もし自分が無かったら、世界はどう見えるのか

  太陰太陽暦(陰暦)は、明治五年迄使はれた。

  この年は1868+4=1872年。紀元2432年だ。

  月遅れつて言ふじやん。

  陰暦の七月十五日を、太陽暦の8.15にするみたいな。

  つまり一か月足したら大體、後者になるわけよ。

  明治五年十二月は、明治6年の1月になつた。

  その十二月が數日しか無かつた爲に、給料を払はなくて良いや、となつたわけである。

  陰暦は約三年に一度、十三箇月になる。

  だから年12か月の太陽暦に、明治政府は飛びついた。給料据え置きで、コストカットできる。

  陰暦は「我が国」の伝統だ。

  でも、シナは割と何うでも良い。

  呉(Eastern Wu)の建國は、222年10月。

  孫権(Sun Quan)が皇帝を称したのは、229年5月23日。

  西晋(Western Jin)によって滅亡したのは、280年5月1日だ。

  既にもう魏(Cao Wei)じやないんだ。

  他にも、秦(はた)、新(あらた)、晋(すすむ)、清(きよし)とか讀んじやうし。

  

  でも、私が東洋の君主だつたら、監視社会でヒイヒイ言つてるシナ人達も、見捨てるわけには行かんのよなあ。

  東洋の範囲がアラブ地域まで広がるなら、何だかワクワクする。

  しかし、先づは近場からであらう。朝鮮や琉球、台灣からである。

  北海道や樺太島・千島列島に目を向けてゐる同胞達もゐる。其の儘カムチャッカも取つて呉れ〜と思ふが、他人任せでは良くないな。

  私一人の力では、北海道や沖縄にも届きはせぬよ。足場固めからだなあ。

  そして足場を固めるよりも先に、身を固めろよ、と。