ライカンスロープ 第2話

  「そっかぁ、瀞君くらいの歳だと、まだカセットテープって、分かるんだなぁ」

  「はい。平成生まれですけど。俺が幼稚園くらいのころ、CDが出始めてましたね。ただ、親父がずっとカセット使ってたんで。同級生には、知らない奴もいるかな・・・・・・でも、田舎ですから、皆流行に敏感じゃないし」

  「なるほどね・・・・・・あ、けっこう時間経っちゃったな」

  閉鎖的な個室の中で、出会ったばかりの男性と楽しく談笑し続けていると、いつの間にか、30分ほど経過していた。丈一は腕時計で時刻を確認し、苦笑している。

  「そうですね。そう言えば、俺がここに連れてこられた理由も、まだ聞いてないし」

  「そういやぁ、そうだっけ」

  丈一は、姿勢を正し、瀞の顔を真っすぐ見つめてきた。表情は笑顔のままだが、雰囲気は変化している。親しい友人に見せる顔ではなく、不適で真剣さが伝わってきた。

  まだ中学生の瀞でも、その変化には感づいた。瀞も姿勢を正し、真顔で丈一の話に耳を傾けた。

  「今から話すことは、結構、いやかなり現実離れしている。でも、本当のことだ。心して聞いてほしい」

  「はい」

  「君の将来にも関わるから。今後の生き方が大きく変わってくる」

  「は、はぁ」

  急に重い話を振られて、緊張が増す。しかし、実感が湧かないのも事実だ。将来についてのことは、進路指導などで話題を振られている。だが、何の仕事に就職するか、明確に決まっているわけではない。

  「しっかし、何から話せばいいのかな・・・・・・原稿とか、考えているわけじゃないしなぁ」

  丈一は、グラスのジュースを飲み干して、愚痴を言い出した。

  「正直、こういう話は、事務系の係の人がするべきだと思うんだけど、こういうことも、現場の人にやらせるからなぁ。こっちは人手不足だ、いい気分転換になるだろ、とか、好き勝手言ってさぁ。冗談じゃないよ。こっちだって人手不足なのに」

  「なんか、大変なんですね。俺の父さんも似たようなこと言ってました」

  市役所の職員として日々働いている父の姿と丈一の姿が、瀞には重なって見えた。

  「君もいずれ分かるよ。人件費節約の犠牲の苦しみが」

  「嫌だなぁ」

  「まぁ、俺らの人手不足の原因は、お金の問題だけじゃないんだけど」

  「やりたがる人が少ないんですか?」

  「それもあるけど、体質、かな」

  「へぇ」

  「しかし、愚痴言ったってしょうがないか。それに、実戦を経験している人の話を聞かせることは重要だし。それに、獣人のことは、獣人じゃないと分からないし」

  「え、何ですか?じゅうじん?」

  聞きなれない言葉の意味が分からず質問すると、丈一は、妖しく笑った。

  柔和だったはずの笑みに、少しだけ邪気が混じる。そんな顔を見て、瀞は少しだけ、恐怖を覚えた。

  「んー、獣人の話より先に、まずは俺が所属している組織について、話そうかな」

  丈一は、ゆっくりと口を開き、語り始めた。

  自身が所属する組織、そして秘められた力について。

  [newpage]

  すぐ頭上を、銃声を帯びた弾丸が飛び交う。木々に当たり、破片が宙を舞い、うつ伏せになった自分の体に落ちてきた。

  突如襲い掛かってきた、圧倒的な非日常。濃厚な弾雨。堅牢に練り上げたはずの覚悟は、もろく崩れ去った。

  (どうしよう!どうしよう!)

  空はホフクの姿勢のまま、金縛りに陥っていた。

  状況を打破すべく思考を張り巡らせようとするが、被弾の恐怖が全てを奪い去ってしまう。

  銃撃戦に、押しつぶされそうになる。吐き気がして、息苦しい。

  「あっ」

  空の視界には、闇に浮かぶマズルフラッシュのみだった。しかし、視界の隅に動きがあった。

  ナイフを両手に持った仲間が、森の中へと突き進んでいく。

  「風丸!待って!」

  ホフクのまま叫ぶが、声は銃声でかき消された。仲間は一人、闇に消えた。

  (隊長たちは?)

  仲間の無謀な行動が、空に一抹の冷静さを与えた。空はすがる様に、和虎を探して移動を開始した。

  部隊を率いる和虎に、風丸の危機を報告する。その一心で、這って移動した。

  すると、今度は瀞の姿が見えた。しかし、風丸と同様に森の奥へと向かっていく。風丸を見失った時より、はるかに強い焦りが空に芽生えた。

  「瀞!止まって!」

  空は立ち上がり、中腰の姿勢で瀞に駆け寄った。瀞を一人にしてはならないと、静止を呼びかける。

  しかし、瀞は空の方を一瞬見ると、一目散に駆け出してしまった。さらに、森の奥へと。

  「だめ!行かないで!!」

  声を振り絞っても、瀞の耳には届かない。空は、両足に力を込めた。

  脚は、私の方が速い。すぐに追いつけるはず。

  だが、空は身構えた姿勢のまま、再び固まった。

  (え、何、これ?)

  急激な寒気を感じた。首筋から背中にかけて、巨大な氷を押し付けられたように。

  さらに、左側面に圧力を感じる。ぐっと、強い力で押されているようだった。

  空は、突如襲った謎の感覚の正体を悟った。

  首を左に捩じり、目を凝らす。

  木の陰から、銃口が突き出ている。

  こっちを向いている銃口が。

  頭を、狙って・・・・・・。

  

  命を狙われている。

  

  「ギャン!!」

  断末魔と共に、頭部に衝撃が走り、空は転倒した。

  (当たった!くらった!)

  空は、銃口から弾が発射される瞬間を確かに目撃した。だが、空の脳天に向けられていた銃口は、発射直前でわずかにずれた。それでも左頬を抉る角度だったが、流線形のヘルメットに命中した結果、軌道は反れ、空の身には傷一つつかなかった。

  それを悟ったわけではなかったが、空は自身が無傷であることを悟り、後転しつつ立ち上がった。しかし、被弾したヘルメットには罅が入り、前が見えない。

  空は、すぐにヘルメットを脱いだ。

  「ぷはっ」

  露出した頭部は、人のものではなかった。突出した鼻と口、雪のように白く柔い体毛、頭部に生えた小さな2本の角。

  それは、カモシカの頭部だ。その表情は、驚愕で染まった。眼前に迫る、異形の怪物の姿を見て。

  骨格は、自分と同じく人のもの。しかし、皮膚が浅黒く変色し、四肢は不自然に伸びている。さらに頭部は、毛髪はなく頭頂部が盛り上がっており、白く濁った目が大きく見開かれ、口は耳まで裂けている。加えて、振り上げられた左手には、ナイフのような鋭い爪がついていた。

  (撃たないとやられる!!)

  空は襲い来る怪物の胴体へライフルの銃口を向け、引き金を引いた。

  何度も訓練されたために、一挙手一投足に無駄がなく、速さと正確さを備えていた。

  ライフル弾を腹部に受け、怪物の動きが止まる。

  空は再び撃った。銃口を上げ、胴体でなく頭部を狙って。

  放たれた弾は、化物の脳を貫いた。いかに異形の怪物とは言え、肉体に命令を発する器官を破壊されてしまえば、動くことは出来ない。

  崩れ落ちる怪物。しかし、その背後から次々と新たな怪物たちが現れた。

  形態は似ているが、どれもやや異なっている。爪がないため手にした短機関銃を振り上げて来るもの、足が長く手が短いもの、頭部が異様に大きく前傾姿勢で突っ込んでくるものなど、様々だ。

  どれも醜く見るに堪えない姿だが、空は目を逸らさず、1体ずつ、精密な射撃で仕留めていった。

  冷静さを欠くことなく、近いものから順に、2発撃ち込んで倒す。

  訓練通りの動きだった。

  そして、残る1体、足が短く歩みが遅い怪物へと銃口を向ける。だが。

  (んっ!また!?)

  再び背筋に寒気が走る。振り返ると、その原因が分かった。

  腕が太い怪物が、すぐ近くで野球バットほどの木の枝を振り上げていた。

  空は咄嗟に、サイドステップで右に飛ぶ。

  直後、一撃で相手を撲殺できる威力を秘めた一撃が振り下ろされ、地面を抉った。

  空は即座に攻撃に転じた。

  銃撃よりも早く繰り出せる、かつ強力な一撃。

  竜巻の様な旋風から打ち出す、得意の右廻し蹴りだ。

  脚力と遠心力を味方につけた一撃は、化物の頭部に命中した。

  空の足に走る生々しい感触が、怪物の頸椎が俺、脳がつぶれたことを教えてくれた。

  仕留めたことを確信した空は、接近していた脚が短い怪物へと目を向ける。

  まだ距離は離れていた。だが、長い腕を振り上げている。

  さらに、背後には銃を構えた怪物の姿があった。

  空は右後方に跳びつつ、引き金を引いた。

  同時に怪物も発砲するが、その場に、もう空はいない。逆に、空の銃撃を頭部にくらい絶命した。

  間を置かず、足が短い怪物が腕を振るう。長い腕は鞭のようにしなり、ならに長さを増して空へと伸びた。

  空はさらに後方へと飛んで躱す。すると、右から小柄な怪物が接近してきた。

  小さいが、両手の爪は鋭く、侮ることは出来ない。

  小柄な怪物へ向けて、空は発砲した。

  だが、小柄な怪物は木々の隙間を高速で動き回りつつ接近してくるため、中々当たらない。

  やがて、小柄な怪物との距離が2メートルを切ったとき、装填していたライフルの弾は切れてしまった。

  ここぞとんばかりに、怪物が加速する。

  合わせるように、踏み込んだもう1体の怪物が、両腕を伸ばしてきた。

  空は、跳び上がって空中へと逃れた。

  勝機と言わんばかりに、闇から銃を手にした怪物が現れて、空に狙いを定めた。

  足場がない空中では、移動は出来ない。

  怪物が引き金を引く。

  しかし、空の身体は高速で水平に移動し、銃弾は樹木に命中した。

  空は付近に立つ木の幹を蹴って、空中を移動したのだ。

  その勢いを利用して別の木へと向かい、激突する前に体を回転させ、両脚で幹に着地する。

  その後は的にならないよう、間を置かずに木を蹴って再び別の木へと移る。

  空はひたすらそれを繰り返して怪物たちを翻弄した。

  ムササビどころではない。高速で樹上を飛び交う姿は、さながら弾丸のようだ。

  両脚の柔軟な筋肉があるからこそ、着地の衝撃を完全に殺し、即座に発射準備を完了させることが出来た。

  怪物は撃ちまくるが、文字通り宙を舞う空には当たらない。

  そして、空は空中で手早くリロードし、木に着地した一瞬で発砲し狙撃してきた怪物を仕留めた。

  残る2体の怪物は、木々の間を飛び交う空の姿を目で追うのがやっとだった。

  (今なら!)

  勝機と判断した空は、枝を蹴って地面へと急降下する。

  落下地点には、足が短い怪物の後姿が。

  「ふっ!!」

  空は掛け声とともに回転し、短足の怪物の頭部に踵を打ち込んだ。

  その一撃で頭蓋は砕け、脳がひしゃげる。怪物さえも一撃で倒し得る威力を秘めた蹴りだ。

  地に降りた獲物には爪が届く。

  ここぞとばかりに、小柄な怪物が空へと急接近してきた。

  怪物はこの時、空が逃げると思っていた。

  しかし空は、体勢を整えると同時に怪物へ向かって跳んだ。

  正に獲物の反撃。想定外の動きに加え、互いに高速で接近し合うため体感速度は凄まじく、怪物は反応できない。

  そして、がら空きの怪物の胸部に空の飛び蹴りが炸裂した。

  肋骨が折れ、肺や心臓に突き刺さる。

  一撃で瀕死に陥った怪物は10メートルほど吹き飛び、樹木に激突して絶命した。

  「っはぁっ!」

  止めていた呼吸を再開した空は、油断せず周囲の様子を伺う。

  銃声は既に鳴りやんでおり、人影もない。

  (敵は?皆は?)

  集中力を切らさず、五感を集中させて敵と味方を探す空。

  「ウ・・・・・・」

  その時、研ぎ澄ませていた両耳が異質な音を拾った。空は、音源へ体を、目を、銃口を向けた。

  弱々しい呻き声。それを発したのは、空の踵落としを頭部に受けた短足の怪物だった。

  (まだ、生きている!なんて生命力なの)

  空は銃口を突き付けたまま、怪物へと近づいた。

  頭部は凹み、片目は飛び出し、鼻や口からは血が流れ出ている。それでも怪物は、生きることを止めず、弱々しく呼吸しつつ空を恨めし気に睨んでいた。

  グロテスクな外見や重傷を負った肉体、さらに怨念を込めた視線を受け、空は思わず目を背けた。

  (私が、やったんだ)

  脳に損傷があるのだから、怪物はやがて怪我が原因で死ぬだろう。それをやったのは、紛れもなく自分なのだ。これほどまでに相手の肉体を破壊し、苦痛を与えてしまった。

  誰もしたがらないであろう過酷な任務。その役目を自分の意志で引き受けたというのに、空はこの場から逃げ出したくなった。

  銃撃戦に巻き込めらた時よりも強く、戦いに対する拒絶が心から湧き上がってくる。

  (だめ、自分の務めを果たさないと)

  頭を振って迷いを払い、空は自分の責務を果たそうと顔を上げた。

  「あっ」

  再び怪物に視線を向けたとき、既に怪物は振りかぶりった腕をこちらに突き出していた。

  眼前に迫る、大きく開かれた腕。その奥では、笑っているかのような表情の怪物。

  肉体も精神も備えていなかったため、空は動けなかった。

  恐怖を感じる間もなく、体に衝撃が走る。

  「ウオオッ!!」

  体が左へと突き飛ばされ、地面を転がる。衝撃のあまり、銃が手から離れてしまう。そして、怪物の絶叫が響いた。

  何が起こったか分からない空は、すぐに身を起こして怪物の方を見た。

  そこには伸ばした腕を切断された怪物と、空を窮地から救った獣が立っていた。

  黄色い体毛に黒毛の縞模様、半円型の耳、捲れた唇によって露出した牙。

  それは、密林の王である虎の顔。

  「和虎隊長っ」

  空は思わず名前を呼んでいた。

  刃渡り80センチほどの太刀を手にした、虎の頭部を持つ巨体の兵士は、自分たちを率いる部隊長、和虎だ。

  和虎は部下の危機を発見し、空を突き飛ばし、さらに怪物の腕を太刀で切断していた。

  刃はもちろん、和虎の肉体にも怪物の血が降りかかっている。

  それを意に介さず、和虎は怪物の元へ駆け寄り、逆手に握った太刀を頭部に突き立てた。

  しばし痙攣していた怪物だが、すぐに動かなくなった。

  躊躇いのない止め。自分が行うべき行動を、和虎は速やかに実行した。

  「あ、ありがとうございます、和虎隊長」

  空は起き上がり、和虎へと駆け寄りつつ感謝を述べた。

  超絶的な戦闘能力を誇り、経験豊富な和虎が近くにいるだけで強い安心感に包まれる。一方で、自身が犯したミスのせいで素直に喜べない。

  (怒られちゃうな)

  和虎は太刀を抜くと、肘関節で刃を挟んで血のりを拭き取り、空を見下ろした。いつも以上に厳つい表情で、本物の肉食獣かと錯覚してしまう。

  厳しさと優しさを兼ね備えている和虎だが、実戦の真っただ中だからか、いつも以上に怖い。

  「空」

  「はいっ」

  空は姿勢を正し、返事をした。

  「さっきのは、優しさとは言わん。お前が守ったのは、こいつではなく自分だ」

  和虎は、顎で怪物の亡骸を指して言った。叫んだり、声を荒げたりせず、低い声で淡々と。

  その一言一句は、空の体に溶け込んだ。そして、隠されていた本心にまで染み入る。

  「次からは躊躇うな。お前のせいで仲間が死ぬことになるぞ」

  「はい、すいません」

  空は、強く自身を責めた。

  結局は、己の手を汚しなくなかっただけなのだ。満身創痍の相手を撃つような、酷い人になりたくなかった。

  (何で、撃てなかったんだろう。傷だらけだったから?襲われている時は、迷わず撃てたのに。もう、何体かは・・・・・・撃ち、殺した、のに)

  保身から生まれた躊躇い。それは紛れもない偽善だ。

  「だが反省は後だ。一緒に瀞を追うぞ」

  「あ、はい。でも、副隊長は?」

  「賢士は風丸を追うと言って、さっき飛び立っていってしまった。議論もなく、な」

  和虎は、やれやれといった調子で苦笑した。

  「風丸はあいつに任せるしかない」

  和虎はSG552を拾って空に差し出し、力が籠った目で空を見据えて言った。

  「お前は既に、撃つべき敵が何か分かっているはずだ。だから、安心して撃て。何発撃とうが、俺たちはお前のことを知っている」

  ズシンと胸に響く一言だった。沈んだ心を救い上げてくれる激励だ。

  「分かりました。次は、迷わずに撃ちます」

  自責の念が完全に消え去ったわけではないが、それでも空は、次こそは絶対に撃てると確信できた。

  (何で一言に、こんなに力が籠るんだろう。経験、かな?)

  和虎の言葉を噛みしめながら、空は手早くライフルの弾倉と薬室に弾があることを確認した。

  「瀞が走っていった方へ進むぞ。続け」

  「はい!」

  空は瀞のことを思い、自責の念を追い払い、和虎の大きい背中を追った。

  まだこの問題についてはじっくりと考えたいが、それは後でいい。今は、瀞と合流することに専念すべきだ。

  (あんな怪物たち相手にたった一人で戦えるはずないよ。和虎隊長ならともかく、瀞には無理だわ。今行くから!お願い、無事でいて!)

  怪物との戦闘を振り返ると、急に不安が増大していった。空は逸る気持ちを抑え、和虎に続いた。

  その足取りは、ついさっきまでより、はるかに力強くなっていた。

  [newpage]

  狭い個室にてで、机を挟んで向かい合う瀞と丈一。

  丈一は渇いた喉を潤すためにオレンジジュースを飲み、瀞はぽかんとした顔でその様子を見ていた。

  「聞いてた?今の話」

  丈一は、ニヤニヤと笑いながら瀞に尋ねた。

  「はぁ、まぁ、一応」

  「で、理解は出来た?」

  「いや、それは、ちょっと」

  瀞は、頭をポリポリとかきながら、自身のない小さな声で返事をした。

  「だよなぁ。いきなり理解しろって言われても、無理だよなぁ」

  丈一は、瀞をからかうように笑っている。瀞の反応が、面白くて仕方がないようだ。

  瀞は、別にそれを不快に思わず、丈一が言ったことについてひたすら考えていた。最も、理解できていないのだから、考えたところで答えが出るはずがない。

  「しょうがない。もう一度、俺が所属している組織について、一から話すよ」

  丈一は、背もたれに体を預け、再び話し始めた。自信が所属する組織について。

  「BAT。それが、俺たちが所属する組織の名前だ。Beast Assault Teamの略称だよ。獣の、強襲部隊ってわけ。速い話、特殊部隊だよ。軍隊でも、自衛隊でもないから。立場的には、警察の対テロ特殊部隊と同じかな。国公認の、秘密の部隊なんだよね」

  「は、はぁ」

  「対象は、主に怪物。俺たちは、キメラって呼んでいる。正体不明の化物だよ。人の手には負えない奴」

  「へ、へえ」

  「それを、俺たちがやっつけるんだよ。人に知られないように、ね。獣に、つまり、獣人に変身して。さっきも言ったように、人の手に負えないから、こっちも怪物になるしかないんだよ」

  「ほぉぉ」

  「ってなわけだよ。うん。分かった?」

  「分かった、とは言えないですよ。さっきとほぼ同じ説明じゃないですか」

  「だって、それ以上詳しく話せないっていうか・・・・・・苦手なんだよ。こういう説明役になったの、初めてだし」

  「とりあえず、疑問がいっぱいなんですけど」

  「あ、じゃあさ、質問に答える形式で行こうか。知りたいこと、聞いてよ」

  「わ、分かりました・・・・・・」

  楽し気な丈一とは対照的に、困惑する瀞。ピースが足りないパズルに挑んでいるような気分だった。

  (丈一さんの言う通り、質問しまくるしかないか。ちゃんとした答えが返ってくるといいけど)

  瀞は一つずつ、疑問を投げかけていくことにした。

  「とりあえず、BATっていう組織なんですね、丈一さんがいるのは」

  「そう」

  「対テロ特殊部隊の」

  「うん。キメラ専門の、ね」

  「そのキメラっていうのが、分からいないんですけど」

  「一言で言うなら、怪物だよ」

  「詳しく教えてくださいよ」

  「うん・・・・・・」

  丈一の顔から笑みが消えた。その瞬間、丈一の雰囲気が変わった。緩んでいいた紐が、張り詰めたかのように。

  「初めに国が存在を認めたのは、戦後すぐらしいよ。映画に出てくるような奴を想像してくれていい。動物の比じゃないほど凶悪な生き物だよ。明らかに、戦闘能力に特化してる。突然変異の類じゃ説明できない。明らかに、人が作ったものだ」

  「そ、そんな生き物、いるんですか?」

  丈一の変化に驚きつつ、瀞は聞いてみた。

  「ああ」

  「写真とか、あります?」

  見るのが少し怖いが、興味の方が強い。

  「ないんだよなぁ。超が付くほどの極秘事項で、キメラに関するデータは持ち出し厳禁だから」

  「そうですか」

  「でも、こういうときって、絶対あった方がいいよな。何で映像がある場所で説明しないんだろ」

  「俺に言われても」

  「あ、送ってもらおうかな」

  丈一はスマートフォンを取り出し、操作し始めた。

  「ちょっと待って。送ってもらう」

  「え、でも、いいんですか?」

  「とりあえず、聞いてみるよ・・・・・・あ、オッケーだって」

  「はやっ!しかも、オッケーって!」

  「基準がよく分からんね。はい」

  丈一はスマートフォンを差し出した。画面が瀞の視界に入る。

  「いっ!?」

  画面に映った映像を見た瞬間、瀞は素っ頓狂な声を上げて大きくのけ反った。

  「ちょ、マジですか、それ?」

  「うん。マジ」

  丈一は、再び笑った。さっきまでの親し気な笑みとは違う、不敵で不気味な笑みだった。

  瀞は、恐る恐る画面を見た。

  「うっわ・・・・・・」

  画面に映っていたもの。それは一目で″普通″でないことがよく分かる。

  こげ茶色に変色した皮膚。痩せて細長い胴体。肘から手首までが大きく膨らんだ腕。膝関節が逆に折れ曲がっている脚。そして、縦長に開いた口と青白く光る眼。

  「化物じゃないですか」

  「そうだよ」

  丈一は、画面を操作して次々との映像を見せた。

  「こっちもひどいですね」

  映画や本で見た恐竜のような怪物や、人のような顔をした四足歩行の獣。黒い体毛を纏った芋虫のような生物。

  どれも、今まで一度も見たことがない、異形の生物だった。ずっと見ていると、気分が悪くなってしまう。

  「しっかし、、いいリアクションするなぁ。人形とかCGとかじゃないんですか、って疑う人、けっこう多いらしいよ。そっちの技術が進歩してるから」

  先ほどまでの妖しい雰囲気はどこへやら。丈一は、楽しそうに笑っている。

  「あ、そういえば、そうですね。田舎出身なもんで」

  「そこは、田舎、関係ないと思うけど」

  「ですね。いや、そんなことより、これやばいでしょ、本当だったら」

  「だから、本当だって。ちなみに、過去から伝わる妖怪とか都市伝説とかの正体は、キメラだって唱える研究員もいるらしいよ」

  「なんか、リアルですね」

  「案外、未確認生物発見とかのバラエティ番組で取り扱ってる映像には、意外と本物、混ざってるかもね」

  「そうですか」

  話を聞く限りでは、嘘をついているようには見えない。より確実な真実味を求め、瀞は新たな疑問をぶつけてみた。

  「丈一さんは、本物を直に見たこと、あるんですか?」

  「うん」

  「えっ!?本当に!?」

  「だって、一番最初に見せたやつ、仕留めたことあるし」

  「仕留めた!?倒したんですか!?」

  「うん。見た目をグロいけど、そんなに強くなかったな」

  「え、じゃあ、丈一さん、って、隊員なんですか?」

  「言ったじゃん。現場の人間って」

  さも当然とでも言うように、丈一は言った。

  「ああ・・・・・・でも、まさか、兵士とは」

  「ま、普通の日常送ってたら、会わないもんな」

  「ええ。あと、その、獣になるとか、言ってましたけど」

  丈一の話の中で不明だった点。それはキメラと、″獣人″についてだ。

  「ああ、獣人のことね」

  「じゅうじん、ですか」

  「ああ。獣に人、と書いて獣人。西洋の昔話に出たりするだろ、伝説上の生き物で、人と獣を交えたかのような生物が」

  「狼男、みたいな感じですか?」

  「そう、まさにあれ。最も、魔法とかで生まれた生き物じゃない。科学的な話だ」

  丈一は再び真顔に切り替えて、語り始めた。

  「キメラについて徹底的に研究して得た技術さ。特定の人間に、ある種のウイルスみたいなものを投与するんだ。するとその人は、獣の姿の能力を得た、獣人になるんだ。運動神経はもちろん、視力や嗅覚、聴覚も発達し、人間よりも遥かに優れた能力を身に着けることが出来る」

  丈一は誇らしげに笑って続けた。

  「獣人になって、俺たちはキメラを狩るんだ。あんな危険な生物、野放しにはできないからな」

  「まぁ、確かに、そうですよね」

  あんな生き物が″日常″に侵入した来たかと思うと、ぞっとする。

  「でも、丈一さんの見た目は完全に人間ですけど」

  「今は人間の姿だから」

  「あ、じゃあ、戻れるんですか?」

  「そりゃそうだよ。じゃなきゃ、もう2度と人前に出られないじゃん。さっきも言ったけど、獣の姿になるんだよ。骨格は人だけど、あの姿で街に出たら確実に通報されるな」

  「い、今は、獣人になれますか?」

  恐る恐る聞いてみるが、丈一は首を横に振った。

  「いや、BATの施設に行って、獣人になるための薬を投与しないとなれないんだ。1時間くらい時間をかけて、ゆっくり変身する必要がある。戻る時も同じだよ」

  「人間の状態では、やっぱり、獣の力は発揮できないんですか?」

  「もちろん。だからキメラと戦うときは、絶対に変身していくのさ。キメラ相手に、人じゃ荷が重い。だからこそ、俺たちが必要なんだ」

  丈一は一旦言葉を止め、ジュースを飲んだ。それを見て、瀞も自分の喉がカラカラになっていることに気付き、同じようにジュースを飲む。喉は潤ったが、甘味はほとんど感じられなかった。

  「人間でも勝てないことはないけどね。けど、人間がキメラに勝つには苦労するな。重火器を用意してトラップを設置して、万全の状態で待ち構える。もしくは、ヘリや戦車を利用でもしない限りは勝てないと思う。ただ、キメラが出るたびにそんな大がかりな戦闘をおっぱじめるわけにはいかないんだよ。周囲への被害とか、出動までの時間とか、そういう問題が出てくる。何より、人目に付くから」

  「人目に付いたら、悪いんですか?」

  「悪いよ。キメラの存在は、極秘事項だから」

  「ああ、さっきも言ってましたね」

  「瀞君だって、知らなかっただろ」

  「でも、どうして?」

  「あんな生物がいると分かったら、社会が混乱するかもしれないから、という理由らしい。あと、悪用する輩も出てくる危険性もある」

  「なるほど」

  「だからこっそり倒さないといけないんだよ。そんな時、強い歩兵である獣人が活躍するってわけだ。重火器も乗り物もいらない。消火器や刀剣で戦えるからね。ま、公表すべきって意見もあるんだけど。実際、一般市民がキメラに殺された事例はある」

  「ほ、本当ですか?」

  「ああ」

  「ええぇ・・・・・・」

  死者が出たことがある。そのことを聞いただけで、丈一の話の真実味と重みが増した気がした。

  「BATの、というか政府の隠蔽は完璧だから」

  「でも、だったら尚更言った方がいいんじゃないですか?気を付けるように呼び掛けるとか」

  「どう気を付けるっていうんだよ。キメラがいつ出るか分からないから注意しましょうって?」

  「え、いや、その」

  「災害と同じなんだよ。非常食や避難経路の準備さえできないんだから、天災よりもタチが悪い」

  丈一の目つきが鋭くなった。

  「いや、人災、だな。さっきも言ったように、キメラはおそらく人が作っている。生物兵器を使ったテロだ」

  「テロって、日本で、ですか」

  「そう」

  テロ。

  海外のニュースではよく耳にするが、国内では馴染みのない単語だった。

  「もう、国民全員獣人にしちゃったらいいんじゃないですか?強くなるんでしょ」

  「はははっ!いい考えだけど、さっきも言っろ。特定の人間じゃないとなれないんだよ」

  「ああ、そっか」

  「獣人になれる人間は、本当に少ないんだよ。現在の隊員数、50ちょっとだよ」

  「え、そんなに少ないんですか!日本の人口って1億余裕で超えてるでしょ!」

  「本当に、激レアなんだよ。1つの部隊が4,5人で構成されていて、広範囲を担当している現状だ」

  「1つの都道府県に1つの部隊とかじゃないんですか?」

  「1つの地方に1つの部隊だよ。関東に1つ、東北に1つって感じで」

  「九州にも1つ、ですか?」

  「うん」

  「そんなんじゃ守れないでしょ!」

  「キメラの件数って、少ないから。月に1回あるかないか、ってところかな」

  「ああ、それなら、なんとかなりそうですね」

  「でも、相手がキメラだから、安心はできないよ。ある日、急に大量発生でもしたら、お終いだよ」

  「そんなことあり得るんですか!?」

  「絶対ないとは言い切れないよな。それに、キメラの出現場所に法則性はないから、どこに出るかも分からないしね」

  丈一の話を嘘だとは思えない瀞の胸中には、徐々に不安が充満していった。

  キメラと獣人のことが事実であることを前提に考えると、この国は重大な危機に晒されていると思っていいだろう。話と映像しか情報がないため、実感を得られたわけではないが、それでも芽生えた不安は無視できない。

  そんな瀞に、身を乗り出した丈一が告げた。

  「だからこそ、獣人の素質がある人間を、こうしてスカウトしてるんだよ」

  「え? ・・・・・・ええっ!俺!?」

  「そ」

  からかうように、丈一は笑った。表情がころころと変わるが、これはふざけた調子で言っていいことではないと、思わずにはいられない。

  「俺が、その、獣人になれるんですか!?」

  「ああ。その素質を持つ、数少ない人間だ」

  「何で、いつそんなこと調べたんですか!?」

  「今まで生きてきて、何回健康診断を受けたか数えてる?調べる機会なんて、腐るほどあるよ」

  「そう、です、か・・・・・・」

  瀞は自分の体を見てみた。最も、いつも通りで異常はない。この体に、あんな醜い怪物と戦う力があるとは思えなかった。

  「どこにでもいる中学生をここに呼び寄せ、極秘事項を教えた理由がこれだ。君は獣人になれる。だから、BATの一員となり、一人の獣人兵士としてキメラ討伐のため戦ってほしい」

  「い、いきなりそんなこと言われても」

  「すぐには返答できないよな。ま、選択はできるよ。なるか、ならないか。選ぶのは君だ」

  「断れるんですか?」

  「まぁね」

  「でも、色々と極秘なこと、知っちゃいましたけど・・・・・・消されたりしませんか?」

  「映画の見すぎだよ。口止め料払ってさよなら、さ。ま、もし話したら、どうなるか分からないけど」

  「い!?」

  「冗談だって!でも、話を知ってしまった人は、BATのスタッフになる人が多いかな。隊員とか研究員以外にも、仕事はたくさんあるから。1つの組織なわけだし」

  「そうですか」

  「進路が決まってなかったら、BATのスタッフ、っていうのもありだよ。ただ・・・・・・」

  丈一は、瀞の目を真っすぐに見据え、不敵な笑みで言う。

  「正直な話、なってほしいけど。何度も言うけど、獣人になれる人は少ない」

  ごくりと、瀞は唾を飲み込んだ。丈一の視線と言葉に圧倒され、緊張が一気に増していく。

  「獣人になったら、獣に変身して怪物と戦う人生を歩むことになる。正直、かなりつらい道を歩くことになるよ。正に、獣道だ」

  「戦いの道、ってことですか」

  「ああ。でも、俺はこの道を選んでよかったと思っているよ」

  丈一の表情が再び変わった。優しさと不敵さ、さっき見せてくれた2つの表情が入り混じった、妖しくもあり魅力があるような、不思議な笑みだった。

  「傲慢かもしれないが、選ばれた存在だから。俺が獣人になれるということには、意味があると思うんだ。だからこそ、俺は獣人になることを選んだ」

  表情を次々に変えながら、信じがたい話を長々としてきた。だが、その言葉だけは、何故か胸にストンと落ちた。納得するとこが、理解することが出来た気がする。

  しばし黙ってうつむいた瀞は、ジュースを飲む丈一に尋ねた。

  「丈一さん、獣人になっても、戻れるんですよね」

  「ああ」

  「で、基本的な仕事内容は、兵士としてキメラと戦うこと」

  「うん。大半は訓練だけど」

  「家には帰れますか?」

  「回数は少ないけどね。自衛隊みたいに住み込みになるから。でも休みには帰られるよ」

  「家族には、なんて説明すればいいんですかね」

  「自衛隊とか、警察の対テロ部隊とか、政府高官のSPとか。嘘をつくことになるな」

  「それはちょっと、嫌ですね」

  「でも、守るためだよ」

  「守るためか・・・・・・」

  「キメラを狩ることは、人々を守ることになるんだよ。奴らは、凶悪犯と同じなんだから」

  「ですね・・・・・・丈一さん」

  「何?」

  瀞は、先ほどされたように、丈一を真っすぐに見据えて言った。

  「俺は、今から、獣人になれますか?」

  兵士になりたいと決めたわけではない。また、丈一の世界に対して恐怖もある。

  だが、もっと知りたかった。その気持ちが、恐怖を上回った。

  丈一は驚くことなく、優しく妖しく笑った。瀞の言葉を予知していたかのように。

  「なりたいなら、ついてきてくれ」

  丈一は、瀞に右手を差し出した。瀞は躊躇うことなく、その手を握り返した。

  [newpage]

  「ずあっ!」

  袈裟切りで銃を持った人型のキメラを斬り伏せた瀞は、すささず身を低くしてその場がら移動した。

  直後に、自部が立っていた場所を銃弾が通過し、たった今仕留めたキメラに命中した。

  (あっぶね!くそ!)

  樹木は身を隠すことは出来る者の、盾にはならず銃弾を通す。

  銃撃から逃れるため、瀞は足を止めるわけにはいかなかった。

  だが、逃げているばかりではない。瀞は時間を掛けつつも、銃を持ったキメラを1体ずつ確実に仕留めていった。

  (撃ちまくりやがって!でも、分かってきたぞ!なんちゃない、訓練通りにやればいいだけだ!)

  先程は銃弾の雨に晒され、パニックを起こし恐怖に支配されてしまった。しかし、徐々に実弾に対する恐怖は別の感情に飲み込まれつつある。攻撃を望む意思、闘争本能によって。

  (今だ!)

  弾道から射手の位置を予測した瀞は、そこへ駆け出した。

  左右に動き回って的を外し、避けきれないものは刀で弾く。

  獣人の動体視力と身体能力があって、初めてできる芸当だ。

  加えて、瀞は犬の獣人。肉食獣の能力をその身に宿している。

  筋肉の発達はもちろん、狩猟本能によって動きは洗練され、感覚は研ぎ澄まされ、思考速度も高まる。

  獣人の能力を発揮して、瀞は銃をもったキメラの懐へ飛び込んだ。

  敵は目の前、しかも弾切れ。

  瀞は踏み込み、今度は逆袈裟で仕留め、再びその場から離れた。

  (銃相手でも戦える!行けるぞ!)

  敵を倒すたびに自信が積み重ねられ、緊張による動きの固さも消えて、一連の行動がスムーズに進んでいく。

  その姿は、獲物を狩る山犬のようだ。

  そして繰り返しが実を結び、襲い来る銃弾は減りつつある。

  逃走ではなく攻撃による危機の回避は、実を結びつつあった。

  「だっ!」

  同じ戦法で、再びキメラを切り捨てると銃声はピタリと止んだ。

  瀞は油断せず、身構えて周囲の様子を伺った。

  敵の姿はない。草木を踏む音や銃器を操作する音も無い。

  (血の臭いは嗅ぎたくねえけど、やるか)

  瀞は鼻に意識を集中させ、周囲の臭いを探った。

  犬獣人である瀞の最大の特技と言えるのが、嗅覚を活かした索敵だ。犬の嗅覚は人間の1万倍以上、臭いの種類によっては1億倍に及ぶとも言われている。さらに、様々な臭いが入り混じっていても個々を識別することが可能だ。

  死体が発する悪臭に耐え、瀞は新たな敵の臭いを探した。

  (いない、か)

  敵がいないことを確認し、瀞は呼吸を整え、木に寄りかかって疲弊した肉体を休めた。

  (きっつい・・・・・・動き回ったからな。獣人の体力でも疲れるわな)

  瀞は深呼吸して、周囲を見回した。

  キメラの死体だらけだ。初めに倒した犬型に加え、銃を持った人型、合わせれば10体は超えているだろう。

  (犬型も人型も、写真で見たことがあるやつに似てるな。しっかし、銃を使えるほど知能が高い個体もいるって聞いていたけど、いきなり出会うとはな)

  上がった息が落ち着いてきた瀞は、木から離れて、刀の血のりを払った。

  (こんだけ倒せるとはな。けっこう、やれたな。まぁ、和虎隊長はもっと早く多く仕留めるだろうけど)

  初仕事では上出来だと思う。殺害による罪悪感も、いつの間にか無くなっており、代わりに達成感が残った。

  (なんか、途中からは無我夢中だったけど、死なずに済んでよかった。しかも、倒せたし。これが獣人の力か)

  身体能力の上昇は、訓練で把握しと思っていた。だが、把握したつもりになっていただけのようだ。

  追い詰められたことで、自分の能力が高まっていくことを実感した。自身を縛る鎖が消え、秘められていた潜在能力が解放されていった。

  否、内なる自分が鎖を引きちぎった、と言った方が適切かもしれない。

  (とにかく、助かった・・・・・・けど、やっぱり、すっきりしねえな)

  敵のせん滅、初仕事にしては上等の出来、死地からの生還。それらの喜びを邪魔する何かが自分の中にある。先ほども感じたその正体を、瀞はまだ掴むことが出来ない。

  (うーん・・・・・・ま、考えたって仕方ねえ。とにかく、皆と合流しよう。そういや、まだ敵はいるかもしれないもんな)

  現状を考えてみると、急に恐怖が沸き上がっていた。未だに自分は、敵地で孤立しているのだ。

  (動き回ったから、どっちから来たか、全然分からねえな。テンパってたから方角もよく分からねえし、鼻を使った方が速いか)

  瀞は死体が集中している場所から少し移動すると、姿勢を低くして地面に残った自分自身の匂いを探し始めた。

  犬の嗅覚は非常に優れているが、臭いを感知できる範囲はそれほど広くない。獣人の瀞と言えど、20メートル程が限界だ。範囲外に対象が存在する場合、風が運んでくることを期待するか、範囲内の臭いを辿っていかなければならない。

  瀞は銃撃戦の最中、パニックに陥り1キロ以上仲間たちから離れてしまった。合流するには、自分の匂いを辿って元の位置に戻るしかない。

  その時、正面から吹いてきた一陣の風が瀞の鼻を撫でて行った。その臭いは、味方の物ではない。

  (獣臭い・・・・・・キメラか!)

  瀞はすぐに戦闘態勢に入り、風上の方を睨みつけた。

  まだ風は吹いてくる。キメラの臭いをのせて。

  (風が吹いてくれて助かったぜ。完全に、地面に集中していたからな)

  風上にも、暗闇に包まれた森が広がるのみだ。敵の姿は見えない。だが確実に、そこには敵がいる。しかも臭いは、徐々に濃くなってゆく)

  (間違いねえ。接近してくる。さっきと臭いは似てるが、同じタイプとは限らねえな。落ち着け、大丈夫だ。十分戦える。実力さえ発揮できれば、対等に渡り合えるはずだ)

  瀞は身構えたまま、敵との遭遇を待った。下手に前に出るより、比較的開けた場所で迎え撃った方がいい。

  だが、3分経ってもキメラは出てこない。足を止めたらしく、臭いもそれ以上濃くならない。

  (相手も同じこと考えてやがるのか。どうする?戦うか?でも、危険だよな。合流した方がいいかな?でも、敵が近くにいるのに、臭いを辿ることに集中できるか?)

  気持ちを切らさず、前方への警戒を解かずに瀞は次の手を模索していた。

  「ぉわおっ!」

  その時、背後のほんの少し、葉と葉がこすれる音がした。

  跳び上がるのを抑えつつ振り返ると、眼前にはキメラ爪があった。

  ガチン! と、金属同士が衝突し合う音が響き、火花が散った。

  同時に、瀞は頭部に激痛を感じた。

  瀞は咄嗟に、左へと跳んだ。

  地面を転がりながら目を開け、自分が立っていた場所に顔を向けると、再びキメラの爪が見えた。

  自身へと向かってくる凶器へ、瀞は刀を切り上げた。

  再び金属音が響き、手に痺れが走り、体勢が崩れる。

  辛うじて転倒を堪えた瀞の目が、新たなキメラを捕らえた。

  ハイエナ似た頭部、それに短い脚が付いただけのキメラだ。特筆すべきは両足に付いた柔軟な筋肉と鋭い爪だ。カモシカ獣人の空の足をそのまま小さくしたような形状であり、脚力に長けていることは一目で分かる。

  キメラの空中でくるりと回転し、着地と同時に地を蹴って瀞に蹴りかかってきた。

  想像以上に速い。瀞は咄嗟に刀で防ぐが、再び体勢が崩れた。

  加えて、初めの一撃で脳が揺さぶられ、視界が揺れており両脚に力が入らない。

  極めつけに、奇襲により瀞の頭は混乱しており、攻撃を防ぐ以外の策を考えることが出来なかった。

  着地と同時に、再びキメラが瀞へと跳びかかる。

  体勢を大きく崩した瀞は、防ぐことも出来ない。

  当たるはずの一撃、しかし瀞には届かなかった。

  後ずさりした瀞は、木の根に躓いて仰向けに倒れてしまった。

  しかし、その結果キメラの蹴りは外れた。

  キメラは勢い余って空中を進み、木の幹に蹴りが命中した。

  その際、キメラの爪は深々と幹に食い込んでしまった。

  キメラは反対の足で幹を蹴り、何とか爪を引き抜こうとする。

  その数秒の間に、瀞の視界が定まった。

  爪が抜けたキメラが、地面に落ちてゆく。

  その隙に、瀞は起き上がって半歩右に移動した。

  キメラが再び瀞へと跳ぶ。

  しかし、瀞は既に心身ともに準備を終えていた。

  サイドステップで、辛うじてキメラの蹴りを躱す。

  瀞に背後には、巨木が立っていた。

  キメラの爪が、再び樹木に食い込んだ。

  すかさず、木に張り付けとなったキメラへと、瀞は突きを打ち込んだ。

  鋭い刃は、キメラの強固な頭蓋骨さえも貫通し、キメラの命を一撃で終わらせた。

  瀞は刀を引き抜くと、その場に跪いた。

  (頭いてえ!血が出てる!くっそ!気付かないなんて!訓練で、気を付けろって言われていたのに!)

  瀞は激痛に耐えながら、自身の失態を悔いた。

  臭いは風によって運ばれる。故に、対象が風上にいればを感知しやすいが、風下にいれば気付きにくくなってしまう。無論、近距離であれば風下だろうと感知できるが、瀞は風上からの臭いに集中していた。さらに、キメラは10メートル以上もの間合いを取って奇襲を仕掛けていたために、察知することが出来なかった。

  嗅覚による索敵を行っている際は、風下からの奇襲に備えること。訓練中、何度も反芻したはずだが、緊張していたために忘れていた。

  (いてえよ!くそ!大丈夫なのか!?)

  幸い、傷は浅い。しかし出血が多く痛みは強いだめ、瀞は自身が重傷を負っているのではないかという恐怖に襲われた。

  すぐにでも治療を施したかったが、その余裕はなかった。

  先ほど感知した臭いが、徐々に強くなってくる。

  (さっきのやつら、来やがった!くそ!作戦だったのかよ!)

  敵の意識を前方に集中させ、少数が背後から奇襲を仕掛ける。基本的な戦術だ。それにまんまと引っかかってしまった。

  (怪我してても、やるしかねえ!!)

  心も体も折れそうだが、相手は待ってくれない。

  瀞は立ち上がり、刀を握りしめ、体勢を整えた。

  余計な思考を排除して、敵の殺傷に全神経を集中させる。

  自分の命を守るために。