よくある少年漫画みたいな物語だったら、主人公が仲間と困難を乗り越えて最後には明るい未来へと進んでいくハッピーエンドだ。読んだ人たちが希望や夢を持てるような優しい世界を見せてくれる。この話もそんなありきたりなストーリーだったら、どれだけ良かっただろう。
そんなこと考えたって意味なんかないし、世界は変わったりなんかしない。こんな物語が誰かに夢を抱かせることなんて、出来る訳がない。
だってこれは、オレが誰かの夢を殺していく物語なのだから。
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あなたの夢は何ですか?
眠っているときに見るものも夢と言うが、ここで言っている夢は『警察官になりたい』、『花屋になりたい』、『幸せな家庭を築きたい』など、実現させたい未来や目標を思い描いたもののことだ。
夢と言うのは、未来に対する希望であったり、また実現させるために人が頑張るための原動力でもある。とにかく夢を持つということは素晴らしく、美しいことだ。まぁ中には『復讐したい』など、負の感情を募らせたものもあるかもしれないが、一般的には素晴らしく美しいものだったはずだ。
そう、──だったはず。
今話したのは、あくまで『昔の』夢というモノの価値観だ。オレも資料として残っている書籍の記載以外でこんなことを言うヒトに会ったことも無いし、オレ自身が思うことも無い。つまり、現在の夢とはこういうモノではない。
夢とは儚いものであり、そして──残酷な怪物だ。
「んっ!ゲン、さん、気持ちい、い」
「そうか……、ワシもだ」
そんなことを言いながら、三日月のような傷が付いた眉ひとつ動かすことなく、茶色い毛並みの熊獣人はオレの中をその太いもので穿ち続ける。そんな熊の攻めによって与えられる快感に抗うことが出来ず、オレはただひたすらにその太い首にしがみついた。それに気を良くしたのか、それともそろそろ達しそうなのか、熊はオレの唇にマズルを重ねると、腰を振るスピードを速めていく。
「んんっ!」
「ぐっ…!」
舌を絡め合わせたまま、オレの中の熊のモノが膨らんだかと思えば、ビクビクと何度もしゃくりあげる。その脈動に合わせて、オレも白濁とした欲望を吐き出した。
熊獣人は長い射精が終わって、互いの息が整ってからも、そのまま人間であるオレの身体位なら簡単に隠す程の巨体が上に覆いかぶさっていた。
「ゲンさん、重い」
「むっ…、すまん」
そうは言うものの慌てるような素振りは無く、ゆっくりとオレの中から太い竿を抜き出して体重をかけないようにはしたものの、オレの背中に回された腕が解かれる様子は今のところ無い。
「…どいてほしいんですけど」
「……もう少し」
オレよりも年上なくせに、この無愛想な熊は、時折こんな風に人の温もりに縋りつくように甘えてくる。大きくため息をつきながらその大きな背中にオレも腕を回そうとしたときだった。互いの息の音しか聞こえない静かな部屋に、けたたましい着信音が鳴り響く。
回そうとした手で熊の背中をタップして離れるように促すと、少しだけ眉をひそめて不満げな表情を作った熊は名残惜しそうにその腕を解いて、やっとオレから離れた。それに内心苦笑しながら端末を手に取り、画面に通話と表示された緑の部分をタップする。
「はい、月山 陽(つきやま よう)です」
「あ、ごめんねヨウくん。申し訳ないけど、出動してもらっていい?」
端末のスピーカーから申し訳なさそうだが、明るい女性の声が聞こえてくる。
「今日は深夜担当じゃないはずなんですけど?」
「それが…、担当が電話出てくれなくって…。まぁウシクさんだから、いつものことと言えばいつものことなんだけど」
「あの人ですか…」
女性から出たサボり常習犯の名前に頭を抱えた。あの人が出ないことでオレに仕事が回ってくるのはいつものことだ。
「…あの人の分の報酬、上乗せしてくださいね」
「オッケー!地区は三番地区、”マガユメ”に憑かれた”ユメツキ”は三十代・犬獣人の男性、今のところ他の被害情報は出てないから、早めに対処するようにって上からのお達しよ。播磨さんにもごめんなさいって伝えておいて」
「了解」
通話を切ると、すでに着替えていた熊─播磨 厳(はりま げん)がこちらに服を投げてくる。
「準備の早いことで」
「こんな時間にかかってくる電話だ、仕事以外にないだろう」
ぶっきらぼうに答えるゲンさんは相変わらずの鉄仮面だったが、その声には少しイラつきがあるように聞こえた。
まぁ深夜の、しかも非番の日に仕事の電話が入ったら当たり前か。
「ウシクさんがまた連絡取れないらしいよ」
「……いっぺん殴るか」
普段であれば大きな鼻息一つで済ませる所だが、やはりいいところで邪魔されたからだろうか。割と暴力的な発言が出てきて、吹き出してしまいそうになる。
「じゃあ、朝一で殴れるように早く終わらせようか」
「…あぁ」
短く返事をしたゲンさんは、大きな手をオレの頭に置いてわしゃわしゃと撫でくりまわす。機嫌を直すときのいつもの癖みたいなものだが、髪が乱れるからやめてほしい。まぁ短髪だし整えてるわけでもないからいいけど、なんて思いながら、仕事へと向かうために鉄製のドアを開いた。
科学が発展している世界。その中でも日本と呼ばれるこの国では、夢がヒトに憑き、ヒトを喰らう。
これは冗談でもなければ、何かを表現するための比喩表現なんかでもない。この国ではヒトが叶えることの出来なかった夢、ヒトが捨てた夢が変質し、ヒトに憑りつく、”禍夢(まがゆめ)”という怪物へと成り果てる。
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「ユウ、そっち…ぜぇ…行った、ぞ」
「こっちもポイント確認できた。そのまま誘導よろしく」
「ぜぇ…りょうか、い…」
本当に誘導できるのだろうかと疑いたくなるような通信に思わず苦笑いをこぼしていると、かすかに走ってくるような足音が聞こえてきた。
誰もいない路地裏。通りの街灯の光がわずかに地面を灯す狭い道を、犬獣人の男性がはぁはぁと息を切らせながら、こちらに向かって走ってくる。その瞳は血を彷彿とさせる程、恐ろしいくらい綺麗な紅色に染まっていた。
「はい、犬のお兄さん止まってね~」
「……!?」
目の前にも自分を阻むように人間が現れたことに、犬獣人は一瞬だけ驚いたような表情に変わるが、すぐに元の表情へと戻り、スピードを落とすことなく、むしろ更に速く走りながらまっすぐ突っ込んでくる。すぐ目の前まで迫ってきたと思った瞬間、視界から犬獣人の姿が消えた。
どこに消えたかと姿を探せば、常人の脚力だったら到達できないほど、頭上高く跳びあがっている影を見つける。
「追われてるのに止まるバカがいるかよ!」
「…止まれって言ったのに」
そのまま重力に従って降下していく犬獣人が、コンクリートで舗装された地面へと華麗に着地した、はずだった。
「なっ!?」
そこはコンクリートで舗装された地面であるにも関わらず、まるで沼の様に着地した足からずぶずぶと肩まで犬獣人の身体を飲み込んだ。どうにか抜け出そうと、バタバタと手を動かしてはいるが、男の周りのコンクリートは水面のようにバシャバシャと揺れるだけだ。
「な、なんだこりゃ!?」
「だから言ったじゃないですか。止まれって」
「クソがっ!てめぇの仕業か!」
「いや?これはあんたをずっと追ってた熊のおっさんの仕業。ほら、追いついてきた」
後ろの方からどすどすと巨体を揺らしながら走ってきたゲンさんは、フルマラソンでも走ってきたのかと思うほど息を切らしている。
「……大丈夫?」
「ぜぇ…ぜぇ……あぁ」
「…じゃあ、固定よろしく」
大丈夫そうには見えないが、まぁ今はこっちが優先だ。
ちょうどよかったと言わんばかりに、ゲンさんはしゃがみこんで手をついた。すると、先ほどまで波打っていた犬獣人の周りの地面がカチッと固まった。
「こ、今度は動けねぇ…!」
「そりゃあ、コンクリで固めてるし。そんじゃ、とっととそのお兄さんから出てきてもらおうか」
「はっ、どうしようってんだ?俺は出て行くつもりなんてねえし、拷問でもしようってんならこの身体も無事じゃ済まねえぞ?」
「そうだねぇ。でも心配しないで大丈夫だよ」
身体が地面に埋まって、生首状態になった犬獣人の頭に手を伸ばす。伸ばされた手がその頭の少し汗で湿った毛の感触を感じることは無く、男の頭の中へと入っていった。
「触れるから」
手に何かを掴んだ感触を感じたと同時に、その何かを掴んだまま男の頭から手を引き抜いた。
引き抜いた手に掴まれて出てきたのは、目の前で地面に埋まっている男よりも少し若い、猫獣人の男性の姿をしていた。しかし、その顔には目と鼻は存在せず、大きな口だけが付いた怪物だった。
「ちくしょうが!なんで触れるんだ!なんで邪魔すんだ!俺はただ自分を叶えたいだけなのに!」
出てきた禍夢が叫び散らす。その叫びと共に、頭の中に映像が流れ込んでくる。
──これはこの夢を抱いたヒトの、夢が叶わぬ夢へとなるまでの記憶だ。
猫獣人の少年が、真剣な表情でバットの素振りをしている。その表情は疲れているが、どこか楽しげだ。
今度は試合でのワンシーンだろうか。バッターボックスに立つ少年は投げられた球をバットの芯に捉えて、遠く球場の観客席まで飛ばし、見事にホームランを決めていた。彼のホームランに沸いた仲間たちは、ベースホームに帰ってきた少年を笑顔で彼を取り囲んでいる。そんな少年は本当に幸せそうな笑顔を浮かべていた。
場面が切り替わって、今度は病院だろうか。成長した少年は白衣の男性からレントゲン写真を見せられていた。怪我でもしたのだろう。その左手には包帯が巻かれている。彼の絶望的な表情から、しているのが悪い話であることも想像に難くなかった。
そして、また場面は切り替わる。使い込んでいたであろうグローブを握りしめながら、涙を流す猫獣人。彼の横には何かの錠剤が入った茶色い小瓶が置いてあり、おもむろにその瓶を手にして、大量の錠剤を口の中に含んで飲み込んだのだろう。喉がごくりと動いてから彼は床に倒れこんだ。それから動くことは無かった。
「……ただ叶いたいだけだとしても、お前が憑いたこのヒトの人生は、夢はどうなる」
「そんなこと知ったこっちゃねえ!俺が叶うんなら他なんてどうだっていいんだよ!!」
禍夢は、その身勝手な思いを叫びながら周囲に球体状の物体を浮かべ、こちらに向かって射出してきた。しかし、地面から伸びてきた壁によって阻まれて、野球ボールのようなそれは、鈍い音を響かせながらぶつかり続ける。しかし、球体が壁を削り切る前に尽きたようで、オレに届くことは無かった。
「ちっ!」
禍夢は攻撃を無駄だと判断したのか踵を返して逃げようとするが、その動きがピタッと止まる。その目の前には、バチバチと音を発する雷撃の矢が突き付けられていた。またすぐに別の方へと逃げようとするが、その時には既に身体の周りに同じような矢が突き付けられていた。
「たとえどれだけ尊い夢だったとしても、他者を踏みにじっていいと口にした時点で、お前はただの怪物だ」
「や、やめっ…」
「見果てぬ夢は夢のまま、散り眠れ」
制止の声も聞かず、禍夢へ向けて上げていた掌をゆっくりと握りしめた。その瞬間、電気で出来ていた矢が怪物を貫き、断末魔も残さぬまま光の粒となって消えていった。
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百五十年前、この国に突如として禍夢という怪物が現れた。何故この国にだけ現れたのか、どうして魔法や魔術なんて存在しないはずのこの世界で、そんな非科学的な怪物が生まれたのか。それは現在になっても解明されていない。
分かったのは、この怪物が元はヒトの夢であったこと。そして、その存在がヒトに害するものであるということだけ。
禍夢は、ヒトに憑りついてヒトを操る。その理由はたった一つ。
『自分という夢を叶える』
ただそれだけだ。
じゃあ叶えてあげればいいじゃん、なんて思うヒトもいるだろう。けれど、実際はそうはいかない。
禍夢に憑りつかれたヒトは”夢憑き(ゆめつき)”と呼ばれる。この状態の間、禍夢は自身の存在を保つために、夢憑きとなったヒトの持つ生命力を奪い続ける。ヒトの命というのは、当たり前のことだが有限だ。つまり憑かれている状態が続けば、遅かれ早かれ夢憑きは死に至る。
そして、禍夢は夢を叶えたとしても消えることは無い。なぜなら、夢というのは抱いたヒトが叶えるものであり、他人が代行したところで、それは叶ったという事実には至らない。ただいたずらに生命を消費し、夢憑きが死ねばまた別のヒトへと憑りつくということを繰り返すだけだ。
更に、もし死んだ夢憑きが何かしらの夢を持っていたとすれば、それは叶わぬ夢となり新たな禍夢が生まれることになる。だから、禍夢は滅するほかに対処する方法は無い。
そんな禍夢を滅し、一般人を守って夢憑きを救うのがオレ達の仕事だ。
背の高いビルの立ち並ぶ街の一角の中でも更に大きなビル。そこは禍夢対策の本部であり、つまりはオレ達の職場だ。まぶしい朝日が街を照らし始めるような時間に報告の為に来たものの、正直夜中の呼び出しだった上に、ろくに眠ってもいなかったものだから、出来ることなら今すぐ帰って寝たい。が、帰ろうとするとゲンさんに無言で首根っこ掴まれて引きずられるため(実際さっきもやられた)、仕方なく入り口の自動ドアをくぐった。
「おはようございまーす!三番地区の禍夢、片付きましたよ~」
「あら、ヨウくん。無茶ぶり聞いてくれてありがとうね。播磨さんも」
「……あぁ」
「コノギシさんもこんな時間までお疲れ様です。仮眠休憩取れなかったんじゃないですか?」
そうなのよ、と綺麗な黒髪の人間の女性─此岸彼岸(このぎし ひがん)さんはくたびれた表情を見せる。ちょうど昨夜から今日の未明までは担当の人員が少なかったらしく、禍夢が出たときのオペレーションやら手配やらでてんてこ舞いだったらしい。だが、ゲンさんはそんな彼女の話に一切耳を貸す様子はなく、かといって報告書を作ろうとするわけでもなく、きょろきょろと何かを探すように辺りを見渡し始めた。
「…何してるの?」
「さぁ…?」
そんなゲンさんの行動の意味を聞かれても、オレも分からない。というか、連れてきたのはゲンさんなんだから報告書作ってほしい。
「……此岸」
「はいっ!!!」
ひそひそと話すオレと此岸さんの後ろから唐突にゲンさんに呼ばれて、彼女は驚いて大きな声で返事をする。まぁ気配もなく至近距離で後ろから二メートル近い大男に声をかけられたら誰でもそうなる。オレもビビった。
「……ウシクは来てないのか?」
「え?…あぁ、そういえばまだ来てないですね」
此島さんの回答に、ゲンさんが少しだけ不機嫌になったのが分かる。というか、小さく舌打ちしてた。そういえば、仕事に行く前に朝一で殴るって話してたな、なんて他人事のように思い出した。朝一で殴ろうって言ったのオレだけど。
「……帰るぞ」
「え?報告書は?」
「……明日でいいだろ」
殴るためだけにわざわざ来たのか、このおっさんは。
「あら、二人ともまだ帰さないわよ?」
「「え?」」
此岸さんの言葉に、二人揃って少し気の抜けた声を返す。そんなに早く報告書出さなければいけないことも無いはずなんだけれど。
「今日から新人教育しろって、局長命令で」
「え~…」
「今まで関わってこなかったツケよ。諦めなさい」
「……今日じゃないとダメなのか?」
ゲンさんの疑問はもっともだ。新人教育するのは百歩譲っていいとして、なぜ今日じゃないとダメなのだろうか。
「今日から一緒に暮らしてもらうらしいからねぇ」
「…はい?」
オレの疑問符が付いた返事には一切答えず、「これ重要案件らしいよ」とだけ返され、逃げ道が一切ないことだけが理解できた。
項垂れているオレを無視して、此岸さんは奥から現れた人影に手招きをしている。招かれた人影がこちらに近づいてくると、その姿が少しずつ鮮明になっていく。夕陽を彷彿とさせるような橙色の毛皮に茶色い縞模様、太い尻尾が不安を表すようにゆらゆらと揺らめいている。そして、左目にはガーゼが張り付けられている虎獣人の大男。ゲンさんより高い身長、横幅はさすがにゲンさん程は無いが、それでも鍛えられた筋肉によって良い体格をしている。
「こちらの二人が、これからあなたと一緒に仕事をする仲間です。仲良くしてくださいね」
虎獣人は不安そうな顔で、会釈しながらこちらの顔を確認するように見ると、オレを見た瞬間に、隠れていない右目が大きく見開かれた。
「……!」
「えっと、オレの顔に何かついてます?」
「あ、いえ、その…」
あからさまにオレの顔を見て挙動不審になる彼は、何か決心をしたように口を開く。
「あの!」
「は、はい」
「ここどこですか!?なんで俺連れてこられたんでしょうか?仕事って何ですか!?まだほかの仕事残ってたはずなんですけど、とうとうクビですか!?」
「……」
虎獣人の男は現在の状況について何も把握できていない様子で、そもそもなんでここにいるのかさえ分かっていないようだった。
そんな彼をよそに、オレ達のジトっとした視線が此岸さんに向けられると、彼女は頬をポリポリと掻きながら苦笑いを浮かべている。
「……どこから説明してないんだ」
「えっと…、局長がしてないんだとしたら最初から?」
てへっ、と口で言いながら此岸さんは舌を出しながら舌を出すポーズをする。歳を考えろと思わず口から零れかけたが、後が怖いので黙っておこう。
「…歳を考えろ」
「なっ!?まだきつくなるほど歳いってないわよ!!というか、レディに対して失礼じゃない!?播磨さんはいつもいつも…!」
どうも同じことを思っていた無口のはずの熊が、ぽろっと口を滑らせる。がみがみ言われながら鼻息一つで返事をするゲンさんの態度に、此岸さんは更にヒートアップしていく。後で助けるとして、それよりも今はこっちだ。
「職場で同僚が夢憑きになって、すぐ気絶しちゃって…。気づいたらその同僚は俺の前で倒れてるし、他の同僚は俺を見て怯えてるしで何が何だか分からないし、そのままここに連れてこられて……」
「あー…、えっと、虎のお兄さん?」
「あ、平虎辰(ひらこ たつ)と言います。縞島商事の営業部に勤めてます。成績最下位ですけど…」
「平虎さん、申し訳ないですけど以前の職場には戻れません。今日からここで働いてもらうことになります。これは決定事項なので平虎さんに拒否権はありません」
オレの言葉に平虎さんは口を大きく開けて呆然としている。当たり前っちゃ当たり前だ。いきなり連れてこられた挙句、ここで働けなんて言われてるんだから。
「その他の説明も追々していきますが、とりあえず」
「ようこそ、政府公認特務機関禍夢対策局 通称”夢狩(ゆめがり)”へ」
[newpage]
『ヨウ』
オレの名前を優しく呼ぶ声がする。忘れられるはずのない、あの人の声がする。
気付けば目の前には幼い頃の自分と、新雪を思わせるような、美しい白銀の鬣をたなびかせた白獅子の獣人が並んで歩いていた。それでこれが夢なのだと気付く。在りし日の懐かしい記憶だと。
──だってもうこの人は、師匠は、この世に居ないんだから
『ヨウは何か夢があるかい?』
小さな頃のオレはゆっくりと頭を振る。それを見てふむと小さく呟く師匠は、顎に手を当てて何かを考えるような素振りをみせた。
─師匠は…
『うん?』
オレの小さな声に、師匠は優しく微笑みながら見下ろしてくる。
─師匠は夢…、あるの?
オレの問いかけに、少しだけ目を見開いたが、すぐに優しい表情に戻った。
『もちろんあるよ。叶わないかもしれないものだけどね』
その答えに、小さい頃のオレは首を傾げる。
─叶わないの?
『そうだねぇ。それくらい僕にとっては大きすぎる夢だからね』
─禍夢になるかもしれないのに?どんな夢なの?
少し気恥ずかしかったのか、白い毛並みを少しだけ朱に染めながら、しかし目を逸らしたりはせずに、真っ直ぐにこちらを見ていた。
『僕はね、この国から禍夢という存在を無くしたいんだ』
─師匠…、夢見がちなのもほどほどにした方がいいよ…
呆れたようなオレの物言いに、師匠はあんぐりと大口を開けながら涙目になっている。
『よ、ヨウが聞いたから言ったのに……』
─だって、そんな夢叶うはずないもん!禍夢が増えるだけだよ!
今でもそう思う。いや、今だからこそ強くそう思うんだろう。だって、師匠が語ったその夢は、オレにとっては、世界を変えると言っているのとほぼ同じ意味だったのだから。
『そうかもしれないね。でもね』
─…?
『僕は、誰でも夢が語れる世の中が見たい。それこそヨウが夢狩なんかしなくてもいい世の中が見たい。それに禍夢だって、ただ叶わなかっただけで怪物になっちゃって可哀想だろ?だから、そんな悲しい存在が生まれない世の中にしたい。叶わないかもしれないけど、可能性はゼロじゃないと思うからね』
無謀な夢だと思う。けれど真面目にそんな絵空事を描いている師匠が、オレには格好よく、誇らしく思えた。
─しょうがないなぁ…、じゃあぼくも手伝うよ
『え?』
小さなオレは顔を真っ赤にして、けれどそれを見られるのも恥ずかしくて顔を見られないように精一杯背けていた。
─だから!師匠の夢!ぼくも手伝うって言ったの!ぼくの夢も師匠の夢と同じ!
『…本当にそれでいいのかい?』
師匠が真剣に問いかけてくる。それにコクリと頷いた。
─だって一人よりも二人でやった方がもっと叶うかもしれないじゃん!それに師匠が叶えられなかったとしても、ぼくがその夢持ってたら禍夢にならないかもしれないし!
『そっか…、そうだね…』
その時の師匠は、どこか悲しそうで、だけど嬉しさを抑えきれないようなそんな表情をして、オレの頭を優しく撫でてくれた。幼いオレは、師匠と同じものを持ってみたかっただけだったのに喜んでもらえて、それが凄く嬉しかった。
──オレは分かってなかったんだ。誰かの夢を背負うのが、どれだけ重いものなのか。
[newpage]
カーッカーッとカラスの鳴き声が遠くから聞こえてくる。微睡みを手放し目を開けると、見慣れた天井がオレンジ色に染まっている。
身体を起こそうとしたが、何か重たいものがオレの胸の上に乗っかっていて上手く起き上がれない。顔だけ起こして下を見ると、丸太と見紛うほどの太い茶色い腕がのっかっている。横に視線を移せば、普段よりも幾分穏やかな顔をして寝ている熊のおっさんが、すぴすぴ鼻を鳴らしながら寝ていた。
「……ゲンさん」
「zzz…」
声をかけても揺すっても一向に起きる気配がない。降ろそうとしても、乗せてるだけかと思えば割とがっちりホールドされているので力が強く、一切動かせそうにない。天井を眺めながら、いっそオレももうひと眠りするかと思い立ったとき、コンコンと部屋のドアがノックされる音が部屋に響き渡ると、返事もしていないのにすぐにガチャリとドアノブが回され、ノックの主が顔を見せた。
「あのー…、すいませ…」
開いたドアからのぞき込むように虎の顔が半分だけ現れる。そういえば、今日から一緒に暮らすように言われて連れてきてたなぁなんてぼけーっとしながら思い出す。最初は申し訳なさそうな表情をしていた虎が、こちらを見るなりどんどん顔が赤くなっていった。毛皮で分かりづらいはずなのにも関わらず、それはもうオレンジ色の毛皮が朱色に近づきそうなほどに。
「すすすすすいません!お邪魔しました!」
「いや、邪魔じゃないんで。寝てるだけですし」
「ででででも、はは播磨さん裸ですし!そ、そういうのの後だったんじゃ」
そこで初めて横に寝てるゲンさんが全裸なのに気づいた。人が寝てるベッドに潜り込んで抱き枕にするだけならまだしもなんで裸なんだ。
「そういうのじゃないんで。とりあえずこれどかすの手伝ってください」
「は、はい…」
「……必要ない」
急に頭上から無愛想な声が聞こえて身体がビクッと震える。それから少し遅れてオレの胸に感じていた重さが無くなった。
「いつから起きてたの?」
「……揺すられた時」
狸寝入りしてやがったのか、このおっさん。熊のくせに。
バリバリと頭を掻きながら、ゲンさんはベッドから立ち上がる。そんなゲンさんを見て、平虎さんは真っ赤にしながら口をパクパクと魚のように動かしていた。目線を辿ると、そこにはふてぶてしいモノがぶらぶらと慣性に従って揺れていた。
「ゲンさん…」
「……?」
「前、隠して」
その後、ゲンさんに服を投げつけ、口をパクパクさせたまま動かない平虎さんを引きずって部屋を出てソファに座らせた。しばらく金魚のような状態のままだったが、しばらくすると落ち着いたのか、口の動きは収まって焦点も合うようになった。顔の赤さは取れてないし口の代わりに耳がパタパタ動き続けてるけど、落ち着いたという事にしておこう。
「……待たせた」
「大丈夫だよ。で、平虎さんにはどこまで説明しましたっけ?」
「え、えっと、何も説明されてないです」
そういえば、眠いから帰ってきてすぐに寝たんだった。それで五時間近く待っててくれるのだから、まだ出会ったばかりだけどかなりいい人だと思う。
だからこそ、この人の教育係が重要案件、しかも局長命令レベルのものだという事が引っかかる。
「あ、あの…」
「え?あ、すいません。説明ですよね」
局長の意図は分からないが、今は考えたって答えなんか出てこない。それよりも優先しなければいけないのは、平虎さんがこの状況になった理由の説明だろう。じゃないと、彼はずっとおどおどしっぱなしな気がする。
「まず、最初に言った通り平虎さんは今後オレ達と同じ、夢狩として仕事をしてもらいます」
「えっと…、それはなぜ?」
「……お前が禍夢に対抗できる力を持ってるからだ」
ゲンさんの言葉に平虎さんの右目が大きく見開かれる。まぁ突然そんなこと言われたら驚くわな。
「禍夢に憑かれるヒトの中に稀に禍夢に支配されず、禍夢から特殊能力を得るヒトがいるんです。それがオレ達であり、貴方です」
「で、でもなんでそんなことが分かるんです?俺、会社で夢憑きが出たときも、気を失ってただけで何もしてないはずです!」
平虎さんはまだ受け入れきれないような様子で、自分はそうじゃない、普通の一般人だと必死で言い聞かせているようだ。けど、現実は彼の望み通りにはならない。
「平虎さん、ヒトが禍夢に憑かれたときにどうやって判断してます?」
「それは…、目の色が紅くなるから…」
「そう、夢憑きは一般人と違って身体能力が上がり、瞳の色が紅くなります。それと同じで夢狩も身体能力が一般人に比べて向上し、そして─」
机の上に置いてあった卓上ミラーを平虎さんに手渡す。鏡を怪訝そうに受け取りながらのぞき込んだ平虎さんの右目は驚きでまた見開かれ、わなわなと震える手が目の横に添えられた。
「瞳の色が翠色に変化します。これが、貴方が対抗できる力を得ているヒトだという証拠です」
「そ、そんな……」
この国に生まれて瞳の色が翠色になることはまず無い。逃れようのない事実に、目の前の大柄な虎獣人はがっくりと項垂れる。急に今までの生活が奪われたんだ。彼の心中は察するが、オレにはどうするつもりもないし、どうも出来ない。
「特殊能力を得たヒトは一部の例外を除き、全員夢狩の一員として働くことが法で決まってます。ま、知ってるのはオレ達くらいですけど」
「…ちなみに俺の能力って?」
もはや逃れられないと思い知ったからか、諦めに満ちた表情で質問を変えた。まぁ無難だが
「分かりません」
「は……?」
オレの即答に平虎さんは、そのまま顎が机に付くんじゃないかと思うほど口を大きく開けている。
「え?わかんないんですか?どういった類のものとか…」
「残念ながら夢装(むそう)…オレ達が使う特殊能力のことですけど、平虎さんの夢装の情報はオレ達に全然入ってきてなくて…。夢狩は共通して身体能力が向上することと、夢憑きから禍夢を引きはがす能力をもってます。後は個人によって違うので、自分で確認するしかないですね」
ずっと抱え続けてた頭を更に俯きながら抱える平虎さん。正直なことを言えば、オレも平虎さんの夢装に関する情報は疑問に思ってることがある。
そもそも、平虎さんが夢狩になった経緯を考えれば、本人にその時の記憶が無いとはいえ禍夢を滅しているはずだ。彼が言っていた話が嘘でなければ、目撃していたヒトがいるはずだから分からないという事は無いはずなのだが、渡された資料には夢装の情報など一切載っていない。それどころか、夢憑きとなった同僚のことすらも書かれていない。書いているのは当たり障りのない平虎さんのプロフィールやらばかりだ。特技は枕草子の序文読むだけで寝れることって、いらないだろこの情報。
(平虎さんの能力に何か秘密があるってことか…?)
眉間にしわが寄っていくのを感じながら、うんうん唸っている平虎さんと、何も考えて無さそうなゲンさんを横目に考えていると、聞きなれた着信音が部屋の中にこだました。それまでの空気が一変して、緊張感が全員に走る。
「はい、月山です」
「ヨウくん、連続で悪いけど出動お願い。夢憑きは兎獣人の女子高生、友人たちからの通報により発覚。発生したのは二番地区。現在同地区にて能力を行使して暴走しており、建造物及び通行人に被害多数。死者も出かねない状況だから迅速に対処せよとのことです」
「了解」
「あともう一点、平虎さんも必ず連れていくことって上からの指示よ」
そんなことあるのか?今日夢狩になったばっかりの、戦闘経験も無いような人を連れて行けなんて。しかし、ここで此岸さんに聞いたところで彼女が理由を知っているわけもないし、知っていたところで満足のいく回答が得られることも無いだろう。
「…分かりました。すぐ向かいます」
手短に通話を終わらせ、顔を上げる。仕事モードに入ったゲンさんは、早々に準備の為に別の部屋へと移動しており、不安そうに耳を伏せている平虎さんが一人ポツンと取り残されていた。会った時からずっと不安そうな表情しか見てない気がするけど。
「という訳で、早速ですけどお仕事と行きましょうか」
「……はい」
出来る限り明るく、これ以上彼が不安にならないように努めて言ってみるが、やはり命の危険があるような場所にこれから向かわなければいけないのだから、緊張がほぐれるようなことは無いようだ。むしろ逆効果だったかもしれないと少し後悔してる。
「…安心してくださいとは言えません。実際、命を落とすことだってある仕事です。今回オレやゲンさんが死ぬ可能性だって無いとは言い切れないし、今後平虎さんが命を落とす可能性だって否定できません」
「……」
平虎さんは真っ直ぐオレの目を見る。その翠色の目には、恐怖とほんの少しの決まり切らない覚悟が見て取れる。
「でも、今回に限っては平虎さんのことは命に代えてもオレが守ります。だから安心してください」
「……」
「それに、オレもゲンさんも夢狩になって長いですからね!そう簡単にやられたりなんかしま「準備できたぞ」」
「わぎゃあっ!!!」
予期せず背後から声をかけられたせいで、驚いて変な声を出してしまった。それが恥ずかしくて、顔が赤くなっているのが分かるほど熱くなる。
ゆっくりと後ろを振り向きながら声の主を睨みつければ、こちらも後ろを向いてプルプルと身体が小刻みに震えていて、笑いを堪えているのがすぐに分かった。
「でかい図体して気配消さないでもらっていいかな!?」
「…お前が勝手に驚いただけだろ」
「…ふっ」
ぎゃんぎゃん熊おやじに文句を言っていると、その様子をじっと見ていた平虎さんが噴出して、表情が少しだけ和らいだ。そのことに気づいたオレとゲンさんは顔を見合わせて平虎さんの方を向く。
「あ、す、すいません!つい…」
「……気にするな、いつものことだ」
「はぁ…、じゃあ気を取り直してさっさと行きましょう」
「はい!」
オレの言葉に、緊張感は戻ったものの、先ほどのような不安は消えて覚悟だけが見て取れる。
その眼にどこか、懐かしい人の面影を感じた気がした。
[newpage]
「そろそろ指定地点だけど…」
「…あれだな」
たどり着いた現場には一人、制服を着た兎獣人が立ち尽くしていた。彼女の周りには破壊された周囲の建物の瓦礫の破片や、ヒトが倒れ伏している。
物陰に隠れて観察してみると、不思議なことに倒れているヒトも瓦礫も、彼女の周囲にあるもの全て、つい数分前まで大雨でも降っていたのかと疑うほどずぶ濡れになっており、彼女の足元にも大きな水たまりが出来ていた。
「……またワシが囮になるか?」
「いや、今回はオレが引き付けて動けなくするよ。ゲンさんは周りのヒトの救助と、本部に治療班応援に寄こせって連絡しておいて」
「……アレをする気か?」
「そっちの方が楽だからね」
「……夢憑きの子、殺すなよ」
「さすがにちゃんと加減するよ」
「あのー…、俺はどうすれば…?」
おずおずと平虎さんが手を挙げながら聞いてくる。
「平虎さんもゲンさんと一緒に倒れてるヒト達の救助お願いします。助けた後はしっかりゲンさんに付いててくださいね、ビリビリするんで」
「ビリビリ…?」
首を傾げる平虎さんを無視して、オレはゲンさんに目で合図を送りカウントを始める。
「三、二、一…」
ゼロと同時に、オレは兎獣人の方へと走り出し、ゲンさんと平虎さんは倒れているヒト達の方へと駆け寄っていった。足音に気づいた彼女は、真紅の瞳でこちらを睨みつけると同時に、手をこちらへと振りかざす。すると、足元にあった水たまりが一瞬で彼女のかざした手のひら前へと移動し、無数の小さな水の粒へと変化する。
かと思えば、その水の粒の一つが目の前にすごいスピードで飛んできた。
「…ッ!!」
間一髪で粒を避けると、すぐ後ろの建物の壁に粒が衝突する。壁は破片をまき散らしながら大きな穴が穿たれていた。
「…随分なご挨拶なことで」
「……」
こちらの軽口など意に介さず、冷めた視線で手を横に振れば、すべての水の弾幕がオレを目掛けて発射される。
オレは同じ大きさ位の電気の弾を作り出してぶつけて相殺していくが、最初から作られていた水の弾丸が電気の弾を作り出すのを待ってくれるはずもなく、撃ち落とせなかったものが容赦なく襲い掛かってくるのでひたすら走って避ける。というか止まったら、この轟音を立てながら容赦なくコンクリートを抉る水の弾であっという間にハチの巣にされる。
とにかく弾が尽きるまで避けて間が出来たら近づこう、なんて甘く考えていたが、オレが必死こいて逃げてる間にも、兎は周囲の水を集めて弾丸を作り撃ち続け、近づく猶予さえ与えてくれない。
どうしたものかと考えあぐねている時だった。
「ヨウ君!!」
オレを呼ぶ声がする。声の方を見れば、ゲンさんと平虎さんが救助を終えたのだろう。二人並んでこっちの戦いを見ていた。
声に反応した夢憑きは、それまでオレに向けていた水粒を平虎さん達の立っている方へと発射する。轟音と土煙を巻き上げながら水の弾丸が全てゲンさん達へと襲い掛かった。しかし、土煙が晴れるとそこには凹んではいるものの分厚いコンクリートの壁が立ち塞がっており、水滴の一つも二人に届くことは無かった。
「ナイスタイミング!」
水の弾が全て撃ち切られて補充される前に、オレは夢憑きとの距離を一気に詰める。彼女が素早く反応するものの、弾丸を補充するほどの時間を与えるつもりは一切ない。
兎獣人に逃げられないように腕を掴んで拘束すると、大量の水が出現してオレと夢憑きの周囲を取り囲んだ。だが、近づけさえすれば十分だ。
「…ちょっと一緒にビリビリしようか」
無表情な兎に対して、ニヤリと口角を上げて笑いかける。それと同時に、逃げている間に自身の周りに発生させていた電気をバチバチとさせると、ずっと表情筋の動かなかった兎の顔が少しだけ歪んで、腕を振りほどこうとするがもう遅い。
一気に溜めていた電気を開放すると、一際大きなバチッという音と共に周囲に電流と強烈な閃光が迸った。
光が収まると、兎はぐらりと身体が揺らぎ後ろに倒れそうになる。それを抱き留め、背中から兎獣人の身体の中に手を入れ、禍夢を掴んで引っ張り出す。一瞬、何か違和感を感じた気がしたが、引きずりだされた少女のような姿をした禍夢の叫びによって流れ込んでくる記憶にかき消された。
二人の少女が楽しそうにプールで泳いでいる。ふざけあいながらも、いざ競争となれば真剣な表情でタイムを競い合っていた。
『二人でメダル取ろうね』
今となってはそれが叶わなかったのだと分かるが、少女たちはその夢が叶うと信じて疑わなかった。
場面が切り替わって、中学生くらいだろうか。大きくなった二人は変わらずプールで競い合っている。しかし、昔のような笑顔は無く、険悪そうな雰囲気が二人を包んでいた。どうやら一人は好調にタイムを伸ばしているようだが、もう一人は上手くいっていないことが原因らしい。練習が終わった後、口論して別れた二人が共に幼い頃の淡い夢を追うことは二度となかった。
目の前の禍夢は、記憶に出てきた少女の片方に似た容姿をしている。しかし、少女とは違い、大きく開けた口から不気味な眼球がぎょろぎょろと蠢いていた。先ほどの電撃のダメージが本体にまで通っていたのか、口から覗いた眼球は忙しなく動いているが、それ以外は動かすことも出来ないようだった。
「…見果てぬ夢は夢のまま、散り眠れ」
掴んだ腕から、高圧の電流を一気に禍夢に流し込む。悲鳴ひとつを上げる間もなく、オレの手の中から光の泡となって消えていった。
「ビリビリするって、こういう事ですか…」
「……」
さっき大量の水の弾丸を打ち込まれていた壁の後ろから、毛皮がぼわっと逆立って膨らんでいる虎と熊が顔を出す。
「ゲンさんが壁作ってくれたおかげで静電気だけで済んだでしょ?」
「これ戻すの大変そうなんですが…」
平虎さんは、逆立った腕の毛を直そうと撫でつけるが、何度も何度も逆立ってしまいには諦めていた。
「まぁなんにせよ、お疲れさまでした。初出動はこれで終わりですよ」
「はは…、俺何にもしてないですけどね…」
自嘲気味に笑う平虎さんだったが、その胸を茶色い大きな拳がドンッと叩く。
「……そんなことは無い」
「へっ…?」
ゲンさんの言葉の意味を上手く飲み込めない平虎さんは、ぽけっと口を開けていた。
「そうですよ。平虎さんがいてくれたおかげで救助も早かったし、ゲンさんだけだったらここまで早く出来ませんから。平虎さんがいてくれて本当に良かったです」
こくこくとオレに同意するように、無表情な熊が首を振る。かと思えば、余計なことを言うなとばかりに、オレの頭をぐりぐりとその大きな手で無遠慮に掴み揺らしてくる。力が強すぎて首もげそう。当の平虎さんは、ぽけっとした表情は変わらなかったが、その右目には段々と涙が溜まってきていた。
「え!?どっか怪我でもしました!?ゲンさんが強く殴り過ぎました!?」
「……おい」
「へ?あ、え…?あれ…?ハハハ、なんでもないんです、すいません」
ごしごしと乱暴に涙を拭いながら笑う平虎さん。本当に意識せず泣いてしまったみたいで、驚きと戸惑いが見えるだけで怪我とかはしていないようだ。
「本当に、大丈夫ですから」
「……そうか」
「それじゃ、あとは治療班に任せてオレたちは──」
──帰ろうかと続けようとした時だった。ゲンさんの目が大きく見開かれたと思った時には、腕を強い力で引かれてそのまま平虎さんへと投げ飛ばされた。驚きながらも、平虎さんがしっかりと受け止めてくれたおかげで地面とキスはしなくて済んだけれど、突然投げられたことに文句を言おうと振り返れば、オレ達二人の視界に分厚いコンクリートの壁と、こちらへと襲い掛かってくる大量の水が入ってきた。
「…は?」
後ろに出入口がある壁にぶつかりながら水が流れていく様を見て呆然とする。何が起きた?この水はいったいどこから?そんなことばかりが頭に浮かんでくる。
「……ゲンさんは!?」
「わ、わかりません…」
このままずっと続くのではと思えた水流も数秒で引いていく。建物に邪魔されて流されなかったと思われる、さっきの戦闘で出来た大量の瓦礫片の山が出来ており、その中に大柄な熊獣人が倒れてる姿が目に入った。
「ゲンさん!!」
慌てて平虎さんがゲンさんの方へと駆け寄っていく。遅れてオレも駆け寄ろうとするが、壁から出た瞬間に目の前を一滴の水が飛んでいく。その水は別の建物を穿ち、その威力をまざまざと見せつけた。その水が飛んできた方向へ視線を向ければ、そこには滅したはずの少女の禍夢が口から覗かせた大きな眼球でオレを睨みつけていた。その姿を目の当たりにしたとき、禍夢を引きずり出した時に感じた違和感を思い出す。
あの時手に感じた感触。禍夢の腕を掴んだ手の甲に感じた別の何かが当たる感覚。そんな前例聞いたことが無い。聞いただけならきっとありえないと鼻で笑っていただろう。けれど、目の前の現実が甘い考えを否定して、一つの結論を表していた。
「二体で一つの禍夢…!」
言いようのない緊張感が、じりじりと場の空気を焼いていく。すぐに攻撃してこないところを鑑みると、一体が滅されてることでそれなりに消耗はしているのだと思う。横目で確認すれば二人ともどうやら無事そうだ。ゲンさんは意識がないだけの様だがこの場においては命取りだ。
「…平虎さん、オレがこいつ引き付けておくんで、ゲンさん担いで逃げてください」
「で、でも…」
平虎さんが何かを言いたそうにこちらを見る。が、今はそんなことを気にしてる場合ではない。
「大丈夫ですよ!治療班も近くに来てるはずですし、そう簡単に倒されたりしませんから。ついでにヘルプもお願いしてきてください」
無理やり笑って、余裕を演出してみせる。ここに来るときもやったけど、我ながらひどい演技だと思う。でも、今はこうやってでも二人をこの場から離さないと、さっきの戦闘で消耗した状態では二人を守りながら戦うのは難しい。
「…分かり、ました。すぐ助け呼んできます!」
「ゲンさん連れてくの、忘れないでくださいね?」
慌ててぐったりしている熊の巨体を担ぎ上げて、平虎さんは真っ直ぐ走り出す。それに反応した禍夢が二人に向けて手をかざし、高圧の水流を放つ。しかし、それは二人に届く前に電気の壁に阻まれ、大きな音を立てながら、電気で発生した熱によって蒸発していった。
「お前の相手はオレだって」
オレの方を向き直した禍夢に対して電撃を一発飛ばすが、反応した禍夢は即座に分厚い水の壁を自身の周りに作り出され、それにぶつかる。ぶつかった電撃は最初こそ派手な音を出していたが、水が電気を分散させてしまい禍夢まで届かない。
「やっぱダメか…」
禍夢を守るように展開された水壁が消える様子は無く、近づこうとすれば容赦なく水の弾丸やら斬撃が飛んでくる。かといって、これを攻略しなければこちらの攻撃を当てることも出来ない。どうしたものかと立ち止まれば、これまた容赦なくウォーターカッターのような水の斬撃が飛んできてゆっくり考える暇すら与えてくれない。ただ避けるので手一杯になり、少しずつ体力だけを削られていく。
「…一か八か」
少しずつ溜めていた電気を右手に収束させていく。走りながら相手の攻撃を撃ち落としたり防御に使っていた分も全て集めていけば、かなりの量の電気の塊が右手に現れた。
右手に電気の塊を携えたまま、それまで近づこうとしなかった禍夢の方へと駆けていく。当然、近づけたくない禍夢は水による攻撃を繰り出してくるが、今更そんなのは関係ない。最低限致命傷や行動出来なくなりそうな攻撃だけを避けていく。頬を水の弾丸が掠め、脚を斬撃が撫でていき、肌を切り裂いていく。それでも止まらず、水壁へと電気の塊を叩きこんだ。高圧の電気の塊は分厚い水壁を紙のように切り裂き、禍夢をオレの眼前に晒させる。
──はずだった。
切り裂かれた壁の向こうにはいるはずの禍夢の姿は無く、そこには水柱だけが立っている、がらんどうの空間が広がっている。
しまったと思った時には、もう遅かった。頭上から降りてきた影を見つけ、視線を上に向けると、そこには少女の禍夢がおり、この戦いで見た水の弾丸を避けれない距離から発射してくるところだった。
時間がゆっくりと流れていくのを感じる。視界で進む世界はスローモーションなのに、自分だけはその場に止められたように指先ひとつ動かせそうになかった。死にそうになると世界がゆっくりに見えるってこういう事なんだなぁなんて、死にそうになってるくせに暢気に考えてしまう。
──しょうがないか…
この仕事を始めてから、いつか来るかもしれないと思っていた瞬間。覚悟していたこともあってか、最早諦めに近い形で自分の死を受け入れて目を瞑った。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
あまり聞き覚えのない咆哮が聞こえてきたと思ったら、横からドンッという衝撃と浮遊感と共に何か暖かいものに包まれる。
「あいたっ!!」
「ひ、平虎さん!?」
目を開ければ、そこには先ほど逃げてもらったはずの平虎さんが、地面に転がりながらオレのことを抱きしめていた。
「ま、間に合ってよかったです」
「なんで戻ってきたんですか!!」
にへらと気の抜けた笑顔を浮かべる平虎さんを、助けてもらった礼も忘れて怒鳴りつける。せっかく逃げられたのに、今戻ってくるなんて死にに来たようなものだ。
「なんでって、播磨さんは治療班のヒト達に預けてきましたし、増援もお願いしてきましたから」
「そういう事じゃなくて…!」
「どわぁああああああああ!」
どこかずれた返答の彼に少しずつイライラが募っていくが、平虎さんが動いたことによって途中で遮られる。まだ言いたいことはたくさんあったのだが、そんな時間を戦っている最中に相手が許してくれるわけもない。オレ達二人がさっきまで寝ていた大地は、斬撃によって切り裂かれていた。
「とりあえず逃げますね!」
「あ、ちょっと!?」
転がった勢いを利用して立ち上がった平虎さんは、オレを小脇に抱えたまま走って禍夢から距離を取るように走り出す。だが、禍夢はそんなオレ達を仕留めようと攻撃の手を緩めようとはせず、何度も追撃を放つ。
「放してください!自分で走れますから!」
「ダメです!今止まれません!」
後ろからの攻撃を器用に避けながら、ゲンさんがオレ達を助けるために作ってくれた壁に隠れ、そこでやっと降ろしてもらえた。
「…ヨウ君が怒ってる理由は分かってるつもりです。俺が来たって状況が変わるわけでもないかもしれない」
「なら!」
「それでも!!」
初めて聞く平虎さんの強い声に、ビクッと身体が震える。
「二人とも生きていてほしいって思ったんです。そのために出来ることは全部したいって。それに、年下のヨウ君に守られてばっかりじゃ、年上として情けないですから」
「……」
困ったような笑顔で、真っ直ぐ見つめてくるその翠色の目は力強い決意を湛えている。大きな身体を震えさせて、本当は怖いはずなのに。
「それに本当は黙ってたことがあるんです…」
平虎さんが続きを言おうとするのと同時に、平虎さんの背後から禍夢が顔を出す。振り返った平虎さんは、顔を強く殴られる。
「平虎さん!」
よろめく平虎さんの前で、禍夢は止めを刺すために周囲の水を集めていく。まるで絶望する様を楽しむように、ゆっくりゆっくりと。
先ほどの攻撃で迎撃するほどの力が溜まっていないオレにはどうしようもない。
「春はあけぼの。ようよう白くなりゆく山ぎわ、少し明かりて──」
今度こそと覚悟したとき、平虎さんがブツブツと何かを言うのが聞こえてくる。これは、枕草子?
なんで今そんなことを、と疑問に思いながら平虎さんを見ると、左目に付いていたはずのガーゼが無くなっていた。
「…ッ!」
夢狩の瞳は、皆例外なく翠色になる。そのはずなのに、平虎さんのガーゼで隠されていた左の瞳は紅く染まっていた。まるで、夢憑きのように。
その事実に言葉を失っていると、段々と平虎さんの瞼が下がってきて、完全に閉じられた。
「平虎、さん?」
「zzz…」
「…え?」
目の前で穏やかな顔で寝息を立てる彼に、思わず顔が引きつる。まさかこの状況で寝だす人がいるなんて想像できるだろうか、いや出来ない。表情が読めないはずの禍夢すら、少し戸惑っているようにすら見える。
だが、そんなことでこの絶体絶命な状況が変わるわけも無く、水を集め終えた禍夢の手から無慈悲な攻撃が放たれた。
目を瞑り、来る痛みに身体を強張らせる。だが、どれだけ経っても一向に襲ってこない。
恐る恐る目を開けると、そこに先ほどまであったはずの巨大な水の塊は無く、代わりに寝だしたはずの平虎さんが立ち塞がっていた。
「平虎さん…?起きたんですか…?」
「……」
声をかけても反応は無く、顔を見れば瞼は降りたままである。だが、この状況からあの攻撃を消したのは平虎さん以外に居ない。
禍夢も、仕掛けたはずの大技が突如としてかき消されて明らかに動揺しているが、すぐにまた新たな水を生み出して攻撃を仕掛けてくる。
「危ない!」
思わず大声を出すが、平虎さんは焦る様子は無く、目を閉じたまま腕を横に薙ぐと、まるで最初からそこには何も無かったようにすべての攻撃がかき消されていく。
そのまま横にあげられた左腕が段々と、まるで黒い異形の鎧をまとったように変化していく。そこから少しずつ平虎さんの姿が変化していく。夕陽の様は橙色と黒の縞模様のコントラストが綺麗だった毛皮は、雪原を思わせるような白色へと変わり、頭部には白銀の立派な鬣がたなびいて、白い獅子のような姿へと変わる。そして開かれた双眸は、深紅に染まっていた。
──オレはその姿に見覚えがあった。
「がーっはははは!!手前が今回の相手か!」
禍夢に対して豪快に笑いながら、異形の左腕で殴りかかる。禍夢は間一髪で避けながら水撃を放つが、彼が手をかざすだけでそれらはすべて消え去ってしまい、容赦のない拳撃が禍夢の胴体にめり込み、建物の壁に吹き飛ばされた。
土煙が収まると、ぐったりと倒れこむ禍夢の姿が出てくる。その禍夢の前に立ちはだかると、彼は静かに禍夢に手をかざす。
「見果てぬ夢よ。その想いは未来に託せ」
彼がかざした手を握ると、禍夢の身体は消え去り、光の粒だけが天へと昇って行った。
「……嘘だ」
小さく呟くオレを、彼はゆっくりと振り向き、睨みつける。
信じられなかった。
たとえ、彼が戦っていた時に流れ込んできた記憶が、夢で見た過去の記憶と同じだったとしても。
信じたくなかった。
白銀の鬣をたなびかせるその姿も、少しだけ吊り上がった眉が印象的な顔も、禍夢を滅するときに言ういつもの台詞も。
全部──
「…おう、久しぶりじゃねえか」
全部、死んだ筈の師匠と同じだったから。
けれど、その視線から滲みだすのは師匠のような、慈しむような哀しそうな優しさではなくて。
「夢(おれ)を捨てた、くそ野郎」
オレに対する憎しみだけだった。
[newpage]
もう一度言おう。
これはオレが、誰かの夢を殺す物語だ。
たとえ、それが──
大切な人と抱いた夢だったとしても。