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趙 承恩(チャオ チェンエン)の休暇

  「....んぅ.....」

  薄っすらと目が開く。(悪)夢は見なかった....なんと言うか、この時間に起きるように習慣づいてしまった躰が、躰を起こそうとする。しかし....枕元の魔導式の"時刻み"を見れば、まだ朝食には早い時間だ。何よりも躰が重い....

  趙 承恩(チャオ チェンエン)・長期休養を医者から申し付けられた茶毛商会の会頭は、二度寝を決め込む事にして、温泉宿の柔らかい布団に包まれて、再度、眠りに落ちた....

  その一時間後、そっと部屋のドアを開けて

  「趙の旦那ー....起きているか?」

  寝ているならば、起こさずに様子だけ見ようと気を使い、小さな声で呼びかけるのは、S級冒険者にして災害級魔獣単独討伐者(アーチスレイヤー)の称号を持つゴードフ・ゴーン。趙の20年来の悪友である。趙が巻き込まれたゴトラス事件では、結果的に趙達が助かるキッカケを作り、巨龍戦線では命がけで斥候を務めて重症を負った、一連の事件の功労者である。本来なら彼自身もゆっくりと休養すべき所なのだが、悪友が倒れたとあっては、彼の性格では放っておける筈もなく、一緒に来て付き添ってくれていた。まあ、執事長の雪芹(ゥエクィン)が一緒に来ているので、身の回りの世話や、防犯上の観点からは特に問題は無いのだが。

  しかし、長年の付き合いである悪友が付き添ってくれる事による、趙の精神的な安堵感は、そういった物を度外視する、非常に有り難い物であった....

  『(隣の部屋に)ゴードフが居てくれる』

  この事で、趙は度々悩まされてきた悪夢にうなされる事もなく安眠していられるのだった。

  悪友の穏やかな寝顔を確かめたゴードフは、そっとドアを閉めて、朝食の為に食堂の大広間へと向かった。この旅館「桜花荘」は、少人数の宿泊のみの、静かな雰囲気を売りにした高級旅館である。食事は部屋に運ばれ、入浴は各部屋に設けられた露天風呂で済ませるのが、基本ではあるが、『他の客との交流を楽しみたい』との要望に応える為に、食事と宴会用の大広間と、共用の大きな露天風呂も併設していた。ゴードフとしては、賑やかな雰囲気の方を好む事から、大広間での食事を希望したのだった。ゴードフにも、個人的に『やらなくてはならない事』がある。食事を済ませると、早速、この温泉街・フラル=スパルニアを散策し始める。病人に不要な気遣いさせない為に....

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  二度目に目を覚ます。一度目と違って、幾らかは躰が軽い様に感じた。

  「ほぅ....」

  溜息をそっと吐きながら、ゆっくりと上半身を起こす。まだ躰の重さは感じていたが、侍医の言葉を思い出す。

  「今、趙様の躰は疲れを感じ取る事が出来ない程に疲弊し切っております。疲れを感じる様なら、其れは快方への兆しかと」

  ならば、少しはマシな方へと向いているのだろうか?そんな事を思いながら、枕元の時刻みに目をやれば、もう昼前であった。昨日は趙の躰を気遣って、ゴードフとは夕食時に軽く呑んだのみである。その後直ぐに寝た事を考えると、16時間は眠っていた事になる。

  「思っていた以上に、儂の躰は休養が必要だったようじゃな...」

  掛け布団を剥いで、寝巻き姿で、布団の上に座ってぼんやりと部屋の外へと目をやる。中庭に植えられた桜が美しい。そうしてぼんやりと時間を過ごしていると、ドアから

  「旦那様、もうお起きになられたでしょうか?」

  と小さな声で声がかかる。執事長の雪芹(ゥエクィン)だ。

  「ああ、さっき起きた所だ。入って良いぞ」

  と声をかければ、ドアが開いて、いつもの、長身の躰に皺一つ無い執事服をピシっと着込んだ牛獣人が姿を現す。思わず苦笑して

  「此処は観光地なんだから、お前も、其れなりに楽しんで良いんだぞ」

  との言葉に

  「考えておきましょう。其れよりも、先ずは旦那様御自身の御身体を....」

  ふぅっと溜息を吐いて

  「判っておるよ。心配せんでも、ゆっくりさせてもらうよ。しかし....流石に腹が減ったな...」

  「では、昼食をお持ちする様に、宿に伝えてきます。今日は外出なされますか?」

  「いや....今日は、この部屋でのんびり外の桜を眺めていよう。夕飯も此処に持ってこさせてくれ」

  「承知致しました」

  そう告げると、雪芹はドアの外に姿を消した。趙は部屋の窓際にて、桜を愛でながら昼食を摂り、その後、部屋に備え付けの露天風呂に浸かりながらゆっくりと時間を過ごした。

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  夕食時、ゴードフが戻ってきて趙の様子を見に来る。多少は調子が良くなっている様に見えたのか、密かに安堵の溜息をつく。そのまま趙の部屋で二人で夕飯となり、軽く酒を飲み交わしながら、夜桜を愛でる。中庭の桜が魔導の光でライトアップされており、とても趣のある光景だった。そんな光景を見ながら会話を交わす二人。

  「じゃあ、今日は一日、この部屋で桜を見て過ごした訳か....」

  「ああ、偶には何もせんで、のんびり桜だけ見ているのもええもんじゃよ。もう少し体調が整ったら、周りを散策するつもりじゃ。レイナちゃんの顔も見たいしのう」

  まだまだ本調子には程遠いながらも、少しは快方に向かっている事を喜びつつ、しかし体調を考えて酒を軽めで切り上げる。部屋に戻り際

  「明日はどうするつもりだ、旦那?」

  「さて....暫く此処にいる事になりそうだし、また今日みたいな過ごし方もわるくないのう。まあ、明日の体調を見ながらという所かのう」

  その言葉に

  「ああ、焦ってもしょうがねぇ。焦れったいかもしれねぇが、こういう時は焦らずに『ちゃんと治す』事だけを考えた方が良い」

  そう告げると、部屋に戻って行った。この程度の酒では、ゴードフからすると呑んだ内に入らないだろう。恐らく、自室で飲み直すつもりであろう。趙は、そっと

  「すまんな....今の儂では、酒を楽しむ事も気をつけんとな....」

  長年の悪友に申し訳なさそうに呟いた....

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  そんな日が4日続いた。躰が重いのは相変わらず....どうしても、起床が昼前になってしまう。ただ、少しは良くなっているのか、午後に感じる躰の重さは、此処に来た当初よりも軽く感じる様になっていた。5日目、昼食を終えると、側で待機していた雪芹に

  「体調、少しは良くなっているようだ。気晴らしも兼ねて、少し外を回りたいと思うがどうかね?」

  趙のいざという時に備えて医者の心得もある雪芹に尋ねる。自分の意思を通そうとするのは簡単だが、こういう時、趙は周りの意見を押し切ってまで無理をする様な性格ではない。医者の心得がある雪芹に自身の躰の見立てを頼る事にしていた。雪芹は

  「遠出をしなければ大丈夫かと思われます。ただ、お一人での外出は....」

  普段は供も連れずに一人で下町の呑み屋街を歩き回る主人の事を心配しての発言に

  「無論、お前にもついてきてもらうよ。今の儂では、どうにも一人では心細くてな」

  その言葉に、安堵の表情を浮かべる雪芹に

  「ただ....その格好では、些か無粋かと思うがの....」

  趙の目が、いつもの様に悪戯っぽい目つきになる....

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  10分後、部屋には、ワノクニの衣装である『浴衣』を着込んだ二人の姿があった。事前に頼んでいた物だ。趙は秘書のハッサムに温泉街・フラル=スパルニアの事を調べてもらい、自分達が泊まる宿に、趙・ゴードフ・雪芹の為の各々の『浴衣』を届けてもらう様にハッサムに手配をお願いしていたのだった。まあ、三人共、それ程標準から外れた体型では無いので、既成品でも問題無いのだが....

  趙の浴衣は、白地に川の風景を青い染料で描いた物。雪芹のは、白地に水墨画の山々の風景を黒い染料で描いた物。ゴードフのは....白地に猛々しい虎の姿を黒い染料で描いた物である。なんでゴードフのが、其れなのかは、まあ、推して知るべし....という所か。ゴードフはまだ、袖を通していないようであるが....

  雪芹が少し顔を赤らめて、

  「旦那様、有り難う御座います」

  「儂の独断でその柄にしたんじゃが、気に入ってもらえたかのう?」

  「はい、とても....」

  「では、参るとするかの」

  宿には、夕刻には戻る事を伝えて二人連れ立って川辺りの桜並木を歩く。先を歩いている趙が口を開く。

  「良い所だな、此処は...」

  「はい」

  雪芹が相槌を打てば、趙が

  「お前には苦労ばかりかけているな。国(シンコク)を飛び出して、この国(ジークランド)で商会を作る時も、商会を大きくしていく時も、裏で足を引っ張られない様に色々と....」

  「いえ、私が旦那様についていく事を決めた時から覚悟していた事です」

  趙がふーっと溜息をついて

  「それだけ苦労をかけてしまっているのに、今度の事件。正直、儂の賊に対する見立ての甘さ故に、こんな大事にしてしまって....あの場での被害に目を瞑ってでも逃げる事に専念してれば、騎士団が賊をその場で捕まえる時間が稼げたかもしれんのう....」

  雪芹は然と趙を見つめて

  「いえ。旦那様のあの時の御判断は致し方ない事かと。むしろ、そう考える方だからこそ、私は国(シンコク)を出ても旦那様について行く事を決めたのです。それに....結果論だけで判断する事を嫌うのは、旦那様の信条ではありませんか?」

  その言葉に、僅かに目を潤ませて、再び前を向き

  「だな。躰の調子が今ひとつなので、弱気になってしまったようだ。今は、楽しむ事に専念するとしよう」

  「ええ....」

  雪芹が微かに微笑んだ。

  二人が歩く川辺りの道を満開の桜が包み込んでいた....

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  「さて....この辺の筈なんじゃが....」

  「ええ、レイナ様が働いていらっしゃる店の場所は此処で間違いないかと」

  のんびりと桜を散策しながら、二人が辿り着いたのは、とある甘味処の和菓子屋。悪友のただ一人の肉親である娘....レイナ・ゴーン嬢が勤めている筈の店である。血の繋がりは無いが、誰よりも大事にしている姿を微笑ましく思い、又、長年の冒険者生活により、他に殆ど知り合いが居ないゴードフの娘という事で、何と言うか、親戚の叔父の様な心持ちであった。趙にも、跡取りとして養子に迎えた趙景明(チャオチンミン 30歳-虎獣人)が居り、仲は良好なのだが、なんと言うか、物分りが良くて手のかからない....まあ、とても良い子だった訳で、ゴードフとレイナ嬢の様な、あの、なんともいい難い関係に少し憧れてしまうのだった。

  さて、まるっきり『親戚の叔父さん』の心境で、店内を探していると、後ろから

  「いらっしゃいませ! 趙おじさん!!」

  と元気な声がかかる。振り返れば、見慣れたいつもの元気な可愛らしい犬種特有の笑顔が出迎えてくれていた。思わず破顔して

  「ああ、こんにちわ。レイナちゃん。早速だけど案内してもらえるかな?」

  「はい!」

  手際良く席へと案内するレイナ嬢。趙はそんな様子をにこやかに眺めている。着席した二人に

  「では、お決まりになりましたら、呼んでくださいね」

  「じゃあ、レイナちゃんのお勧めをお願いできるかな? 正直、この温泉街・フラル=スパルニア自体、今日、初めて回るもんでね」

  「うーん.....じゃあ桜餅と抹茶はどうですか? きっと趙おじさんも気にいると思うの!」

  「じゃあ、それを二人前で」

  「はい、桜餅セット二人前、承りました!」

  元気に駆け出していく姿を見送りながら、趙は元気をもらえた様な気がした....

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  和菓子とお茶、それにレイナ嬢との会話ですっかりご満悦の趙が、足取りも軽く、宿へと帰っていく。それを見て雪芹の顔が安堵で緩む。長年仕えてきたから判る。趙は、先ず周りの人間を優先してしまう。自分の事も考えるようになったのは、自分に何かあった場合に、先ず自分を支えてくれている者達に迷惑がかかってしまう事を経験しているからだ。その主人が、表向きの体面を取り繕う事も出来ない程に疲弊している。正直、此処で休養しているだけでは、元の元気な状態に戻るのは難しいだろう。

  『早く、体調を崩している原因の、魔物の体液の特定が出来れば....』

  無論、それに関して、関係者が懸命に働いている事は判っている。特に、あの事件に巻き込まれて、趙よりも過酷な扱い....魔法実験動物として扱われたエドワードが、自身の体調不良を押してでも、分析作業を続けている事は、正直、心が痛む。だが、実際に経験した本人が分析に関わる事で、作業が急ピッチで進んでいるのも事実だった。

  『今は、体液が判明して、適切な治療薬が出来るまで、旦那様の体調を持たせる事』

  それだけに集中しようと、決意を新たにするのだった....

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  その後も淡々と日が過ぎていく.....

  趙の体調は小康状態を保ったまま、昼前まで睡眠を摂り、昼食後に雪芹が付き添って外出し、この温泉街の様々な場所を巡って、光景を眺めるのを楽しんだ。

  ワノクニ発祥の「タッキュウ」なる競技で皆が熱く闘う姿を眺めて楽しんだり、様々な場所での桜の大木を見て楽しんだり....或いは「サクラトレント」なる桜の木に擬態した魔物を、アーチスレイヤーの一人であるアイネが淡々と討伐して木材の塊に変えていく様を興味深く眺めたり。レイナ嬢の店で会話を楽しんだり。

  少し疲れた時は、宿に戻って、出張マッサージをお願いしたりもした。普段はジークリアに店を構える、今はこの温泉街に出張営業中の人気整体師・ネク=ポイソンその人である。床の上に寝巻きで横たわる趙の様子を見て、ニンマリと笑い

  「ふんふん....ちょいと躰の様子をもうちっと、きちっと見たいんで、脱いでもらってええか?」

  其れを聞いた趙が、躰を起こし雪芹に脱ぐのを手伝ってもらおうとするのを止めて

  「いやいや、こちらで脱がせるて。折角の楽しみが減って....」

  最後にボソリと呟いた言葉に、雪芹が思わず

  「はい?」

  と聞き直すのに、熟練の整体師は

  「いやいや、なんでもない、なんでもないよ-...兎に角、儂にぜーんぶ任せてくれんかな? 二人きりのほうが色々と、あんな事やこんな事もやりやすいでな、な?」

  「はあ、ですが....」

  渋る雪芹に、趙が

  「雪芹。全てお任せしようじゃないか。折角来てもらっているのだし」

  「判りました、旦那様」

  渋々ながら、二人を残して中庭で時間を潰す雪芹。その間、微かに部屋から

  「あ....いや、其処はその...」

  「どうやら、此処もだいぶ凝ってるようやなあ...」

  ........

  「あ....あぁ....」

  「むふふふ。躰は正直じゃぞ」

  ........

  「あぁぁ....」

  「ふん! ふん!」

  ........

  些か、色々な意味でサービス過剰だった気もしないでも無かったが、人気の整体師だけあって、腕は確かであった。この所の体調不良で欲求不満だった『股間の火照り』も解消されたのだった.....

  夕飯はゴードフと二人で....残念ながら、まだ趙の現状の体調では、酒はあまり飲めない。そんな悪友に嫌な顔ひとつせずに付き合うゴードフ。早々に切り上げ、床に潜り込む。

  そんな日々を過ごしていた趙の元に、漸く待ちわびた吉報が届いたのは、温泉宿での療養生活が10日目の日であった。

  宿の玄関前の転移ゲートスペースに、趙の侍医である羊獣人のベルムが現れたのだ。宿の者に、趙達への取次をお願いするベルム。早速、趙の居室へと通されたベルムが挨拶もそこそこに要件を切り出す。

  「お待たせしました、趙様。原因の特定に成功しました。治療薬も持ってきております」

  趙が落ち着かない様子で、布団の上で上半身を起こして

  「詳しい話を聞かせてくれないかの?」

  ............

  ........

  ....

  「魔物の体液にばかり気を取られてしまった為に、本当の原因に気がつくのが遅れてしまいました。申し訳ありません....」

  深々と頭を下げるベルムに、趙は

  「いや....誰しも、すぐさま正解に辿り着くなんて事はないからのう。お前さん達が懸命に儂達の為に尽くしてくれている事は、良く判っている。だから、顔を上げて、詳しい話を聞かせてくれないか?」

  ベルムは恐縮した様子で顔を上げ

  「はい、原因は趙様が接触した魔物の方ではなく、賊が趙様を食肉用に下拵えするのに使った調味料の方でした」

  趙が興味深げに

  「ほう?」

  と応えれば、ベルムが説明を続ける。

  「あの調味料なのですが、味付けをするだけではなく、肉を柔らかくする為の筋肉の分解酵素も混ぜられておりました。それは、特別に培養された細菌によって、生成されるのですが、今回、調味料と一緒に調合された分解酵素に混じって、分解酵素を生成する細菌も入っており、それが趙様の体内で未だに生き続けているのが原因と、ほぼ確定しました」

  その言葉に

  「しかし....それでは、儂だけでなくホス殿も、危ないのでは?」

  あの時、趙が調味料に漬けられていたのは、ホスの大腸の中である。同じ細菌がホスにも感染している可能性がある。その疑問に

  「細菌自体はとても弱い物です。胃酸や腸液、腸内細菌に直ぐにやられて死んでしまいます」

  「では、何故、儂だけが?」

  「あの中で、趙様だけが全身を漬けられました。消化器系からの侵入では、先程述べた通り、唾液や胃液や腸液や腸内細菌で死んでしまうでしょうが、目や耳や皮膚から血管に侵入した場合、生き残る可能性があります。ホス殿は、大腸内だけだったので、全て侵入前に死滅してしまったかと。それに、生き残っていたとしても、大腸ですから、直ぐに全て排出されてしまいます。念の為、救出直後に採取したホス殿の血液を調べましたが、細菌は確認出来ませんでした」

  「そうか....儂だけがか...しかし、だとしても、そんな危ない細菌が入っている可能性がある食肉奴隷など、出荷出来ないのでは?」

  「先程、述べました通り、細菌自体はとても弱い物です。仮に細菌が混入した状態で出荷されても、食用として加熱調理されたりしただけで死んでしまいます。仮に生で食する事があっても、食した者の胃酸等で死滅するかと....」

  「しかし....ならば、儂の躰の抗体はどうなのじゃ? 異物が体内に侵入してきたら、攻撃して追い出す筈じゃろう?」

  「はい。その点に関して我々も疑問を持ちました。それで趙様の血液のサンプルを調べました所、どうやら細菌が変異しているようです。恐らくなのですが、細菌が侵入した後、趙様は更に過酷な扱いを受けて、免疫機能が低下していたかと。その間に生き延びた細菌が、趙様の体内で変異を繰り返して、今、元の細菌よりも強くなり、今の趙様の体内で、抗体と戦っているのではと、推測されます」

  「では、打つ手は無いように思えるが....」

  趙が肩を落とすのに、ベルムが

  「いえ。実はアジトを調査していた調査チーム....ヨアヒム殿がある物を見つけまして....どうやら、賊も、あの調味料に漬け込んだ食肉奴隷をそのまま出荷はしてなかった様です」

  「どういう事なのかな?」

  ベルムがにっこりと微笑んで、黒いカバンの中からとある薬品の瓶を取り出した。雪芹が

  「それは?」

  と覗き込む。ベルムが説明を再開する。

  「あの細菌の治療薬です。どうやら、通常の手順ですと、あの調味料に数日に渡って漬け込まれた食肉奴隷は、出荷直前にこの薬を飲まされていたようです。賊も、細菌が残った可能性があるままで、顧客に出荷するのはマズイと考えていたようで....」

  「そうか....」

  「趙様は一度は食肉用奴隷として出荷される予定でしたが、その後、賊が予定を変えた為に、この薬が投与されなかったのではないかと....」

  再び、希望の眼差しでベルムを見つめる趙が

  「では、その薬を飲めば、儂の中の細菌も...」

  ベルムが残念そうに頭を振る。

  「いえ.....細菌は趙様の中で長期間に渡って変異を繰り返しています。この薬では細菌を殺しきれないかと.....」

  雪芹が

  「ベルム殿。では、何故、今此処に来られたのだ? まさか「打つ手なし」と説明する為だけでは無いのだろう?」

  ベルムがにっこりと笑って

  「はい。この薬、そのままでは限度がありました。ですが、これを元に新薬を開発致しました。動物実験の結果は問題無し。念の為、有志を募っての投薬実験も行いましたが、大きな副作用は出ておりません」

  と、もう一つの瓶を取り出した。趙が恐る恐る

  「では、これで?」

  「はい。治療可能かと....ただ、投与してから二三日は微熱等が続きます。それに、趙様自身の体力がかなり落ちている事を考えると、最初は少なめに投与して回復魔法を掛け続けながら体力の温存を図り、経過を見ながら量を増やしていく形になるかと....」

  趙がホッとして

  「では、かなり有望と考えて良いのだね?」

  「はい」

  ベルムが微笑むのに、趙だけでなく、雪芹も安堵の表情を浮かべたのだった.....

  ............

  ........

  ....

  早速投与が開始された。ベルムは助手を連れて来ており、微熱を出して寝込んでいる趙に交代で回復魔法を掛け続けた。その間、雪芹が宿に頼んで粥を用意させて食べさせる。ゴードフが数時間置きに様子を心配そうに見に来ていた。

  薬の投与を初めて二日目....

  「どうやら効いているようですな」

  趙の血液を採取して、試薬を垂らしたベルムがにこりと微笑む。

  「そうか....」

  床の上で上半身を起こしている趙が、怠そうに応える。まだ微熱で熱っぽい。雪芹が

  「ベルム殿。この後は?」

  「恐らくは、今日辺りから体力がどんどん回復してくる筈です。ただ、まだ残っている細菌がいる可能性もありますから、後二日間は薬を続けます。それで、検査で問題が見られない様でしたら、完治したと考えて良いかと。ただ....なにぶん、初の治療です。何か異変がありましたら、直ぐに、連絡をお願いします」

  そう告げると、再び治療(薬の投与と、回復魔法)に取り掛かった。

  ............

  ........

  ....

  三日後....

  「では、くれぐれも無茶は成されない様に」

  「ああ、判っている。ありがとう」

  宿の玄関先にて開いた転移ゲートの前に立つベルムと助手。もう『問題無し』と判断して、これからジークリアに帰るのを、趙と雪芹が見送る所である。趙は、今迄の不調が嘘の様に回復していた。ただ、栄養補給が自分では出来なかったので、少々痩せてしまったが.....

  そうしてベルム達は帰っていき、趙は漸く、本当の意味で休暇を楽しめる躰に戻ったのだった....

  ............

  ........

  ....

  その晩、趙は久々にゴードフとじっくりと酒を飲み交わした。

  「じゃあ、本当にもう大丈夫なんだな、旦那?」

  「まだ油断は出来んが、ほぼ大丈夫だろうという事じゃ....」

  部屋の露天風呂にて、浮かべた盆に徳利とお猪口を乗せて上機嫌で飲み交わす二人。こうして心置きなく酒を酌み交わせる事そのものを、只々嬉しく思い酒を飲み交わす。流石に日が変わる前に雪芹に盆ごと取り上げられたが....

  ・

  ・

  ・

  一方、ジークリアの商会本部の魔法研究施設にて....

  「師匠...」

  眼の前の、通常は特殊な魔物などの保管に使われる大きなガラス管の培養液の中、エドワードは酸素マスクだけを身に着けた状態で、弟子の貴文の前で眠った様に目を瞑り、ゆらゆらと揺れていた。趙よりも過酷な扱いの『魔法実験動物』として、様々な危険な薬物を投与された躰から、薬物を抜き去るには、他に方法が無かった。本当は救出された当初からの治療の必要性が言われていたが、『趙殿の件が片付くまでは』との強い意志により、今迄先送りにされていたものだ。それだけに、だいぶ躰に無理が生じていたのを、意志の力だけで持たせていた。意志と言うよりも意地と言うべきか.....『魔法が関わる件に関して、自分から途中で降りる事が許せない』という....

  すっかり気が抜けて、穏やかな顔で培養槽の中を漂っている師匠の姿を、貴文は複雑な思いで見つめていた....

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