ヘレニズム

  [chapter:今日の成果]

  theologia θεολογία

  philosophia φιλοσοφία

  metaphysica μεταφυσικά

  physica φυσική

  geōgraphia γεωγραφία

  historia ἱστορία

  注音符號(ボポモフォ)の聲調記號みたいなやつは、うまく表示されなかつたので省略してしまつた。

  一例:θεολογῐ́ᾱ

  [[jumpuri:ウィクショナリー > https://en.wiktionary.org/wiki/%CE%B8%CE%B5%CE%BF%CE%BB%CE%BF%CE%B3%CE%AF%CE%B1]]

  ㄊㄞˊ ㄨㄢ(tái wān) 第一聲(ā)は声調記号を書かないらしい。

  ㄒㄧㄝˋ ˙ㄒㄧㄝ 輕聲の記號は音節の先頭に置く。

  [[jumpuri:メルカバー > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%BC]](merkāḇā、メルカーバー)或いは ma'asé merkāḇā について

  原義は「戰車」で、「神の玉座」を指すらしい。

  四つの翼と四つの顔がある戰車が、ヘブル語聖書の「エゼキエル書」(三大預言書の一)に書かれてゐるとか。

  四つの顔に關して、四福音書に当てはめる言説を見た事がある。

  日本語版ウィキペディアではカバラーの神秘修行、英語版では前100年から後1000年まで存在した神秘主義の一派。

  発見された文献の名前が「マセ・メルカーバー」で、ヒブル語版では受容は大きく二通りに分かれるとか。そのうちの一つが「文学・哲学」としての解釈で、「形而上学」といふ単語も出て来る。

  ふと、神學(テオロジア、θεολογία)を意味するラテン語が気になつた。

  一応西ローマや西欧では、キリスト教による神学が続いてゐた筈ではないか。

  それの名前を知つておいても、罰は當らんだらう、と思つた次第である。

  theologia だつた。ギリシア語やん。

  φιλοσοφία 哲學(愛智)

  「愛」を意味する名詞「フィロス」(φίλος)の動詞形「フィレイン」(φιλεῖν)と、「知」を意味する「ソフィア」(σοφία)

  

  羅 philosophia

  ギリシア語やん。

  ローマにはそれまで、学問とか存在しなかつたん??

  まあ、アカデメイアとかリュケイオンとかの学校や、哲学が生まれたのが古代ギリシアだから仕方ないのか。

  ローマ神話つて何やつたん・・・?

  ウルガータつて何・・・?

  ローマ教皇つて何・・・。

  形而上学も、アリストテレスだよね。

  西暦30年ごろにアンドロニコスが著作を整理した際に、自然学的書作群の後に、その探求の基礎・根本に関わる著作群を置いた事にはじまるといふ。

  特定の呼称が無かつたため、「タ・メタ・タ・ピュシカ τὰ μετὰ τὰ φυσικά」(自然学の後の書)と呼んだ。

  これが短縮されて、μεταφυσικά(メタピュシカ)となつた。

  羅: metaphysica(メタフィシカ)

  

  ギリシア語やん・・・。

  西欧世界のフィロソフィア(愛智)は、ギリシア語文献からヒブル語文献へと移つたとされる。新約聖書はギリシア語で書かれてゐるのにね。

  それも、ローマ帝国の領土の南半分であつた、北アフリカの地中海沿岸地域が、イスラーム帝國によつて支配されてしまつたからである。

  学問の中心はアレクサンドリアだつたらしい。ヘウレーカとかトレミーとかだつけか。

  今や埃及ではコプト語は少数となり、アラビア語話者が大多数を占めてゐる。

  とはいへ、哲学や希臘の學は異端学とも称されたらしい。知らんけど。

  イスラームの学問はペルシア語によつて担はれていく。

  そして近現代では、イスラームの学術言語は英語だ。

  勿論、イスラームの第一言語はアラビア語で不動だけどね。

  物理学を意味する英単語フィジックスも、「from Latin physica (“study of nature”), from Ancient Greek φυσική (phusikḗ)」 古希:ピュシケー → 羅:physica(フィジカ)

  とはいへ、古典物理学といへばニュートン(1727年没)だからね。

  彼はイングランド人だ。

  「E pur si muove」は直訳すれば単に「それでも動く」は、伝記作家の創作か。

  1564年、ガリレオ・ガリレイが生まれたのは、フィレンツェ公國のピサだつた。イタリア半島北部にあり、神聖ローマ帝国に屬してゐた。

  1569年にはトスカーナ大公國へと變はつた。

  1642年、彼はフィレンツェで亡くなつた。フィレンツェ・トスカーナ両国の首都であつた。

  ガリレオの有罪判決を受けて、デカルト(1650年没)が著作の公刊をとりやめてゐる。

  [chapter:エレニスモはどこから?]

  

  ヘレニズムはヘレナに主義を意味する -ism がくつつゐたに過ぎない。

  最初に思ひ浮かべるのは、マケドニアのアレクサンドロス3世(大王、前323年没)の大遠征と、彼の死後生まれたヘレニズム三国だ。

  セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト、そしてマケドニアだつたかな。

  プトレマイオス朝は、クレオパトラ7世がローマと渡り合つたけど、敗北して消えた。

  最後のファラオは、プトレマイオス15世(前30年没)だ。

  二世紀、ローマ支配下のアレクサンドリアで、クラウディオス・プトレマイオスといふ学者が現れた。

  主著は「アルマゲスト」と「地理学入門 Γεωγραφικὴ Ὑφήγησις」(ウィキペディアでは「ゲオグラフィア(地理學)」)である。

  前者は天文学書であり、ヒッパルコスの星表(46星座)を踏襲し、48星座を定めた。(プトレマイオス星座)

  後者は、地理学(γεωγραφία、ゲオグラフィア)を世界地図を書く学問と定義した。(コトバンク「プトレマイオス」改訂新版 世界大百科事典 )

  羅:geōgraphia(ゲオーグラピア)

  古代ギリシアの彫刻美術が、遠くインドの仏像へと影響をもたらしたとされる。

  それが、「アルカイック・スマイル」と呼ばれる、口元に浮かんだ微笑みだとか。

  四世紀のエジプト語は、コプト語と呼ばれる。

  ギリシア語の影響を受けてをり、文字はほぼギリシア文字である。ギリシア文字に無いのを、ヒエラティックから補つてゐる。

  コプトといふ語も、ⲁⲓⲅⲩⲡⲧⲓⲟⲥ(アイギュプティオス)から来てゐるといふ。

  「エジプト(Egypt)」もその難しい単語から来てゐる。漢字の埃及は音読みすれば「アイキュウ」であり、アイギュプティオスに近いといふ事が分からう。

  七世紀にはイスラム帝国の支配下となつたため、前述の通りアラビア語が次第に優勢となつていく。

  その古代ギリシアだが、起源は古代エジプトとされてゐる。

  クレタ島を中心とする古代ミノア文明は、古代エジプトの影響を受けてゐたとされる。ミノア語と予想される線文字A は、今現在に至るまで未解読のままである。

  その後、大陸を中心とするミケーネ文明へと移行した。

  それも前1200年のカタストロフによつて滅亡した。

  鉄器を発明したヒッタイトが滅んだ。

  ドーリア人と彼らの都市スパルタ vs イオニア人

  エジプトは、「海の民」と呼ばれる少数民族による部族連合が襲つた。

  そのうちの一派、ペリシテ人がパレスチナに居住した。

  ギリシアの鉄器時代は、文献が少ないために「暗黒時代」(前1200 - 前700)と呼ばれる。

  きつと製鉄に夢中になつて、文字なんか書いてゐる暇が無かつたのかもしれない。知らんけど。

  或いは、戰爭に明け暮れてゐたのだらうか。

  日本でも、鉄器のせいか知らんけど、倭國大亂てのが、二世紀後半にあつたらしい。

  前八世紀以降、ポリスを中心とした「古代ギリシア文明」と呼ばれる時代になる。

  それじやあ何や、暗黒時代を挟んで昔のエーゲ海文明とは区別されるつちゆうんかい。

  古代ギリシア文明は、奴隷のおかげで自由人に閑暇(スコレー)ができた。

  だから、学問や哲学が生まれたのだらう。

  タレース(前546年頃没)とかピタゴラスとか。

  そして、「ヒストリアイ(ἱστορίαι、歴史)」を書いた、前五世紀のヘーロドトスおじさんとか。

  ラテン語の historia も、ギリシア語から来とるやんけ。

  そして、ソークラテースおじさん(前399年没)と、プラトーン(前347年没)、アリストテレス(前322年没)、そして彼から教へを受けたズルカルナイン(アレクサンドロス3世)か。

  ソクラテスとプラトンはアテナイの人であつたが、アリストテレスはマケドニア支配下のトラキア地方の生れだ。

  プラトンのアカデメイアは、アテネ郊外(北西)に築かれた。

  リュケイオンはアテネ東部郊外だといふ。彼らは逍遥学派(ペリパトス)と呼ばれた。

  アレクサンドロスの死後、アテナイで反マケドニア感情が高まり、アリストテレスは追放された。

  彼はアテネの北の地、カルキスで亡くなつた。

  [chapter:ロムルスとラテン人の歴史]

  

  ロームルス Rōmulus(前717年没)

  彼がローマに都市國家を建てたとされる。

  共和制を挟んで帝政へと移行するまで、長いローマの歴史の始点がここに置かれてゐる。

  さて、その先は? ローマはどこへ行くのか、または行つたのか。

  東西分裂した後、西ローマはゲルマン人によつて滅ぼされた。フランク人王朝だつたり、神聖ローマ帝国になつたりした。

  東ローマは15世紀まで続いたが、その歴史の後期においては、ギリシア化が進んでゐたとされる。

  そして、オスマン朝に滅ぼされた。東ローマの舊都コンスタンティノープルは、イスタンブールとしてオスマン朝の首都となつた。

  1922年に成立した世俗國家のトルコ共和国は、首都をアンカラとしてゐる。だが、イスタンブールも一都市として、571年間に渡つて「領域」内にある。

  第三のローマはオスマン朝であつた。しかし1922年に滅んだ。

  ロシヤは第三のローマや、ビザンツ帝国の後継者などではない。

  それは黄金のオルドの後継国家であつた。

  しかし、ロシア革命で滅んだ。

  それの後継のソビエトの、そのまた後継がロシア連邦だといふ。

  それは一応、ロシア正教やネオ・ユーラシア主義(ドゥーギン)なんかにアイデンティティを求めてゐる。

  

  前二世紀までに、ローマはイタリア半島を統一した。

  前168年、マケドニア戰爭でマケドニアを滅ぼした。

  後1世紀には残つてゐたトラキア北部も属州となつた。

  古代イスラエルも、前1世紀にローマの保護国、後6年にユダヤ属州(Iudæa、ユダエア)となつた。

  バル・コクバの乱(第2次ユダヤ戦争)後の135年、ローマ皇帝ハドリアヌスによつて、シリア・パラエスティナ(Syria Palæstina)に改名された。

  970年、シーア派王朝のファーティマ朝の支配下になつたりした。

  まあ、イギリスが中東を植民地支配して、三枚舌外交で滅茶苦茶にするんだけどね。

  シオニズムと反ユダヤは共犯関係にあるらしい。ユダヤはヨーロッパから出てけよ、といふ事である。

  現在のイスラエルは、石油を吸ひ上げるための西洋の植民地に過ぎない。

  そして、イスラエル政治もイスラエルの首相も、急速に愚物と化して来てゐる。