自分にしては贅沢な悩みだと、一人苦笑した。

  (あー、こんな状態じゃ元の生活には戻れn)

  男が湯の水面を見ていると、不意に波紋が立った。

  顔を上げると。

  「うっ」

  片足を湯船に入れた和虎と目が合った。

  和虎は気にせず湯船に入り、ゆっくりと腰を下ろして胸まで湯につかり、浴槽の壁に背を預けた。

  (ええぇ・・・・・・こんな近くに座るなよ・・・・・・)

  男は周囲を見渡した。

  湯船には自分と和虎以外に、やや高齢の科学者が一人浸かっている。各々離れており、決して不自然に近いわけではない。

  もう一つ、誰も入っていない湯船があるのだが、そこは湯の温度が高めに設定されており、ぬるま湯に長く浸かりたい場合はそちらを利用することはない。

  (落ち着け、落ち着け。普通に湯船に入っただけだって)

  男が自分にそう言い聞かせていると、体を洗っていた壮年の警備員が湯船に向かって歩いてきた。

  すると、和虎は立ち上がって男の方に近づいてきた。

  (ちょ!こっち来んな!デカいもんぶらつかせて!)

  警備員のためのスペースを作るため男に詰め寄ってきたようだが。

  「あ、俺はこっち。ぬるいのは嫌いだ」

  「そうか」

  温度が高い隣の湯船に浸かった。

  しかし、和虎は元の位置に戻らず、男の隣に座った。腕を伸ばせば届く距離だ。

  (いや、そうか、じゃねーよ!近いってば!怖いんだよ!怖がりだから!強い敵が近くにいたら!皆が皆、あんたみたいに強くねーんだよ!)

  男は平静を装い、心の中で文句を言いながら和虎を横目で見た。

  すると、和虎とまた目が合った。

  「なんだ」

  視線をすぐにそらしたが、和虎に話しかけられ、男は思わず身を震わせた。

  (冷静に!冷静に!このバカ虎は、偶然僕の近くに来ただけで、僕を警戒しているとか、疑っているとか、そんなんじゃないから!)

  男はそう自分に言い聞かせて、冗談で場を和ませるよう発言した。

  「いや、あなたのチンコでかいなと思って」

  男は笑って言った。

  一方、和虎は笑わなかった。

  男の方に顔を向けて、無表情で見つめてくる。

  その時、男は気付いた。

  和虎の心身が、戦闘の準備を整えていることに。

  「それより、聞きたいことがあるんだが」

  周囲には聞こえず、男にしか聞こえない程度の大きさの声だが、語気は尋問しているかのように重々しい。

  相変わらず無表情のままだが、体から発せられる殺気は濃厚で、虎に喉を噛みつかれているかのような感覚を男は味わわされていた

  「お前、何者だ?」

  和虎は、低い声で男に聞いた。

  男は脱衣所で和虎と遭遇した際、警戒心が高すぎるあまり、一瞬で、心身ともに闘争の準備を整えた。

  同時に、無意識のうちに殺気を放ってしまった。正確には、殺気が漏れてしまった。

  和虎はそれを敏感に感じ取った。優れた兵士であるが故に、感じ取れるほどの精神を有していた。

  ただ感じ取っただけではない。和虎はその殺気の質をも見極めていた。

  あたかも、牙を剥いた獣が、自分目がけて今にも跳びかかろうとしているかのような。

  そんな光景が脳裏に浮かぶほどに、苛烈なものだった。

  その気配を、和虎はよく知っていた。

  実戦の最中、キメラと対峙した時に感じる気配と酷似しているのだ。

  人と殺し合いをしたことはないが、人間がこれほどの殺気を放てるとは思えない。

  ましてや、それを自軍の領域内にて、味方に向けるなど有り得ない。

  見慣れない獣人に驚いたということを考慮しても、見過ごせないことだった。

  男も声を抑え、和虎に答えた。

  「何者って、何でそんなこと聞くんですか」

  「質問に質問で返すな」

  「質問の理由を言ってくれないと、答えられませんよ」

  「脱衣所で、俺を殺そうとしただろ。だからだ」

  抑えられた二人の声は、パイプから湯船にお湯が注がれる音や、他の入浴者が使うシャワーの音でかき消された。

  「殺そうとって・・・・・・そんなことしてませんよ。あなたの後ろ姿にちょっと驚いただけで」

  「じゃあ、どうしてあんな殺気を飛ばした」

  「殺気って、何言ってるんですか。漫画じゃあるまいし」

  真顔で語気も弱いため、周囲の者には、二人が雑談しているようにしか見えない。

  「とぼけるな」

  「とぼけてませんよ。いい加減にしてください」

  男は和虎から離れようとした。

  すると、湯の中で和虎の左手が男の右手首を掴んだ。

  「あ。いっ」

  直後、和虎は力を込めて男の手首を握りしめた。

  人間では振りほどけないほどの、更には壊すほどの力を込めて。

  男の顔が痛みで歪む。

  このまま力を緩めなければ、骨に亀裂が入るだろう。

  直後。

  「ぬ」

  和虎の左手首に、何かが巻き付いた。

  力を緩めず、和虎は湯の中に視線を向けた。

  自分の左手首には、黒い何かが巻き付いていた。

  力はなかなか強く、痛みで顔が歪みそうになる。

  必死で耐えて目でそれを追うと、それは男の臀部辺りから伸びている。

  また、よく見ると体毛が生えており、湯の中で揺らめいていた。

  おそらく、この男の尻尾だ。だが、男はどう見ても人間にしか見えない。

  「貴様・・・・・・」

  和虎は動揺を抑え、自分と同じく真顔を崩さない男の顔を見据えた。

  わずかに顔が強張る。

  男は決して表情を崩さない。

  「もう一度聞く。お前は何者だ?」

  「知ってるくせに。あんた、監査員だろ」

  「監査員?何だそれ」

  「あんただって、質問を質問で返してるし」

  「監査員とかいうのを知らないんだ。仕方ないだろう」

  「知らないって・・・・・・そういう呼び方なんじゃないの?」

  「俺の役職は隊長だけだ」

  「いや、だから・・・・・・知らないの?そういうこと」

  「そういうこと、ってのは、どういうことだ?」

  「じゃあ、君は、裏じゃないの?」

  「裏?どういうことだ」

  男は口を噤む。和虎は黙って返答を待った。

  そして、3秒ほど思考した後、男は口を開いた。

  回答を誤れば命はないが、熟考している時間もなかった。

  「説明するよ。でも、ここじゃちょっと」

  いつの間にか、和虎の手首を締め付けていた男の尻尾は消えていた。

  「聞かせてもらうぞ」

  和虎は、左手をゆっくりと男の右手首から放した。

  すると、男は微笑んだ。

  狡猾さを孕んだ不敵な笑みのようだが、一方で、安堵や歓喜といった感情を含んでいるようにも見えた。

  夜であっても、大都会は真昼のように明るい。

  月の光をかき消すほどに、人工の光が美しく煌めく。

  そして、人はその光の下に集う。

  光源に集る虫のように。

  「っかー!美味い!」

  その一角にある和風な造りの居酒屋では、10名の若者が飲み会を楽しんでいた。最も、二十歳を超え酒を飲んでいるのは半数のみであり、それ以外の者は運ばれる料理に集中している。

  最も、彼らの最大の目的は酒でも食事でもなく、旧友との再会であった。

  「お前、1年で仕事辞めたの?」

  「ああ」

  「人間関係?」

  「いや、合わないと思ったからな。決断は早い方がいい」

  

  「よしちゃん、今日来れないって」

  「えぇー。残念」

  「今は仕事、抜けられないって」

  「ブラックじゃん。辞めればいいのに」

  近況を報告し合う彼らは、同じ高校に通っていた同級生である。卒業後は皆が地元から離れ、進学や就職など進路もばらばらだ。しかし結束は強く、年に数回は予定を合わせて近況報告のための飲み会を催していた。

  「しっかし、瀞はマジで久しぶりだよな」

  そう言いながら、幹事を務める青年は、隣に座る友人―――――瀞の肩を叩いた。犬獣人の姿ではない、本来の、人間の姿をした瀞だ。

  「ああ。マジで忙しかったからな」

  瀞は苦笑し、ウーロン茶を一口飲んで答えた。

  「忙しいのはみんな同じだぞ。頑張って休み作れよ」

  「そうしてぇのは山々なんだがな」

  「やっぱ、政治家のSPは、そのへんの融通が利かないんだな」

  「まぁな」

  他愛のない話をしていると、周囲の友人たちも混ざってくる。

  「下手に逆らわない方がいいぞ。きっと消される」

  「馬鹿か、お前。映画じゃねえんだぞ」

  「いや、俺も、政治家は裏でそんなことしてると思う!」

  「瀞も気をつけろよ!」

  友人たちは、政治家のSPという珍しい職種について盛り上がっている。最も、それは偽りの情報なのだが。

  「ああ、気を付けるよ」

  嘘を付くことに慣れた瀞は、罪悪感を抱かず唐揚げをほおばる。すると。

  「本当に気を付けてよ」

  隣に座る女性が、心配そうに声をかけてきた。華奢で小柄、幼さが残る童顔、艶のある長髪、そして可愛らしいピンク基調のワンピースを着ている。

  「分かってるよ。大丈夫だ」

  瀞はそう言い、自分の恋人に優しく笑いかけた。

  「大丈夫じゃねえだろ!この前は訓練中の事故で大怪我したって聞いたぞ!」

  「え、マジ!?」

  「俺聞いてねえぞ!」

  「やっぱ、ガチで訓練とかしてるんだな」

  「瀞君がドジなだけじゃいの?」

  「訓練じゃなくて、本当は、実戦で怪我したんじゃねえのか!?ほら、政治家を襲うテロリスト的な奴らと戦って!」

  「すっごぉい!どんな感じだったの!?」

  「話せるわけねえだろ。どうせ口止めされてるだろ」

  友人たちは、更に瀞の話で盛り上がっていく。

  (化け物と殺し合いしてた、なんて、そりゃ言えねえよな)

  「そんな仕事についている限り、晴美は安心できないよね」

  「うん」

  瀞の恋人――――――晴美は、友人に話しかけられ、頷いた。

  最愛の人を騙し、心配をかけていることに対しては、若い瀞は罪悪感を消せなかった。

  瀞は中学を卒業すると、獣人兵士の訓練生としてBATに就職した。しかし休暇中は必ず実家へ帰り、地元の高校へ進学した友人たちとの交流を絶やすことなく続けていた。

  その過程で、瀞は進学した友人たちから級友を紹介された。晴美はその中の一人だった。年に3度ほどしか会えなかったが、不思議と気が合い、二人は交際することとなった。互いに、初めての恋人である。

  瀞は訓練生を卒業して07部隊に入り、晴美は療法士の専門学校に入学した。互いに忙しさが増し、合う機会は減ってしまったが、それでも連絡は欠かさず続けている。

  遠距離恋愛だが仲は良く、友人たちから見てもお似合いのカップルである。

  宴もたけなわ、解散した瀞は晴美とともに夜の街を歩いていた。人通りは多く、はぐれないようしっりと手を繋いでいる。

  「けっこう、年齢にバラつきがあるんだな」

  「うん。30歳くらいの人も、一緒に勉強しているよ」

  「そんな遅くから勉強して、作業療法士とかになれるのか?医者とか看護師と同じくらい大変なんだろ」

  「人によるかな。若くても年寄りでも、しっかりしてる人はしてるよ。若い人で、ずっと授業中寝てる人とかいるんだから」

  「何のために来てるんだ、そいつ?」

  「親に言われて仕方なく、とかかな」

  「最悪だな。でも、年齢は関係ないってのは、分かるな。俺の同期で、すっげえしっかりしてる人いるし」

  「そうなんだ」

  「上司も、27歳なのに、40代の人みたいな貫禄あるしな。8歳しか歳が変わらないとは思えねえよ」

  「しっかりしてるんだ」

  「老けてるってのもあるな」

  「ひっどぉい!」

  瀞の話をしっかりと聞き、受け止め、そして楽しそうに笑う。

  その笑顔を見る目から、声を聴く耳から、繋いでいる手から、暖かさが流れ込んでくる。それは身体だけでなく、疲弊した心にも浸透し、瀞を癒してくれた。

  (いいなぁ・・・・・・だけど、何で・・・・・・)

  二度の激戦を味わった。

  数多くのキメラと戦った。

  その時、自分は何を思っていたか。

  「私は若いって言われるけど、最近は、ちょっと嫌かな」

  「何で?」

  「子供っぽいって言われてるみたいで。大人っぽくなった、とか言われたいかな」

  死にそうになった。

  生き延びるのに必死だった。

  それしか考えられなかった。

  「瀞は、年相応って言われる?」

  「ガキっぽいって言われるな。で、よくいじられる」

  「ほんとに?瀞は大人っぽく見えるけどなぁ」

  そしてなにより。

  心が怒りで満たされた。

  死の恐怖、生への渇望と同じくらいに。

  「私と瀞が一緒に歩いていると、瀞が年上って思われるじゃん」

  「いいだろ、別に」

  「私も少しは貫禄ほしいよぉ」

  キメラを、そしてキメラを作った奴らを。

  ぶっ殺してやりたいと。

  そんな憎悪が沸き上がってきた。

  「大体、私の方が年上じゃん」

  「同級生だろ」

  「誕生日は先だもん」

  「そーゆー発送が既にガキじゃねえか」

  「そんなこと言わないでよ」

  「しかも、だもん、ってなんだよ。中学生と思われるぞ」

  「そんなに子供っぽくないし!」

  晴美の体当たりを受け、笑いながら瀞は思った。

  何で、戦う時、晴美のことを考えられなくなるんだろう。

  敵へのことばかり考えて。

  倒すことばかり考えて。

  守りたい人のことを、あまり考えられなくなってしまう。

  晴美とともにいる時は楽しく、彼女との一時を守りたいと強く思う。

  そう、この一時を、最愛の人を守るために自分は戦いたいのだ。

  恋人への思いを胸に戦いたいのだ。

  それなのに、戦いになると自分は、それよりも怒りが強くなってしまう。

  恋人への思いを、塗りつぶしてしまうほどに。ひとのこ

  (まぁ、実戦の最中に恋人のこと考える余裕なんかねえけど・・・・・・やっぱり、そういうことのため戦いてえよ。好きな人を守るために。怒りに身を任せて暴れ回るとか、したくねえ)

  瀞はふと、視線を車道に向けた。路肩にタクシーが停まっている。

  ドアに、晴美と自分の姿が映っている。可愛い女性と、どこにでもいる青年の姿が。

  その自分の姿が、毛を逆立たせ牙をむき出しにしている犬獣人の、怒りに支配された一匹の獣の姿になっているのではないかと、そんな有り得ない想像をしてしまう。

  (怒ることは悪いことじゃねえけど、やっぱ、そんなことばっかり考えて戦いたくねえな。ちゃんとした理由で戦いてえ。恋人とか家族とか・・・・・・)

  瀞は、前回の任務で守り通すことが出来た子供たちの、綾子たち顔を思い浮かべた。

  (こないだの戦いは綾子たちがいたから、守るための戦いっていうのをちゃんと意識できたな。本当に、守れてよかった。やっぱ、ああいうことのために戦いてえよ。死にそうになっても、敵がどんなにムカつく奴らでも、守りたいってことを意識しながら戦いてえな)

  「これからは、実習が多くなるなぁ」

  「そっか。一層、忙しくなるんだな」

  「うん。瀞は変わらない?あんまり詳しくは話せないんだろうけど」

  「いや、俺もちょっと、変わるかな・・・・・・忙しくなる」

  「そうなんだ」

  「ま、社会人てのはそういうもんだ。忙しいのは、皆同じだろうな」

  「うん。私も卒業したら、もっと時間無くなるだろうなぁ」

  「それでも、会いに行くよ」

  「私から行くよ。瀞の方が忙しいだろうから。それに、私の方がお姉さんだし」

  そう言って、晴美は瀞の腕に抱き着いた。

  「ああ。ありがとう」

  晴美との再会を経て、戦う理由を再確認した。

  怒りに支配されることなく、守るために戦おうと。

  瀞は明日、BATの基地に戻らなければならない。晴美も実習が始まるため、今夜にはアパートに帰らなければならない。

  駅に到着した二人は、改札口の前で名残惜し気に抱きしめ合い、口づけを交わし、そして別れた。次に会えるのはいつになるか分からないが、それでも“次”を約束して。

  一人駅に残った瀞は、自分が乗るべき電車の時刻を確認し、駅内に設けられたマクドナルドに入り、コーヒーを注文して席に着いた。

  「はぁ・・・・・・」

  瀞は昼と変わらない人の多さと明るさを眺めながら、恋人や友人たちとの楽しい時間の余韻に浸っていた。だが、その思考はやがて仕事のことへ向かっていく。

  (本当に、変わるな、これから・・・・・・)

  瀞は、丈一の言葉を思い返した。

  「俺たちが強くなったら困る、そんな奴らがいるんだよ」

  あの言葉の意味は、何だったのだろうか。

  追求したかったが、怖くてできなかった。

  もっとも、丈一のことだから、聞いたところではぐらかされるかもしれないが。

  (BATの中に、獣人部隊が団結して強くなられると困る連中がいるっていうのか。でも、何でだよ。味方が強くなっていいじゃん。なんか、政治的な理由でもあんのか?自衛隊が強くなりすぎると悪い、みたいな?でも、それとは関係ねえよな・・・・・・頭悪いから、政治的な理由だったらわかんねえな)

  瀞はコーヒーを一口飲み、とある疑惑を浮かべた。あの日からずっと考えていた疑惑を。

  (BATの中に、いるのか?“敵”が・・・・・・キメラを作る奴らが。獣人の研究とかもしてるしな。キメラを作ることが出来てもおかしくはないよな。それをテロリストとかに売ってるのか?つまりは金儲けのためか?)

  考えを巡らせると、疑惑が真実であるかのように見えてしまう。

  (そう考えると、辻褄が合うんだよな。丈一さんの一言で全てを判断するのは危ないけど。でも、あんなことを言うってことは・・・・・・やっぱりそうなのか)

  巨大な陰謀がキメラ事件の背後にあることは間違いないだろう。

  だが、思考を巡らせたところで“敵”が何者なのかは分からない。

  (俺一人が考えたところで、どうしようもないか。皆に話すのも、やめておこう。俺自身、敵が味方サイドにいるかもって言われても、あんまり実感湧かないしな。話のスケールが大きすぎて。怖いっちゃ怖いけど、あんまり危機感とかないし)

  瀞はコーヒーを飲み干し、スマホの画面を見た。晴美から、別れのラインスタンプが送られていた。瀞はすぐに返信し、立ち上がった。

  (ま、犯人捜しは丈一さんに任せよう。俺は、俺に出来ることをしよう)

  自分がすべきこと。それは、一つしかない。

  (獣人の俺は、戦うしかないな。出てくるキメラを全部ぶっ倒して、こないだ戦いの時みたいに、皆をしっかし守らないと)

  瀞は拳を握りしめ、自身の使命を定めた。

  自分は戦うしかない。

  キメラと、それを作る者を倒すために。

  そして何より、キメラから人々を守るために。

  明日から、再び訓練漬けの毎日が始まる。辛いと言えば嘘になるが、待ち遠しいという気持ちもあった。

  (そのためにも、強くならないとな。和虎隊長みたいに、どんなキメラが出てきても、勝てるようになるんだ)

  瀞はマクドナルドを後にし、改札を通り目的の電車に乗り込んだ。

  (そしていつか、キメラを作っている奴らを倒して、この事件の解決させてやる。和虎隊長や丈一さんもいるんだ。きっと、出来るはずだ)

  瀞を乗せた電車は、ゆっくりと発進した。

  都会の一角で、瀞は一人、確固たる信念を構築した。

  一人の兵士として、キメラと戦おう。

  最愛の人を、そして全ての人を守るために。

  それが、獣人である自分の使命だ。